お風呂 はちくん TSナデシコ、中身逆行アキト・ミナト他 ナデシコSS『新しい日』の後日談。お約束モノ。 [#改ページ] 切掛け[#「 切掛け」は中見出し]  機動戦艦ナデシコは、無事に佐世保から発進する事に成功した。  いきなりの木星蜥蜴の襲来も、予定外のそれを含むふたりの機動兵器パイロットのおかげで無事やりすごした。グラビティブラストの威力はすさまじく、史実通りにたくさんの無人兵器を一網打尽にしてみせ、何も知らない多くのクルーたちを驚かせた。 「はい、それではちょっと早いですが交替で休憩に入りましょう。  ミナトさん、ルリちゃんジュンくん先に休憩お願いします。プロスさんはミナトさんの代役頼みます。アキトはサブオペレータとプロスさんのサポートね。メグミさんごめんなさい、軍からの通信がくる可能性がありますから、もう少し待ってくださいね」  てきぱきとユリカは指示を出していく。史実のような『アキトアキトアキトー!!』な姿はそこにはない。なぜなら彼は既に婚約者としてそこにいるわけで、既に馬鹿騒ぎの必要がないからだ。 「はーい」 「わかりました」 「了解です」 「提督と副提督も適当なところでご休憩なさってください……ってあれ?副提督はどちらに?」  そういえばキノコ頭がいない。いつのまに消えたのか。 「ムネタケ君なら、何か用があるという事で先ほど出ていったようだが」  提督のデスクに座ったままのんびりとフクベが言う。お茶がよく似合いそうだった。  そうですか、とユリカはそれに頷いた。  その会話を聞き付けたプロスペクターとアキトも頷く。何が起きているかがわかっているのだろう。そもそも二人が残ったのはこれの対策も含めてのことだった。  そして、それがわかっているルリは渋い顔をした。 「艦長。私ももう少し残りたいのですが」 「あーだめだめ。ルリちゃんが先休んでくれないとアキトが休めないんだよ?オペレータはふたりだけで交替要員いないんだからローテーションは大切なんだよ?」 「ですが」  なおもルリは食い下がろうとした。  普通の艦長や軍人ならここで「艦長命令です」と即座にいうかもしれない。だがそこはユリカである。にっこりと笑った。 「休むのも仕事のうちだよルリちゃん。それにお昼食べ逃してるでしょ?ルリちゃんは育ち盛りなんだからちゃんと食べなくちゃダメなんだよ?」  あ、と口を濁らせ眉を寄せるルリ。  昼食を逃しているのは他の皆も同じ。だが確かに『育ち盛り』はルリだけなわけで、そこらへんを突かれると弱い。  周囲の者もそう思ったようだ。フクベ提督までもが優しい目をルリに向けていた。 「それとお風呂もしてくるといいよ。ゆうべ入りそこねちゃってシャワーしかしてないでしょ?」 「それはそう、ですが」  完全に正論で言い負かされたルリは、とうとう言い訳モードになってしまった。  確かに『史実通りなら』クーデター騒ぎにはまだ半日以上ある。だが史実通りになるかどうかは未知数だし、何よりユリカたちの作戦会議から自分だけ外されるのはとても不安だった。  だがユリカは、ここがトドメといわんばかりににっこりと笑った。 「ミナトさん、すみませんお願いできますか?ルリちゃんのお風呂とごはん」 「いいわよ〜♪」  その役がふられる事を期待していたのだろうか、妙に嬉しそうにミナトが答えた。その瞬間げ、という顔をするルリ。 「わ、わかりました艦長、速攻で入ってくることにしま……って放してくださいミナトさん!」  逃げる間もなくミナトに背後から捕獲されてしまった。 「さ、一緒に入ろうね〜ルリルリ♪」 「やです、ひとりで入れますからってミナトさん!私子供じゃないですから!」 「ミナトさん、ちゃんと数かぞえさせてあげてくださいね。ホシノ博士から、ルリちゃんひとりだと長風呂なのに誰かと入ると烏の行水で速攻逃げ出しちゃうから、がっつり入れてあげてくださいって指示いただいてますから」 「嘘いわないでくださいユリカさん、私そんな事ないですってミナトさん放してやだ、やだやだ放してください〜!」 「はいはい♪」  いやがるルリをミナトがずるずると引き摺り、ブリッジを出ていった。 「……」  残された面々は、なんともコメントしがたい顔でお互いを見ていた。 「あの」  その中で、口を開いたのは通信士のメグミ・レイナードだった。 「なんですか?メグミさん」 「艦長。あのー、今のワケ聞いていいですか?」  なんとなく不審なものを感じたのか。眉をしかめるメグミに、うふふと悪戯っぽくユリカは笑った。 「あのね、ルリちゃんってお風呂で物凄〜く人見知りする子なの。ちょっと|事情《わけ》ありなんだけど、とにかくひとりなら平気なのに他のひとがいると速攻逃げちゃうんだよ?」 「はぁ」 「で、ホシノ博士からのお願いでね、みんなと入るってことに慣れさせてあげてほしいんだって」 「そうなんですか?でもあまり無理強いするのも可哀想じゃないですか?」  ひとと風呂に入れないからってそう大きな問題なんだろうか?とメグミは首をかしげた。まぁもっともな話である。  だが、ユリカは首をふった。 「確かにそうなんだけどね、ちょっとルリちゃんのは度が過ぎてると私も思う。だってね、ルリちゃんってデパートの下着売り場にも入れないくらいのすっごい恥しがり屋さんなんだよ?私も実際に見た時はびっくりしたけど」 「うわ……」  さすがのメグミも驚いたようだ。さすがにそこまでとは思わなかったのだろう。 「でもそれって、本当に恥ずかしいからですか?むしろ凄い潔癖症だったりとか」  看護婦になろうとした経験のあるメグミは、そういう見地から意見をのべてみた。 「ううん違うみたい。だって博士は平気みたいだし。でも更衣室とかダメみたいだね。自分が見られるのもダメなら、誰かを見るのもダメみたい。下着見ただけで真っ赤になっちゃうんだもの」 「そうなんですか」  難儀な話である。 「ナデシコは戦艦だけど、せっかく女の子がいっぱいいるんだもの。少しずつでも慣らしていって、みんなで楽しくお風呂入れるようになったらルリちゃんの精神衛生にもとてもいいと思うの。  ルリちゃんはナデシコのメインオペレータでしょう?そうやってみんなとうまくコミュニケーションとれるようになる事はそういう意味でも大切だと思うし」 「なるほど、わかりました。じゃあ次の機会には私が入れてあげます」 「うん、お願いねメグミちゃん」 「はい♪」  メグミはユリカの采配に感心したようで、また可愛らしいルリとなかば仕事として堂々と入れるのもちょっと楽しみかも、なんて顔をして微笑んだ。 「……容赦ないなユリカ」 「何かいった?アキト」 「いや、なんでも」  昨夜、ユリカが一緒に入ろうとしてまたもや逃げられたことを知っているアキトは、やれやれと苦笑いを浮かべるのだった。 [#改ページ] 悲しき安らぎ[#「 悲しき安らぎ」は中見出し]  美しい異性とのんびりお風呂できるというと、大抵の男性はそれを悪い事だとは思わないだろう。まぁ、やりたい全開の若者ならば生殺しのような感覚を味わうかもしれないが、それだって悪いという事ではないに違いない。  だけど、それはあくまで想像上の話にすぎないわけで現実に実現するとそれはそれで大変である。  たとえば、お互いに異性経験のほとんどない若者だったとする。男の子も女の子もぎくしゃくしてしまってそりゃあもう大変だろう。むしろ女の子の方が先に度胸を決めて「背中流してあげよっか?」などとやりはじめ、真っ赤になってたじろぐ男の子の姿がそこには見られるのかもしれない。  まったりと本当に仲良くお風呂を楽しめるのは既にそれなりの関係なのか、それとも一定の年代に達してからの話なのである。  だが、ホシノルリの場合はどちらでもなかった。  彼女の中身は男性である。といっても別に女装しているわけではなく、精神のみが時を越えてやってきてしまった男の子なのである。男盛りど真中の男性の精神が十歳過ぎの女の子の身体に入ってしまっているわけだ。  そんな存在だから「女の子の裸のつきあい」なんて、とてもできる状態ではなかった。  自分も女性になったなら堂々と入れて嬉しいだろうなんて言えるのは経験者でないからだろうとルリは思っている。特にルリはなまじ美少女であるから回りが放っておいてくれない。女性とは基本的に『女』には冷酷だが『子供』には甘い生き物。幼女じみたとは言わないが、いたいけな少女が隅っこで困ったように小さくなっていたらそれはもう、母性本能をお好きなだけ注いでください的生贄になってしまうわけで、大抵の大人の女性はいろいろと気を使ってくれるものだ。自分が年長者という自覚があったり母性本能に訴えたりするのだろうか。特に世話好きタイプなら最悪で、身体を洗ってくれたりトリートメントを手伝ってくれたり、同性なもんだからそりゃもう恥しげもなくやってくれるのである。拒んだら拒んだで仲良く普通にお風呂となるが、普段クールで寡黙かつ有能なルリがお風呂の中でおどおどと豹変する姿は総じて可愛らしいと写るらしく、悪い印象をもつ女性はほとんどいなかった。少なくともセンターの女性職員たちには、ルリとお風呂で同席するのは楽しいと評判であった。  逆にルリにとり、誰かとのお風呂が烏の行水化してしまうのは無理もなかった。  女の子になってしまった自分自身すら未だに持て余し気味だというのに、同じ女体にぐるりと囲まれ平気で日常が繰り広げられる。これだけで結構精神的負担だというのに、このうえ生理とか性に関する生々しい話までされてしまっては身の置き所がないだろう。ルリがちょうど初潮があったかどうかわからない微妙な年頃であるせいもあるのだろうが、特に生理関係の話は高確率で飛び出す傾向があった。しかしナデシコでは汚物処理はどうしてるのかしらールリちゃん知らない?などと言われても、そんなの知りませんと泣きたくなってしまうに至っては、さすがにルリの自業自得とは言いきれない何かがあるようにも思われる。  閑話休題。  ミナトに強引に引率され、立ち寄った自室でワケを聞いたホキ女史に笑って風呂道具と着替えを渡されたルリである。半泣きで風呂場に連行されたあげく脱衣場に押し込まれたというのに、気づけばミナトに「ばんざーい」といわれ、思わず無意識にばんざいしたらあっというまに上着をもっていかれた。きゃっと叫んで身を守ろうとしたがもう遅い。ミナトはまるで子猫でも扱うように実に巧みに、しかしあっさりとルリの身ぐるみをはいでいった。  子供の扱いに異様に長けた謎の女性ミナト。熱海育ちという彼女の育成環境にいったい何があったのか。       「……精神的凌辱だよ」 「何かいった?」 「いえ、なにも」  フラフラになって湯舟でふやけているのはルリ。頭に巻かれたミナト印のピンクのタオルがラブリーである。ホキ女史に持たされたタオルでなく自前のものを使うあたり、やけに準備のいいミナトであった。  ていうか、いきなり出航直後からチェキる気全開なのはどういうわけなのかミナト女史。実は隠れ逆行者か、それとも歴史の大いなる歪みなのか。  確かにミナトの子供好きは有名だ。史実でも白鳥九十九の死後、その妹をあたりまえのように引き取ったことからもそれは伺える。妹の方がミナトにとても懐いていたという事もあるのだが、それにしても彼女はそういう役柄がとても似合う。生きたオフィスラブのように当初いわれた彼女だが、それがありあまる母性本能のひとゆえの事であったのは当時のナデシコクルーならだれでも知っていることだ。  ルリのことといいユキナのことといい、彼女をもし欠いていたらナデシコはいったいどうなっていたことか。ユリカが表の最強とするなら裏の最強はルリ、影の最強はミナトであったといえる。いわゆるナデシコ三強論だ。  その影の最強が、ルリを攻略真最中であった。 「ルリルリ、ひととお風呂に入るのが本当に苦手なのねえ。ねえ、こっち向かない?」 「ごめんなさい、勘弁してください」  赤面して目をそらしているルリに、ミナトはくすくす笑った。  ふたりっきりなのをいいことにミナトは隠すところを隠しもしていない。もともとミナトは鷹揚なところのある女性であり、女同士で恥しがる必要なんかどこにあるのといった雰囲気だ。ルリはどうしても男時代の影響で目線が胸や股間、うなじなどに走ってしまい、赤くなってあわてて目をそむけるということを繰り返していた。  なるほど、これではとても落ち着いてお風呂なんて無理だろう。  そもそもルリには強い罪悪感がある。未来における罪業の話ではない。自分が元男性であることをここで証明するのは不可能であり、皆が自分を純粋な女の子と信じこんでいるという事実だ。それでなくても元ナデシコクルーたちに『女の子』として扱われるのはつらい。なのに、自分がある意味みなをだましていることを告白する事すら許されないのだ。ナデシコでその事実を知るのはユリカとアキト、それに史実と違ってナデシコに乗り込んだ義母のホシノ・ホキのみ。プロスペクターは逆行の事実こそ知っているがアキトとルリが入れ替わっていることまではプライベートの事項なので話していない。史実でもナデシコにいた事を知るのみなのだ。 「そういえばさ」 「はい?」  そんなことを考えていると突然、ミナトが首をかしげた。 「ルリルリって、なんだかすごく男の子っぽいとこない?」 「……そうですか?私にはよくわかりませんが」  思わずドキッとしながらルリは応えた。 「わたしってほら、三日くらい前から乗ってるじゃない?戦艦を運転するなんてはじめてだし、何よりわたしの運転士としての腕を買ってくれるなんて本当に嬉しかったものね。だから早く船に慣れちゃおうってさっさとやってきたんだけど。  その時にはもうルリルリってば居たわよね。アキト君と毎日喧嘩しながら」 「……」  アキトの名が出ると、ルリはどうしても反応してしまう。動悸をおさえつつルリは答えた。 「テンカワさんと私はオペレータ同士ですから。それに仲よくありませんから、余計に意志疎通はちゃんとしておく必要があるんですよ。  すみません、騒々しくて」 「仲悪い?あんなに仲良く喧嘩してるのに?」 「よくありません。あんなのと一緒にしないでください」  ぶすぅ、と機嫌悪そうにするルリに、ミナトはけらけらと笑った。 「だいたいテンカワさんはユリカさんの婚約者ですよ。仲がよくないのはむしろ良いことだと思います。私、ユリカさんとテンカワさんをとりあうつもりはありません」 「……ルリルリと艦長、本当に仲良しだもんね。そっか、そういうことか」 「え?何がですか?」 「うふふ。なんでもないよ」  つん、とルリの鼻をつつき、ミナトはやさしい笑みを浮かべた。 「……ミナトさん?」  憐れむような、悲しむような。そして愛しむような笑みを浮かべるミナト。 「つらい恋、してるんだねルリルリ」 「!」  違う、と即座にルリは言おうとした。だけどそれは声にならなかった。  ルリが戸惑っているうちにミナトはルリをすっぽりと包み込んだ。わ、とルリは小さな驚きの声をあげたが、びくっと震えただけで身体は抵抗しない。 「かわいそうに……まだそんな恋する年頃じゃないのにね」 「……そんなことありません」  自分はもう大人ですから、という意味で反論するルリ。  だがそれを悲しい背伸びだととらえたのだろう。ミナトはうん、うんそうだねゴメンねと優しくささやく。その心地よい声はルリの心をゆっくりととろかし、ルリは抱き締められるままにミナトの胸に頭を預けていた。  ルリは急速に、ミナトに対し警戒心を解きはじめていた。  湯舟の中。女と少女。少女の顔に水が流れていたのはきっとお湯のせいだろう。少なくとも少女はそれに気づかなかったし、女はそれに見てみぬふりをした。  まったりとした時間が、ふたりを包んでいた。    と、その時だった。    キシュン、という音と共に小さな窓がふたりの目の前に開いた。  ミナトは当然コミュニケをつけていないし、ナデシコ歴が浅すぎてそれがオモイカネのウインドウであることがよくわかっていない。なにこれ?という顔をしている。  だがルリはそれに速攻で反応した。 「どうしましたオモイカネ」 『事件発生、例のアレです。しかし事態はより危険!すぐにあがって戦闘体勢を』 「わかった」  ウインドウはすぐに閉じた。 「なんなの今の?」 「オモイカネ、つまりこの船のメインコンピュータです。洗面器の中にある私のお風呂用髪止めですが、これは簡易型のコミュニケにもなっていまして、普通のクルーは使えませんが私がオモイカネとお話するには問題ないようにできているんです」  簡潔にウインドウの意味を説明すると、ルリはミナトに顔を向けた。 「どうやらこのナデシコを誰かが乗っ取ろうとしているようです。例のアレというのは隠語でクーデターを意味します」 「え?クーデター?」 「はい」  予想外の事態に目が点になるミナト。 「これはちょっとまずいですね。  すぐ出ましょうミナトさん。裸でいるうちに犯人たちに押し込まれたら洒落にならないです」 「わかったわ」  急いでふたりは湯舟からあがった。 「オモイカネ、ブリッジにつなげますか。映像はダメですよ私たち裸ですから」 『やめておくべきです。へたに通信をつなぐと、そこにルリたちがいる事がばれてしまいますから』  ち、とルリは舌打ちをした。確かにその通りだからだ。 「それでは下手に動けませんね。ユリカさんたちの作戦の妨害をしかねませんから──!」  と、その時、オモイカネの警告が出た。ルリの顔が嶮しくなった。 「ミナトさん、手頃な武器を手に持ってください。ヘヤドライヤーでも栓抜きでもなんでもかまいません。相手は武装した軍人ですから遠慮はいりません」 「え?それって」  はい、とルリは頷いた。 「入口近くに連合軍人が来ています。女性がお風呂に入ってると知ってやる気まんまんのようです。……どうやら史実より始末の悪い連中のようですね」 「史実?」 「あ。いえなんでもありません。ちょっと言い間違いです」  思わず滑らせた言葉を的確にミナトに指摘され、あわててルリは訂正した。 「私が囮になります。ここはミナトさんより私の方が有効でしょう」  せっかくまといかけたタオルをまた外すルリに、ミナトは目を剥いた。 「ちょ、待ちなさいルリルリ。あなた」  女の子の前ですら脱ぐのを嫌がるルリが自分から裸になったのに、ミナトはあわてて止めようとした。あたりまえだ。  だがルリは涼しい顔でミナトを止めた。 「こんな子供が囮だなんて誰も思いませんから。それに彼らはこの艦のメインオペレータが子供だという事も知っています。つまり私は安全です。  ミナトさん、すみませんがよろしくお願いします。相手は軍人ですが勝つ必要はありません。不意打ちくらいならミナトさんの体力でも十分に可能と思われますし、後は私にも考えがあります。まともに戦えばひとたまりもありませんが、なんとかします」  なんとかしてみます、ではなく、なんとかしますとルリは断言した。  ミナトはそんなルリの顔をじっと見て、そして穏やかな顔で頷いた。 「……わかったわ。でも無理しないでね」 「わかりました」 [#改ページ] 来襲[#「 来襲」は中見出し]  その軍人たち三人は、にやけ笑いを浮かべて『ナデシコ浴場』ののれんを潜ってきた。  艦内の他の部分の占拠は既に完了していた。本来はもう少しタイミングをみるつもりだったが、ふたりのパイロットを従えたナデシコは出航したばかりというのに襲いきた蜥蜴をものの見事に制覇してしまっていた。その行動と戦果は『史実』のそれすらも軽く上回っており、よりスピーディに事態を収束させたおかげで佐世保ドックの被害も格段に少なかった。  そしてその分、佐世保にいた内通者をも活発に活動させてしまい、クーデター騒ぎも早まったというからくりだった。  問題はその早めの出航だった。かねてからナデシコに潜入していた軍人に加え、別件で佐世保に逗留していた軍人たちもナデシコには乗り込んでいたからだ。数は多い方がいいとムネタケはその者たちも臨時に組み込み動かしたわけだが、軍職で無駄飯を食うよりはと監視の名の元に左遷されていたクズ軍人たちも中には含まれており、彼らはもともと立場を利用して裏で女を玩具にしたり悪どく稼いだりといったことが大好きな連中だった。  そうした連中のひとりが、ブリッジクルーの女がふたり入浴中であることを知っていた。どうせナデシコは軍のものになるのだし、抵抗したからやむなく射殺という図式を頭に描き、彼らは最初から嬲る気まんまんで女湯に警告もせず乗り込んできたのだった。  だったのだが。 「──なんだ餓鬼かよ」  そこにいたのは、タオルをおおざっぱに巻き付けて右手で不器用にドライヤーをふかしている髪の長い|少女《ルリ》だった。無理矢理鏡の前に引っ張ったのか、ドライヤーのコードが延々と床を這っていた。  なんだかんだで出航直後の船である。細かい不具合がまだあるのだろう。  タオルはきちんと巻かれていない。大人がやれば挑発としか見えない姿だった。  だがルリがそれをやると子供の背伸びにしか見えない。胸を隠しているつもりなのかもしれないがそれはかなり適当であり、大きなバスタオルは腰のところで大量にだぶついていた。その姿はちょっとあられもないものであったが、ルリが堂々していること、ルリの身体がまだ子供そのものなのもあって男たちには色気もへちまもないただの子供に見えた。まぁ特殊趣味の人間がいれば逆にギョッとしたかもしれないが男たちの中にはいないようで、やれやれと男たちは肩の力を抜いた。 「ここ女湯ですよ?男湯は隣です。それとも、いわゆる出歯亀さんというやつですか」  ドライヤーを止めずに目の前の鏡の前に置くと、ルリはちょっと非難めいて目を細めた。  むう、と子供らしく眉をしかめるルリに男のひとりは『なんだこの餓鬼』というような怒りの顔をしたが、もうひとりは「まぁまぁ」となだめた。 「ははは、出歯亀はひどいなぁ。  放送聞かなかったのかい?ちょっと非常事態でな、非戦闘員のクルーはみんな食堂に集まることになってるんだよ。俺たちは見回りってわけさ。  悪いがさっさといきな。髪乾かしてねえならドライヤーもってって構わねえから」 「そうですか、わかりましたすぐいきます。でも服を着る時間くらいはくださいね」  言いながらのんびりとドライヤーを切るルリに、別の男が顔をしかめた。 「この野郎さっさとしろ!餓鬼の分際で色気づきやがって!」  ルリに叩きかかろうとする男をさっきの男が止めた。 「やめろバカ。こんな子供相手に何やってんだ」 「ふざけんな!どうせこの艦は軍のものなんだぞ!こんな餓鬼がでかい顔して」 「しかし……!」  問答をはじめた男たちだったが、そのひとりが背後のミナトに気づき「あっ」と声をあげた。  だがもう遅い。  びゅんっばきっという音がしたかと思うと男のひとりの身体がビクッと揺れた。 「!?」  男たちの視線がミナトの方に向いた瞬間、その反対側でルリの右手が思いっきりドライヤーのコードを引っ張った。 「!」  もちろんその程度で普通、足をすくわれるわけはない。なんだかんだで軍人たちなのだ彼らは。  だが、予想外にルリの勢いと力が強かったこと、コードの配置の巧みさ、そして同時に反対側からミナトが襲いかかったことが狭い更衣室内の彼らを混乱された。 「うわっ!」  ひとりが足元を乱し、無事だったふたりが同時によろける結果となった。  そんなところにルリは駆けよった。バスタオルが外れて落ちるが全然気にもかけず、隠していた左手に持った何かをひとりの兵士に突き出した。 「ぎ」  バチ、と高電圧の弾ける音がし、ルリに一番近いひとりが硬直した。 「!」  最後のひとりはさすがに軍人らしく瞬時に事態を把握した。だが運悪く倒れてくる同僚の下敷きになりかけている。だぁぁ、とそれを押し退けなかば殺すつもりで目の前のミナトに蹴りをくれようとしたが、 「ぐっ!」  小さなルリが倒れる男の横をすりぬけ左手の何かごとタックルをかけてきて横から突きとばされ、 「えいっ!」  ミナトの再度の撲打とルリの電撃を喰らい、今度こそものの見事に男も昏倒した。  一秒後、そこには三人の倒れた男、それに、 「……ふう」 「……」  バスタオル姿で鈍器がわりの工具を手にもつミナトと、全裸で左手にスタンガンを持ったルリが立っていた。 「ミナトさん」 「……」  ミナトはさすがの大仕事の後なのか、それとも初めて他人を昏倒させたショックからか、呆然としている。 「ミナトさん」 「!」  ルリの再度の言葉で我に帰ったミナトは、ああと声をだした。 「この人たちはすぐに目を覚まします。私は急所を押さえたつもりですが所詮子供の一撃ですしスタンガンでひとは殺せません。ミナトさんのだってそうです。ましてや相手は軍人なわけですから。はっきりいってこれは時間稼ぎ以外の何者でもありません。  すみませんが私たちの服を籠ごと回収してください。至急このまま食堂に向かいます」 「あ、でもさっきの話だと」  さすがのミナトだった。もう頭がまわりだしたようだ。 「はい、食堂前にもたぶん軍人がいます。  ですが、バスタオル姿の女の子がふたり逃げてきて助けを求めれば、後で握りつぶされるかどうかはともかくその時だけはちゃんと動いてくれますよ。少なくとも中に入れてはくれるはずです。  みんなと合流できればこっちのものです。後はどうにでもなるでしょう。  何より、ミナトさんが私をかばってくれたのは本当のことなんですから」 「そうね。それでもダメならそれはその時か」  そういうとミナトはすぐ籠をふたつもってきた。  ルリはそれを受け取ろうとした。だがミナトは首をふるとバスタオルを一枚だけルリに渡した。 「はい?」 「歩きながらでもそれつけなさいルリルリ。すっぽんぽんでナデシコの廊下歩くつもり?」 「!!」  ルリは真っ赤になり、あわててバスタオルを受け取った。 [#改ページ] 結末、そしてこれから[#「 結末、そしてこれから」は中見出し]  ルリとミナトのあられもない姿での帰還は、ナデシコクルーたちを本気で怒らせる事になった。  ふたりはただちに保護されたばかりか、軍との交渉に赴こうとしていたユリカとプロスペクターにもオモイカネの映像いりで伝えられていた。全裸のルリと半裸のミナトがにやけ笑いの完全武装軍人三人に相対する姿は当人たちはともかく第三者的には絶体絶命以外の何者でもなかったし、命からがら逃げ出したがふたりは強姦未遂に強い衝撃を受けているとまで誇張されていた。それらの報告と映像はルリのスタンガンやミナトの鈍器は写らないよう、さらにネルガル側の被害者感を煽りまくるよう巧みに工夫されていた。  そして、アキトとゴートホーリ以下有志たちの異様に士気の高い者たちの活躍のもと、たちまち艦は取り返された。  ミスマルコウイチロウはその映像を「ばかものどもが」とまさに苦虫を噛み潰す顔で見たという。 「本当に恐かったです。ミナトさんがおられなかったらどうなっていた事か」 「あはは、それわたしのセリフだよ。ルリルリいなかったらいきなりお風呂場に入ってきてたよ?彼ら」  その場合、まさに最悪の事態になったことだろう。 「そうですね。ではふたりの共同作戦の結果ということで」 「そうね」  ルリが持っていたスタンガンや異様な落ち着き方。そしてタイミングに助けられたとはいえ、大の男ふたりの足元を電源コード一本で乱してみせた尋常でない手際のよさ。  そして予定外とはいえクーデター自体は事前に知っていたかのような言動。  それらについて、ミナトはひとこともコメントしなかった。ふたりでなんとか暴漢を撃退して逃げた、そういう事で全てを収めたのだった。 「そうですか。ごめんなさいルリちゃんミナトさん。先にお風呂にいかせたユリカの失策だよ」 「ま、まぁまぁ艦長。あれはどうしようもなかったと思うから」  悲しそうに頭をさげるユリカに、ミナトはあわてて言葉をなげた。 「しかしまぁ、まさに怪我の功名というものですな。  女性スタッフを襲った兵士の存在と映像は、少なくとも軍の上層部や国連を動かすことになるでしょう。ナデシコの拿捕と接収はうまくいけば中止、かわりにネルガルに同型の新造戦艦を提供させるということで話がつく可能性もでてきました。贔屓目に見てもこれはかなりあり難いことです。  おかげさまでナデシコは、味方の妨害なんてばかげた事態を通さず、平和裡に火星に向かえるかもしれません。おふたりの機転、そして両者ともご無事であったこと。本当によかった。心から感謝いたしますよ」 「そうですか」  クールに答えたルリ。その横で苦笑するミナト。  ふう、とユリカはためいきをついた。 「ルリちゃんミナトさん、本当におつかれさま。そして今度こそ本当の休憩です。  念のため医務室でホシノ博士に問診を受けてください。場合によっては鎮静剤を用意していただきます。今夜はぐっすりと休んでください。交替のことは考えなくてもかまいません。今はゆっくり休む、それだけを優先してください。  ルリちゃんどこで休むの?ホキさんまだお仕事だし寂しくない?なんだったらユリカのとこ来ない?後でお話しよ?」 「あのですね」  またかこのひとは、と言おうとしたルリだったが、 「あ、艦長。ルリルリがよければだけど、わたしと一緒でいいかしら?」 「!」  驚くルリの肩にぽんぽんと手を置くミナト。 「ほら、さっきのお話中断しちゃったでしょう?一緒にお休みして続きも聞きたいんだけど……だめ?」 「……」  ルリはミナトの顔を見て少し考え、 「はい、わかりました」  すっかりリラックスした顔でそれだけ答えた。 「……」  ユリカとアキトはそんなルリを、ちょっと複雑そうな顔で見ていた。        ミナトの部屋はユリカたちの隣にある。ブリッジクルーの区画の中にあるからだ。  部屋に入ってすぐ、ミナトはベッドを反対側に移動した。そして最低レベルの音量でBGMを流した。沈静音楽なのよとミナトは微笑んだが、史実でミナトさんそんなことしてたっけ?とルリは首をかしげた。  それはミナトの気遣いだった。  ミナトはユリカたちの夜ごとの睦言を聞いていた。いかに戦艦の壁とはいえここは一般居住区だし、派手にギシアンすればやはり就寝中の壁際のミナトには聞こえてしまっていた。だからルリのためにベッドを移動した。戻ってきたユリカとアキトがもしおっぱじめてしまったら、それでルリが傷つくのではないかと心傷めてのことだった。  さすがにそこまではルリは気づかなかった。ただ安眠しやすくしてくれているんだな、と漠然とミナトに感謝するにとどまった。  ゆっくりとシャワーを浴び直し、パジャマになった。  ルリはミナトから逃げなくなった。風呂場での戦いはルリの精神を少しだけいい方向に向けたようだ。ミナトの裸を見ても取り乱さない。性的なそれよりも先刻の緊張感などが勝ってしまう結果だが、慣れるという意味ではどちらでも同じことだった。  ふたりは微笑みつつベッドに入った。ルリはブリッジから引き摺りだされた時の緊張感が嘘のようにリラックスしていて、まるでホキ女史と寝る時のような落ち着いた顔をしていた。  ミナトはそれをみて、とても満足そうに笑った。 「ねえルリルリ。起きてる?」 「はい、なんですかミナトさん」  暗くなった部屋の中。天井をみあげてミナトとルリは会話していた。 「ルリルリって……変なこと聞くけど、もしかして昔は、男の子として育てられたとかそういうクチ?」 「!」  ぴく、とルリの身体が反応した。 「どうしてそう思うんですか?」  なんとなくね、とミナトは笑った。 「確かにあれは異常事態だったけど、でも男性に肌を見せてもまるっきり平気だったでしょルリルリ。女の子相手にはあれほど警戒してたのに。  それでね、なんとなく」 「……否定も肯定もしません。ですがそう言われればそうかもしれませんね。少なくともホシノ夫妻にひきとられて娘になる前に、自分を女の子だと思っていた事はなかったと思います。女の子として自分を認識することも、そう生きることを教えてもらったのもホキさん、つまりホシノ博士なんです。  女性に警戒してしまうのはそのせいだと思います。なんだか恥ずかしいんです。変に意識してしまってますね。わかってはいるんですが。  ですが、肌を見せてうんぬんというのは別問題です。もしかしたら殺されるかも、ただじゃすまないかもっていう異常事態の中でしたから」  嘘はついてないな、と思いつつルリは答えた。そっかぁ、とミナトは頷いた。 「随分と修羅場慣れしてるよね。それに身体も鍛えられてる。細くて可愛いけど力も強いし瞬発力も大したものだわ」  完全武装の軍人三人、それも襲う気まんまんの狼藉者たちを目の前にして物怖じもしない態度。ミナトはそういう世界の経験がないから漠然とした感覚ではあるが、それが普通でないのは火をみるよりも明らかだった。 「鍛えているというのはその通りです。センターで武道を少し習ってました。さすがに大人の軍人さん相手に戦えるようなものじゃありませんが、同年代で武道をやっている女の子となら、なんとか勝負になるかもしれません。  そうですね、うまく足元を乱せたのはそれもあったと思います。  修羅場慣れというのは……ちょっと私にはわかりません。正直私も夢中でしたから。そのあたりはミナトさんと似たようなものかも」 「あ……そういうこと」 「はい?」 「ううん、なんでもないよ」 「?」  勝手に納得してしまったミナトに、ルリはちょっと眉を寄せた。  実は、ミナトはある程度の怖い思い出があった。若いころひとりで泳いだり遊んでいて、不心得者の若者たちに襲われたことが何度かあったからだ。特に武道などをやったわけではなかったし軍人相手なんてこともなかったが、それらの経験は確かに今回も生きたように思う。  その経験からミナトは、ルリもこの若さで何かそういう修羅場の経験があるのだろう、と判断していた。  それは多少の勘違いを含んでいたが、どのみちミナトにはどうでもいい話ではあった。だからその話はここで終わった。 「ま、いいわ。とにかくもう寝ましょう。ね」 「はい」  ミナトはルリを包み込み、ゆっくりとぽん、ぽんと背中を叩き始めた。  ルリは最初、まるで赤子のように自分を扱うミナトにちょっと眉をしかめた。だがそれが心地よかったこと、そして服用させられた鎮静剤がききはじめたのか、そのまま何も言わずにうつら、うつらとしはじめて、 「……」  やがて、眠りに落ちた。 「……」  ミナトはそんなルリをじっと見ていた。  そしてゆっくりと自分も寝ようとしたのだが、 「……ごめん」 「?」  ぼそ、とルリが何かをつぶやいたのに気づいた。  眠りが浅いのだろう。まぁいいかと再度寝直そうとしたのだが、 「ごめんユリカ……ルリちゃん……俺は……」 「……」  寝言とはいえ血を吐くような慟哭に、ミナトは思わず眉をよせた。 (ルリちゃん?俺?どういうこと?)  断片的なもの。しかもたかが寝言である。  だが、自分を俺と言いユリカと『ルリちゃん』に謝る悲しげな声。それがただの夢の産物とは、なんとなくミナトには思えなかった。  いったい、この子はこの小さな肩にどれほど苛酷な人生を背負っているのか。  以前の暮らしについては断片的ではあるが聞いている。今でこそホシノ夫妻の娘となっているが以前は何やらよからぬ事に利用されていたらしく、ナデシコの中枢に関わるような凄いオペレーション能力もそのためらしい。またアキトたちとの会話のはしばしに『センター』『実験』などの単語も小耳に挟んだことがある。  これが意味するものは。 (人体実験……)  その凄惨な言葉の意味するものに、ミナトは悲しげな顔をした。 (……)  ルリの寝息が少し荒くなった。目からは涙がこぼれている。  そのさまがあまりに悲しくて。  あまりにみじめで。  気づけば、ミナトはルリをやさしく抱き締めていた。 「……」  懐の中で、ゆっくりと落ち着いていくルリ。 (……大丈夫よルリルリ。  わたしだって……ルリルリの味方だから)  ミナトは子猫のように眠るルリの額に、ちゅっと優しく口づけをした。 「……」  そしてルリのぬくもりを確かめつつ、彼女もゆっくりと眠りに落ちたのだった。        翌日から、ルリとミナトはとても仲良しになった。  ミナトはルリから事情を聞かないしルリも何も話さない。だがそれで十分だった。ミナトはルリが頼ってくるならいつでも力になるつもりだったし、ルリもそんなミナトがわかるのか全幅の信頼を寄せていた。その姿はユリカに筋違いな嫉妬をさせたり、ゴートホーリをなぜか悩ませたりと各部に小さな混乱を招いていたがまぁそれはそれ。仲がいいのは悪いことではないだろう。  ナデシコブリッジの人間相関図が、また少し変わった。 「……やれやれ。ま、いっか」 「どうしたんですか?アキトさん」 「いや、なんとなく」 「?」  メグミの問いかけに、アキトはただ苦笑すると再びコンソールに向かうのだった。  その笑みは、知るひとの目には遠いいつかの『電子の妖精』をどこか彷彿とさせるものだった。       (おわり)