そは、無垢。 はちくん 月姫シリーズ、都古、アルクェイド [#改ページ] 突然の目覚め[#「 突然の目覚め」は中見出し]  唐突に、めざめた。  俺は和室に寝ていた。ぼんやりとした頭を巡らし、それが有間で使っていた自分の部屋だと気づく。懐かしい布団に懐かしい背中の感触。寝間着の着心地までもが、あまりにも懐かしい。  深夜だった。  部屋の中は暗かった。月光が窓を照らしていた。部屋の中までその光は僅かに洩れていたが家具のひとつひとつをしっかり見据えるほどには明るくない。その大部分はシルエットにすぎなかった。もっとも、見えたとしてもたいして変わらない。ここに居た頃も、そしてここから去る時も俺の私物なんてあまり多くなかった。だからここもあまり変わらないのだろうと思う。  問題はそれより、どうして今、俺が有間にいるかの方だった。しばらく悩み、そしてその理由に気づく。 「……あぁ、そうか」  都古ちゃんにせがまれ、俺は有間に遊びに来たんだっけ。一緒に来たがるアルクェイドをなだめ、当然のように同行しようとする秋葉を諭した。俺としては当然だった。都古ちゃんはあれで人見知りする子だった。好奇心が服を着て歩いているようなアルクェイドは都古ちゃんを圧倒してしまいかねない。秋葉は…なんとなく都古ちゃんと相性が悪いみたいだ。以前、1度だけ遠野家に来た時も都古ちゃんと秋葉は俺を挟んでいやに険悪だった。仔細はよくわからないがふたりは相性がとことん悪い、それだけはわかった。  双方のお兄ちゃんである俺としては、ふたりが仲良くなってくれると嬉しい。だがそれと今回とは話が別だ。都古ちゃんを喜ばせるために来たようなものなのに、その都古ちゃんと仲のよろしくない秋葉を理由もなくわざわざ同行させる事もないだろう。そんなわけで俺も秋葉に言い含めた。秋葉はそんな俺にため息をつき、わかりましたと言った。御機嫌を斜め左六十度くらいヒン曲げ、なぜか「そのうち刺されますよ兄さん」などと謎の言葉まで残して。  まぁそれはいい。帰ってからの|報告会《つるしあげ》やなんかの事は帰ってから心配するとしよう。今はその時じゃない。 「……」  月の光が増したような気がした。  遠野に比べると、有間の家は魔の要素が弱い。遠野の流れとはいえ遠縁の有間の血はあまり濃くないからだ。  だけど、今夜に限っては胸が騒いだ。不吉な予感ではない。むしろ、何か小さな幸福を感じるものだ。 「……」  俺は起き上がり、傍らに畳まれた半纏に手をかけた。    よい夜だった。  障子を開けて廊下に出ると、庭先の匂いと月光があたりを包んだ。あくまで町の中であり微かに喧騒の名残りがここにもあるが今は深夜。何もかもが静まりかえっている。遠野の家の、微かな凶々しさをまとうそれとは違う。安らかさと冷たさを伴う静けさだ。虫も鳴いていない。まさに草木も眠る丑三つ刻だった。  和風の廊下を歩く。ふと、自分がほとんど足音を立ててないのに気づき苦笑する。俺は影のように歩いている。よからぬ事をしているせい?いや違う。最近、アルクェイドと夜遊びしすぎているせいだ。深夜に抜け出す事が多いから自然と習慣になってしまっているらしい。 「……?」  気配が、流れている。  何か生物的な気配。この|静謐《せいひつ》な時間に相応しくない…ある意味相応しいかもしれないが。うなされているような声。小さく押し殺した、あえぎ声にも似たもの。 「……都古、ちゃん?」  風邪でもひいたか?ちょっと心配だな。 「見に行くか」  丈夫な都古ちゃんにはちょっと考えにくいが、はしゃぎすぎて体調を崩したかもしれない。考えてみれば昼間は一日中ふたりで遊んでたからなあ。子供は自分の疲れに気づかないというし、少し暴れすぎたかもしれない。  俺は都古ちゃんの部屋に向かった。 [#改ページ] まどろみ[#「 まどろみ」は中見出し]  都古ちゃんの部屋は、有間家の一番奥にある。  そこは本来なら家長のいるべき場所だ。けど、道場に一番近いという理由から都古ちゃんが強く望んだらしい。都古ちゃんは武道が好きで、なんと子供の身で拳法の有段者だ。あの頃は単にすごいと思っていたが今見るとその理由もわかった。遠野の血なんだ。秋葉のような特殊な能力を持たない都古ちゃんは、代わりにそういう方面の才能があった。そういう事のようだ。  しかしその部屋にはひとつ問題点があった。俺の部屋のすぐ近くという事だ。こうして来訪してもその部屋を俺にあてがってくれるというのはそれだけ信用してくれているという事なのかもしれないが、不用心じゃないのかなあ。まぁ、俺は義理とはいえ妹に手出すほどイカれちゃいないし信用してくれているのは嬉しいけど、俺なら心配で居られないと思うんだがなあ。 「……都古ちゃん?」 「!」  わたわた、ごそごそと慌てたような気配。やはり起きているようだ。 「どうしたの?調子でも悪いの?」  なんでもない、という返答。しかし息が荒い。やはり調子が悪いんだろうか。 「……そう?でも調子悪そうだよ?大丈夫?」 「……」 「……都古ちゃん?」 「……」  しばらく沈黙があり、そして……入ってきて、という声が小さく響いた。    ちょっと寝乱れた様子で、 都古ちゃんは布団に入っていた。  部屋の中は女の子らしい、かわいらしい調度品が目につく。アルクェイドや秋葉の部屋といったある意味非常識な存在の部屋ばかり見ていた俺には、それがとても新鮮だった。箪笥の上のぬいぐるみがポイントかな。何故かカメ。緑の大きいカメとピンクのちっちゃいカメ。男の子と女の子らしい。仲良く並んでいる。それがまるで別格のように箪笥の上に鎮座している。何かをイメージしてるのかな?どう見ても安物の、キャッチャーものっぽいぬいぐるみだが扱いが他と全く違う。まるでそれはメインキャストであるかのように、手鏡の横に置いてあった。 「……」  都古ちゃんは布団の中。まんじりともせず、いつものように無口なまま俺をじっと見ている。何故か頬が紅潮している。女の子の匂い。何か夢でも見たのか。寝起きという感じとは少し違う。体臭の強さといい、まるで情事の後のようにすら見える。  ……って、何考えてんだ俺。都古ちゃんだぞ相手は。 「眠れないの?」  俺の前だと、都古ちゃんはいつも無口。そんな都古ちゃんがぼそり、とつぶやく。俺はただ、あぁと答えた。 「……」  都古ちゃんは、ちょっと考えこんだようだった。何故か頬を染めた。上目使いに下から見上げてきた。  その仕種は、ベッドの上で「おねだり」するアルクェイドに似てる。思わず心臓がドクン、と鳴る。 「……ここ」  ずいぶんと躊躇った末、都古ちゃんは布団を少しはぐると、入ってきてと言わんばかりに俺を見上げた。 「え……あ、いやそれは」  いくらなんでもそれはまずいだろ。そりゃ都古ちゃんが幼稚園くらいの頃は添寝くらいしたけどさ。 「……寒い」 「いや、寒いってその」  寒いからさっさと入れ、と言いたいようだった。なぜか怒っているようにも見える。  ええい、ままよっ!!    布団の中は、とても暖かかった。  意外なほどに湿っていた。不快なほどではないが…都古ちゃんの体臭が、少し強めにたちこめていた。女の子の甘い匂いは不愉快にさせるものではなく、むしろ俺の「男」が張り切ってしまいかねないような良いものだった…が、やっぱりちょっとおかしい。  俺はあまり女の子の寝床は知らない。一番よく知っているのはアルクェイドだがあいつを比較の対象にするのは根本的に間違いだろう。他によく知っているというと…いなくはないが違いを感じられるほどの経験はないしだいいち前すぎてよくおぼえてない。  だけど、そんな俺でもちょっと変な感じがする。やっぱり調子悪いんじゃないか?暖かいのはいいけどそんな気がする。都古ちゃんの身体自体も何かの余韻のように火照ってるし。 「ねえ都古ちゃん。やっぱり調子悪……」 「……」  じっと見られる。よくわからないが、深く追及してはいけないらしい。 「へいへい」  白旗をあげた。  やがて、都古ちゃんはしばらくもぞもぞと動き…そしていきなり、きゅっと抱き付いてきた。 「あ」  布団の中で寝間着をはだけたらしい。もろに素肌の感触があたり、俺はちょっとあわてる。  けど、抵抗する間もなく俺の寝間着も帯がほどけた。考えるまでもない。都古ちゃんが俺の背中に手をまわしてやっているんだ。 「あぁ」  そういえば、そっか。都古ちゃん、寝間着の感触って嫌いだっけ。一緒に寝るといつも脱がされたんだ。  ……あぁ、帰ってきてるんだ。俺。 「……」  俺の中で、俺自身も気づかずわだかまっていた何かが溶けた。  それ以上の思考は続かなかった。さっきまで全く感じられなかった眠気が、たちまち俺に襲いかかった。鈍った頭で、俺は都古ちゃんを抱きしめる。特に理由はない。昔、いつもそうしてたからだ。ちょっと女の子っぽくなったけど、やっぱり都古ちゃんだ。女の柔らかさの奥にしっかりと筋肉の感触もある。ひなたの匂いに女の匂いがまじる。  やばいぞ、と意識のどこかがつぶやく。  彼女は思ったより子供じゃない。これは立派な女だと誰かが警告する。おまえは女に寝床にひきずりこまれているんだ、と心の底に何かがささやく。注意しろ、取りこまれるぞ、と声が続く。  うるさいな。眠いんだよ。  確かにちょっと軽率だったかもしれない。でも都古ちゃんじゃないか。次からはもう一緒はダメだね、と明日にでも言えばいい。ましてや都古ちゃんは体調がおかしいんだ。今から「やっぱり別々に寝よう」なんてやったら悲しませるだろ。  知らないぞ俺は。そう、そいつは言っているようだった。 [#改ページ] 感慨[#「 感慨」は中見出し] 「あはははは。志貴ってそういう趣味もあったのね〜。」 「へ?」  アルクェイドが苦笑したのに、俺は呆然としていた。  ここは、アルクェイドのマンション。有間家を辞してきたものの「吊し上げ」の待っている遠野家にいきなり戻るのもなんなんで、俺はアルクェイドのとこに邪魔してお茶していた。  白い部屋。白いテーブルに四角い白いクロス。白いカップに紅茶の紅が映える。地味というか質素というか、あいつらしい調度品の数々。なにげに高価なものでもあるらしいが、もとよりこいつは本物の貴人らしく細かいことはいちいち拘らないのだ。 「そういう趣味って?都古ちゃんだぞ?あの娘と一緒に寝た事が何か変な意味になるのか?」  本人が聞いたら怒るかもしれないけど、やっぱり子供だよ。ずいぶん成長したといっても変な気持ちとかにはあまりならなかったし…それに義理とはいえ妹だぞ妹。  なんだか釈然としない俺。けど、対するアルクェイドはさらに楽しそうに笑った。 「そんなの関係ないわよ。いい?志貴。その都古ちゃんって子は、志貴が眠れない理由がちゃんとわかってたんだよ」 「……え?」  脚を組んで椅子に座り、紅茶をたしなむ。  そんな、何気のない仕種だがアルクエイドにはとてもよく似合う。普段のおバカな姿と違い、こういう時は本当に気品が漂い、付け焼刃ではない気品すら漂ってみたり。やっぱりこういう点、お姫様なんだな。  おっと、閑話休題。今はその時じゃない。 「子供っていうのはね、年長者に依存するから子供なのよ。  その子はね、志貴が環境の変化で疲れている事に気づいてた。だから身体で癒してくれたんだよ。勇気を出してね。…ぐっすり眠れたでしょ?世間ではね、大人に対してそういう気遣いのできる人間を子供とは言わない。肉体面ではともかくね」 「そ、そりゃ……」 「気づかなかった、とは言わせないわよ?」  アルクェイドの目線に、きつい光が籠る。 「病気でもないのに発熱と身体の火照り。体臭の強さ。……おおかた、ひとりエッチでもしてたんでしょうね。志貴のことでも考えながら。」 「!まさか!都古ちゃんはまだ」 「子供だと思ってるのは…志貴だけなんじゃない?」 「え?」  くすくす、と今度はなんだか楽しそうだ。…いいけど、ほんとに表情がコロコロ変わるよなアルクェイドって。見てて飽きない。 「有間の人たちにしても遠野の妹にしても、そこまで子供扱いなんかしてないんじゃない?志貴は自覚が足りないと思うよ?」 「……」  アルクェイドは固まっている俺を見て、何が楽しいのかさらに笑った。  その言葉が正しいのなら…俺は都古ちゃんのことをあまりよくわかってない、という事になる。ちょっとくやしい。  だって、都古ちゃんの世話はずっと俺がやってたんだ。小さい頃、なんか都古ちゃんは俺によく懐いた。今じゃ好かれてるんだか嫌われてるんだかいつも機嫌悪そうなんだけど、昔はまるで俺のオプションみたいにいつもくっついて回ってたもんだ。有間の人達もわかってたみたいで、都古ちゃんのお昼寝はいつも俺の部屋だった。だから今でも有間の俺の部屋には、都古ちゃんの小さい頃の布団やらタオルケットが置いてあったりするんだ。  そうして、小さな都古ちゃんの世話は俺がやいてた。けどいつしか都古ちゃんが大きくなってくるにつけ、逆に都古ちゃんの方から俺のとこに来るようになったんだ。大きくなった都古ちゃんは本当に無口な子になった。他のひとが言うには俺がいないと結構よくしゃべるそうだから、俺の何かが気に入らないのかもしれない。いつも俺を凄い目で睨んだりするようになったし、事あるごとに猛烈にタックルしてきたり…特に武術をはじめてからは、そういう事が加速度的に増えた。  まぁ、大きくなったら色々あるんだろうな。あの頃みたいな笑顔を最近見せてくれなくて悲しいけど。それでも、こんなだらしないバカ義兄でも未だに構ってくれるというのは…大嫌い、というわけじゃないんだろう。ほんとに嫌いなら近よっても来ないだろうし。ま、「かわいさ余って」なのかもしれないけどね。  ……ん? 「どうした?アルクェイド」 「……志貴って、おもしろいね♪」 「む、なんかその言い方は嬉しくないぞ。三国一どころか世界有数の変人じゃないかおまえなんか」 「あはは、そうだよね〜。うんうん」 「……はぁ?」  なんだかよくわからないが、アルクェイドはずいぶんとご機嫌のようだった。  遠野でも有間でもそうなんだけど、こういう事がたまにある。なんか皆が突然、ぽかーんとした顔で俺に注目して、しばらくたったら急になごやかになるってやつだ。俺が何かポカしたらしいんだけど教えてくれないし、「ま、仕方ないですね」とか勝手に納得されたり、逆に理不尽に「おしおき」されたりとかしてしまう。なんだかな。俺に問題があるんなら教えてくれればいいのに。 「ぷっ……くっくっくっ……あはははははっ!!」 「……」  ついにアルクェイドは、お腹をかかえて笑い出してしまった。  そうなると俺は当然楽しくない。どうしてアルクェイドが笑っているのかその理由すらさっぱりわからないからだ。まぁとりあえず俺が理由らしい事、俺が何かまずい事をやり、それが笑いを誘っている事くらいはわかる。そんなわけで俺は身構える。なぜか?もちろん、失礼なばかおんなに一発くれてやるためだ。 「あははは、あははは……!?きゃあっ!!し、志貴っ!!志貴やだきゃはははははっ!!それやめ、やめれあひゃらあははははははははっ!!!」 「るさい、貴様なんかくすぐりの刑だ!!このこのこのっ!!」 「あはははははっ!!」  脇の下とかがアルクェイドは結構弱い。俺が背後からちょっとくすぐると盛大にのけぞり、もがきだす。俺はそんなアルクェイドを執拗に攻め続ける。  今のとこ、くすぐり合戦は俺の全勝だ。アルクェイドも実はかなりうまいのだが、身ごなしとタイミングの計り方という点で、幼少時は秋葉、後に都古ちゃん相手に修行を重ねた俺の敵ではない。  ……まぁ、実に「どうでもいい特技」なのだが。 「きゃははははあははははははっ!!やめて、やめてもうやめれ志貴ひゃーーーーーっ!!!」  悶絶しまくりでもはや会話にもならないアルクェイド。ため息をつく俺。のどかな昼下り。  この時点で俺は、まだ気づいていなかった。  都古ちゃんがどうして俺の前でだけ態度が変わるのか。どうして俺にタックルしかけたれ色々してくるのか。その意味がわからない俺は、自分の犯しているとんでもない勘違いにもまた、気づく事がなかった。  その意味を知ったのはずいぶん後。大学に入って少し身軽になり、アルクェイドとふたりであちこち飛び歩くようになってからの事だった。      おわり