冬の夜・その後 はちくん アイマスDS、秋月涼シナリオ、ベストエンド以外の高位エンドの遠い未来。『冬の夜』の約15年後。秋月律子ほか  本稿は、pixiv投稿ぶんをテキスト保存するためにバックアップ、そのついでに変換してみたものです。  アイマスDS・秋月涼ルートのネタバレを含みます。 [#改ページ] 引退[#「 引退」は中見出し]  秋月涼の突然の引退劇は、不気味なほど静かに報道された。  性別詐称が漏洩して大騒ぎになるよりはまだ、今までの資産を残して静かに消えてくれたほうがありがたい。そういう芸能界や放送業界の思惑も重なっての事だった。何より涼自身に成人が近づいていた事もあり、いくらなんでもこのまま永遠に女性で通せるとはさすがに誰も思わなかった、という事もある。幕引きはどこかで必要で、本人が望むならもうそろそろいいだろう、そう誰かが判断したのだと思われた。  センセーショナルに男、男とかきたてるマスコミが皆無だったのはもちろん根回しの結果だったが、もうひとつ理由があった。  スキャンダルはもちろん彼らの好餌なのだがどうしてそれに食いつかないのかと言えば、それはもうあまりにも涼の積み上げた資産が莫大すぎたからでもあった。誰もが知るトップアイドルが実は男、という涼の秘密は確かにメガトン級のとんでもないスキャンダルではあったのだが、その涼が女性アイドルとして積み上げてきた資産はそのさらにさらに桁違いのものだった。それが全てご破算になってしまう恐れがあるスキャンダルなど、誰も許そうとはしなかったのである。  国民的アイドルのコンテンツ資産なんてものは、もはやいち芸能事務所だけのものではない。涼の資産価値をこれからゆっくりと消費し利益をむさぼりたい彼らは、ありとあらゆる方法でそれを守ろうとした。実際それは非情なまでに徹底されていて、すっぱ抜きを試みた出版社とその記者の姿を最近見ないという薄気味悪い噂も流れていた。 「普通の暮らしを探してみるよ。今度こそ、どこから見ても普通に男に見えるよう頑張ってみる」  そんな事実をも飲み込んだ涼はそう言って笑ったきり、きれいさっぱりと姿を消したのだった。    そして、長い月日が過ぎた。 [#改ページ] 妖精王[#「 妖精王」は中見出し] 「日系人アイドル?ドイツで?」 「ああ。ネットに情報があがってるらしい」  そんな会話が765プロでなされていた。  あの日から既に10年以上。当時のアイドルや業界人たちの多くは姿を消すか、歌にダンスにあるいはプロデュースにと、おのれの専門分野に特化する事で今もこの狭い業界に元気に生きていた。  秋月律子もそのひとりだ。現在はプロデューサとして、そして765プロの役員としても活動を続けている。彼女の世代は色々な分野に生き延びた傑物が実に多いのだが、敏腕プロデューサという意味では彼女もまさにそのひとりだった。  さて。そんな律子の前には中年男性。別に彼女のパートナーというわけでなく彼もまたプロデューサー。もっとも彼らの場合は忙しすぎて結婚してないというだけで別途相手はいるのかもしれない。年頃の女子の多いプロダクションゆえにそういう話は決して匂わせないよう徹底していて、彼らの私生活を知る者は少ない。せいぜい、直接担当している・した事のあるアイドルが知るのみである。 「日系人の間で有名っていう事?まさか一般むけじゃないわよね?」 「それがそのまさかなんだよ。ドイツじゃすでに結構な人気らしい」  日本人だって東洋人には違いない。その点を差し置いてなおの人気だというのか。 「ふーん。で、名前は?」  律子は男の見る目を疑ってはいない。彼がとりあげるほどだから少々の存在ではないのだろうと考えた。  だが、 「わからないんだ。ユニット名だけが公表されている」 「へぇ。素顔なんて隠しても狭い社会じゃすぐばれるでしょうに」  ドイツにある日本人・日系人社会がどれだけの規模なのか律子は知らない。だがそう無茶な規模ではないだろう。芸能人なんて職種ならば当然すぐわかるのではないだろうか? 「写真はあるの?」 「写真も動画もある。あるけど変装っていうか仮装してるね。ライブでは顔を出す事もあるらしいけど主役の女の子以外は写真とか一切厳禁らしい。どうやら親子らしいんだけど、ご両親は黒子に徹するつもりなんだと」 「親子?」 「ああ。本来は娘ひとりで出したいらしい。でもまだ若すぎるし、両親共に歌も踊りもできるんで、一人前になるまでという条件でユニットになったらしい。独立するまでは学校の方を優先だとさ」 「なるほどね」  それなりに調べてもいるようだ。それにしても家族出演か。 (……家族?)  ふと、ひっかかるものを覚えた律子はデスクから顔をあげた。 「それ、今見られる?音声は?」 「ここに表示してる。ちょっときてみろ律子」  男の作業卓に回りこみモニターを覗き込んだ律子だったが、 「これ……!?」  眼前にみえた光景に固まった。    動画サイトの映像だった。  可憐な少女がのびのびと歌い踊っていた。少し日本語の発音にたどたどしいところがあるのは、おそらく現地生まれなのだろう。いかにも欧州っぽい雰囲気のあるスタジオと現地のものと思われるお菓子か何かのCMが下に流れている、そんな画面の中で愛らしさをふりまいている。背景セットとの組み合わせは、まるで妖精の王女。  だが律子たちの目と耳はごまかされない。 「この子……只者じゃないわね。歌も踊りもしっかり鍛えられてるけど、それだけじゃない」 「ああ。で、このふたりが両親だと」  バックダンサーの中に、仮面をつけ露出も少ないというのに異様に目立つふたりがいる。妖精王と王妃のイメージか。楽しげな少女の声にあわせてゆったりと動いているだけなのに華やかで、なおかつ少女を引き立てている。おそらく容姿もカメラワークも、ライティングすらも綿密に計算されているに違いない。 「君はどう思う?その後ろのふたり」 「私の勘違いでなければ涼ね。女性の方は……たぶん」  桜井夢子。かつて律子の従姉弟と最も仲良しだった女性アイドル。  そして、その事を知っている男も頷いた。 「そうか。やはりな」 「やはり?」 「ユニット名だよ。ドイツ語はよくわからないが、知人に和訳してもらったら『月夜の夢』と読めるそうだ。公表されてる意味はちがうけどね」 「……そう」  桜井夢子と秋月涼。ふたりが逃避行の果てに見た『月夜の夢』か。 少し露骨すぎるきらいもあるが、名は体を表すものだ。涼だけならそんな意味深な名前は許さないだろうが、たとえば娘当人の発案だったりしたらいくら涼でも断りきれないだろう。  映像はひとつだけではない。 「このURL私のPCにちょうだい。こっちで他のも見てみるわ」 「わかった」  律子は改めて厳しいプロデューサとしての顔になると、その映像に目をやった。 「これってやっぱり、イメージは」 「うん。妖精王のイメージだろうね」 「涼が妖精王、ねえ。いろんな意味で洒落になってないキャスティングね。これ」 「セッティングした人間はたぶん知ってるな、彼らの事情」 「そうですね。嫌味なのかジョークなのかわかりませんけど」  妖精は根本的に悪戯好きで、それは妖精王も変わらないという昔話を律子は聞いた事があった。だが妖精王は夫婦喧嘩で気候すら変わる途方もない力をもっており、たかが悪戯でもしばしば大惨事になると。  舞台で踊るのはもちろん『真夏の夜の夢』ではない。  だが確かに律子の言う通り、妖精王が涼で王妃が夢子というのは、事情のわかる人間にとってはとんでもないブラック・ジョークとしか思えなかった。 [#改ページ] 引退後の世間的事情[#「 引退後の世間的事情」は中見出し]  涼の引退劇は当時、表面上こそ静かに行われたが、それはあくまで本当に表面上だった。  特にネットでは大騒ぎになった。ネット言論はマスコミでの統制などほとんど効かないのだから当然で、涼の影を追い求める者たちは実に精力的に動き出した。そして新たな事実が次々と明るみになっていった。  何より「同姓同名の男性が存在し、しかもこれが涼そっくりの女顔の美少年らしい」という事実は衝撃的だった。まさかの男疑惑とネット中、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。  だが、そこに至っても「秋月涼は実は男」なんて確定情報に至る事はなかった。理由はといえば簡単で、残された涼の映像などのあらゆる記録が「この子が男だなんて、そんな事あるわけがない」と皆の心に訴えつづけたからだった。  人間は外観や思い込みに左右される。関係者はまさにその言葉の生きた実例を知る事になった。  様々な憶測が飛び交った。その中には真実に限りなく近い見解も飛び出したというのに、それらすべてが「まさか、いくらなんでもあの涼ちゃんが男であるわけがない」という一言のもとにすべてイロモノ扱いされたのだ。また涼というと昔からよく菊地真が引き合いに出されたが、最近ではすっかり女っぽくなった真もまた「涼は女の子女の子してて本当すごく可愛い」なんて褒め称えるものだから、そんな中から「いやいや涼ちゃんはやっぱり男」と言い出す者はまずいなかった。  すべての疑惑の火が消えたわけではなかった。だが涼は年月も味方につけていた。いかなるアイドルもいつかは思い出の存在となっていくように、芸能界から綺麗さっぱり姿を消したトップアイドルの面影が消えるのに長い時間は必要なかった。  そして一切は過ぎ去る事になった。  いや、正しくは二年後に一瞬だけその名は話題になった。それは親友と知られていたアイドル、桜井夢子のニュースだった。彼女はランクを落としつつもアイドル自体はずっと続けていたのだが、二年たったある日突然にすべての芸能活動をストップ、単身ヨーロッパにわたってしまったのだ。  だが彼女を追うマスコミはいなかった。  夢子は涼がいなくなってから急速に活動量を減らしていて、既にほとんど忘れられていたからだ。それはまるで「行動の自由を得るためにわざと人気を落とした」ようにも見えたが、この不景気に今さら過去の人物に関わる暇など誰にもない。ほとんどニュースにすらにもならなかった。  今度こそ長い年月が過ぎ去った。  懐かしのアイドルとして涼をとりあげる事もなくはなかったが、それは驚くほど小さな扱いで場合によると無視される事もあった。理由が言わずもがな。世間では既に、秋月涼とは一発屋のその後なみに「知る人ぞ知る」存在と化しつつあった。 [#改ページ] 仲間[#「 仲間」は中見出し]  律子の見ているモニターの後ろには、いつのまにかプロデューサの他にショートヘアの女性、そして紳士然とした男性もひとり立っていた。 「これは涼君の声だね。うん、その後も鍛錬は欠かしていないようだ」 「武田さんは涼のことご存知だったんですか?その」  武田と呼ばれたその紳士は、うむと小さく頷いた。 「男性だという事かい?まぁすぐにね。彼は驚いていたが……しかし僕でなくとも見抜いた者たちはいたようだね。ただ誰も言わなかった、それだけさ」 「そうなんですか?でもなぜ」 「さて、それはまぁそれぞれ思うところがあったんだろう。あいにく僕の知るところではないが」  実際のところ、この武田なる男性の他、765所属タレントの|我那覇響《がなは ひびき》なども涼をひとめで見抜いていた。最終的には業界の重鎮たちの多くの耳にも当然入っていた。わかったうえで皆、色々な物事を飲み込み沈黙した。  しかしそれこそ今さらの話ではあったのだが。 「水谷さん、そちらの方では何か出ていますか?」 「はい。先日になりますが、秋月涼ファンクラブにも通報があったようです。涼さんと夢子さんじゃないかと。ただ彼らは涼さんの意思を確認してから行動するつもりのようです」 「ファンクラブ?涼のファンクラブが未だに活動しているの?」  驚いて振り返った問いかけに、水谷と呼ばれた女性は小さく頷いた。 「はい、正式には活動終了となっています。でも有志の手で活動継続しています。876プロとの接点は持たないようですが、私ともネット経由で交流を持っています」 「そう。でもそれって大丈夫なの?涼の秘密については」 「彼らは知ってますね。涼さんと同じクラスだった方から情報入手しているようです」 「……まずいんじゃない?」  律子は眉をしかめた。  今もって熱心なファンである事はありがたい事だ。だが今の涼にとってはどうだろう?自分の人生をかけてまで隠そうとした事が無になってしまうのではないか?  しかし律子の心配は杞憂だったようだ。 「問題ありません。彼らがその情報を知ったのは涼さんが居なくなる前なんです」 「いなくなる前!?」 「はい。現在残っているメンバーは涼さんの意志を尊重し、あの頃からずっと沈黙を保っているんです。今さら破る人もいないでしょう」 「そ」  律子はためいきをついた。  本人が引退し、完全に姿を消してから十年以上が経過している。だというのに。  なんという結束の固さ! 「あら」  そんな時、水谷のポケットの携帯が鳴り始めた。失礼しますといって水谷はそれに出た。  だがその場を動かない。ならば用件はプライベートではないのだろうと律子は判断した。 「はい水谷です。愛ちゃん今どこ?あ、そっか。うん、うん。そう……会長さんそこにいるの?うんお願い。  水谷です。ええ、わかりました。こちらは今、秋月律子さんと詰めているところ?はい、こちらのゴーサイン待ち?ええわかりました、はい、よろしく」  最後ににっこりと笑い、 「そのファンクラブからの連絡です。ドイツまでメンバーが飛んで直接接触したそうです。涼さんと夢子さんに間違いないと。現地でご結婚されているそうですが」 「接触って、それ本当?……とんでもない行動力ね」  日本とドイツの距離を思えば驚くほかない。しかも今あちらは厳冬期だというのに。  十年も前に消えたアイドルのためにそこまでやるのか。さぞかし涼たちも驚いたろう。  しかしまぁ、どのみちドイツからはるばる日本まで伝わってしまったのだ。娘をデビューさせてしまった時点でバレるのは時間の問題だったろうし、当人たちも覆面とはいえ姿をさらしている。そのへんは覚悟済みに違いない。 「どうする律子。ひとつ間違えるとあの大騒ぎの蒸し返しになるが」 「そうね」  小さくためいきをついて律子は言った。 「たぶん涼自身はおもてに出るつもりなかったんでしょうね。涼をわざわざ追いかけていった夢子さんも。なのに、それが今になって出てきたのは」 「この子だな」 「だろうね」  モニターに映る少女を指差す男。 「隠れ続ける意味と、自分たちの娘の才能。色々と計算にいれたうえで、あえて娘にかけたって事か」  自分たちの人生そのものを放り出しても守ろうとしたもの。それを全部ご破算にしてでも。  夫婦そろって手伝っているのもそのためだろう。おそらく娘が自立すれば完全に裏方に回り、支え続けるつもりに違いない。  ふん、と律子はモニターを見てつぶやいた。 「プロデューサ。彼らの契約について調べる事はできますか?」 「できなくもないが……まさか」 「他社が変なスッパ抜きして騒ぎになる前に、日本におけるすべての権限を押さえてしまいましょう。水谷さん、876プロの方はなんて?」 「あのぅ律子さん。私も今はこちらの所属なんですが……」  ちょっと苦笑いを浮かべる水谷。 「こちらで把握している範囲で言えば、この情報をつかめば社長自ら動くのは間違いないと思います。仕方ない部分もあったとはいえ、迂闊な売り出し手法が原因でトップアイドルの才能をみすみす潰す羽目になった、あの時の失敗はもう繰り返さない。そんなところだと思います」 「そう。では競争ね」 「そうですね。ですがもし必要なら手を結ぶ事も考えましょう」 「ええ」 「はい」  876プロに765プロ。あの頃、秋月涼と最もかかわりの深かったふたつのプロダクション。  ただ、涼を本人の言うままに諦めて投げ出した876プロ社長を律子は信用していない。確かに最初の頃、女性アイドルとしてとりあげようとした愚は自分も犯したわけだが、だからといって、男性としての再起動を手伝うという約束を結果的に反古にしてしまっているではないか。涼は約束を守り、男の身で女性のトップアイドルにまで到達したというのに!  それは確かに876プロのせいではない。トップアイドルになった涼は既に男性としてやり直す気をなくしていたようだから、なんのアクションもしなかった石川社長に責はない。  だが、自慢の可愛い従弟の人生を一度潰された従姉としては、結果として何もせず涼が姿を消すに任せた彼女を信用できない。偏見もあろうし、残されたふたりのアイドルの事もあり無理もない選択だったのかもしれないが、だからといって当人の親族としては納得できるものではない。 「見てなさい涼……今度こそ間違えない。皆の夢のために姿を消したあんたみたいな犠牲、二度と払わせやしないから」  ぼそっとつぶやく律子。その目はモニターに向いており、おそらくその言葉は誰に向けられたものでもない。  だが。 「勿論。今度こそ涼さんを……私たちの涼さんをどこにもやらない」 「!」  つぶやかれた言葉に再び振り返る律子。 「水谷さん」  ああ。そういえばこの水谷女史はその「残されたふたり」の片割れだったか。あまりの有能プロデューサぶりに最近ではすっかり忘れていたが。 「同じプロダクションにいたのに、私も愛ちゃんも何もできなかった。今度こそ」 「あなたや日高さんは知らなかったんじゃないの?涼が男の子だった事」 「まさか」  小さく水谷は首をふった。 「確かに最初はわからなかったけど、後で気づきました。気づいたけど何もできなかったが正しいです」 「そ」  それもそうか。  いくら気づいたとて十代の小娘に、業界全部を敵にまわしかねないような事態をどうこうできるわけがない。 「愛ちゃんは確かに気づいてなかったですけど、でも気づいた後、物凄く泣いたんですよ?あの優しい涼さんがそんな選択をするなんて、どんなにつらかったろうって」 「……」  律子は水谷の言葉をかみしめ、ああなるほどと理解した。  自分の性別を隠し、身近な友人たちをも騙しつづけた生活。皆に夢を見せるアイドルという仕事を続けつつ、ボロボロになっていく自分の壊れた夢を見つめ続ける歪み。そして、日に日に迫る「もう隠し通せないタイムリミット」。  最終的に選んだのは確かに本人。まわりが罪悪感を覚える必要はないだろう。  だが、おそらく水谷はすべてを知っているのだ。涼の夢がどう破れ、どう諦めたのか。偽り続ける性別の限界がやってきて、とうとう隠し切れなくなった経緯まで。 「ごめん」 「え?」 「もしかして水谷さん、涼の力になってくれてたんだ。私が言う事じゃないかもだけど、ごめんなさい、今はじめて知った。本当にごめんなさい」 「あ、いえ」  頭をさげる律子に水谷は少し慌て、 「直接は何もしてないです。だいたい私は何も知らないふりで通してましたから。尾崎さん……最初のマネージャーですけど、彼女がいなくなった事とか色々あって私には私の問題もありましたし」  そう、ごまかすように言って、まるで現役時代に戻ったかのように可憐に微笑んだ。 「秋月さん。今度こそ私たちで涼さんを捕まえましょう。二度とあんな悲しいことさせないように」 「ええ。そうね」  決意を秘めた水谷の目に、律子も大きく頷いた。  もはやあの遠い日ではない。かりに「あの涼は本当は男性だった」とニュースになったところで、あの頃に想定されたような大騒動など起こり得るわけがない。八方手を尽くせばどうにでもなるはず。 「さて、僕は失礼するよ」 「武田さんは手伝ってくださらないのですか?」  ふと律子が言葉を投げるが、 「その必要はないだろう。僕の仕事があるとすればそれは彼が復帰してからの事。違うかな?」 「……そうですね、でも」 「彼は戻ってくる。実際そうなりつつあるじゃないか。そうだろう?」 「はい……はい!確かに」  武田と呼ばれた紳士は大きく頷くと、「では」と小さく微笑んで去っていった。 「……」 「……」 「……」  残された律子、水谷、プロデューサの三名は無言のまま頷きあった。 「それじゃあ、『秋月涼復活プロジェクト』今から開始です。いいですね?」 「異議なし」 「はい、了解しました?」  三人のそれぞれの声が、765プロの事務所に大きくこだました。 「……」  ブースから離れたところで事務員が、聞かぬふりをしつつ無言でくすくす笑っているのだけが、ちょっとマヌケではあった。   (おわり) [#改ページ] あとがき[#「 あとがき」は中見出し]  本SSは、pixivに実験的に投稿したものを逆輸入したものです。原稿保存のためですが、ほんの少しだけ加筆もしています。    それでは、ありがとうございました。