結末 hachikun TSナデシコ、ラピス よくある逆行ものです。 [#改ページ] ラスト・ジャンプ[#「 ラスト・ジャンプ」は中見出し]  死に瀕した時、ひとは何を考えるのだろうか。  大抵のひとは自分の過去に想いを馳せるという。これには科学的理由もある。死にかけた人体は「自分が死なずにすむ方法」を記憶のデータバンクから物凄い勢いで検索するのだという。そう、いわゆる「過去のできごとを走馬燈のように思い出す」というのがこれにあたるというわけだ。  では、過去のない者は?  あるいは、たったひとつの思い出しかない者は?    世界が血のような赤に染めあがっていた。  時おり起きる振動。温度の異常。無数の警告ウインドウが吹き出している。生命維持装置の停止と退鑑勧告まで出ている状況で、俺は歩いてブリッジに入った。 「アキト!」  俺の顔を見たラピスが悲鳴をあげた。  感情的な反応などしたことのない子だった。唯一知っている感情は『恐怖』だけ。他は何も知らないこの子を、俺はずっと戦場に駆り出しつづけたんだ。自分のために。  だからこそ、その唯一の感情を露わにしたラピスに俺はその一瞬、泣きたくなった。  ユーチャリスのブリッジも真っ赤だった。そこら中につきまくった警告、炎の熱さと息苦しさ。どうやらどこかで火災まで起きているらしい。  ──もう助からない。  俺ももう限界だった。ジャンプの制御などできそうにない。五感がないはずなのに苦痛が全身を襲い、うまくイメージがまとめられなくなっていたからだった。  くそ、せめてラピスだけでも。 「アキト。もうダメ」 「ああ、そうだな」  もう逃げても無駄だと俺はためいきをついた。 「すまないラピス。俺は結局、おまえに何もしてやることができなかった」  俺はラピスに何もやれなかった。人並みの幸福どころか、真っ暗闇を共に歩かせてしまった。  他のことはいい。ただ、そのことだけが俺の悔いてもつきぬ後悔だった。  だけどラピスは首をふり、そしてなぜか微笑んだ。 「……アキト。イメージ手伝う」 「無理だ。もうイメージすらまとめられない」  正直、もう自分でも意識がバラバラになりそうだった。ジャンプなんかできるわけがない。  だがそんな俺にラピスは、信じられないような提案をしてきた。 「大丈夫、イメージはラピスがする。リンク経由で」 「なに?」  リンク経由で俺のナノマシンを操作するだって?できるのか?そんなことが? 「ラピスはリンクごしにアキトのイメージを見てきた。大丈夫、やれる」  正直半信半疑だった。だけどそれしか方法はないようにも思えた。 「わかった。頼めるか」 「うん。そこに座って」 「ああ」  言われるまま、ラピスのいるオペレータブースの横に座った。 「心を鎮めて。できる限りでいいから」 「ああ」  言われるままに心を鎮めた。    この時俺は気づけなかった。  無事にジャンプしたところで俺はもう助からない。ラピスはそれを理解していた。なのに跳ぼうとするラピス。それが何を意味するか、それに俺は気づかなくちゃならなかった。  なのに俺は気づけなかったんだ。 「安全な場所に跳ぶから」 「ああ」  ラピスの『安心してアキト、大丈夫』という思考に俺はなぜか子供のように安心して、  そして、跳んでしまったんだ。      気づいた時、俺は草原に投げ出されていた。 「……」  空が青かった。柔かい風が心地よくて、俺は一瞬まどろみそうになって、 「!」  そして、飛び起きた。 「…………まさか」  俺のものでない、身体。 「うそだろ」  可愛い手。しなやかな髪。 「ラピス……まさかおまえ」  俺と全然違う、かわいらしい声。 「……ラピス!」  あわてて立ち上がろうとした。だが、 「あ!」  転倒してしまった。  身体がまるで『歩き方』を忘れているようだ。調子がおかしいとかそういうわけではないのだけど、今までと全然勝手が違う。  そう──まるで、唐突に別の身体に押し込まれたかのように。 「ラピス──おまえ、なんてこと……なんてことを!」    死んでいく俺を助けるために、自分の身体を使ったのかおまえは。    ──ありえない。  は、はは、まさか、まさかな。そんなことできるわけがない、ないよな、な、な?  は、  はは、  ははははは!   「ラピス、どこだ?」  きょろきょろと周囲を伺った。誰もいない。 「さてはエリナだな、かくれんぼなんてラピスに教え込んだのは。まったくしょうがないな」  ラピスを探さなくちゃ。  こんな草原になんかあいつ来たことないはずだ。離れた場所にボソンアウトして、今ごろ途方にくれてるぞ。 「まってろラピス、今いくからな」  よたよたと歩いた。  小さな手足は思うように動かない。ただ向こうに見える丘の上にいきたいだけなのに。 「ラピスどこだ!」  ふらふらと足がもつれる。くそ、なんでこんなひ弱なんだ。どうなっちまってるんだいったい。  はやくラピスをみつけなくちゃ、みつけて月のドックに戻らなくちゃ、早く、早── 「あっ!」  べしゃ、と前のめりにすっころんでしまった。  よろよろと起き上がり、再び歩きだす。悪態をつきながら土手を登った。  登りきったそこは道路だった。草原の中を貫いた一本の道。  その道路を横切り、向こうに見える丘を目指そうとしたところで、 「──ラピスラズリ?ラピスラズリじゃないですか!?」  ルリちゃんの声が聞こえたんだ。 [#改ページ] 拉致[#「 拉致」は中見出し]  道路にはいつのまにか黒い車が止まっていた。  そしてルリちゃんが俺の目の前にいて、俺の顔を覗き込んでいた。 「ルリさん、このお嬢さんはお知合いで──!?」  俺の顔を見たプロスペクターが、なぜか顔色を変えた。 「ルリさん、まさかですがこの方は」 「私の妹のようなものです。まさかここで会えるとは思いませんでしたが。  遺伝子データの登録はないはずです。プロスさん彼女を保護させてください、連れていきますから。かまいませんか?」 「え、ええいいですとも。──しかしなぜこんなところに?」 「わかりません。もしかしたら逃げてきたのかも」 「逃げて、ですか?……なるほどそうですな」  いったいなんの話をしてるんだ?ルリちゃんもプロスペクターも?  いかん、それどころじゃない。さっさとラピスを探さなくちゃ。 「ってどこ行くんですかっ!」  歩きだそうとしたところをルリちゃんに捕まえられた。  よたよたしている俺は、ルリちゃんの力にすら全然逆らえなかった。あっさり抱き止められ、ルリちゃんの腕の中でじたばたともがく。 「ルリちゃん放して。ラピスを探さなくちゃ」 「はぁ?なに言ってるんですか?ラピスラズリはあなたじゃないですか──!」  なぜかルリちゃんまで途中で顔色を変えた。ぎょっとした顔で俺の顔をみる。 「──まさか」  わけがわからない。どうしてルリちゃんは青くなってるんだ? 「ルリちゃん放して、ラピスを探さなくちゃいけないんだ。  ジャンプの途中ではぐれちまったんだ。あいつは、顔見知りの人間がいないと情緒不安定に陥るんだよ」 「うそ……そんな」  なんだかわからないけど、ルリちゃんは呆然としている。  いや、ルリちゃんよりもラピスだ!一刻を争うんだ! 「いいから放してルリちゃん、はやく、はやくラピスを探さなくちゃ!だから」 「もういい!もういいですから!」  ルリちゃんは俺をギュッと抱きしめてきた。 「よくない、頼むよルリちゃん行かせてくれ。ラピスが泣いてるから」 「しっかりしてください!お願いですから!  すみませんプロスさん手伝ってください!この子錯乱してるみたいです!」 「ええいいですよ」  なんだよ。なんでプロスペクターまで邪魔するんだ。 「放せ、行かせてくれ!こんなところで油売ってる場合じゃ」 「すみませんねぇ、失礼しますよ」 「!」  プロスペクターの顔が見えた途端、全身に衝撃が走った。  当て身をされたのだと気づいた時、俺の意識はもうほとんど落ちていた。    次に目覚めた時、俺は知らない部屋にいた。  ナデシコの中、それもルリちゃんの部屋であろうことはすぐにわかった。天井に懐かしい魚の飾りがかかっていたし、ベッドの横でルリちゃんがウトウトしていたからだ。  ナデシコでルリちゃんの部屋に入ったことなんてなかったと思う。だけど、あの飾りはアパートまで持ってきてたからとてもよく覚えてるんだ。 「……」  俺は、自分のかわりはてた両手を見た。  小さな手だ。華奢で弱い女の子の手。ラピスの手だ。 「おはようございます──アキトさん」  ふと気づくと、ルリちゃんが俺を見ていた。 「ルリちゃん……もしかして追いかけてきた?」  はい、とルリちゃんは答えた。  どうやって跳んだんだろう。ルリちゃんは自力ではジャンプできないはずだ。 「──てっきりふたりで跳んだものかと思ってました」 「──そのつもりだった」  そう言ったところで涙があふれた。 「俺は死にかけてて、自力でイメージすらもうできない状態だった。助からないはずだったんだ」 「……そうですか」  ルリちゃんはそれ以上聞こうとしなかった。そして自分も言おうとしなかった。 「アキトさん」  そっと、俺の手を握るルリちゃん。無表情で、そして何も言わない。 「……あのね」 「?」  ルリちゃんが何かを言おうとした瞬間、艦内にけたたましい警報が鳴りだした。 「!」 「!」  俺は起き上がった。シーツがはだけ、ルリちゃんのらしいパジャマを着た自分の身体が見えた。  だが、考えている暇などない。  ここが『あのナデシコ』ならこれは蜥蜴の襲来だ。間違いない! 「俺が出る」 「ばかなこと言わないでください!」  ルリちゃんは顔色を変えて俺を抑え付けようとした。 「いくらアキトさんでも無理です!自分の身体を考えてください!その身体でエステバリスに乗れると思ってるんですか!?」 「子供でも動かせるさ。必要なのはシートの調整だけだ」  セイヤさんがよくそんなこと言ってたが、あれは嘘じゃない。IFSさえあれば本当に子供でも動かせるんだ。 「ガイは骨折したんだろ?」  俺たちの歴史どおりなら可能性はある。ルリちゃんは否定しなかった。 「──この時間のアキトさんがいますよ。あなたの出る幕じゃないです」  悲しそうに首をふるルリちゃん。だが俺はそれを聞けない。 「あの時俺が助かったのは運だ。もう一度なんてあるわけがない」 「それが史実です。確かにそれは偶然かもしれませんが、同じ状況、同じ流れで歴史が進むならば同じことになるはずで」 「同じじゃないだろ?」  え、とルリちゃんは眉をよせた。 「あの時、警報がなった時ルリちゃんはここにいたのか?ブリッジじゃないのか?」 「!」 「『ラピスラズリ』がここにいることでどれだけの事象が変わった?誰が俺をここに運んだ?そのために誰の予定が狂い、誰の配置が史実と違ったんだ?  いやそれ以前に、『史実』と違うルリちゃんを見たプロスペクターの反応はどうだった?  ──ルリちゃん。本当に今は『史実通り』なのか?」 「……!」  ルリちゃんは立ち上がった。自分が何をするべきか理解したんだろう。 「アキトさん、すみませんが格納庫へ行ってください。私はブリッジへいきます」 「わかってる。あと名前なんだが」 「わかってます、通信中はラピスで通します」  自分でも不思議なほどに胸が痛まない。頭が戦闘中に切り替わったせいか。 「これに着替えていってください。運動着ですがパジャマよりは耐久性があるでしょう」  すでに用意してあったのか、ユニセックスなデザインのデニム上下を渡される。女の子女の子してないのは中身である俺を考慮してくれたんだろうな。 「着替え、手伝いましょうか?女の子の着替えなんて経験ないでしょう?」 「問題ない」 「──いやに断言しますね。ちょっとそこらへん気になります。後で詳しく聞かけてくださいね」 「却下」 「させません。歳下のくせに偉そうですよ?」 「はぁ?」  ルリちゃんはわざとなのか、妙に軽口を叩いてみせた。  そしてくるりと踵をかえすと、 「じゃあ、先に行きます。あわてないで、でもなるべく急いで!」  一瞬、ぽかーんとして部屋を出ていくルリちゃんを見たあと、 「──確かに歳下、かな」  ラピスのものだった自分の身体を見て、ふうっとためいきをついた。 [#改ページ] 狂乱[#「 狂乱」は中見出し]  少しだけ着替えに手間取った。  あの頃、ラピスの着替えはよく手伝っていた。ラピスは女の子としての日常すらもまったく知らない子だったし、俺は常にラピスと共にいたからだ。エリナあたりは「今はいいけど年頃になったら困るわよ?それとも光源氏のまね事でもするつもりなの?」なんてよく呆れてたんだが。  ヒカルゲンジって誰だ?と聞いたら笑われたっけ。勉強なんてろくにしてなかったからなぁ。  着心地は悪くなかった。何世紀も変わらないらしいクラシックなデニムの上下だが、もともとデニムの服は作業着として作られたものだ。ルリちゃんの言う通り、パジャマよりは多少ましである。  ラピスサイズのパイロットスーツとなると、残念だけど標準のスーツでは合わせようがない。続けて乗るならセイヤさんの出番だな。  ナデシコの廊下を俺は走った。草原より時間がたったせいか、走ること自体は問題なくなっていた。  格納庫に駆け込むと、モニターを見て作業していたセイヤさんが「おや?」という顔で俺を見た。 「なんだお嬢ちゃん、もういいのか?」  ルリちゃんたちに連れ込まれた俺を見ていたんだろう。ホッとしたような微妙な表情で俺を見ている。  セイヤさんを無視して、俺は周囲を見回した。 「ハンガーのエステバリスが足りない。もう出たのか?」  懐かしいピンクのエステバリスがない。すでに出撃したのか。 「放送聞いたろ?あいつは囮のために出撃中だ」  それは知ってる。そしてそれはまずい。 「俺も出る。こんななりだが素人じゃない、戦える」  こんな子供の姿で信じてもらえるわけがない。だから両手のIFSタトゥーを見せて強調する。 「ってそりゃオペレータ用じゃねえか!本当にエステバリスに乗れるのか?」 「乗れる。戦闘経験もある」  正直いうと不安はある。だがここでそれを言うわけにはいかないから、断言する。 「いや、しかしそれはだなぁ」  セイヤさんが困ったように眉をしかめたその瞬間だった。 『ラピス、そこにいますか』  ぴ、とセイヤさんのらしいウインドウが開いた。 「ルリルリ、ちょうどいい。今おまえの妹がきてるぞ、エステに乗せろって」 『乗せてあげてください。彼女は戦えます。  身体がついてこないので無茶はたぶんできませんが、素人よりは全然マシなはずです』 「──わかった、あれに乗れ。予備のやつだが」  セイヤさんの顔はどこか悲しそうだった。「こんな子供にまで戦わせるなんて」と自己嫌悪になっているようにも見えた。  だが、構ってはいられない。 「ありがとう」  それだけ言い、俺はエステバリスに向かった。  予備に止められていたエステバリスによじのぼる。筋力がないうえにタッパが全然違うので正直ちょっと苦労したが、乗り込むと起動するまでもなく既にシステムが稼働していた。ルリちゃんの仕業か。  座りなおしてベルトをしめる。IFSターミナルに手を置く。 「いける。ルリちゃん」  ウインドウが開いた。 『即興ですが簡単なシミュレーションをしてみました。  全力戦闘はくれぐれも避けてください。あなたの技量はよく知っていますが、それも身体がもてばの話です。自滅してしまっては誰も守れないことを忘れないで。  ──ラピス、気をつけて』 「わかった。ラピスラズリ、出る」  エステバリスが動き出した。  降りていたエレベータに乗り込む。よくバッタが侵入しなかったもんだと呆れつつも上にあがっていく。  ユリカや他のクルーからの通信はない。俺に関心などないのか、あるいはルリちゃんが止めているんだろう。  がくん、と揺れた。上についたんだ。  『史実』と違い、周囲にバッタはいなかった。見るとピンクのエステバリスが遠くを逃げ回っていて、無数のバッタがそれを追いかけて飛び回っている。  なるほど史実通りだ。見事に囮役はできて────え?    その光は、とてもささやかなものだった。    エステバリスは電気駆動であってエンジンを持たない。だから起きるのは電装系のショート、そしてケミカル類の引火、あるいは搭載している火器類の爆発ということになる。  弾丸すらもないエステは、目立った爆発もせずに落ちた。 「!」  俺は、粉々になっていく自分の過去をただ、呆然として見ていた。 「────は」  自然と笑いがこみあげた。 「は、は、はは……ははははは」  気づけばライフルを空を向け、これみよがしに一発ぶっぱなしていた。  バッタの大群の注意が一斉に俺に向いた。ライフルを構えなおし、その中の一機に向けて発射した。  メインカメラに直撃を食らい、そいつは派手に一回転しつつ爆発した。 『ラピス!無茶しちゃダメです!ラピス!』  何か声が聞こえるが無視する。俺はわざと棒立ちになり、わらわらと迫ってくるバッタたちを馬鹿みたいにゲラゲラ笑いながら見ている。  自分がおかしいのがわかる。だけど止まらない。  ミサイルが発射された。俺を粉々にせんとすっとんでくる。  ライフルを捨て、ナイフをかまえた。 「はははははは!」  ミサイルの群れとすれ違うように、俺は一気に加速した。 [#改ページ] 幸せ[#「 幸せ」は中見出し]  戦いは終わった。  戦闘は短い時間で終わった。すでにナデシコは動き出していて、俺がいくらも戦わないうちに囮の時間は終わったためだ。こっちのアキトが十分に引きつけていたバッタたちは俺のライフルによって決定的に一ヶ所に吸い寄せられ、それを背後からナデシコが一網打尽にした。  形はどうあれ、勝利を飾ったわけだ。  『アキト』の撃墜にユリカが潰れなかったのは大したもんだ。なんだかんだであいつは優秀だからな。撃墜といっても火星のあの時とは違うし、爆発の様子から生存の可能性も考えていたのかもしれないけど、それでも心配で胸が潰れそうだったろう。なのにあいつは立派に指揮してのけたらしい。  テンカワアキトは生きていた。トラウマの上乗せになり深刻な状態らしいが、それでも初陣で、しかもあの状態で生き延びたんだ。訓練を受けた兵士ですすら、初陣でさっさと死ぬことは別に珍しくもないというのに。  いくつかの問題はあるが、歴史としては滞りなく進むのかもしれない。  俺は帰還と同時に倒れてしまった。エステバリスの機動のGに耐えられなかったせいだ。セイヤさんたちに引き摺り出され、担がれ下に降りた俺は、駆けつけたルリちゃんに派手な音とともに引っ叩かれた。  そして、ぎゅう、と抱き締められたあげくに大泣きされちまった。  んでもって「もう二度とエステバリスには乗せません!」って断言までされてしまった。   「なぁルリちゃん」 「ルリです。で、その言葉遣いも禁止です」 「……いやそのまさか……マジで俺に女言葉をつかえと?」 「まさかもへちまもなく大マジでその通りです。自分の顔見て発言してくださいね」  いや、この身体はラピスのものであって俺じゃないし。 「経緯はどうあれ今のラピスは貴女です。元のラピスに申し訳ないと思うならなおさら、その姿で女の子らしからぬことはしないでください。いいですね!」 「ルリちゃん、語尾が『はてな』になってないってば」 「ルリです!  そもそもですね、寝ぼけて男トイレに入るなんて馬鹿ですか貴女は!」 「……そんなこといわれても」  くすくすと笑う周囲の女性陣に、俺は顔が紅潮するのを隠せない。  ブリッジで俺は、ルリちゃんにくどくどとお説教されていた。  気がつくと、俺はオペレータ手伝いということでブリッジクルーに組み込まれていた。エステ搭乗は厳禁となり、格納庫の出入りすらルリちゃん、またはユリカの立ち合いなしでは禁止とされている。そしてルリちゃんに山のような練習課題をおしつけられ、今日もせっせとオペレーション訓練に忙しい。 「それにしても、ラピラピってば本当に男の子みたいねえ。姿は物凄く可愛いのに」 「すごいギャップですよね。男の子ばっかのとこで育ったのかな?」  ミナトさん、そのラピラピってなんすか。メグミちゃんも適当な推測すんな。 「ルリさん、ラピスさんの状態はどうですか?そろそろオペレータ補助はできそうですか?」 「そうですね、もうそろそろ任せてもいいかもしれません。  ですが体力的に問題がありますから、当分は私といっしょということで」 「おぉ、そうですか。まぁもともと彼女はイレギュラーですからそちらの問題はありませんね。とにかく予備のオペレータが確保できたのはありがたいことで」  一人前ではないからルリちゃんより給料も安い。プロスペクターのニコニコ笑いはそういうことだ。 「プロスペクター。セイヤさんがシミュレータの改良するから俺も手伝…」 「ダメです」  横からきっぱりとルリちゃんにダメだしされた。 「エステバリスに近付くのは禁止、シミュレータも禁止です。また倒れたらどうするんですか」 「いやでもアキトを鍛えないと」 「ヤマダさんもいるしリョーコさんたちにもお願いしてます!ラピスの出番はありません!だいたい、いつまで最初の戦いをひきずってるんですか貴女は。そんなことは自分の仕事ができてからになさい!」 「そんなぁ……」 「あと『俺』は禁止と言いましたよね?罰です、今夜のごはんはラピスが作りなさい!」 「……どうせルリは作れないくせに」 「何かいいましたか?」 「いえ、なにも」  くすくすと周囲から声が聞こえる。いつものようにお姉さん風をふかせるルリちゃんが周囲には可愛く見えるらしく、やたらクールだった『史実』よりルリちゃんの受けは数段いいようだ。  たはは、これじゃどっちが年上なんだか。いや、外見はルリちゃんの方が上なんだけどね。  俺がオペレータ補助として同席なのが余程嬉しいのか、ルリちゃんは俺を片時も手放そうとしない。なんだかなぁ。 「ホシノくん」 「あ、はい。なんですかアオイさん」  頭の上からジュンの声が聞こえる。 「ユリカとテンカワがあがったらしいよ。家族風呂タイムはこれで終了、お風呂も通常シフトに戻るから先に入っといでよ」 「はい、わかりました」  ルリちゃんはジュンの言葉に頷いた。    この世界でもっとも仰天したこと。それはユリカと『アキト』の関係だった。  ふたりは最初の戦いから急速に恋仲になった。『史実』でかかった時間を思うとそれは驚異的といっていい早さだった。契約の件をプロスペクターが持ち出すとユリカがふたつ返事で「問題ありません。私たち婚約しましたから」と平然と言い切り、家族であることを盾に契約条項を回避してみせたのだった。  原因はつまり、あの最初の戦いで『アキト』が撃墜されたことにある。  ユリカは人が変わったように、プライベートの時間すべてを注ぎ込んでアキトのために尽くした。そりゃあもうもの悲しいほどの熱心さで、激しいトラウマで部屋に閉じこもるアキトを激励、女としての自分まで使ってものの見事にアキトを立ち直らせてしまったんだ。  アキトもすごかった。立ち直ったアキトはまさに『ユリカの王子様』の顔をしていた。史実の情けない俺よりはるかにいい。まだ若いがゆえの荒削りさはどうしようもないが、両立はできないとコックの仕事を一時棚上げするとまずはパイロットに専念することに決定したそうだ。  もちろん、余暇にはホウメイさんに習いにいったり忙しい時には厨房を手伝ったりもするらしいが。戦うコックでなく料理するパイロット。足場が変わったわけだ。  戦後には改めてホウメイさんに弟子入りを決めているらしい。  おかげさまで周囲の評価も史実とは全然違う。アキトを助けるかいがいしさと普段の天真爛漫さ、そして的確な指示。ややもすると空気になりがちなジュンも頼りにし、自分の手が回らない平時はきちんと事情を含めてジュンに仕事を任せて。  結果として、史実よりもはるかにユリカの評価は高い。ジュンもそうで、副官として立派に艦内で認知、ふたりの若き指導者コンビはナデシコの看板ともなっている。  いやはやなんとも。 「なにを感心しているんですか?ラピス?」 「何が幸いするかわからないなぁって」 「……ふふ、そうですね」  ルリちゃんは俺の言いたいことがわかるんだろう。クスッと笑った。 「昔話はいいです。そろそろお風呂いきますかラピス」 「!」  うげ、という声はもちろん俺のもの。 「お……わ、わたしは後でいい。ルリ先にいって」 「何どもってるんですかラピス?さ、いきますよ」 「遠慮する、ひとりでいい……ってルリ、ひっぱらないでって!」  無理矢理ルリに護送されそうになり、俺はあわてて椅子にしがみつく。  冗談じゃない!ルリちゃんとお風呂なんて恥ずかしいことできるか! 「いいかげんあきらめてください。恥ずかしい恥ずかしいって、どうして女同士でそこまで逃げ回るんですか貴女は。ユリカさんとは入ったくせに!」 「あれは単に時間を間違えただけで!ユリカが風邪ひくよ、そのまま一緒しよって言ったから!」 「テンカワさんも一緒だったんでしょう?それでも大丈夫だったんでしょう?  だったら私とでも問題ないですよね?さ、きなさい!」  どういう理屈だよ!  それにアレは昔の俺だろ?昔の俺にどうして恥かしがる必要があるんだよ!  ……まぁ、ちょっとキモい状況だったけどな。 「それとこれとは話が〜」 「違いません!」  ぷ、くすくすと周囲が笑いに包まれる。 「あら艦長とも一緒したの?じゃあ私もいい?」  み、みみミナトさん!? 「わたしもいいかな?お風呂したいな♪」  メグミちゃんまで!? 「折角ですけどやめた方がいいですよ、ミナトさんメグミさん。  実はこの子、女の人が大好きなんですから」 「え?そ、そうなの?」 「こら!誤解を招くこと言わない!」  俺はとっさに反論した。だけどルリちゃんは「ふん」と笑う。 「否定できるんですか?  下心まんまんの自分を悟られるのが恥ずかしい、だから一緒しないんでしょう?私には隠したってわかるんですよラピス?  ミナトさんのおっぱいに溺れたいとかメグミさんの太股にすりすりしたいとか、そういうことを考えてるでしょう?違いますか?」 「……それは」  何か言い返さなくちゃ、と思うんだけど否定できなかった。  ミナトさんは苦笑いしている。メグミちゃんは「うわ」って顔で思いっきり引いてる。  ルリちゃんは「それみたことか」と畳み掛けてくる。 「別にダメとは言いませんよ、そういう趣味もありだと私は思います。  だけどそれは私だけにしときなさい。よそ様に手を出したりしたら人間関係壊れちゃいますからね。  さ、いきますよラピス」 「だからそれはー……ってだから引っ張らないでルリちゃ」 「ルリです!ほら行きますよ!」 「あーぅー……とほほ……」  俺はルリちゃんにずるずると引き摺られていく。  そんな情けない俺に「いってらっしゃーい」とミナトさんたちはにこにこ手をふっていた。    こんなことでいいんだろうか、と思う。  ラピスの犠牲で時を越えた。この身体は本来ラピスのもので、俺はそのことをいつも悲しく思っている。後悔しても今さらどうしようもないけど、だけど後悔もしている。 「そんなこと言っても仕方ありませんよ」  魚模様のタオルで頭を巻き、湯舟の中でそうルリちゃんは言う。 「今さら本人に返そうにも返しようがありませんからね。できることをできる範囲ですればいいと思いますよ。それが一番恩返しになるんじゃないでしょうか。  この世界のラピスラズリについては既に手を打ってます。プロスさんたちは私がラピスを知ってたことを思いのほか深刻に受け止めたみたいなんです。どこかから秘匿試験体についての情報が漏れてるに違いないって。すでにこちらのラピスラズリとハーリー君は保護されたらしいですよ。  まさかラピスのことを逆行者だなんて思うわけがありませんし、この流れは個人的にもありがたいです。みなさんの力の底上げも進んでますし、こちらのテンカワさんもラピスとはひと味違う方向に進んでますね。本当にいい感じです」 「白鳥九十九はどうするの?火星の後継者は?」 「できるだけのことはしてみます。でも無理はしません。ダメなら諦めて逃げましょう。  個人ベースでできることは惜しみません。ですが、どうしようもないのなら仕方ない。私たちは神さまじゃない。ちょっと参考になるアンチョコを持っているだけの人間です。しかも既に状況は変わってて、そのアンチョコがどこまで役立つか、すらももうわからないんですよ?  やれるだけやって後は運を天にまかせる、それしかないでしょう。  これはユリカさんたちでも同様です。私にとって『家族』はラピスであって、こちらのユリカさんやテンカワさんは違います。いい人たちですし大好きですから、全力は尽くしますけど」 「……強いね、ほんと」  女は強い。  ラピスに救われただけの「にせものの女の子」の俺は本当にそう思う。ユリカといいルリちゃんといい、本当に女ってたくましい。 「……強くなんかないよ」 「うん?どうしたの?ルリちゃ」 「ルリです!」 「いや、それはいいんだけど……今何か言おうとしなかった?」 「ただのひとりごとです。私はラピスが言うほど強くないですよ、と言おうとしたんです」 「またそんなこと言う。……ルリちゃんは強いよほんとに」 「だーかーらー、ルリです!ちゃんづけは禁止!」 「うわっぷ!」  どばぁ、とお湯をかけられ、俺は一瞬咳こんだ。 「やったなぁ!」 「うふふ」 「この!」 「む、やりましたねラピス!じゃあこうです!」  俺とルリちゃんはそのまましばらく、後でやってきたミナトさんに「こら!」と頭をコツンとされるまで水あそびに興じてしまったのだった。    そう。俺はもうひとつ重大なことに気づいてなかった。  ルリちゃんは強すぎて、賢すぎた。俺はラピスの身体という致命的な問題で頭がいっぱいだったし、そんなこんなでルリちゃん自身の『今』を後になるまで知ることができなかったんだ。  それを知った時、俺は途方もなく落ち込むことになるんだが……それはまた別の話だろう。 「……ふふ、アキトはそれでいいんだよ。何も知らなくていい。知っちゃダメ」 「ん?何か言ったか?ルリちゃん?」 「いえいえなんでも。  それより『ちゃんづけ』回数オーバーですね。罰ゲームといきましょうか」 「ちょ、それだけは!」 「だーめ」  けらけらと楽しそうに笑うルリちゃんは、まるで昔のユリカみたいだった。   (おわり) [#改ページ] あとがき[#「 あとがき」は中見出し]  ひさしぶりにTSもの書きました。    ところで、逆行ルリの中身がユリカなのにどの点で皆さん気づかれましたでしょうか?よくある仕掛けですが、狙い通りになってくれているかどうかちょっと気になります。感想などの中でご意見ご指摘等いだたけるとありがたいです。    それでは。