HIROMI−妖かしのToHeart− hachikun TS-ToHeart、浩之・先輩他 [#改ページ] 儀式(あれれれ)[#「 儀式(あれれれ)」は中見出し]  オカルト研部室に芹香と訪れるのは、本当に久しぶりだった。  受験を控えた俺は、既に大学にいる芹香とふたりで勉強の日々を送っていたからだ。しかもその合い間をぬって、葵ちゃんの手伝いや綾香と馬鹿騒ぎなんかもしっかりやっていたりする。魔法については大学に入って少し時間ができるまで、来栖川邸の先輩の部屋でちょこっとやる他は基本的におあずけっていう状態だ。まぁ後々は二人で民俗学の研究をやるつもりであり、そうなったら嫌でも古代の祭器や儀式の文献とにらめっこの日々になるはずなんだし、特に無理してやる必要は俺も…たぶん芹香も、感じてはいなかったと思う。  …ってまぁそれはいい。とりあえず今俺は、芹香とふたりで久しぶりに部室にいた。  カーテンのひかれた暗い部屋。壁にそって配置された道具類。魔法書の並んだ書架。部屋の中央に安置されている魔方陣。どこからどこまで、芹香のいた時そのままだった。しばらくの間にたまった埃がちょっとあったりしたが、まぁこれもさしたるもんじゃない。それよりも懐かしいような、不思議な気持ちの方が大きかった。  なんでも、今は「人間の部員」は誰もいないんだそうだ。  しかしこの部室は何も変わらない。まぁ元々文化部の活発な学校じゃねえし、どんな力が働いているのか俺は知らないが…きっとそれなりのもんがあるのだろう。芹香も特に、学校に保全を頼んだような記憶はないそうだし。  …さて、 「なあ芹香。なんでわざわざここでやるんだ?」 「…」 「ほう?特異点が近い?黄泉比良坂(よもつひらさか)?…ってちょっと待て!それってあの世とこの世の境目のことじゃねーか!」 「…」  はいそうです。と、芹香はこともなげに言ってのけた。 「いや、そうですって…そりゃまぁ、オカルト研の先輩方がいるから力借りようってんだろ?要は。でも今回の儀式に先輩方の力って関係するのか?今回のはなんだっけ、その」 「…」 「そうそう、その平行世界ってやつ!つまりそれは別の世界なわけだろ?あの世もまあ別の世界かもしんねえけど、ちょっと関連ないんじゃねえか?」 「…」 「はぁ…なるほどねえ。ま、芹香が言うならそうなんだろ。よしわかった!で、俺は何をすればいい?…あ、ここ立つのか。わかった」        なんの事かわからん、という諸氏のために、少し説明する事にしよう。  実は先日、綾香や葵ちゃんたちが練習試合をする、という話になったのだ。で、葵ちゃんとよく一緒にやってた初心者の俺にも、「胸くらい貸すわよ」という綾香の偉そうなお言葉がやってきやがった、というわけなのだ。  いや、偉そうというかこの道じゃ綾香は本当に偉い奴だったりする。だから俺としても「胸を借りる」という事自体にはなんの異論もないんだ。いくら俺が無謀でも、全日本チャンプに初心者が勝てると思うほどにはうぬぼれちゃいねえよ。葵ちゃんに力の差は、徹底的に思い知らされていたしな。  だが。  理屈でわかってても俺は納得できなかった。確かに勝つのは無理だろう。一本とるどころか瞬殺されても不思議じゃない。だけど納得できなかった。勝てないならせめて、ひと泡吹かせるくらい、その程度ならなんとか俺にもできないか、そう考えた。  そんな事を考えてたある日の勉強会の時、芹香がとても面白い提案を持ってきたのだ。いわく、『経験そのものを分けてもらいましょう』と。  芹香の提案を要約すると、こうだ。  平行世界というのがあるらしい。簡単に言うと「もしもの世界」だ。この世界とは唯一絶対じゃなくて、少しずつ違う同じ世界が多層構造的に重なり並行しているらしい。たとえば俺が芹香とつきあってない世界とか、両親がいつも家にいる世界、雅史が中学生だったり…そんな感じのがたくさん並んでいるというのだ。  その中で、俺がもっと前から格闘やってる世界を探し、そこから「経験」を少しわけてもらおう、というのが芹香の案だった。今俺にもっとも不足しているのは「経験」だから、それがあれば少なくとも、今の体力でも多少はマシになる。勝てなくとも驚かせる、くらいの事はできるかもしれない、というわけだ。まぁ経験をもらったところで身体はこの身体なわけだから、いきなり強くなれるわけじゃない。身体がついてこないからだ。でも、ないよりは遥かにマシなのは事実だろう。  そんな事できるのか、と当然俺は聞いた。これでも芹香のために少しは魔法の勉強もしたが、とりあえず知る限りではそういう魔法の話は聞いた事がなかったからだ。すると芹香は微笑み、自分自身を召喚して一瞬重ならせるだけだから、難しい事は何もない、と言った。問題があるとすれば今の俺とあまりにもかけ離れた存在を召喚してしまった場合だが、これは確かに厄介だがその場合、召喚自体が失敗する可能性の方がずっと高いんだそうだ。これはまぁ当然で、たとえば筋肉ダルマの俺を召喚しようとしても、召喚する人間、つまり芹香自体がそんな俺を想像する事ができないから呼びようがないのだ、という事だった。……まぁ、そりゃそうだわな。俺だってそんな自分、想像つかねえよ。   「…」 「ん?準備できたのか。深呼吸?わかった」  言われるまま、ゆっくりと呼吸を整える。もう慣れちまった安息香の香りがする。はじめて嗅いだ時は確か、ボスを召喚してもらった時だっけか。ある種の安息香は反魂香といって、交霊にも使うんだ。特に芹香はこの柑橘系の香りを多用する。どうやらお好みらしい。  そういや、この香りの中で芹香と血をなめあったりもしたなぁ。  来栖川の令嬢である芹香と果して幸せになれるのか。そんな感じで当時、俺はちょっと弱気になってたっけ。いっそ俺が男じゃなくて芹香と親友だったら、そしたらずっと一緒にいられるんだろうか、そんな風に考えてみたりもしたよな。芹香はそんなナーバスになった俺をなぐさめてくれたっけ。  ……お?何か、ふわっと来たぞ。安息香か?ちょっと眠くなったのかな? 「!…!!…」 「え?…なに芹香?…よくわからない…」  最後に聞こえたのは、何故かひどく慌てた芹香の呼び声だった。 [#改ページ] 日常″(にちじょうダッシュ)[#「 日常″(にちじょうダッシュ)」は中見出し] 「ひろみちゃん、ひろみちゃん」  う〜んあかり…もうちょっと寝かせてくれよ。 「だめだよ、ひろみちゃん。遅刻するよぉ」  ゆさゆさ、ゆさゆさ、と俺をゆさぶる手。…仕方ないなぁ。起きるか。 「ん〜…おはよ、あかり」 「おはよ、ひろみちゃん。早く仕度しないと遅れちゃうよ?」 「…あぁわかった。」  むくっとベッドから起き上がり、俺はボーーっと部屋を見た。  ?…何だ?異和感あるな。なんでだ? 「…なんで部屋がピンクっぽいんだ?」 「もう、また寝ぼけてる。エクストリーム選手がそんなんでいいの?ひろみちゃん」 「…?」  なんの話だ?エクストリーム選手ったら、葵ちゃんの事だろ?ま、俺も一発予選落ちでよければ選手と言えなくもないけどな。 「…」  って、ちょっと待て。なんで女ものの制服が壁にかかってる? 「ひろみちゃん、ごはん仕度できてるよ。早くおいでよね〜」 「あぁ」  部屋を出ていくあかりに生返事を返しつつ、俺は壁にかかってる女ものの制服を見つめる。 「…なんで?」  疑問を口にしたところで、俺は自分の声が変なのにも気づいた。 「…?」  いや、声だけじゃない。なんだこの細くて白い手は? 「……なんか胸、あるし」  あかりにも負けそうな貧乳だが、何故か胸がある。パジャマがだぶついてるわけでもないようだ。 「…ん…!」  …自前の胸だこりゃ。どういうこった? 「……まて、ちょっとまて俺。なんか変だぞ」  夢…じゃなさそうだ。ほっぺたつねってみたが痛い。それに…。 「…藤田、ひろみ?」  俺の頭の中に、俺にあるはずのない記憶があった。 「…こりゃあ……原因は…芹香だな間違いなく」  つーか、他には考えられん。 「!そういや、エクストリームの選手って言ってたな…!」  机の横に目をやると、見た事のないトロフィーや盾がいくつか見えた。 「……わけわかんねえよ」  とりあえず、ここはたぶん芹香の言ってた「平行世界」ってやつなんだろう。俺がエクストリームの選手で、そこそこの成績を示している世界のようだ。  …けど、なんで俺、こんななんだ?確か、芹香の話通りなら「この世界の俺」を一瞬だけ召喚するって話じゃなかったのか? 「…もしかして、儀式失敗…か?」  召喚するはずが、逆に俺がこっちに吸い込まれちまったって事か?  お、おいおいマジかよ。勘弁してくれよ芹香ぁ。 「と、とりあえず起きようか。…こっちの芹香さんに話が通じればいいんだけど」  確信も根拠もないが、こっちの世界でもたぶん芹香は芹香のまま、という気がする。俺がこんなんなっちまってるんだ。どれだけ親しいかは未知数だが、話くらいは何とか聞いてもらえるだろう。  …って、芹香「さん」? 「……う、なんかとても嫌な予感がする…」  この身体には当然、ここで生きて来た俺の記憶があるはずなんだが…中身が違うせいか、どうも人間関係の記憶についてはよく思い出せないようだ。  でも、なんだろう?芹香の名をつぶやいた途端、全身を走るこの妙な感覚は? 「む…なんか下半身が湿っぽいな。気持ち悪…さっさと着替えよ…」  だが次の瞬間、俺は下に手をやったまま凍り付いてしまった。 「…………」  そう。  そこには男の大事なシンボルがなく、代わりに違うものが付いていたからだった。 [#改ページ] 女と…?[#「 女と…?」は中見出し]  毎朝のドタバタ儀式が終わり(どうやらこの世界でも俺は、あかりに頼りっきりらしい)、俺たちは学校を目指して歩きだした。  慣れない女子制服にスカート。髪はあかりの手によりポニテにされた。…ほんとに俺かこれと思ったが、曖昧ながら確かにある記憶もそれを肯定している。確かにそれはこの世界での俺「藤田ひろみ」だった。鏡に映った見知らぬ、でも見慣れた女の子の姿は、俺を当惑させるに充分だった。葵ちゃんと琴音ちゃんを足して二で割ったような姿だ。結構可愛いのだが、唯一にして最大の問題は、それが自分自身であるという悪夢のような現実だった。  う〜ん奇怪だ。古今東西、こんな経験、俺くらいなんだろうなぁ。できればすぐにでも戻りたいものがあるが。  それにしても、である。  股間にアレがない、というのはなんともわびしいもんだ。こっちの俺にはそれがあたりまえなんだろうけど、俺自身は気持ち悪いというか悲しいというか、なんとも表現のしようもない。しかも悲惨なことに、俺はそれに異和感を感じてないのだ。「こっちの俺」の影響なんだろうな。中身が違うことでとんでもないポカをやらかすかと内心心配していたんだが、気がつくと俺は自然に女の子として振舞い、女の子のしぐさをしていた。まぁ女の子だから当然なんだが、異世界の生活をリアルに体験しているようなもんだろうか。これが「戻れる」という保証つきなら結構楽しいのかもしれんが現実は違う。薄いストッキングと足が擦れるたび、スカートの下にそよ風が吹くたび、俺はいたたまれなくなる。一刻も早くこっちの芹香に話をつけ、なんとかしてもらいたい。そんな思いでいっぱいだった。 「それで、ひろみちゃん。練習試合するんだって?」 「うん、そう。…でも綾香が相手じゃ、さすがに苦戦するだろうな〜」 「やっぱ、全日本チャンプにはかなわない?」 「そりゃあね。こっちはやっぱ経験不足だし」  やはり平行世界、という事か。こっちの俺の頭にも、練習試合の記憶があった。  もっとも、キャスティングが少し違うようだ。おぼろげな記憶を辿ったところによると、どうもこの世界には坂下にあたる奴がいない。俺の世界じゃ坂下は葵ちゃんにぶち負かされエクストリームに関心を示したんだけど、こっちじゃその役を俺がしたらしい。しかもその試合は今じゃない。中学時代のことだ。どうもこっちの俺は女だてらに喧嘩上等のアレゲな暮らしをしていたらしいが、年下の葵ちゃんに盛大に負けたことで格闘技に目覚めた、そんな感じらしいんだ。細かいいきさつがどうもよくわからないんだが。 「そういえばひろみちゃん」 「ん?なに?」 「最近、来栖川さんと親しいみたいだね」 「へ?」  こっちの俺もやっぱ、そうなのか?…でもまぁ同性だし、仲良しって感じなのかな? 「…意外?」 「うん、そうだね。どういうきっかけで知り合ったの?」 「どういうって…」  これはわからない。俺自身のきっかけはあの日の激突だけど、こっちの俺がそういうイベントを経験したかどうかは残念ながらわからないんだ。 「まぁ、いいけど…でも注意しないとダメだよ?来栖川さん、たぶんメニールだし」 「??」  めにーる?なんだそりゃ? 「まぁ、こればっかりは仕方ないのかな。ほんとは私が女の子でひろみちゃんがメニールならよかったのに、実際は逆なんだもん。複雑だなぁ…」 「???」  う〜む。なんだかよくわからんが、あかりもその、めにーるって奴なのか?…ていうかそもそもその、めにーるってなんなのよ? 「……」 「?なに?あかり。どうしたの?」 「…もしかして…怒るかもしれないけど尋いていい?」 「あ?うん」 「ひろみちゃん…メニール、知らないの?」 「……ごめん、遺憾ながら知らないみたい」  わからんものは仕方ない。俺は正直に答えた。 「!!」  その瞬間、あかりは「信じられない」という顔をした。そして真剣そのものの顔に変わった。 「それはまずいよ、ひろみちゃん!」 「え?」 「あのね、ひろみちゃん。人間にはふたつの性別があるの。ひとつは女の子、それはわかるよね?」 「う、うん、まぁ」  …何が言いたいんだ?あかり? 「で、もうひとつがメニール。確かに女の子は子どもを宿して産む事ができるけど、女の子だけじゃ子どもは作れないんだよ。メニールとカップルにならなきゃダメなの」 「……はい?」  ちょ、ちょちょちょ、ちょ〜〜〜っと待て。そりゃどういうこった?もしかして、メニールってのはこっちの世界の「男」の事か?  い、いやまて、まてまてまて、おちけつ、いや落ち着け俺。あかりは今言ったぞ。「私はメニール」って。そりゃここは異世界なわけだが、あかりのどこが男に見える?俺の世界のあかりとどこも変わらねえぞ?  わ、わからん。何がどうなってんだ? 「…よくわかんない。あかりもその、メニールなわけ?女の子とどう違うの?」 「…」  あかりは赤面し、困ったようにほっぺをぽりぽり掻いた。 「し、しょうがないなぁもう…うん、わかった。こっち来てひろみちゃん」 「??」  あかりは手頃な物陰を見付けると、俺の手を引いてそこに入っていった。 「?何?どうするの?あかり?」 「(誰も来てないよね…よし)ひ、ひろみちゃんだから見せてあげるんだからね。後で変な目で見たりしたら嫌だよ?」 「?よくわかんないけど…うん、わかった」  よくわからないけど、何かとても恥ずかしいものらしい。 「よっく見てね……はい、これだよ」 「え?…………!$%&’(!!!!???」 「きゃっ!ひ、ひろみちゃん、しー!しー!」  叫びかけたところで、真っ赤になったあかりに口をふさがれた。 「も、もう、ひろみちゃんったら……で、見えた?」 「……(こ、こくこく)」 「これがメニールだよ。…びっくりした?」 「……び、びっくりというか…なんというか…」 「(クスクス)ひろみちゃんって、ほんっとウブだね♪ふふ♪」 「……」 「…ひろみちゃん?」  ……ウブというか……そういう問題なのか?あかり?  メニールって…メニールって……ふ、ふたなりの事かよっ!!        いやぁ、ここが「違う」っていうのは確かに理解してたつもりなんだよ。  俺が女の子って時点で、ここが異世界なのはよぉくわかった。でも、男と女っていう世界の原則そのものが違う世界だなんて、さすがの俺も心臓止まるかと思ったぞまったく…。  ん〜まぁ、学校につくまでの間に、あかりに簡単に教わったことをまとめてみよう。  この世界じゃ、男ってのは存在しないらしい。性別のある生き物は全て、まずは女で産まれる。で、その中の一部が途中で変化するんだ。子を産む機能はそのままに、たとえば人間ならクリトリスが発育して男の生殖腺になる。これがいわゆる「メニール」なんだと。  もっとも、純粋な女の子とメニールを比べると、妊娠しやすいのは圧倒的にやはり女の子らしい。メニールは男性機能にエネルギーを大きくとられてしまうために妊娠しにくく、また妊娠中は他の子を妊娠させる事はできなくなってしまうんだそうだ。  う〜ん、なんかシュールだな。俺の世界にも半陰陽、つまり、ふたなりさんは存在する。けど、その大部分は生殖機能がないと聞いてる。両方の性の混在を許すほどのキャパシティは人体にはない、ということだよな。こっちの世界ではどうしてこんなんなっちまってるんだろう?  ……あぁ。  そういや芹香が前、言ってたっけかな。生き物のオスメスというのは、実はそれほど大きな違いはない…だっけ?  確か芹香の話だと、胎児の初期の状態だと、男の子も女の子も区別がないらしい。それが、ある時期に母親から男性ホルモンが照射されて、それで男の子として分化するんだと。仮にそのホルモン照射がなかった場合、遺伝子が男の子であっても女の子として身体が形成され、産まれてくる。そういうもんなんだと言ってたと思う。  ふむ。そう考えたら、子ども時代にメニール化するっていうこの世界もまんざら奇異ではないのかな。男女の分化プロセスが少しだけ俺の世界と違う、ただそれだけの事なのかもしれねーな。…いや、外見上は充分すぎるほどアレなんだけど。  まぁ実際そう考えれば、メニールであるあかりが俺の知るあかりそのままの外観なのも納得できる…かどうかはともかくとして頷ける事ではある。なにせ半分は女なんだし、そもそも後から変化するんじゃ俺の世界の男みたいに骨格やら外観やらまで全部変わっちまうっていうのはどだい無理なんだろう。変化が後天的で遅い以上、漫画みたいに女から男へ、ぽんっと何もかも変わってしまえるわけもないんだし。 「…なるほどねえ」 「え?なに?ひろみちゃん?」 「いや…あかりがメニールじゃ、もう一緒にお風呂とかは入れないんだなあって思ったんだよ」 「へ…う、う〜ん…私は別に入ってもいいけど…」  …いや、そこで俺の身体見ながら赤面…ていうか欲情されても困るんだけど(泣)。 「あ、あはは、冗談だよ冗談。あかりも可愛い彼女探して一緒に入ればいいじゃん」 「え〜。だったらひろみちゃんがいいよぉ…」  だ、だからそこで物欲しそうな顔すんなって(汗)。 「な、なんで俺なんだ?好きな子とかいないのかおまえ?」 「……」  い、いやだから、なんでそこでそういう目で俺を見るんだあかり?(大汗) 「…ま、まぁいい。俺先に言ってるぞ」 「!あ、ま、待ってひろみちゃん、あぶな…」 「え?」    ……ドシン! [#改ページ] 帰還可能なりや?[#「 帰還可能なりや?」は中見出し] 「…ま、まぁいい。俺先に言ってるぞ」 「!あ、ま、待ってひろみちゃん、あぶな…」 「え?」    ……ドシン!        …あー、まぁその。いかにもというかお約束というかアレをやってしまったわけで。校門で激突ってぇと相手はやっぱり芹香なわけでこれはどうした事かというと。 「…」 「…」  まぁ、こんな感じに見つめあっちゃったりしているわけで。 「…」 「…」 「ひ、ひろみちゃんっ!」 「!」  焦ったようなあかりの叫びで、俺は我に返った。  えーとその…お、俺の時との違いその1。藤田ひろみは藤田浩之よりもだいぶウエイトが軽い。まぁ女の子だし身体もちっちゃいわけだし、これはまぁ当然だな。  で、違いその2。軽いという事は芹香はふっとばない。むしろ芹香より小柄な俺の方がやばいわけだ。幸いにも運動エネルギーがあったためウエイト差は相殺された模様だが、そうなると今度は互いにその場で転倒、という事になるはずなのだが。 「…」 「…」  ど、どうして俺、芹香に抱き止められてますか?…それも、しっかりと。 「…」  俺の身長はどうやら、芹香の鼻くらいまでらしい。それが中途半端な姿勢で抱き込まれているもんだから、思いっきり胸に顔うずめちまってた。動こうにも動けない。 「…あ、あの…芹香、さん?」  声が芹香の制服ごしなんで、くぐもって聞こえる。 「…」 「だ、大丈夫ですかってその、芹香さんこそ…え?問題ない?で、でも…ごめんなさい。ぶつかったりしてその…」 「…」  なんか、なでなでされてるし、俺。…う〜む、あいかわらず芹香の「なでなで」は気持ちいいなぁ。最近はふたりで勉強会とかやってるかわりに、こういうのんびりしたスキンシップの方がご無沙汰気味だからなぁ。 「ひろみちゃんっ!!」 「!」  おっといけね。…なんか怒ってるみたいだな、あかり。なんでだ?? 「…」 「あ、来栖川先輩おはようございます。…そ、そうですか?じゃ、来栖川…さん」  お、あかりすげえな、なにげに。俺とセバス以外で芹香と普通に会話できるやつなんて、親族以外じゃかなりレアだと思うんだが? 「ほんとにすみません、来栖川さん。ひろみちゃんがご迷惑おかけしちゃってもうほんとに…そう言っていただけると助かります。はい、はい」 「…」  …俺にはちゃんとふたりの会話は聞こえる。聞こえるんだが…。 「「…」」  うむ、やっぱり周囲のパンピーにゃ芹香の声は聞こえねーみたいだな。芹香ってあんまり口も動かさないし、たぶん奴等の耳にゃ、あかりがまるで電話口でしゃべってるみたいに聞こえてるんだろうなぁ…うん、やっぱそうだ。怪訝そうな顔してく奴等、結構いるみたいだし。  …て、あれ?あいつら、あかりじゃなくこっち見てねーか? 「く、来栖川さん。もういいよ、大丈夫だから放してもらえる?」 「…」 「い、いや、お嫌いですかってそういう問題じゃなくって、その…も、もの凄く目立ってるんだけど?」 「…」  芹香が周囲を見る。と、今まで見てた奴等は一斉に目をそむけ、気まずそうに去りはじめた。 「…」 「だ、誰も見てないですよって、見てないんじゃなくてそれは単に…」 「…」 「いや、だからぁ。好きとか嫌いとかじゃなくってぇ〜」  あぁぁぁぁぁもう、こっちの芹香もあっちと同じかいっ!なんでこういう時に限って妙に曲解したりするんだよもうっ! 「!」 「?…どしたんですか?芹香さん?」 「…」  あ、なんか疑いの眼。…う、ううむ。やはり何かまずったか? 「…」 「あ、はい」  あかりさん、と芹香は俺の頭ごしにあかりに呼び掛けた。 「え…ひろみちゃん借りたいってそれ、どういう…火急の用件、ですか?はぁ…それはかまいませんけど、でももう授業はじまるし…」 「…」 「とても重要な用件、ですか?…じ、じゃあ、私も…ダメ?どうしてですか?」 「…」  芹香はきっぱりと、あなたが来ても役に立たないばかりか危険ですからと言い切った。…むぅ、やっぱりこりゃ疑われてるな。 「…わかりました」  芹香の態度に気圧されるように、あかりはすごすごと引き下がった。        やはりというか当然というか、オカルト研はこっちの世界でもほとんど変わらなかった。  あれ?そういえば芹香、なんで今日、学校に来たんだろ?こっちじゃ学年が違うのかな?まだ制服着てるし。 「(…さて、ここでいいでしょう)」  珍しいことに、芹香は小さいけど、ちゃんと聞こえる声を出して俺に対峙した。 「(あなたは誰ですか?どうして、ひろみちゃんに憑依しているんですか?)」 「この身体が藤田ひろみ本人だってのはわかるんだな」 「(はい。抱き心地が一緒ですから)」  なにげにあぶない発言を平然とする芹香に、俺は苦笑した。 「誰だ、か…説明しにくいな。でも、俺の知ってる芹香ならきっと察しがつくんじゃねぇかな?」 「……」  じーっと俺をみる、芹香。…むぅ、こんなきつい目もするんだな、芹香って。まぁ綾香の姉貴なんだし当然か。 「…まぁいい。俺の名は藤田浩之ってんだ。立場は…芹香の目ならわかるんじゃねーか?」 「…(そうですか。ええ、わかります…正直、驚きましたけれど)」  そこまで言うと、芹香はハァ、とため息をつき、きつい目をするのをやめた。  俺は芹香に、どうしてこうなったのか、自分のわかる範囲で説明した。練習試合のこと、経験を高めるために平行世界の自分にコンタクトしようとした事、目覚めたらこうなってた事。 「…」  しばらく聞いていた芹香は、はぁ、と小さくため息をついた。…なにげにこの芹香、どっか綾香っぽいな。こっちの俺の影響なのか?それとも、メニールって性別のせいか? 「(それだと、『私』の術式はたぶん間違いないと思います。推測ですが)」 「え?で、でもさ芹香」 「(浩之さん、術式の途中で何か考えませんでした?)」 「何って……!」  そ、そうだ。俺、昔のこと思い出してたんだっけ。 「…」  芹香は、小さく頷くと、俺にもわかるように説明してくれた。  俺たちのやってた儀式というのは、本来は異世界の自分を依代としてそこに間借りし、その世界を訪問するためのものなんだそうだ…SF的にいえばサイコトラベルってやつか。その術式はこっちの芹香も知ってて、自分でもやった事があるからたぶん間違いないということだった。  で、問題はその制御方法なんだそうだ。  以前芹香が言ってたように、魔法は意志の力で成すものだ。だから芹香は、格闘技に通じた俺を想像し、その世界にチャネルしようとしたわけだ。うまくいけばその世界の俺とこの俺がつながり、経験や記憶の一部を共有するかたちでコピーすることができる。これが芹香本人ならその世界に「訪問」する事になってしまうが俺には芹香のような力も知識もない。だから接触しデータは流れるがそれ以上にはならない、というのが芹香の計算だった、というわけだ。  そこに俺の意志が介在してしまい、接続先が狂ってしまった。 「(そしてもうひとつ。…おそらく以前は違ったのでしょうけど、今の浩之さんはかなり魔力が増大していますね。おそらく、そちらの"私"の影響なのでしょうね…"私"は、それを過小評価してしまったんでしょう)」 「俺の、魔力?」 「(はい)」  かなりの力を感じますよ、と芹香は微笑んだ…おいおいマジかよ。  もともと、藤田ひろみも俺と同じく芹香の魔法につきあってたらしい。おそらくはそれもまずい方向に働いたんだろう。男と女、という異質の存在であるがゆえに俺たちの精神は素直につながらず、バランスが狂った。そして結果として魔法は「本来の姿で」働き、俺はこっちの世界にきてしまった、というわけだ。 「じゃあ…こっちの俺、藤田ひろみはどうなったんだ?」 「…」  なるほど。俺の代わりに向こうにいるってわけか。…今ごろ仰天してんだろうなぁ。 「…」 「ふうん…そっか。さすがの芹香も今すぐ戻すのは無理、か。だろうな。あっちの芹香も、これは深夜じゃないと無理だって言ってたしな。…ごめんな、こんな面倒頼んじまって」 「…」  かまいませんよ、と芹香は微笑んだ。 [#改ページ] 異世界[#「 異世界」は中見出し]  夜になるまでとりあえず待機、という事になった。  最初は、授業に出ようかと思ったんだ。あかりや芹香の話から総合すれば、俺の世界の男はほとんどが女に、女も大多数がメニールになっているらしい。ふたなり志保とか女の雅史を見てみたい、という好奇心はもうバリバリにあるんだが、芹香の忠告を聞いた途端、俺はそれをする気が失せてしまったんだ。  こっちの俺…藤田ひろみはなんと、逆ハーレム状態になっているんだと。  考えてみりゃ、いかにあかりと幼なじみとはいえ朝、部屋にいたって事は少なくとも合鍵持ってて出入り自由、あるいはうちに泊まってたという事を意味する。ひろみにその気はなくともあかりはメニールだ。肉体関係にはなっていないだろうが、もしかしたらもう時間の問題なのかもしれない。  芹香の知る限り、藤田邸によく出入りしているのはあかり、委員長、レミィ、それに琴音ちゃん。うち、決定的な関係なのは琴音ちゃんなんだと。 「…でも、どうしてそんなことわかるんだ?」 「…」 「知りたいですかって……い、いややめとく。なんかわかっちまった。」 「…」  いくら俺が朴念仁でも、芹香の怒った顔みりゃ一発で理由はわかった。  ちょっと意外だったのが、セリオとマルチだ。ふたりのテスト期間はずっと前に終わってて、今は発売待ちなんだそうだ。ふたりとも俺と遊んだりした事があるばかりか、期間中に俺が風邪をひき、ふたりがかりで看病もしてくれたらしい。 「へぇ。俺んとこじゃそんなイベントなかったなぁ。ちょっとうらやましいな」 「…」 「え?…マジ?」 「…」  ど、どうやらこっちの俺、高熱出してセリオに坐薬突っこまれたらしい……哀れなやつ。 「でも、そっかぁ。楽しそうでなによりだな。世界も立場も違えど、こっちの俺は俺でちゃんと楽しく過ごしてるんだな。安心したよ」 「…」 「え?コーヒー飲みますかって?悪いな。うん、もらうよ」 「…」  芹香は携帯用のポットを持参していた。妙に手回しのいいのとカップに「ひろみちゃん用」と書いてあるのがいろんな意味で気になったが、あえて気にしない事にした。 「いただきまーす……?」  口をつけた途端、俺の中で何かがぴりりと警告を発した。 「…」 「え?飲まないのかって?………なあ芹香」 「…」 「これ……何か入れてるだろ?」 「!」  おぉ、うろたえてるうろたえてる。やっぱ、俺んとこの芹香より微妙に表情豊かだな。 「あのなぁ。俺に薬もってどうすんだっての。中身は別人だってわかってるくせに」 「…」 「いや、すみませんじゃねえって。それに芹香、もしかしてだけど、いつもこんな事してんのか?」 「…」  ひろみちゃんの生理は昨日までのはずですから、と芹香は平然と言ってのけた。 「はぁ、凄いななんか。積極的というか動物的というか…あっちの芹香も確かに積極的だけど、桁が違うというか」 「…」 「メニールですから、か。…よくわかんないんだけどさ、やっぱそのメニールって、男みたいに性欲バリバリなわけ?」 「…」  オトコというものが私はよくわからない、と言いながらも、芹香はメニールについて説明してくれた。それはあかりのそれよりかなり詳細なもので、気づけば俺は結構マジになって、芹香の話を興味深く聞いていた。        この世界にも、ずっと昔には男が存在したらしい。  だがいつの時代か、男は急速に死に絶えてしまったらしい。厳密には、哺乳類のオスの全て。原因はわかっていないが、一種の伝染病ではないか、ということが推測されているんだそうだ。  当然、大多数の哺乳類は絶滅した。だからこの世界にはネズミや猫の類がいない。生き残っている哺乳類は人類のみで、しかもそれも俺の世界よりかなり数が少ないようだ。この地上にあって全人類の人口はたったの2億人。俺の世界の実に三十分の一という少なさだが、近年のめちゃくちゃな人口爆発がきちんと起きて、やっとこの数になったらしい。一時は絶滅直前まで減ったというから、どれだけの壮絶なカタストロフが起きたかはもう想像もつかない。  そんなある時、メニールが出現したんだそうだ。  一説には異星人の血が入ったとか、突然変異の果てだとか言われているがこれも仔細は謎。とにかく突如としてセックスする能力をもつ女性が出現したらしい。彼女たちはその地域の女たちに次々に子供を産ませた。そんなことが世界中で起きた。産まれた子どもたちは全員女の子だったが、その何割かはやはりメニールに変化。以来、女とメニールという不思議な性がこの世界に定着した、というわけだ。  ちなみに、あかりはメニールを「ふたなり」と言ったがメニールの女性機能は明らかにゆっくりと低下しているんだそうだ。変化する平均年齢もゆっくりとだが低下していて、学者の計算ではあと五千年以内には、メニールは本来の「男性」に近い形…つまり女性機能をいっさい持たず、産まれた時からの完全な男性体…にまで到達するだろう、とされているらしい。 「はぁ…すごいもんだな。じゃあいずれはこの世界も、男と女の世界に戻る、というわけか。」 「…」  それまで人類がもてば、と不吉な言葉をつけて芹香は肯定した。  メニールの起源が何かは未だわからないが、ある種の異常である事だけは間違いないという。その証拠にメニールの多くは苛烈なほどの強い性欲をもつ半面、女性よりかなり短命なんだと。だからこの世界では俺の世界より性に関する禁忌が弱いし、若くして母親になっても周囲は何も言わないんだという。子孫繁栄が重要視されているからだ。 「そうなのか…じゃあ、藤田ひろみもいずれ母親になるって事か?」 「…」 「そ、そうなのか?」 「…」  結納はもうすませてます、と芹香は頬を染めて微笑んだ。 「そっか…!ちょ、ちょっと待てよ」 「?」 「結納ってことは婚約だろ?なのにこっちの俺、他の子とも寝てるのか?それってまずいんじゃ…」 「?」 「まずくない?なんでさ?浮気だろ?」 「???」 「え…浮気って何ですかって……なんだぁ!?」 「…」  ど、どういう世界なんだここ? 「そ、そういえばさ」 「?」  よくわからんが、どうやら俺の理解できるような世界じゃない気がしてきた。別の事でも聞くか。 「綾香も誰かと婚約してるのか?あいつもメニールなんだろ?」 「…(ふるふる)」 「え?あいつは相手いないの?」 「…(ふるふる)」 「あ、やっぱいるんだ。じゃあなんで結婚しねえんだ?ここじゃみんな早いんだろ?」 「…」 「…へ?あぁなるほど。結婚ってのは経済的理由でするもんなのか。なるほど、来栖川なら無理に結婚しなくても大丈夫だもんな。…じゃあ、相手はいるんだな」 「…(こくこく)」 「…?なんか不機嫌だな。そんな嫌なやつなのか?」 「…」 「……はぁ?相手は俺!?どういうこったそれ?」 「…」 「し、姉妹ワンセットって、あ、あのなぁ…」 「???」 「いや、何か変ですかって、変だろうがそれは!」 「???」  …わからん、この世界、変すぎだ。俺は頭を抱えるしかなかった。 [#改ページ] 妹[#「 妹」は中見出し]  夕刻になった。  いよいよ芹香が、儀式の準備をはじめた。事前にやる術式があるという事で、芹香はさっきからぶつぶつと何かを詠唱しつつ、魔方陣をあれこれいじっている。俺はやる事もなく、そのさまをじっと見ていた。  …奇麗だよな、芹香って実際。  あっちの俺と芹香。こっちの二人みたいに結婚、までたどり着けるのか…それは今はまだわからない。やっぱり家の問題とかは大きいと思うし。俺たち二人はよくても結婚ってのはそれだけじゃない…そう思える程度には、俺も大人になりはじめていた。  けど、そんなのは嫌だ。  結局、俺は俺だ。常識で考えれば敵うはずもない綾香とのバトルに血道をあげるんだってそうだろう。できるできない、じゃない。やるかやらないかだ。やってみなきゃわかるもんか。さすがに結婚となれば他人を巻き込むから簡単にゃいかねーが、だからといってあきらめてたらそれは俺じゃない。足掻けるだけは足掻いてやるさ。 「…」  さらさらの髪を、芹香は何度も脇によける。うつむきがちだから邪魔になるようだ。俺はポニテを止めてるリボンを外した。さらり、と、柔らかい髪の感触が顔につく。  ……そうだ。この身体も、俺のじゃない。 「…」  いや、そんな事はどうでもいい。目の前の芹香だって俺の芹香じゃない。だけど芹香だ。だから俺のやる事も変わらない。 「芹香」 「?」 「止めてやる」  あ、と小さくつぶやく芹香を無視し、髪を後ろで止めてやる。なんだか芹香は恥ずかしそうだ。コーヒーに薬入れようとするような奴なのに、なんだかなあ。やっぱりこういうとこ、芹香なんだな。 「…よし、これでいい。邪魔してごめんな」 「…」  ふるふると首をふり、ありがとうと小さく微笑み…芹香は作業に戻った。と、 「姉さん!」  バタンと扉が開き、懐かしいヤツがジーンズ姿でそこに現れた。 「もう、ここにいたのね。なんで制服まで着てるのよぉ。卒業してんのに何やってんだか」  あはは、やっぱりそうなんだ。という事は芹香のやつ、学校にもぐり込むためにわざわざ制服で来たんだな? 「あれ?あ!ひろみもここに居たんだ!」  にぱあ、と嬉しそうな顔になる綾香。…ほう、こいつもこんな素直な笑いするんだな。それとも、こっちの綾香だけなのかなこういうのって。 「ちょっとひろみ、姉さんをここに来させないでってあれほど言ったでしょ?わざわざそのために部屋まで改造したっていうのに、なんでまたこっち来ちゃうんだろもう。」 「あ〜綾香、悪いけどそれ、オレはわからねー。俺はひろみじゃないからな」 「…はぁ?」  おもむろに怪訝そうな声をあげる綾香。ま、そうだろな。 「…なに言ってるの、ひろみ?頭大丈夫?」 「勝手にひとをアレにすんな。だから言ってるだろ。俺は藤田ひろみじゃねえって」 「……そっくりさん?……なわけないわよねえ……」  じろじろと俺をみる、綾香。…う〜ん、なんと言い訳したもんかな。 「…ま、いっか。バカなこと言ってないで、ちゃんと姉さん見ててよひろみ。もうあの時みたいなことはごめんなんだからね」 「…あの時?」 「……ちょっと、ふざけるのもいいかげんにして…え?」 「…」  怒りかけた綾香だがその時、芹香が綾香の側にいくと、ぼそぼそと何か耳打ちした。…なんだ? 「…へ?ほんとにひろみじゃないの?マジ?」 「マジだ」 「…じゃあいったい誰なのよあんた?」 「藤田浩之ってんだ。まぁいろいろ言いたいだろうがあと数時間だけのつきあいなんでな、大目に見てくれると助かる」 「…はぁ?」  おぉ、綾香の困惑顔だ。ちょっとレアだなこりゃ。        もうしばらくかかりますから、という芹香のすすめに従い、俺は綾香は外に出た。  夕刻も深まり、外は次第に薄暗くなりつつあった。もう生徒は誰もいなくて、学校はすっかり静まりかえっていた。 「この時間、中庭なら大丈夫よ。姉さんがあんたと…ひろみとよくいるから」 「そうなんだ…お、サンキュな」 「…うん」  綾香のおごり、という世にも珍しい缶コーヒーをうけとり、俺と綾香はベンチに座った。 「……」 「なんだ?綾香」 「…確かに違うわねえ。口調もしぐさも」 「まだ疑ってるのか?しょうがねえなあ。おめえらしくもない」 「知らないわよそんなの。だいだい私、一応は常識人のつもりなんだけど?」 「そりゃおめえ本人だけだろ?」 「!どういう意味よそれ!」 「悪く聞こえたんなら謝るよ。悪(わり)ぃ。けどおまえってそうじゃん。もともと帰国子女のせいか、どっかアメリカンなとこあったけどそれだけじゃねえ。物事にこだわらないっつーかなんつーか」 「??キコクシジョって、なに?」 「……は?」  俺は思わず、綾香の顔をまじまじと見てしまった。 「いや、だっておまえ、ガキの頃アメリカにいたんだろ?」 「な、何言ってんのよひろみ。私、あんたと幼稚園からずっといっしょじゃない!」 「……へぇ。」  そいつぁ驚いた。そんなとこまで違うのかよ。 「ほんっと変だわ、今日のひろみ。…信じられないけど…ほんとに姉さんの言う通り、よそから来たそっくりさんなわけ?」 「そっくりさんっていうのは少し違うな。だいたい違うのは中身だけで、この身体はおまえの知ってる藤田ひろみ本人のもんだしな。」 「……」 「だから、別人だからってあんまり乱暴に扱うなよ?元に戻ったら泣くのは俺じゃなく、ひろみなんだからな」 「……」 「…納得してくれたか?」 「…まぁね。信じられないけど…姉さんの言ってたことと一致するみたいだし」  ふう、と綾香はためいきをつくと、自分の缶コーヒーに口をつけた。 「…別の世界、ねえ?ずいぶんとおかしな言葉遣いだけど、あんた…えっと」 「浩之だ」 「そう…ヒロユキんとこじゃみんな、そんな言葉遣いなわけ?」 「いや、違うよ。芹香もおまえもあまり変わらねえし、あかりもそうだったな」 「へ?…あ、あぁ、そうか。そのあんたの世界とやらにも私や姉さんはいるわけか。でも、だったらどうしてヒロユキはそんな言葉使うの?それ、かわいくないと思うんだけど?」 「…そりゃ、この身体で使えばそうだろうな。でも仕方ねえよ。あっちじゃ俺、男だし」 「!?オトコ!?」  綾香の目が、僅かに開いた。 「いや、そう驚かれても困るんだが」 「な、何言ってるのよ、オトコよオトコ!!ま、ままままマジ?」  ううむ。魂消た綾香というのも、これまたレアだよなぁ。…なにげに面白いぞこりゃ。 「だから驚くなって。だいたいそれ言うなら俺だってそうだぞ?俺の世界にゃメニールなんて存在はないんだからな」 「!?…じ、じゃあ、私や姉さんってなに?そ、その、オトコなわけ?」 「…あのな、不気味なこと言うなよ。あっちじゃおまえたちゃ女だよ。来栖川の美人姉妹っていや有名人だぜ?」 「……」  完全に絶句、という顔で綾香は俺を見ていた。 「……じゃあ、ヒロユキってあっちじゃ誰と?」 「…芹香と恋人…って言っていいのかな?俺は少なくともそのつもりだよ。だからこっちでも、真っ先に芹香に事情を話したわけなんだが」 「…へぇ。ちょっと不思議ねそれ」 「?そうか?」 「うん、そう思う」  綾香はため息をつくと、もう夜になりつつある空を見上げた。 「…あんたのとこでどうだったか知らないけど、こっちでひろみと姉さんが知り合ったのって、結構最近なのよ?姉さんって魔法かぶれで人づきあい少ないし、特にメニールになってからは極端に人づきあいが減っちゃったから」 「……そうなのか?」 「うん」  手許に目線を戻した。…別にどこを見ている、というわけでもないようだ。手の中でカラになったらしい缶をもて遊んでいる。 「ひろみと私は、古いつきあいなの。あかり…神岸さんとこだったかな?出逢ったの」 「?あかりんとこでかぁ?…そりゃまたどうして?」  あかりと綾香?どういう組み合せなんだそりゃ? 「うちのメイママと…あぁ、メイママっていうのはメニールの母親のことね。あんたんとこじゃ何ていうの?」 「…男だから、『父親』だなその場合。庶民はオヤジなんて言う事もあるけど…で?」 「うん…メイママと神岸さんのお母さんが昔、つきあってたらしいの。あかりは戸籍こそ神岸だけど、メイママが一緒だから結縁的には姉妹なのよね、私たち」 「…複雑だなそりゃ」 「そう?」 「あぁ」  こっちの世界、やっぱこういう部分だけはどうにもアレだな。 「だからね、ひろみと私はずいぶん昔からの知り合いなの。でも姉さんは元々身体が弱かった事もあって、外にほとんど出ないで育ったのよ。姉さんとひろみが知り合ったのってたぶん、この学校でじゃないかな?…きっかけは私もよく知らないんだけど」 「…」  …まさかとは思うが、やっぱり「激突」なんじゃねえだろうな…マンガじゃねえんだからよぉ。 「俺も、芹香と知り合ったのはこの学校でだな。…おまえと知り合ったのはもっと後なんだけど」 「そうなの?……そっか。やっぱそれって、姉さんを通して知り合ったわけ?」 「いんや、それは違う」  俺はまだ残ってる缶コーヒーに口をやり、飲み干した。 「…おまえとはじめて逢ったのは、葵ちゃんの試合だったか」 「葵の?試合って何?」 「こっちにゃいないみたいだが、あっちには坂下って空手女がいてな。エクストリームに転向した葵ちゃんを空手に引きもどそうって、戦いを挑んできたんだよ。俺はその頃、葵ちゃんのコーチ兼エクストリーム同好会のメンバーでな」 「?コーチってどういうこと?あんた、その歳でもう引退してたの?」 「まさか。俺は初心者だぜ?ただ、葵ちゃんがひとりぼっちで頑張ってたから、コーチと称して手伝いをしてたってわけさ」 「!?初心者!?うそぉっ!?」 「へ?」  いきなりの大声に、俺は綾香の顔を見た。 「…?なに?綾香?」 「…なにそれ?何の冗談なの?」 「へ?冗談?」 「…あんたが初心者のわけないじゃない」 「え?え?」 「…って、そっか。あんた、ひろみじゃないんだもんね。……はぁ。でも信じられないわねえ。」 「…よくわかんねえけど、ひろみってそんなに凄いのか?」 「…凄いわよ」  綾香は、地面を見つめながらつぶやいた。 「…たった一年よ」 「?」 「私だって、空手界じゃ神童なんて言われてた。葵だって、将来を有望視されてた。それをよ」 「…?」 「…それをひろみは、たった一年間の特訓で……葵を倒した」 「!?」  あ、葵ちゃんを倒しただってぇ!? 「……まさか、嘘だろ?葵ちゃんをか?」 「私だって嘘だと思ったわよ。ひろみって当時、ガキ大将の延長っていうか、ここいらのグレた子たちの頭とってるような子だったしね。ヒロユキもわかるでしょ?素人の喧嘩と格闘技がどれだけ違うものか」 「…ああ、わかる」 「だから私、怒ったのよ。卑怯な真似して楽しいのかって。ひろみって確かに喧嘩っ早い子だったけど卑怯なことは嫌いなとこがあった。なのにズルして葵をやっつけるなんて、許せなかった。だから決闘申し込んだの。性根を叩き直してあげるって」 「……」  はぁ、と、綾香はため息をついた。 「…確かに、私は勝てたわ」 「…」 「けど、戦ってみてよくわかった。ひろみの強さは天賦のものよ。私が努力で秀才になったとするなら、ひろみは紛れもなく天才だわ。それも実戦レベルの」 「…実戦レベル?」 「ええ、そう」  綾香は苦笑すると、俺の手から空き缶をとりあげた。 「私も葵も、純粋な格闘技ならひろみには負けない。でも、それは試合での話よ。ルールから離れて純粋に「戦闘」すれば、結果はわからない。状況によっては逆に倒されたでしょうね」 「…よくわかんねえ。どういうこった?」 「(くすっ)本当に初心者なのねヒロユキって。ま、いいわ」  立ち上がると、綾香は続けざまにひょい、ひょい、と空き缶を投げた。空き缶は綺麗な放物線を描くと、向こうに見える自販機横の篭に、ものの見事に吸い込まれた。  一瞬遅れて、かーん、がらがらという音が聞こえた。 「…うまいもんだな」 「まぁ、ね。…でもこれ、ひろみの真似なのよ?」 「へぇ」 「…んっ」  両手を後ろで組み、背伸びをする。芹香よりいくぶん大きい形のよい胸が強調するかのように見え、俺はちょっとだけドキリとした。 「ひろみは強いわ。エクストリームではちょっと使えない「強さ」なんだけど」 「…どういうことだ?」 「……実戦指向、かな。言うなれば」 「??」  綾香の顔が、険しくなっていた。 「確かに、エクストリームは実戦主体よ?でもね、やっぱりそれは試合なのよ。牙を抜かれた学生空手みたいな代物とは確かに違うけど、純粋な戦闘術とはやっぱり違う。まぁ当然よね?高校生レベルでもその戦闘力で本気で殺しあいなんかしたら、死人が出ちゃうもの。そうさせないために試合では最低限、死なせないためのルールがあるわけだし」 「…」 「けど、ひろみは違う。ひろみは、初撃主体なの」 「え?」 「考えてみて、ヒロユキ。かりに、ここに暗殺者がいるとするでしょ?彼女はグローブをはめ、ルールを守って戦うかしら?そもそも、リングで真正面から対峙するのかしら?違うでしょ?」 「!!」  俺はたぶん、顔色を変えたと思う。綾香は俺の気配に気づいたのか、うふふと笑った。 「そう。…暗殺者は、延々と戦わない。序々に相手の体力を奪うだの、判定勝ちに持ちこむだのなんて事するはずがない。気配すら出さずに気配を伺い、狙って確実に相手をダウンさせる。一撃で。わかるでしょこれは?」 「……」 「ひろみの戦い方は、まさにこれなのよ。ファイティングポーズもとらず、ろくに動きもしない。それどころか戦意すら見えない。でもその目は相手をじっと見てる。相手の癖を読み取り、動作や攻め方のパターンから弱みを見つけだし、そこに迷わず一撃を打ち込む。」 「…まさか。ほんとにそんなことできるのかよ?」 「できるわよ。現にひろみはそうやってるし」 「…」 「ひろみの戦いには、型というものがないの。葵を知ってるなら、あの子があの小さい身体を補うのにもの凄く苦労したのは知ってるでしょ?どうすれば破壊力のある攻撃ができるか。どうすれば体力を使いきる前に自分よりスタミナのある相手を叩きのめすか。あの子はそれを、打撃技の極意を研究し、それを極めるという方法で解決した」 「…あぁ、知ってる。こっちの葵ちゃんがどうやったかは知らねえけど、俺んとこじゃ葵ちゃん、中国拳法の門まで叩いた」 「中国拳法?…へぇ。」 「イロモノじゃねえぞ言っとくけど。朋拳って知ってるか?」 「……名前だけはね。…すごいわね。それを葵が?」 「ああ」 「…へえぇ。」  綾香は俺の言葉に何かを感じたのか、じっと考えこんでいた。 「…だったら、ヒロユキにはひろみの論理、理解できるかもね。」 「え?」 「えっとね、ヒロユキ。自分が、その葵と同じような力を持ってると想像してみて」 「…んなの想像できねえよ。男ってのは女を殴る拳なんて持たねえもんだ」 「へえ。オトコってそういうものなの?」 「ああ。ま、馬鹿はどこにでもいるけどな」 「なるほどね…でも考えて。ひろみは女よ。当然、ヒロユキのその理屈は通用しないわけよね?」 「!」  あ、それって…つまり? 「男は女を殴らない、でも、だったら同性なら殴れるわけでしょ?しかも相手は自分より遥かに体格も持久力も上。これならどう?ヒロユキならどう戦う?」 「そりゃ、一撃必殺狙うかもな。その力はあるんだし」 「…理由は?」 「理由?簡単じゃねえか。こっちがどう考えても不利なんだ。相手のペースに巻き込まれる前に速攻でケリをつける。それだけだ」 「……」 「?どうした?綾香」 「…それ、ひろみの論理と全く一緒よ。」 「!」 「わかるでしょ?ひろみは葵より若干ましだけど、やっぱり格闘家としては小さいわ。当然、戦う相手の大部分は自分より体力も持久力も上。掴まったら圧倒的に不利」 「…」 「だから、戦いになるとひろみは容赦がない。エクストリームでも生命に危険の及ぶような急所への攻撃は禁じられてるけど、格闘技っていうのはそんなに単純じゃない。エクストリームルールの範疇でもそれなりの実力とスキルがあれば、たったの一撃で相手を昏倒させる、ううん、もしかしたら殺すことだって充分に可能なのよ…まぁ普通はそんな事はないけどね。だって二本とるか判定勝ちに持ちこむ方がはるかに簡単だもの。大技は常にカウンターで大ダメージを受ける可能性があるわけだし、相手も素人じゃないんだものね。」 「ああ、わかる」 「だけど、ひろみはそうしない。理想は初撃、ダメでも攻撃開始から数秒とかそんな短時間でケリをつける。ちなみにエクストリームでついた仇名知ってる?『秒殺の魔女』よ」 「…そりゃまた…いやなふたつ名だな」 「そうね…で、こんな相手に葵が勝てると思う?」 「…試合なら勝てるだろ。葵ちゃんなら総合力で上まわるから、なんとか気力がもてば判定勝ちに持ちこめる。」 「そう。…でもそれって裏返せば、実戦じゃ勝てないって事にならない?」 「…」 「葵とひろみの一騎打ちは、こうなったらしいの。…攻めあぐねて攻撃をためらった葵は、動かないひろみの発するプレッシャーに負けた。何分後かしら?一瞬だけ、ほんの僅かにのぞいた隙を狙って」 「あ、そりゃダメだろ。終わったな」 「ええそう。次の瞬間には床に伸びてたそうよ。」  綾香は、ふうっとため息をついた。そのしぐさが妙に色っぽくて、俺は居心地が悪くなった。  …やっぱり、なんだかんだいって姉妹なんだ。芹香と。  あっちの世界でも、俺は何度となく綾香にドギマギさせられた。なんせ、そっくりだし。水と油みたいに見えて性格的にも似ている部分あるし。綾香もそれがわかってるみたいで、芹香とつきあうようになってからこっち、ずいぶんと綾香には遊ばれたもんだ。  …その綾香が、無防備な顔をして俺の隣でため息をついてる。…まぁ、女じゃなくメニールだって事も無防備さにひと役かってるんだろうけど。 「……」 「……」  そうやって、何分ふたりして座ってたろう?  涼しい風が、俺達を包んでいた。季節は秋。夕刻の赤みもいつしかほとんど消えて、空にはもう星がまたたきはじめていた。 「……ねえ、ヒロユキ」 「ん?なんだ?綾香」 「……していい?」 「…はぁ!?」  いきなりの綾香の発言に、俺の目はたぶん、点になっていただろう。 「えらく唐突だな。女なんだからちったぁデリカシーってもんをよぉ」 「?何言ってるの?メニールだってば」 「!」  あ、そうか。ここじゃ俺が女で綾香はメニールか…なんだかな。いつもの綾香と全然変わらねえから、どうにも変な感じだぜおい。 「やだ」 「どうして?私とひろみの仲じゃない。しかもこのシチュエーション。ヒロユキもそんな気分だったんでしょ?」 「いや、だから俺は男」  ってこれ、口説き文句じゃねえのか?男女逆だろそりゃ……ってそうか。逆なのか実際。  …ってちょっと待て!するってえとこの状況って、お、おいおいおいおいおいっ!!! 「まて、タンマ、リセット!」 「はいはい、いいから力抜いて〜」 「どわぁぁぁっ!!」  抱きしめられそうになった瞬間、俺は全力で綾香に突っこんだ。 「え!?」  おそらく、綾香は俺が逃げようとすると思ったんだろう。実際俺もそのつもりだった。だが俺の…というかこの身体は逆に反応した…つまり、捕まえる力に逆らわず、ほどんどゼロ距離から体当りをかます事により、ベンチに座ったままの綾香の姿勢を崩す事に成功したわけだ。しかもすかさず身体をひねり、倒れ込む身体を支えるために力の抜けた綾香の手をすりぬけ、今度こそ後ろに飛びさがって距離をとる。  …これって、身体が覚えてるってことだよなぁ、やっぱり。 「くぅ…中身が違うからうまくいくと思ったのに」 「悪いな、綾香。俺は男なんでな。逆レイプってのはやっぱごめんだ」 「…ひろみはやっぱりひろみ、か。昔っからそうよねひろみって。あの頃素直に私のものにしてれば、姉さんなんかに取られずにすんだのに」  おいおい、発言があぶねえぞ綾香。 「どうしてなの、ひろみ?姉さんなら許すのに、どうして私はダメなの?」 「あのなぁ、俺にわからねえ話すんなよ。そんなのは当人が戻ってから二人でやれ」 「察しなさいよそんなの!!もう、なんでそんなとこまで一緒なの?ほんとにあんた、ひろみと別人?」 「い、いや、だからあのな、そんな事言われても俺にはわけがわからねえ…」  なんか綾香のやつ、どうしようもなく暴走してるっぽいぞ。なんなんだいったい? 「結婚がダメなら愛人でいいって言ったじゃない!そこまで譲歩したのに!姉さんもいいって言ってくれてるのに!なんで?なんでなの?」 「いや、なんでって言われても…」  …だがなんとなく、俺には事情がわかるような気がした。  俺とこの「俺」。綾香の言うように性格から何からよく似てるんだとしたら、たぶんこれは正しいんだろうと思う…いやたぶんまちがいない。  こっちの俺にとっても、綾香は親友みたいなもんなんだ。だから綾香の想いには応えられねえ…つまりはそういう事だ。俺は時として男女関係にだらしない奴だが、友人関係に関しては別のつもりだ。綾香は性別がどうの以前に俺にとっては親友であり、気のあう愉快な「義妹」。こればっかりは芹香とくっついている限り、たぶんこっちでも変わりないんだ。  だから俺は考えた末、言う事にした。 「なぁ綾香」 「何よ」 「こっちの俺が、どう応えるつもりなのかはわからねえ。でも、俺と「俺」がそこまで似たもの同士ってんなら、「俺」の考えてることは俺もなんとなくわかる気がするぞ」 「……」 「たぶん、「俺」はおまえと、性別とかなんとかを抜きにした関係でいたいんだ。嫌いじゃねえ。むしろ、誰よりも好きだ。ある意味、芹香よりもな。だけどそれは、男女…ってこっちじゃ女とメニールか。そういうの、こっちじゃなんて言うのか知らねえけど、そういう関係にしてしまいたくねえんだよ、推測だけどな。」 「……」 「そんな顔すんなよ。俺だって辛くないわけじゃねえんだぞ?でもな…こっちの「俺」が俺と同類ならそう考えてるはずだ。いや考えてる。愛してないとは言わない。いやむしろ愛してるんだろ。でも、芹香と比べたくないんだよ。どっちがどれだけ好き、なんて事になりたくない。…ああぁ、自分でも何言ってんだかわからねえぞ畜生。でもそういう事なんだよ。なぁ」 「……」 「……綾香?」 「……」  綾香は、じっと考えこんでいる様子だった。…なんなんだ? 「…それって」 「え?」 「それって…ヒロユキの本心なんだ?」 「…ま、まぁな。こっぱずかしいが、たぶんそうだろ」 「へぇ…」  な、なんだなんだ?今度はニヤニヤ笑い出したぞ? 「なぁるほど、ねえ。そんなとこまで……あははは、面白いなそれって」 「はぁ?」 「ヒロユキ…それ、あんたの世界の私にはもう言った?」 「…何言いだすかと思えば。言うわけねえだろそんなの。独占欲強いんだぞあっちの芹香。大騒ぎになっちまう」 「そ…でも、いつかは言う羽目になるわよたぶん、それ」 「…?」  くっくっくっ、と綾香は楽しそうに笑った。…なんだかな。あっちの綾香とおんなじ笑いだぜおい。 「…おい、俺にはちっともわけわかんねえんだが?」 「いいのいいの。なんとなくわかったから。…ま、そうね。ひろみが戻って来たらもう1度迫ってみるわ。やっぱ姉さんには負けたくないもの」 「…ほどほどにしてやれよ。俺は男だが「俺」は女なんだからな」 「ん、わかってる。…さて、そろそろ帰ろっと」 「?なんだ、このまま儀式を待つんじゃないのか?」 「私は姉さんのあれ、苦手だもの。そういうのはひろみとヒロユキに任せとくわ。「私」もきっとそういうスタンスなんでしょ?」 「…まぁな。よくわかるな。」 「だって私だもん。…じゃあ、またね。姉さんに、携帯に連絡してって言っといて。長瀬をよこすから」 「ああ、またな。…けど、たぶんもう逢えないと思うぞ?なんたって別世界なんだからな」 「…逢えるわよたぶん。ひろみがひろみである限り、ヒロユキがヒロユキである限り、ね」 「???…わけわかんねえな…ま、いいか。」 「ん、じゃあねヒロユキ」 「ああ」 [#改ページ] 謎が謎を呼ぶ[#「 謎が謎を呼ぶ」は中見出し]  綾香が帰り、俺はひとりになった。  芹香のとこに戻ろうか、とも思った。だけど、その前にやるべき事をひとつ思い出したから、じっとそのままそこに佇んでいた。 「……」  細い手。僅かにふくらんだ胸。…これが俺ってのはやっぱり妙な話だ。けど、ひとつだけ確信できている事がある。  …この身体は、強い。本来の主は、このほっそりした身体で葵ちゃんをも倒したっていうんだ。だったら少しの時間でも、勉強しとかねえ手はないだろ。 「…よしっ!」  俺は、誰もいないグラウンドに向かって走り出した。        誰もいない夜のグラウンド。外灯がいくつかついているから最低限の明るさはあるが、クラブ活動なんかには不向きなほどに暗く、ただ広いグラウンドだった。 「…ここらでいいか」  着替える必要はないだろう。あったとしても体操服は持ってない。だからそれは気にしない事にして、俺はグラウンド中央に立った。 「………はっ!」  まずは身体の動くまま、身体に染み着いてる型を引き出そうとしてみる。 「……」  無理か。やはり他人の身体ってことか、それともそういう訓練は元々してないのか。  考えなおして、今度は軽く走ってみる。…んん、軽いぞこりゃ。ウエイトの軽さのわりに筋力はかなりある。これならもっとペースをあげてもいいようだ。 「…は、は、はっ!」  おぉぉぉっ!なんだこりゃ、は、速ぇっ!!ど、どういう鍛え方してんだこっちの俺!?  うはははは、動く!動くぞ!手も足も、俺のイメージそのままにタイムラグぬきできっちりトレースしてきやがる!すんげえすんげえ、まるで格ゲーじゃねえかっ!  思いのままに、格ゲーや格闘技の本で見た型をいろいろ試してみる。…信じられん。厳密には鏡でも見て確認しなくちゃならねえんだろうが、思いのままになんでもトレースしやがる。どうなってんだこりゃあっ!! 「…い、いったい…どうなってんだこれ…?」  しばらく走り回り、動き回ったあと、俺は息をつきながら考えていた。 「……」  どう考えても、この身体は異常な気がする。  綾香や葵ちゃんに前聞いた話だと、「完全に」イメージ通りに身体がサクサク動くっていうのは、かなりきっちりとできあがった身体でも無理なんだそうだ。そりゃ鍛えれば相当のとこまでは行けるのも事実だけど、頭でいくらイメージしても、身体がイメージした通りにきっちり動くというのはただごとじゃない。ていうか不可能。普通はイメージと実際の動きにはどうしてもズレがあるもんで、そこんとこを摺り合わせるのが格闘技の訓練。基礎体力をきっちり行って作り上げた身体に今度は効率的な型づくりと実戦的な攻防訓練のくりかえしをする事により、心身のずれをすりあわせる。そうする事によりはじめて、「イメージに極めて近い」戦闘ができるようになるものらしいんだよな。  …しかしそれはあくまで「極めて近い」だ。当然、まかり間違っても格ゲーのイメージ通りにサクサク羽根のごとく動く、なんて事はありえない。つーか動くわけねえだろ普通。だって物質には慣性だのなんだの色々あるんだぜ?いったいどうなってんだ?  なぜなんだろう?…まぁとりあえず、思い通りに動いてくれるのはめちゃくちゃ有難いけどな。いろいろと突っこんでみたい部分は誇張でなく山のようにあるが解説するべき奴は今ここにいない。俺が戻れば入れ換わりにこっちに戻っちまう。だから尋いてみる事もできない。 「…ま、対綾香戦の研究でもすっか!」  こんな非常識な身体で研究した事がどれだけ役立つもんか怪しいとこだが、やらねえよりマシだろ。 「んじゃ、とりあえず攻略だよな。綾香の癖といえば…」  目の前の問題を無視して、俺は作戦をたてはじめた。 [#改ページ] サドンデス[#「 サドンデス」は中見出し] 「…なぁ芹香。どうしてもそれが必要なわけ?」 「(こくこく)」 「ほんとか?単に趣味なんじゃねえか?」 「……(ふるふる)」 「…じゃ、今の間(ま)はなんだ?」 「…」 「いや、だったら中止するって、そ、そりゃねえよ芹香。帰りたいんだって俺は」 「…」 「ま、まて、それほんとか?」 「…(こくこく)」  …あー、わけわかんねえよとお嘆きの諸賢のために説明するとしよう。  俺はいよいよ、元に世界に戻るべくオカルト研に戻った。戻ると芹香も準備完了したらいく、いつもの魔法使いルックで俺を歓迎してくれたんだ。  そこまではよかった。よかったんだが…。    ……なんで魔法の儀式するのに、すっぽんぽんにならにゃいかんのだ?    しかも、しかもだぞ!靴下だけは脱ぐなと言うんだぞこれが!なんなんだよこの変態ルックなかっこは!両親が見たら泣くぞもう。女になったあげく全裸にソックスだって?この俺が、この、クールガイと巷で評判の藤田浩之が!全裸にソックス!!しかも貧乳!!ちんこなし!!ひどい、ひどすぎるよママン!! 「(…いったいどのあたりがクールなんでしょうか?)」 「何か言ったか?芹香?」 「…(ふるふる)」  …もしかしてこっちの芹香、なにげにやばくねえか?俺、騙されてんじゃねえのかもしかして? 「と、とりあえず、これが成功すれば帰れるんだな芹香?」 「…(こくこく)」 「よし、帰るぞ!帰ったら綾香をぶちのめすんだ!!わははは、待ってろよマイハニー!!」 「……」  う〜ん、なんか気分がハイだなぁ。芹香に飲まされた薬のせいか?ま、いっか。 「……」  芹香はなんだか、面白そうに俺を見ていた。        さて、ここらで芹香に聞いた儀式のレシピを説明しよう。  こっちに来る際、あっちの芹香が俺に使ったのは「越界の呪法」というものらしい。こり術法は移転先に「もとひとりの自分」を必要とするかわりに、双方の世界に安定したパイプを渡せるらしい。これは今も有効に作用し続けている。つまり俺と「俺」は今も、不可視の力で世界を越えてつながっているんだそうだ。  だけど、当然ながらこの状態は正常とはいえない。だから放っておくと「世界」そのものがその歪みを矯正しようとする。つまりパイプを切断し、俺と「俺」を別個の存在に戻してしまうんだと。  だったら、放っておけば帰れるんだろ、と思ったんだがそれは甘いそうだ。その場合、俺と「俺」の配置はそのまま、つまり俺はここで「藤田ひろみ」のまま元の世界と切り離される。ようするに帰る事が二度とできなくなってしまうばかりか俺は急速にこの身体と馴染んでしまう。ようするに精神まで女性化してしまう、というのだ。それは困る。俺は女として生きるつもりはない。俺は藤田ひろみでなく、藤田浩之なんだから。それはあっちに行ってるひろみ本人も同様だろう。  そこで、芹香の出番となる。  芹香の儀式は、その「元に戻ろうとする強制力」をわざと活性化する。そしてその際のエネルギーを利用して、入れ換わった俺の意識を向こう側に押し戻すんだそうだ。当然ながら「俺」はその時、俺に押し出されてこっちに戻ってくる。そして双方の肉体にそれぞれのココロが戻ったところでパイプが耐えかねて破損、めでたしめでたし、というカラクリ…という事だ。  正直、俺にはさっぱりわけがわかんねえ。だけど芹香はこの道の専門家だし、任せるのが一番だと思う。だから俺は気にしない事にした。  なお、芹香の話だとこの方式にはひとつだけ穴があるんだそうだ。それは俺か「俺」のどちらかが元に戻る事を欲しなかった場合。まぁありえねえと思うがこの場合は当然ながら帰れなくなるんだと……ま、そんな事ありゃしねえだろうけど。 「…」 「え?残念ですって何がだ?芹香?」 「…」 「…へぇ、そうなのか。でもま、そりゃ俺にはどうにもならねえよ。わかってると思うけど」 「…」 「あぁ」  芹香が言うには、俺と「俺」はよく似ているが、ひとつだけ違う点があるんだそうだ。  藤田ひろみがこっちの世界で逆ハーレムやらかしてるっていうのは前言った通り。俺にはどうにも信じられないが「彼女」はひどく攻撃的な性格で、去年から今年にかけて何人ものメニールを次々と落としまくっては弄んでいたんだという。唯一食指を動かさなかったのは綾香くらいというから、それは相当な好き者なのだろう。  貴女は随分と慎み深いようですから、と芹香は言う…ほんとかよ?  そりゃあ、俺はあっちの世界じゃ芹香ひとすじだった。女友達はずいぶん増えたけどそれは親しいってだけで彼女って意味じゃない。かくいう俺自身、そういう関係になるのは芹香ひとりでいいと思ってる。友達が多いのは嬉しいけどな。  芹香がいうにはこっちの世界じゃ、そういう女の子は可愛い、という事になるらしい。まぁ、そうなのかもな。よくわからねえが、人口過少のこの世界じゃそういう子は貴重で、そういう子を手なづけて添いとげるのは、男のロマンならぬメニールの夢ってやつらしいんだ。 「よし、じゃあはじめてくれ」 「(こくこく)」  芹香はゆっくりと、最後の詠唱をはじめた。  窓のしめきったはずの室内に、ゆっくりと風がふきはじめた。魔方陣の中に何か異様なエネルギーが充ちるのが見える。これは俺自身の魔力のせいか、それとも芹香のパワーが凄いのか、いったいどっちなんだろうな?とにかく、暗い室内には不可視の「何か」がゆっくりと拡がっていった。 「…!」 「…」  お、おぉ?なんだあれ?  なんか、ワームホールっつーかゲートっつーか、穴みたいなのが拡がってくぞ。で、その「穴」の向こうにもオカ研があって、詠唱してる芹香がいて…。  …あ、俺だ。  女の俺じゃない、本来の俺「藤田浩之」があっちにいる。びっくり眼でこっちを見てる。たぶん奴の中身は「藤田ひろみ」なんだろう。学生服姿で、この俺をじっと見ている。  俺は芹香に言われていた通り、「藤田ひろみ」によびかけた。 「よぉ、『俺』」 「…はじめまして、かな?『私』?」 「なんだかな。自分の声ってのも奇妙だよな。しかも口調がカマっぽいし」 「それはこっちも一緒。堂にいった男言葉なんて…なんか妙よね」  俺たちは、穴のあっちとこっちでクスクス笑い合った。 「ま、いい。とりあえず時間がねえんだ。戻ろうぜお互いに」 「…」 「…?おい、どうした?」 「……やだ」 「!?なにぃぃぃっ!?」  俺ばかりじゃない。こっちの芹香も向こうの芹香も、目を丸くしていた。 「じょ、冗談じゃねえぞおいっ!!言ってる意味わかってんのかおまえ!?」 「もっちろん、わかってるぞ。藤田ひろみちゃん♪」 「!!!」  奴は、憎らしいほどに幸せそうな笑みを浮かべてやがった。 「こちとら、メニールになれなかったのが辛かったのよね〜。いくらガチンコ強くてもさ、やっぱり女は女だもん。芹香と結婚して子ども産むのは楽しみだったけど、こっちじゃメニールどころか、伝説の「男」なんだもん。悪いけど、帰るなんてごめんだね」 「な、ななななななっ!!!おまえなぁっ!!」 「ふふ、怒らない怒らない。こっちの綾香に聞いたよ?あんた、強くなりたかったんでしょ?いっとくけどその身体、めっちゃくちゃに強いんだよ?まだあんた、気づいてないと思うけど…そうね、「家」に帰ったら引き出しの中見てごらんよ。私の秘密がそこにあるから」 「そ、そういう問題じゃねえ!!戻れないんだぞもう!!それでもいいのかよっ!!こっちの芹香はどうすんだ?綾香たちだって」 「あんたがいるじゃない」 「!な…」  奴は、さすがに寂しそうに…それでも笑いは絶やさない。 「あんたの言いたい事、わかるよ。同一人物なんだから当然ったら当然だけどね。…だけど、だからこそ、あんたにもわかるんじゃない?私のこの気持ち。」 「…」 「ねえ」 「あ?」 「あんた…今日、誰と話した?」 「……あかりと、芹香。それに綾香だけだ」 「そっか。…私はそっちでつきあってたほとんど全員と話したよ。男言葉は苦労したけどね。」 「…」 「私、思う。これは衝動的な気持ちとかじゃない。私はこっちで暮らしたい」 「…」 「私が望んだ暮らしが、ここにはある。だから私は、帰りたくない。」 「…」 「あんたはどうなの?藤田浩之」 「…俺は、そっちに戻りてえよ」 「…無理なんじゃない?それ」 「?なんでだ?」 「……」  奴は、にぱあっと悪戯っぽい笑みをなげた。   「芹香、最後の命令。ワールドタイムゲート、オールクローズ。急いで」   「…(はい)」 「!?」  俺の背後でいきなり、芹香が呪文の詠唱をはじめた。  それは、何語かもさっぱりわからないものだった。いくつかの古い原語を芹香に習い、ラテン語とギリシャ語の区別くらいは何とかつきはじめている俺だったが、その俺も全く聞いた事のない、完全に未知の言語によるものだった。 「!」  その途端、向こうの芹香の顔色が変わった。焦りの形相を浮かべ似たような詠唱をはじめる。だが、 「あ、やめて芹香。時の迷子になっちゃうよ?」 「!」 「あの呪文、教えたでしょ?多層世界をつなぐ横穴、ワールドタイムゲートへの干渉をしてるのよ?当然、人間の魔力でそんなもの操作なんてできないけど、刺激を受けた『世界』には過剰な強制力が働いて全部のゲートが一斉に閉じてしまう。そんなのに干渉なんかしてごらんなさい。宙ぶらりん状態になってる私も浩之も、時空連続体の彼方までブッ飛ばされちゃうんだからね?いいの?」 「……」  向こうの芹香は、泣きそうな顔をしている。俺は背後を振り向いた。 「芹香!やめろ!いますぐやめるんだっ!!」 「…」 「あー、無駄無駄。無理だよそれ」 「貴様ぁっ!!」  にこにこと笑う奴に、俺は毒づいた。くそ、歯がゆさで涙が出そうだ。 「どのみち、もうゲートは閉じるしかない。そっちの芹香はそれを知ってる。このままの状態でゲートが自然閉鎖したら、私もあんたもそれに巻き込まれるからね。私が望まない限り、芹香にはそうやって閉じるしか選択肢がないんだよ?」 「…おまえ、そうまでしてそっちに残りたいのかよ…なんで」 「私は、メニールになりたかった…それだけよ」 「いいのかよ!こっちの奴等とはもう永遠に逢えないんだぞ!!」 「男だったあんたにはわからないでしょうね。こればっかりは…だから弁解はしないわ」 「……」 「ごめんね、もうひとりの私。…許してくれるとは思わないけど」 「…あぁ。絶対許さねえ。いつかそっちに戻って、てめえをブッ飛ばしてやる」 「殺す、とは言わないのね…やっぱりあんた、そっちにいるべきだわ」 「?」 「いいわ。…何年でも待ってる。でも、できれば来ない方があんたのためだけど」 「……」 「じゃあね、…幸せにね、ひろみちゃん」 「……」  それっきり、不意にゲートは小さくなり、消えてしまった。 「……」  俺は、呆然とその場に立ちつくしていた。  もう帰れない、そのことが俺にはまるで遠い夢のように感じられていた。目の前の閉じてしまった空間を、そのまま見つめ続けるしかなかった。 「……」  さようならひろみちゃん、という小さな声が、背後でぼそ、と響いた。 「…芹香」 「!」  びくっ!と、背後で反応する気配がした。 「…ワケも言えねえ、なんて言わないよな?当然話すよな?」 「……」  俺は、ゆっくりと芹香の方を振り向いた。 「……」  芹香は、怯えていた。俺の怒りがわかるんだろう。全身が小さく震えているのが見ていてわかった。 「どうしてあいつは残った?俺をあの世界から追い出してまで留まった理由はなんだ?教えろ、芹香」 「……」 「ふざけんな。話さなきゃ、いくらおまえでも絶対許さねえぞ」 「……」  わかりました、と芹香は小さくつぶやいた。        それに芹香と奴が気づいたのは、つい最近の事だったらしい。  俺の世界とこの世界は非常に近い距離にあり、干渉が続いていた。それは異常な事だった。通常、平行世界というのはどんなに近くとも別の世界だ。干渉しあうなんて事はありえない。なのに、だった。  ふたつが、類似の世界ならよかった。問題はふたつの世界が、いくつかの点で大きく違っていた事だ。  かたや、男が死に絶え人類が滅亡寸前までいった世界。かたや、そんな歴史を持たない世界。そのズレは少々大きすぎたらしい。水が高きから低きに流れるように、あるいは汚水と清水が混じるように、急激にふたつの世界は歪みはじめた。たまたま開きっぱなしだったひとつのワールド・タイムゲートを通じて。 「じゃ…それを止めるために今回の騒動を企んだってのか?」 「…」  はい、と芹香は答えた。  もともと、平行世界とは鏡のようなものだ。しかも両方には芹香というジョーカーがいる。奴と芹香は考えた末、綾香をたきつけて練習試合というイベントを起こさせたんだ。そうすればもうひとつの世界でも同様に、練習試合イベントが発生するとわかっていたから。  そして計算通り、向こうの芹香は俺に引きずられた。大昔から開きっぱなしのゲートを通り。 「でもわかんねえな。芹香の話を総合すりゃ、つまり俺の世界の方に何か異変が起きるってことだろ?どうしてあいつ、わざわざ危ない目に逢うような事するんだ?」 「…」 「…」 「(こくこく)」  芹香の話を聞いた俺は、頭がくらくらする思いがした。  ふたりが見たのは、俺が芹香たちを守りきれない世界だった。力の足りない俺は異変を前にしてどうする事もできず、友人たちを次々になくしてしまう。自分の無力さを悔ながら。  奴は、自分なら何とかできると考えたらしい。  そしてそれは、奴の望みでもあった。女でなく男でありたい、男として愛する者を守りたいと奴は考えていた。生命をかけてでも。  俺の世界はまさに、それにぴったりだったんだ。 「…じゃあ俺は、やっぱり帰れないのか」 「…」  帰しません、と芹香はきっぱり断言した。 「…そんな…そんなことって…」 「…」  うつむいた俺を、芹香は優しく抱きしめてくれた。 [#改ページ] 結話[#「 結話」は中見出し]  小さな端末の向こうには、凄まじいまでの光景が広がっていた。  突如、どこからともなく現れた化け物たち。世界はそれまでの平和を失った。なすすべもなく人類は敗退する。なにより敵の正体すらわからないんだ。次々と訪れる厄介なやつらに対抗する術ももたず、じりじりと追いつめられていった。 (綾香!) (わかってる、行くわよ浩之!) (ああ!)  そんな中、「俺」たちは戦っていた。  不慣れなはずの身体で、あいつは綾香と同様に戦っていた。セリオやマルチと共同戦線をはり、他の友人たちともうまく連係をとっていた。化け物たちを街から叩きだし、おそろしい世の中にあって、確実に秩序を維持しようと奮戦していた。  …確かに、こんな真似は俺にゃできないだろう。くやしいが。  奴は、おそろしいまでに戦術にも、戦略にも長けていた。持ち前の行動力と芹香・綾香たちの協力で警察や機動隊なんかとも渡りをつけ、俺達の街を、ひいては俺たちの世界を守るために文字通り奮戦していたんだ。生命をかけて。俺にはたぶんできない、歴戦の、本物のヒーローの顔で。 「…」 「…」  俺たちはため息をつき、小さな端末の電源を落とした。       「ひろみちゃん。もうこっちには慣れた?」 「ひろみじゃねえ。浩之だ俺は。言っただろあかり?」 「うん、だから慣れた?ひろみちゃん?」 「だぁぁぁ、聞いてやしねえし」 「???」  まったく、ひとっっっつも以前と変わりゃしねえぞあかりのやつ。中身は別人だって本当にわかってんのかこいつ? 「だって、ひろみちゃんでも浩之ちゃんでも一緒だよ。見てればそんな事わかるし」 「…あぁ?」 「あの日だってね、何かあったのかな、とは思ったよ?でも、ひろみちゃんはひろみちゃんって思ったの。だってそうでしょ?」 「…なに?」 「?」 「じゃ、じゃあおまえ、てことはあの日の朝もう気づいて…」 「ううんまさか。でもね、寝相も寝言も違うし、だいたいひろみちゃんは寝坊なんてしないもの。あれ?って感じ。まぁきっと、来栖川さん絡みなんだろうなって思ったけど」 「…」 「なに?ひろみちゃん?」 「…凄いなおまえは」 「??」  …やっぱり、あかりはあかり、か。あっちでも藤田浩之研究家なんて自称してやがったけど、こっちでも同様ってわけか?  朝の光の中、俺とあかりは歩いていた。  帰れなくなった俺は、藤田ひろみという女の子として生きるしかなかった。俺は考えた末、あかりたちには全ての事情を話す事にしたんだ。ごく親しい友人たち、それと幼なじみには、俺が俺でない事をきちんと話さなきゃならねえ。だって俺はひろみじゃないから。騙し続けるのは嫌だったから。  当然、芹香以外の全員が離れてしまう事も覚悟していた……だが。 「ひろみちゃん。スカートなんだから、そんな大股で歩いちゃダメ」 「!あ、そ、そっか。すまん」 「私を誘惑する気なら止めないけどね。でも、「ひろみちゃん」にはその気はないんでしょ?」 「あぁ、そうだ…ごめんな、あかり」 「ふふ、いいよ。だって、ひろみちゃんだもの」  なんだか以前より、さらに親しくなったのは気のせいなんだろうか? 「やっほーあかり。ひろみもおはよー!」 「お、出たな東スポ女」 「女じゃない!!だいたいトースポって何よトースポって!」 「あ、悪(わり)ぃ、ふたなり志保。今日もちんこでかいな」 「ば、ばばばばばかっ!!変な仇名つけないでよ!!浸透しちゃったらどうすんのよ!!」 「わはは」  ちなみに、スポーツ新聞がこっちの世界にはない。人口が少ないせいだろう。俺の世界にあった新聞のうち、朝◯や各種スポーツ新聞は軒並みこっちには存在しなかった…まぁ、時流に便乗して煽るだけの万年三流新聞社や三文記事で食ってるスポーツ紙が生き延びられるほど、この世の中には余裕がないってことだ。  驚いた事にコンビニすらなかった。ヤックも、あっちにあったようなハイテク装備のゲーセンもない。このあたりは俺としちゃ少々ショックだった。だが考えてみればあたりまえだ。そういう商売はひととモノが溢れてないと成り立たない。技術が遅れているわけではない。実際、パソコンを見てればそれはわかる。俺の世界に比べると多少遅れてはいるが、それは市場での競争原理って奴が向こうより弱いだけにすぎない。実際、既にネット接続はできて情報の流れは俺の世界同様にグローバル化してるようだ。仔細はあるが、こういう点はなんら変わりはしない。  つまり、要は社会があっちのような娯楽や便利モノを求めるに至っていない、という事なんだろう。ある意味こっちの方が健全かもしれない。ネットカフェで何度となくエロサイトの大群に悩まされた記憶のある俺はそう思う。どうにも地味だが基本は押さえられてる。そして、平和なんだここは。  画像がぶんぶん回る装飾過多な世界はないが、そんなもの些末にすぎない。そして、用は足りてるし進歩自体も弛みはない。だったら問題ねえだろ。 「浩之、おはよう」 「おはよう雅史。いいけど、浩之はねえだろ浩之は。ひろみだっつーの俺は」 「いや〜。だって、ヒロユキって語感がよくて。」 「いいも悪いもねーよ。勝手に名前を改竄すんな」 「え〜。だってあっちじゃ、浩之だったんでしょ?」 「けじめだケジメ。そういうとこはちゃんとしないとな。」  だいたいそれ言うなら、おまえだってオカマ雅史じゃねえかよ。はじめて逢った時、「オカマサシ」っとて呼んだら怒りやがったくせによぉ。  それにしてもこいつ、女の制服異和感ないな。他の男連中なんてまるっきり別人で最初誰が誰かもわかんなかったっていうのに、なんでこいつだけ元の世界とほとんど変わらねえんだ?  まさかとは思うが、こいつだけ元の世界でも女だった、なんて事はないよな? 「へぇ、真面目だね浩之。そういうとこ、変わらないんだ」 「まだ言うかよこいつ」 「あはは」  こいつら、ほんとにわかってんのかね。俺という存在について。        学校についた。 「お?下駄の奴がいる。渋いなおい」 「あ、今日雨だって言ってたよ。それでじゃないかな?」 「にしてもまぁ…長靴にすりゃいいのに。」 「でも長靴って高いし。」 「へ?……あぁそうか。そうだな。」  これも、人口が少ないせいだ。  石油の流通量が少ない。だから石油製品も少ない。単純な理屈だ。代わりに森林は今も多く、この狭い日本にさえまだ原生林が広大に残っている。当然、長靴の代わりに高下駄、洋傘の代わりに蛇の目傘っていう、俺の世界じゃほとんど絶滅した風景もまだ健在だ。  ちなみに長靴も洋傘も高価だが、それがカッコイイという文化も存在しない。この国は西洋至上主義とは無縁。うむ、健全でよろしい。寂しい気もしないじゃないが俺的にはオールオッケーだ。 「そういや、舗装が少ないな。ちょっと不思議だ。」 「舗装?街の中はしてるじゃない?」 「いやそうじゃなくて、郊外っていうか。護岸工事もされてねえし」  やっぱ、そこまでして公共事業とやらを進める必要がないって事か? 「ゴガンコウジってなに?ひろみ、時々わかんない事言うわね」 「…ひろみ語?」 「だぁぁぁぁ、勝手に新語にすんなっ!!」  昨日も、ドタキャンが通じなくて説明に苦労したんだ。そのうち変人扱いされるぞ俺。電波を受信してるとか、スーパーエリートソルジャーとか。  …う、いかん。今一瞬、ほんとに電波受信したみてーだ。 「藤田さん。おはよ」 「お、いいんちょ。相変わらずきちんとしてるな。ほっとするぜ」 「…藤田「くん」が言うと嫌味に聞こえるんが、なんか不思議やな…」 「他意はねえんだ。悪ぃな」 「…あ、ええわ。けどな」 「?」  下駄箱から上履きを取りだしつつ、委員長はニヤリと笑った。 「その言葉遣い…かわいくないと自分で思わへんか?」 「!!」 「あ、保科さんもやっぱそう思う?うんうん、そうよね〜」 「こら、したり顔で同意すんな志保!!」 「私も思う。でもひろみちゃん、個性の範囲だって言って直そうとしないんだよ。」 「ふうん。神岸はんにも迷惑かけてんのやな。そりゃよくないなぁ。」  フフン、と不敵に笑う委員長…。むう、なんか企んでるぞこれ絶対。 「女らしくせぇ、なんて言うつもりはないけどな。何とかせんとそのうち地獄見るで、「藤田さん」?」 「あぁ?」 「『藤田ひろみ矯正委員会』って知ってるか?藤田さん?」 「…知らん。なんだその物騒な名前は」 「あんたを女らしくしようって連中のことや。元々は、次々メニール落としてハーレム作ってたあんたを矯正したかったらしいんやけど、あんた自分で「俺の相手は芹香だ」って宣言したやろ?」 「うんうん、あれ、カッコよかったよね〜。女の子の科白じゃないけど」 「ほっとけ。で?」  横からチャチャ入れする志保にとりあえず突っ込み、俺は委員長に続きを促した。 「けどな。ハーレムせんようなった言うても、ひろみちゃんが浩之くんになった言うても、やっぱりあんたは目立ちまくりなんや、これが」 「…なんでだよ。俺、目立たないようにしてるぞ?」  以前の藤田ひろみは喧嘩上等のトンデモ女だったらしいからな。…まぁ、無理もないって後でわかったんだが。だからとりあえず俺は、派手な事やらかして目立つ事だけは頑として避け続けていた。  …だが。 「…どの口が言うとるんやろうな。西音寺で不良軍団相手に大立回りやらかしといて」 「!げっ!な、なんでそれ知ってんだよっ!!」  西音寺というのは綾香の通ってる学校のことだ。当然だが男のいないここじゃ、寺女(てらじょ)という通称はない。 「こっちには長岡さんって情報源があるんや。まぁ話半分やけど、更に生徒会経由で先生方の話も聞けるしな。あながち馬鹿にしたもんやないんやで?」 「…ぐ。だ、だってよぉ。あいつら、下級生相手に徒党組んで」 「はいはい。そのあたりの事情も聞いたわ。せやから先生方も不問にしたらしいしな。なにより1対20で大勝、やろ?あんたが規格外なのを先生方も自覚したんとちゃう?」 「あのなぁ…ひとを化け物みたいに」 「ふふ、悪く聞こえたら謝るわ、ごめんな藤田さん」 「…」  さっきの報復かい。まったくよぉ。 「とにかく、そんなこんなもあってな。はっきりいってあんた、以前の藤田ひろみ以上に目立ってるんや。彼女は私生活の自堕落さと格闘技の強さで有名やったけど、そんな派手なトラブルは滅多に起こさへんかったし巧みに裏舞台に隠れる器用さもあったしな……まぁ、今にしてみれば当然なんやろけど。」 「…?」 「わからへんか?…ま、それもええやろ」  委員長は目を優しげに細めた。 「とにかく、気ぃつけなあかんよ藤田さん。あんたがあんたでおりたいんやったらな」 「…それって、いきなり夜道で襲われるとかそういう事か?」 「あほ。んな無謀な輩が今さらおるかいな。うちが注意しろ言うんは別の事や」 「?」 「賭けてもええで。今後、あんたが何か失敗したり弱み見せてみ?何かにつけて「女らしく」をたぶん要求させる事になると思う。…そんなんは嫌やろ?」 「…マジか?」 「マジや。それも大マジ」 「……」  か、勘弁してくれ(泣)。 「知ってるか藤田さん?うちの学校、文化祭は初冬にやるんやで?」 「え?」 「楽しみやなぁ。劇のヒロインか?それとも茶店(サテン)のウエイトレスか?」 「!!!」 「『いらっしゃいませぇ〜♪』とか、鼻にかかった、かわいらし〜声でおじぎする藤田さん……あぁ、なんか萌えるわ。うん、これは絶対に提案やな!うんうん」 「……」  …想像してみた。       「いらっしゃいませ〜」 「おぅ、可愛い姉ちゃん。邪魔するぜ」 「きゃっ!な、何されるんですかっ!」 「へへへ」 「そ、それよりご注文を。何になさいますか?」 「…おまえ」 「はい?」 「いや、おまえ。へへへ、かわいがってや…(ゲシゲシゲシッ!!)」 「ぐはぁー」 「お、おととい来やがれ変態野郎っ!!」 「「「……あ、あの〜」」」 「あ、はい。あぁごめんなさい。いらっしゃいませぇ〜♪」 「「「きゃ〜〜〜♪♪♪」」」 「……はい?」 「「「かわいいかわいい、いや〜ん♪♪♪♪♪♪」」」 「あ、あの………ご、ご注文は?」 「「「ひろみちゃんくださ〜い♪♪♪きゃー♪♪♪♪♪♪」」」 「………あ、あは、あはははは……は…は……」       「……」  嫌すぎる。超嫌すぎる。激嫌すぎる。絶っっっ対嫌すぎるっ!!! 「…うち今、あんたがどんなアホな想像したか見えたような気がするわ」  こ、こら、こらこらこらっ!!! 「ま、どのみち絶対、綺麗どころやらされるで藤田さん。今年は来栖川本家からも予算が出るって話あるしな」  げ、マジかよ!? 「ま、まさか冗談だろ?初冬ったら俺たちゃ受験まっただ中じゃねえか!」 「何言うとんの?来栖川さんの家庭教師で成績めっちゃ上がったやんか、藤田さん?確かに受験組は大変やけど、その分確定組にお鉢が回るって事なんよ?」 「!!て、てめえ、なんでそれ知って…」  確かにあがった。あがったけど、それは芹香に圧力かけてもらって秘密にしてあるはずだ。…目立つの嫌なんでな、実際。  成績が上がっただけでも、変な噂もたちゃ逆怨みも買う。そんな事心配しなきゃならねえほど、俺の成績は急速に上がっちまってた。 「あほ。んな姑息な真似して隠しても無駄に決まってるやん。既に大学も推薦決まってるそうやな?学校じゃ公然の秘密ってことで皆知ってるんやで?」 「…なんでだよ…俺は」 「だからこそ「公然の秘密」なんや。あんたが平穏に過ごしたい事は皆も知ってる。それが空回りしてる事もふくめて、やけどな。」 「……」 「あぁ、念のために言い添えるとやな。どうやらあんたの世界じゃ受験はえらい大事らしいけどこっちじゃそうでもないんや。入学テストが悪うても高校の成績がちゃんとしてれば合格できる。大学っていうのは、むしろ入ってからが大変なんやで?」 「……」 「さ、いこや藤田さん。授業遅れるで?」  ……ああ。        静まりかえった授業。一番後ろの席で、俺はじっと考える。  まるで女子校のような光景が広がっている。なにせ学ランがひとりもいねえ。全員が女の制服。まぁ半数がメニールなわけだが、外見上は変わらないわけでこう並んでいるとまるで異和感がない。むしろ、男のはずが女になってる連中の方が、雅史をのぞく全員、見知らぬ他人という状態だった。 「……」  自宅で覗いた机の中を、俺は思い出していた。    そこにあったのは、階級章や勲章のついた軍服らしきもの。それに、古ぼけたいくつかの機械だった。  芹香が、セリオを呼び出して解析させようと言ったが俺はそれを止めた。それが何であるかわかっちまったからだ。それが何を意味するか、理解しちまったからだ。  …ワールドタイムゲート開閉端末。  …超硬度カトラス(小剣)。携帯用ライフル。  勲章は…これは、撃墜数や特別ミッションで得たものばかりだ。  見た事もないものばかり。なのに俺は…正確にはこの「藤田ひろみ」に残された記憶のかけらが、それが何であるかを物語っていて、すぐそれを理解できた。 「…あいつ、もともと別の世界から来た奴だったんだ」  日本軍を意味すると思える刺繍が、胸のところにあった。  あいつ、軍人だったんだ。それもたぶん、ゾッとするほどに優秀な。  小剣は当然、まだ使える。だが、手入れをしていないとは思えないくらいに見事な輝きをもっている。おそらく、信じられないほどよく切れ、しかも強靭なんだろう。もともと二本あったらしいが、一本欠けている。どれだけの血を吸っているのか…。  ライフルは、エネルギーがほとんどない。威力は凄いようだが補充が利かないんじゃあと数発しか撃てまい。解析すれば補充する手はあるだろうが、今の俺じゃどうしようもないだろう…使い途もないと思うが。  端末は…ダメだ、完全に破壊されてる。ていうか元々、ゲートを越える際に利用者を守る防壁の役割をし、最後に自壊してしまうものらしい。つまりは使い棄てってわけだなこりゃ。 「…そういう奴だったのか」  前線で勲章掲げて暴れまくっていたような奴が…それを自然に行っていたような奴が、この世界に順応しきれるわけがない。なるほど、大異変の迫った俺の世界に行きたがったのはむしろ当然だったんだ。 「…」 「いや、なんでもない。芹香は知らなくていい事だ」 「…」  奴の過去なんて今さら何の意味がある?奴はもうここには帰ってこない。これ見りゃ俺だってそう確信できる。 「…」 「え?それどうすんだ?芹香?」  芹香は、端末にとりつけられていたモニター通信機を取り外していた。 「…」 「まだ動きそうだから解析してみる?…でもそれ通信機だぜ?こっちのとじゃ規格違うし意味ないんじゃ?」 「…」 「え?うまくいけばゲート越え通信できるかも?…でもなぁ」 「…」 「ま、それもいいか。武器とかじゃないし他に使い途もないし」 「…」 「ああ、いいよ。好きにしてみ?」    …で、その結果があの風景だったんだよなぁ。  確かに端末は動いた。電池の規格が違うのには参らされたが、来栖川ラボで借りてきた安定化電源で12.8Vを食わせるとあっさり動いた。しかしモニタに映った光景には、さすがの俺たちも絶句せざるを得なかったんだ。  …それは、化け物たちとあいつの戦い。  どういう理屈になっているのか、端末は俺の世界にいる「あいつ」の目線と同調した。既に大異変は始まっていたらしく、天空から地平から現れる未曾有の化け物に世界は大混乱になっていた。もっとも東鳩市周辺には稀に「はぐれ」が来る程度だったんだけど、狂った世情は暴徒や犯罪が横行。そっちの被害の方が遥かに甚大になっていた。  そんな中、あいつは動きだしていた。  芹香たちを説得して来栖川を味方につけたあいつは、街からバカどもを叩き出し、時には裏で粛正までしはじめた。あかりや皆を守るためだ。のほほんとした平和に慣れ切っていた彼女たちは未だに状況が自覚できてない。それらに危険を喚起し、それでもできない汚れ仕事をあいつは、組織の混乱で街まで手が回りきらない警察の代わりに次々とこなしていった。まだあっちに行っていくらもたってないのにあいつは、その軍人然としたしっかりした理屈と行動、そして来栖川のバックの力で、見事に「守る戦い」をはじめていたんだ。   「お、やっと来たみたいだな。皆よく聞け、突然だが今から編入生と転校生を紹介する」 「え?」  おぉー、という声があがる。 「ちなみに、メニールだ」  だぁぁぁ、と沈む声がする…なんだかな。どっちでも外観は一緒じゃねーか。 「ちなみに、編入生は本来、大学生でありここの卒業生でもある。事情がありこのクラスに入りたいという事で特別に許可された。いろいろあると思うが、あまりいじめてやってくれるなよ。いいな、みんな」  ……って、ちょっと待て。むちゃくちゃ嫌な予感がするのは俺だけか? 「こりゃ…他にはおらへんわな?」 「…頼むから不安を煽るなよ、委員長」 「なるほどなぁ、昨日の席替えで、藤田さんの右と左が空席になったのはそういうわけやったんか。…よかったな藤田さん」 「よくないわっ!!」  だが、無情にも時間は過ぎる。ガラガラと扉がスライドし、あまりにもよく知りすぎた顔が二つ、ひょっこりと出現する。           「やっほー、ひろみ〜♪♪♪」     「……(こんにちは)」       ……か、勘弁してくれ(泣)        (おわり)