行方知れずの子鹿たち hachikun キラ☆キラ、鹿が不幸になるちょっぴり危険なSS。  完結。きらり・トゥルーエンドの未来。 [#改ページ] 疑惑[#「 疑惑」は中見出し]  福祉関係の仕事というのは業種にもよるが、基本的に景気も不景気もあまり関係ないところが多い。  年寄りは常に増え続けるのがこの国の現状なのだから、それなりの供給元さえキープしていれば利益は確保できる。むしろ留意すべきはその現状に満足してしまったり、人間対人間の仕事だという事を忘れてしまう事だと、|石動《いするぎ》|千絵《ちえ》はここ数年の経験から感じていた。  任される仕事は多いし自らやっている仕事もあるのだが、最近は現場に行かない仕事も増え始めていた。なにしろ大学時代からやっているのだからある意味ベテランであり、その経験を買われての仕事はどうしても増えていたからだ。上位組織や自治体との折衝など、そこらへんの一般職員にできない事まで千絵の仕事になりはじめている。  そしてそれは、千絵の望むところでもあったのだ。 「……」  だが今、千絵は悩みを抱えていた。正しくは一年ほど前からなのだが。 「ちー?」 「!」  ふと見ると、同僚の女の子が千絵を見ていた。 「あ、ごめん。なに?」 「なに、じゃなくて……もしかして、まだ見つからないの?幼なじみの子」 「……あはは、わかる?」 「分かるも何も顔にばっちり書いてあるよ。心配だって」  うぐ。千絵はちょっと情けない思いだった。 「ま、ごはんでも食べない?愚痴でも聞かせてよ」 「あはは、ありがと」  単なる野次馬根性かもしれないが、少しは心配もしてくれているようだ。  だから素直に千絵も礼を言い、席を立った。  時刻は十二時半を少し回っていた。    社会人になってしばらくしたある日。|前島《まえじま》|鹿之助《しかのすけ》は唐突に行方不明になった。  ここ数年は落ち着いていたし、|椎野《しいの》きらりとの交際も続いているはずだった。今や芸能人のきらりは休みというと鹿之助のところに飛んできていたし、事あるごとに「また鹿子ちゃんやろうよ」「やだ」「なんでー(泣)」みたいな会話をして周囲を苦笑させてもいた。前島家でも椎野家でも、きらりの職業上口をつぐんではいたのだが互いに家族同様だったし、鹿之助の妹もきらりに懐き、いつ結婚すんの待たしちゃダメだよと鹿之助に口癖のように言うありさまだった。  そんな鹿之助なのに、ある日唐突に消えたのだ。  前島家の話では、失踪直前にリストラされたらしいという事だった。だから傷心旅行じゃないかという話も一部にはあったのだけど、 「だったら、少なくともきらりに連絡はするはずでしょう?」  千絵はそういって一蹴したものだ。  だが、そういう千絵も本当にそう思っていたわけではない。鹿之助がああ見えて自分本位でプライドの高いところもあるのを千絵は知っていたから、どこかの居酒屋とかライブハウスの下働きでもやっている可能性も考えてはいた。きらりに相談する事すらできずに。 (まったく、世話の焼ける)  村上たちを通して調査を頼んではいるのだが、そっちの方は芳しくなかった。  あの夏からもう何年も立っている。流れの早い業界では、当時でさえ幻だった第二文芸部バンドを覚えている者などほとんどありえなかった。辛うじて記憶されているのは、それが椎野きらりの原点であり古巣であるという事、そして、そのサウンドの裏を支えていたベースのシカコこと前島鹿子の存在、この二点だった。  そう。  あれから何年もたつが、ネットの動画サイトには今も第二文芸部バンドの映像が残っている。そして定期的に話題にもなっている。それはきらりの古巣としてだけではない。これだけのグレードの演奏をしているバンドが結成わずか数ヶ月の高校生バンドであり、しかも、他にもいくつかの点で話題を提供し続けていたからだ。  彼女たちを育てたのが、あのKentaであるという事。  シカコこと前島鹿子が実は女装の男性であった事。  わざわざ女装した理由については憶測が飛んでいる。たとえばニルヴァーナに対する少年ナイフのように、スタジェネに対するバンドとしてガールズバンド形式を選んだという説だ。まぁニルヴァーナと少年ナイフの関係はスタジェネと第二文芸部バンドの関係とは全く異なるので説得力としては弱いのだけど、対比としては確かにおもしろい。それにKentaがきらりの才能に注目していたのは有名な話だし、ニルヴァーナの|パジャマの天才ギタリスト《カート・コバーン》が少年ナイフのファンだったという事実ともそれは重なる。だから対比して語られる事がしばしばあった。  千絵としては「単にあいつの女装が可愛かったからなんだけどね〜。ある意味虫除けになるし」なんて同意が女性陣でなされていた事を思いだし苦笑いするのだが、まぁそれはいい。事実は本人たちだけが知っていればいいことだ。 「ん、空いてるね。あそこに座ろ」 「うん」  いけないいけない、と千絵は首をふった。今はお昼なのだった。  昼下がりの食堂だった。ここは比較的安いお店だが、ヘルシーなチキンカツ定食がホコホコでよいと評判のところでもあった。注文を受けてから揚げる事もあるので時間がかかったりもするのだけど、それだけの意味はある。  TVが流れている。有名な老舗のバラエティ番組なのだが、偶然にも椎野きらりの姿がニコニコと写っていてなぜかホッとした。  ダイエットも考えるべきかなぁとも思う。だが千絵たちの仕事はハードでエネルギーなしではやっていけない。  だから、ふたりは今回もやはり話題のチキンカツ定食に走った。 「で、どうなの?鹿之助クンだっけ?」 「全然ダメなのよね、これが」  ふう、と千絵はためいきをついた。視界の向こうで、きらりが屈託なく楽しそうに笑っている。 「昔の仲間にも頼んで八方に網張ってるんだけどねえ」  本当、いったいどういう事なのか。  バンドまわりは前述の通りだが、それだけではない。たとえばカッシーこと樫原の目利きで樫原の息のかかる全てのグループ企業、さらにはきらりのマネージャ経由で放送局やプロダクション関係にすらも一部監視の目が届いている。とどめにトノヤンこと殿谷にも海外という方向から日本を注視してもらっていて、鹿之助と思われる人材の情報がひっかかったら即座に連絡してもらえるよう取り計らってある。  はっきりいえば、たかがいちサラリーマンの包囲網としてはありえない規模。  なのに、それでもなお見つからない。なぜ?  彼らの包囲網は巨大だが、鹿之助はそれを上回って巧妙なのか?  いやいや、あいつにそんな甲斐性はないと千絵は首をふる。  居酒屋の件があるから断言しないが、鹿之助はそんなにサクサクと異業種にいけるほど器用な男ではないはずだ。だから音楽関係か飲食関係の可能性が高いと千絵は踏んでいたのだ。  しかし、それでもみつからないという事は? (もっと遠くか、あるいは……誰かが嘘をついている?)  ふむ、と千絵は思った。単なる思いつきだが可能性のない話でもないからだ。  モニターの向こうでは、きらりが生で歌を披露するようだ。  主婦むけのこの手の番組で珍しいが、きらり限定ではよくある事だ。きらりはインタビューの最中でも音楽の話題で盛り上がるとその歌を歌い出す事がある。しかもどんな歌でも非常にうまいもので、もったいないと即興や編集で音が重ねられるのもよくある事だ。  きらりのおかげで、落ち込んでいた業界のCD売上げ自体が持ち直したと言われている。きらりのもの以外も売れているのだ。  彗星の天才シンガー椎野きらりの名は今や、日本の音楽シーンの一時代を支える存在になりかけていた。 「千絵」 「!」 「きたよ」  危うく思考に埋もれかかった千絵に苦笑した友人、そしてチキンカツ定食が目の前にあった。 「ごめんごめん、いただきます」 「ん、いただきます」  千絵も大変ねえ。  その、なんとなく下世話な一言に対抗するために、またしても千絵の昼食は遅くなりかけたまさにその時、 「?」  むむ?千絵は眉をしかめた。  TVから流れてくるきらりの歌に、妙に気になるところがあったからだ。  いや、演奏のよしあしではない。これまた珍しいことに生演奏らしい。言っちゃ悪いが、たかがお昼のバラエティだというのに。  楽しそうに歌うきらり。なぜかいつもより数倍生き生きとして見える。とんでもなく絶好調にぶっとばしているのが千絵にもわかり、ちょっとだけ苦笑いした。その姿はまるであの頃のきらりで、TVの演奏でもあの頃のレベルに届きはじめたんだねぇと内心ちょっと恐ろしさすらも感じていたのだけど、 「え」  ほどなく、千絵の目は丸くなった。 「ん?ちー、どったの?」  同僚の声が遠くに聞こえる。千絵は動けない。  きらりの背後にいるのは、きらりバンドと俗に言われる名無しの生え抜きだった。いまどき専用バンドを連れたシンガーなんてどこの大物よと一時は言われたものだが、もともとライブあがりのきらりの歌唱は生でこのパワーを完全に発揮する。それに海外ならR&Bなどの世界で「生でしか歌えない」系のミュージシャンもいるわけだし、きらりにはそれだけの価値があった。  それはいい。千絵の目が丸くなったのはそのせいではない。  きらりの背後。  黒いフリフリのワンピに黒ブーツ姿でベースを掻き鳴らしている髪の長い女。 「……え」  ぽろり、と千絵の箸から食べかけのチキンカツがこぼれ落ちた。 「…………うそ」 「?」  あっけにとられて固まっている千絵。不思議そうにそれを見ている友人。  そう。  そこにいたのは昔懐かしい、あの『前島鹿子』の姿だった。 [#改ページ] 驚愕[#「 驚愕」は中見出し]  少年はいつまでも少年ではいられない。  前島鹿子が鹿之助の女装である事は、今となっては承知の事実だった。しかし第二文芸部の活動当時、それを知っていたのは母校の生徒たちだけだったといえる。少なくともステージや映像ごしでしか彼らを知らない場合、それが女装と即座に気づくのはある種の|慧眼《けいがん》の持ち主だけに限られていた。ようするに、それなりに人生経験のある大人たちということで、そして彼らは苦笑いするだけで野暮なツッコミはしなかった。  だからこそ『彼女』の存在はずっと謎めいていた。今も昔も。  たとえばネット上。写真の人物が男か女かについて常に議論し騙されるネット中毒患者たちだが、彼らは残されている鹿子の写真をじっと見て「男だね」と言い切る。だがその彼らの分析によれば、たぶん前島鹿子は性同一障害やら趣味やらの果ての女装子ではないだろうと言われている。そして、その事について今も議論がなされていた。   『よく見てみなよ。動きが男っぽいのに衣装や容姿だけが本格的すぎるだろ?つまり本人は女装した事なんかないのさ。むしろこれは誰かが女装「させている」って事さ』 『でもさ、誰がそんな事するんだ?他のメンバーかい?』 『メイク担当は女の子たちだろう?だからそうなんじゃない?んーでも衣装はどうだろうね?』    あなたが女装経験のある男性ならおわかりと思うが、男の身で女装するのは簡単なことではない。  お店で試着すらも簡単にはできない。下着の知識もないし、そもそも男性用と女性用では衣類のコンセプトからして根本的に違うことも少なくないのだ。まさに「ないないづくし」であり、これを乗り越えて女装を極めるのは本当に大変なことなのである。  まぁ定番として、最初はたいてい強烈な|背徳感《はいとくかん》にビクつきながら姉か母親の衣服を着てみることになる。もちろんそれはちぐはぐだし化粧もしてないすっぴんであり、とても第三者の視線に耐えうるものではない。幼女の「はじめてのお化粧」を大の男がやると思えば間違いない。ぶっちゃけグロくてキモい。  その意味で鹿子はあまりにもナチュラルで「女性すぎる女装」だった。見栄えよく、しかも男である事を巧妙に隠しきったうえで他メンバーとの違和感がない服装とメイク。高校生という年代を考えれば、これを単体の女装経験者と考えるのは相当に無理がある。他の女性メンバーに上から下までプロデュースしてもらっていると考えるのが自然だろう。  いかに規格外とはいえ高校生の部活バンドなのだ。おそらくは当時の椎野きらりをはじめとする他メンバー総員で『彼女』を飾っていたのだろうと皆は推測していた。着替えの最後まで待たされたあげく、女性陣に取り囲まれ仏頂面で強制メイクを受けるシャイな男の子の姿がそこに見えるようではないか。微笑ましい青春の一ページというやつだ。  そしてそれは、当事者たちの真実ともほとんど一致している。  衣装選びやメイクアップに複数の女性の手が入っているという意見は、ネットだけでなく芸能系のメイク専門家も指摘していた。だから前島鹿子自身がバンドメンバーの手により生まれた『作品』だというのは少なくともネット上、それに鹿子の存在を知るコアな音楽ファンの間では常識となっていた。  だが繰り返すが、少年はいつまでも少年ではいられない。  いかにあの頃の鹿之助が女顔の美少年だろうと、大人になればそうはいかない。骨相も違うし脂肪のつきかたも根本的に違う。そも『美少年』というのは中性的だから美少年なのであり、完全に男として成熟すれば当然それは失われる。だから大人の男は基本的に女装には向かない。大人になってからもそれをやろうとすれば、それは色々と代償を支払うことになる。男の女装とは幼児時代が最も容易で、そして大人になればなるほど似合わなくなっていくものなのだ。  そのはずだった。   「……」  椎野きらりから送られてきた写メールには、あの頃よりもさらに輪をかけて美しい鹿子の姿があった。  いや、それどころではない。  いまや写メール程度のレベルでは、幼なじみである千絵の目で見ても女にしか見えなくなっていた。  あの頃も確かに女装が似合ってはいたが、しかし不慣れゆえの違和感がどこかにあったものだ。立ち振る舞いも言葉遣いもほとんど男のままなのだから、それはむしろ当然とも言えた。ツアーの終盤ともなると仕草までも女っぽくなって驚くほどだったが、何より本人がそれに危機感を持っていたこともある。ツアーが終わればアッというまに少女は少年に戻った。  だが写メールに写る鹿子には、その違和感すらもほとんどない。  確かに純粋に女の目で見れば違和感がないではない。だが天才的な歌舞伎の女形がある意味本物の女よりも女性的であるように、何か有無を言わさぬ異様な美しさを写メールの鹿子は秘めていた。  おそらくこの鹿子なら、普通に女性用の施設を使っても誰もとがめられまい。普通の女性以上に女そのものだ。 『ごめんね黙ってて。でも、つい最近までものすごい状態だったんだよ』  まだまだ大変なんだけどねーと、深刻な話を屈託なく笑うきらり。 「いったい何があったの?なんで鹿之助がまた女になってるの?それに」  それに……この徹底的な女性化ぶりはいったい何事なのか。単なる女装のレベルとはとても思えない。 『うん。順序立てて話すね』  きらりから聞かされる「その後の鹿之助」は、千絵の想像を遙かに越える凄まじいものだった。  鹿之助は職場からリストラされた。いくらなんでも新人同然の若き社員をリストラするとはどういう事かと首をひねっていた千絵なのだが、その理由もきらりは知っていた。当人から聞き出したのだという。 『なんかね、内部のトラブルに巻き込まれたみたい』  電話の向こうのきらりの声も、少し悲しそうだった。 『不景気だし、もっともな理由があれば働き盛りだってすぐ切られるみたいだね。鹿クン困っちゃって仕事捜したみたいなんだけど、運良く、ううん悪くなのかな?見つかったところが都内のライブハウスの仕事でね』  ライブハウス? 「ちょっとまってきらり、それどこのライブハウス?」  きらりは関東の某所にあるライブハウスの名をあげた。千絵はそこを知らなかったが、村上たちの情報網から外れているとは思いにくい場所だ。 「変ね。そんな場所なら村上君たちが気づかないとは思えないんだけど……あ、もしかしてきらりが口止めしてたの?」  それならそうと早く言えと言いたいところだが、今はそんな時ではない。事実の確認の方が先だろう。  が、きらりの返答は千絵の想像の完全に斜め上だった。 『あのね、そこのオーナーって以前、熱狂的な鹿子ちゃんファンだったんだって』 「……え?」  内心ぎょっとするものを千絵は感じた。どうしてそこで鹿子の名が出るのか?鹿之助でなく?  不穏だ。  だが、聞かずにはいられない。 『その人、鹿クンが鹿子ちゃんだったって知って鹿クンを脅迫したんだよ。おれの言うとおりにしないと椎野きらりの彼氏はオカマだって噂をばらまくとか色んな手でね。そうすれば言うことを聞かせられると思ったんだね』 「……なにそれ」  その光景を想像し、千絵は思わずゾッとした。  だがその後については、もうその千絵にしても聞くに堪えないものだった。  その男は『鹿之助』でなく『鹿子』を雇ったのだ。それも従業員などではなく自分の愛人として。 「……なんというか、言葉がないわ」 『うん。わたしもそう思ったよ』  男が男を愛人にする、というのが千絵にとっては想定外だった。それだけに衝撃は小さくなかった。  自宅で囲われていては見つかるはずがない。そりゃあ無理な話だったろう。  それでも鹿子にきらりがたどり着いたのは、もう執念というしかなかった。 『んーとね、サトっちに相談してみたの。サトっちは鹿クンのことも覚えててね、心当たりを捜してくれたみたい』  だが、それも簡単ではなかった。  サトっちというのはきらりの友達で、あの頃のきらりにギターをプレゼントした関西のヤクザだ。彼はタニマチの申し出こそ断られたものの今でもきらりたちのファンで、もちろんきらりのファンクラブにも入っている。そしてきらりもまた、彼にもらったGibson Les Paul Jr.を今もライブなどで愛用している。  彼はあくまで関西の人。東には顔が当然きかない。  だがきらりの件以降、彼は音楽関係に目を向けライブハウスなどに少なからぬ投資もしていた。きらりファンの間でも異色の有名人となっており、同じくきらりファンである「東の同業者」へのパイプも同時に構築されていた。歴史的に東と西の仲がよくない事を思えば決して太いものではないが、きらりという存在を間にはさむ事で、細いながらも立派な連絡チャンネルができていたわけだ。  そこを通じて次第を流した。きらりの古巣であるバンドメンバーが行方不明になっていると。  東の事情通はその言葉だけで鹿之助のことだと飲み込んだ。きらりの父親の死に相対した彼女の思い人を、彼女自身に聞かされたファンクラブの幹部、そしてサトっちの同業者は当然知っていたからだ。  即座にひとが動き始めた。そして、その情報網にひとつのデータが引っかかった。  とあるゲイバーの常連であるライブハウスのオーナーが、かつてバンドでベースを弾いていた女装の美少年を囲っているらしいというものだった。 『凄かったよぉ。マネージャーに事情話して、東のお友達関係の病院に入れてもらったんだけど』 「あんた自分で踏み込んだの?無茶するわねえ」  何かあったらどうするのか。 『たまたまだよ。スケジュール満載だったけどお休みにちょうど当たってたから』  うそつけ。千絵は内心ごちた。  おそらくは何件か仕事を飛ばしたのだろう。きらりは確かにもう新人のぺーぺーではないのかもしれないが、それにしても無茶をする。  踏み込んだといっても当然きらり単身ではないはずだ。おそらく関東のその筋の『お友達』の協力があるはずで、へたに写真週刊誌などに拾われでもしたら大変なことになってしまうではないか。  そのことを指摘すると、あははときらりは笑った。 『大丈夫だよ。蛇の道はへびっていうでしょう?結構慣れちゃったよ』  あまり楽しそうな話ではなさそうなので、とりあえず千絵は「そっか」という返事だけで片付けた。  きらりの話は続く。  きらりが保護した時、鹿之助は割り当てられた自室にいた。オーナーが鹿子ファンであったというのは伊達ではなかったらしく、そこにいたのはほとんど普通の女性と区別できないまでに女性化した鹿子の姿だった。そして物理的健康面でも特に問題はなかった。小さな外傷などはあったが。  だが肝心の内面はというと、もう完膚無きまでにボロボロだった。  まず、女性ホルモンが投与されていた。  強制なので間違いなく違法なのだが、行方不明のほとんどの期間、鹿之助は女性ホルモン投与を受けていた。しかも素人判断の無茶な投与ではなく、きちんと専門家の処方に基づいた処置が施されていた。 「なにそれ……まさか」 『うん。自分の思い描いた鹿子ちゃんに鹿クンを近づけようとしたんだね』  無茶苦茶だ。いったい人間をなんだと思っているのか。  成人男性に女性ホルモンを投与した場合、極端な女性化は起こらない。声も高くならないし使う薬剤によっては健康面にも悪影響が及ぶ。  だが皮肉なことに、鹿之助はナチュラルに鹿子を演じられるほどには中性的だった。このためホルモン投与の結果、わりと早い時期に高校時代の鹿子の容姿が戻ってきたらしい。  そして最後に、鹿之助たちにとっては最悪の事態が明らかになった。 『鹿クンね、クラインフェルターなんだって。47XXYらしいんだ』 「ちょ、嘘。ほんとに?」 『うん』  クラインフェルターというのは一種の性染色体異常だ。聞き慣れない名前だが実はよくある現象で、男性の五百人にひとりくらいは罹患しているものだ。男性なのにX染色体がひとつないしは二つ以上余計に存在するというもので、普通に暮らすぶんにはなんの問題もないことが多い。しかし精子数が極めて少ないか無精子だったりするので、不妊治療などで明らかになることが多い。  こう書くと大変な病気のようだが、クラインフェルターは自覚症状に個人差が大きい。鹿之助の場合は外見上も性格もとりあえずちゃんとした男性だ。どういう生き方をするかにもよるが、もしかしたら生涯自分のそんな体質なんて知ることもなかったかもしれない。  しかし。  しかし鹿之助の場合、その体質までもが悲劇となった。  確かに自覚症状はなかったろう。だがクラインフェルターである限り男性ホルモンの量自体は普通の男性よりも相当に少ないはずだった。だからこその鹿子だったのだろう。常人より一個だけ多いX染色体が今も機能し続けていたために男性化がまだ完了しておらず、どこか中性的だった。だからこそ、あれほども女装が強烈に似合ってしまったのだ。  そういう危ういバランスの上に鹿之助の肉体は維持されていた。  それを外部からのホルモン注入で崩してしまったのだ。 『元々ホルモン量が少ないところに女性ホルモン投与なんて受けちゃったからね。あっというまに変わっちゃったみたいだよ』  脂質の男性の皮膚が女性の乾燥肌に変わった。内臓脂肪が落ちて皮下脂肪がつくようになった。顔つきまで変わりだした。まだ若さを残していた事、もともと綺麗な肌だったこともあるが、握手した手の感触までもが女性化していった。その変化はおそらく劇的なもので、診察した医者をも驚かせたろう。  そして、心身のあらゆる面が女性化の様相を呈していったのである。 「……」  既に千絵は、どう言葉をつないでいいのかわからなくなっていた。  心身まで女性化。では、きらりとの関係はどうなるのか?  そんな千絵に気づいているのかいないのか、きらりの言葉は続く。 『まぁとにかく、当分鹿クンは鹿子ちゃんのままでいるしかないね。今のままじゃどこにいっても女の子扱いだろうし』 「そんなにすごいの?」  うん、すごいよときらりはため息をついた。 『保護されたからすぐに男性化治療ってわけにもいかないんだって。無理にやると何が起きるかわからないから、焦らずゆっくりやりましょうっていうのが診て貰った先生の判断なんだよ。元々の体質のこともあるしね』 「そう。で、鹿之助本人の様子はどうなの?」  かなりひどいよ、ときらりは言った。 『でもね、演奏してると元気なんだよ。それだけに集中できるせいかもしれないけど。  TVに出したのはね、そのためなんだよ。鹿クンずっと練習だけは欠かさなかったからね、ちょっとあわせたらばっちりだったよ。  あとは、これを突破口にじっくり治療していくつもり』 「そっか。ご家族にはどうするの?私かカッシーから連絡しとく?」 『いい、ありがとう。この後鹿クンちには私から説明しとくから』 「そ」  とりあえず、今はこれだけでいいだろう。 「ねえきらり。最後にひとつだけ聞いていい?」  ん?なぁに?と、きらりは言った。  千絵は最後にひとつだけ、間違ってたらごめんねと言いつつ爆弾を投げた。 「あんた、もっとずっと前に知ってたんじゃないの?もしかして。鹿之助が抜き差しならない状況になるまで迷ったりしてた?どうしよう、とか」 『……そんなことないよ、うん』  その沈黙と反応は、きらりの父が亡くなった頃の鹿之助のそれにどこか似ていた。 [#改ページ] 姉妹[#「 姉妹」は中見出し]  携帯電話を置いたきらりは、ベッドサイドで大きく背伸びをした。 「ん」  とりあえず今日は予定がない。以前はバラエティ番組の収録があったのだけど、前回の収録で「卒業」している。今年から原点復帰というコンセプトの元に「音楽性の追求」への方向転換をする事に決定していて、それと全く相容れないバラエティ番組のいくつかは降りる事が決定していた。  そう。もう恐れるものはない。コマは揃ったのだから。 「……」  あの頃のメンバーは戻らない。過ぎた時は戻しようがない。  でも今、きらりの手の中には鹿之助がいる。 「……」  微笑み。  きらりの浮かべたそれは愛情に満たされていたが、同時に何かが違っていた。     あの日。  鹿之助と思われる情報を入手したと聞いたきらりは即座に行動を起こした。大切な人の一大事なので仮病を使わせてくださいと単刀直入すぎる直談判でねじこみ強引に休みをもらうと、いつもの変装をして事務所を飛び出した。  裏通りにはポンコツの軽四が止まっていて、パンク少年っぽいモヒカン君が「こっちこっち」と手招きしていた。きらりはそれに躊躇なく乗り込む。背後から影のようにやってくる芸能記者たちがいるが、モヒカン君はそれを承知の上で発進させた。ポンコツもパンクも外見だけで、明らかにライセンス持ちの強烈なハンドリングとそれ用のチューンドカーだった。  市街地専用に調整された小さな軽で二度ほど追手を巻き、さらに車を公園横の駐車場で降りて裏手の森を反対側に抜けると、そこには黒塗りのベンツ。いかにも「これはやばい系です」と全身から雰囲気全開のそれの中から男の手が「おいでおいで」をして、きらりはそこにためらわず飛び込んだ。  車の中には初老の男性がいた。警察関係者が見たら顔色を変えるような日本裏社会の超大物なのだが、きらりは「ごめんね忙しいのに、ありがとう」と単に恐縮しただけで、待っていた男の方も「あぁ気にするな、お嬢の大切な人なんだろう?」などと微笑むだけだったりする。  車は音もなくスタートし、男から写真いりで直接説明を受けた。  拉致されたうえにエストロゲン、つまり女性ホルモンまで投与されていること。犯人は元熱狂的シカコファンであった事。  健康問題はなさそうだが精神的ダメージは計りしれず、そして急速に女性化が進んでいること。  とりあえず男の方は今ごろ無力化してあるはず。鹿之助くんの回収は君が直接やるといい、それっぽくない若いのをつけてあげるから。そう男はいった。  はい、ときらりは答えた。  現場についてみると、そこにいたのはライブハウスでよくみる「頼もしいお友達」たちだった。不躾な芸能記者がきらりの邪魔をしようとすると彼らは影のように現れるのだが、今日は表で堂々ときらりの到着を待ってくれていた。  挨拶もそこそこに、案内されるままに部屋に向かった。  そして、そこに鹿クンはいたのだ。変わり果てた姿で。    きらりの社宅はマンションの一室になっていた。  古い言い方をすればドル箱であったが彼女の金銭面での稼ぎ高は、決して古参のベテランと比較しても大きくはなかった。むしろ現在のきらりの価値は人脈の方にあり、このマンションも彼女の個人的な友人から事務所に寄付されたものだ。どういう用途に使われていたのかは知らないが、広いうえに完全な防音装置を持っていて、中でバンドが演奏しても平気なようになっていた。マーシャル三段が複数あっても平気な程度の電力量も確保されていた。  ソロの歌手だったきらりは、それを使えなかった。あまりにも広すぎたからだ。  だが今。 「……」  目の前のソファーベッドで、鹿子が眠っている。傍らにはベースが置いてあって、シールドはアンプにささりっぱなしだ。きっと練習していたのだろう。  あの頃の中性的な美少女とはだいぶ違っていた。エストロゲンの働きで胸もふくらんでいたし、体型もしっかりと女性の丸みを帯びていた。顔立ちも柔和な女性のものになっている。どう見ても男性には見えない。むしろ女のきらりですらも一瞬毛が逆立つほどの、とんでもない美女になってしまっていた。 「……」  きらりは鹿子に屈み込み、そして口付けした。 「……ん」  鹿子は身じろぎし、そしてゆっくりと目を開けた。 「おはよう。鹿クン」 「……寝てた」 「うん。よく寝てたね。まだ眠い?」 「ちょっと」 「そ。じゃあ寝てていいよ」 「うん」  そう言うと、また鹿子は眠ってしまった。薬の後遺症もあるのだろうが、まるで眠り姫だ。  食事は下ごしらえがすみ、レンジが調理中だ。まだしばらくかかる。きらりも20分はする事がない。 「ん、わたしもちょっと寝よ」  鹿子にかけてあるシーツをちょっとだけはぐると、中に潜り込んで鹿子に抱きついた。  ちょっとばかりクンクンと匂いをかいでみたり。 「うは、匂いも女の子だ……こんなになっちゃうんだ」  そう言いつつ、ふわぁぁ、とあくびをした。  そして、 「……」  きらりもまた、鹿子にくっついたまま眠ってしまった。    もちろん、今現在エストロゲンは投与されていない。だからいずれ鹿子は鹿之助に戻る事になるのだろう。まぁ、クラインフェルターゆえにホルモン量が少ないという問題点があり事態はそう簡単ではないのだけど、だからといって急いで元に戻すべく男性ホルモンを投与する事には、きらりは反対だった。  そんなの鹿クンじゃない!だめだよ!  鎮静剤で眠ったまま検査されている鹿子を前に、そうきらりは強硬に主張したのだ。  何年でも、いや何十年でも直るまで待つから。女の幸せなんて後回しでもいいから。  なるべくゆっくり、自然に、鹿之助の身体の負担にならないよう元に戻してあげてほしいときらりは言った。  ひとの身体は機械ではない。元々ホルモン量の少ない身体に強制的に過給器のごとくホルモンを喰わせるというのは正直いい事ではないだろう。それでなくとも一年近くも女性ホルモンを投与され続けた身体に、今度は同レベルの男性ホルモンを喰わせ続けるというのは、それはさすがに負荷が大きすぎないか。きらりはそう言ったのだ。 「……」  きらりの顔は幸せそうだった。  どんなに誘っても来てくれなかった鹿クンが、ここにいる。きらりが守らなくちゃならない弱い立場になって、すやすやとかわいらしい息をたてている。 「……鹿クン、起きてる?」  返事はない。熟睡しているようだ。 「鹿クンはわかってないみたいだけど、私は本当はとても悪い子なんだよ。  だって嬉しいんだもの。鹿クンがこんなひどい目にあったっていうのに、私は嬉しいんだよ。  だって……」  半分がた夢の中にいるきらりの顔が、幸せそうな微笑みに彩られる。 「これで、私は鹿クンといつも一緒だもの。いつだって守ってあげられるし、いつだって助けてあげられるもの」  丸みを帯びた鹿子の腰に、きらりの手が伸びた。  今の鹿子とはセックスもできない。エストロゲンは性欲を剥ぎ取り、勃起も起きなくしてしまう。起きている時に迫っても不快な思いをさせてしまうだけだ。  それは、悲しい。  だけど、嬉しい。 「……」  鹿子の喉に触れた。  そこには男性の喉仏がなく、小さな手術跡があった。 「……」  その小さな傷跡に、きらりは口付けした。  そして、今度こそぐっすりと眠った。    その年、初代第二文芸部バンドあがりの女ふたりがユニットを結成。  日本の音楽シーンに、いまいちどの大嵐が訪れた。   (おわり) [#改ページ] あとがき[#「 あとがき」は中見出し]  こんにちはhachikunです。  もう何年も新しいゲームをやってなかった私のところに友達からプレゼントがやってきました。高校時代にバンドマンだった彼はこの『キラ☆キラ』で感激し、君もきっとハマるからやってみてくれと強烈にプッシュしてきたのです。 (私ですか?すんませんブラスバンドなんで。でもバンドもやってみたかったなぁ……)  結果、久しぶりに朝から朝までプレイしまくり、音楽CDを注文してあまつさえこれを書いています。  どうやら呼称表がないようなので、がんばって作ろうかとも考え中。    一応弁解です。  すみません。鹿子ちゃんラブげふんげふん、アレなのを書いてしまいました。  きらりエンド(2)の未来なのですが、鹿之助が就職先の会社で変なトラブルに巻き込まれクビになった事になっています。途中本気でひどい目にあうのですが私は男性同士のアレを描けない(いや、書けても嫌ですごめんなさい orz)もので、それらの描写をばっさりカット、千絵姉やきらりの心情描写でできないかとがんばってみました。  きらりエンド(2)で唯一の不満は、鹿がサラリーマンになってしまうこと。で「幸せに」バンド再結成したりするSSは見たのですが「間違った選択のあげくに破滅して、きらりに拾われる」という歪んだ話の方を個人的には書きたくて、そして本SSがでっちあげられました。    では。ありがとうございました。 [#改ページ] 独自設定の注意[#「 独自設定の注意」は中見出し]  鹿之助がクラインフェルター症候群というのは、もちろん公式設定ではありません。うちならではのネタとお考えください (汗  ファンの人ごめんね (汗    クラインフェルター症候群についてはWikipediaなどを参考にしてください。  ごく簡単にいえば「本来23対46本である染色体、その中でも特に性を決定するXX、XYのバランスが崩れたもの。(47)XXYや(48)XXXYがクラインフェルター、XOがターナー症候群、XXXやXYYがそれぞれ超女性、超男性など、この種の異常は実はそこそこあるそうです。(YOは必ず死産になります。Xをひとつは持たないと生存に必要な器官を損ねてしまうようです)学術的にも非常に興味深いところです。     「匂いも女の子だ」  女性ホルモンの注射により体質が変わっているせいです。これは別に不思議ではなく、逆に女性が男性ホルモンの投与を続ければ漢の匂いに満たされるんだそうです ^^;    呼称表を作っていないので、呼称におかしいところがあるかもしれません。  現在、把握しているのは以下の通りです。まだ間違いあるかも    鹿之助の呼称  鹿クン、鹿之助、前島さん  石道千絵  千絵姉、ほか不明  椎野きらり  椎野、きらり、きらちゃん  樫原紗理奈  樫原、カッシー、紗理奈ちゃん    エストロゲンの効果について。  海外では、性犯罪を繰り返す人物にエストロゲンの服用を強制化しようという動きが現実にあります。エストロゲンを投与されると擬似的に肉体が女性化し、しかし女性としての器官がないので単に性欲が減退し性行為に興味を失うためらしいです。  法的な向きがどうなるかはともかく、ちょっと興味深いことです。    ホルモン治療について。  女性ホルモンの投与を続けていた者に突然、まったく逆の男性ホルモンを投与した場合の危険性や効果についてですが、残念ながらこれについては文献を見つけられていません。よってあくまで医学的根拠のない推測となっております。誰か論文か資料ご存知ですか?できれば日本語で ^^;;;;  女性化時の症状については、GID関係のホームページを参考にしています。おそらくは事実に近いと思いますが、実際に試していないですしおそらく個人差も大きいと思うので(いないと思うけど)参考にはならないと思います ^^;