夜魔 はちくん クロスワールド、月姫・ナデシコ [#改ページ] まえがき[#「 まえがき」は中見出し]  やり直せるはずだった。  ジャンプの失敗で時を越えてしまった時、俺はそう思った。最初から悲劇を避けるよう手をうち、身体も鍛えて未来に備える。そうする事により悲劇は最小限に抑えられると。そう信じていた。過ぎたもの…俺本来の歴史はもう取りもどせないが、せめてこの世界の彼女たちだけでも幸せに、と。  だが、無理だった。  いかに力をつけようと、現実は冷酷だった。やはり悲劇は繰りかえされた。気づけば以前とさほど変わりない歴史の中、結局、俺は孤独に戦っていた。    そんなある日、その事件は起きたんだ。 [#改ページ] SF Meets Fantasy[#「 SF Meets Fantasy」は中見出し]  火星の後継者事件が終わり、俺は残党狩りをしていた。  苦戦していた。何より前の歴史と違い、俺にはブラック・サレナもユーチャリスもなかった。ラピスもいない。彼女はとっくに救助されてルリちゃんと暮らしていたし、俺は歴史を変えようと様々な行動をしていた事で逆にアカツキたちに疑われ、火星の後継者事件が終わった際に証拠隠滅とユーチャリスごと爆破されたんだ。  いや、無理もないと思うよ。今にして思えば。  会戦初期からボソンジャンプを駆使し、木連を知り木連式柔を使う存在。木連側の人物にも詳しく…疑うなという方が無理だろう。おまけに命令はきかないし戦う力もあった。そんなの、俺だって怪しいと思うさ。だからこそうまく行動したつもりだったんだけど、さすがにアカツキたちも馬鹿じゃなかったって事なんだろう。俺は全世界のどこにも居場所がなくなった。今は残党狩りを続けているけど、サポートなしのたったひとりでできる事なんか限られてる。倒せるのは下っぱばかり。肝心の大物にはさっぱり手だしもできない。しかも食料や武器目当てに窃盗やら裏取り引きやらの毎日。まったく、ひどい状況になったもんだ。 「…にしても、これは失敗だったな。」  乗って来たエステバリス…軍から盗んだものなんだが…の残骸を前に、俺はため息をついた。  遠くの空に、無人兵器の迫るのが見える。連合軍と統合軍の手でパワーアップされたバッタやジョロの群れだ。伊達でもなんでもなく、空を埋め尽くす勢いでやってくる。ご苦労なことだ。俺がコロニー襲撃犯と知っているんだろう。たったひとりを倒すには物量で押し潰すに限る。いかにも軍らしい、そして確かな方法だった。  とっとと逃げ隠れしなくちゃならないが、もう動く事もできななかった。感覚を補助していた装置類が壊れかけてるんだろう。平衡感覚がおかしい。立つ事すらできそうになかった。 「俺は……死ぬのか」  死ぬだろう。間違いなくおしまいだ。  周囲には、家のひとつもない。ただの山の中だ。最後に感じたセンサーの反応だと、日本のどこからしい。ちょうど山腹の一部が伐採か何かで森が切れ、ちょっとした広場になっていた。俺とエステはそのド真中に落ちてしまったんだ。這って逃げれば森に入れるが、この身体では餓死か野垂れ死にだろう。助けを求めれば軍に殺される。  …おしまい。ジ・エンド、か。  ユリカはもう回復したろうか。こっちのルリちゃんはユリカにすごく懐いてたから、ルリちゃんが仕事の合い間に詰めているだろう。俺のことは、「義姉さんの旦那様」という感じに応対してたもんな。俺は今度こそ死んだ事になってるし、生きてるかもしれないと思ったところでユリカの方が間違いなく優先だろう。前に歴史のように追ってこない事からもそれはわかる。 「…ふふ、ふふふ…」  なんつー不様なラストだ。俺は結局、こんな終りしか迎えられないのか。 「……くそぉ…」  悔しい。口惜しい。  なんでこうなるんだ。親を殺され、故郷を滅ぼされ、妻を、自分をボロボロにされ、小さな幸せまでうばわれて……せめてもの幸せを探した結果がこれかよ。  なんでだよ!なんでなんだよ!!くそぉぉぉぉっ!!!!  ………生きたい。  どんな形でもいい。あいつらを殲滅できる圧倒的な力が欲しい。そのためならどんな代償でも払う。こんな生命でよけりゃくれてやる。だから。      だから!   「…力が欲しいの?なぜ?」 「!?」  いきなり背後で響いた女の声に、俺は振り返ろうとした。 「!!…」  思うように動けない。こんなとこまでイカれちまってるのか。 「あぁ無理しないの。苦しいだけよ」 「…誰だ、貴様」 「あら、ご挨拶ね」  女の声は、のほほんと続く。 「ひとんちの庭先に、その機動兵器とおっこちて来たのは貴方でしょ?いったい何事かと思ったわよ」 「…庭先?」  視界に写る範囲のものを見る。…が、ただの山の中だ。 「ここからじゃ建物は見えないわ。彼の趣味でね、目立たないように建ててあるの。ここいら一帯が庭みたいなものよ」 「……」  ふざけてる。そうとしか思えない。いくらなんでも今どき、こんな山奥で暮らす酔狂がいるか?隠者が隠遁暮らしするのは物語だけの話だ。 「そんな事より答えなさい。いったい何があったの?」 「…は?」  な…なんなんだこの女? 「あなた、存在自体がひどく不自然だわ。どこか別世界の住人ね?どうやってこの世界に来たの?」 「……はぁ!?」  な!? 「は、じゃないの。あぁ、ちょっと待って。わかった。何か込み入った事情なわけね。…悪いけどちょっと見せてもらうわ」  すりすり、と頭を何かがなでる。感覚が鈍いのでよくわからないが…女の手だろうか? 「はぁ…なるほどね。異星文明の遺産、か。時間も空間も越える技術とは凄いわね。人間が本来感知できない時空間の移動なのに、発動と制御に人間の意志が関わるっていうのも凄くユニークだわ。何か魔術的なものも感じる。なんだか久しぶりに興味が湧いて来たわね」 「!!」  どうして!? 「あぁ心配しないで。私は貴方の敵じゃないわ。知ってるんじゃない。わかるのよ。貴方の脳から情報を引き出した、と言えばわかるかしら?そういう力が私にはあるのよ」 「…なんだ?いったいなんなんだおまえ」  よくわからない。いったいなんなんだこいつ? 「なんなんだって言われても…困ったわね。今は科学万能の時代だし、私が誰か説明しても貴方、きっと信じちゃくれないわ。  それより…事情はわかったけど、本当に力がほしいの?」 「…は?」  な、何言いだすんだこの女?  いや、それどころじゃない。ここにはあの無人兵器たちが迫ってるんだ。何者か知らないがこのままだと… 「それよりすぐ逃げろ」 「え?」 「空を見ろ。バッタとジョロの大群が来てるだろ?狙いは俺だ。とばっちり食うぞ」  ていうか、現時点でたぶんこの女も狙われてるだろう。逃げなくちゃ間違いなくやられる。 「あぁ、あれ。…そう。あれはここを狙ってるのね」 「は?」  なんだ?女の声にどこか、怖い感じが混じってきたぞ? 「ここは、私の志貴が眠る七夜の森。あんなガラクタの好きになんかさせないわ」  女は立ち上がったらしい。少し声が遠くなる。 「…ざっと見て…2783機、か。そんなものでこの森に攻めてくるなんて随分とナメられたものね。ま、知らないんだから仕方ないか」  女の声は、あくまで平穏だ。だけど、怒りを感じる。感覚がないはずの肌に、ぴりぴり来るものを感じる。 「貴方」 「え?」 「貴方も見てなさい。そして、自分で判断なさい。  私はきっと、貴方の欲する『力』を持ってる。もし貴方が欲するなら、全部は無理だけど少しくらいなら貴方が使えるようにしてあげる事もできると思うわ。  けど、それには代償がつく。とても、とても高い代償がね。ひとの世界で、ひととして暮らしたい貴方にはとても耐えられないかもしれない」 「……」  この女の言う事は、よくわからない。  だが、初対面で俺の記憶を読み、俺が逆行者である事まで言い当てた女だ。それなりの理屈なり理由があるんだろう。そう判断した。 「…わかった。ここで見てる」 「そ。…できれば私としては、このまま安らかに眠った方が貴方の幸せとは思うけどね。  貴方の人生は見せてもらった。大変だったわね。そんな世界の中で、よくそこまで素直に生きられたものだわ。賞讃に値するわよ」 「…素直?俺が?まさか。俺は犯罪者だぞ?事情があるとはいえ」 「あは、関係ないわよそんなもの。  だいたい、その犯罪者ってのも大部分は濡れ衣じゃない。奥さんと娘のために戦った。それだけよ。復讐に燃えるあまり自分を見失ったのだって、素直な証拠だわ。それでも貴方はあがいた。時を越えてまで、もう一度やりなおそうとした。知らないふりして奥さんと娘さんを口説いて、事件と関わらないような暮らしを探す事だって不可能じゃなかったはずなのに。」 「……」  驚いた。そんな事までわかるのか。 「私、貴方が気に入ったわ。」 「え?」 「貴方は志貴に…あぁ、私の最初で最後の連れ合いね。彼にどこか似てる。きっと志貴も貴方と同じ人生を歩めば同じ事したと思う。  だから、決めなさい。自分がどうしたいかを。私のやる事を見て、ね」  女の声が前に動いて…俺の視界に女の姿が写った。 「…」  綺麗な金髪の女だった。白人だろうか。白いタートルネックのセーター。焦茶のスカート。華奢な革靴。こんな山中で暮らしているとは思えない、とてもお気楽な格好だ。 「…」  女は、空を見上げてつぶやいた。 「星まで行くほどの力を持っても、それでも人間は変わらない。世界を敵に回し続け、くだらない事を続ける。…悲しいことだわ。  けど、ここだけは手だしさせない。  ここは志貴が生まれた土地。私と志貴が結婚して、家を建てた土地。子供達を育て、旅立たせた土地。そして…逝く志貴を最後に見送った土地。  二百年近くも過ぎた。でも私は忘れない。志貴の笑顔、志貴の声。志貴のぬくもり。忘れない限り、私は人形には戻らない。このまま生きて、いつか生きられなくなったら永遠に眠る。志貴の思い出だけを抱えて。」  女の声が、厳かに響く。  内容はほとんど理解できない。でも、彼女がその「シキ」という男を今もどれほど愛しているかはわかった。伝わってくるんだ。うまく説明できないけど、彼女の心象風景というか、そういうものが俺の脳裏にも拡がっていて、俺にもそれが理解できた。  長い、長い時の果てに得た運命の出会い。不思議な瞳をもつ少年。  彼女は、日本人の男の子と結婚したんだ。そして幸せに暮らし、彼を見送った。紅い瞳を持つ子供たちは世界に散り、彼女はひとり、ゆったりと終末までの時間、静かに暮らす事を選んだ。歳老いた者が静かに余生を送るように。  …って、紅い瞳??? 「…テンカワアキト、で合ってるのかしら?」 「…ああ」  もう何も言うまい。この不思議な女なら、何がわかってもおかしくはない。理屈じゃなくわかる。 「この世界は貴方の世界ではない。それでも残党狩りとやらを続けるの?」 「…ああ、そうだ。  世界を変えようなんて傲慢な事はもう考えない。それはもう無理だとわかった。  でも俺は止められない。止める気もない。あいつらを消す事を!!」 「…そう。だったら、今から私がやる事を見なさい。そして、もう少しだけ考えなさい。  このままだと、貴方はここで死ぬわ。その身体ではどのみち、まもなく生命活動が停止するもの。そして私は人間の医術を知らない。志貴の身体の事で少しは学んだけど、貴方のそれは志貴のそれとは違うから。  だから、力をあげるという事は、貴方が人間でなくなるという事。死徒にするつもりはないけど間違いなく人間のままじゃいられないわ。私は特殊な力があるけど魔術師でも魔法使いでもないから、あたらしい貴方の身体を作ってあげる、なんて器用な事もできないし、意志はあっても貴方の生命力じゃ、力のある幻想種や魔獣を植えつけたりしたら逆に貴方が取りこまれて消えるだけだし。」 「…すまん。何を言ってるのか俺にはさっぱりなんだか」 「あぁ、ごめんね。貴方にこんな話してもわからないか。  とにかく、これだけは忘れないで。力を得れば貴方の望みはきっと果たせる。けど、奥さん…ユリカさんだっけ?彼女に愛して貰う事はもうできないかもしれない。それどころか、化け物と呼ばれて敵視される可能性が大きい。そういう事よ」 「……」 「わかったら、そこで見てなさい。千年生きた真祖の力、その片鱗を見せてあげるから」 「…シンソ?なんだそれは?」 「説明したところでわからないと思うわ。ま、見てなさい」  女はそう言うと、再び上空を見据えた。 「……操られ、動くだけの機械の群れ、か。私もかつては似たようなものだったかもね」  女の表情はわからない。けれど、寂しそうに、悲しそうにその声は聞こえた。 「単に破壊するのはたやすい。けど、七夜の森に落ちて山火事なんて起こされたら嫌だものね。  志貴が死んで以来、ざっと180年ぶりのお披露目か。感謝しなさいねあんたたち。  ……消えなさい!!!!!」  女がそう言って、空に向かって、スッと手をすべらせたその瞬間、 「!?」      空がいきなり、ぐしゃりと潰れた。    いや、潰れたという表現は正しくない。空全体が一瞬、シュレッダーにかけられた紙のようにザクザクの千切りになったんだ。それはバッタの大群をひとつ残らず飲み込んだけど別に爆発とかの音は一切しない。赤い光がいくつか見えたけどあれは爆発か。そのエネルギーもこっちには感じない。ものすごく遠方の花火を見るようなものだった。  一瞬の後、空は何もなかったような青空になっていた。 「……なんだ、今のは」  相転移砲?馬鹿な違う。そんなものでない事は俺にだってわかる。なんなんだこの、言語同断の破壊力は?  いや、そもそも…破壊、なのかこれは?  叢雲の如く拡がっていたバッタたちが、カケラも残さず消えてしまった。炎ひとつ、煙ひとつ残ってない。ただ忽然と消えたようにしか見えない。 「…空想具現化(マーブル・ファンタズム)。私の力よ」 「…な…」  女は俺の方に向き直った。  凄まじく美しい女だった。イネスに少し似た、しかしイネスよりずっと繊細でしなやかなブロンド。その髪は腰まで伸びている。現実感がなくなるほどの美女だった。  …だが、それより特徴的なのは、その目。 「…深紅の瞳?」  何か凶々しい、ゾッとさせるほどの紅の瞳だった。  本能的に俺は悟った。これはまともじゃない。こいつは人間じゃない、と。理屈ではない。確かに違うのだこいつは。こんな人間がいるわけがない。 「…あ」  だが、その瞳はしばらくすると凶々しさをなくし、ちょっと赤いけど普通の女性に近いそれになった。 「改めて自己紹介するわ。私の名はアルクェイド・ブリュンスタッド。12世紀に生まれ生きてきた真祖。あなたたちの言葉で言う、吸血鬼よ」 「……は?」  女の奇想天外な自己紹介に、俺は、ぽかーんとしていた。 [#改ページ] 月に愛された姫[#「 月に愛された姫」は中見出し]  俺は女の手当をうけた。  意外にも女は手当に慣れていた。聞けば彼女の夫になった男は身体が弱かったらしい。よく倒れたので手当は自然とマスターしたのだという。 「私でもゾッとするくらい強かったけど、やっぱり人間だもの。ま、繊細なレーシングカーみたいなものかな。普通でない機能と性能を持つために他の部分が弱すぎたのよね。  志貴には妹や可愛いメイドさんたちまで居たけど、結婚した後は志貴が拒んでね。ま、そのあたりにも色々あるんだけど、そんなわけで私と、それからレンっていう子のふたりで志貴の世話もするようになったっていうわけ。」 「あんたがゾッとするほど…?それは凄いな」  正直、誇張でなく連合軍と生身で戦えそうなバケモノが「ゾッとする」なんて…どんな人間なのか想像もつかないぞ。 「強かったわよ、志貴は。実際、はじめての出会いで私、彼に殺されてるもの。ナイフ一本で分解されたの。出会い頭に一秒とかけずに、十七の肉片にね」 「…どんな技だそれは」  というか、本当に人間なのかそいつは?いくら脆い人体とはいえ、一秒かけずに十七に分解するなんて爆破でもしないと絶対無理だぞ。それをナイフ一本? 「…ていうか、分解されたら死ぬだろ普通。ふざけるな」 「ええ、死んだわよ私。復元するの大変だったんだから」 「……」  あいた口が塞がらん。もし本当ならこの女、不死身なんて言葉すら生ぬるいぞ。 「それで復元してから志貴を捜しだして追いつめて、私を殺した責任とれって詰め寄ったの。それが、なれそめって奴かな」 「……」  頼むから照れるな。頬そめるな。勘弁してくれ。 「…そりゃ悪夢だ。怖かったろうな、そいつ。」  俺もひとをたくさん殺して来た。悪夢も数えきれないほどに見た。よくも殺したな、地獄へ来いってすがりつかれた。今も時々見る。ひどい夢、最悪の夢だ。  ライブでそんな目にあったのかそいつは。なんとも酷(むご)いなそれは。間違っても同じ目になんか逢いたくないぞ。 「…しかし、そんな力があるなら」  どうしてこの戦争の行く方に関与しなかった? 「あら、私は人間じゃないもの。人類種がどうなろうと本来、知ったこっちゃないわよ」 「……」  なるほど。簡潔な説明をどうも。 「…でも、人間の男と結婚したんだろ?少しは関わりもあるんじゃないか?」  少し、意地悪な詰問などしてみる。  だってそうだろう。この女はたったひとりで、あの戦争そのものをひっくり返す事だってできたはずだ。あれだけのバッタを問答無用で一瞬に消去できるのなら、それだって可能だったはずだ。  だが女は、艶然と笑うだけだ。 「高く買ってくれてるのは嬉しいけど、それは買いかぶりってものね。  私の力は確かに大きい。けど大きすぎるわよ。戦争に勝つためにアメリカ大陸が消滅しました、じゃなんの意味もないんじゃない?」 「…大きく出たなそれは。」  こいつ、クリムゾンの本拠がアメリカにあるのにひっかけてやがるな。いったい、俺の頭からどれほどの知識を仕入れたんだ? 「別に誇張してないわよ。私が全力を出せば大陸の形くらい変えられる。ちなみに核攻撃かけても私は消せない。人間の作った近代兵器なんかで私を滅ぼすのは無理よ。だって、なんの概念武装も施してないんだもの」  …おいおい。 「とはいえ、私独自の敵もいるのよね。そんな事したら「 」も活性化しちゃう。大騒ぎ、ていうか神魔の時代の世界戦争の再現になりかねないわ。だからそれは御免だけど」 「…なるほど。相克ってやつか」 「ええそうよ。わかってるじゃない」  女は人間ではない。女の言葉を信じるならある意味、普通の生物ですらないのだという。女の言う「精霊種」とか「幻想種」とかいう言葉はよくわからないが。  だが、こいつのような者が自然に存在するなら当然、それと拮抗する者もいると考えるのが確かに正論だ。大陸は大袈裟にしてもあの戦闘力。あんなのが激突しあう戦争になったら、日本のひとつやふたつ、たちまち焼け野原になっちまうのはまちがいない。 「そうか、わかった。変な質問して悪かったな」 「いいわよ別に。興味を持つのは無理もないと思うから」  女…アルクェイドはただ、どこか透明な笑みを浮かべた。  ここは、アルクェイドが夫と暮らしていた、という家らしい。  古風な日本家屋だった。運び込まれる時に見えた限りだと、森の中、その一部と融合するかのようにそれはひっそりと立っていた。確かにこれは隠れてる。上空からでは大きな木の影だし、さっきの広場からでは森にまぎれて発見は困難だ。 「強力な結界にもなってるの。たとえ衛星からでもこの森は見付からないわよ。貴方の乗って来た機動兵器は別だけどね。ここに属するものではないから」 「…なるほどな」  どおりで、この現代日本にこんな秘境のような土地があるのか。 「…これは?」  壁にかかっている大きな写真。優しい目をした青年が笑っている。相当に色褪せてはいるが、モノクロの状態でも充分に見える。いい写真だ。 「…それが、志貴よ。私と結婚した頃の写真」 「…そうか」  俺はその青年の顔を、じっと見た。 「それ、スチール写真なのよね。妹のメイドの提案で撮ったんだけど」 「…スチール写真?」 「ええそう」  アルクェイドは複雑そうに笑った。 「二十世紀末から二十一世紀にかけてっていうのはね。無知のくせに現代技術を盲信する愚か者の時代でもあったわ。特に「モノを長もちさせる」という事に関しては前世紀より大きく後退してしまったの。産業文明の悪癖でもあるんだけどね。  いい例が紙よ。当時使われていた紙は酸化しやすいうえに経年変化にすごく弱くてね。当時も条約の調印なんかには昔ながらに羊皮紙が使われてたんだけど、その意味を一般人は理解しなかった。長く持たせようと思えばそのためのコストを惜しんではいけないんだけど、そういうのを盲信と片付けて信用しなかったの。  昔のひとは知ってたわ。千年、万年持たせるなら石に刻む。数百年持たせるなら羊皮紙のような酸化や劣化に強い紙を使う。インクも同様ね。なのにそれよりコストを優先し、たかだか数年で色あせるような粗悪なものを乱造してしまった。」 「…で、このスチール写真はそうじゃなかった、と」 「ええ、そうよ」  ふふ、とアルクェイドは微笑む。綺麗な笑みだ。 「この写真は特別なの。そのメイド…琥珀と言うんだけど、人間でなく私のスケールで、長もちする写真をっていうんで素材や機材を選びこれを撮って、結婚式の日に私にプレゼントしてくれたの。これなら志貴が死んで何百年たっても、きっと志貴の顔を見ていられるからって。」 「…優しい女だな」 「ええ、そうね。悪巧みばかりして、割烹着の悪魔なんて呼ばれてた娘(こ)だけど」 「…そりゃまた、すごいふたつ名だな」 「ええ」  そのメイドも、23世紀にもなって自分の事がこうして話題になるなんて考えもしなかっただろうな。 「…寂しくないか?」 「…愚問ね、そりゃ寂しいわよ。志貴はもういないし私はひとりだし」 「そっか。そういやさっき誰かの名前言ってたよな。レン、だったか?」  中国人だろうか?まぁ人間じゃ彼女のように長生きはできまいが。 「レンは人間じゃないわ。夢魔なの。志貴と契約してたんだけど…今はあちこち飛び歩いてる。逆時計って呼ばれてる強大な死徒に懐いててね」 「…逆時計?なんだそれ?」  死徒についてはさっき彼女に聞いた。真祖が生み出したり自分で「成った」り色々らしいが、元は人間で後から吸血鬼となった者のことらしい。  …とはいえ、理解してるのは頭だけだが。平均的現代人の俺には、どうにも感覚的についていけない。 「逆時計っていうのはその子の仇名ね。貴方の元の世界での名前のようなものよ。黒い王子、だっけ?」 「ああ、そんなやつだ。なるほど、ふたつ名なのか。」  由来については…何か理由があるんだろう。俺が知る必要はあるまい。 「実は彼女…女の子なんだけどね。志貴の高校時代の元クラスメートなのよねこれが」 「…関係者、というわけか」 「そ」  …それはそれは。世間は狭いってやつですかい。 「ようするに、そのレンって子は君の旦那さんが亡くなった後、彼女に貰われてったわけだ。猫みたいに」 「あら、猫っていうのはうまい描写ね。レンって、普段は黒猫の姿してるのよ?」 「へぇ。でも、なぜ君が連れてないんだ?その女の子に譲った理由は?」 「…どうしてかしらね。でもいいのよ。あの子は夢魔で人間の精気が必要だもの。死徒と違って吸血しない私には養えないわ」 「…なるほど。餌をあげられないってわけか」 「ええ」  しかしそれって、彼女は本当にひとりぼっちって事にならないか? 「あら、心配してくれるの?でも大丈夫よ。志貴のおかげで知人、友人も随分できたわ。昔は吸血種というと皆、ひとりぼっちで敵ばかりだったけど今はだいぶ違う。ここにも時々何人か遊びに来るのよ?ゼルレッチじいやとか、片刃のエンハウンスとか…それに姉さんも」 「…姉さん?」 「ええ。姉さん。正確には直接の姉妹じゃないし、昔は殺しあいもした。いつかはどちらかが朱い月になって消滅しなくちゃならない…本来なら間違いなく敵対者なんだけど、ね」 「…わからん。そんな関係なのにどうして姉さんなんだ?」  確かに木連にもいい奴はいる。俺を鍛えてくれた月臣もそうだ。  …けど月臣は白鳥九十九を殺した。この世界でも!! 「…志貴のせいよね」 「……」  またか。いったいどんな奴だったんだ。シキってやつは。 「志貴が私を殺しちゃったから。  エンハウンスは元々、私を含む全ての吸血種を憎み戦う男だった。ところが志貴の事が気に入っちゃったらしくて、なんだかんだやってるうちに私の事も気に入っちゃったみたいなのね。今でも時々寄り付いちゃ、志貴の写真とお酒飲んでくわよ。  姉さんは…志貴が落しちゃったの」 「…はぁ!?」  おいおい、浮気って事だろそりゃ。 「姉さん、私と違って色事には海千のベテランなのよね。最初は私に対する嫌がらせで志貴を誘惑したみたいだけど…そんなの、ゼルレッチじいやも呆れた朴念仁の志貴に通用するわけないわよ。ミイラとりがミイラになっちゃったもの」 「…どういう奴だそれは」  俺は憮然とした顔をしていただろう。  が、アルクェイドはそんな俺を見てケラケラと笑いだした。 「…なんだ?」 「貴方がそれ言うわけ?朴念仁なら志貴といい勝負じゃない」 「…ちょっと待て。俺はそんな経験なんてないぞ」 「へえ。私、貴方の記憶をさらっと見ただけだけど…ずいぶん居たんじゃない?  ユリカさんでしょ?ルリちゃんでしょ?イネスさんにエリナ?そうそう、ラピス・ラズリって子も父親への慕情というには少し強すぎるわよね。」 「!?」 「他にも出していい?スバルっていう機動兵器乗りの子でしょ?それから通信士とか、厨房の…」 「…それじゃ俺に関わった子の大多数じゃないか。」 「ええそうよ。自覚なかった…わけじゃないわよね?」 「……」 「ま、自覚があるなら志貴よりマシよ。志貴はほんっとーに天然だったから。」 「……」  真顔でそう言われると、俺は何も言えなかった。        何度目かの紅茶を煎れた後だろうか。  ああそう、紅茶だ。アルクェイドは俺に味覚がないと知り、特殊な力を秘めた紅茶を煎れてくれたんだ。ケンカ友達に教わったというその紅茶は不思議な力を持ちなんと、こんな俺でも味わう事ができた。俺が驚きの顔をすると、『脳がイカれてるからって、味覚というイメージまで失われたわけじゃないでしょ?生まれついての盲人に風景を見せるよりはずっと簡単な事よ』なんて平然と言ったものだ。  何杯も振舞われた紅茶は、とても美味しかった。味わえる幸せを噛みしめた。  俺は、俺の知っていた科学の世界という奴がいかに一方的な側面しか見てないか、という事を痛感したんだが。  いや、それはいい。アルクェイドは何か言いたいようだ。 「で、どう?やっぱり殺しを続けるの?」 「……ああ」  躊躇う事なく、俺は答えた。 「…そ。これくらい色々話したり美味しいものを頂けば、人間世界に未練を感じて人間として踏みとどまってくれると思ったんだけど…」 「…すまない。ありがとう。見ず知らずの俺にここまでしてくれて」 「……」  だがアルクェイドは、ふるふると首を横にふった。 「お礼なんかいいよ。…きっと貴方は私を怨むから」 「…なぜ?力をくれと言ってるのは俺じゃないか」 「…」  でも、アルクェイドは悲しげに首をふった。 「ねえ、本当にいいの?  今のままなら、貴方はもう3日と持たずに死ぬわ。私でよければ最後まで看取ってあげてもいいのよ?私なら死の苦しみもなくして、安らかに逝かせる事だってできるし」 「たった3日しか持たないなら、なおさらだ。ひとりでもあいつらを多く消さなくちゃ」  ルリちゃんやユリカに危害を加える存在を消さなくては。 「……」  アルクェイドは、そんな俺をじっと見ていた。そして何かをつぶやいた。 (…なんて、かわいそうなひと…) 「?何か言ったか?」 「なんでもないわ。…そ。わかったわ。こっちに来て」 「?ああ」 「…せめて、できうる限りの手を尽くしてあげる。  ひとを人外に変えるためにシエルの知識を使うなんて…あの子が聞いたらきっと激怒するわね」 「???」 「なんでもないわ。さ、はじめるわよ」 「ああ」  アルクェイドは、肩をすくめてクスクス笑いを浮かべた。  …けどそれは、なぜか悲しげなものだった。 [#改ページ] 黒いナイトメア[#「 黒いナイトメア」は中見出し]  テンカワアキトが旅立ったテラスで、アルクェイドはぼんやりとしていた。 「……」  月が綺麗だった。  千年の時を経て、今ではひとも住むようになった月。けれど、今もその輝きは変わる事なく神秘を秘めていた。冷たい光にてらされ、ひとりぼっちの姫君はただ、無心にくつろいでいた。 「……さっちん?」 「はい。アルクェイドさん」  闇の向こうに、赤い瞳の少女が立っている。 「…相変わらずその格好ね。懐かしいけど…飽きない?」 「また新調したんですよこれ。見た目は同じですけど」  彼女…弓塚さつきは、高校時代の制服をまとっていた。  死徒となってわずか数日で個有結界まで展開するほどに急成長を遂げた『化け物じみた天才』。ひとは彼女を逆時計と呼ぶ。彼女の個有結界『枯渇庭園』で敵が滅ぶさまからついたとも言われるが原因はわからない。一説によると、彼女が逆回転のアナログ時計を愛用するためとも言われる。そもそも死徒で腕時計を愛用する事自体相当の変わり者だから余計、それは目立つ。  だが、アルクェイドは知っている。彼女の逆回転時計の意味を。  望んで死徒になったわけでないさつき。志貴が好きだったさつき。彼女は戻りたいのだ。そう。最初で最後に志貴とふたりで下校したという、あの夕陽の中に。  数百年の時を経て、未だにさつきの腕には逆回転時計がある。艶消し黒という色気のない色だがデザインは優美なものだ。昔の日本の女学生然とした姿と紅い瞳、そして黒い逆回転時計。この3つが彼女のシンボルでもある。 「それより…いつもならレンをよこしてから来る貴女が、今日はどうしたの?」  もともと死徒狩りをしていたアルクェイドは、死徒の気配にはどうしても警戒してしまう。さつきはそれを好まなかったから、常にレンを先によこして自分の来訪を告げていた。 「はい。レンちゃんですけど、私の元を離れました。今夜はその報告に」 「!へえ、めずらしいわね。怠惰なあの子が自分から?…寄ってくでしょ?さっちん」 「はい。私も久しぶりの日本ですし、千年城の事もご報告したいですし」 「いいわね。入りなさい。あぁ、わかってると思うけどここで吸血はやめてね」 「あはは、わかってますよ。こんなとこでアルクェイドさんが堕ちちゃったら私、真っ先に吸い潰されちゃうじゃないですか。」 「あら、そう?今のさっちんなら私の足止めして逃げるくらいできると思うけど?」 「…ん〜、できないとは言わないですけど…アルクェイドさんとは戦いたくないなあ。志貴君怒ると思うし」 「…あはは、かもね」  煌々と輝く満月の下。真祖の姫君と若き死徒は、楽しそうに笑いあった。        しゃく、しゃく、ぽりぽり。何かを喰む音。 「…レン。そんなの喰らって美味いか?」 「…♪」  さっき誤って殺しちまった警備員…ゴートばりの大男だ…を、小柄なドレス姿の少女が食べている。  いや、食べているといっても実際は単に食べているのではない。肉体に残る精気を吸い上げているのだ。汚れると目立つから黒いドレスを着せているが、そうでなきゃ全身血まみれだろう。  彼女にとりそれは、食後のデザートのようなものらしい。メインディッシュが何であるかは秘密だ。 「どうやら、最低限の者だけになったようだな。そろそろ行くぞレン」 「…」  コクコクと頷き、レンは立ち上がった。  別に、忍びこむのが難しいわけではない。忍びこむ必要すらないかもしれない。けれど殺すのは最低限の人間でいいのだ。特に今入ろうとしているクリムゾン首領、ロバート・クリムゾンの屋敷なんぞでは。  奴は金銭面のバックアップで関わっているというだけで、火星の後継者と強いつながりがあるわけではない。奴が消えれば後釜の最有力候補はあのアクア・クリムゾン。頭はおそろしいほど切れるが火星の後継者に興味がなく、援助する気もない事は確認ずみだ。彼女は適材適所という言葉をよく知っている。好戦的だが引く時は引く。非合法な部分もある事はあるが、非合法な力を父親のように最前面で使ったりはしない。この部分、裏で汚い事をしつつも人体実験なんかを嫌ったアカツキと同類かもしれない。キツネではあるが魔性の狐ではないのだ。  だから、消すのはロバートだけでいい。あまりに綺麗にやりすぎるとアクアが犯人と疑われる可能性があるがその点はぬかりない。このレンの食べ残しがあるからだ。単なるバラバラ死体なら普通の襲撃者でも残せるが、干からびた精気の吸い残しなんて残せる襲撃者はほとんどいない。というか居たとしても残さないだろう。俺はあえてそれをほったらかしにする事により、人外の化け物が火星の後継者の残党を潰している、という事を裏世界に噂として広めていた。 「さて、行くか」  堂々と表玄関に回る。警備員らしい男たちが近付いてくる…が、俺だけならともかく傍のレンを見て愛想を崩す。見た目には…というか性格もだけど、かわいらしい幼女じみた少女でしかないからだ。 「何かご用ですか?」  ほら、態度も柔らかい。俺ひとりならとっくに戦闘になっているところだ。 「夜分にすみませんが、ロバートさんにお逢いしたいんです。開けてもらえませんか?」  夜分どころか深夜だ。もちろん受理なんかされるわけがない。だが、 「…わかりました。しかし、お逢いできるかどうかは」 「かまわない。お休み中なら失礼するから」 「わかりました」  俺の目を見た警備員たちはすぐに受理してくれ、門を開けてくれた。…うん、さすがは満月だ。いい効果だね。 「いこ、レン」 「…」  こくり、とうなずくとレンは、警備員たちにバイバイをして俺のあとについてきた。    何人かのメイドや警備員に呼び止められた。しかしすぐに通してくれた。  彼らとカメラによる監視員との会話も聞こえた。だが問題ない。レンについている血は黒ドレスで目立たないし、直接逢った者も問題ないと言う。これではカメラで見ている監視員も警報は出せない。出したら下手すると首が飛ぶだろう。 「…君には感謝しないとな、レン」 「……」  なに?と、レンは俺を見上げる。 「無駄な犠牲もなくこうして中に入れるのは君のおかげだ。今さら偽善かもしれないけど、無駄な殺しはやっぱり気分がよくないからね」  どんな技を使おうと、人間と機械の両方を使って稼働する最新鋭の警備システムを破るのは容易ではない。どうしてもたくさんの儀牲者が出てしまう。  ある日、非合法の研究施設襲撃のおり、俺はこの子の飼い主に逢った。彼女「逆時計」は血の匂いに惹かれて見に来たそうだけど、行われている人体実験のあまりの凄まじさに、人食いの吸血鬼のはずの彼女すら唖然としてしまい、どうしたものかと悩んでいたんだそうだ。  彼女いわく、「それは違うよアキト君。私は食べるために殺すんだよ?実験とかなんとか、そんな理由のために『同じ人間』にあんな事するのと一緒にしないで欲しいな」…気持ちはわかるんだが、その論理は吸血鬼同士でしか通用しないと思うぞさつきさん。いやマジで。  なるほど、彼女は変わり者だった。あのアルクェイドの関係者だけの事はある。「なりたて」の新米の俺に興味を示し、色々話してくれたのだ。そして俺がアルクェイドの手で今の俺になった事を知って驚き、レンが俺に何故か懐いてくれた事をきっかけに、レンが望むなら当分貸してあげるよ、と言ってくれたのだ。  なんだか、「君って志貴君に似てるね。レンちゃんが懐くのもよくわかる」なんて意味不明の言葉までつけてくれたけど…なんなんだ? 「お、ここだな」  ロバートの部屋はここらしい。部屋番の男を軽く眠らせ、ドアに手をかける。と、 『誰だね』  !ほう、気づいたか。これはこれは。 「侵入者です。ロバート・クリムゾン氏にお話があって参りました」 『…屋敷中の警報を騙し、監視員も欺き、かね。呆れたものだ。できれば我が社に欲しいくらいだよ』 「光栄です。で、入ってかまわないですか?」 『…帰れと言っても今さら帰るまい。かまわんよ』 「では、失礼します。…レンはどうする?」 「…」  わたしも入る、とレンは頷いた。    闇の中にあって、ロバート・クリムゾンの部屋は意外にも質素だった。 「寝室は飾らぬ趣味なのだよ。こっちに来ないかね?お嬢さんも」 「……」  常夜燈のほのかな灯り。薄闇に浮かぶ小さなテーブル。ごくごく身近な来客と話したり、書き物をするためのものだろう。椅子は3つある。  ロバート・クリムゾンはそのテーブルの一角に座っていた。茶色のガウンをまとっている。典型的な白人のオヤジ、という感じだ。贅沢な姿をしてないのが成金っぽくない。飾らぬ趣味というのは夜着にまで徹底しているようだ。 「…呆れたもんだ。ずいぶんと用意周到ですね。」  三つめの椅子が子供サイズなのに、俺はため息をついた。 「まさか、とは思ってたがね。あらゆる警備システムを無効にする強力無比な暗殺者がいるという噂は聞いていた。少なくともそのひとりがドレス姿の女の子という噂も。…ま、銀の弾丸を持ち歩く猟師の気分と言ったところか」 「なるほど」  昔、西洋の猟師はいつ狼男と遭遇してもいいように、一発だけ銀の弾丸を常に携帯していたという。 「来たまえ。今さらジタバタはせん。儂はどのみちもう長くないしな。可能性があるとすれば、そうだな…儂ひとりが死ぬか、なんとか君達を道連れにする事に成功するか…その程度の可能性しかあるまい?」 「…狸ですね、ロバートさん」  俺は考えた末、ロバート氏の向かいに座った。 「…レンはどうする?」 「…」 「う〜ん、ここには甘いものはないよ。困ったな。」 「ははは、かまわんよ。残念ながら子供の好きそうなものはないんだが…そうだな、チーズケーキなら辛うじてなんとかなるかもしれん。うちのシェフが道楽で作っているものだが」 「すみません」  ロバート氏は苦笑すると、インターホンを呼び出してチーズケーキがないか尋ねていた。 「…なんとかなりそうだ。さすがに、できたての最高のものとはいかないが。すまないね」 「いえ、こちらこそ。俺自身がそこまでされたら正直怖いけど、レンは実行犯じゃないですからね。最悪、俺に万が一の事があってもいいけどこの子が傷ついたら悲しいです」 「…ほう。じゃあ、この子は君の関係者ではないのかね?それにしては随分と危険なところにも連れて来るんだね」 「…まぁ、色々ありましてね。日本には昔、3つのわが子を連れ歩いた暗殺者もいたそうですし。そのあたりはあまり聞かないで貰えますか?」  アメリカ人のロバート氏が、日本の古い古い時代劇なんか知っているとは思えないけどな。  実のところ、レンは物理的に戦わないというだけで立派な戦力なのだが…あまりそういう目で見てほしくない、という気持ちがなぜかあった。ほんとは何世紀も生きてて、夢魔というより悪魔に近いくらいになっているそうなんだけど…だけどな。  そのうち、チーズケーキが届いた。あからさまにレンの目が嬉しそうになる。いや、彼女好みがレアチーズケーキというのは『逆時計』に聞いてるから別に不思議じゃない。なんでも、精気喰いしか知らなかったレンにレアチーズケーキを食わせたのもアルクェイドの夫…そう、あの「シキ」らしいのだ。  しっかし…本当にとんでもない色男だったんだな。シキって奴は。 「はっははは。毒など入ってはおらんよ。好きなだけ食べなさい」 「…余裕ですねロバートさん。それは、俺たちを逃さないという自信ですか?」 「まぁ、そうだな。さすがに私は殺されるかもしれんが」  苦笑するロバート。おそらくこの会話も、レンがケーキを食べる時間さえも計算のうちなんだろう。周囲には人間と、そして機械との警備陣が続々と集められているに違いない。実際、気配が外で慌ただしく動きだしてるし。 「確かに。さすがに参りましたね。ただではすみそうにない」  死体の山を作るしかない、という意味だが。 「はっはは。豪胆だな君は。やはり欲しいな。どうかな?わがクリムゾンに来ないかね?これは一企業のトップとしての真剣な願いだが」 「…残念ですがそれはちょっと。お子さんの世代になったらちょっと考えますが」 「ほう。…つまらぬ事を聞くようで悪いが」 「?ああ、それはないです。お子さんたちの誰かの手引き、というわけではありません。貴方を狙ったのは俺自身。俺はそもそも職業暗殺者じゃないし。情報入手のためにその筋に渡りはつけてありますけど、依頼があったとしても受けませんよ」 「!それはそれは…そうか。それは残念だ。」  本当に残念そうだった。演技としても大したものだ。  そうこうしているうちに、レンが満足そうに顔をあげた。ケーキのかけらが頬にくっついている。 「レン。ちょっと待て」 「?」  俺は頬についているチーズのかけらをとり、食ってやった。 「……」  なんだかよくわからないが、レンはちょっと赤くなった。…???なんで? 「…くっ…はははははっ!」 「?」  いきなり、ロバート氏は楽しそうに笑いだした。 「…なんですか?」 「いや、すまん。ははは、いやぁこれは…なるほど。そういうわけで君の連れ、という事か。なるほどなあ。」 「…はぁ?あのですね…!」  ふと顔をあげると、ロバート氏は左手で拳銃をかまえていた。口径は小さなものだが、サイレンサーも何も付いてない。相手の動きを止め警備員を呼び込むには充分なものだ。威力より扱いやすさ、そして有事を警備員に知らせる事だけを狙った選択だろう。  …しかもそれは、レンを狙っている。  …って、左手だけで? 「…なるほど」 「子供を狙うのは心苦しいが…この銃なら死にはせん。最高の医療スタッフも待機させてある。安心したまえ」 「…意外に男気のあるひとだと思ったのが…失敗だったか。残念だ」  自分の声が、暗くなっていくのがわかる。全身に力が籠っていくのもわかる。 「レン」 「…」  大丈夫、と無言の返答。まあ、彼女が銃弾で死なないのは確認ずみだし、銃からも嫌な感じはしない。  という事は、いわゆる概念武装とやらが使われているわけでもない、か。 「大人しく投降したまえ。悪いようにはせん。私は腐ってもいち企業のトップだ。君ほどの人材を無碍に扱うつもりはない」 「…ほう?なかなか笑わせてくれるなロバート・クリムゾン。  会戦前から火星と裏でつながり、戦争を煽って利益を得た大馬鹿者の分際で」  パン、という音がした。身体に衝撃が走る。 「…ほう。さすがにこの小さな弾丸では無理か。流石だな。」 「…俺を殺したいなら一撃で倒せ。でなきゃ死ぬのはおまえだ」  苦しそうな振りをしながら、俺はせいぜい忠告してやる。  だが、聞こえてないらしい。一発ぶちこんだ事で絶対的優位を確信しているようだ。 「……」  俺の横で、レンは沈黙している。  だが、既にこの状態でレンは動いている。本来なら今の銃声で部屋に飛びこんでくるはずの者たちが来ず、静かなのがその証拠だ。近付けないよう結界を張ったか、この部屋の銃声を外部から聞けないようにしてあるかののどちらかだ。  優位におぼれているのか、ロバートはそれに気づかない。 「大馬鹿者は君だろう。  そこまでの情報があるならなぜ、それを使って仲間を集めない?あるいは我が社と敵対する他企業に売り込むなり、軍を巻き込むなりの手段をとらない?私ひとりを倒したとて何も変わらない。企業とはそんな簡単なものではないんだ」 「そうだな。確かにその通りだ」 「…?」  あっさり俺がそれを認めたのを、ロバートは不審に思ったのだろう。眉をしかめる。 「…まさか、それが狙いではないのか?クリムゾンそのもの、あるいは私が狙いなのだろう?」 「それこそまさかだ、ロバート・クリムゾン。俺は、たかがいち企業にすぎないクリムゾンの利益になんぞ興味はない。貴様を狙ったのも、単に邪魔だったからにすぎない。」 「…ならば、私が投資している何かかね?  確かに、私が死ねば資金の流れは止まるだろう。しかしそれでは、その者たちの息を止めるのは無理だぞ?私がやらずとも子供たちの誰かがやる。誰かがやらなきゃ競合他社のどこかがやる。企業による出資とはそういうものだ。需要があり利益が得られる算段があれば、それは行われる。」  …?  なんだろう。ロバートはいやに必死だ。優位を確信しているはずなのに? 「…確かにそうだな。そしてあんたの想像は正解だ。さすがだな」 「…そうか。やはりな」  ふう、とロバートは肩の力をぬいた。 「卒直にいって、君の能力と才能は惜しい。私としてはぜひ腹心に欲しいところだ。  私を憎んでいる、というのなら仕方がない。しかし君は今、そうでないと言ったな?」 「ああ」 「では、君が私を殺そうと至った根元を正そう。私にはもうなんとなく想像がついているが…それでどうかね?」  ほう。今度はそう来たか。 「それは悪くない話だが…」  ほう、とロバートの肩が動いた。 「もう遅い」 「!」  その瞬間、俺とロバートは動いた。  老体のくせに、ロバートは意外にいい動きをした。飛びかかる俺にとっさに距離をとり、正確に弾丸を撃ち込んでくる。 「くはっ!」  衝撃にたまらず、声が出た。胸にぶちこまれて肺が押されたようだ。  口径のちいさい銃とはいえ、いい動きだ。護身の基本くらいはちゃんと学んでる、という事か。ただの強欲じじいではなかった、という事だな。 「!?なぜだ、何故止まらない!?いや」  今になって、警備員が踏みこんでこない事に気づいたらしい。きょろきょろと周囲を見、そしてレンにハッと目をやる。 「……まさか!」 「あいにくだな。レンは俺やおまえさんより何百年も長く生きてる、掛け値なしの『本物』だ。俺にとっちゃ、相棒というより懐いてくれる可愛い仔猫、という方が強いが…ってこらっ!」  レンを撃とうとするロバートに突進し、その手首に手刀をぶちこんだ。 「ガァッ!!」 「馬鹿野郎!!」  力を入れすぎてしまった。銃はロバートの手首ごとちぎれてふっとび、柔らかい床に小さな弾丸を一発ぶちこんで止まった。 「…ち、ショックか」  手首から血を噴き出しつつ、床に倒れたロバートが痙攣している。今の衝撃で神経系がイッちまったようだ。 「…できれば少しでも苦しませたかったんだけどな…仕方ない」  ふう、とためいきをつく。 「レン、大丈夫か?」 「…」  いつのまにか隣に来ていたレンが、コクコクと頷く。 「よし、悪いけどもう少しがんばってくれ。結界を解くと戦闘になるからな。その前に、ぎりぎり行けるとこまで脱出する」  ロバートさえ殺せばここに用はない。レンをこれ以上あぶない目にあわせるのもごめんだ。 「……」 「ん?そうか?…よし、じゃあがんばろうな」  レンは、美味しいケーキ作ってくれたひとを殺したくない、と言った。  俺はその瞬間、どんな顔をしたろう。  ずっと昔…もう忘れちまったほど昔、俺はコック志望だった。俺は、今のレンみたいな笑顔を見たくて、そのためにコックになろうとしていたんだ。 「…?」 「いや、なんでもない。行こう。」  俺はそう言うと、レンの肩をポン、と叩いた。       「はぁ〜ん。狙い通りっていうか…面白いくらいにうまく行ったわね、それ♪」 「なるほど。…アルクェイドさんがそこまで策士だなんて知りませんでした」  場所は戻り、日本。七夜の森。現在、一部でブリュンスタッド別館とも呼ばれる、かつての志貴とアルクェイドの家である。  リビングというには狭い、ただの応接間。さつきとアルクェイドがお茶を飲み話している。 「彼の過去を見て思ったのよ。志貴ならどうするだろうってね。で、貴女とレンの話をしといたの。彼はアイちゃんとかホシノルリとかラピス・ラズリとか、とにかく小さい女の子にめちゃめちゃに甘いのよね。しかも元コック志望でしょ?レンは夢魔のくせによく、志貴にお料理作って貰って一緒に食べてたし」 「でも彼、奥さんいるんですよね。義理ったって娘さんも。どうしてそんな事?」 「…無理よ」 「え?」  アルクェイドは眉を寄せた。 「彼にとって、この世界の彼女たちは同一人物にして別人なの。真面目すぎる彼は同じに考える事ができない」 「で、でも」 「しかもよ。濡れ衣とはいえテロリストの汚名を着せられてる。これでもう決定的ね」 「そんな…ひどい」  さつきの顔が、悲哀にゆがむ。 「あなたも変わらないわね、さっちん。死徒とはとても思えないわ」  その指摘にさつきは、目をごしごしとこする。 「…そりゃ、アルクェイドさんに分けてもらった血のおかげです」 「私は助けるつもりなんかなかったのよ別に。…ただ、志貴の悲しそうな顔見てるとつい、ね。…将来の事考えると、とんでもない事しちゃったって思うんだけど」  ふう、とためいきをつくアルクェイド。  本来なら百年かかる「死徒になる」という工程をたったの半日で済ませ死徒として覚醒したさつき。魔術師でもなんでもない普通の少女がそんな課程をふむなんて普通ありえない。その才能が只者であるはずがなかった。  事実現在、さつきはネロの後釜として死徒二十七祖に分類されている。  しかし、さつきはアルクェイドとは敵対しようとしない。志貴の奥さんだったという一点においてもそうだし、そもそもさつきは他の死徒と違い、アルクェイドを警戒する事がない。それは血を貰って力と性質を安定化してもらった、という過去の恩だけの理由ではないだろう。 「わ、私の事はともかく、これからどうするんでしょうかアキトさん」 「彼は、『守るべき対象』がいれば壊れる事はないでしょう。そのためにレンはうってつけだわ。幸いレンも懐いてるみたいだし。あの子のためにもこれはいい事ね」 「志貴君がいなくなってから、やっぱりなんだかんだで元気なかったもんね…あの子」  ふう、とさつきはためいきをつく。 「彼は優しい男だわ。唯一の問題点は志貴と同じで優しすぎて、自己犠牲がすぎる事。幸い志貴と違って敵すら殺せないほどには優しすぎないし、これでうまくやっていけるでしょ」 「……もう一杯飲みますか?」 「あ、いいねさっちん。ついでにお酒も出そうか」 「いいけど…酔えるんですかアルクェイドさん。私は多少酔えるみたいですけど」 「だーいじょおぶ!志貴と飲むのにアルコール分解のタイミングは覚えたもの。へべれけになるほど酔うのは難しいけど、酔いを愉しむくらいはできるよ?」 「はぁ、便利ですねそれ。志貴君あまり強くなかったから…羨ましがられませんでした?」 「そりゃあもう。よく恨めしそうに……ってさっちん。どうして志貴が弱いって知ってるの?」 「!!」  しまった、と口をつぐむさつき。しかしもう遅い。 「ほう。志貴ってば、さっちんともよろしくやってたの。…知らなかったわそれは」 「い、いやアルクェイドさん。それはその」 「よし、飲もう!ついでにそこらへん、きりきり語ってもらうかんねさっちん!あはははっ!!」 「わあああっ!!アルクェイドさん!秋葉さん入ってますそれ!きゃあっ!!」 「あははははっ!!」  さつきの頭をつかみ、グリグリと拳骨を押しつけるアルクェイド。情けない声をあげるさつき。  夜は更けていた。月はいつしか中天から西に傾き、光が少し弱まった分だけ東の方から、星々の輝きが少しずつ増している。 『あははははっ!』  森の中の一軒家から洩れるあかり。楽しそうな女(?)ふたりの声。 (…やれやれ)  森のどこかから、もういない館の主の、ため息が聞こえたような気がした。        おわり