すれ違い はちくん SchoolDays、刹那他 『SchoolDays』のネタばれ。バッドエンド『鮮血の結末』の後日談であり、暗い話でもあります。 [#改ページ] はじまり[#「 はじまり」は中見出し]  さほど都会でもない海辺のこの町が、突然マスコミの大攻勢に晒されたのは一年ほど前のことであった。  朝の通学のひとときに起きた突然の惨事。それはひとりの女生徒がもうひとりの女生徒の頚動脈を、出会い頭に鋭利なノコギリで挽き殺すという、常人であればまず耳を疑うほど残虐かつ異常なものであった。だが騒ぎの本当の理由はそこではない。何よりその背景に様々な『大人顔負けの凄惨窮まる学園社会』があったこと。それが浮かびあがったこともまた、その理由のひとつだといえるだろう。  そして最後のとどめに、学園側や一部の父兄がそれをひた隠しにしようとした事、それこそが漏洩後の大騒ぎの最大要因となった事は疑う余地もあるまい。  幸せそうな恋人同士。だがその裏側には友人たちの煽動による、学校内部のかなりの数の生徒が動員された組織的で陰湿ないじめ。犯人の女生徒は失恋の悲しみに浸る暇もなく周囲の全ての友達やクラスメートに数ヵ月に渡って、それこそ犯行前日まで悲惨な虐待を受けつづけていた。ちなみに当日ももし彼女が何もせず登校していれば、下駄箱にはごみや汚物が「いつものように」いっぱいに詰め込まれていただろうと言われている。  さらにいえば、彼にふられた原因にも問題があった。被害者は彼女の唯一の親友であり、彼と引き合わせてくれた大切な『恩人』でもあった。何重にも受けた強すぎる衝撃は、孤独で大人しい少女の精神にはあまりにも苛酷すぎたのだろう、と専門家の分析がなされている。  当人は心身喪失状態。むろん責任能力なし。むしろいじめの首謀者やその中枢にいた者の方に殺人教唆、あるいは幇助罪が適用されないかという意見もでた。また、たとえ罪を得たとしても被害者の少女がそのいじめの筆頭首謀者であった可能性も指摘されており、情状酌量の余地はかなりあるだろうとされている。世論的にも、暴露されたいじめのあまりの凄惨さにより犯人の少女に同情的な声は決して少なくない。凶悪な事件というより凄惨な悲劇というのがまさにふさわしい。『彼に近寄るな、なんて理由で学園中の女生徒を使って陰湿ないじめをし続けた』殺された女生徒とその友人に対する風あたりは、被害者に対するものとは思えないほど悪化した。  しばし後、被害者の母親が自殺した。うちの娘がそこまで悪いのですか、あの子は殺されたんですよと無実を訴える手記を残して。郵便受けにもネットのメールボックスにも、鬼畜女の家族とか、皆殺しになりゃよかったのにといった心無いギャラリーの投書が山になっていた。仕事はとうの昔に首になっており、マンションの家賃は滞納となり立ち退きが宣告されていた。  さすがに慎重な意見も出たが、すでに世論はそれどころではなくなっていて、そのニュースはほとんど無価値のジャンク同然に流された。なぜならそのころにはもう世論は殺人事件としてのひどさより、それを生み出した背景である学校やいじめの当事者の方に関心が移ってしまっていたからだ。そして実際それはインパクトがあった。学園祭の隠し『休憩所』の『伝統』までそこにはセンセーショナルに語られてしまっていた。  事態は、学園そのものの進退にまで及ぼうとしていた。 [#改ページ] 前編[#「 前編」は中見出し]  ある晴れた日。あの日から数ヵ月が経過していた。  伊藤誠は砂浜にいた。膝を抱いて座っていた。  中学時代に友人たちと遊んだ場所だった。その思い出のある場所も、今はただ静かで、五月蝿いマスコミの攻勢も最近は下火になった事もあり、ここまでは追ってこなかった。 「……」  誠は虚脱状態だった。何をするでなく、ただ無心に空をながめていた。ここ数ヵ月は学校がほとんど機能停止していたし渦中のひとでもあり、ひきこもりを続けていたという事もあるが、それがとけた今となっても、誠は動く気力もなにもなかった。  母子家庭であったが彼の家庭は破滅を免れていた。母が意外にも強い女性だったこと、母の職場の面々が誠を知っており好意的だったこともあるのだろう。マスコミも冷静になってきた今、あとは沈んでいる誠さえなんとか回復すれば、かつての空気が戻る日も近かった。  戻ればの話だが。 「……」  誠はただ、空を見ていた。今もただ自分を責めながら。  知らなかった、なんて今さら言い訳して何になるだろう?  テレビで見て、警察で聞いた言葉に対する凄惨ないじめの数々。その元凶が世界とその親友たちであったという事実。 「……」  膝を抱く誠の手に力が籠った。  言葉は嫌いじゃなかった。結果として世界を選んだけど、憧れだったし、つきまとわれて疎ましいとも思ったが、決して嫌っていたわけじゃない。そして、程度はともかく以前からいじめられている事だって知っていたはずだ。  なんて間抜けだったのか。  どうして、気づいてやれなかったのか。  もう過ぎたことだ。取り返せない。世界はもちろん、あの、苛立つほどに純粋で可愛かった言葉も、もう戻らない。 「……」  誠の脳裏に、血飛沫を浴びてノコギリ片手にげらげら笑う言葉の姿が甦る。その狂笑が耳にこびりついている。  塀の中か病院の中か。どちらにせよ、もう昔のように会う事なんてあるまい。裁判は続いているだろうがマスコミの目も既に言葉たちから離れている。問題の中心は学校に移っており、遠からず良くて大幅なトップの交替劇、悪ければ学校ごと廃校もありうる。そういう状況だった。  世界がああなったのも、言葉をああしてしまったのも自分。  せめて責められていれば、いくらかでも気が楽だったろう。世界の母親になじられたり言葉の家族に石を投げられたりすれば、いくらかでも慰めになったのかもしれない。  だけど、誠はどういうわけかほとんど責められる事がなかったのだ。       「伊藤」 「……加藤か」  ふと誠が顔をあげると、目の前に加藤乙女が立っていた。 「どうした加藤?こんなとこきて」 「……ここ、昔のあたしらの遊び場だし」 「……それもそっか」  悲しいともなんともつかない顔をして、加藤は誠の隣に座った。  そしてそのまま、ふたりとも黙った。 「……ねえ伊藤」 「なんだ?」  誠の声には少し刺があった。女の子にあまりきつく言わない彼には珍しいことだ。 「この間、聞き損ねた話だけど……桂とつきあってたって、ほんと?」 「ほんともなにもそうだって。結果として世界を選んじまったんだけどな。そう前にも言っただろうが」 「そうなの?でもテレビじゃ違うって」 「うまくいかなかったのは事実だし最終的に世界を選んだのも事実だよ。それに」 「それに?」  問いかける加藤に、誠は悲しげにうつむいた。 「おまえらの言葉に対するいじめにも気づかず、言葉を傷つくままに放置しちまったのもおれだ」 「……」  あ、と小さくつぶやき、悲しそうに加藤もうつむいた。 「……ごめん」 「今さら遅いだろ……それに謝る相手はおれじゃない。言葉だ」 「……」  誠の発言で、確かにそれは報道されていた。  だが、世界が徹底してそのことを隠していたせいで、誠以外でそれを証明できるのはおかしくなった言葉しかいなかった。また、それを認めてしまうことで『世界に協力して言葉を潰した』ことがさらに悪く伝わってしまうことを恐れた女子たちは、気づいていたとしても、誰もそれを認める趣旨の発言をしなかった。  結局マスコミも、警察すらも、誠が言葉をかばっているのだと受け取った。 「……」  加藤は何も言わなかった。そして悲しげに目を臥せた。  実のところ、加藤たち女バスケ部の間では、発狂したあげく惨殺劇を起こした言葉に対する筋違いな怨嗟の声が支配的だった。薄幸の美少女というマスコミのとりあげかた。まるで自分たちが鬼畜集団であり刑事罰の対象であるかのような取り扱い。実際女バスケ部には退部どころか退学者をも出しているし女バスケ部自体が無期限の活動停止、スポーツ推薦の内定を受けていた先輩たちも全員がもちろん取消しとなった。加藤自身も自宅謹慎を食らい、|惨憺《さんたん》たるありさまではあった。もうひとりの首謀者にして主犯格である甘露寺など、とっくに放校になってしまっていて今は何をしているのかもわからない。  いじめが原因でここまでの厳しい措置というのは通常あまりない。ようはそれほど事態が凄まじいもの、少なくともマスコミ報道ではそうだったということだ。事無かれ主義の学校はそうせざるをえなかった。実際、本人が誰かを隠そうにも今度はテレビを見た一般生徒の親たちから物凄い突き上げがきたのだから。  そんな恐ろしい女生徒のいる学校になど子供をやれないと。  実際のところ甘露寺の行動は黒くはあったがそれは立場上のこともあり、決して手放しで本人だけ非難される謂れはないと思われるのだが、もちろんそんな理屈は我が子かわいさの親たちにはまったく通用しなかった。  加藤は他の子と違い罪悪感を強く感じていたが、今の状況を理不尽に思っていること自体は変わらないし、言葉のことを疫病神のように思っていることも変わらない。  加藤が再三に渡り言葉との関係を誠に聞いたのも当然といえば当然だった。誠がつきあっていたのは世界であり、それにつきまとう言葉を排除してやる。他でもない誠に関わることだけに加藤はかなり本腰をいれて奔走していたのだ。そうしていればもしかしたら、世界との関係がダメになったら自分とも接点あるかも、なんて女の子らしい淡い願いもそこには隠されていた。  その言葉に誠が好意を持っていたとなれば……自分はまさに踏んだり蹴ったりではないか。事実彼女は停学か退学かという状況のまま学校のいざこざのおかげで不問になっているにすぎない。学校がもしなくなったら、受け入れ先の別の学校でまともに過ごせるとも思えない。加藤が筆頭のひとりであったことは、マスコミはともかく関わっていた者たちは全員知っていることだからだ。  誠の言葉は加藤にとり、最後の拠り所に近かった。  ここで誠とよりを戻せても今度は「ちゃっかり漁夫の利を持っていった」と噂されるのはわかっている。そんなことは言われるまでもなく理解している。  だが、完全に行き詰まった加藤にはそれしかなかった。 「ねえ、伊藤──」 「帰る」  あ、と加藤は言いかけたが、立ち上がった誠の顔を見て言葉をつまらせた。  そこには、絶望と悲嘆に彩られた苦悶の表情があった。        本来、痴情沙汰のいざこざで男がよく言われるというのはあまりないことだ。それに公平な目でならどう見ても、優柔不断な誠がふたりの女の子の間でフラフラしたのが悲劇の元だと考えるのが自然なところのはずだった。  だが、ショックから回復するや否やの誠の発言が、たちまちに世論を変えてしまった。  言葉を罰するならおれも同罪ですと誠は言った。  世界が手伝ってくれたおかげで自分と言葉はつきあうことができた。だけど結局うまくいかなくて、世界を選んで言葉にわかれを告げたのも自分だし、ふたりの想いにあぐらをかき、失恋させてしまった言葉がどういう経緯を辿っているかについて思いやる事すらしなかった。この状況でおれは悪くないなんておれには言えないですと、そう言ったのだ。  だが、あまりにも言葉が孤立無援で友達もなかったのがここで災いした。言葉と誠がつきあっていた事実は誰も知らなかった。証明する者もいず誠や言葉は当事者、残る世界は言葉に殺され今はいない。周囲の者は誰ひとりとして、世界と誠がつきあってる事を疑わなかった。  結果として、誠の言葉は「言葉を庇っている」としか受け取られなかった。今だその精神は疲労の極致にあり、恋人のあまりの悲惨な死の衝撃から立ち直っていないのだろうと。  本人は知らないが、実のところ誠はPTSDと診断されていた。  ふたりの女の子に挟まれ翻弄されたあげく、恋人を目の前で惨殺された悲惨な少年。事実はちょっと、いやかなり違っていたが、愛されすぎた少年という目線は好奇まじりではあったが責めるものは少ない。言葉に憧れていたことを誠が警察に漏らしていたことも災いした。マスコミの報道は誠を純朴で気弱な少年というイメージで飾っており、惨劇を繰り広げた言葉も、裏でいじめに加担していた世界をもかばう誠の発言は、苦笑まじりではあったが決して悪くはとってくれなかったのだ。自分の不始末を誠自身が訴えているというのに、疲れているんだろう、もう休みなさいと皆が誠に優しく接してきたのだ。  言葉の家族にはむしろ謝られてしまったし、心ちゃん……言葉の妹に至っては、ありがとう、お姉ちゃんのことかばってくれてと泣きながらお礼まで言われてしまった。    どうして、自分を責めてくれないのか。  どうして、言葉は自分でなく世界を殺してしまったのか。  誠の心は、ゆっくりと軋みをあげていた。        一年後、誠の姿は街から消えた。 [#改ページ] 後編[#「 後編」は中見出し]  異国のオフィスの中で、大勢のひとが働いていた。  忙しくはあったが、心地よい空間でもあった。いい意味で風通しのよいあっけらかんとした職場は日本のじめじめした感じがない。反面、日本の企業のような仕事熱心さとは無縁であったが、それぞれがそれぞれの人生を楽しんでいる、そんな空気があった。 「おつかれ。おまえももうあがれよ」 「いや、いい。つれが来るの待ってるから」 「そうか。……悪いないつも」 「いいさ。共働きなんだから仕方ないって」 「働き者だなぁ日本人って奴は。わかった、じゃあお先にマコト」 「ああ!」  茶色の髪の男が笑って手をあげ、誠もまた笑い返した。 「さて」  ふう、とためいきをついた誠は再びパソコンに向かい、もうひと仕事しようとしたのだが、 「!あれ、もう来たのか。仕事はいいの?」 「いい。今日は疲れた」 「そっか。じゃあ帰るか刹那」 「うん」  いつ現れたのか、誠の背後には小柄で美しい女性が立っていた。        経済性で選んだ日本製のハイブリッドカーが、パリの郊外を駆け抜けていく。  再開発の続く市街には車は入りづらい。かといって二人の家から市街のオフィスに直接向かうには少々無理があったから、近郊に駐車場をひとつ借りていた。そのために車のグレードをひとつ落とす羽目にもなったのだが、まだ新人同士とはいえ妻と共働きだし義母もいまや重役だ。ふたりとも車なんて機能的であれば多くを欲しないタイプであり、小さくともよく走る便利なその車は、週末には家族揃ってのドライブの足にもなっていた。 「そういや刹那さ」 「なに?」 「警備員を雇いたいって、いきなりどうしたの」 「最近物騒だし。子供たちとハウスキーパーだけじゃ心配だから」  アラブ系フランス人が増加しており、それが社会不安の源になっていた。  別に彼らが悪いわけではない。異なる文化が衝突するとはそういうことだった。貧しい難民に無理矢理豚肉を食べさせ改宗を迫るような偏狭なキリスト教徒の存在も問題になって久しい。  だが、ことの善悪と家族を護りたいという気持ちは別問題だ。 「あてはあるのかい?」 「たぶん。うちの会社の保安部の推薦」 「そっか」  誠はそれ以上、多くは聞かなかった。ハンドルに集中した。  片言だけわかりはじめたフランス語のラジオ放送が、遠い日本の政情不安のニュースを伝えていた。 「ねえ誠」 「なんだ?」 「もう命日過ぎちゃったけど、やっと仕事がひと区切りついたから……今年はどうする?」  ぼそ、とつぶやいた|妻《せつな》の言葉に、誠はピクッと反応した。 「お金の心配ならないよ?ふたりぶん用意してある」 「…………いくよ」  ずいぶん考え込んでいたが、やがて誠はそう言った。 「そう」  刹那はそれだけ言うと、なぜかホッとしたように微笑んだ。      シャルル=ド=ゴール空港は立派な空港だが、規模自体は成田より小さいように誠の目には見えた。  ここに来たのは何年ぶりかだった。突然やってきた刹那にいいように言いくるめられた誠はいつのまにか味方についた母の勧めもあり、渡欧することになった。遠い異国で違う風に吹かれたら気分も変わるし、何より家族のためにもいいだろうと。父母はともかく小さな妹は遠い場所にいるにも関わらず事件の影響を受けていて、そのことに心傷めていたこともあったろう。今から思えば刹那に誘拐されたに等しい事だったが、ただひとり誠をなじり、怒ってくれた相手でもある。誠はただずるずるとひきずられるままに、気がつけば刹那は誠の隣で大きなお腹を抱えていたのである。  日本に帰るつもりはなかった。知らないうちに大使館などにもいろいろと手が回されており、誠は異国で二児の父となり、平和な暮らしを送っていた。  そしてずっと、刹那も日本の事も、世界のことにも触れようとはしなかった。 「さて」  いつもに増して異様に手回しのいい刹那のおかげで、ぎりぎりに空港に着いたにも関わらず誠のする事はほとんどなかった。子供たちの見送りも断ったため、ふたりは既に搭乗を待つばかりとなっていた。 「?」  ふと、遠くの方でざわめきが聞こえた。なんだろうと誠はそっちの方を見ようとしたが、 「誠」 「なに?……!」  振り向かされたかと思うといきなり刹那に口づけをされた。  ちゅ、ちゅ、と軽くついばむようなキスだった。だが場所が場所であり、そういうのに慣れていない誠は少女のように口を押さえて真っ赤になった。  そんな初々しい反応の誠を見て、面白いものみつけたと言わんばかりに刹那はにんまりと笑った。 「お、おい。こんな場所で」 「もう搭乗。よそ見しないの」 「いやまぁ……わかった」  こく、と安心したかのように刹那は頷いた。  そんな刹那の様子に誠も微笑んだ。ぽりぽりと頬をかくと、 「悪かったよ。わかってる、これから世界のとこ顔出すんだもんな」 「うん」  刹那は幸せそうに、何か安心したかのように微笑んだ。  搭乗がはじまった。真新しい大きな旅行鞄を抱えた誠、旅なれた感じのバッグを身軽に抱えた刹那のふたり。いつになく饒舌な刹那に時々あははと誠も笑いながら、仲良くのんびりと搭乗口に向かって歩いていった。        数日後、誠は郷里で刹那の、三人目の妊娠を知った。   (fin) [#改ページ] 余談[#「 余談」は中見出し]  ふたりの帰国より二週間ほど前のことだった。 「……そう。わかった、ありがとう」  オフィスの中、渋い顔をして刹那は電話を切った。  刹那は寡黙な方だが職務とあればまた違う。旦那と子持ちではあるが就業時間内の仕事はバリバリこなすタイプなので、こうしてオフィスで私用の携帯で話しているというのは子供に関する緊急事態など、大変珍しいことのはずだった。  まだ若いし夫ともどもまだ新人である。しかし子持ちだし仕事はまじめかつ勤勉。  なお、未だにお子様のようにちっちゃいのはまさに余談である。 「今ごろになってそうきますか。信じられませんね」  ふう、とためいきをついた。  本来、保護観察中の人間がどんな事情だろうと、のこのこ海外旅行なんてありえない。そもそも本来は受刑中なのが病気のために病院に収容されていたわけだし、受刑者に対して圧倒的に少ないはずの保護観察官が専任で担当しているなんて通常では考えられないことでもあったからだ。色々な法的な絡みや家の経済力、再犯の可能性のないこと、その他いろいろな理由により優遇措置や特例措置の積み重ねの結果、監視つき療養という形で自宅にひっそり暮らしていたのだろうけど。 「悪いですが、会わせるつもりはありませんよ。もう『再開』はまっぴらです」  しばし考え込む。そしてまた電話をとる。 「アロウ。……もしもし刹那です。はいどうも。ちょっとお願いがふたつほど。  私と誠の休暇のお願いです。はい。世界のお墓参りに日本へ。あとそれから」  どこに電話しているのか、刹那はいくつかのお願いと指示を飛ばして、そして再び電話を切った。 「さて、相手の動きを見ますか」  ふう、と椅子に身を沈めた。        時間は数年をさかのぼる。  日本の病院近くの喫茶店で、刹那は誠の母に会っていた。 「えっと、清浦さん?」 「刹那でいいです」  ちょっと疲れた顔で微笑む女性に、刹那も微笑み返した。  フランスに転校していた刹那は事件を知るや、まさにびっくり仰天で帰国した。無二の親友である世界の死はさすがに衝撃的に過ぎたが聞く限りのその事件のあらましがあまりにも異様すぎたためだ。四組の桂言葉は確かに刹那も見たことがあったし誠に言い寄っていたという話も聞いていたが、まさか世界をノコギリで惨殺するなんて恐ろしい行動に走るとは、いくらなんでも予想の斜め上もいいところだった。  だが、事件はいまいち要領を得なかった。  何より事件のあらましについての情報があまりに不足していた。凄惨ないじめなどについてはすぐにわかったが、ちょっと言い寄ってふられただけの女の子にあの世界や七海がそこまでするというのもいまいち納得できないものがあったし、どうにもそこに『隠された事実』があるような気がしてならなかった。誠に聞こうにも誠は警察の事情聴取すら怪しいという心神喪失状態。そりゃまぁそうだろう。目の前で恋人を、しかもすさまじく常識外の手段で殺されたのだ。まだ落ち着くまでは少し時間がかかるのだろう。七海も間接的関係者ということで今はろくろく会えないし、世界のおさななじみである刹那があまりうろうろすると別の意味でマスコミの好餌でしかない。 「もうフランスに戻るの?」 「今回は戻ります。次は……そうですね遠からず。もっとも、今度くるとしたらそれは私自身のわがままなので最悪、貯金やら何やら全部おろす事になりそうですが」  そう、と誠の母は苦笑した。 「まぁ、どうしても飛行機代がないなら事情も事情だし、私もある程度協力させてもらうわね」 「……いいんですか?」  刹那のちょっと驚いた顔に、誠の母は悲しそうに笑った。 「思えば、言葉さんを彼女と勘違いしてお部屋にあげてしまったのは私だわ。刹那さんにしてみれば私だって西園寺さんの死の片棒を担いでいたようなものじゃない」 「それは違います。ていうかそれは申し訳ありませんがむしろ伊藤……くんの不手際でしょう。彼女じゃないんならその旨をちゃんというべきでした」  きっぱりと否定する刹那に、母は首を横にふった。 「言ったのよあの子は。つきまとわれてるんだってはっきり言ってた。あの優柔不断な子がね。それなのに私は、ただの喧嘩か何かと勘違いしてしまったのよ」  小さくためいきをつき、母は苦笑した。 「誠が好きなのね、刹那さん」 「……」  少しだけ刹那は赤面し、しかし悲しそうに目を臥せた。 「貴女さえよければ、これからもちょくちょく連絡くださると私もうれしいわ。こっちも誠に機会を伺っていろいろ聞いてみる。きっと、当事者しか知らない何かがあると思うのよ」 「はい、私もそう思います」  刹那と誠の母は、そう言って頷きあった。        二度めの刹那の来訪は数ヵ月後。  誠は留守だった。もちろん遠くへは行っていない。最近よく浜辺にいるみたいよ、とは母君の話だった。  学校はまだ混乱の極にあったし、復学するなら別の学校という線を母君は考えていた。状況を知れば知るほど『知られざる学校の姿』は異様そのものであり、また世界との思い出も多々あるはずだ。とてもではないが今の誠を復学はさせられない、そう思っているようだった。 「それで、例の話はどうでしょうか」 「パリに留学という話ね。確かにお話としては理想的だけど」  さすがの母もいい淀んでいた。 「いくらなんでも、それでは刹那さんのおうちにとんでもないご迷惑がかかってしまうわ。お母様からも申し出のご連絡を受けてはいるのだけど」  それはそうだ。フランス留学なんて、お金もそうだがかかる迷惑の大きさは想像もつかない。離婚後で夫から養育費も送られているとはいえ母子家庭の伊藤家では、せいぜいお友達と楽しくやりなさい、と一世代前の安くなった奴とはいえかなり新しめの携帯を常に持たせてやるのがせいいっぱいの贅沢だった。  だが、刹那は笑った。 「うちの母にしてみても、世界のお母さんである西園寺さんは友と書いてライバル、親友でもありました。いろんな意味で。  母にしてみれば、世界に伊藤くんを譲ったわたしをなじるべきなのか、桂さんに殺されずにすんだことを安堵するべきなのか、私に話を聞いて大変困惑していたようです」 「そ、そうなの」  さすがの母君も、淡々と語る刹那に冷汗たらたらだった。  ようするに、ひとつ間違えると三角どころか四角関係になりかねなかったのだ。目の前の刹那が同時に関わらなかったのは不幸中の幸いなのかもしれない。三角関係ですらあれほどの惨事になったというのに。  もっとも、そのふたりすら知らないもっとややこしい『真実』もあるのだが……。  まぁいい、刹那の話は続く。 「母からもお話が行ったと思いますが、経済的問題は最小限ですむように手配します。  もちろん伊藤くんの意志の確認が必要ですが、それは私に考えがあります。ちょっと乱暴な手を使うかもしれませんが、ちゃんとその気にさせてみます。  ありていに申し上げますと、私は速やかに伊藤くんをフランスに連れ出したいんです。詳しくは申し上げられませんが、伊藤くんを慕っている女の子は他にもいるのがわかっています。ですがそれは桂さんのいじめ事件に関わっている女の子でして、そっちから事件が再燃したりしたらと思うと正直不安で仕方ありません。  無茶苦茶なお願いですみません」  ぺこっと刹那は頭をさげた。 「信じてくださいとはいえません。あんな事件の後に息子さんをとりあげようっていうんです。しかも行き先はヨーロッパ。普通なら私も非常識をなじられて当然です。  ですが、そこを曲げてお願いします」  刹那はさらに頭をさげた。  母君はしばし困惑していた。だが、自分の息子のためにひとりの女の子がご両親まで苦心して味方につけ、さらに地球のほとんど裏側という物理的距離まで克服してここまで奔走している。そのことに感銘していたのもまた事実だった。  しばらく考えて後、 「刹那さん」 「はい」 「あの子をお願いできるかしら。……まぁもちろんそれは、あの子の同意をとりつけてから、ですけどね」 「……ありがとうございます」  刹那はいつのまにか、涙を浮かべている自分に気づいた。  母君が誠から聞いたという『真実』は、あまりにも衝撃的なものだった。だがそれは同時に、刹那の記憶と照合すれば、警察やマスコミが誠の妄言と片付けた一件と非常に一致するものだった。  ある時期、誠とつきあっていたのに関わらず世界が悩んでいたことがあった。  そのころ、世界たちの影には時々、言葉の姿が目撃されていた。一般にはそれこそ『言葉が言い寄っていた』と解釈しているのだが、刹那にはどうもそうは思えなかった。むしろ誠の言葉通り、言葉の写真の入った誠の待ち受け画面を見てしまった世界が、自分だって誠が好きであるにも関わらず、言葉への橋渡しをしてみせた、その方がよほど自然で話がつながりやすかった。  しかし、世界はそれを徹底して自分たちには隠した。なんのために?  そう。もちろんそれは世界自身のため。好きなひとの気をひくためにそのひとと他の女の子をひきあわせ、そのふたりが本当に恋人になってしまった。ライバルに塩を送ったどころではない。これはまさに完全無欠に自爆そのもので同情の余地すらない。刹那だってそれを聞いた瞬間は自分の耳を疑い、そして世界ならありうると気づき、大馬鹿糞バカ救いようのないバカともういない世界にためいきをついたほどだ。  むろん世界の性格からして、とてもそれは認められなかったのだろうし、できることなら取り戻したいという気持ちや、友人たちになじられるという思いもその口を閉ざさせた要因だろう。  そしておそらく、いくら世界でも薄々気づいていたろう刹那の気持ち。 「それでは今から……!」  瞬間、戸口で誰かの戻った音がした。 「誠ね。じゃあ今から?」 「はい」 「私、外出しといた方がいいかしら?」 「……それは気が早すぎです」 「そう?」 「はい。ものすごく」 「でも否定しないのね。まぁそうだろけど」 「……」 「がんばって」 「……はい」  こういう性格って親子なのかな、と刹那は赤面しつつ思った。        数年後。  シャルル=ド=ゴール空港に着いたのは、フライトぎりぎりの時間だった。なるべく施設内にいる時間が短くてすむよう、念には念を入れての計算ずくの行動だった。もちろんすでにあらゆる手続きはすんでおり、二人がするのは出国手続きだけでよかった。  だが、刹那の気持ちは晴れない。  どういう手段か悪魔のような偶然か、この時間、この空港内にいる可能性が極めて高いことがぎりぎりになって判明したからだ。入れ違いとはいえ両者の遭遇は絶対に避けたかった。  そもそも、なんのために苦労して誠を海外に連れ出したのか。  冗談ではない。よりによって最悪のカードをここでひきあててどうする。他の女の子全ての悪影響から引き離し誠を助け、結果としてそのまま誠は自分の夫になってくれた。世界という存在を欠いた未来は決して刹那の望むベストではなかったのだけど、世界があれほど愛した誠を引き継いだのだ。ここで誠を失ったら、いつかあの世で世界と再会した時、どう言い訳するというのか。死後にちゃっかり誠を奪ったあげくまたもや桂言葉にかき回され全てを失った、なんてことになったら笑い話ではすまない。  それに、そういう事をさしおいても誠を失いたくはない。  数年の間に、誠の性格はだいたい掴めた。どうしようもない部分ももつ男だが、それは相方次第でどうにでもなるレベルだった。結婚後の男の甲斐性は妻次第というのは少なくとも日本では通説でなく本当のことで、その意味で刹那はきっちりと『日本妻』をやってのけていた。ちゃんと誘導してやれば誠本来の、誠実でまじめで行動力もある側面が顔を出す。あとは浮気ふうじをきっちりやってそれを習慣づけてやればいい。  世界と言葉の一件で異性に積極的に出られないこともあり、誠はたちまちに『普通に誠実で妻や家族思い』の男性になった。  失ってなるものか。 「!」  と、その時、刹那は遠くの観光客の群れらしき中に桂言葉らしい姿を見てしまった。ふたりほどの男女に付き添われ、儚げに微笑んでいる。  最悪だ。  この距離では、顔を向けるだけで誠も気づきかねない。そうなったら何が起こるかもわからない。そんなことはさせられない。  向こうも気づいたようで、信じられないという驚愕の顔をはりつけてこちらを見た。こちらに向かって走り出し隔壁を越えようとした。周囲の者たちが取り抑えようとし、声があがった。  そして誠もその喧騒に気づいた。 「?」  振り向こうと誠が顔を向けかけた瞬間、 「誠」 「なに?……!」  強引にこっちに向かせ、ちゅ、ちゅ、と軽くついばむようにキスをした。  それは刹那にとりせいいっぱいのキスだった。そもそもふたりは日本人で人前でのキスはあまりしないし、ましてや空港の待合室である。本当は舌まで差し込み誠の動きを完全に封じてしまいたかったが、それは無理な相談だった。  だがそれでも問題なかったようだ。そういうのに慣れていない誠はなんと、可憐な少女のように口を押さえて真っ赤になってしまったからだ。 (うわ……なんか可愛い)  いつものケダモノぶりが嘘のような可愛い反応に、つい刹那は笑ってしまった。 「お、おい。こんな場所で」 「もう搭乗。よそ見しないの」 「いやまぁ……わかった」  赤面したまま、納得したように誠は頷いた。 「悪かったよ。わかってる、これから世界のとこ顔出すんだもんな」 「うん」  刹那も小さな安堵に微笑んだ。そんな刹那を見て、誠も不思議そうに、だが幸せそうに顔を綻ばせた。  搭乗がはじまった。真新しい大きな旅行鞄を抱えた誠、旅なれた感じのバッグを身軽に抱えた刹那のふたり。いつになく饒舌な刹那に時々あははと誠も笑いながら、仲良くのんびりと搭乗口に向かって歩いていった。 「……おあいにくさま」 「ん?何かいったか?刹那」 「なんでもない。いこ」 「あ、うん」  ごめんね、と刹那は口の中で小さくつぶやき、そしてなにごともなかったかのように足を進めた。        数日後、フランスでひとりの日本人女性が自殺したニュースが流れた。  女性は精神を病んでおり保護観察中の身だった。最近は回復も著しく付き添いの医師や専任の保護観察官と共に気晴しの欧州旅行の途中だったが、シャルルドゴール空港で降りてホテルに移動しようとした際、日本いきの便の搭乗口の方を見て顔色を変えたという。意味のわからない叫び声をあげつつ走り出そうとして医師と警備員に取り抑えられ、現地の病院に収容された。しかし数日後、スタッフが一瞬目を離した隙に窓から飛び降りた。死因は墜落による圧死であった。深夜のパリの冷たい路上に女性の脳漿は卵のように飛び散り、周囲は飛散した血液と肉片で凄まじいことになっていたという。  状況が状況ゆえに実名報道はされることなく、そのままそのニュースは北朝鮮の不穏な動きのニュースにかき消されそのまま消えていった。    同時刻、墓参りの途中で三人目の妊娠を聞かされた誠とそれを告げた刹那は、幸せそうに口づけを交わし抱きあっていた。        そしてそれきり、ふたりが桂言葉の名を聞くことは二度となかった。   (おわり) [#改ページ] あとがき[#「 あとがき」は中見出し]  最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。  今回、Schooldaysをプレイしてもっとも印象に残ったのがバッドエンド『鮮血の結末』。この、いかにもうちのサイト好みの美しくもおぞましくも狂ったラスト部分を思わず何度もリプレイしてみて、エンディング後の誠はどうなるんだろう、とふと考えました。  刹那をあてがったのは偶然ではなく、考えた末のこと。  この後の誠が誰とくっつくかと考えると、メインキャストの中では言葉か刹那のどちらかかなぁ、と考えました。刹那は誠が世界とくっついている、と安心したから渡欧したのだけど逆にいうと事件からは完全に蚊帳の外。だから事件後にもっとも有利な立場にいるのは刹那かなと。  言葉の場合、当初は破滅指向でしょうが落ち着いたら「やっぱり誠くんが好き」と再度の復活を果たす可能性が少なくない。誠の恋人を殺してしまったことは他ならぬ当人の気持ちにとって大変なマイナスでしょうけど「それでも好きなの」のなってしまいそうなのが言葉というキャラクタでしょうから。狂気にかられた衝動殺人、そしてその状況のアレさの結果、彼女が何年間拘束されるかはわからない。だけど、状況からいって死罪はありえないだろうし、長くて懲役十年を越えることはありえない。また状況が状況ゆえに、刑務所に服役すらままならず厳重な監視つきで療養生活を送り、回復後にあらためて責任能力を問う、あるいはそのまま無罪放免という可能性も否定できない。  だから、刹那が誠を拾いあげ、数年後に言葉再接近というシナリオを描いてみたのでした。    なお、事件についての解釈が言葉寄りなのは私が言葉(狂気モード)属性だからではありますが、マスコミというのは勢いでとんでもない方向に暴走するものです(だから、それを見込んだ情報操作とかもあるわけですが)。凄惨すぎるド派手な事件にマスコミがその裏側を勘ぐったあげく、さっくりと『いじめ』というわかりやすい要因にたどり着いてしまった、というのが本件の前提になっています。  また、事件についての報道内容や誤解は、なるべくシナリオに沿ってみました。わたしがやったルートでは少なくとも言葉と誠がつきあってた事は世界が親友の刹那にすら隠していたこと。本編中でも誰も知らない状況だったので、当然こういう展開もありかと。    不快に思われた方、ごめんなさい。たのしんでくださった方、光栄です。  ありがとうございました。   (2006/07/11改定:『フレンチキス』の呼称は正しくないという指摘により一部修正)