混ざり姫・改 はちくん TS-月姫、秋葉シナリオアフター。 ・18禁部分を書き換え復活中です。書き換え次第掲載していきます。 ・秋葉トゥルーエンドの未来です。 ・幻視同盟その他の追加イベントは一切起きていません。 [#改ページ] 悪夢(警告:猟奇系)[#「 悪夢(警告:猟奇系)」は中見出し]  違和感があった。  自分であって自分でない、そんな感覚が全身にまとわりついていた。重さもなく苦しさもなく、なのに不快なものが全身をすっぽり包んでいた。  わけがわからない。  自分がどうしてここにいるのか。ここはどこなのか。いつから、いつまでここにいるのか。  わからない。答えは出ない。  夜の街。深夜。  虚ろな外灯が並ぶさまはまるで影絵の世界。その中に私はいる。小さな路地裏に。 「……」  無心に私は、それを……いや正しくは『命』を食べていた。  切断面に口をつけ血をすすった。この身は人喰いではないが、瑞々しいイノチのほとばしりは非常に美味で、この異質なる身にはとても心地よいものだった。  それは、天上の美酒のようなもの。『在る』ために必須ではないが、心酔わせ心地よくさせるもの。充満する鉄の香りは濃厚にして芳醇。    吸血衝動。    ああ。■■に牙をたてた■■の気持ちがよくわかる。  これは良い。実にイイ。■■■■にも似てこの身を震わせる。  ひく、と私の中で何かが動いた。 「……」  だが、不快感もよぎる。  私に混じる「もうひとつ」が、融けあいながらもそれに歯向かう。異質なるものを殺せ、殺せと騒ぎ続ける。自身すらも否定しようとするかのように。    つまらないことを。  こんな素晴らしくおぞましく心地よい世界を、どうしてそうも否定するのか。   「……」  ふたつの狂騒が荒れ狂う。正反対のものが中でわななく。  けほ、と咳込み血を吐き出した。 「……うげ」  わんわんと声が響く。頭が痛い。  苦しさに耐えかね、立ち上がった。 「……」  路地の中は血の海だった。  私はその中に血まみれで、かつて人間だったナニカを抱えていた。こぼれた中身をずるりと引きずっている。腸は私の脚にまとわりつき、まだ生気を残した臓器が生臭い臭気を発している。  むせかえる「生」の匂いが不快で。  ──そして、心地よくて。 「……」  その、もう動かない塊に頬ずりした。生温かさと、さっきまで生きていた柔らかさにうっとりする。 『……』  私を呼ぶ声がする。  帰ってらっしゃい。誰かがそう呼んでいる。 「……」  ぐるる、と喉が鳴った。 『……』  呼ぶ声が強くなった。  そろそろ無視し続けるのも限界だろう。私の中のナニカも「帰ろう」と言っている。  私は鼻を鳴らすと、それを投げ捨てた。  さらりと揺れた真紅の髪を左手でなでつける。  まとわりつく腸を振り払い、闇に向けて歩きだした。    ぴちゃ、ぴちょ、と鉄分を含む血の音が、歩くリズムにあわせて鳴っていた。 [#改ページ] 安らぎ[#「 安らぎ」は中見出し]  姉さん。彼女は俺をそう呼んだ。  悲しくはなかった。俺に訪れた異変を彼女は受け入れてくれ『兄さんだろうと姉さんだろうと帰ってきてくれた事には変わりないもの』と優しく抱き締めてくれた。  なんというか、秋葉らしい再会だったと思う。  翡翠や琥珀さんですら最初俺が俺だとわからなかった。先輩がせいいっぱい説明してくれて、そしてまず翡翠が納得し、最後に琥珀さんもあきらめたかのように納得してくれたんだ。もっとも翡翠は俺が俺である事はすぐに理解したうえで、むしろ「どうして変わってしまったのか」についてしつこく先輩に問い質していたみたいだけどまぁそれはそれ。それぞれ、あたり前といえば当り前の反応だったと思う。    だって。  この身はもう『遠野志貴』とはいえない。  七夜の生き残りであり身体の壊れた少年はもういなくて、ここにいるのは遠野秋葉をそのままコピーしたような、そんな存在にすぎないのだから。    なのに。  なのに秋葉ときたら「え?」という顔でしばし固まった後「兄さん、ですか?まさか」って言ったんだ。  これには本当に驚いた。だってさ、自分と瓜ふたつの女の子がいきなり現れたんだぞ?なのに、いきなりこれなんだから。  まぁ『痕跡』のせいだと後で聞かされた時は「なるほどね」って思ったんだけど。   「おはようございます姉さん」 「ん、おはよ」  目覚めると、そこには秋葉の顔があった。 「……ん……?今朝はどうしたの?秋葉」  珍しい。翡翠でなく秋葉が起こしてくれるなんて。 「覚えてないんですか?昨夜体調崩されたんですよ姉さん」 「そうなの?」  はい、と秋葉はうなずいた。 「琥珀は食事の準備をしています。翡翠はずっとついていたので今は休ませてます」 「そうか。ん?じゃあ|秋葉《おまえ》は?」  秋葉の顔をみるに、翡翠ひとり付かせて自分は自室で寝ていた?  いや、それは何か違うような気もするが。 「……」  無言で窓と反対側の壁を指さす秋葉。と、 「なるほど」  そこには、仮眠できそうなくらいのフカフカしたソファー、それに毛布があった。 「最初は私も見ていたんですが、気づいたらあれに寝かされてました。琥珀でしょうね」  ふふ、と微笑む笑顔は、ちょっと不本意そうでもあった。琥珀さんに無防備なとこをさらしたのが悔しいらしい。  なんだか面白い。あんなに仲がいいのに……っていやこれはむしろ「仲がいいがゆえに」なのか。  それにしても。 「……また倒れたのか俺?全然記憶にないんだけど」  そうでしょうね、と秋葉は頷いた。 「夜半すぎに玄関で倒れているのを琥珀が見付けたんです。寝ぼけてお庭をうろうろしてたんじゃないかって」 「へ?」 「外には出られませんからね。兄さんの頃は知りませんけど今の姉さんじゃ」 「……そうか。そうだな」 「まだココロと身体の整合がうまくとれてないのかもしれませんね」 「ふむ」  そういや、先輩もそんなこと言ってたっけ。  俺の身体は、七夜である俺本来の属性と遠野である秋葉の属性の混沌となっているらしい。いろいろとおかしな事があるのはある意味無理もないことなのかもしれない。  あれ?  そういえば先輩にその話を聞いた時、他にも何かあったような……?  ふと見ると、秋葉は穏やかに笑っている。目は笑ってないが。  ──何か隠してるのか。たぶんそうだろう。  俺は笑って秋葉の頭に手をやり、髪を撫で頬を伝う。 「なんですか姉さん」 「……いや別に」 「そうですか」  そう言いつつ、くすぐったそうに秋葉は首をすくめた。    確かに俺は変わったんだろう。いろんな意味で。  以前の俺ではなくなっている。「線」の見える目もそのままだけど身体の負担はむしろ少なくなった。いやむしろ、定期的に使わないと苦しくていられないほどにすらなっている。  それはきっと、ガス抜きのようなもの。  本来の俺なら持て余し自滅してしまうだろう秋葉の身体だけど、他ならぬこの『目』が異端の力を使っているのか、あるいは『目』を使う事による身体の負担をバックアップしているのか……まぁそんなところなんだろうと思う。  それが何を意味するのか今の俺にはわからない。  わからないけど、少なくとも貧血でしょっちゅう倒れるような事はもうないはずだ。  何も問題はない。むしろ以前よりいいくらいだ。  その、……ただひとつの問題さえ除けば。 「|姉《ねえ》さん」  秋葉の恍惚とした声が、俺の身体をまさぐる。 「秋葉、だめ」 「何がダメなんですか。それとも、姉さんは私が嫌い?」  そんなわけ、あるわけがない。  秋葉は義妹で、そして俺の女。あのシキにだってそう言った。それは今も変わらない。  ──だけど。 「秋葉」  俺は、のしかかってこようとする秋葉を優しく、でもしっかりと斥けた。 「……」  秋葉は、そんな俺に不満たらたらのようだ。 「姉さん。どうしてですか」 「どうしてって秋葉、もう朝だぞ。琥珀さんや翡翠を待たせる気か?」    そうだ。  秋葉と同じなのは姿だけじゃない。中身もだ。つまり俺はもう男じゃない。   「……今日はおやすみだからいいんです」 「そんなの秋葉らしくないぞ。どうしたんだ、最近変だぞ?」 「知りませんよそんなの」  不機嫌そうに秋葉は腕組みをした。なんか睨んでるし。 「きっと兄さんが姉さんに変わった時の影響でしょうね。私にもいろいろと影響出てますし」 「……」  それは卑怯だ。それを持ち出されたら俺は何もいえない。 「ま、確かにそうですね。琥珀や翡翠を無駄に困らせるのも悪いわ」  すっと立ち上がり、秋葉はいつもの顔に戻った。 「そのかわり姉さん、あとでお風呂入りましょう」 「はぁ!?」 「はぁ、じゃないです。今の姉さんはお風呂の入り方もわからないわけですし、琥珀も翡翠も自分の仕事があるわ。お休みである以上私がするのが一番合理的でしょう?」 「……それはそうなんだけど」  大丈夫なのか、という俺の不安に気づいたのか秋葉はにっこりと笑った。 「心配しないでいいわ姉さん。私、お風呂とベッドの区別くらいつきますから。お風呂でそういう事をするのもある意味楽しいかもしれないけど、それは姉さんがちゃんと入れるようになってからの話です」 「なるほど」 「安心したかしら?」 「うん」 「……そこまであっさり信用されちゃったら、本当に何もできないじゃないですか」 「うん、秋葉はこういうとこちゃんとしてるから。信用してる」 「……!」  秋葉はちょっと目を丸くしたあと、もう姉さんったら、と拗ねた。  すねたけど、顔は赤かった。 [#改ページ] 泥濘[#「 泥濘」は中見出し]  どろどろしていた。  生温かい泥の中、私は漂流していた。心地よいけれど自由のない空間で、ねっとりと自由を奪われていた。  泥に囚われ、私は動けない。  こういう拘束は嫌い。だから引きちぎった。 「……」  冷たい風に目を開くと、そこは深夜の公園だった。空には満月。白い光が真っ暗のはずの公園を薄く照らしている。 「……」  足元には死体。神父のような服を着た男女数名。両手にねっとりと血。 「……」  ぺろり、と嘗めたが不味い。ぺっと吐き出した。  そして周囲は──いつものように、鮮血と人間だった部品の山。まるで|屠殺場《スローターハウス》。 「そりゃあ美味しくないでしょうね。代行者の血なんて」 「……」  振り返ると、そこには美しい金髪の女がいた。 「やっほー。派手にやってるわねえ」  けらけらと楽しそうに笑う女。足元の惨状はあまり気にしてないらしい。 「……誰?」 「あら、ごあいさつ」  ふうん、と女は私の顔を見た。 「私、あなたに殺されたのよ?幸い生き返ったから会いにきたんだけど?」 「ふうん」 「あら、感慨ないのね」  呆れたように私をみる。 「殺したいなら殺せば?」  そう言い返した。  殺しても生き返る相手じゃ、私にはどうにもならない。気配を見せずに近寄ってきた事といい、かなりデキる奴だろう。  ならば今さらジタバタしても仕方ない。足掻くだけ足掻いてはみるが。 「……へぇ」  面白そうに女は、私を上から下まで見た。……なに? 「どうしたの?やらないの?」 「んー、それも面白そうではあるけど」  ふふ、とまた笑う女。 「そんなことよりねえ、殺すより楽しいことしない?」 「?」  わけがわからない。 「貴女の『渇き』はひとを殺すよりいい方法で癒せるのよ?知ってる?」 「……そうなの?」 「ええ、そうよ?あーやっぱり知らないんだ?」 「……」  もちろん、私は知らなかった。 「本当に楽しい?私を騙してない?」 「嘘はつかないわ。  ま、最初ちょっと痛いかもしれないけど、すぐ病み付きになるわよ?どう?」 「……」 「いらっしゃい。教えてあげるわ」 「……うん、わかった」  女に他意はなさそうだった。私は悩んだ末、女の手をとった。 「うわぁ素直ねぇ。ほんっとに真っ白なんだ!」 「あの……本当に信用していいの?」  よくわからないけど、手をとっただけで意味不明の反応。なんだろう? 「ん?あぁもちろん。ごめんね、貴女があんまり可愛いんでちょっと感動しちゃっただけよ。  わたしも語れるような経験ないけど、まさか白紙じゃないもの。すごいなぁ。……さ、いきましょう」 「……まぁいいけど」 [#改ページ] くるべきもの[#「 くるべきもの」は中見出し]  その日、珍しいひとが遠野家にやってきた。 「こんにちは遠野くん、いえ遠野さん。お加減いかがですか?」 「あれ、先輩」  ひなたのベンチでぼーっとしていると、シエル先輩が庭の入口に顔を見せた。 「体調はいいんだけどね。外出禁止されてるから退屈だよ」 「ふふ、いいじゃないですか。人生にはそういう時間もまた必要ですよ」  入口からのんびりと先輩は入ってきた。周囲を興味ぶかげに見ている。 「いいお庭ですね。美少女込みでなかなか絵になってますよ?」 「はい?……えっと」 「ふふ、いいんですよ遠野さんはわからなくて」 「はぁ」  うっふふと楽しそうに先輩は笑った。 「今日はどうしたの先輩?仕事は?」 「え?ああ今も仕事みたいなものですよ。遠野さんの経過を見る事もいちおう私の任務ですから」 「?」  よくわからないけど、そうなのか。  先輩は俺の前までやってくると、少し身体をかがめて俺の顔をのぞきこんだ。 「なんですか?」 「……遠野くん、貴方は本当に遠野くんですか?」         ……え?   「それ、どういうことですか?」 「そうですね……いえ、私にもよくわからないんですが」  困ったように先輩は眉をよせた。 「実は最近、このあたりで不審な死に方をしたひとが出てるんですよ。  私はてっきり、遠野くんに何かが起きたんじゃないかと思って様子を見にきたわけなんですが」  んー、と先輩は唸る。なんだか見ていて面白い。 「何か起きたにしては安定してますねえ。わりと自信あったんですが」 「あのー先輩。わけわかんないんだけど」 「ん?あはは、気にしないでください遠野さん。私の勘違いみたいですから。  ところでひとつ聞いていいですか?」 「あ、うん」  すうっと先輩は目を細めた。まるで何かを探るように。 「最近、アルクェイド・ブリュンスタッドと会ってますね?」  アルクェイド?誰だそれ? 「覚えてないんですか?ほら、私が遠野くんを蘇生した時にいたあの真祖ですよ」 「あー、あの綺麗なひと」  ずくん、と俺の中で何かが蠢いた。 「そっか。あれアルクェイドっていうんだ。ごめん、名前は知らなかった」 「あぁそういうことですか。記憶とんじゃったのかと思いましたよ」 「忘れるわけないじゃん。遠野くんの命の恩人ですよって先輩言ったでしょ?なんか凄く不本意そうな顔で」 「……つまんないことまで覚えてますね。まぁ実際その通りですけど。  考えてみてください。教会に属する私が人助けに、よりによって吸血鬼の魔力を借りたんですからね。不本意というか悔しいというか……なんともいえない気分でしたよ」  先輩の話では、そいつは自分から手を貸してくれたらしい。なんでもシキの奴の中には外国から逃げてきた古い化け物が住み着いてて、俺がシキもろともそいつを滅ぼしてくれたんでまぁ、そのお礼だったんだとか。  だけど、俺がお礼を言えるほど回復した頃には彼女はもういなかった。 「彼女は本来、人間に興味なんて示さないんですが……よほど遠野くんに興味をもったんですね。なにしろ何百年も追いかけてきた相手をあっさり遠野くんが、しかもその存在にすら気づかずに抹殺しちゃったんですから」 「へぇ」  何百年、ねえ。そんな年寄りなのか。全然気づかなかったぞ。 「その様子じゃまだ汚染はされてませんね……よかった」 「へ?なにが?」  俺が首をかしげると、先輩は困ったように眉をしかめた。 「何がじゃないです。彼女は吸血鬼、しかも現時点では世界唯一にして最強といっていい真祖のお姫様ですよ?  そんなものに遠野くんは気に入られちゃってるんです。もう少し危機感をもってくれないと」 「あ……そういうこと」  そういやそうか。なにしろ『吸血鬼』だもんな。  俺は吸血鬼なんて言われても半信半疑だ。だけど遠野の人間だって、俺だって普通の存在じゃないわけで、その意味ではそういうのもアリなのかな、なんて考えてる。 「私の仕事については説明しましたよね?私は本来、彼女のような汚れた存在を狩る仕事をしています。  アルクェイドはその中でもとびっきりの化け物です。ていうか領域外の極致、正直いって洒落にならなさすぎです」 「なんか凄そうだね」 「凄いっていうか……桁が違いすぎるんです。少なくとも日本に持ってきているフル装備では、どう足掻いても足止めくらいにしかならないでしょう。正直もの凄く不本意ですけど」  先輩はそう言うと、がしっと俺の肩を掴んだ。 「先輩?」 「いいですか遠野くん。決してあれに関わっちゃダメですよ?  わざわざ助けてくれたくらいですから、あれもいきなり殺そうなんてしないかもしれない。むしろ興味しんしんで遠野くんに干渉してくるかもしれません。  だけどダメです。あれは結局のところ吸血鬼、不浄の化け物なんです。近付いたら待つのは破滅ですよ?それも遠野くんだけじゃない。ご家族親戚友達一同、みんなに被害が及ぶ可能性だって否定できないんです。  いいですか?わかりましたか?」 「……あ、うん、わかった」 「本当ですよ?」  先輩は心配そうに何度も念をおし、そして後ろ髪ひかれるように去っていった。    いつのまにか夕刻が近付いていた。  先輩が去ってからも俺はベンチにいた。昼からゆっくりと夕方にかわるさまを、のんびりと眺めていた。  芝生に小さな足音。 「秋葉」 「姉さん」  いつのまにか、となりに秋葉がいた。 「ただいま姉さん」 「おかえり。ああ、もうそんな時間か」  覗き込む秋葉の髪が、さらりとこぼれた。セーラー服の胸元が微妙に陰影を作っている。  ──ひく、と俺の中で何かが動いた。 「翡翠と琥珀が困ってましたよ?いくら起こしても半分寝てて起きてくれないって」 「え?ふたりとも来たのか?」  全然気づかなかったぞ?そんなにウトウトしてたっけ? 「かなり重傷ですね。シエル先輩が来られた時には起きていたのでしょう?」 「え?ああ起きてた。聞いたのか?」 「ええ」  ちょっと不機嫌そうに秋葉は腕組みをした。制服の胸が少し動いた。  ──ぴく、と何かが強く動いた。 「姉さん?」  不審そうに秋葉が眉をしかめたが、俺は目に入らなかった。 「え?……え?」 「……」  気がつくと、秋葉のセーラーの胸に両手をあてていた。  ──柔らかい。  『あいつ』のような大きさはないが、これはこれでいい。小ぶりでツンとしてて、ちょっと生意気で愛らしい。秋葉にぴったりじゃないか。 「姉さん?えっと、あの」  ああ、先端がこりこりしてきた。下から手をいれてみようか、うんそうだな。 「ね、姉さん。そこは」  くそ、下着が邪魔だな。でも乱暴にしちゃいけないしいきなり手をいれるのも不粋だろう。えっとそうだな、 「姉さん!!」 「!」  激しい秋葉の声で我にかえった。 「あれ?え?」 「……いつまでそうしてるおつもりですか?」 「!」  うわ、な、なんで秋葉の胸揉んでるんだ俺!  あわてて手をひっこめた。 「ご、ごめん!なんか無性に触りたくなって、気がついたら」 「……」  夕日ごとにもわかるほど、はっきりと秋葉は真っ赤になった。 「もう……時間と場所をわきまえてください姉さん。まだお陽さまも沈んでないんですよ?」 「あー……悪い」 「はぁ、しょうがないなぁ姉さんは」  ふう、と秋葉はためいきをついた。 「わかりました。今晩お部屋にいってあげます。それまで我慢できますか?」 「!」 「姉さん?」 「……」  ずい、と秋葉は笑顔を近づけてきた。 「お返事は?」 「わ、わかった!うん」 「うふふ」  秋葉は赤面したまま、何かうれしそうだった。 [#改ページ] 破綻(R指定)[#「 破綻(R指定)」は中見出し]  薄暗いベッドルームだった。  外から入るのは月明かり。視界にたまに自分の脚が見えたりするけど、それでもそれは美しい光景だった。 「……」  ねっとりと汗をかいている。クーラーかけるかと言われたけど私が断ったからだ。  室内は大変な暑さだったけど、その茹だるような世界ですら心地よかった。 「んんっ!」  こみあげる快感に私はのけぞり、置場のない手を動かそうとした。だけどその手も掴まれる。  払いのけようとしたがその瞬間、体内からズンと突かれる。くっ、と声が出た。  うふふと笑う女の声。  四つの手、ふたつの舌、そして熱く固いもの。私は搦め捕られ貫かれ、まったく自由がきかない。 「どう?気持ちいいでしょう?」  返事ができない。はっはっと息が出るばかり。  女はそんな私の反応に満足げに笑った。 「いいお返事ね。わたしも実際にするのははじめてなんだけど、どうやらうまくいったようね」 「……」  なんてずるい女だ。  だいたい女のくせにどうしてそんなもの生えてるんだ。おかしいじゃないか。 「あらひどい。貴女がわたしを殺したからでしょ?」  は?わけがわからない。 「壊された身体を組み直す最終段階で、貴女用に一部を作り替えてみたのよ。  わたしは女性体だけど、そもそも人間とは違うもの。わたしの完成形は本来男性らしいし、やってみたらそう難しいことでもなかったわ」  この女のいうことはいちいちよくわからない。私に対する興味まじりの好意は確かに伝わってくるんだけど。 「ほら」 「!」  ぐん、と激しく突かれ、世界がはじけた。 「あら凄い、一瞬飛んだわね?うふふ」  と、女はふいによそを向いた。 「レン、貴女少し休みなさい。……いやなの?ま、無理にとは言わないけど」  レンと呼ばれているのは黒ゴスの女の子。女の『使い魔』だそうで、当然だけど人間ではない。  ふたりかがりで私は全身くまなくこねくり回され、そして貫かれていた。    濃厚な夜も、やがて終わりがやってくる。    夜明けが近付き、私は自分の寝倉に戻ることにした。 「あー疲れたぁ……」 「ごめんね。この子ちょっと乱暴で」 「ううん、いいよ面白かったし。ね」 「……」  頭なでてやると、小さく笑ってなで返してくれた。……あはは。 「ところで本当に帰るの?もう遅いし、今から帰るのはあぶないよ?一日うちにいれば?」 「んー、でも」  戻らなくちゃならない。  今夜はちょっと楽しみすぎた。いつもならもう戻っている時間だ。 「あのね」  ちょっと不安気な顔で女は言った。 「貴女は知らないだろうけど、そろそろみんな疑いだしてるのよ?このままだと貴女に手が届いてしまうのも時間の問題だわ。  このままでいたいっていう貴女の気持ちもわからないじゃないから、今までガードしてあげてたけど」  ちょっと困ったように女は顔を付せた。 「少なくとも今日戻るのはよしなさい。嫌な予感がする。きっと後悔するわよ?」 「……やだ。戻る」  女のいうことはよくわからない。  この女は好きだ。殺すだけの私にいろいろ教えてくれたし、大切にしてくれるのもわかるし。  連れの女の子も随分私が気に入ってくれたみたい。この子も好き。ここも居心地がとてもいい。  だけど帰らなくちゃいけない。さびしいけど、ここは私のおうちじゃない。 「そう……仕方ないか」  女はあっさりと私を開放し、頬をなでた。 「あのね」 「ん?」 「わたし、貴女に謝りたいことがあったの」 「なに?」 「貴女を生き返らせたこと……もしかしたら、ひどい事したんじゃないかって」 「あはは、そんなことないよ」  私は一歩踏み出した。 「あなたの言うことはよくわからないけど、これだけはわかるよ。  私は幸せだよ。だって、こうやって心配してくれるんだもの」 「……そ」  女は複雑そうに、だけど、とても嬉しそうににっこりと笑った。 「わかった。だけどこれだけは言っとく。  わたし、貴女が本当に気に入っちゃったわ。  貴女にもし帰るおうちがなくなったら、わたしが連れてくからね?貴女はもうわたしのもの、誰にも渡さないからね?  いい?約束よ?」 「うん、わかった」  私は女に手をふり、そして歩きだそうとして 「あ、そうそう」  思い出して振り返った。 「なぁに?忘れ物?」  女はまだ立ってた。どこか心配そうな顔で。  ……ってあれ?女の子がいない?  さっきまで女の子がいたはずの場所には、黒猫が一匹。なんなの?  ま、いっか。 「私、あなたの名前忘れちゃったの。確か聞いてたと思うんだけどなぁ?」 「あらそう?ま、仕方ないか。わたしを殺したことすら覚えてないんじゃあね」  ふふ、と女は笑った。 「わたしの名前はアルクェイド。アルクェイド・ブリュンスタッドよ。  覚えきれなかったらアルクェイドでいいわ。  改めてよろしくね」 「わかった。じゃあアルクェイド、おやすみ」 「ええおやすみ」  挨拶をすると、私は駆け出した。  風が吹く。  心地よい疲れが風と混じっていた。気持ちのよい風が吹き抜ける。血の匂いのない夜だったけど、こういうのも悪くない。  屋根から屋根へ、音もなく私は飛び越える。うん調子いい。絶好調だ。  そして寝倉の入口が見えてきて……!? 「え?」 「……」  そこには、怒り心頭の『わたし』が立っていた。 [#改ページ] 破局(警告:猟奇)[#「 破局(警告:猟奇)」は中見出し]  あれは、誰?  どうして私があそこにいる?どういうこと?  あれ?  あれれ? 「……?」  私は立ち止まり、首をかしげた。 「……」  『わたし』はそんな私をじっと見て、そしてつかつかと歩いてきた。敵意はない。ただ怒っているだけだ。  なぜ? 「……?」  『わたし』はふと眉をしかめた。私の目の前にくると、じっと私の顔を覗き込んだ。  そして、 「姉さんじゃ、ない」 「え?」  驚いた目をした刹那、ざざっと背後に飛び下がった。 「あの……え?ええ?」  私にはわけがわからない。いったいどうなっているのか。 「どういうこと?どうして姉さんじゃないの?」 「はい?」  いったい何が起きているのか、私にはさっぱりわからなかった。  『わたし』がそこにいる。そして私を姉さんと呼び……いや違う、姉さんじゃないと言ってる。  それはそうだ。私は私であって、私に妹はいない。 「いや、いきなり言われても、私にもわけがわからないんだけど」 「わ、わからないですみますか!」  『わたし』は私の反応が気に入らないのか、猛然とどなりだした。 「その身体は私の姉さん、遠野詩姫のものです!間違いなんかありえない。私は姉さんかどうか間違える事だけは絶対ないんですから!  いったい貴女……─────まさか」 「!」    あ。  今、何かがぱきっ───て。    トオノシキ、という名前を聞いた途端、致命的なナニカが壊レ──   「も、もしかして、もしかして姉さん……そんな!」    ぱりん、         ぱりん、      ───────────割レ、タ。     「まさか人格も……そんな!」 「あ……あぁ……」    いけない。  その後を続けちゃイケナイ、ヤメナサイ。   「姉さん!姉さんしっかりして!私です秋葉です!姉さん!」    ダメだったら! 「秋葉様!秋葉様どうされたんですか?秋葉様!」 「琥珀早く来て!兄さんがおかしいの!早く!」 「は、はい!」 「詩姫様!」           ──兄さん?      あ。  もうダメ。        壊れ              ─────タ。                    「───え?」           刹那、       世界が、                     真紅、に。              目覚めた時、夕焼け空とアルクェイドの顔が見えた。 「おはよ」 「……おはよう、アルクェイド」  ちょっと複雑な顔をして、アルクェイドは微笑んだ。 「あら、わたしがわかるの?じゃあ貴女、わたしの可愛い子?」 「……わからない」  そう答えた。 「なるほど。まぁいいわ、今は考えなくても」  起き上がろうとしたら、アルクェイドに額をおさえられた。 「まだ寝てなさい」 「で、でも」 「いいから」  アルクェイドはそういうと、周囲を見た。 「……どうなったの?」 「わたしは途中からしかわからないわ。貴女か妹か、どちらかの『魔』が急激に脹れあがったからびっくりして見にきたの。  そしたら……あれはたぶん妹さんだと思うけど、風にとけて消えるところだった」 「たぶん?風にとける?」  ふう、とアルクェイドはためいきをついた。 「推測だけど、妹側の能力が発現したのね。わたしを殺した能力はあいつを消したものとたぶん同じ。あなたの元である少年が持っていたもので、魔には属さない無色の力だったから。  たぶん貴女、妹さんを吸い尽くしたのよ。命も心も、そして身体も、その全てをね」 「……」  涙が出た。  私が誰なのかは今もわからない。あれが『妹』といわれてもよくわからない。    ……いや違う。  泣いてる。私を構成するどこかが悲しんでる。  アルクェイドの言葉を肯定し、そして嘆いていた。    あれは妹。私、または私でないわたしの妹。  泣き声が止まらない。    そんな馬鹿な、嘘だ、お願い嘘だと言ってくれと。   「まぁ、ちょっとだけなら予想はしてたんだけどね」  アルクェイドは肩をすくめた。 「だいたい、外見だけ遠野秋葉のフルコピーなんて不自然だと思わない?そこまで複写されたんなら人格面だって影響が出て当然でしょうに。  でも目覚めたのは元の少年の人格だけだった。不自然なほどにね。シエルは蘇生魔術の成功に泣いて喜んでたけど、わたしは『成功しすぎた』事をいぶかしんでた。おかしい、人格はどうしたのかってね。  あぁ、|あの娘《シエル》を責めちゃだめよ?これはあの娘のせいじゃないんだから。成層圏の上を飛べないからって鳥を責めてもしょうがないでしょ?」  ふう、とアルクェイドはためいきをつくと、私の頭を抱えた。  ……えっと、もしかして、膝枕? 「わたしの疑念は的中した。  なまじ少年と融合しなかった貴女は、無垢な赤子のように純粋な『魔』としてひっそりと生まれる事になった。  で、夜の町で気ままに死体作って遊んでたのね。本体である少年の心に気づかれないように」 「……」  なるほど。  私が納得したのに気づいたらしく、アルクェイドは小さく|頷《うなず》いた。 「今朝の記憶があるなら、帰るなって言ったわけもわかったでしょう?  貴女は自分の名前も記憶もまるでなかったけど、ある意味遠野秋葉そのまんまだった。瓜ふたつどころじゃない、命までつながった存在。もし彼女が完全な野育ちだったら、きっと貴女みたいな無垢なる『魔』になったんでしょうね。  ふたりは絶対に遭遇してはならなかった。いわばそれは同一存在の邂逅に等しいわけで、特に貴女は空っぽの非常に不安定な状態だった。夜にしか貴女が現れなかったのもそのためだし、朝が近付くと何がなんでも帰ろうとしたのもそのため。遠野秋葉が起きている時間には少年側の人格に戻らなくちゃならない、そう本能的に理解していたからよ。  『オリジナルの遠野秋葉』に出会ったら最後、何が起きるか予想もつかなかったから」  アルクェイドは空を見あげた。 「本当に、最悪のケースになっちゃったわね。まさか相手を相手と認識した途端それを本能で全面否定、いきなり喰らい尽くしてオリジナルになり変わろうとするなんて」 「……」  アルクェイドは悲しそうだった。出会ったばかりのはずの私なんかのために、本当に悲しんでくれているみたいだった。 「ごめん、本当にごめんね。今さらもう遅いけど、もっと強引に引き留めてあげればよかった」 「……」  そんなこと。間違ってもこれはアルクェイドのせいではない。  私は起き上がり、まわりを見た。 「……」  遠野家玄関、門の裏の場所だった。  門がなくなっていた。何か巨大なものがぶち抜けたように大穴が空いていて、玄関までの一部と屋敷自体も部分的になくなっていた。さらに屋敷前面の全ての窓は粉々に割れている。  そして、 「──」  まだ残る強烈な血の匂い。そして、何かが瞬時に粉砕されたらしいミンチ状態の血と肉が、玄関まわり全体に散乱。すでに腐臭も発していた。 「──」  振り返れば、玄関の外には焼け焦げたような、瞬時に氷結したような跡。 「──」  それは、『遠野志貴』の家族だったもの。 「泣かないの?」  泣かない。泣く資格が私にはない。 「殺した私が泣いたら、それ冒涜だよ。泣いていいのは遠野志貴だけ。私は遠野志貴じゃない」 「……」  アルクェイドは何もいわず、私をだきしめた。 「……アルクェイド?」 「ばか。泣いていいのよ貴女は」 「でも」 「今朝までの貴女ならそうでしょうね。だって空っぽだったんだもの。  でも今の貴女は違うでしょ?人格ベースがたとえ違っても『彼』の記憶はちゃんとあるんでしょう?  つまりそれは、貴女が遠野志貴を継承したということ。わかれていたものが混ざりあい、貴女という存在に帰結したということ。  貴女は志貴であり詩姫であり別のナニカ、そしてわたしの可愛い子。それら全てよ」 「でも」  私がそれでも否定しようとすると、アルクェイドは微笑んで私の頭をなでた。  って、私ゃ子供か! 「子供でしょ?今朝まですっからかんの真っ白だったくせに」 「……」  否定できない。 「もっとうまくやれば、なんて無意味な後悔もやめなさい。それは卵とニワトリの論理、無意味よ。そうでしょう?オリジナルの遠野秋葉との遭遇という究極の矛盾がこの事態を引き起こしたわけだけど、人格の統合をもたらしたのもその矛盾なのよ?  ひとは全能じゃない。突発的なひとつの事象からいいとこ取りなんて奇跡はありえないわ」  そこまで言うと、アルクェイドは考え込むように腕組みをした。 「これは推測だけどね、おそらくこれは遠からず起きたことよ。いい?  どちらにしろいずれ貴女は噂になった。遠野の家はこのあたりを統括する『魔』だったのでしょう?ならば必ず調査に乗り出したはずだし、それは遠野秋葉本人が行った可能性が高いわ。  で、そこで『狩り』の最中の貴女と遭遇したならどうなったかしらね?」 「!」  アルクェイドの言いたい事が私にもわかった。 「この状況から能力を推定するに、遠野秋葉の能力は不特定多数に大規模に展開も可能のはず。破壊的用途でぶつかり合えば最悪、市街の中心部は壊滅したかもしれないのよ。しかも同族または教会の者の目でみれば、これは彼女の仕業ですっていう証拠を盛大に残す形でね。  最悪の場合、埋葬機関のあの娘……シエルといったかしら?あの子が妹を殺しにくるような事態になったかもね」 「!!」 「自分が殺した?自分は遠野志貴じゃない?自分が誰かわからない?  関係ないでしょそんなこと。  悲しければ泣きなさい。腹が立つなら怒りなさい。憎いなら憎悪を燃やしなさい。  全てはそれからよ。自分を断罪したいならその後になさい。自分が許せないならその後どうするか改めて考えればいいじゃない。なんでそれがわからないの?」 「……」 「あ〜〜もう!わたし『説明』ってなれてないんだってば!自分でも混乱してきちゃった。イライラするなぁもう!」  アルクェイドは困ったように少しかがみ、まっすぐ私の顔を見た。  自分のことじゃないのに、彼女は泣いていた。  ……私なんかのために。 「ほら」 「え?」 「いいから……そんな人形みたいなひどい顔はやめなさい?」 「!」  その瞬間、私の中の何かが弾けた。      その後どうなったか私は覚えていない。  気づいたら、私はアルクェイドの腕の中にいた。マンションの屋上にいて、燃えさかる丘の上の屋敷をじっと見ていた。 「落ち着いた?泣き虫さん」 「……うん」  私とアルクェイドはいっしょの毛布にくるまり、じっと燃える屋敷を見ていた。  もっとも、アルクェイド自身は寒さを感じるわけではないだろうから……これはきっと、震えるだけの私のために、自分ごと無理矢理くるんでくれたに違いない。 「……消防とかこないね」  ただ燃えてるだけ。周囲には誰もいないようだ。 「結界で包んであるの。普通のひとには普段通りに見えているはずよ。  完全に燃えつきた頃に結界も解けると思う」 「なるほど」  つまり、一夜にして灰燼と化すわけか。 「あの家には魔に関する資料や情報がふんだんにあったわ。警察はもちろんだけど、シエルたちにもなるべく何も残すべきじゃない。  この国に残る他の魔の一族にも被害が広がったら困るでしょう?わたしにはどうでもいいっちゃいいんだけど、貴女には重要なことよね」 「……」 「なに?」 「……」  私は少しだけ考えると、 「……名前、|詩姫《しき》でいい」 「そ」  それだけ答えた。 [#改ページ] フィードバック[#「 フィードバック」は中見出し]  どんな神秘であろうと、死者を甦らせる業など存在しない──シエル先輩はそう言った。  アルクェイドもそれは正しいと言った。死者を甦らせる方法はない。たとえ五つの魔法を持ち込んだところで、完全に死んでしまった者を甦らせる方法などない。たとえ妖精郷につながる究極の防御壁を持ち込んだとしても、既に失われた命まで回復させることはできないんだと。 「兄さん」  ベンチでふと気づくと、秋葉が隣に座っていた。  夢とは優しくも残酷なものだ。俺自身が壊してしまった誰よりも大切な|女《ひと》。それがあたりまえのように俺の横で静かに微笑んでいる。  いや、あの頃ではもう珍しかった優しい笑みまで浮かべて、もう焼けの原になっているはずの遠野家の庭でふたり、ひだまりのベンチに座っているんだ。  ──俺には許されるはずもない、俺自身が壊してしまった安らぎ。 「何泣いてるんですか兄さん?」  横からそっと俺にもたれかかり、ハンカチで涙をふいてくれた。  ……また涙が出た。 「しょうがないですねえ。いつから兄さんはそんな泣き虫になったんですか?」  もともとだよ。悪かったな。 「はぁ、困った兄さんね。ほら、秋葉が膝を貸してあげますから」  気がつくと、逆らうひまもなく膝枕されていた。  って『秋葉』って懐かしいな。再会してからはいつも『私』だったのに。 「……」  ああ違う。あの日、弓塚を殺してしまったあの夜、一度だけ── 「……」  ぽかぽかと太陽が心地よい。頭は秋葉の膝の上。見上げると幸せそうに笑う秋葉。  失ってはじめて気づく、何よりも大切だったはずのもの。 「……ごめん」 「え?」  また涙が出た。 「ごめん、ごめん秋葉。俺は」 「また泣く〜。もう、だめですよ兄さん、男の子がそんな顔しちゃあ。  ま、私を取り込んじゃったんだから、おしとやかで可愛くなるのは仕方ないですけど?」 「それはない」 「……兄さん!」 「あ、あひは。|ひはひひはひ《いたいいたい》」 「もう!」  鼻をつまんでグイグイやられてしまった。……あいたたた。 「……まぁいいですけどね。  私、結構今の状況が気に入ってるんですよ?遠野の長女の責務ももうありませんし、あんな窮屈な暮らしもしなくていい。いつだって兄さんと一緒。  ええ、もう死んだって離れないわ」 「……」  うっとりと告げる秋葉。いつのまにか髪まで赤い。  そして、そっと頬ずりされた。 「兄さん……もう離さない。秋葉はずっと、ずーーーーっと一緒ですよ?」  とても心地よい気分だった。  赤い髪が俺を包んでいく。俺は髪に絡み取られ、動きがとれなくなっていく。 「ほうら、もう逃げられない……うふふ。兄さんは秋葉のもの。もう、ずーっと」  ああ、そうだ。俺はおまえのものだ。この身体も、この心も。  ……だけど。  だけど、鼻がちょっとずきずき痛んでいるのが間抜けではあった。       「で、起きたら鼻の皮が剥けてたのね?」 「うん、なんだかなぁ……ってレンちゃん痛い痛い!」  レンちゃんってば、いきなり私の頭をむんずと掴んで、舌で私の鼻を舐めにきたんだけど……  痛い、すんごい痛い! 「手当てしてくれてるのよ。ちょっと痛いけどそのくらいなら、レンの好きにさせとくといいわ。すぐ直るわよ?」 「へぇ……でも痛い」 「がまんがまん」 「うー」  私が嫌がるのがわかるのか、レンちゃんは舐めかたをちょっと優しくしてくれた。……まだ痛いけど。  うう……なんなのこの舌。猫?  アルクェイドはそんな私とレンちゃんをみて、面白そうに笑っている。  ここはアルクェイドのマンション。時間は朝。窓の外は明るくて、私たちはフローリングの一室で朝食を食べていたりする。  食事はアルクェイドが買ってくれたもの。吸血鬼の彼女は料理なんて当然できないし必要ないとかでここには材料がない。それでも私のためにいくつか買ってきてくれたみたいだけど、そもそも料理をまったく知らないひとの選択だ。おまけに私も料理にそう詳しいわけじゃないから、あった材料でできたのは目玉焼きだけだった。  で、レンちゃんは食べないけどアルクェイドは『食事』に興味があるらしく、私の指示でサラダだのおにぎりだの追加で買ってきてもらってあれこれ食べているというわけ。  え?なんで私がでないのかって?  そりゃあ、行方不明の遠野秋葉がそこら歩いてたらまずいでしょうよ?中身がどうあれ私の外観は遠野秋葉そのものなわけで、少なくとも昼間は迂闊に歩くわけにはいかない。  夜だって注意が必要。へたに知人なんかに出くわしたらどうなるか。 「それにしても、どうして夢で本物の鼻の皮がむけるのかなぁ?」 「夢じゃなかったからでしょ?」  あっさりとアルクェイドは答えた。 「わたしにはよくわからないけど、貴女は妹を『取り込んだ』んでしょう?何かを食べてその能力や性質、記憶を取り込むというのは幻想種の類ではそう珍しいものではないわ。  貴女の中の『魔』も、おそらくとその手のものなのね」 「……」 「納得いかないって顔ね?」 「うん」  それはなんだか、秋葉を殺した自分への誤魔化しに思えた。  秋葉を、翡翠や琥珀さんをなくして悲しいのは事実。だけど、彼女らを殺してしまったのも私なんだ。  それは変えられない、そして絶対に許されない罪。 「こんなこと言ったら怒るかもしれないけど」 「え?」  アルクェイドはそんな私を見て、ぽつりとつぶやいた。 「わたしも昔、そんな顔したのかなって」 「え?」 「昔ね、わたしは、わたしを創った者や管理しててくれた者たちを皆殺しにしたの」  え? 「……なにそれ。どういうこと?」 「どういうもなにも、そのまんまよ。  ロアって奴の話をしたでしょ?そいつがわたしを罠にかけて狂わせたの。当時のわたしは以前の貴女みたいに何も知らない真っ白な子でね、あっさりイカれて暴走しちゃった。  気がついた時には、わたしの千年城にはもう誰もいなかった。生き延びたらしいのはゼルレッチじいやとか、本当に一部の者だけよ。ほかは皆殺し」 「……」 「今にして思えば不可抗力だったと思う。わたしはほんとに何も知らない『からっぽ』のお人形で、自分に何が起きたのかを正しく知ったのでさえ、ずっと後のことだった。  言っちゃなんだけど、あいつがどうしてそんな事をしたのか、それも知らないの。強大な死徒になりたい、ただそれだけなら他にも手はあったはずなのに、どうしてあんな方法をとったんだろう?  まぁ、今となっては知りようもないわ。聞くつもりもなかったけどね。  今の世の中に『真祖』に区分けされる吸血鬼がわたししかいないのはそのせい。誰でもない、このわたしが皆殺しにしてしまったからなのよ」 「……そうなんだ」  にこにこ笑ってるアルクェイドにも、そんな過去があるのか。 「──あ」 「ん?どうしたの?」 「……ううん、なんでもない」  なんだろう?今なにか見えた。 「ねえ、アルクェイド」 「なあに?」 「こんなこと言ったら怒るかもしれないけど」 「え?……なぁに?いいわよ」 「そいつ、男だった?」 「え?ええそうよ?」  あ。じゃあもしかして。 「そいつ、アルクェイドが好きだったんじゃないの?」 「……へ?」  あっけにとられたような顔をして、アルクェイドは私をまじまじと見た。 「まさか。それはないわよいくらなんでも」 「そうかなぁ?」  その男がやったのってさ、アプローチそのものじゃないの?  だってそれって、わざと怒らせて気を引いたとしか思えないんだけど? 「ま、まさか、いくらなんでもありえないでしょ」  どう反応すればいいのかわからない。アルクェイドはそんな顔をしたかと思うと、 「もう……ばか」 「うにゃ」  私の鼻をむにゅっとつまんだ。  レンちゃんが綺麗に直してくれた鼻は、もうひりひりしなかった。 [#改ページ] 再構成(注意: R指定)[#「 再構成(注意: R指定)」は中見出し]  『再生』してからというもの、夢をみることが増えたと思う。  その多くは覚えていない。それは誰かの記憶だったり、とりとめもなくわけのわからない何かだったりもする。だけどそんな夢を見たあと、何かが起きるということもよくあった。 「こんばんわ」 「うむ。二晩ぶりだなミヤコよ」  よく知った顔と知らない顔が、夜の公園にいた。  だが、それはありえない組合せだった。ひとりは都古ちゃん。遠野家に帰る前に世話になっていた有間家の女の子で、俺にとっては妹のような女の子だ。  そしてもうひとりは…… 「あの、どうでしたか?」 「なんとか渡りをつける事に成功した。それも平和的にな。本来の私とあれの関係を考えれば間違いなく奇跡といっていい。  これもミヤコ、そなたの名を借りられたおかげだ。礼をいうぞ」 「あ、それじゃもしかして」 「うむ」  都古ちゃんは、何かひどく良くない『なにか』と話をしていた。  そいつは人の形をしているがひとではなかった。間違いなく人喰いの何かで、それはアルクェイドと話した雑談の中に出てきた、よりによって最悪を意味するいくつかの『吸血鬼』のひとつを連想させた。  ──ネロ・カオス。混沌の名をもつ異端の吸血鬼。  よりによって都古ちゃんは、そんなとてつもない化け物中の化け物と普通に会話していた。  どういうことだ?いったい、どうして都古ちゃんがこんなことに?  ……いや違う。これはあくまで夢だ。こんなことが現実に起きるわけがない。  なのに。  なのに、この止まらない不安は何だ? 「ありがとうございます!」  嬉しそうに頭をさげる都古ちゃんに、ネロ・カオスは優しげといっていい微笑みを投げた。 「気にするな。私としても今回の事象は非常に興味深い。また、その奇跡のような研究対象へのアクセスが可能となったうえ、何世紀ぶりの『生徒』両方まで手に入るのだからな。  後者については私本来の道筋からすれば蛇足ともいえるが、どのみち此度の研究のためには混沌への帰化もしばし食い止める必要がある。ならばその間、私と共に失われるはずであった知識のいくばくかを伝えることができるのも、また一介の探求者としては本望というものだろう」  生徒?いったいなんのことだ? 「それで、いつ会えますか?」 「今すぐでもかまわん」 「本当ですか!?それじゃあお願いします!」 「ふ……やはりそう来たか。よろしい、来るがよい」 「はい」  ってちょっと待て!どこに行くつもりだ都古ちゃん!行っちゃダメだ!  だけど止める間もなく、ふたりは夜の闇に消えていった。   『よかったじゃないですか?兄さん』  ぼそり、と秋葉の声が聞こえた。  は?よかった?どういうことだ秋葉? 『そんなこともわからないんですか?……呆れた。そんなとこは以前の兄さんのままなんですね?  ああそっか。いくら表層が変わろうと土台が変わらない限り同じことか。……ふふ、うふふふふ……』  はぁ?わけがわからないぞ秋葉。ちゃんと説明しろって。 『知りませんよそんなこと。どのみち兄さんにもすぐわかるんだから、いいじゃないですか?』  いや、だから気になるだろうがその笑い。 『うふふ……知らないったら知りませんよ。ご自分で確かめればいいでしょう?』  秋葉の声は楽しそうに、そして意地悪そうにくすくす笑った。  だけど、その意地の悪さが俺にはどこか心地よくもあったのだった。       「……フォローしてくれるのは嬉しいんだけどさ」  目覚めた時、頭をよぎったのはそんな意味不明の言葉だった。  夢はよくみる。だけど私はその内容を覚えていない。覚えていても断片的なもので、とても推敲できるようなレベルのものじゃない。鼻を思いっきりつままれて皮がむけただの、膝枕の感触だの、イメージは意外に鮮明なのだけど。  今日の夢もそうだ。不安と、それを優しい誰かがフォローしてくれた。それだけを覚えている。本当にそれだけ。内容がわからないのは気分が悪いが、覚えてないんだから仕方ない。悩んでもどうしようもない。  アルクェイドに話したら、統合中の人格が夢の中ではまだバラけてるんだろうと言われた。  う〜ん……すると夢の中では、私は遠野志貴と遠野秋葉なんだろうか?いったいどんな夢見ているんだろう?ちょっと気になるなぁ。  ベッドから起き上がり眼鏡をかけた。  ここはアルクェイドのマンションだ。フローリングの床に簡素ながらアンティークな白いベッド。いつ着せられたのか、私はピンクのおネグ。 「……ネグリジェはやめてって言ったのに」  パジャマにしてくれといったら可愛いイチゴプリントを買ってくる。こういう可愛いのじゃなくて別なのにしてくれといったらピンクのおネグ。いったい何考えてるんだか。  遠野志貴としての記憶が少しはあるせいか、どうもこういう女の子女の子した格好は苦手だった。姿形は遠野秋葉そのもので、眼鏡をかけているところだけがかつての秋葉とは違う。もちろん遠野志貴とも違う。  どちらでもあり、どちらでもない。私は矛盾している。  遠野志貴から女性化したのならその基本は遠野志貴のはずだ。だけど私はそうじゃない。なにより私は遠野志貴がもっていた『ひと殺しに対する嫌悪感』を持っていない。  と、 「わっ!」  いきなり背後から突き倒され、私はボフッとベッドに俯せになった。 「こ、こらレンちゃん、いきなり何するの!」  ばこんと後ろから頭を叩かれ景色がブレた。逆らうなということらしい。  確かに逆らってもあまり意味はない。反撃するのは簡単だけど、私が反撃するということはレンちゃんを殺すという事になる。それはしたくない。  だけど、適当にあしらうほど私は器用じゃない。  アルクェイドが言うにはレンちゃんは猫と人から作られた使い魔らしいんだけど、そのレンちゃん的には私は彼女の下にある存在らしい。アルクェイドのお気に入りという立場があるから強くは出ないけど、アルクェイドに犯され悶えている私を見て「こいつは交尾が好きらしい」と認識したんだろうという。  なんつー迷惑な認識だ。  ようするに、お気に入りをかわいがるというアルクェイドの行動を、レンちゃんもそのまま実行しているだけにすぎない。それだけなんだけど、人としての恥じらいというか何か、そういうところが一部すこーんと抜け落ちてるっぽいのが困る。 「っ!」  思わず声をあげそうになった、まさにその瞬間だった。   「……え?」    一瞬、一陣の風が吹いて……気づくと、レンちゃんが何故か仰向けにひっくり返っていた。  覗き込んでみると顔が赤い。まるでジュースと間違えてお酒を飲んだ子供のように。 「……あ」  ああ、もしかしてそういう事か。  気分が乗らないのに強引に襲われそうになったそのタイミングで、一瞬だけ秋葉由来の『魔』が起きたんじゃないだろうか。で、レンちゃんは私から生命力を吸い上げようとしていて、まともにそれを飲み込んでしまったと。  以前ならそんな事はできなかった。 「つまり」  そう。融合と安定化が進んでいる、という事なんだろう。 「やれやれ、困ったものね貴女も──あ」  身体の中で、ぴくんと何かが跳ねた。 「あ───く」  じわり、と何かが熱くなる。  体内で溶鉱炉のような何かが動きだし、全身がむずむずと疼きはじめた。次第に息が荒くなり、意識が遠くなる。 「……」  だめだ。唐突に湧き出した『魔』のせいだ。まだ制御しきれてないみたい。 「……」  唐突に「ぽん」とベッドに転がされた。  朦朧とする視界の中にレンちゃんが写った。私のネグリジェをまるでお菓子の包装みたいにビリビリと引き裂いている。  ああ、もう復活したのね。 「たまには普通に脱がせてよ。いつもいつも破っちゃって」  どうでもいいような苦情を口がつぶやく。 「……」  何もかも見透かしたように、レンちゃんは目を細めて妖艶に笑った。 [#改ページ] いもうとのゆめ[#「 いもうとのゆめ」は中見出し]  ──好き──    冷たい闇の中で感じたのは、そんな気持ちだった。  それはまだ幼い何か。何かに強く惹かれているが、その気持ちが何であるかさえわからないほどにそれは幼かった。  ソレが敵対者だと知っていた。知識でなく本能で理解していた。本来なら速攻で殺す、または逃げなくてはならない存在なのだと、身体の深奥がそれを知っていた。    ──しきにいさん、だいすき──    だけど、愛していた。  一度発した衝動はもう止めようがなかった。だからあの時も、大切な存在が永遠に失われると知ったあの瞬間も、それは躊躇わずにその存在を救いあげた。  自分の命の半分を、ソレに分け与えて。    ──そんな莫迦な事、いわないでください。  私にとって兄さんは貴方だけです。  今も昔も、兄さんは忘れてしまっただろうけど、子供のころからずっと。──遠野秋葉にとって兄さんは貴方だけなんです、志貴──    一瞬、めまいがした。  なかったはずの事。経験したはずのない出来事。いくつかの可能性の果て、もしかしたらあったかもしれない、遠い会話。  ……胸が痛い。  あんな昔から秋葉は、俺を愛してくれていたんだ。こんな俺を、あんな恐ろしい遠野の家の中、あんな敵だらけの場所で。  そんな状態の俺を、秋葉は愛してくれていたんだ。  俺は本当にダメ兄貴だ。  どうして……どうしてもっと早く、気づいてやれなかったんだろう。   『仕方ありませんよ』  ぼそ、と秋葉の声が聞こえた。 『兄さんが「よそから来た子供」でなく本当の遠野志貴を演じなくてはならなくなった時、私の気持ちは二度と届かないものになってしまった。  偽りとはいえ実の兄となってしまったんですから。  悲しかったけど、それは仕方なかったんです。兄さんから遠野志貴という役割が外されたら最後、兄さんは存在意義のないものとして今度こそ殺されるはずでしたから』  ……秋葉。 『そんな悲しい顔をしないで、兄さん。  兄さんはそんな私を選んでくれた。私は嬉しかった。それ以上なにを望むっていうんですか?』  するり、と温かく、やさしいもので包まれた。  ……。  俺と秋葉はゆっくりと、また少し溶けあった。    だけど、どうしてだろう?  まだ感じる幼少時の秋葉の姿が、都古ちゃんに一瞬重なって見えてしまったのは。    ──だいすき、おにいちゃん──    ばかな。そんなことあるわけない。  そりゃあ、小さい頃の都古ちゃんはまるで俺のオプションみたいにくっついて離れない子だったけど、大きくなってきてからはむしろ俺を嫌っているようにすら見えた。なんたって、いつもいつもおっかない目で無言に睨みつけているくらいだったんだから。 『うふふ、兄さんったら』  秋葉はそんなわけのわからない事をいい、また笑い出すのだった。 [#改ページ] S・来訪者[#「 S・来訪者」は中見出し]  すっかり日は暮れていたけど、マンションの屋上は町の光のせいで少し明るかった。  私は俯せに寝転び、屋上から少しだけ顔を出して町を見ている。本当はいつかのように町を徘徊したかったんだけど、アルクェイドの留守に外出するのをレンちゃんが必死に引き留めたためだ。  別にレンちゃんに勝てないわけではない。彼女は物理戦闘力なんて持ってない。その気になれば私どころか、以前の『遠野志貴』だってやすやすとレンちゃんを押し退けられるだろう。彼女は肉体的には、外見通りの可愛い女の子でしかないのだから。  ……ただ、悲しそうな顔で「ダメ」と引き留められては、どうにもお出かけできなかっただけの話だ。 「はぁ……甘いなぁ私も」  このつぶやきは秋葉のものか。それとも志貴のものか。両方かもしれない。  アルクェイドに声をかけられた頃の私なら、きっとレンちゃんなんて弾き飛ばして楽しくおでかけしてしまっただろう。良心が痛んでおでかけできない、なんて事はなかったはずだ。  つまりそれは、秋葉と融合しているという事。  秋葉はああ見えて優しいし可愛らしいとこあったからなぁ。後輩の子だって、厳しく接してるみたいだけど可愛がってるのが丸わかりだったし── 「……あれ?」  ちょっと待て。それはおかしい。今私、変なこと考えたぞ。  どうして私は、自分の事を遠野志貴のように思ってしまったんだろう? 「……」  まぁ、それだけ融合が進んでるってことだろうけど……秋葉の身体でココロが志貴寄りに安定しちゃったら、それはちょっと……  うー、どうしよう。 「……あれ?」  ふとその時、私は視界に何かをとらえた。 「あれ……まさか」  そんな莫迦な!  いや、間違いない、あの女の子。遠いから判別つけがたいけど、確かに覚えがある。 「|瀬尾《せお》?……うそ。どうしてこんなとこにいるのあの娘?」  私の中の秋葉がつぶやいた。  そうだ。  遠野志貴が女性化してから一度、突然に屋敷に来た三人の女の子。長く休んでいる秋葉を心配し押しかけてきた三人のひとり、|瀬尾《せお》|晶《あきら》。  あの子はちょっと風変わりだった。  秋葉と瓜ふたつの私に大喜びしてた『羽ピン』とは正反対に、困ったような気の毒なような顔で『私』を見ていた。身体が弱く屋敷からあまり出ない『姉さん』と私を紹介した秋葉の言葉もなかば耳に入らない様子で、じっと『私』を見ていたあの子。 「……もしかして、そういう事?」  まさかとは思うけどあの子……『私』の正体が変化した遠野志貴だと知ってた? 「……」  まさかとは思う。だけど、  ──この目はよくないものを呼び寄せる、と先生だって言ってたじゃないか。あれはきっと、力あるもの同士が引き合うとかそういうことなんだろうと思うし。 「……なんてこと」  私は頭を抱えた。  冗談じゃない。よりによってこんなややこしい時期にどうしてのこのこ現れるの。  なんとか言い含めて寄宿舎に帰さなきゃ。本当にあの子がなにがしかの能力を持っていたとしても、アルクェイドや『あの男』相手にどうなるものでもない。  立ち上がり、ぽんぽんと身体の埃をはたいた。アルクェイドの買ってくれたデニムの上着とスカートをちょっと直し、ソックスがずれてないか確認する。 「さて──!?」  どうやって下まで降りようかと今一度下を見たところで、    視線が、凍った。    晶ちゃんの背後に男が迫っていた。よたよたと歩み寄るその姿は、 「死者!」  まずい!やられる!  そう思った瞬間、私は屋上から飛び出した。 [#改ページ] 捕縛[#「 捕縛」は中見出し]  垂直の壁を人間が駆け降りるのは不可能である。もちろんそれは翼がないから。子供でもわかる理屈だ。  だから私は自分がどうやってそこを駆け降りたのか自覚がない。おそらくは髪を、手足を使って非常階段や窓のへこみをとっかかりに加速を殺したんだろうけど、それでも限度がある。ぶっちゃけ、ただのひとならマンションの上からの落下なんてただですむわけがないのだ。  だけど私はその時、そうした因果関係を全て忘れ垂直に駆け降りた。  どうしてあんな気持ちになったんだろう。私は魔だ。魔は冷酷というわけではないけど、ひとつの割り切りを持っているはずだ。ひとの世界でひとでない者が生きるためにはその能力を隠さねばならない。いくら能力があろうと異端は異端で、自分が異端だと悟られたら生きられるものも生きられないからだ。  それは理性でなく純粋な防衛本能。保護色と同じ。  だからこそ、瀬尾を助けるためとはいえ駆け降りた私は異常だった。 「え」  瀬尾の目が点になる。そりゃそうだろう。彼女はお嬢さま然とした遠野秋葉しか知らない。それが活動的なデニム上下を着込み、あまつさえ突然に出現したのだ。驚かない方が嘘だ。  上から『落ちてきた』ことには気づいてない。そりゃそうだ。ひとが空から降ってきたなんて即座に認識できるわけがない。それは『ありえないこと』だから。  眼鏡は既に外してあった。 「あ」  瀬尾の背後にまわり抱えこむ。  こういうは速攻で且つ強引に進めるに限るわけで、同時に右手は死者の首、それと胴体の二箇所を線にそって切断している。そのまま凝固した血が飛び散る前に瀬尾を抱きかかえ、そのまま一気に百メーターほど向こうまで駆け抜ける。 「くうっ!」  Gの方向が急激に変わる。逆流しそうな血を押し止め、手近な建物の影にとびこんだ。 「はぁ……はぁ」  きつい。  遠野秋葉由来のこの身体は、魔としてはなかなかのものだが決して頑強というわけではない。筋力等もそう。魔の要素を前面に押し出さない限り、その身体能力はわりと一般的なレベルのものでしかない。とどめに、ここしばらくの半幽閉生活で身体は大仕事を忘れている。  やっぱり、適度な外出は大切よね。 「ふう……って瀬尾!?」 「……」  てっきり目を点にしているかと思いきや、見ると瀬尾はなかば意識がないようだ。顔色もおかしい。  ──あ。 「いけない!」  いきなりの急激な加速に脳内の血が偏ったのか。ち、そっちは想定してなかった。  なんたる間抜け! 「とお……の……せん……」 「喋らなくていいわ瀬尾!じっとして目を閉じて!深呼吸なさい!」 「……」  瀬尾は力なくもがいている。目も見えず頭も働いてないだろうに。 「ああもう!」  とにかくこのままでは置けない。私は瀬尾をそっと抱きかかえ、その動きを止めた。 「……」 「……」 「……」 「……」  しばらくそのままでいると、瀬尾はゆっくりと正常に戻ったようだった。 「やれやれ。どうやら助かったようね」  死者の気配は感じない。あっちもあの一体だけだったようだ。  ふん。アルクェイドや先輩が死者は全部消したと聞いてたけど、狩り残しがまだいたという事か。  まぁそれはいい。今は瀬尾だ。 「瀬尾。貴女どうしてこんなところにいるの」 「……」  瀬尾は私の顔をじっと見あげた後、 「あの」 「なに?」 「……こ、こんにちは、えーと、とおの……詩姫さん」 「……はい?」  一瞬、私は目が点になった。 「ちょっと瀬尾。あなた何言ってるの?」  だけど、瀬尾はにこにこと小動物じみた可愛らしい笑顔を浮かべると、 「そんなのすぐわかりますよ。遠野先輩は眼鏡をかけませんし、だいいち──」 「だいいち?」  ちょっとそれは聞き捨てならないことだ。私はそんなに遠野秋葉とは違うのか。 「説明がちょっと難しいんですが、私にはわかります。  細かいご事情とかはわかりませんが、遠野先輩でない事は見ればなんとなく。  確かに、服装はともかく外見も態度も遠野先輩そのものですから、普通のひとにもわかるかといえばちょっと疑問ですけど」 「ふ〜ん……それは瀬尾、貴女自身が普通ではないということなのかしら?」 「えっと、たぶんそうです。本当にささいなことなんですけど」  そうして瀬尾は、自分のもつちょっと風変わりな能力について説明してくれた。 「……なるほど」 「あはは、そ、そんなわけで……すみません黙ってて」 「いえ、いいの。そういう事なら仕方ないわ。生まれつき特殊な能力があるのは当人の責任ではないもの」  私はためいきをついた。        正直驚いた。  瀬尾は大したことないと言うけれど、断片的で制御できないといっても未来が見えるというのはかなり奇異なる能力だろう。少なくともそれで彼女は私、正しくは遠野秋葉と遠野詩姫を襲った出来事をかなり的確に把握したうえ胸が潰れるほど心配し、あげくのはてにとうとう自ら駆けつけてきたというわけだ。  しかも、しっかりと私のいるマンションに。 「浅上にここを知ってる者が他にいるのかしら?蒼香や羽居は?」 「知りません。危険だと思ったし、私自身もここまで正確に居場所や状況がわかってるって自信がなかったんです。  それに連絡をとるかどうかは私の決める事ではないと思いましたから」 「そうね。配慮ありがとう」 「いえ、とんでもないです」  にこにこと小動物のような笑みを瀬尾は浮かべた。  うわ、可愛い。ひさびさにクリティカルヒットだわ。ううむ。むずむずする。  だけどそうね。はっきり言っておかないと危険だわ。 「瀬尾」 「あ、はい」  何か言われると思ったのだろう。顔にぴしっと緊張が走る。 「事情はわかったし、他のひとに隠してくれたのもありがたいわ。正直いまは微妙すぎるの。貴女には本当に感謝してる。  ひとつのことを除いてね」 「あ」  ええい、そんな怯えた顔するんじゃない!まるで私が悪人みたいじゃないか。 「そこまでわかっているならどうして来たの。貴女が来たからってどうにもなるもんじゃないってこともわかってたでしょう?」 「それは」  うう、と泣きそうな顔をする瀬尾。やりにくいなぁもう。 「それは、じゃないでしょう。そこまで状況を把握してるんなら、少なくとも危険である事はわかったはずよね?なのにどうして来たの?  私を心配させて楽しいの?貴女」 「……それは」 「答えなさい瀬尾。返答次第じゃ、|熨斗《のし》つけてそのまま宅急便で送り返すわよ?」  もちろんナマモノ指定で。 「それはぁ」 「それはなに?」  うー、と瀬尾は涙目でつぶやいた。 「……よくないと思ったから」 「よくない?何が?」  瀬尾の鼻先に顔を近づけた。さっきから抱きかかえたままなのでちょっと|傍目《はため》には危険な光景かもしれない。  はたして、瀬尾は困った顔でこう言った。 「人殺しなんてよくないって、思ったから」 「はい?」  私は一瞬、ぽかんとしてしまった。 「……それって、つまりこういう事なのかしら?  瀬尾は私が人殺しをしてまわってると思った。で、それを注意しにきた。そういうこと?」 「えっと……たぶんそうです」  あいかわらず困り顔で瀬尾は言った。  なるほど、彼女はその『能力』で私が狩りをしているシーンを見たんだろう。で、よりによって犯人が私である事にびっくり仰天、後先考えずにすっとんできてしまった、と。  ためいきが出た。 「瀬尾。貴女ばかでしょ?」 「う」  とても不本意そうに、だけど言い訳できなさそうな悲しそうな、そんな複雑な顔で瀬尾はぼやいた。  えぇい、ぼやきたいのはこっちの方だ大馬鹿者! 「とにかくもう帰りなさい瀬尾。本来ならもう遅いから泊めてあげたいとこだけど、知っての通り遠野の家はもうないの。今御世話になってるとこは他人の家だし、同居人には会わない方がいい。貴女が普通の人間として生涯を終えたいのなら絶対会ってはいけない相手よ」 「……先輩」  悲しそうな顔。でも、心配してくれて嬉しい。瀬尾はそんな顔をしている。  ああもう、そんな子犬みたいな顔しないでよ。帰したくなくなっちゃうじゃない。もっと抱きしめてめっちゃくちゃにして、ぬいぐるみ代わりに抱きしめてベッドでおねんねしてみたいとかそういう類の。  ──あ。まずい。 「!」  トクン、と胸が鳴った。  トクン、トクン、トクン。心臓が鳴る。私の中の『遠野志貴』が反応している。遠野秋葉の『お持ち帰りしたい』気持ちと男性としての『可愛い女の子をゲットしたい』気持ちが共鳴してる。  いけないダメ、よして──  相手は瀬尾なのよ?可愛い後輩なのよ?なんで『そういう意味で』手を出したいなんて考えてしまうの?  くそ、これじゃまるで変態じゃない! 「──ぁ」 「えっとあの」  身体が熱い。疼く。乳首が硬くなってるのがわかる。  瀬尾の困り顔。おいしそう。こねくり回して泣かせてあげ──!  だめ、だめだったら!! 「……先輩?」 「!」  無理矢理衝動を押し殺した。ぶるぶると頭をふる。 「────とにかく、だめよ瀬尾。  繰り返すけど、貴女はこれ以上関わってはダメ。帰って、そして全て忘れなさい。それが貴女のためなんだから」 「はあ。でも」 「でもじゃないの!」 「で、でもそれは」  だけどその時、 「ふうん?それって手遅れなんじゃない?詩姫」 「!」  アルクェイドの澄んだ声が、背後から響いた。 [#改ページ] 激怒(執筆中)[#「 激怒(執筆中)」は中見出し] [#改ページ] 教授の見解(執筆中)[#「 教授の見解(執筆中)」は中見出し] [#改ページ] 弓vs姫(執筆中)[#「 弓vs姫(執筆中)」は中見出し] [#改ページ] 旅立ち(執筆中)[#「 旅立ち(執筆中)」は中見出し]