道路にはいつのまにか黒い車が止まっていた。
そしてルリちゃんが俺の目の前にいて、俺の顔を覗き込んでいた。
「ルリさん、このお嬢さんはお知合いで──!?」
俺の顔を見たプロスペクターが、なぜか顔色を変えた。
「ルリさん、まさかですがこの方は」
「私の妹のようなものです。まさかここで会えるとは思いませんでしたが。
遺伝子データの登録はないはずです。プロスさん彼女を保護させてください、連れていきますから。かまいませんか?」
「え、ええいいですとも。──しかしなぜこんなところに?」
「わかりません。もしかしたら逃げてきたのかも」
「逃げて、ですか?……なるほどそうですな」
いったいなんの話をしてるんだ?ルリちゃんもプロスペクターも?
いかん、それどころじゃない。さっさとラピスを探さなくちゃ。
「ってどこ行くんですかっ!」
歩きだそうとしたところをルリちゃんに捕まえられた。
よたよたしている俺は、ルリちゃんの力にすら全然逆らえなかった。あっさり抱き止められ、ルリちゃんの腕の中でじたばたともがく。
「ルリちゃん放して。ラピスを探さなくちゃ」
「はぁ?なに言ってるんですか?ラピスラズリはあなたじゃないですか──!」
なぜかルリちゃんまで途中で顔色を変えた。ぎょっとした顔で俺の顔をみる。
「──まさか」
わけがわからない。どうしてルリちゃんは青くなってるんだ?
「ルリちゃん放して、ラピスを探さなくちゃいけないんだ。
ジャンプの途中ではぐれちまったんだ。あいつは、顔見知りの人間がいないと情緒不安定に陥るんだよ」
「うそ……そんな」
なんだかわからないけど、ルリちゃんは呆然としている。
いや、ルリちゃんよりもラピスだ!一刻を争うんだ!
「いいから放してルリちゃん、はやく、はやくラピスを探さなくちゃ!だから」
「もういい!もういいですから!」
ルリちゃんは俺をギュッと抱きしめてきた。
「よくない、頼むよルリちゃん行かせてくれ。ラピスが泣いてるから」
「しっかりしてください!お願いですから!
すみませんプロスさん手伝ってください!この子錯乱してるみたいです!」
「ええいいですよ」
なんだよ。なんでプロスペクターまで邪魔するんだ。
「放せ、行かせてくれ!こんなところで油売ってる場合じゃ」
「すみませんねぇ、失礼しますよ」
「!」
プロスペクターの顔が見えた途端、全身に衝撃が走った。
当て身をされたのだと気づいた時、俺の意識はもうほとんど落ちていた。
次に目覚めた時、俺は知らない部屋にいた。
ナデシコの中、それもルリちゃんの部屋であろうことはすぐにわかった。天井に懐かしい魚の飾りがかかっていたし、ベッドの横でルリちゃんがウトウトしていたからだ。
ナデシコでルリちゃんの部屋に入ったことなんてなかったと思う。だけど、あの飾りはアパートまで持ってきてたからとてもよく覚えてるんだ。
「……」
俺は、自分のかわりはてた両手を見た。
小さな手だ。華奢で弱い女の子の手。ラピスの手だ。
「おはようございます──アキトさん」
ふと気づくと、ルリちゃんが俺を見ていた。
「ルリちゃん……もしかして追いかけてきた?」
はい、とルリちゃんは答えた。
どうやって跳んだんだろう。ルリちゃんは自力ではジャンプできないはずだ。
「──てっきりふたりで跳んだものかと思ってました」
「──そのつもりだった」
そう言ったところで涙があふれた。
「俺は死にかけてて、自力でイメージすらもうできない状態だった。助からないはずだったんだ」
「……そうですか」
ルリちゃんはそれ以上聞こうとしなかった。そして自分も言おうとしなかった。
「アキトさん」
そっと、俺の手を握るルリちゃん。無表情で、そして何も言わない。
「……あのね」
「?」
ルリちゃんが何かを言おうとした瞬間、艦内にけたたましい警報が鳴りだした。
「!」
「!」
俺は起き上がった。シーツがはだけ、ルリちゃんのらしいパジャマを着た自分の身体が見えた。
だが、考えている暇などない。
ここが『あのナデシコ』ならこれは蜥蜴の襲来だ。間違いない!
「俺が出る」
「ばかなこと言わないでください!」
ルリちゃんは顔色を変えて俺を抑え付けようとした。
「いくらアキトさんでも無理です!自分の身体を考えてください!その身体でエステバリスに乗れると思ってるんですか!?」
「子供でも動かせるさ。必要なのはシートの調整だけだ」
セイヤさんがよくそんなこと言ってたが、あれは嘘じゃない。IFSさえあれば本当に子供でも動かせるんだ。
「ガイは骨折したんだろ?」
俺たちの歴史どおりなら可能性はある。ルリちゃんは否定しなかった。
「──この時間のアキトさんがいますよ。あなたの出る幕じゃないです」
悲しそうに首をふるルリちゃん。だが俺はそれを聞けない。
「あの時俺が助かったのは運だ。もう一度なんてあるわけがない」
「それが史実です。確かにそれは偶然かもしれませんが、同じ状況、同じ流れで歴史が進むならば同じことになるはずで」
「同じじゃないだろ?」
え、とルリちゃんは眉をよせた。
「あの時、警報がなった時ルリちゃんはここにいたのか?ブリッジじゃないのか?」
「!」
「『ラピスラズリ』がここにいることでどれだけの事象が変わった?誰が俺をここに運んだ?そのために誰の予定が狂い、誰の配置が史実と違ったんだ?
いやそれ以前に、『史実』と違うルリちゃんを見たプロスペクターの反応はどうだった?
──ルリちゃん。本当に今は『史実通り』なのか?」
「……!」
ルリちゃんは立ち上がった。自分が何をするべきか理解したんだろう。
「アキトさん、すみませんが格納庫へ行ってください。私はブリッジへいきます」
「わかってる。あと名前なんだが」
「わかってます、通信中はラピスで通します」
自分でも不思議なほどに胸が痛まない。頭が戦闘中に切り替わったせいか。
「これに着替えていってください。運動着ですがパジャマよりは耐久性があるでしょう」
すでに用意してあったのか、ユニセックスなデザインのデニム上下を渡される。女の子女の子してないのは中身である俺を考慮してくれたんだろうな。
「着替え、手伝いましょうか?女の子の着替えなんて経験ないでしょう?」
「問題ない」
「──いやに断言しますね。ちょっとそこらへん気になります。後で詳しく聞かけてくださいね」
「却下」
「させません。歳下のくせに偉そうですよ?」
「はぁ?」
ルリちゃんはわざとなのか、妙に軽口を叩いてみせた。
そしてくるりと踵をかえすと、
「じゃあ、先に行きます。あわてないで、でもなるべく急いで!」
一瞬、ぽかーんとして部屋を出ていくルリちゃんを見たあと、
「──確かに歳下、かな」
ラピスのものだった自分の身体を見て、ふうっとためいきをついた。