驚愕とはまさにこの事で… はちくん 初恋、桜井小桃  (2009/12/23: リンクミスを一ヶ所修正) [#改ページ] 本編[#「 本編」は中見出し]  その日、珍しいことに陽子ちゃんからメールが来た。  陽子ちゃんはあまりパソコンが得意じゃない。だから余程のことがないとメールなんてないし、こっちが海外という事もあって電話もない。必要なら来るんだけど、むしろ近況は短い手紙で語ってくることが多かった。お兄ちゃんと同僚になってからは回数が格段に増えたけど、それでも予告もなくいきなりメールでくるなんてのはよほどの緊急、しかもとんでもないことに違いない。  なんだろう?  国内より刺激の強い海外にいると多少のことでは驚かなくなる。それはいい事ばかりじゃなくて、特に故郷の友人たちとやりとりしていると、ちょっと悲しい気がすることがいくつかある。なんだか距離を感じてしまうからだ。 「……え?」  だけどわたしはその手紙を見て、 「えぇっ!?」  思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。    昔なら、タラップを降りる時に祖国の風を感じられたんだろう。  だけど成田ではそうもいかない。通路の隙間からか、少しだけ湿った故郷の匂いを感じられたのだけど、まだまだここはなかば日本とはいえない。しばらくわたしは歩き、税関の手続きに入った。  まだ気を抜くには少し早いんだけど、 「……」  だめだ。まだ考えがまとまらない。   『兄に恋人ができた』    陽子ちゃんのメールの内容はただそれだけだったんだけど、わたしの頭を一撃で真っ白にするには充分すぎる内容だった。  そんなバカな、という気持ちとか色々いろいろなソレがわたしの中でぐるぐる、ぐるぐると回り続けて止まる気配がない。それは飛行機から降りて空港の中を歩く間も、ずーっとだった。  手続きをする間も、わたしはあの頃の事をずっと考えていた。    あの頃、兄は小桃先輩と恋仲だった。  いろいろと問題はあったけど二人の仲のよさだけは全く疑いの余地もなかった。ふたりはこのまま何処までも行くのではないか、そんなことも考えていた。  だけど……。  小桃先輩の突然の死は、兄の全てをも止めてしまった。  みんなの手でなんとか笑顔を取り戻した。だけど兄の心はどこか凍ったまま、あるいはすっぽりと穴が開いたまま歳月が過ぎていった。  兄はただ、日々を生きる存在となった。  妹のわたしにはわかった。兄はまだ小桃先輩を、帰るはずのないひとを待ち続けているんだって。もしかしたら、ううんたぶん一生そのまま、ひとりぼっちで待ち続けるつもりなんだって。  わたしも陽子ちゃんも、そんな兄の前にどうすることもできず、ただ見ている事しかできなかったんだ。  なにより二人には「なにか」があった。  それが何かはわからない。だけど二人の間には確かに強い絆を感じた。つきあってた期間は決して長くないのに、何かふたりの間には長大な何かが漂っていた。絶対に誰も割り込めないような途方もなく強大な、何か。  死すらもふたりを分かつ事のできない、何か。  そこに割り込む事が、どうしてもわたしと陽子ちゃんにはできなかった。  その兄に恋人ができたというのだ。わたしの驚きがわかってもらえるだろうか。  相手は誰?まさか陽子ちゃ………なわけ、ないよねえ?陽子ちゃんだったら、こんな遠まわしな連絡なんかしてくるわけがないもの。大喜びで恋人宣言してくるか、わたしの事考えて「ごめん」とか謝ってくるかのどちらかだろう。  税関を抜けた。 「ふう」  なんだかホッとする。  何回通ってもなんだか慣れない。手続きがすんだという安堵感だろうか。そういう面倒なのは昔も今も苦手なのだ。  さて。  成田エクスプレスまでは少し時間がある。どうしようかと首をかしげた矢先のことだった。 「あの〜」 「はい?」  どこか懐かしい、でも知らない声が聞こえた。わたしはそっちを見た。  でも。 「え……?」  果たして、そこに立っていたのは。 「おかえりなさい杏ちゃん。大福食べる?」 「え……えぇ?」  にこにこと微笑み、紙袋もって立っている女子高生くらいの女の子は。 「あ、大丈夫だよ杏ちゃん。ちゃんといちご大福だからね?」  いや、いちご大福とかそういうことじゃなくて。 「あれ?杏ちゃん、大福嫌いになっちゃったの?それとも今はおなかいっぱい?」  いや、そういう意味じゃなくて!  わたしが絶句していると女の子は「むむー?」と何か考え込んでいたんだけど次の瞬間、 「小桃……おまえまた知らないひとに大福を」 「あ、せんせぇー。違う違う、杏ちゃんだよー」  にっこりと廊下の向こうを見て笑う……って?! 「お兄ちゃん!?」 「って、杏か!?」 「…………」    よく考えがまとまらない。  とりあえず、じっと見た。   「……」 「……」 「……あ、杏?」    ひとつ、とぼけた顔でボーゼンとしているお兄ちゃん。  ひとつ、大福の袋をもってわたしを杏ちゃんと呼ぶ女子高生。しかも顔立ちやら何やらまであの時の小桃先輩と瓜二つ……髪長いけど。  ひとつ、お兄ちゃんはこの子を小桃と呼んだ。  ひとつ、お兄ちゃんのお仕事は高校教師。  ひとつ、珍しい陽子ちゃんからのメール。    導きだされる結論は…………。   「お兄ちゃん。いくら寂しいからって教え子を毒牙に……」    もう!いくらなんでもどういう事よこれ!陽子ちゃん何やってたの!?   「うわ、ち、違う!それは違うぞ杏!」  どこが違うの?この子何?小桃先輩そっくりの女の子みつけて猫かわいがりして、小桃先輩の好みとか癖とか教え込んだうえに先輩の名前で呼んでるってことでしょこれ?サイテー!  当然、そんな横暴にそこらの女の子が応じるわけがない。ちょっとこの子の頭が弱いとかいう可能性を除けばふたりの関係なんて考えるまでもなく明らか。そういう事をさせられる、させてくれる仲ってわけよね?    おーにーいーちゃーーーーーん?いくらなんでも幻滅だよ!    だけど。 「え?違うの?せんせー」  そんな女の子の言葉に、お兄ちゃんは情けないほどにたじろいだ。 「……あ、いや小桃、それはその……」 「桃、せんせーの恋人だよね?違わないよね?」 「あ、う、うんそれはもちろん」 「♪」 「……」  うっわあ、お兄ちゃん弱々。女子高生に手玉にとられてる。  さすがにこれ以上わが兄の痴態をみるのもなんだろう。てか、お兄ちゃんをそういう風にいぢっていいのはわたしだけだ。  だからわたしは、その小桃先輩そっくりの女の子に声をかけることにした。 「えっと、とりあえず自己紹介、かな?」 「あ?……ああ!」  女の子は少し考え、そして何か気づいたかのようにぽん、と手を叩いた。  ……猛烈な|既視感《デジャヴ》に、一瞬気が遠くなった。  似てる?いやそんな馬鹿な。さっきといい今といい、似てるなんて生易しいものじゃない。同一人物としか思えない。  でもそんな馬鹿な。小桃先輩は随分前に亡くなったんだし、仮に生きてたとしたら私より年上のはず。女子高生の姿をしているはずがない。  たとえお兄ちゃんや陽子ちゃんがかつての先輩の話をこの子にしたとしても、こうまでそっくりになってしまうものなんだろうか?  わたし頭おかしくなっちゃったのかな?時差ぼけで脳まで逝っちゃった?  だけどわたしの脳は次の瞬間、一切の論理的思考を放棄してしまった。 「えっと、はじめまして……かな?んー久しぶり……も変かな。まぁいっか。えっと、おかえりなさい杏ちゃん、桜井小桃です!」 「…………」    …………。   「小桃、いきなりその挨拶はないと思うぞ。さすがの杏も目が点になってる」 「あ、そっか。あれ?杏ちゃん大丈夫?」 「…………」  わたしは一瞬遠ざかりそうになった意識の中で、仲よく話してるふたりの姿をぼんやりと見ていた。    ……ああ、仲よさそうだな。まるであの頃のお兄ちゃんと先輩だ。  先輩、ちっちゃくなっちゃってるけど。  でも先輩だ。確かにこれは小桃先輩なんだ。    正直、わけがわからない。  死んだ先輩がどうしてここにいるのか、どうしてこんな小さいのか。  全然理屈が通らない。理性は他人の空似にすぎないとつぶやいてるし、わたしの中のとある部分は、今頃帰ってくるなんて冗談じゃないとかありえないとか、そういう醜い感情も少しだけ蠢いている。  ぶっちゃけ、死んだひとにこうして再会するなんて御伽噺か悪い冗談でしかない。    だけど、そんなこと以前にわたしにはわかる。  これは先輩だ。間違いなく先輩だ。ちっちゃかったり違うとこは違うけど、だけどやっぱり先輩だ。  先輩。  先輩、先輩、先輩────!!   「先輩!」 「きゃっ!?え、あ、杏ちゃん?」  先輩に抱きついた。  先輩だ。確かに先輩だ。ちっちゃいけど先輩なんだ。間違いない。 「先輩、先輩〜〜!!」  自分が泣き出したのがわかった。かまうもんか。 「……杏」 「……杏ちゃん」  先輩が抱き返してくれた。  お兄ちゃんの気遣うような声が聞こえる。お兄ちゃんのくせにとちょっとだけ思うけどそんなことどうでもいい。がっちりと先輩を独占する。  陽子ちゃんのバカ。びっくりする事ってこういう事だったんだね、もう!    …………あれ?でもまてよ?  お兄ちゃんに恋人ができたっていうのは間違いなく先輩のことだよね?他にありえないし、なにより本人たちが今そう言ったし。  それにそもそも、あのお兄ちゃんが肉親でも恋人でもない女の子を名前で呼び捨てにするはずがない。    ていうことは。  女子高生に手を出したっていうのは…………確定?  しかも「せんせー」ってさっきから…………最悪、まさかと思うけど………自分の教え子?    な、何をしとるかこの淫逸教師!!   「ねえお兄ちゃん?」 「ん?……!な、なんだよ杏」  あ、『げ』っていう顔してる。えっへへへへ。 「時間あるよね?陽子ちゃんも交えて細かい事情を隅から隅までぜ〜んぶ話してもらうよ?いいよね!」 「杏。語尾が『はてな』になってないぞ」 「いいよね!」 「……はい」  お兄ちゃんは困ったようにためいきをついた。 「?」  きょとん、としてお兄ちゃんとわたしを見る女の子……小桃先輩。  わぁ、天然ぶりまで健在だぁ。あはは。 「とにかくいこ。ね、小桃せん……んーと」  こんな、ちっちゃいのに「先輩」は変か。えーとどうしよう。  そしたら女の子はにっこり笑い、こう言った。 「小桃でいいよ杏ちゃん。せん……稔くんもそう呼ぶし」 「そ。わかった」  毒のない、心底おひとよしの微笑み。 「……」 「……杏、ちゃん?」    わたしはこの瞬間『帰ってきたんだ』と強く、強く思った。  あまりにも遠く、忘れかけていた優しい思い出があふれ出て、また涙が出そうになってしまった。  お兄ちゃんが好きっていうわたしの事を、変な子だとも言わずに受け入れてくれた先輩。  みんなで過ごしたあの、遠くて優しい日々。  二度と戻らないと思っていた、あの頃。    ほんとに帰ってきたんだ、先輩。   「……おかえりなさい」 「……うん、ただいま」    わたしたちはそう言って、再び抱きしめあった。     おわり