[目次][戻る][進む]

ラスト・ジャンプ

 死に瀕した時、ひとは何を考えるのだろうか。
 大抵のひとは自分の過去に想いを馳せるという。これには科学的理由もある。死にかけた人体は「自分が死なずにすむ方法」を記憶のデータバンクから物凄い勢いで検索するのだという。そう、いわゆる「過去のできごとを走馬燈のように思い出す」というのがこれにあたるというわけだ。
 では、過去のない者は?
 あるいは、たったひとつの思い出しかない者は?
 
 世界が血のような赤に染めあがっていた。
 時おり起きる振動。温度の異常。無数の警告ウインドウが吹き出している。生命維持装置の停止と退鑑勧告まで出ている状況で、俺は歩いてブリッジに入った。
「アキト!」
 俺の顔を見たラピスが悲鳴をあげた。
 感情的な反応などしたことのない子だった。唯一知っている感情は『恐怖』だけ。他は何も知らないこの子を、俺はずっと戦場に駆り出しつづけたんだ。自分のために。
 だからこそ、その唯一の感情を露わにしたラピスに俺はその一瞬、泣きたくなった。
 ユーチャリスのブリッジも真っ赤だった。そこら中につきまくった警告、炎の熱さと息苦しさ。どうやらどこかで火災まで起きているらしい。
 ──もう助からない。
 俺ももう限界だった。ジャンプの制御などできそうにない。五感がないはずなのに苦痛が全身を襲い、うまくイメージがまとめられなくなっていたからだった。
 くそ、せめてラピスだけでも。
「アキト。もうダメ」
「ああ、そうだな」
 もう逃げても無駄だと俺はためいきをついた。
「すまないラピス。俺は結局、おまえに何もしてやることができなかった」
 俺はラピスに何もやれなかった。人並みの幸福どころか、真っ暗闇を共に歩かせてしまった。
 他のことはいい。ただ、そのことだけが俺の悔いてもつきぬ後悔だった。
 だけどラピスは首をふり、そしてなぜか微笑んだ。
「……アキト。イメージ手伝う」
「無理だ。もうイメージすらまとめられない」
 正直、もう自分でも意識がバラバラになりそうだった。ジャンプなんかできるわけがない。
 だがそんな俺にラピスは、信じられないような提案をしてきた。
「大丈夫、イメージはラピスがする。リンク経由で」
「なに?」
 リンク経由で俺のナノマシンを操作するだって?できるのか?そんなことが?
「ラピスはリンクごしにアキトのイメージを見てきた。大丈夫、やれる」
 正直半信半疑だった。だけどそれしか方法はないようにも思えた。
「わかった。頼めるか」
「うん。そこに座って」
「ああ」
 言われるまま、ラピスのいるオペレータブースの横に座った。
「心を鎮めて。できる限りでいいから」
「ああ」
 言われるままに心を鎮めた。
 
 この時俺は気づけなかった。
 無事にジャンプしたところで俺はもう助からない。ラピスはそれを理解していた。なのに跳ぼうとするラピス。それが何を意味するか、それに俺は気づかなくちゃならなかった。
 なのに俺は気づけなかったんだ。
「安全な場所に跳ぶから」
「ああ」
 ラピスの『安心してアキト、大丈夫』という思考に俺はなぜか子供のように安心して、
 そして、跳んでしまったんだ。

 気づいた時、俺は草原に投げ出されていた。
「……」
 空が青かった。柔かい風が心地よくて、俺は一瞬まどろみそうになって、
「!」
 そして、飛び起きた。
「…………まさか」
 俺のものでない、身体。
「うそだろ」
 可愛い手。しなやかな髪。
「ラピス……まさかおまえ」
 俺と全然違う、かわいらしい声。
「……ラピス!」
 あわてて立ち上がろうとした。だが、
「あ!」
 転倒してしまった。
 身体がまるで『歩き方』を忘れているようだ。調子がおかしいとかそういうわけではないのだけど、今までと全然勝手が違う。
 そう──まるで、唐突に別の身体に押し込まれたかのように。
「ラピス──おまえ、なんてこと……なんてことを!」
 
 死んでいく俺を助けるために、自分の身体を使ったのかおまえは。
 
 ──ありえない。
 は、はは、まさか、まさかな。そんなことできるわけがない、ないよな、な、な?
 は、
 はは、
 ははははは!
 
「ラピス、どこだ?」
 きょろきょろと周囲を伺った。誰もいない。
「さてはエリナだな、かくれんぼなんてラピスに教え込んだのは。まったくしょうがないな」
 ラピスを探さなくちゃ。
 こんな草原になんかあいつ来たことないはずだ。離れた場所にボソンアウトして、今ごろ途方にくれてるぞ。
「まってろラピス、今いくからな」
 よたよたと歩いた。
 小さな手足は思うように動かない。ただ向こうに見える丘の上にいきたいだけなのに。
「ラピスどこだ!」
 ふらふらと足がもつれる。くそ、なんでこんなひ弱なんだ。どうなっちまってるんだいったい。
 はやくラピスをみつけなくちゃ、みつけて月のドックに戻らなくちゃ、早く、早──
「あっ!」
 べしゃ、と前のめりにすっころんでしまった。
 よろよろと起き上がり、再び歩きだす。悪態をつきながら土手を登った。
 登りきったそこは道路だった。草原の中を貫いた一本の道。
 その道路を横切り、向こうに見える丘を目指そうとしたところで、
「──ラピスラズリ?ラピスラズリじゃないですか!?」
 ルリちゃんの声が聞こえたんだ。



感想メールフォーム


PLZ 選んでください(未選択だとエラー)







-+-
inserted by FC2 system