ナデシコは戦艦であるが、立派な食堂がある。
これには様々な理由がある。もちろん正史を知る諸賢の皆さんに説明など不要なんであるが、この「いろいろと変わってしまった世界」においてもナデシコ食堂の成立する理由は同じである。料理長であるホウメイシェフも存在するし、通称ホウメイガールズたる手伝いの少女たちも然り。
違うのはアキトの不在のみ。そしてアキトはもう料理には関わるつもりはなかった。
だがアキトは忘れていた。ここがナデシコであることを。
「アキト」
「ん?」
「ごはん」
「……ひとりで行けるだろ、ラピス」
「いや」
まず、ラピスに盛大にだだをこねられた。
ラピスはもともとアキトにべったりだった。アキトに助けられアキトに名をもらったこの少女は、この世界にきて多少交友関係がひろがったものの、なぜかナデシコに乗り込んでからはアキトと一緒でないと食事はしないとゴネまくった。冷たく当たればいいのだろうが、おなかすいたよと悲しそうにラピスが泣き、一緒にごはんくらいいいじゃないと周囲にも責められてはアキトの立つ瀬がない。
幼女を泣かせるウルトラマン。そんな仇名はイヤ過ぎる。
背後に奥さんと妹(そうだと信じたい)の企みがあるのがわかるだけにちょっと悔しい。だが結局アキトは折れた。おいしそうにごはんつぶをほっぺにつけて食事するラピスは確かに可愛かった。
ごはんつぶをとってやったり、いかにも過保護なパパと愛娘の食事風景を繰り広げ周囲を苦笑させていると、まるで鮫のようにそれを嗅ぎつけ当然のように現れるふたり。これまたよくある光景。
「わ、ふたりとも楽しそう。いいなーユリカも混ぜて混ぜて」
「私も混ぜてください」
「……勝手にしろ」
で、あたりまえのように四人で食事となるわけである。
アキトとユリカが夫婦であることはアキトの正体以上にナデシコでは有名だった。さらにルリがふたりの義妹というべき存在なのだけど、本人は愛人になる気まんまんであることもルリ当人が公言ずみでもあった。普通ならルリの年齢もあってこれは完全に犯罪なのだが、アキトがきちんと節度をもっていたこと、アキトが異星人と認知されていること、そしてユリカも含めて全員が「なかよし家族」な状況を本当に幸せそうに満喫しているものだから、微妙な問題はそっとしといてあげよう、というあたりに皆の意見は落ち着いているのだった。
それはそうだろう。四人を襲った『史実』を思えば、彼らはこんなささやかな日々でも涙が出るほど幸せだったのだから。
閑話休題。
「はい、アキト」
ひょいとユリカに自然にレンゲをつきだされ、思わず乗っている炒飯を食べた。
「……うん」
ひさしぶりのホウメイ作チャーハンをあれこれ内心批評していると、
「ねぇアキト、こっちではお料理しないの?」
ユリカがそんなことを言い出した。
「何を言い出すかと思えば。俺に料理はもうできないさ」
「どうして?」
アキトはコーヒー片手にためいきをついた。
「味覚が戻ったといっても俺の半分はウルトラマンだ。感覚が人間と同じだっていう保証はないしな」
「そう?でも今、ホウメイさんの味を吟味して『さすが』とか微笑み浮かべてなかった?」
「!」
しまったと口を押さえるがもう後のまつりだ。
「無理しないほうがいいよアキト。さっきから厨房の方ちらちら見てるじゃない。気になるんでしょ?」
「いやそれは、忙しそうだなと」
そんなことが気になること自体、コックの血が騒いでる証のようなものだ。だがアキトはその自覚がない。
そんなこんなで言い訳に困っているアキトだったが、
「なんだい、テンカワは料理をするのかい?」
その話をホウメイシェフがききつけてしまったから話はさらに厄介になっていく。
「ホウメイさん、アキトは昔ラーメン屋もしてたんですよ?一流のシェフのところで修行してたんですけど、お金がないからまずは屋台からって」
「へぇ!そいつぁ興味あるねえ」
周囲にいた客も、噂のウルトラマンがコック経験をもつと聞いて興味をもったようだ。急に静かになったかと思いきや皆こちらを見ていた。
「昔の話ですホウメイシェフ。今はとても」
「昔、ね。そういやあんた憑依型だったね。火星育ちだって?」
「はい」
この世界ではウルトラマンは大変メジャーな存在だ。軍にいたことのあるホウメイも、憑依型と擬態型ていどの知識は当然もっていた。
「得意は何だったんだい?」
「中華です」
「チャーハンは作れるかい?」
「……まさかホウメイさん、俺に作れと?」
あははとホウメイは笑った。
「何も昔の腕前を見せろなんて言ってやしないよテンカワ。
あたしゃまだ昼食とってないんだ。ちょうどいい、賄いで悪いけど作ってくれないかい?」
「……」
「ほら行った行った。エプロンの場所はそこだ」
「……ああ」
意外にも素直にアキトは立ち上がった。
二度と着ないはずだったエプロンをつけた。
万感の想いだったが、身につけてしまうと恐ろしいほどしっくりきた。あたりまえだ。夢の中でも身につけたエプロン、それが今は心地よかった。
頭が切り替わると後は早かった。自分でも驚くほどのペースでアキトはチャーハンの材料を次々と仕込みはじめる。
「ミカコちゃん悪い、それとってくれるかな」
「あ、はい」
自己紹介の時に聞いたきりのはずの名前を平然と持ち出し普通に頼みごとをする。逆行者なら当然するべき警戒もすでに忘れている。完全に頭が料理用に切り替わっていた。
中華はスピードの料理でもある。
特にチャーハンはそうだ。工程がシンプルであるがゆえに腕の差があからさまになる。短い調理時間にどれだけの腕がふるえるか、だからこそチャーハンは中華の基本なのである。
「どうだい、あの楽しそうな顔は」
熱心に中華鍋をふるうアキトを見て、満足そうにホウメイはつぶやいた。
「ホウメイさん、アキトが料理するって気づいておられたんですね」
ユリカの問いかけに、そりゃそうさとホウメイは苦笑した。
「ここにくる度に寂しそうにこっち見てたからね、もしやと思ったんだが……やっぱり間違いなかったね。
あの子は骨の随から料理人さ。やれやれ、強引にでももっと早く巻き込んでやりゃよかった」
「できれば今からでもそうしてあげてください。
アキト、ほんとは料理が大好きなのに二の足踏んでるんです。いろいろ悲しいことがあって」
ホウメイは返事をしなかった。ただ、にっこりと悪戯っぽく笑うだけだった。
「はいおまち!」
そうこうしているうちにチャーハンが完成したようだ。すっかりコックの顔になってアキトはそれをホウメイの前に差し出した。
「どれ、いただこうかね」
ホウメイはレンゲを手にとり、ゆっくりと食べ始めた。
「……ふむ」
少し食べてからホウメイは言った。
「ダメだねこりゃ」
「……」
え、という声がユリカたちの口から漏れた。
「……やっぱりですか」
やはり俺はダメなのか、と今さらながらに肩を落としたアキトだったが、
「こら、早合点すんじゃないよ」
「え?」
思わず顔をあげたアキトに、ホウメイはにっこり笑った。
「いい腕だよテンカワ。こりゃあかなり修行しただろ?
だけど、だいぶなまけてたのが味に出てる。こんなことでどうするんだい、せっかく鍛えた腕が泣くじゃないか?え?わたしがあんたの師匠なら大目玉くらわすとこだよ?」
「……」
その師匠にはっきりとダメだしされたアキトは、はぁ、とためいきをついた。
だが、ホウメイの話はそれでは終わらなかった。
「うん、決めた」
「は?」
「テンカワ、あんた厨房入りな」
「……はい?」
ホウメイの言葉の意味がわからず、アキトは首をかしげた。
「ここまでちゃんとしたチャーハンが作れるくせに、その腕錆びさせるなんて冗談じゃない、とてもじゃないが捨ておけないよ。わたしが鍛え直してやるさ。艦長いいね?」
「はい、結構です。オブザーバーのお仕事がない時になりますけど」
「ああいいとも。シフト組み直すからテンカワの日程を教えておくれ」
「あ、こちらどうぞホウメイさん。アキトさんの日程です」
待ち構えていたようにルリが紙を渡す。なんだかずいぶんと準備がいいようだ。
「ちょっと待て、俺はまだやるとは」
アキトはそんな周囲に異を唱えようとしたのだが、
「うんうん、やっぱりアキトはコックさんじゃなくちゃ!」
「またアキトさんのチキンライスが食べられる。楽しみです」
とっくの昔にユリカとルリは乗り気全開だった。
「まてまてまて、ちょっとまてユリカ、ルリちゃん!」
「なに?アキト」
「俺はウルトラマンだぞ?異星人の作る食事なんて薄気味悪いとか思わないのか?」
だがそれに反論したのはユリカやルリではなくホウメイだった。
「あっははは、なにいってんだいテンカワ。異星人のコックなら前例もあるだろうに」
「……え?」
予想もしなかった歴史の差違にアキトは目をむいた。
「わたしだってサイコキノ星人のお嬢ちゃんに料理の手ほどきをしたことくらいあるよ?やればできないことはないさ。
ましてやあんたはウルトラマンだ。知ってるかい?業界じゃ公然の秘密なんだけどね、二百年くらい前の神戸で有名になったシェフがいるんだが、その男実は憑依型のウルトラマン、それも最強と名高いウルトラ兄弟のひとりだったそうだよ?
つまり、やれないことはないってことさ」
「……」
あっけにとられた顔でアキトはホウメイを見た。
「あんたの考えてることを言ってみていいかい?テンカワ?」
「あ、はい」
「あんたはウルトラマン、しかも憑依型ってことは、今のあんたを構成している半分は昔人間だったわけだ。
いつあんたがウルトラマンになったのかは知らない。だけどその間にきっと色々あったんだろう。もしかしたらあんたの両手は血にまみれてる、少なくとも自分ではそう思ってるのかもしれない。違うかい?」
「……」
アキトはゆっくりと頷いた。
「潔癖すぎなんだよテンカワは。
血にまみれた手で料理は作れない、そりゃあ気持ちはわかる。わかるけどねテンカワ、あんた大事なことをひとつ忘れてやしないかい?」
「大事なこと?」
ホウメイは大きく頷いた。
「悲惨な戦場で、温かい料理は何よりも喜ばれる。そうだろ?そしてあんたは、そういう気持ちをよく理解できるはず。違うのかい?」
「……」
にっこりとホウメイは笑い、アキトの肩をぽんぽんと叩いた。
「ま、がんばりな」
「……」
そんなアキトの横でもくもくと食べつづけていたラピスが、
「おかわり。チャーハン」
にぱ、と笑ってアキトに皿を突き出したのだった。ほっぺにごはんつぶをつけて。
その日から、噂のウルトラマンに『コック』の文字が加わった。
最初は物見がてらに食べにくる者もいたが、もともとホウメイ譲りの腕前である。あまりに普通にナデシコの厨房に急速に馴染んでいったため、客足もやがて史実通りに普通の賑わいに戻った。少なくともここナデシコの厨房だけは、まったく昔の史実そのままに戻ったかのようであった。
──ただし。
「あのね艦長、これは正式なメニューでなく賄い食なんだがね」
「え〜だってラピスちゃんは食べてますしぃ」
なぜか賄い食を食べる席にユリカが座っている。
「この子は特別。テンカワの娘だし、券売機の上の方に手も届かないじゃないか。片付けやテーブルふきも時々手伝ってくれるし、まぁうちの準手伝いみたいなもんだからね。
だいたいあんたは艦長だろ?他の者に示しがつかないじゃないか?」
いや、それ以前にユリカに示しなんて求める輩がナデシコにいるわけがないのだが。
だがホウメイにしてみれば、お客さんなら本来きちんと正式なメニューを食べてほしい。あくまでラピスは例外なのだ。
「え〜でもユリカはアキトの奥さんですしぃ」
ラピスちゃんだけずるいっ!とユリカは不満たらたらのようだ。
「ユリカさん、そんなことで不満覚える必要はないかと思いますが。なんたってユリカさんは『一応』アキトさんの奥さんなんですから」
「ルリ坊あんたもだ。なにげにちゃっかり食べてんじゃないよ!」
「はぁ、すみません」
さりげに紛れ込み、ラピスと一緒に食べているルリにホウメイの一喝が飛ぶ。
「まったくもうこの子たちは。やれやれ、じゃ、それ食べたら手伝ってもらうよ?いいね?」
「え、ほんとですか!アキトとお料理!」
「馬鹿いってんじゃないよ!あんたの料理なんて食べさせたら医務室が満タンになっちまうじゃないか!」
「えーそんなことないですよー」
「ユリカさん……いいかげん自覚してください」
「あんたもだルリ坊」
「……」
「ったく、テンカワの女どもはどうしてこうもそろいも揃って料理オンチばっかなのかね?やっぱ男の料理が上手すぎるとダメって事なのかねえ?」
「いやホウメイさん、俺に聞かれても」
くすくすと笑うホウメイガールズ。
今日もナデシコ食堂は、とても平和なのであった。
(おわり)