ひだまり はちくん TS-涼宮ハルヒの憂鬱、とあるイラストから出てきた小話。キョン、長門その他  初音ミク・巡音ルカのオリジナル曲『magnet』、それとpixivにある一枚のキョン子と長門(男)の一枚絵からインスパイアされた話です。  2010/05/04: 『異界事情』が長いので二つに分けました。   注0: ん、微妙にえろいシーンがあります。直接的ではないのですが、一応ご注意ください。  注1: いわゆるキョン子ネタですが中の人は普通のキョン(♂)、つまりTSF(ある日突然身体が女性化してギャーってタイプの話)です。いわゆる腐女子系名物の女体化(最初から男女の設定が逆というだけの原作再構成モノ)を期待したあなたごめんなさい。  注2: しかしキョン以外は腐用の世界がベースになってます。つまりSOS団の女はキョン子とアレだけです。女だらけのSOS団が好きな貴方もごめんなさい [#改ページ] ありえん[#「 ありえん」は中見出し]  ありえない状況だった。  だが脳内がじっくりと整理されてくるにしたがって、その意味がつらつらと俺の脳内にも浸透してきた。昨日の状況や寝入った時の心情、そこから導かれるこの事態。やっぱりそういう事なのかと。 「……」  鏡の中には、長い栗色の髪の小柄な美少女がいた。俺の顔を見つつ困惑の表情を浮かべている。    てゆーか、俺かこれ!?    ある日目覚めたら一匹の美少女になっていた。  普通ならこれだけで色々と絶叫もんの状況なんだろうが、ハルヒ絡みの異常事態にもう俺は慣れっこになっていた。だから比喩でなく本当に腰を抜かすかと思った事を除けばとりあえず混乱は避けられた。  改めてつらつらと鏡に写る見知らぬ『自分』を見る。  髪が長い。ポニーテールはもちろん余裕だ。はじめて出会った頃のハルヒの長さだな。もちろん中学時代の話でなく、あの自己紹介の時点での話だ。瞳の色はまぁ普通に黒。そして肌は自分で言うのもなんだが白くてシミのひとつもない。触ってみるとなめらかで吸い付くようだ。  だがちょっと疑問がある。  これもある意味『俺』なんだろう。なのに、ここまで『美少女』なのは何かの皮肉なのか?なぁ俺やこの娘を作った誰かさんよ。  胸。はっきり言おう、小せぇ。大盛り状態の朝比奈さんはもちろんの事、これはこれである意味悪くないんじゃないかと思える長門にすら勝てるかどうか怪しいほど小さい。もし俺が生まれた瞬間から普通に女ならきっと盛大にコンプレックスだったろう。間違いなく完全無欠にド貧乳である。これはどうしようもなく貧しい乳と書くレベルのサイズであって問答無用にアレなのである。  と、いやいやいやいやちょっと待て、今悩むべきは胸のサイズじゃないだろう、何やってんだ俺。  こんな事でジタバタしている暇があったら現状の分析と抜本的対策を考えるべきだろう、手遅れにならないうちに。そうしないと、そのうち俺の意見なんか全く見向きもされぬまま|桜花《おうか》作戦に突入した挙句問答無用に敗戦を迎えてしまい、とどめに一方的に敗戦側として以後数十年に渡って子々孫々まで戦犯扱いされるようなムカつく未来が待っていそうだぞたぶんだが。もちろん俺はというと当時の日本軍と違って打開策が皆無というわけではないわけで、そんなわけで俺はすぐさま、見たこともないほど華奢な自分の手にめまいを覚えつつ携帯電話をその手にとった。  ってこれまた可愛らしい携帯だな。たぶん男にはまず似合わないタイプだ。  見た事のない型だった。形はストレートで色はスカイブルー?いやむしろ|勿忘草色《わすれなぐさいろ》というべきか。透明感のある綺麗な水色。元々俺も高機能携帯をもつタイプじゃないが、これはもう完全にデザイン優先。機能は最低限でいいや、みたいな雰囲気を隠そうともしていない。俺も見た事くらいはあるのかもしれないが、あまりにも範疇外すぎて記憶してないんだろうな。  だーかーらー、現実逃避すんな俺。さっさと話を進めろってのに。  ぷちぷちと携帯を押す。ここがベッドの上でまだ起きたばかり、やけに肌触りのいいスリップ一枚をネグリジェのように着たままというのはとりあえず置いておこう。その下は申し訳みたいな薄いぱんつでもちろん生えてないとかそういう精神的打撃で頭痛がしてきたがそれもとりあえず無視だ。てーかしっかりしろ俺、本当、今はそんな事で悩んでる場合じゃないんだ。  そしてコール一発。相手はすぐに出た。 「……よう、おはよう長門……だよな?」 「……」  電話に出た相手はその沈黙が間違いなく長門だったが、それでもこの状況では疑問形にならざるを得なかった。  んで、返ってきた声がこれまたすごい。 『……君が『キョン』であればその通り──しかし、あなたが『キョン』であれば違うとも言える』  文面だとワケがわからないと思う。だが実際に聴いた俺は一瞬絶句した。  最初の『君』のあたりは少し渋みさえ漂わせる堂々のイケメン声だった。微かに長門を思わせる雰囲気はあるがまるっきりの別人であり、薄々予感しちゃいたとはいえ衝撃的だった。俺は正直脱力しかけた。  ところが一瞬置いて『しかし』からは俺のよく知る長門そのものに変貌しやがった。口調だけでなく声まで一変である。まるでイケメン野郎の横にいつもの長門が並んでいて電話口でパッと変わったみたいな早業だった。どこぞの殺人ロボットかおまえは。 「いったいどっちの長門だ。男か女かはっきりしろ」  思わず詮ない言葉を投げてみると、男の方だと答えた。 『あなたの記憶を通じ、そちらの世界の私と同期した。あちらは接続を渋ったが非常事態という事で許可してくれた』 「そうか」  男の方と言いながらも声はいつもの長門、つまり女の声だった。わけわかんねえが野郎の声よりは安心できる、ありがたい。  しかしそれにしてもあいかわらずというか、とんでもないな長門。どこの世界だろうと最強は変わらずか。  だが渋ったというのは何だろう。何か問題があったという事か?  率直に電話の向こうの長門に尋ねてみると、あっさりと返事がきた。 『性別の差が問題になるからと思われる。同期した場合、無意識に異性の行動パターンをとったり問題を誘発する危険性がある』 「へぇ……」  そいつは正直意外だな。おまえならそういう調整なんかお手の物かと思ってたぞ。  だがそう言うと、長門はすぐに返答してきた。しかもほんの僅かにだが、不本意とか不満といったものが口調ににじみ出ている気がした。 『情報統合思念体には元々性別という概念がない。あなたの知るわたし、つまり長門|有希《ゆき》とここにいるわたし、長門|有希《ゆうき》の違いとは「男とは、女とはこうあるべきである」という現場での学習成果にすぎない。よって性別の違う個体と混ぜるのは好ましくない』 「なるほど」  そもそも個体の区別があるかどうかすら疑わしいのに、性別もへちまもあるわけがない、か。  しかし、それにしてもこっちの名前は『ゆうき』と読むのか。字は一緒なのか? 『そう』  そうか。  しかし本当、電話だといつもの長門と全然変わりゃしねえな。当然といえば当然なんだろうが。  さて、そんな事より本題に入ろう。 「俺の世界の長門と速攻でリンクしてくれたという事は、もう現状は把握したと判断していいのか?」 『問題ない』  即答だった。さすがは長門、こういうところも変わらず頼もしい。  だが、その後の返答には少し違和感を覚えたのも事実だった。 『とりあえず今から迎えにいく。何でもいいから外に出られる服装をして待ってて』 「は……?」  一瞬俺はあっけにとられた。長門から迎えにくると言い出すなんて想像もしていなかったからだ。 「ま、まてまて長門、ちょっと待て!」 『なに』 「積極的対応は大変ありがたい限りなんだが、今はまだ時間が早すぎる。おまえは無敵かもしれんが常識的にいって女の子の出歩く時間じゃない、怪しまれるか最悪補導の対象になるぞ」  だから俺の方から行く、と言おうとしたんだが、なぜか長門は電話先でクスッと小さく笑いやがった。  ……って、長門が声出して笑う?  その盛大な違和感に目が点になった俺の耳に、最初に聞こえたイケメン野郎の声が聞こえてきた。 『だったら尚のこと、こっちから行かなくては。君は女の子だ、たとえ中の人格が何者であろうと』 「……それは」  淡々とした指摘だった。嫌味に感じないのはおそらくその淡白さのせいだろう。  そして確かにその通りだった。何マヌケやらかしてんだ俺は? 「すまん、おまえの言う通りだ。俺は色々と大混乱中らしい」 『無理もない。情報統合思念体も、そして俺も今回の事態は想定外だった』  へぇ。こっちの長門は『俺』なのか。声といい口調といい本当に別人そのものだな。 『先ほどの話の繰り返しになるが、ただちに合流したほうがいいと思う。君の世界のご家族同様、こちらのご家族もあらゆる事情について知らないわけで、特に今回の事態は無用な心配をかけかねない。抵抗があるかもしれないが、こちらに避難するほうが安全だろう』 「そうか、そうだな。そうしてもらえると助かるが……抵抗って何がだ?」  返事をしつつ思った疑問を言ってみた。 『気づかないのならば今は気にしなくていい。とにかく今重要なのは速やかな合流、これだけを念頭に置いて』 「わかった。ありがとう長門」  本当にありがたいと思った。  困った時の長門様というのはいつもの事なんだが、今回はいくらなんでも異常すぎる。大きな借りができちまったな。  だがその俺の言葉に対して返ってきたのは、 『気にしなくていい』  妙に照れたようなイケメン声の別人。わけがわからん。  いやしかしまったく、わけがわからない事になっちまったもんだ。  俺はしみじみとためいきをつきつつ、時間などを確認して電話を切った。 [#改ページ] 外に出るまで[#「 外に出るまで」は中見出し]  さて、さっそくだが外に出なくてはならない。  こうなると変な時間なのはむしろ好都合だろう。家人は皆まだ眠っているし、起きたところでちょっと外出と言えばすむに違いない。深夜と違ってもう早朝に近いから、おそらくごまかしようはある。  さて、と服を選ぼうとして少し悩んだ。  中性的なジーンズにしようと思ったのだ。ワンピースとカーディガンとシンプルにまとめる手もあったんだが、自分の姿なんて行動中は見えないわけで、股間がスースーする恰好は正直ごめんだと思った。  だったのだが。 「……」  ぎゅう、と締め付けるような超のつくスリム。行動が制限されるというほどではないが、やはり少し窮屈。  どれ、と姿見に向かってみる。 「……これはダメだな」  スカートはエロい、パンツルックだとエロくないだろうと迂闊にも思った俺だったが、もちろんそれは単に俺の人生経験が足りないだけだと速攻気づかされた。いやもう本当に。  つーかエロい。エロすぎる。  何より下半身の体型がモロである。思春期の性少年にとっちゃポーズ次第じゃ全裸よりやばい。これはさすがに却下だろう。股間のもりあがりまで何となくわかるに至っては自分の股間で興奮しそうになり、次の瞬間そのキモさに吐き気がするという非常に情けない経験までしてしまった。畜生なんでこんな目にあうんだハルヒのバカヤロめ。帰ったら絶対とっちめてやる。  だが、ふとワンピースに目をやったところでちょっと考えを変えた。  細かい横縞の入った無彩色のニットのワンピース。ワンピというより長めのVネックだが、これだとパンツルックの腰まで隠れる事になる。これと一番ゆるくて黒っぽいジーンズと組み合わせるとちょうどよくないか?  さっそく試してみる。よし、まぁいいだろう。  できれば化粧などもしたいところだが情けない話俺にはよくわからないから省略。まるで子供のようなサイズにめまいを覚えつつも靴下までしっかり履くと、今度はドレッサーに向かう。俺の方の記憶だと書架のあるところだがここがドレッサーになっていて、書架はベッドサイドに移動している。ふむ、こういうところはやっぱり少しずつ違うんだな。  とりあえずあまり時間がない。ブラシと櫛を駆使しておおざっぱではあるが髪を整える。ここでこの手順を省略すると綺麗にまとまらなくてむしろ大変だからな。面倒なことこのうえないが、それでもおそらくこっちの俺は切るつもりがないんだろうな、なんて事を考えたりもする。  よしできた。ポニーテール完成だ。  さて、と時計を見たらもうやばい。携帯とお金を持つと速攻で部屋を出た。抜き足差し足で家の中を通過し、玄関にさっくり到達する。  追撃者の気配なし。みんなおやすみ中。説明の手間が省けてホッとする。  一目で自分のだとわかったが同時に脱力しそうになったお子様サイズのスニーカーを履くと、口だけで「いってきます」と皆に挨拶をするとゆっくりドアをあけた。で、静かにまた閉める。  んでもって門の外に目をやった俺だがその瞬間、真っ黒い影がそこにいて思わず悲鳴をあげそうになった。 「……」 「……」  てか、そのデカい影はなんと長門だった。  もうだいぶ周囲も明るく、長門の顔もよく見えた。男子制服を着ている。今の俺が小さいので異様にバカでかく見えるが、おそらく男の俺とそう大きくは変わるまい。逆に俺が長門くらいしかないから、両者の身長が入れ替わったと思えばいい。  だが…………なんというテライケメン。  元々長門はかなりの美少女だった。それも一般的には高嶺の花に属するようなタイプだったりする。俺は色々とありすぎてそれほどには思ってないんだが、それでも可愛いという言葉を割り当てるなら、朝比奈さんとは対極の意味で美少女に属するとして間違いなく長門を推薦したろうほどには彼女は美少女だったのだ。  それが増幅されていた。とんでもなく。  男となる事で中性的な美をさらに増幅させたせいだろう、まるでギリシャ彫刻の美少年のようになっちまっていた。むきむきかどうかは知らないが筋肉もそれなりにあるのが制服ごしにもわかるほどで、ますます彫刻じみている。そのまま立たせて全身の型をとりたくなるほどにいい男だった。いやいや本当にすごい、こいつ本当にあの長門なのか?  だが、である。俺は別の意味でそれどころではなかった。  長門が長門であると認識された瞬間、俺の心臓がはっきりわかるほどドクン、と大きく脈うった。きゅっ、と一瞬だが息苦しくなった。  なんだと驚く間もなく心臓はドクンドクンドクドクドクドクと激しくビートを打ちはじめて、自分の顔が真っ赤になっているだろう事まではっきりとわかった。  な、なななんだ、なんなんだ?え?え? 「歩ける?」  そんな俺の状況を知ってか知らずか、この長門(男)は覗き込んでくる。てかやめろ見るな! 「……っ!」  息苦しい、きつい。なんだこれ、なんなんだこれ! 「落ち着いて」  長門(男)の声が耳に響いてくる。 「呼吸を整える必要がある。強引だけど少しだけごめん」  何をする気だと問い返そうとしたその瞬間、俺の意識は強制的に落とされた。 [#改ページ] 異界事情(上)[#「 異界事情(上)」は中見出し]  過呼吸症候群というやつを知っているだろうか?コンサートなんかで倒れる人が出るアレなんだが、要するに極度の緊張が原因で倒れてしまうわけだ。たぶん多くは心因性らしいんだが詳しい事はよくわかっていない。ただ一つ言える事は、臓器選択性といって、極度のストレスで強烈な胃痛や割れるような頭痛を感じる人と同じようなものらしい。呼吸困難に似た症状を起こして倒れるが、症状の派手さに比べてさほど重篤ではないという。  しかしまぁ、という事はだ。  俺自身はこれ初体験なわけなんで、ならば本来のこの身体の持ち主である女の俺の問題なんだろう。そうだよな?長門(男)? 「そういう事になる」  あっさりと長門(男)は認めた。 「だが君はそれを知るべきではないと思う。これはこの世界のSOS団が抱えてしまっている問題と密接な関係があるが、君の世界とは本来関係ない事だから」 「……そっか」  少し考えた末に俺はそう答えた。  俺は長門のマンションにいた。ぽつねんと居間のど真ん中に布団が敷かれていて、俺はそこに寝かされていた。  相変わらず生活感どころか家具もない空っぽの部屋だったが、布団のまわりにだけ不思議と暖かさを感じた。 「……なに?」 「いや、なんでもない」  この部屋と長門(男)の顔を見た瞬間、俺の中で何かがピクッと動いた。またドキドキが止まらなくなるんじゃないかと一瞬あせったが、それは本当にその一瞬だけだった。  だがその一瞬だけで充分だった。俺は、この身体の持ち主がこの部屋と長門(男)に対してどういう感情を持っているかが何故か理解できちまった。  なるほど。そりゃあドキドキするはずだ。当たり前といっちゃ当たり前だろう。  中に入り込んじまってる俺としちゃキモさ全開の状況なんだが、この場合は俺の方が闖入者であって二人に罪はない。責めるわけにもいくまい。  しかし、長門(男)とねえ。確かに同性の俺の目で見てもいい男なのは見りゃわかるが、しかしそもそも人間じゃないってあたりは気にならんもんなのかね?  いかに俺自身とはいえ別人、しかも異性ときている。当たり前だがその真意などわかりようもない。  正直、事情を聞いてみたい。いったいどういうきっかけがあってこの事態になったのか。  確かにこれは追求すべきじゃないだろう。よその人間である俺が関わるべきでない問題だ。  ただ最低限の疑問だけは解消させて欲しいので、そこだけ聞く事にした。 「話はわかった。ただ俺個人的にはこいつが心配だ。似ても似つかない姿だがやっぱり俺なんだろうからな。どうだ、ならば答えられる範囲だけでいいから教えてくれないか?」 「答えられる範囲なら」  長門(男)が頷いたのを確認すると、俺は率直なところを告げた。 「じゃあまずズバリ確認させてもらう。この身体本来の持ち主とおまえ、個人的に深い関係だろ?違ってたら指摘してくれ」 「……それは答えられない」  それ認めたのと同じ事だぞ長門(男)。まぁだからこそ困った顔なんだろうが。  しかし、よりによって両思いかよ。俺は天を仰ぎたい心境だった。 「そういう事なら仕方ないか。いや、おまえの言う通りそれはこの世界の問題だし俺は関わるべきじゃない。だがおまえの顔を見るたびに卒倒してたんじゃ俺も困る」 「それは問題ない、本来の君は対処法を知っているからね。まれに少し休まなくてはならないが」 「そうか」  なるほど。  しかし、どう考えてもこれは面倒極まる状態だな。  立場を元の世界の俺に置き換えてみれば簡単じゃないか。もし俺がハルヒそっちのけで長門か朝比奈さんに本格的に入れあげてしまったら、放置されたハルヒが何を考えるかって事だ。  最悪な事に俺はその実例をよく知っている。朝比奈さんと楽しく遊んでいた俺を見たハルヒがかつて何をした?  そうだ、たったそれだけのためにあいつは世界ひとつをまるごと再構築しようとした。実際には俺と朝比奈さんの間には何もなくて、ほんの小さな誤解にすぎなかったにも関わらずだ。  あれがもし完全無欠に本気だったら?  もし俺が朝比奈さんか長門に本気で惚れちまっていて、その最悪のタイミングをハルヒに目撃されていたとしたら?  そう。  それはもう、再構築なんてレベルじゃすまないかもしれない。  最近はハルヒだって常識的になってきた。少なくともいきなり世界を再構築、なんて不安定な事はもうないといっていい。  だけど、男と女という厄介な懸案事項は話が別だ。  比較的常識的な普通の女だって愛に狂えば車で家に突っ込んだり人をはねたりと凶行に走る。こういう事件は昔から起きていて、江戸を火の海に変えちまった女すらいる。狂った女ほど始末におえないもんはないってのは古今東西を問わず世界の伝統なんだ。  ましてやハルヒなら……冗談でなく世界そのものと無理心中しちまいかねん。 「なるほど、それでか……つまりその、秘密にしなくちゃという相反する気持ちがピークに達すると倒れちまうと」 「そんなところだ」  もちろん俺は男だし、いくら長門とはいえ男相手に恋愛する趣味はない。そりゃさすがにまっぴらごめんである。  だが、この身体本来の持ち主は当たり前だが女で、しかもこの長門(男)とそういう関係。そしてたぶんだが、今こうして話している間も『彼女』は消えているわけじゃないんだろう。俺が認識できないだけで、おそらくは『彼女』もいる。だからこそ俺が本来持たないはずの感情に反応してしまうんだろう。  試しに長門(男)に尋ねてみたら、少し悩んだ末にそうだと答えた。 「なるほど最悪だな。誰も悪くないだけに……いやむしろ、誰も責められないだけに本気でシャレになってない」 「……」  長門(男)の表情はあまり変わらない。そのあたりはやっぱり長門らしい。だが、それでも悔しさや悲しさ、切なさがにじみ出ているのもわかる。  だが、次に続いた長門(男)の言葉にはさすがにムッとした。 「一度、記憶を操作して忘れさせようとしたんだが激怒して拒否された。そんな事したら絶対許さないと言われて……本来その程度の事で任務を放り出してはいけないんだが、俺にはどうしてもできなかった」 「あたりまえだろバカ」  え?という顔をして俺を見る長門(男)を、俺は腕組みして睨みつけてやった。 「それはおまえが間違ってるぞ長門。俺がその立場だったとしても冗談じゃねえと怒るぞ絶対に」 「だがそれが一番いい。『なかったこと』にしておけば隠し事をする必要もなく、何の問題も起きない。本来の流れの通りに君は涼宮ハルヒと結びつく事になる。……ちなみにこちらでの名前はハルヒではないが」  いや、ハルヒの名前の事はとりあえずどうでもいいから。 「だから、ふざけんなと言ってんだテメエ」 「……」  困惑している長門(男)。  畜生、なんで長門とはいえ男相手にラブラブ話しなきゃいけないんだよ。いくら俺の外見がポニテの美少女だろうが俺自身の目線だと男同士なんだっつーの。頼むから勘弁してくれよ。  だぁぁぁぁもう、帰ったら絶対殴るぞハルヒのやつ! 「ひとの記憶をいじったからって心までいじれるわけじゃねえ、それがわからないとは言わせねえぞ?おまえだって自分の心が制御できなくて騒動を起こしたじゃないか、違うか?なあ!」 「それは」  そうだ。こいつだって知らないはずがない。こいつ自身が知らなかったとしても、俺の世界の長門と同期したんなら当然今はわかっているはずなんだ。  たとえ無敵のこいつだって、心までは制御できない。  理由?簡単だ、人間とはそういう生き物であって、こいつはその人間と同等にあろうとするモノだからだ。  あの朝倉なんかに比べると無口で不器用な印象がどうにも拭えないんだが、それは親玉がそう設計しちまったからにすぎない。武骨だから人間味がないなんて事はない。少なくとも長門なら女だろうと男だろうと、クラスメートを捕まえて「有機生命体の死の概念がよくわからない」なんてトチ狂った事は言わない。言うはずがない。  だから俺も言う。 「だからその選択だけはとるな、絶対だ。わかったか?」 「……ありがとう」 「は?何礼言ってんだ、仲間だろうが。……いや、俺は厳密には違うのかもしれないが」 「……」  特に何も言わないが、その沈黙が悪い意味でない事は俺にもよくわかっていた。  そう。  こいつや黄緑さんの同類があと何人いるのか、なんて事は俺は知らない。  だが賭けてもいい。こいつはたぶん他のどいつよりもぶっちぎりに人間に近い。ただ表現が下手糞なだけなんだ。  そう……人間と恋に落ちてしまえるほどに。 「!」  うぁ、また心臓がドクンと鳴った。  ちなみにまったくの余談なんだが、何がキモいかって一番キモいのは他ならぬ俺自身のような気がしてきた。  元の世界で、古泉がやたら近づいてきて困らされた事が何度かある。キモい離れろと何度言ったか俺は覚えちゃいないんだが、どういうわけか古泉の奴はまったく応えない。もしかしたら本当にガチホモなんじゃないかと訝った事も一度や二度じゃない。  だが、この長門はキモくない。古泉が余裕で霞むテライケメンにも関わらずだ。  それどころかドキドキが止まらない。いや、もちろんこの身体本来の持ち主がドキドキしてるんであって俺にホモっ気はこれっぽっちもありゃしないんだが、いくら間借り中とはいえ今は俺の身体でもあるんだっての!  畜生なんてひどいドーピングだ。  同じ身体に恋する乙女がいて男相手にホルモン全開なんだぞ、いったい俺にどうしろというんだ。  くそ、このままじゃ俺自身が後ろ指さされる事態になりかねん、何とかしなければ。 「……キョン」  ふと気づくと長門(男)が目の前にいる。見たこともないような優しい目をしているが、それを見た俺は思わず総毛立った。  だが同時に、キュンっと胸が苦しくなった。下の方で何かが外れたような気がした。  や、やばい。  やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい!!!!!  大混乱していると、急に視界が上を向いた。顎を手で押さえられているようだった。  それがつまり、長門(男)に顎を持たれて強制的に上向かされたのだと悟った瞬間、もう目の前には長門(男)の顔があった。  うわああああああっ!! 「まてストップこらっ!!」  必死こいて抵抗すると、長門(男)はようやく止まった。  ぜえぜえと荒い息をつく。なんだかもう無茶苦茶だった。 「……残念」 「ぜ、全然残念じゃねえから、ていうか俺を巻き込むな。そういうのは俺が帰ってから、元のこの身体の持ち主と好きにしろ」 「……」  いや、そこでどうして首をかしげる?しかも、 「まぁいい。後の調査は向こうの俺に任せる」  なんか意味不明の事言い出すし。 「……そろそろ本格的にわけがわからないんだが?」 「知らなくていい」  そう言うと、ふっと長門(男)は微苦笑と共に肩をすくめた。俺の世界の長門では絶対ありえない感情表現だった。  だがそれは男だから、とかそういう問題ではないだろう。やっぱり、こっちの俺とそういう関係にあるのが原因なのかね?  ふむ。 「なぁ長門」 「何?」  ふと気づいた事を俺は言ってみた。本当にただ単に思いついた事を言ってみただけなんだが。 「こっちの俺はここにちょくちょく来てるんだよな?たぶん」 「……」  否定しない。  まぁそうだよな、ここなら出入りの時さえ注意すれば後は安全だ。間違ってもハルヒに現場を押さえられる事はない。この世界に朝倉がまだいるのかどうかは知らないが、秘め事には最適だろう。  だが、俺が言いたかったのはそこじゃない。 「しかし、ここで俺たちは何をしてるんだ?家具があるわけでなし、まさかソレばっかりってわけじゃないんだろ?」  露骨な話題が混じっているが、あえて踏み込んでみた。  対する長門(男)は本当に不思議そうな顔をした。 「それを知ってどうする?」 「単なる興味さ。男女が長い時間を過ごす空間にしては生活感皆無だからなここ」  いや、他の部屋にあるのかもしれないがな。  だけど、それにしても本当に何もない。  俺の世界の長門ならわかる。あいつにとってここは待機場所以外の何者でもなかったから、せいぜい本を読むためのテーブルがひとつあれば他には何もいらなかったはずだ。  だがこの長門(男)は違う。女とつきあってる以上、いくらこいつが宇宙人印のアンドロイドだからって何もなしというわけにはいかないだろう。 「……」  長門(男)はしばらく沈黙していたが、やがてぼそっと語った。 「歌をうたっている」 「歌?」  そう、と長門は頷いた。 「一緒に料理したりする事もするし男女の営みにもつれ込む事もあるが、圧倒的に多いのは歌。なぜなら歌は他の作業と同時にできるから。料理の途中でもベッドの中でも、シャワーを浴びながらでも歌える。ここ防音だし」 「……なるほど」  生々しい返事をされてちょっと困ったが、へぇ。歌とはちょっと意表をつかれたな。 「デュエットしたりとかしてるのか?いやまさかそれはないか」  いくらなんでもベタすぎるだろうそれは。どこのオヤジ趣味だっての。  だが、ちょっとばかし俺は甘すぎたようだ。何がって?決まってる。デュエットと言った途端に長門(男)がやたらうれしそうな顔になったかと思うと、 「……歌う?」  もし尻尾があったらちぎれんばかりに振りまくっているだろう顔をして、満面の笑みになったからだ。  んで、いくらなんでもそんな|ありえない《インクレディブル》長門の顔を見せられた俺は抵抗する事も忘れ、 「……うん」  そう答えてしまっていた。 [#改ページ] 異界事情(下)[#「 異界事情(下)」は中見出し]  長門のマンションに和室があるのを覚えているだろうか?そう、俺と朝比奈さんが三年寝ていたあの部屋だ。 「計算では、あと二時間以内に君は元の世界に戻れると思う。最後の時間潰しにはちょうどいいだろう」  は?どういう事だと尋ねた。  和室にはテーブルがひとつ置いてあった。キャスターつきで移動できるようにしてあるそれには、ノートパソコンとそれにつながる音響機材、さらに二本のマイクまであった。 「マイクはあまり使ってない。それは録音してあれこれ批評する時用」 「そっすか」  それを応接間に運び出しつつ、長門(男)はさっきの質問に答えた。 「君の世界の俺の調査によると、涼宮ハルヒは君が突然倒れたものでつきっきりで看病しているそうだ。言い争いの果てに君を突き飛ばしてしまった事を深く彼女は反省そして後悔していて、既に彼女の深層意識に従って世界の一部が元通りに組み直されつつあるらしい。  それが完了次第、君は世界間の法則に従って元の世界に自然と引き戻される。そのための全所要時間は計算した者によって誤差があるが、おそらく二時間、前後しても15分ないと思われる」 「……そうか」  なら、俺の方はもう解決したも同然というわけだな。待てばいいだけなんだから。 「それで話が戻るが、こりゃ自作で揃えたってことか?」 「そう」  パソコン使った自作カラオケ環境かよ。もっと宇宙人的にステキ科学しているのかと思ったが、わりと普通なんだな。  入っているOSこそ見たこともない異質のものだが、おそらく以前にコンピ研の部長氏が言ってたアレだろう。つまり既存のOSとフルコンパチで、なおかつセキュリティも強固だという例の奴だ。  立ち上げてみると、全自動で音楽ツールが動き出した。俺も聞いた事のあるようなものから全然知らないものまで色々並んでいる。 「一番よく歌っているのは、それ」 「……これって、ネットでちょっと前流行った奴じゃないか?」  こっち方面は詳しくないが、結構有名になった曲で俺も覚えていた。ま、教えてくれた子がいたからってのもあるんだけどな。 「だがこれって女ふたりの歌じゃないか?これ歌ってたのか?」  元々キャラソンというかネタのはずだが『許されない愛』を思わせるフレーズがたびたび出てくる。だから百合解釈されている事がよくあるはずだ。 「問題ない」  っと、いきなりそこで女長門の声かよ。できる事はわかっちゃいるが違和感バリバリだなおい。 「いや長門、おまえは問題ないかもしれないが俺は──」 「……『俺は』?」  女の声なんか出ないぞ、と言いかけたんだが、ちょっと待てと自問自答する。 「♪あー、あー、あー……なるほど|女声《おんなごえ》か」  当然と言えば当然だった。何ボケかましてんだ俺は。 「……なるほど。これはこれで滅多にできない経験だな」  ていうか二度とない機会だろう、女の身体で女の声で歌うなんて。  うん、まぁいい。いろいろと子細はアレだが今はとりあえず楽しんでみようじゃないか。 「……」  対する長門(男)はというと、何が面白いのかそんな俺の横顔をじっと見ていた。    なんの気なしというか状況に流されて歌いはじめたわけだが、それは思いの他楽しいものだった。 「パート分けまで練習する時間がないから、とにかく声を出してみて」 「ん。わかった」  そうだよな。たしかこの歌、飛び交う蝶みたいに両方のパートが複雑に絡み合う歌のはずだ。綺麗に歌い上げようと思えばそれなりに練習が必要なんだろう。  あと二時間もないのではそんな練習までは無理だ。それよりもうろ覚えの歌詞をちゃんと身体に染み込ませる事にした。これだけでも何度かの再生を必要として、気づいたら30分以上が過ぎ去っていた。 「うん、よく声が出てる。一度録音してみよう」  そう言うと長門(男)がてきぱきとパソコンを録音にセットしていく。 「本当よく伸びる。よっぽど練習してるんだな」 「……まぁね」  男女の違いがあるとはいえ、ありえないほどこの身体は綺麗な声を持っていた。まずは練習と座り、上半身をリラックスさせてからおもむろに声を出してみると、身体が覚えているという事だろうか?信じられないほど美しい声と豊かな声量に自分で驚いたんだ。  練習だけではない。長門(男)が指定した歌もそうだ。 「長門」 「何?」 「この歌……やっぱりヤバくないか?」 「そう」  いや、そうって……今のおまえたちには危険な内容だろこれ、どう聞いても隠れ忍ぶ愛の歌だぞ。  だが俺がそう言うと、長門(男)は目を細めて微笑んだ。 「……キョンは言った。『幸せになったら悲しい歌は歌えない。この歌は今歌うからこそきっとよく歌えるんだよ』と」 「……」 「それに、今君が指摘したのは間違いないが、うたい出す前にそこまで推敲していたかい?歌詞の中身まできっちり推敲したのは実際に歌ってからじゃないかな?」 「……確かに」 「つまりそういう事。安全とは言えないが、君が指摘するほどの危険でもないという事だ」  長門(男)の言うキョンとはつまり、この身体の本来の持ち主。女の俺の事だ。まぁ当たり前だが。  しかし……そうやって長門(男)をチェキりまくってたんだな女の俺。この珍奇な長門(男)はおまえがせっせと育て上げた賜物ってわけだ。 「!」  ぴく、と身体の中で何かが動いたような気がした。  時間とやらが近いのかもしれない。  長門(男)の話じゃ機械的に異世界にぽんと放り出すようなイメージじゃなくて、じわじわと自然現象的に移動させられそうなニュアンスだったからな。この身体に占める俺の割合が下がればたぶん、だんだんと支配率というか、そういうものが逆転していくんだろう。  だが俺はこの時、気づいてなかった。  つまり、この「ぴく、」の瞬間にたぶん、俺の身体の主導権は女の俺の側に戻ったんだって事だ。まぁ気づいたからって何ができたわけではもないんだけど、この後にやってくる災難に少しは気構えができたかもしれないから。 「……じゃあ|ラスト《・・・》」 「ラスト?」  問いかけてくる長門にウンと答える。 「もう時間がないの。だから始めよう?」 「……そういう事か。わかった」  長門(男)はわかったようだが、むしろ俺の方が首をかしげた。  今の発言は俺のものじゃない。俺は何も言わなかったはずなのに、俺の口が勝手にしゃべった。しかもバリバリに女の口調で。  どういう事だ?  だが、それを考える時間はもう俺にはなかった。    歌が唐突に変わった。いや曲目は変わらない。長門(男)の、そして俺自身の歌い方までもが唐突に変わった。 「「〜〜♪」♪」  イケメン長門の美声の上に、透明でなおかつ甘い|少女《キョン》の歌声が乗る。  それは優しく甘い少女の声であり、そして同時に未熟な愛に溺れる若い女の声だった。乾いた男声がそれに絡みつき、滑らかに、そして|雄《オス》の強さで背後から押さえ込む。  これは……まずい。  客観的に聞いているのなら問題なかった。女の俺と男の長門という世にも珍しいカップリングのデュオというにすぎない。丹念に練習して練り上げた歌声であり、二人の仲のよさを感じられたかもしれないが、それは聞き惚れるという以上のものではなかったろう。 (……くっ)  引きずられている。  明らかに歌の主導権はもう俺にはない。にも関わらず俺は客観モードに入る事ができず、女キョンとして長門(男)との愛の共演を強制的にさせられてしまっているのだ。  この野郎、ワザとだな。  相変わらず俺は、女の俺を認識する事はできない。まるでそれは紙の表から裏側を俯瞰しようとするかのようで、そこに存在する事は明らかなのに、決してそれ自体に触れる事はできないという非常に悩ましい状態だった。  にも関わらず、そいつからの影響を排除できない。逆らう事ができない。  こいつ、意図的にこの俺を「女の自分」で染め上げようとしてやがる。くそ、可愛い顔してとんでもねえ性悪女じゃねえか! 「クスクス」 「?」  曲の間奏のところで声を出して小さく笑うと、女の俺は長門(男)に向かって左手を差し出した。その時点ではじめて、俺はもう身体の制御も奪われているのを知った。なるほど本当にもうすぐ時間らしい。  だが次の瞬間、俺は女の差し出した手の意味を知った。  長門(男)が静かに女を引き寄せた。そして何故か右膝を出しつつ女の腰を抱いたんだ。 (!?)  俺は女の体内で声にならない絶叫をあげた。だが女はピクッと一瞬身体をふるわせて、うふふと甘やかな声で笑っただけだった。  こ、こいつ、脚割りこませてやがる!  長門(男)の右脚が、女の脚を割って股間に食い込んでいた。少しだが強制開脚させられた女はそこにのしかかる形になり、さらに背後から長門(男)の右手が女の腰を逃げられないように巧みに押さえつけている。ふたりの身体が揺れるたび、女はピク、ピク、と蜘蛛の巣の虫のように一瞬だけもがいている。ある程度慣れているようだが一瞬の刺激の強さまではまだ殺せない、そんな反応だった。  女はたぶん恍惚の顔。それどころか下半身を巧みに動かし、自ら腰を振ろうと足掻くほど積極的に男から快楽を引き出そうとしている。  快楽の中にあっても二人の歌声は寸分も狂わない。ただ女の声質が急激に色っぽくなっただけで、それ以外は何も変わらない。  だが。 (うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!)  こっちは当然それどころじゃない。というかとんでもなく気持ち悪かった。  女はそりゃ気持ちいいだろう。第三者にこんなとこ見せるなんておまえら変態じゃねえのかとか言いたい事は誇張でなくてんこもりにあるんだが、それ以前に「俺が本来持っていない器官」から押し寄せてくる未知の感覚で苦悶にのたうちまわるハメになっていたんだ。  や、やばい、これ、ぜったイ、ま、まず、  た、たた、だ、誰か助け……は、はる、ハルヒ!!!  と、その瞬間だった。   『キョン!』    何か遠くから、あいつの声が突然に落ちてきたんだ。 『キョン!しっかりなさい!あたしはここよ!ここだから!ほら!』  刹那、苦悶の世界から俺はポーンとはじき出された。すべての苦痛がまるで服でも脱ぎ捨てるように一瞬で消えた。  そしてその瞬間、長門(男)と女の歌声も急速に遠ざかっていった。 『あー、行っちゃった。なんで?ねえユウキ、まだ早いんじゃないの?』 『あっちの涼宮ハルヒコ……ハルヒだったか。迎えにきたようだな。こっちの連結が構造的上位から問答無用で破壊されていく』 『???』 『簡単に言えば、君たちの言う神か悪魔に属する力と言うべきか。ここに在れと言えば在る、そんな力は人間の範疇ではないだろ?』 『げ……ははぁ、あのハルヒコも女に生まれれば積極的って事なのかしらね?』 『かもしれないな』  まだそんな声が聞こえていたが、それもみるみる小さくなっていき、そして聞こえなくなった。  長門のマンションの風景が消えて、いつのまにかどこかの病室になっていた。われらが団長様はいつぞやのように寝袋で爆睡中かと思えばさにあらず、俺の手をとりキョンキョン呼びつづけてくれている。  そうか。本当にハルヒが助けてくれたのか。 「キョン!キョン!しっかりなさい!キョン!」  うむ……どうやら完全に戻れたようだ。 「すまん……げほ」 「キョン!?」 「水くれハルヒ……悪い」  ハルヒは一瞬だけ泣きそうな顔をしたが、きゅっと顔を引き締めた。 「わかった、ちょっと待ってなさい。有希、ちょっとキョンの事頼んだからね!……っとに世話の焼ける」  いやその、いくら悪態つきながら走り去っても涙が見えちゃ意味ないぞハルヒ。  ふう、とためいきをついた。  どうやら完全に病室だった。俺はベッドの上に寝かされていて、もちろん着た覚えのない病人の服だった。誰に着せられたとかそういう事は想像しないでおこう。 「よう長門。……なんか世話かけたみたいだな」 「問題ない」  特にどうするでもなく、闇に溶けるように静かに長門はそこにいた。 [#改ページ] 結末[#「 結末」は中見出し]  俺が復活してからというもの、ハルヒを除くSOS団の面々の間では、俺の見た異世界の事が何度か話題になった。  何より今回の場合、向こうにもハルヒを含めるSOS団らしきものが存在、しかも全員の性別がこちらと逆らしいという冗談のような事実も明らかになっていた。俺が出会ったのは結局長門だけだったんだが、俺たちの長門と向こうの長門が情報交換していたおかげで「これは知らない方がいい」と長門が語ろうとしない部分以外はかなりの部分が判明、俺たちを本当に驚かせる事になった。  だが何よりも興味深かったのは、俺たちのSOS団に比べると随分と風通しが悪そうな事だった。 「これは組織として考えると大変よくないですね」  長門から話を聞いた古泉が腕組みをした。 「我々の組織構造を客観的にみればわかると思うのですが、涼宮さんを頂点にしつつ中枢にあなたが置かれています。つまりあなたは涼宮さん同様に実行部隊ではなく、しかし我々全員に影響を与えうる立場なのです。特に涼宮さんが関わる事のできない部分の場合、最終的な決定権は事実上あなたが握っているといってもいい。たとえば長門さんへの特別な指示や朝比奈さんの手伝いなどです。しかもこれは一部涼宮さんもご存知です」 「なに?」  ちょっと待て、今のはどういう意味だ? 「いえ、深い意味はありませんよ。  涼宮さんもちゃんと見ているという事です。たとえば長門さんですが、涼宮さんの言う事もきかない事がある長門さんをあなたは従わせる事ができます。もちろんそれは事前の同意などがあっての事なわけですが、涼宮さんは詳しい事情こそわからずとも、そうやって独自に長門さんに指示を飛ばしているあなたをちゃんと評価しているんですよ。ある意味理想的な管理職の姿でもありますね。  これらはもちろん意味を持ちます。事実、僕は涼宮さんにこう言われた事がありますから。『キョンとよく独自に意見交換しているでしょう?男の子同士だし何を話してるかまで聞くつもりはないけど、そこでうまく調整をしてみてもらえるかしら?』とね」 「……なるほど」  そりゃそうか。あいつはそもそも視点がおかしいってだけでバカじゃないからな。  ふむふむと俺が納得していると、古泉も大きく頷いた。 「話を戻します。  これらの事からわかるように、あなたは対外的にはともかく我々SOS団にとってはキーパーソンなのですよ。我々のすべてと独自のパイプをもちなおかつ、涼宮さんに真っ正面から弓引く事のできるただひとりの存在なのですから。  逆にいうとあなたが特定の誰かに大きく肩入れしてしまった場合、我々のバランスは大きく崩れてしまう」 「どうでもいいが少し離れろ古泉、なんでそう近づいてくるんだおまえは」  俺が古泉を遠ざけている時、朝比奈さんは悲しそうにぼそりと語った。 「つまり、あっちのキョン君……キョンちゃんかな。彼女が長門……くんとくっついちゃったからバランスが崩れたんですね」 「ええ、ズバリそうだと思います。僕の推測ですが遠からず、彼らの『SOS団』は破綻すると思います。良くて内部崩壊、最悪の場合は……該当世界そのものの終わりですかね」  古泉は朝比奈さんの方を見て静かに頷き、そしてまた俺の方を見た。 「まぁ我々の場合、あなたが涼宮さんの方を向いているおかげでこのあたりの心配は無用なのです。多少のお茶目や細かいイベントはありますが、基本的にあなたはピクリとも揺らいじゃいませんからね」 「……ふん」  言ってろこの野郎。  そうして俺たちは再び、俺のパソコンに長門がダウンロードしてくれた人物写真に目をやった。そこには俺が遭遇した長門(男)を含む、あちらの面々の写真があった。涼宮ハルヒコ、長門|有希《ゆうき》、朝比奈ミライ、古泉|一姫《いつき》と名づけられた怪しげな写真の一団を見た面々は、先刻からあれやこれやの議論を戦わせていたのだが。 「うふ、キョンくんかわいい〜」 「……」  ああ、いやその。つまり例のアレ『キョン子(仮)』というのを見て激萌え中の朝比奈さんがいたりするわけで。  いやしかしでもですね朝比奈さん、ご説明したようにこいつ凄く性格悪いわけで。  だが朝比奈さんはにっこり笑って俺の言葉を遮った。 「うふふ、キョン君がきっとウブで可愛く見えたのね。ちょっとからかってみたって感じかな?」 「いやぁ、朝比奈さんの弁護はある意味ありがたいものがありますが、正直そんな可愛いもんじゃ……」  だが何故かどういうわけか、長門や古泉までもが朝比奈さんに同意した。 「お話を伺う限り、本気であなたに危害を加えるつもりだったようには見えませんからね。朝比奈さんの言われるようにお茶目の|範疇《はんちゅう》でしょう」 「あの程度なら、軽い悪戯ですむと思われる」  な、なななんでこういうタイミングで団結するかな、こいつら。  とまぁ、そんな話をしていた俺たちはとってもやばいものが接近しているのに迂闊にも気づかなかった。信じられない事に長門すら気づいちゃいなかった。   「何見てるのかしら?」 「!?」    うげえハルヒ、と絶句した俺たちの驚愕虚しくハルヒは「ん?」と俺のモニターを覗き込んだ。 「何これ?……あー、もしかしてこれって私たちなわけ?性別反転ネタって奴よね。キョン、あんたこういう趣味なわけ?」 「全力で否定する」  迷う事なく即答した。いくらなんでもその誤解だけは勘弁だった。 「んん、でも随分クオリティ高いわね。これほどの加工技術があれば何か流用できそう。作ったのは有希?」 「そう」  まぁ嘘はついてないな。データソースがあるか全くの創作かの違いがあるとはいえ。 「ふ〜ん、ちょっと悪趣味かなと思うけどこれ技術はとんでもなくない?まるでこのまま本人がいて歩き出しそうじゃないの」  歩くさ。ていうか実在の人物だしな、全員。  ハルヒは感心したように写真を一枚一枚見ている。まず自分の顔見て「なにこいつ、なんか超むかつく顔ね」とか眉をつりあげてみたり「うわ、有希すっごいイケメン……ねえこれ紙に落とせない?」などと騒ぎはじめた。「みくるちゃん、さすがにこれは男の子に見えないんじゃないかなぁ。いや、超絶可愛くてこれはこれでいいんだけど♪」「ええええ、なんで古泉君がこんなんなるわけ?あ、でもいかにも策略家っぽい目線は共通なのね」なんて会話をしながらあれこれ見ていたわけだが、これまた当然のように『キョン子(仮)』のところでピタリと止まるわけで。 「…………」  無言でパソコンひっ掴むとなぜか俺の横に並べてみたりするわけで。 「……ねえキョン」 「なんだよ?」 「来週一週間だけこっちにならない?メイドさんひとり足りないんだけど」 「できるかっ!」  出し抜けに何言い出すかと思えば。 「てゆーかそもそもメイドさんてなんだ。学園祭まではまだ間があるぞ」 「いやいや、ほらENOZ覚えてる?あの子たちのライブに応援行きたいんだけどー」  などとアホな事抜かすハルヒを相手にためいきをつきまくる事になるわけで。  そんでもって、あっちの世界から呼び戻してくれた礼だってまだちゃんと言えてないって事に今更のように気づいたりするわけだが、しかし全くひとの事をきかないハルヒの相手をしているうちに時間だけが過ぎてしまうわけで。  そしてまた夕方になった。    珍しい事もあるもので、帰りがなぜか長門と二人になった。  世界は夕焼けの赤に染まっていた。そんな中、俺と長門は学校の坂を降り、街に向ってとぼとぼ歩いていた。 「……何が知りたいの」  唐突に長門がぽつりと言った。 「なんだ、俺が質問したがってると思って待っててくれたのか。悪い事したな」 「いい」  長門はピタリと足を止めた。後ろを歩いていた俺も止まった。  そのまま振り返らずに赤い闇の中、長門は言った。 「最初に言っておく。それはもうあなたには意味のない情報」 「何を聞きたいかはわかってるんだな……そう、あの世界の『その後』だ」  皆にあの世界について話す時、長門は人物データや過去の情報のみを公開し、そして現状どうなっているかについては全く語ろうとしなかった。それは現地を覚えている俺には非常に不吉な予感をもたらしたわけで、そういう事情があってどうしても聞きたかった。 「知りたいの」 「ああ」 「……わかった」  そう言うと再び長門は歩き出した。俺もそれに従った。  赤みが深くなっていく世界の中。いつしか世界は、俺と長門だけが動いているようにも見えた。それはまるで俺たちのまわりだけが切り取られ、永遠にどこか別の場所に封じられてしまったような錯覚すら起こさせた。 「……あの世界は滅びた」  ぽつり、と長門はつぶやいた。それは唐突で短く、そして断定だった。 「彼女──仮にキョン子とする──キョン子と向こうのわたしの関係が涼宮ハルヒコ──あの世界の涼宮ハルヒに漏洩した。時はあの直後」 「……あの直後?俺がこっちの世界に戻った直後って事か?なんでまた?」  そう、と長門は頷いた。 「あの日、彼らのSOS団は小さなイベントを行うはずだった。しかしあなたがキョン子の精神に憑依してしまったために当然イベントは開催不可能となった。だが向こうのわたしはキョン子の声色を使い、体調不良を装った電話をかけるだけの処置にとどめ、キョン子の自宅不在という矛盾を埋めるための情報操作を怠った。  その事実が、かねてから二人の関係を疑っていた涼宮ハルヒコの疑念に火をつけてしまった。  涼宮ハルヒコは涼宮ハルヒほど傍若無人ではない。だが基本はやはり涼宮ハルヒと同一人物であり、その行動力や能力は侮れるものではなかった。涼宮ハルヒコは写真部から超望遠レンズとカメラを持ち出すと向こうのわたしの部屋の監視を試み、とうとうキョン子がいるのを確認してしまった」 「……そうか」  しかし、そこからどう転んで破滅につながったんだ?  まさかいきなりハルヒ、いやハルヒコか。どっちにしろ同一人物というのなら、いきなり世界を破滅させるわけがない。おそらくは真っ正面から詰問に出たのだろう。ふたりがくっついた事自体も問題かもしれないが、それを隠していた事だってハルヒの性格を考えれば耐えがたい事に違いないからな。 「そう」  長門は俺の考えを肯定するようにつぶやいた。 「あなたの言葉はおそらく正しい。涼宮ハルヒも涼宮ハルヒコも基本の性格は全く同じ。だからいっその事、真っ正面からキョン子をとりあうという路線に変更すれば、多少の問題は発生しても最悪の悲劇は避けられたはず。だがそれは実現しなかった」 「なぜだ?」  たとえSOS団で陳腐なラブコメを展開するハメになろうが、それでも世界が破滅するよりはよかったはずだ。どうしてそうしなかった? 「キョン子が泣いて嫌がった。向こうのわたしは彼女にそれ以上無理強いできなかった」 「……どういう事だ?」  なんでそこで嫌がる?世界がかかってるんだ、それがわからないバカじゃなかろうに。なぜ?  だが長門の返答は明解だった。 「キョン子と向こうのわたしの関係がヒント」 「……」  まさか、そういう事なのか? 「それってつまり……双方公平に扱うなら、当然……ハルヒコだっけか。そいつとも関係を結ばにゃならないってのか?そんなバカな!」 「でも、涼宮ハルヒコはそれを求めた」  おいおい。 「……信じられん、本当にハルヒの男版なのかそいつは?」  ハルヒはバカで理不尽で滅茶苦茶な奴だが、ガツンと言われてわからないバカじゃない。単にあいつは行動原理がガキでアホなだけで、その点を除けばむしろ賢い女だと思う。  だが俺がそれを考えた時、どこかで聞いたような小さなつぶやきが聞こえた。  んで、ここで聞くはずのない声が聞こえたんだ。 「わからないか?キョン」 「だぁぁぁ、イケメン声!!」  長門が唐突に、あの忘れられないイケメン声でしゃべりはじめた。 「心配するな、これは同期の結果残された残存情報にすぎない、そう思っておいたほうがいいぞ?」 「いちいち不安要素を混ぜるな!てーか元の長門に戻れっての!」 「そう」  一瞬で元の長門に戻った。いやまぁ、声だけだしな。 「わたしにはよくわからなかった感覚だが、向こうのわたしと同期したおかげで理解できた部分もある。  つまり、涼宮ハルヒコは愛憎に狂っていた。いつまでも振り向かないキョン子を執拗に追い求め、ストーカーじみた行動に何度も出てキョン子を辟易させている。またキョン子と向こうのわたしが肉体関係に入った最終的な要因も、ハルヒコを巻いたキョン子がわたしのマンションに逃げ込んだ事による。迷惑かけ通しである事でキョン子はわたしに負い目に近い感覚を持っていて、慰めの言葉をかけたわたしに『だったら私をあなたの所有物にして欲しい。あなたの一部なら迷惑をかけても気にせずいられる』と詰め寄ってきた」 「……マジかよ」 「マジ」 「……」  うっげえ鳥肌たった。なんつー無茶苦茶な迫り方してんだ女の俺。まぁ、それだけ精神的に追い詰められてたんだろうが。  長門は一度振り返って俺を見た。その表情はいつも通りだが、どこか|瑞々《みずみず》しさというか生々しさを伴っていた。 「彼らのセキュリティは微妙に甘い部分があった」 「ああ」  歌の選曲で実感した。潜在するセキュリティを意図的に無視しているような、そんな危うさを感じたぞ。  その事を言うと、長門はゆっくりと頷いた。 「わたしにはよくわからないが、不倫などの関係にはよくある事らしい。潜在的に破滅の毒を秘めているという事自体がお互いの関係を深め、両者をしっかりと結びつけるものらしい。少なくとも二人はそうだった。  それに、いくら隠してもいずれバレるだろう事も二人は予感していた。ハルヒコは本当に執拗だったし、SOS団の他の面々は何とかして二人を引き裂こうと画策していたから」 「……マジでか」 「マジで」  ……ひでえ。  じゃあ、古泉はともかく男の朝比奈さんまで二人の敵だったっていうのか?もうSOS団の|体《てい》なんて成してないじゃないか。 「どうしてだ?」 「……」 「あの世界ではどうしてそうなった?ハルヒコだっけ?そいつとハルヒのどこがどう違ってたんだ?」  そうだ。そもそもどうしてそんなひどい事になっちまったんだ?  だが、長門はためらいもせずにこう返してきた。 「何も変わらない。強いて言えばあなたとハルヒの性別が逆だったのがすべての原因」 「?」  わけがわからん。たったそれだけの理由でどうして──。 「あ」 「わかった?」 「もしかして、性別だけって事は奴の行動はそのままなのか?自己紹介の時の宇宙人未来人がどうのとか、俺の首根っこ掴んで踊り場まで引きずった挙句部活作りに協力しろとか、あの手の電波行動までもそっくりそのまんまって事か?しかも俺が女子で奴が男子でか?」 「そう」 「それは…………」  うわぁぁぁぁぁ痛ぇ!あいたたたた。  さすがにダメだろそりゃ。いくら女の俺が物好きでもドン引き逃走間違いなしだぞ。 「それでもキョン子は多少の譲歩はした。部活の設立までという限定で手伝い、その後は断固として参加を拒否するつもりだったらしい。  しかし、文芸部室で長門|有希《ゆうき》を見てしまった事が彼女の未来を大きく狂わせる事になる」 「ほう」  つまり、あの長門(男)にそこで参っちまったわけか。 「しかしよくその状況で残留したな。帰宅部になって外からアプローチするとか他に手はなかったのか?」 「それは無理」  いつしか長門のマンションに来ていた。そのまま当たり前のように「きて」と長門は俺を招いた。もう暗いし悪いと思いつつも、話の途中だったから俺もそのままお邪魔する事にした。  エレベータをあがり、部屋に入る。 「おじゃまします」 「……どうぞ」  なんだ?やけに優しい声で言うんだな長門。やっぱりあの世界の長門と同期したせいなのか?  とりあえずあがった。  で、話は続く。 「長門|有希《ゆうき》は校内に強大なファンクラブを抱えていた。入学直後に彼を見かけた者たちが結成したもので、SOS団設立活動の頃にはその人脈も含めて生徒会よりはるかに上の権力を掌握するほどに成長していた。抜け駆けしようものならその人脈を通して、全校生徒の二割ほどが確実に敵に回るほどの苛烈なものだった。  つまり、そういう組織に所属しないキョン子の場合SOS団所属は唯一の抜け道だった。トップに涼宮ハルヒコという強烈な存在が座っているSOS団はいわば台風の目であり、そこにいる限り長門|有希《ゆうき》にいかに近づこうと誰も叩かない、正しくは叩けない。涼宮ハルヒコをわざわざ敵に回そうという酔狂者はどこにもいなかったから」 「……」  げげ、|怖《こえ》ぇ。鳥肌立った。  なるほど、一般生徒を避けてSOS団に逃げ込んだのか。その流れはいくらなんでも想像しなかったな。 「もちろん涼宮ハルヒコは大喜びだった。彼は理由を知らなかったが、キョン子が残留を選んでくれただけでもその時点では満足だった。何しろキョン子はあなただし、涼宮ハルヒコは涼宮ハルヒ。元々惹かれあう存在なのだから」  いや、そのへんは強烈に否定したいところだぞ。まぁ腐れ縁程度ならありうるが。 「だが、それじゃあ結成当初から破滅要素を持っていたという事だよな?なんともコメントのしようがないんだが」 「そう」  冗談じゃないぞ。もはやそりゃSOS団の名を借りた何か別の集団だろう。  ハルヒの立ち位置にいる男はストーカーの上に飾り物のカカシ同様の存在で、SOS団のメンバーは全然違うところでドロドロ人間模様を繰り広げているって事だろ?しかも最後には破滅。救いも何もねえ。  なんだかんだで俺たちはちゃんとSOS団している。ハルヒが立場上裏に関われないのはどうしようもないが、もちろんわれらが団長様を外すなんてありえん。あいつが居てこそのSOS団なんだからな。  そう言うと長門も頷いて肯定した。  そしてこんな事も言った。 「でも、たったひとつだけ救いが残った」 「救い?……だって世界が滅んだんだろ?」  救いなんてどこに、と言おうとした瞬間だった。  長門が俺の手をとってきた。何だと思った次の瞬間、俺の脳裏に何か、パパッと風景みたいなものが写ったんだ。    どこともしれない異邦。たぶん地球じゃない……いやもしかしたら地球かもしれないが、そもそも人類が生まれないような根本的にどこか異質の世界。  そこにいる、寄り添ったふたつの影。    ふと気づくと風景は長門のマンション。長門が目の前にいて、湯のみが湯気をたてていた。 「……今のは何だ?」 「見た通りの風景。わたしに送られてきた。発信地は……不明」  ウソだな。知ってるが話す気はないってか。 「これ、あいつらだよな?生き延びたのか」 「そう」  ハルヒでなく長門を選んだあの世界の俺。愛憎のねじれから起きた破滅。  本来なら爆心地で即死確定のはずだった二人だが、どういうわけか辛うじて脱出に成功した、という事か。  なるほど。  言いたい事や突っ込みたいところは誇張でなく山のようにあるが、確かにほんの小さな救いだけは残ったわけだ。  俺はためいきをついて、そして思った。 「なぁ長門」 「なに」 「せめて……いい未来があるといいな」 「……そう」  誰の未来か、は俺は言わなかった。  長門もまた、どうとっていいのかわからないような返事をして、そして小さく微笑んだ。  うん。  さっぱりわけのわからない事件だったが、長門がこの小さな微笑みを手に入れただけでも良しとしようじゃないか。    まぁ今にして思う事だが……いや正直なところ、いい考えとはいつだって事後に浮かぶものだからな。それが先に浮かべばいわゆる天才になれるんだろうが、あいにく俺は一介の凡人にすぎない。だから俺はこの時も、大変やばい地雷を自分が踏んじまっている事に全く気づいていなかった。 「……」  長門のマンションを外から見ている瞳がある事に。  そしてそれが、ありえないような驚天動地のイベントの幕開けである事にも。      週あけの朝。 「おっはよーキョンちゃーん。あれぇ?どしたの?」 「……」 「キョンちゃん?」 「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!ななななななないっ!ないっ!!」   (おわり) [#改ページ] あとがき[#「 あとがき」は中見出し]  hachikunです。久々の二次創作なのに何故か本家が数年ぶりに新作スタンバイに入っちゃったハルヒものですみません。  キョン子ものと言えば通常は女体化系、つまり腐女子のイメージが世間では強いようです。しかし世間はどうあれ私はキョン子が好きで、はじめて見た瞬間に創作心が激しく刺激されたのです。いつかこのキャラの話を書きたいと。  ただいわゆる女体化は範疇外なので、もちろんウチのスタイルに従いますので中の人は本来のキョンで「ある朝目覚めたら女になっていた」とフランツ・カフカのオマージュ(そしてTS女性化ものの究極定番でもある)をやる事にしました。  う〜ん。もちょっとエロくするべきだったか。  いや、女性の描いた百合ネタで脚割りというのを見て不覚にも激萌えしちまいまして、ああいうネタをもっと追求してみたいと考えています。  あと、もう少しキョンをいじめる話がいいですな。  それでは。 [#改ページ] 設定(随時更新)[#「 設定(随時更新)」は中見出し] 『ふたりが歌っていた曲目』  『magnet』 オリジナルは初音ミク&巡音ルカ。当SSのイメージは、リンク先のhalさんという方がひとりで歌われている(女声もこの方が歌っています)バージョンです。    『時間軸設定』  特に指定していませんが『分裂』までのすべてのハルヒシリーズよりも少しだけ未来のどこかと思われます。   『本編と異なる独自設定』  この世界では、性別に関するシチュエーションが違います。つまりキョンと古泉が女で、ハルヒ、長門、朝比奈は男(ハルヒコ、ユウキ、ミライ)です。ジョン・スミスはジェーン・ドゥだし、キョン妹はキョン子弟です。しかし本SSのキョンの中にいるのは元の世界のキョンであり、ちょっとしたトラブルでハルヒに|突き飛ばされて《・・・・・・・》この世界におっこちてきます。  まぁぶっちゃけ、いわゆるキョン子世界が原作世界とは別にあり、そこにキョンが精神だけ飛ばされてしまったという事になっています。  長門の同期について。原作には時間軸の異なる長門同士の同期はあっても異世界間の同期描写は(少なくとも分裂時点では)ありません。この問題を解決するのに以下の方法をとりました。  以下、たぶんこの番外編は作らない予定なので簡単に説明します。   『本編と異なる独自設定2:長門の同期について』  本SS開始時点で、長門(男)は時空を越える方法を知りません。  キョン子の身に異世界における「男のキョン子」つまりキョンがやってきた憑依したと知った瞬間、彼は残留するあらゆる記録を参照・解析し、キョンの通ってきた道を割り出し、そこからキョンの世界の長門にリンクします。さらに現状のキョン子との危険を踏まえ、世界間移動という究極の可能性について考え、ただちに解析に移ります。  彼はキョン子(中身はキョン)を保護したりその相手をする裏側でデータ解析を続け、ついには時空を越える方法にまで到達します。  だがそっちに全力を注いでしまったためにアリバイ工作のための情報操作を半端なまま後回しにしてしまい、その情報のほころび(体調不良という事になっているのにキョン子が家にいず病院にいった気配もない)に先にハルヒコに気づかれてしまう。で、それが破滅につながる最後のイベント発生の引き金になったという流れになっています。  もちろんですが長門はこれを知ってますが全く触れません。なぜなら本SS終了時点の長門は長門(男)の経験値を内包しているからです。キョンは「この微笑みを手に入れただけでも」と言ってますが、キョン子と不倫同然の関係に落ちていた存在を内包してるっていう事実に彼は気づいているのだろうか?(汗)