[目次]

どっちもどっち

 月に跳躍した青年の心臓が停止したのは、間もなくの事だった。
 念願であった妻の救助。それにより気が抜けたのだろうと思われた。もとより青年の身体は人体実験や虐待のかどでボロボロであり、いつ死亡してもおかしくないありさまでもあった。
 最初にそれを発見したのは、彼が身を寄せていたとあるドック詰めのドクターであった。彼女は入港してきた彼の船舶より発せられたコンピュータの非常呼び出しにより彼の危篤状態に気づいた。オペレータの少女は彼と精神をリンクしてあったため共に昏倒してしまっており、知らせる事ができなかったのだ。
 すぐさま、緊急医療が進められた。しかしどうする事もできず、青年は12時間後、その数奇なる生涯を閉じる事となった。
 …だが。

 白い部屋。ベッドの上。ピンクの髪の少女が眠っている。
 大きなシャツ一枚をすっぽりかぶっただけの姿。ほとんど全裸といってもまちがいない。ゆっくりと小さな胸が上下している。
 その傍らには、瑠璃色の少女、それに白衣の女がいる。女の横には各種の測定器や診察器具があり、ここが病室の役目を果たしている事が伺い知れる。
「…これは、喜ぶべき事なんでしょうか?」
「なんとも複雑ね。私たちにしてみればそりゃあ嬉しいけど、ラピス・ラズリにしてみれば凶事以外の何者でもないわけだし」
「そうですね、やはり…でも」
「そうね…この子には申し訳ないけど、私たちはね」
「はい」
 女たちと少女は顔を見合わせた。
「で、どうするのホシノルリ?この子をミスマルユリカに会わせるの?」
「会わせますよ、もちろん」
「素直に従うとは思えないけど?」
「休暇をいただいてきましたから。何があっても応対できますよ」
「いいけど……よく休みがとれたわね。今をときめく電子の妖精ともあろう者が」
「皮肉のつもりですか?私はもう、あんな能力は持ってませんよ」
「はいはい」
 それは、ホシノルリ自身が流した噂である。
 火星での大活躍した妖精はそのオーラを失い、ひとの世にくだった…それがその内容。ようするに過剰なIFSオペレート能力を失い、普通のオペレータ程度の能力まで落ちてしまったという事にしてあるのだ。もちろん事実はそんな事ないのだが、全ての情報に手を加え全てを偽った。必要以上に目立たないようにし、考えられる限りの防衛線を引いたのである。
 それもまた、よりよい未来のために。
 それは従軍経験の長い、とある年長のコックの提案だった。強すぎる力は必ず凶事を招くから。どんな手を使ってもいいから、間違っても軍内部で「最強」なんて評価されてはいけない、と。でないと、安らかに死ぬ事なんてできない、と。
 昔から、エースパイロットはベッドの上では死ねないという。
 それは、飛行中に死ぬという意味ではない。その意味もある事はあるのだが、「エース」だから死ねないのだ。ようするに陰謀詐術に巻き込まれ、殺される可能性もそこには示唆されている。英雄なんてのは誰かに都合よく飾られ、利用される存在にすぎないのだから。
 とはいえもちろん、ホシノルリ自身がそこまで考えていた、というわけではない。彼女は優秀ではあるがあまり政治的な駆け引きには向かない性質(たち)なのだ。むしろそういう事に向いているのは意外にも彼女の「義母」だったが、その本人は未だ療養中であり、自由に動くことのできない状況にある。
 とりあえず今、ルリの知名度は高くない。まぁもっとも、妖精ファンクラブを自称する一部の兵士たちには未だに人気があるが、それは「ひとの世界にくだった妖精」に対するものであり、かつてのような強烈な吸引力はない。まぁせいぜい人気に乗じてアイドル扱いくらいはされるかもしれないが、輝きを失った妖精の存在が上層部の目にとまる事はおそらく、あるまい。
「ま、しばらく時間をあげるわ……好きになさい。貴女にだってその権利はあるでしょう」
「ありがとうございます」
 イネスの微笑みに、ルリは頭をさげた。

 新しい朝。
 明るい光。暖かいベッド。まどろみから、ゆっくりと『それ』は目覚めた。
「おはよう」
「!」
 目覚めると、そこには見慣れない女がいた。
 …見慣れないはずなのに、『それ』は胸が張り裂けそうになった。
「…だれ?」
「?わかんない?…う〜ん」
 女は、ちょっと困ったように眉をしかめて…ちょっと寂しそうに笑った。
「私は、ユリカ。テンカワ・ユリカだよ」
「……それ違う、ミスマル・ユリカ」
「む、違わないよ。アキトと結婚したからテンカワなの!」
「連合軍のファイルだと、独身になってる」
 アキト、という言葉に違和感を覚える、『それ』。
「ねね、それよりお名前聞きたいな。教えてくれる?」
「…知ってるんじゃないの?」
 そも、彼女がここに来た以上、事情を知らないはずがない。ここはネルガルの「裏」。彼女やルリの知らないはずの場所なのだ。
 そして、ここを知っている以上…。
「うん、そうだね。でも聞きたいな。だってユリカが自己紹介したのに、してくれないって寂しいな」
「……」
「……寂しいな」
「……」
「……」
 『それ』は困惑する。大人の女性に、捨て子みたいな寂しそうな顔で見られてどう対処していいかわからないのだ。
「……私は」
(……私は…誰だろう?私は死んだはずだ。ここに私がいるはずがない。死んだひとに名前なんてあるわけがない。)
「アキト?」
「!」
 首をかしげて、女…ユリカは何故だかそんな事を言ってきた。
「…アキトはもういない。死んだ」
「ふうん…で、アキトはなんていうの?」
「…違う」
 どうも、ユリカは『それ』をアキトと信じて疑わないようだった。
 しかし、それは妙だった。テンカワ・アキトは死亡している。最後の苦悶とリンクの乱れ、それを『それ』は覚えていた。だからおかしい、と感じた。
「…あれ?」
 しかし同時に、その矛盾にも『それ』は気づいた。
 リンクがとぎれて行くのをどうして「客観的に」覚えているのだろう。本人ならそんな余裕はないはずだ。おかしい。
 いったい、自分は何者だろう?『それ』は、首をかしげた。
「…どうやら気づいたみたいですね」
「!」
 ユリカの顔の横に、もうひとり、別の女の顔が浮かんだ。
 …ルリ。
「貴女は死んではいませんよ。…あなたがラピス・ラズリならの話ですが」
「……」
「ふう。説明おばさんのお話は本当だったみたいですね。いつのまにか感覚だけでなく、思考まで貴女が補助していた、というのは。」
「……」
 どういうことかよくわからず、『それ』は眉をしかめた。
「説明しましょう!」
「「「!!」」」
 突然にふって湧いた顔に、『それ』だけでなくユリカやルリまで驚いていた。
「死亡前の状態で、アキト君はもう脳神経すらほとんど働いていなかった。動いていたのは肉体の維持に最低限必要な自律神経系だけなのね。で、あなたはアキト君の意識そのもの、それに思考の全ても最終的に肩代りしていた、というわけ」
「……それって」
 イネスは、寂しそうな顔をした。
「早い話、アキト君はある意味もうとっくに死んでたのよ。普通のひとならそれで終わりだけど、彼はリンクを通して貴女の体内にいわば「間借り」する形で『テンカワ・アキト』としての生命活動を続行していたわけ。本人にその自覚はなかったでしょうけど…ま、目的を果たすまでは、死ぬに死ねなかったんでしょうね。
 そして、とうとう最後にアキト君本体の「いれもの」が壊れた。本来ならそれでリンクが切れておしまい、のはずだった。でも「間借り」した部分は消えずにそのまま残った。だってその『アキト君』は既に彼本体ではなかったんだもの。それが彼本人なのか単なる人格コピーにすぎないのか、そう言われると私にも何ともいえないけどね。『魂とは何か』なんて現代科学では何も規定できてないんだから」
「…」
 それってつまり、と『それ』はつぶやいた。
「そう。今の貴女はラピスラズリであり、同時に『テンカワアキト』も内包している。既に人格の融合もスタートしているかもしれないわね。もう一つの肉体がなくなった以上、二つに分かれている必要はもうないわけだし」
「…なんてこと」
 『それ』はただ、うなだれた。

 頼むからひとりにしてくれ、と『それ』は全員を追い出した。
 傍らの端末を操作する。「いつものように」ネットを呼び出す。そこにはコロニー連続襲撃犯テンカワ・アキトの死亡が喜びの声と共に伝えられている。
「…火星の後継者は、なかった事にされたのか…?」
 『それ』はどんどんネットを手繰っていく。彼女が『アキト』の頃はできなかった事なのに、それに全く違和感を持たない。いや、それに気づいてすらいない。
「…そうでもない、か」
 犯行はアキト単独のものではなく、彼を殺そうとした火星の後継者との戦闘の結果、という風になっていた。彼は囚われの奥さんを探すために彼らから奪った兵器で手当たり次第に攻め込んでおり、しかし攻撃される前に離脱、を繰り返していた。なぜそんな事をしたのか、にもきちんと言及しているつまり「個人の力で、軍相手に蜂起するほどの大組織と戦えるわけがない。彼はそれでもあきらめきれなかったのだ」と。
 確かにそれはある意味事実だ。「何もできなかった」というのは大嘘だが。
 考えてみれば、たったひとりのテロリストにあれほどの大破壊となると、別の意味で軍の面目は丸潰れになるはずだった。だから彼らは「新たな真実」を捏造したのだ。それは事実に近いものであったが、軍の面目を潰しそうな部分だけ巧みに書き換え、うまく「真実」を作っていた。なまじ事実の部分も多いだけにこれは覆りそうもない。全くうまいやりかただった。
「…これじゃあまるで私、悲劇のヒーローだよ…ううん喜劇か?」
 そこまで言ってから、『それ』は自分の一人称や言葉遣いに困惑する。
「…なにこれ…俺、オカマか?」
 しかし、『それ』のどこかが「違う」と主張する。私はもともと女だ、と。アキトのために存在するのだ、と。
「…わからん。…わからない。…どっち?」
 合理的に考えれば、『彼女』はラピスラズリだろう。
 しかし、『それ』に残された『テンカワアキト』はあまりに強すぎた。『それ』は頭を抱えた。どっちがどっち、なんてわからなかった。
 …けれど。
「…どっちでもいい」
 『それ』のアクセスした情報には、火星の後継者の残党のそれがあった。
「…どのみち、やる事は変わらない。生きているのなら。」
 それは、アキトの意志。
 そして、それに付き従うラピスの意志。
「…ふたつだった身体が一つとなっただけ。約束は忘れてない」
 若干の不協和音はあった。
 自分の死でラピスを開放できなかった、というアキトの後悔。そして、置いていかないで、というラピスの思い。
「…置いていけるはずがない。二人でひとりになってしまったんだから」
 …そう。
 肉体を失った時点で、アキトはラピスの中に繋がれたようなものだ。もう置いて行く事などできない。溜息をつく「アキト」としての心。
 そして、喜々としてそれを受け入れる「ラピス」としての心。
 (すまん…)
 (いいの、嬉しい)
 (一緒にいよう)
 (うん)
 ふたつの心が、ゆっくりと溶けあう。ひとつの目的を通して。
「…とりあえず、鍛錬…それに、サレナとユーチャリスの改造。」
 『ふたり』は、ゆっくりと立ち上がった。

 だが『ふたり』は、気づいていなかった。
 そも、アカツキやエリナたちがラピスひとりで戦わせようとするだろうか?答えは否である。アキトひとりの時だって心苦しかったが、ユリカを救う事が同時に火星の後継者やその背後のクリムゾン等の力をそぐ事につながり、それがネルガルの利益になる、という事で何とか納得していたに等しいのだ。それが完徹されつつある現在、彼らが『ふたり』に力を貸す理由など何処にもない。
 しかも、たったひとりで戦うなんて無謀すぎる。ユーチャリスとバッタは動かせても、サレナの操縦はラピスの身体では当然できない。鍛えるといっても彼女の身体では限界がありまた、戦えるまで鍛えている間にほとんどの残党は掃討し終えてしまうだろう。つまり意味がないのだ。
 さらに、もうひとつの問題。
 いわばアキトの忘れ形見ともいえる『ふたり』を手放す者がいるわけもない。そして無理矢理言う事を聞かせる事もできない。今のラピスの細腕では月臣どころかルリにも敵わないのだ。いやこれは比喩ではない。まじめな彼女はB艦に乗る前、一応ですからと一般兵同様に格闘の手ほどきをきちんと受けた。さらにサブロウタに木連式柔も少し習った。対するラピスは当然何も受けてない。こういうのは身体で覚えている部分が大きいから、いくら『アキト』に戦闘の知識があってもラピスの身体でそれを使うのは無理なのである。
 ドアに向かい、歩きだす『ふたり』。
((……))
 その向こうには、『ふたり』を今度こそ自分の家族に、と手ぐすね引いて待っている女たち。
 
 既に、ふたりの逃げ道は完全に塞がれていたのだった。

(おわり)

(おまけ)
 
「……ア〜キ〜ト♪」
「抱き付かないでユリカ。私、アキトじゃない」
「……アキラピちゃん?」
「…名前まで合体させないで(涙)」
 
…ちゃんちゃん♪



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