この冬、一本のCMがお茶の間の話題を
どこにでもありそうな公園。そこで踊る全く瓜二つの「少年」と「少女」。映像はどこにでもありそうなものなのだけど、その映像は日本中を
CMはネットにも転載された。
何者かの手で非常に高画質にアップロードされていたそれは、さらに見る者を
実のところ、当人は日本でこそビッグネームであったがプロダクションの小ささもあり、海外むけの展開までは手がついていなかった。自然に漏れ聞かれる情報からリョウ・アキヅキの名と容姿こそ知られていたが、日本の人気女性タレントのひとり、そんな扱いだったのだ。
だが、こんな常識はずれの経歴と妖精じみた中性的な容姿、しかも日本の「トップアイドル」。これが騒ぎにならないわけがない。たちまち動画は百万どころか億単位のページビューを数えた。『
何かが大きくかわろうとしていた。
「はぁ。凄いですねえ涼さん」
「うん。とっても綺麗?」
876プロと書かれた事務所の一室で、ふたりの少女がCM映像を見ていた。
ふたりが見ているのはTVではない。PCだ。デスクトップタイプの無骨なボディはいかにも秋葉原で部品ゲットしました的に美しさを欠いているが、おそらく性能は段違いなのだろう。TVサイズとは言わないが大きめのモニターにでかでかと映るCM映像も細部まで確認できるほどに美しい。どういう経緯で組まれたマシンかはわからないが、ここはいわゆる芸能プロダクションである。堂々と事務所に設置されているところからすると、おそらくはディスプレイ用途に使われていると考えて間違いあるまい。
モニターの中で踊る二人。全く瓜二つの顔を持つ『少女』と『少年』。
音声もまた同様だった。男女のデュエットでありながら確かに同じ人物から出ている声。機械的に作った声でない、ナチュラルな……そう、ネット用語で言うところの『
それは他の誰にもなし得ない。少なくとも今この時代には彼『秋月涼』だけが可能とする姿。
「こうして見ると確かに同じ人なんですねえ……」
嬉しさと悲しさが入り交じった、ひとりのつぶやき。
「……」
もうひとりは、何も言わない代わりに眉をしかめた。身近な親しい人物が遠くにいってしまう、そんな気持ちを噛み締めるように。
だが、ふと何を思ったかフッと小さく笑い、そして先の少女に声をかけた。
「愛ちゃん」
「はい?なんですか絵理さん」
「次のオフ、涼さんと三人で遊びにいく?」
「あ」
先の少女……愛は、絵理の唐突な提案に一瞬ぽかーんとしたがすぐに笑顔になり、それ名案です!などとウンウンとうなった。
だが次の瞬間、愛の笑顔は再びしぼんだ。
「なに?」
「で、でも確かここしばらく涼さん、あの人とお休みいつも一緒ですよね?」
「うん」
もちろんそれは知っている。いつからか涼につきまとうようになった女、桜井夢子の事。
決していい評判ばかりではない女が涼につきまとっている。しかもその涼もまんざらではなさそう。
二人にとって涼は単なる同僚以上の存在で「まとめ役」だった。しかし同時にお人好しなのも二人は知っていて、だからこそその涼にまとわりつく評判の悪い女を危険視していたものだ。
だが。
「涼さんが男の人って事は、つまり二人はたぶん」
「うん」
口には出さない。出すまでもなくわかっている。
そう。秋月涼と桜井夢子は仲がいい。以前は女友達として、そして今は男と女として。詳しい事情はわからなくともそれくらいは当然わかる。
しかし、そこで絵理の方が「にやり」と少々あぶない笑みを浮かべる。
「たまには、わたしたちにもつきあってもらう?」
「……」
愛は絵理の笑顔を、ちょっと不思議そうな顔で見ていたが、
「そうですね!このところずーっと涼さんとられたっきりですし!」
「うん。たまにはいい?」
「はい!」
ふたりにとって涼は大切な存在。
助けあおうが競い合おうが、そして男だろうが涼は涼。仲間であり友人であり、絵理たち876プロ所属アイドルの束ね役である。ふたりはその事をウンウンと頷きあって確認する。
にっこりと笑う絵理。その笑みに引きずられるように同じく笑う愛。
(……)
ただし絵理だけは微妙に邪悪な笑み。
密かな企みが始まろうとしていた。
「……」
同時刻。秋月涼の部屋。
フローリングで家財の少ないシンプルな部屋。奥にみえているキッチンの充実ぶりが少々イメージを崩しているものの、少しばかり裕福だが忙しい青年の居城としてはおかしくあるまい。以前は壁にサッカー選手のポスターなどがあったが、今は芸能関係の無難なものに変更されている。
どこかから音楽が聞こえている。とても小さい音だが、室内にまるでそよ風のように響いていた。
部屋の入口には小さな台があり、そこには電話機。コードが抜かれて丸められている。その横には封の切られた封書がいくつもあるが、何やら切り抜きがちりばめられた文面や、開けられた封筒の口から割れたCDのようなものが覗いていたりと一種不穏な雰囲気を醸し出している。おそらく普通の手紙ではないのだが、それらのものは電話機と一緒に、まるで封印でもされているかのよう入り口横に綺麗に固められている。
床はフローリング。中央には広めのカーペットが敷かれ小さなテーブルが置かれている。そこにはTVのリモコンが乗っていて、壁際に置かれたTV機材を操作できる。TVにはレコーダーもついていて、涼がふだん参考にしているらしい映像記録などを見る事ができる。黄緑色のCDケースがひとつ。少女と見紛うぎかりの美しい少年の顔写真のジャケットで、『Dazzling World』とかかれている。
TVと反対側にはベッドと予備ベッドにもなる長椅子がある。そしてそのベッドの中では、髪の長いひとりの女がシーツにくるまって眠っている。外は朝というより午前中というニュアンスが似合う時間帯なのだが、ここだけは未だ空気が甘くたれこめていた。昨夜繰り広げられたであろう濃厚な時間をそのまま引きずっているようだった。
「……ん」
女はずっと眠っていたが、キッチンから聞こえてくる生活音といい匂いでだんだんと眠りから覚めつつあった。ピクッと一瞬大きくうごめいて、やがてゆっくりと目を開いたのだが、「んく」などと小さな声をたててベッドの中で身じろぎをした。
「……むう」
気怠そうな声があがる。
なかば、いや未だほとんど夢の中のようだ。ようやく開いた目も全く力がなく、やがて再び閉じてしまう。うごめく脚がシーツからこぼれて一糸と身につけていない下半身が少しだけ露出したが、さすがに寒いのだろう。すぐにもぞもぞとシーツの下に逃げこみ、それっきりまた動かない。
と、そんな女のベッドサイドにしなやかな細身の影が近づいてきた。
「夢子ちゃん」
「……」
「夢子ちゃん。朝だよ」
「……むー」
まるで起きる気配がない。やれやれと影は苦笑するとシーツの中に手をいれ、右手を添えて女の顔を露出させた。
「夢子ちゃん」
「……」
もう一度呼びかけたが反応はほとんど変わらない。
いや正しくは「変わろうとしない」だろう。その証拠に、自分の顔を持ち上げているしなやかな手にぐったりともたれかかっている。まるで怠惰な猫だ。実際未だかなり眠いという事もあり、その手の主にべったりと甘えきっている。
やがて影は小さくクスッと笑った。そして影がゆっくりと女の顔を覆い、やがて重なった。
「!」
ピクッともがくように女の体がうごめくと、影はスッとその体から離れた。あとにはなにやら不満そうな寝ぼけ顔で影の主を睨みつける女の顔があった。
いきなりの口づけ攻撃に文句を言いたい、だが頭が回らなくて考えが定まらないといった風情。本人は怒っているつもりなのかもしれないが、照れ隠し全開なのが全く隠せていない。
「おはよう夢子ちゃん。ごはんできたよ」
「……おはよ」
夢子と呼ばれた女は少し目をそむけた。状況がだんだんつかめてきたのか顔が赤くなってくる。
「さ、起きよう?いいお天気だよ」
優しげに笑って去ろうとする影。だが女の手が影の裾を掴んだ。
「ん?なぁに夢子ちゃん?」
「……なんでもない」
何か言いたいのだろうが言葉がみつからないのだろう。結局、ゆっくりとだがその手は影を開放した。
「慌てなくていいけど、でもお味噌汁が醒める前に起きたほうがいいよ?あ、服は代用品で悪いけどここに置いたから」
そう言い残して影は去っていった。
「……」
女は少しだけ赤い顔のまま動かずにいたが、やがてむっくりと起き上がった。白いシーツがはだけて、ぷるっと形のよい乳房が一瞬揺れる。
「……」
ふと自分の乳房を見下ろした女だったが、ふと何かを思い出したかのように真っ赤になる。そして一度シーツを手にとり前を隠し、そして中央のテーブルを見る。
そこには確かに着替えがあった。男物のワイシャツその他一式。
それを「あのバカ気がきくんだかダメダメなんだか」という目で見た女は、やがて意を決したようにシーツを投げ出して起き上がった。一糸まとわぬ美しい裸身がさらされるが意に介さず、テーブルのワイシャツだけをとるとサッと身にまとう。
次にその下にあったシンプルなデニムパンツに手を伸ばした女だったが、
「!」
唐突に何かを感じたのか、ビクッと反応して動きが止まった。
「……」
しばらく悩んだが結局下は履かずにすますようだ。確かにぎりぎり隠れてはいるが、下手な全裸より危険な姿だろう。
だが敢えて気にしない。そのまま男を追ってキッチンまで歩いていった。
キッチンといってもきちんと部屋が区切られているわけではない。だが設計がいいようで、その区画に入ると小さかった音が大きくなった。家事の雑音が響き渡らないよう工夫された設計なのだろうが、それだけでもこの部屋が安からぬものである事が想像できた。
流しの横に小さなモニターがあり、音の元はそこのようだ。記録映像をプレイバックしているようで、そこには最近よく見るCMが映っている。天使のような顔をした瓜二つの少年と少女が踊る幻想的なものだ。
その前には2人分と思われる朝食がすでに出来上がっていて、食欲をそそる香りと湯気が女の鼻をくすぐった。
「ねえ涼、シャワー使いたいんだけどタオルどこ?」
「ああタオルはね……って何その格好!?」
キッチンには先ほどの影の主……少年がいた。ついでに言うとモニターの中の美少年と同じ顔なのだが当の少年はそれどころではない。ワイシャツ一枚という凄まじい姿で現れた女に絶句している。
しかも「着ているだけ」なのが始末におえない。羽織っているだけなので、真正面からその姿を魅せられた少年にはあまりにも扇情的過ぎた。
だが、思わず前かがみになりそうな少年の反応に対し、女は笑いとも呆れともつかない顔でためいきをつく。
「なによ。綺麗サッパリ脱がしたうえにまるまる一晩おもちゃにしてくれたのはあんたでしょ?何を今さら」
「い、いやだから雨でびしょ濡れだったし!ていうか恥ずかしくないの夢子ちゃん?」
すると女は一瞬だけ目をそらし、そして激しく赤面しながら、
「恥ずかしいに決まってるでしょ?バカ」
「だったらちゃんと着ようよ!シャワー浴びるならもう一式用意するからさ!」
少年は未だ十代である。家に連れ込むほど好きな女の子のそんな格好に反応しないわけがない。それがたとえ夜通しの情事の後であろうと。
対して女は、さらに赤面しつつつぶやいた。
「なんか腰まわりがだるいの。今日がオフでよかったわ。あんたのせいだからね」
「……それは」
少年もとうとう真っ赤になってしまった。
実際のところを言うと、女が服を着ないのはそのせいではない。
腰に、乳房に、脇腹に、それこそ全身あらゆるところに少年の感触が生々しく残りすぎていた。一度それらを意識してしまったらもうおしまいで、さっさと汗と一緒に流してしまわないと平静でいられる自信すらなかった。
だけどそんな事を少年に知らせるつもりは毛頭ない。わかってしまえば赤面くらいはするかもしれないが、代償に今日いちにち振り回されるのは自分の方。きっと恥ずかしい台詞を吐きまくり、一日中いいようにお姫様扱いされてしまうのだ。
(全く、いつもはヘタレのくせに変な時だけやたらと強引なんだから。
その光景をちょっと想像してしまった女だが、一瞬フニャけそうになった顔をあわてて引き戻した。
少年の方はというと、当たり前だがそんな事気づきもしなかった。もっと経験を積めばピンときたのかもしれないが、いくらなんでも少年の歳でそれがわかるはずもない。単に女の機嫌が悪いと思ったようで、あたふたと慌てはじめた。
「た、たたたタオルはシャワールームの横だから!好きなの使って!」
「ん。わかった」
そういって女は背を向け、そして歩き出そうとして一瞬だ立ち止まり、
「涼」
「な、なに?」
「……おはよう」
「!」
少年、秋月涼は女の反応を測りかねて一瞬だけ反応が遅れたが、
「うん……おはよう夢子ちゃん!」
そう満面の笑みで返した。
やがて彼らは涼の同僚に襲撃され、平和な休日はおじゃんになるのだろう。だが今だけはふたりだけの朝をまったりと過ごす事ができるはずだ。慌ただしくも華やかな世界に身をおく彼らだけど、今この時だけは。
「さて、じゃあその間にもう一品つくっとくかな?」
女の去った後に響いた、小さいが楽しげな声。
モニターの画面の場面がいつか変わり、少年と少女が手をとりあうシーンになっていた。その美しい少女は少年の顔ではなく、たった今去っていった女と同じ顔をしていて、画面全体も幻想的というよりむしろ和やかで優しいものに変わっている。
壁にかけられている時計だけが、それを静かに目撃していた。
(おわり)