冬の夜 はちくん アイマスDS、秋月涼シナリオ、ベストエンド以外の高位エンドの数年後。秋月涼、秋月律子ほか  本稿は、pixiv投稿ぶんをテキスト保存するためにバックアップ、そのついでに変換してみたものです。 [#改ページ] 涼と律子[#「 涼と律子」は中見出し]  草木も眠る|丑三《うしみ》つ時。|秋月涼《あきづき りょう》の住む部屋にひとりの来客がいた。  もっともその客人、秋月|律子《りつこ》は前日の宵の口からそこにいたのだが。異性ではあるが従姉妹であり小さい頃から姉弟に近い関係だった。だから二人とも明日の仕事に差し支えるという問題を除けば、客観的な意味の問題はないはずだった。 「うん、涼の言いたい事はわかった」  律子は一瞬だけ少しうつむき、そして再び涼の顔を見た。 「でもね、いくらなんでもまだ大丈夫なんじゃないの?そりゃあ、いつまでも女の子アイドル続けられるわけがないっていうのはわかるけど、でも、だからって今やめる必要なんてないと思うけど?少なくとも今、あんたは押しも押されぬトップアイドルなのよ?誰もが着ける席じゃないって私が言うまでもなくわかってるでしょう?」 「もちろん」 「だったら!」 「うん。でももう決めたから」  涼の目は、ただひたすらに静かで穏やかだった。 「……」  律子は反論しようとした。だが涼の穏やかな瞳を思わず覗き込んだ途端、言葉が続かなくなってしまった。  それは律子の知らない涼だった。  なよなよした少年だったかつての彼とは全く違っていた。だが、だからといって大人の男性の頼もしさなども微塵も感じる事ができない。むしろ大人になりかけた女性のそれに近いように律子には感じられた。  いつのまに。  彼女の可愛い従弟は、いつのまにこんな顔をするようになった? 「あのね、律子姉ちゃん」  涼の口元が僅かに歪み、そして少しだけ眉がしかめられた。 「どのみち、あの日……男である事をカミングアウトする道が閉ざされた時点でこの日がくるのはわかってたんだよ。ずっと無理して続ける事だってできないわけじゃないけど、でも、僕を女の子だと信じて夢を見てくれているみんなを悲しませる事はしたくないんだ」 「今あんたが突然去れば、その、夢見てくれているファンに対する裏切りじゃないの?」  辛うじて浮かんだ反論を口にする。  だが律子にもわかっている。性別を偽っている時点で涼は皆を裏切っているのだ。しかもそれは元々本人の意志ではなく、周囲に強制されてやむなく始めた事。  そも、ここに律子がいる事自体がその証拠。彼女もまた涼にそれを強いた一人であり、その罪悪感が彼女をここに居させているのだから。  そんな律子の内心を知っている涼も小さく首をふり微笑んだ。 「それで……それで涼、やめてどうするつもりなの?」 「当分雲隠れかな。いくら今トップアイドルでも芸能界の動きは早いでしょう?何年かたてば誰も顔なんて覚えちゃいないだろうから」 「そ。876プロの方には話したの?」 「社長には猛烈に止められた。でも押し切ったよ」 「なんて言って説得したの?今まさに絶頂期のあんたを手放すなんて普通ありえないと思うけど」 「このまま進めば確実に、たぶん最悪の形で男だとばれますよって言って納得してもらった」 「……そう」  それしか律子には言えなかった。  涼は現役トップアイドルである。その実力も人気も今や「日本人なら誰もが知っている」という状態に近い。初期にいくつかの挫折があり一時は潰れそうにもなったのだが、元々涼は大きな才能を持っていた。だからアイドルを続けているうちにとうとうトップアイドルまで登りつめたし、今やまさに押しも押されぬ絶頂期。  もし今、そのトップアイドルが男であるとセンセーショナルにすっぱ抜かれたら?  確かにそれは最悪の事態だろう。最悪の場合、同じ事務所所属のアイドル全員巻き込んで壊滅的な事態をもたらすかもしれない。  芸能プロはあくまで商売だ。876プロの社長がいかに人格者でも、涼に一切カミングアウトさせなかった程度にはやっぱり、どこまでも経営者。そこはうまく立ち回り、他の子に被害が及ばないようそうなったら涼だけを綺麗に切り捨てるだろう。  だがどのみち、飛び抜けた稼ぎ頭の大惨事にうまく対応できるとは考えにくい。涼や彼らの対応がひとつ間違えば何が起きるかわからない。  綺麗に去りたいという涼の意志は、876プロ社長としても同じ気持ちだろう。おそらくその線で説得したに違いない。 「わかったわ」  律子は頷き、そして少し首をかしげた。 「雲隠れするにしてもあてはあるの?お友達や誰かにはどう伝えるの?なんなら中継役くらいするけど?」  だが律子はこの言葉にも後悔する事になる。なぜなら、 「ありがとう。あては、まぁなくもないよ。あと別れが必要な人はもうすませたから。ずっと連絡をとりつづけたい人は……誰もいない」 「いない?ひとりも?」  いくら忙しかったからといっても友達のひとりやふたりいたろうに。  だが。 「うん。アイドルである事がバレそうになってシラを切ったり、いろいろやってるうちに学校の友達は誰もいなくなった。まぁその、薄々気づいてるからこそ遠巻きにして誰も近づいてこないのかもしれないけど」 「……そっか」  律子はこういう事に疎い人物ではない。それが、ずるずると続いた性別詐称の結果だという事にもちろん気づいた。  性別さえ詐称してなければ無理に秘密にする必要はない。アイドルとプライベートの両立は難しいだろうが、それでも何とか維持できる友達のひとりもいたろうに。  ようするに、とっくの昔にプライベートなんて無くなってしまっていたわけか。  爽やかな涼の笑顔が痛すぎる。  だが律子は目を背ける事だけはしなかった。自分がそれをしてはならないと思っていた。  話は続く。 「桜井さんだっけ?彼女とはとっても仲良しなんじゃないの?」  駆け出し同然の頃からライバル兼友人のような状態になっていたアイドル、桜井夢子。涼とふたりが親友である事も、そして夢子が一時悪い道に走っていたのを涼が引き戻した事なども知られている。  だが。 「たぶん嫌われたと思う。さすがに今回は」 「……そう」  見ていられない。  涼の顔がはじめて大きく歪んだ事で、桜井夢子に対する涼の感情なんて余裕で理解できた。  だが、どうしようもない事も確かにわかった。 「単にびっくりしてるだけじゃないの?男の子だって言ってなかったんでしょう?」 「ずっと前に言ったよ。信じてくれなかったけど」 「今回は信じたのね?でも、どうやって?」  嫌な予感を感じつつも、聞かずにはいられない。 「簡単だよ。脱いで見せた」 「……」 「二度と顔見せるなってさ。あはは」 「……」  笑い事じゃないだろと思ったが、涼の透明すぎる笑みの痛々しさにどうにも突っ込めなかった。 「876プロの同僚の方は?」 「絵理ちゃんはとっくに気づいてた。知った時は本当にびっくりしたそうだけど、僕がカミングアウトするために努力していた事とか、オーディション落ちてその道が閉ざされた事もわかってた。どうも納得したうえで知らんぷりしてくれてたみたい。今さらながら頭さげたよ。  愛ちゃんはものすごくビックリしてドン引きだったけど、今まで仲間としてやってきた事で信じてくれたみたいで、男のひとでも涼さんは涼さんですって笑ってくれた」 「よかったじゃない」 「うん。でも二人にはもう会えない。一緒にいるとこをフォーカスでもされたら迷惑がかかる」 「……そ。わかった」  それだけ聞くと、律子はたちあがった。 「この時間に帰るの?泊まってけば?」 「大丈夫、うちにはマメマメしいプロデューサがひとりいるから」  そう言うと携帯をてにとり電話をかけた。相手が出る前に切る。 「これで迎えがくるわ。お邪魔したわね涼」 「そっか。わかった、おやすみ律子姉ちゃん」  静かな微笑み。穏やかな月光のような澄んだ微笑み。  男性のそれとはとても思えない笑顔を、律子は見続ける事ができなかった。 [#改ページ] 冬の夜[#「 冬の夜」は中見出し] 「すみませんでした、こんな時間に」 「いいさ。小鳥さんと少し前まで話し込んでたからね。彼女もさっき寮まで送ったが」 「ちょ、まさか飲んでるの?」 「まさか。涼くんの事でああでもないこうでもないって話してただけだよ」 「そう」  765プロの影の主役とも言われる万能プロデューサ。その迎えの車の中に律子はいた。  そもそも律子は迎えなど頼んではいない。涼のことで相談していた時に送り迎えしてやるから連絡をと一方的に言われたのだが、今にして思えばこの事態を予想していたのだろうと律子は思った。  あの涼のそばには、とてもいられなかった。  今ですら心が騒いでいる。戻ってひと眠りして、それで明日の仕事ができるだろうか? 「それで、どうだった?」 「もう決めてたわ。ああなったらもう絶対に揺るがない。昔から涼はそういう子だったから」 「そうか。やはりな」  ふむ、と男は一瞬だけ律子の方をみると前に向き直った。 「ほとぼりが覚めるまで当分は雲隠れか?」 「……ほとぼりが覚める、なんて事があるのかしらね?」  芸能界の時間は確かに早い。確かに表層から忘れられるのは早いだろう。  だが涼は昨日今日出てきたアイドルではない。それに知名度があまりにも高くなりすぎた。  加えて涼本人が『女性アイドル・秋月涼』の偶像を傷つけるまいとしている。愛してくれたファンたちのためだ。彼らに応え、夢を見させる事だけに没頭してきたのだからむしろ当然と言えるが、それゆえに涼の性格からして徹底した対応をとりかねない。  つまり『秋月涼』なる人物が二度と世間の目に触れる事がないように、だ。  おそらく、涼はここで去ったら最後、裏舞台などですら芸能関係には一切関わらないだろう。姿形を変え職種を変え言葉遣いも趣味も立ち振る舞いすらも変えて。徹底的に過去の自分を抹殺にかかるのではないか?  ただただ『秋月涼』のイメージを永遠に壊さないために。 「……」  いったい、どこでボタンを掛け違えてしまったのか。  いかに女性的であろうと男の子であり女装癖もない普通の少年に「女の子になる」事を強制する。律子もそうだがあの頃、涼を取り巻いた面々は皆同じ選択をした。つまり彼に「女性アイドル」としての才能を見出し彼を引きずり込んだわけだ。  だが冷静に考えればわかったはずだ。  性別詐称は将来において必ず問題になる。そして、押しも押されぬトップアイドルになってしまえばもうカミングアウトなんて876プロの社長が言うまでもなく不可能だ。やろうとしても本人以外の誰もそんな事望むまい。古い言い方をすればドル箱である大切なアイドルを潰そうなんて誰も思わないはずだ。そこにいるだけで視聴率や富を動かしてしまう、アイドルとはそういう人種の事なのだから。  だが破局は必ずやってくる。そしてそれはおそらく、隠しつづけた時間と人気にそのまま比例した大惨事になるだろう。これ自体はもう避けようもないわけだが、涼は慎重にこの日に備えていたのだろう。いつの日か今までの生活が維持できない目が見えてきた時、自分とファンたちの間に作り出した偶像を破壊する事なく綺麗に消え去るために。  どうしてあの時、男性アイドルとして迎えてやらなかったのだろう?涼はあれほど熱望していたのに?  性別を偽ってデビューさせてしまえば当然、いつかはカミングアウトするか消えるかの二択がやってくる。そんな危険な変化球を打たなくとも立派にやっていける才能が涼にはあったはず。確かにあの時点では「男性なのに女の子アイドル」なんて秘密兵器じみた可能性に胸を踊らせたものだが、先のことを思えばそれはまずいとすぐにわかったはずだ。そして、少し時間をかけても有効な手は打てたはずなのだ。 「……」  876プロに涼をとられた時、律子は自分の迂闊さと未熟さを内心呪ったものだ。  それは二重の意味で間違っていた。だがもう何もかも手遅れだ。  律子はアイドルからプロデューサへの転向を志望していた。そしてその話はもうすぐ現実になろうともしていたのだが。  そんな自分が、無二の才能……男なのに女性としてトップアイドルになってしまうほどの才能をもつ、可愛い従兄弟をみすみす潰してしまった。 (……)  たとえプロデューサとしてどれだけ成功しようとも、この重すぎる失点は永遠について回るのだろうなと律子は思った。もちろん、だからといって夢をあきらめるわけではないし、むしろ涼のような失敗を二度と犯さないよう全力を尽くすつもりではあるが。  小さくためいきをついた。  車の中は空虚なぬくもり。  車窓からは全く見えないが、おそらく外はさっき見たとおりに満点の星空。  気象庁はじまって以来という猛烈な寒波が、東京を襲っていた。   (おわり) [#改ページ] ご挨拶[#「 ご挨拶」は中見出し]  本SSは、pixivに実験的に投稿したものを逆輸入したものです。原稿保存がてらですが、続編も随時もってくる予定です。これは2011/5/10現在、アイマスDS関係の創作すべてが該当です。(『リバーシブル』はこちらで先に書いてからpixivに持っていきましたので少し違いますが)  それでは、ありがとうございました。