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職員会議

 とある日の昼下がりのことだった。
 とある学校の職員室。職員以外の立入禁止の札を下げたその室内で、その話合いは行われていた。
「本当なのかね?あの岡崎が一の瀬ことみ君にちょっかいをかけているという話は」
「話もなにも有名でしょう。校内ではかなりの噂になっておりますぞ」
「弱りましたな。よりによって岡崎ですか」
「しかもこの時期に。なんということだ」
 職員たちは頭を抱えていた。
 学校はじまって以来の超のつく優等生、あの世界的な学者であった一の瀬の遺児にして天才少女の呼び声も高い一の瀬ことみ。そのことみに、よりによって学校でも指折りの問題児である岡崎朋也が張りついているというのだから。
「……○×先生。さっきから黙っておられますが、他でもない貴方の担当する生徒ですぞ岡崎は。何か対策はありませんかな」
 職員のひとりが、さっきから黙っている男に声をかけた。
「××先生も。一の瀬さんの担当でしょう貴女は。何かないのですか?」
 なぜだか微笑んでいる女性教員をつかまえ、教頭と思われる人物が言った。
 この場で黙っている教員は三名いた。年配者で最近はあまり発言しない幸村、岡崎の担任であるちょっと熱血気味の男性教師○×、そして一の瀬ことみの担任であり校内では数少ない女性教員の××である。
「……そうですね」
 最初に口を開いたのは、××だった。
「普段の岡崎君については私は噂以上のことは知りませんが、一の瀬さんに対する彼の行動を見る限りは心配する事など何もないと思います」
「な、」
 多くの職員が一斉に顔色を変えた。
「何を馬鹿な。あの岡崎がどれほどの問題児か、貴女もご存知でしょうに!」
 近くの席の職員が怒鳴った。しかし××は涼しい顔で、
「私が知っているのは彼の不登校や遅刻についての事です。最近にも週末を挟んで数日間、学校を無断欠席しているとか」
「そうです!大問題でしょう!そのような輩が全国トップレベルの優等生にちょっかいをですなぁ」
「その理由についてはご存知なのでしょうか?」
 え、という顔を何人かの職員がした。××はそのまま淡々と話を続ける。
「過去の事については私はコメントできません。しかし最近の無断欠席については○×先生や一の瀬さんの親しいお友達にも事情を確認してあります。一の瀬さんの事情によるものですよそれは。詳しい事も聞いております。一の瀬さんの家庭のご事情ですのでここではお話できませんが」
「……一の瀬君に友人がいたのですか?確か校内の生徒との交流はあまりなかったと聞いていますが」
「ええ、最近できたお友達ですよ。岡崎君のクラスの委員長である藤林椋さん、それに隣のクラスの委員長である藤林杏さん。それと病気がちで最近復学してこられた古河渚さん。古河さんは演劇部の復活を希望して活動されていまして、未公認ですが現在、元演劇部室だった空き教室を拠点にしています。そこが彼女たち、一の瀬さんを中心とした友人一同の事実上の寄合所になっているようですね」
「ほぅ」
 演劇部室の利用については一応グレーゾーンである。しかし××は『ことみが中心になっている』事と演劇部復活のための活動をしている生徒がメンバーにいるという事で、それをうまく煙にまく事に成功したようだ。
 そして、藤林姉妹はことみ程ではないが優秀であり、しかも双子という事で目立つ。当然知られていた。
「それはそれは。古河という生徒はわかりませんがそれを考慮してもなかなかの布陣ですな。岡崎という問題点を除けば」
 全国トップレベルの生徒と校内トップレベルの生徒。しかもわずか四人プラス1の寄り合いに学級委員長がふたりも在籍している。確かにその点だけ着目すれば非凡の集まりといえよう。
「あら、彼らはその岡崎君が集めたメンバーですよ?一の瀬さんのために」
「!?」
 職員たちの驚きがまた広がった。
「担任として言わせていただければ、一の瀬さんは他人との交流という点において致命的な問題点をいくつも抱えていました。それは確かに問題点だったわけですが、交友関係というのは上の者がどうこういってどうなるものでもなかったのも事実です。まして一の瀬さんは非常に閉鎖的な性格ですし、ご両親の事もありましたし。
 岡崎君はそんな一の瀬さんを心配して、一の瀬さんのために奔走して回ったんです。私は岡崎君を一の瀬さんとおつきあいしはじめてからしか知りませんが、内気すぎる一の瀬さんにはふさわしい男の子だと思いますよ」
「ちょ、ちょっと待ってください××先生」
 また職員のひとりが大声をあげる。
「先生、相手はあの岡崎ですよ?」
「ええ、『あの』岡崎君ですね。それがどうかなさったんですか?」
「はぁ?いやそれは」
 ふむ、と××はためいきをついた。
「おっしゃりたい事はわかります。わたしも最初は驚きましたから。
 ですが、それはわたしたちの方が間違っていたのではないかと思うのです。少なくとも今の岡崎君を見ている限りはそう思いますよ。
 だいたい、岡崎君が不登校や遅刻で有名になったのは故障でバスケットボールができなくなった以降の事だと聞いています。それはご家庭の事情もあると聞いていますが、逆にいうと岡崎君の問題はそれだけなんです。彼は規格外れの異端児ではありますが、よく一緒にされる春原君とは決定的な違いがひとつだけあります。
 それは、彼が私たちの想像以上に粘り強く、そして真摯な性格だったことです。もともと彼も春原君もスポーツマンだったわけですが、そういう面でいうと春原君は派手好みのトリッカーで岡崎君は黙々と努力を積むタイプだったのでしょうね。野球のピッチャーとキャッチャーと言い替えても結構ですが。
 で、彼の素行面の問題です。授業のサポタージュのみのようですね。それはそれで確かに問題なのですが、これも最近は急速に収束していますね。欠席に至ってはここ数ヵ月まったくないそうです。
 それと一の瀬さんとの関係ですが、彼が一の瀬さんの幼なじみだというのはご存知ですか?」
「はぁ?」
 それこそ寝耳に水だったのだろう。職員の何人かは首をかしげている。
「なんでも、ふたりは一の瀬さんのご両親がご存命だった頃からの非常に古いお友達だそうで、一の瀬さんにとってはご両親の次に親しい人物だそうです。一の瀬さんの話ではご両親の事以来、もう何年も交流がなかったそうですが。
 再会のきっかけは知りません。ですがその後の岡崎君の行動はとてもわかりやすいですね。彼はひとりぼっちだった一の瀬さんの相手をはじめ、次に彼女と気のあいそうな女友達を探しかき集めた。彼は友達の多い方ではありませんから苦労したと思いますが、それでも一の瀬さんを放置する事はできなかったのでしょう。彼にとっても一の瀬さんは古い友人で、大切なお友達だったわけですから」
「……」
 職員たちの目は完全に点になっていた。
「ちょっとよろしいですかな」
「あ、はい幸村先生」
 追い撃ちをかけるように幸村が乗り出してきた。何人かの職員が渋い顔をする。
 この老教師は昔から問題児を多く担当してきた。もともとはこんな進学校ではなく不良ばかりを集めたような学校にいた事もあり、はっきりいってこの学校では異端者である。岡崎と春原が退学になりかけた時それをひきとったのも彼であった。
 進学の事しか関心のない一部の教員には、目の上のこぶである。……もっとも本年度で定年なのだが。
「岡崎の事ですが、彼は不登校等で問題はありますがいわゆる非行者ではない。以前は小さな暴力事件等を起こしましたが危険な人物でもなければ不良でもない。単に怠惰で粗忽者、というところですかな。
 だいたい、あれほどの異端児でありながらクラスの者も彼を受け入れている。本校ではああいう生徒が少ないので前例がなく理解に苦しむかもしれませんが、普通ああいう生徒には誰も話しかけず周囲から浮き上がるものなのですよ。しかし生徒たちには普通に馴染んでいる。少なくとも彼らにとって岡崎は、私たち教員側が問題にするほどの異端児ではないという事ですな。
 まぁ岡崎という人物の人柄を問うならば、私は問題ないと考えます」
「幸村先生はそうおっしゃるでしょうが……」
 何人かの職員が口ごもる。だが他ならぬ一の瀬ことみの担任も類似の回答をしているので、反論しかねているようだ。
 沈黙を破ったのは教頭だ。
「しかし何かあってからでは遅いですぞ。一の瀬君は進学校であるわが校には誇りです。その一の瀬君にもしもの事が」
「教頭先生」
 ××が口を挟んだ。
「既に何かあったのですよ一の瀬さんは。
 一の瀬さんは今年、いちど登校拒否を起こしました。友達の乗ったバスが事故にあったそうで……まぁそれは誤解だと後にわかったのですが、ご両親を突然の飛行機事故でなくした経験のある彼女はそれに耐えられる精神を持ってなかった。大変なショックに陥り自室に籠って出てこなくなったそうです。
 そして、そんな一の瀬さんを救い出したのは岡崎君だそうです。彼だってこれ以上遅刻や欠席が続けば問題になるのはわかっていたというのに、そういう事を全部おっぽりだしてまで彼女のためだけに奔走したんです。
 親しいひとをなくすというのは長い人生、これから何度でもある事です。今のうちにそれを疑似体験し、過去のトラウマを克服した。岡崎君は本当によくやってくれました。彼はちょっと一の瀬さんに甘すぎるという話もありますが、一の瀬さんはもともと学業面ではひとりでできるひとです。せめて日常面においては、たったひとりで家族もいない身の上を支えてくれる人がいるのはありがたい事ではないでしょうか」
「……私からも言わせてください、××先生」
 岡崎朋也の担任である○×も口を出した。
「岡崎は確かに問題児でした。いや今も立派に問題児です。暴力沙汰を起こすような事こそありませんが、私も以前は非常に手を焼いておりました。
 しかし一の瀬君の世話を焼きはじめてから明らかに岡崎は変わった。彼の今の交友関係をご存知ですか先生方。一の瀬君のために駆け回った関係でしょうか女生徒が多いのですが、やはり彼女の関係なのか、生徒会長であり今や一の瀬君と並び有名人の坂上智代君とも親交があるようです。
 彼女たちの意見はだいたい一致しています。いわく、一の瀬君は岡崎を本当に家族のように信頼していて、そして岡崎も一の瀬君を支えようと一生懸命だそうです。あの岡崎が信じられない、またはある意味とても岡崎らしいと皆が口を揃えて言います。
 素行面にしても問題はない。金曜日の四時間めの授業抜けだしは今も続いていますが、これは一の瀬君の相手をするためだというのが判明しています。またそれ以外については驚くべき事に完全無遅刻無欠席、全時間授業にいます。それどころか授業態度もまじめになり、テストもきちんと受けている。成績も少しずつですが向上しています。気に入らない教師には今も粗忽な態度をとる困った奴ですが、授業内容の質問をされたと驚いている先生もおられるようです。どうやら一の瀬君と触れ合ううちに遅蒔きながら学業にも目覚めたようですな。
 結論として、私は問題ないと考えています」
「……」
「……」
「……」
 職員たちは、言葉もみつからずに沈黙していた。
 結局、事態を見守ろうという結論に達したのはその夕刻の事だった。

「……そんな事があったのかよ」
「ああ、あったぞ」
 昼休み、食堂。仲良く昼食をとることみと朋也の前で、坂上智代は笑った。
 智代は眼鏡をかけている。時々かけるということなのだが二人の前でどうしてかけているかは不明だ。別に書類に目を通しているわけでもなんでもないのだが。
「かばってくれた先生方には一応礼をしておくべきだな。たぶん皆、礼を言われる筋合はないとおっしゃるだろうが」
 ふむ、と朋也は腕組みをした。
「朋也くん」
「おっと」
 食事中にお行儀が悪いと言いたいらしい。ことみの言葉に朋也は笑い、ふたたび食事に戻った。
「しかし、昼食も半分こか。仲のいいことだ」
「いや、それは」
 困ったように顔をしかめる朋也だったが、
「うん、半分こ」
「……」
 あたりまえのようににっこり笑うことみに、逆らえない朋也。
「……」
 そんな朋也たちを優しい、遠くをみるような目で見た智代は、
「おまえたちは本当に微笑ましいな」
「……なんだよ」
「褒めてるんだぞ私は。おまえたちを見るとどうにも応援したくなる。きっとおまえの回りの女子たちも同じ意見だろうな」
 そう言うと智代は立上り、
「もう行くのか」
「邪魔しちゃ悪いからな。昼食どきにすまなかった」
 そう言って微笑むと、
「ああそうそう、進路指導の先生がおまえを探してたぞ朋也。あとで顔を出すがいい」
「わかった」
 そんな会話を残して、智代は去っていった。
「……」
 残された朋也は、ふたりぶんの弁当箱とパンの袋の並ぶテーブルを見てためいきをついた。
 最近は朋也の教室で食べる事も多くなっていたのだが、今日はたまたま藤林姉妹がいなかった。渚は最近病欠しており、たまにはこういうのもいいだろうと食堂にきたわけである。
 弁当の他にパンもあるのは、食堂で弁当を広げるという事を朋也が渋った結果である。ちゃんと食堂も利用していますよ、という意志表示なわけだ。
「……ま、仲がいいのは否定しないが」
「うん」
 端で聞けば砂を吐きそうな事を言う朋也。それに笑顔で頷くことみ。どうやら朋也もずいぶんとことみに汚染されてしまったようだ。
「朋也くん、食べよ」
「おお」
 そうしてふたりは、ささやかなふたりぼっちの昼食会を再開した。
 仲良さそうに食べているふたりを好意的な視線が包んでいた。学校一の天才とふだつきの問題児の迷コンビは既に校内でも知らない者はなく、今さら突っ込む者もいない。関心のない者は無視するし、そうでない者は生暖かく見守る。何よりふたりには男女の湿っぽさより『おんなのことおとこのこ』の子供っぽさが似合う。寄り添うその姿は仲良しの幼児と幼女を思わせ、そしてその子供っぽさこそ周囲の好意的な反応の原動力でもあった。
 やわらかな昼の時間が、まったりと過ぎていった。
 
(おわり)



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