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幸せ

 戦いは終わった。
 戦闘は短い時間で終わった。すでにナデシコは動き出していて、俺がいくらも戦わないうちに囮の時間は終わったためだ。こっちのアキトが十分に引きつけていたバッタたちは俺のライフルによって決定的に一ヶ所に吸い寄せられ、それを背後からナデシコが一網打尽にした。
 形はどうあれ、勝利を飾ったわけだ。
 『アキト』の撃墜にユリカが潰れなかったのは大したもんだ。なんだかんだであいつは優秀だからな。撃墜といっても火星のあの時とは違うし、爆発の様子から生存の可能性も考えていたのかもしれないけど、それでも心配で胸が潰れそうだったろう。なのにあいつは立派に指揮してのけたらしい。
 テンカワアキトは生きていた。トラウマの上乗せになり深刻な状態らしいが、それでも初陣で、しかもあの状態で生き延びたんだ。訓練を受けた兵士ですすら、初陣でさっさと死ぬことは別に珍しくもないというのに。
 いくつかの問題はあるが、歴史としては滞りなく進むのかもしれない。
 俺は帰還と同時に倒れてしまった。エステバリスの機動のGに耐えられなかったせいだ。セイヤさんたちに引き摺り出され、担がれ下に降りた俺は、駆けつけたルリちゃんに派手な音とともに引っ叩かれた。
 そして、ぎゅう、と抱き締められたあげくに大泣きされちまった。
 んでもって「もう二度とエステバリスには乗せません!」って断言までされてしまった。
 
「なぁルリちゃん」
「ルリです。で、その言葉遣いも禁止です」
「……いやそのまさか……マジで俺に女言葉をつかえと?」
「まさかもへちまもなく大マジでその通りです。自分の顔見て発言してくださいね」
 いや、この身体はラピスのものであって俺じゃないし。
「経緯はどうあれ今のラピスは貴女です。元のラピスに申し訳ないと思うならなおさら、その姿で女の子らしからぬことはしないでください。いいですね!」
「ルリちゃん、語尾が『はてな』になってないってば」
「ルリです!
 そもそもですね、寝ぼけて男トイレに入るなんて馬鹿ですか貴女は!」
「……そんなこといわれても」
 くすくすと笑う周囲の女性陣に、俺は顔が紅潮するのを隠せない。
 ブリッジで俺は、ルリちゃんにくどくどとお説教されていた。
 気がつくと、俺はオペレータ手伝いということでブリッジクルーに組み込まれていた。エステ搭乗は厳禁となり、格納庫の出入りすらルリちゃん、またはユリカの立ち合いなしでは禁止とされている。そしてルリちゃんに山のような練習課題をおしつけられ、今日もせっせとオペレーション訓練に忙しい。
「それにしても、ラピラピってば本当に男の子みたいねえ。姿は物凄く可愛いのに」
「すごいギャップですよね。男の子ばっかのとこで育ったのかな?」
 ミナトさん、そのラピラピってなんすか。メグミちゃんも適当な推測すんな。
「ルリさん、ラピスさんの状態はどうですか?そろそろオペレータ補助はできそうですか?」
「そうですね、もうそろそろ任せてもいいかもしれません。
 ですが体力的に問題がありますから、当分は私といっしょということで」
「おぉ、そうですか。まぁもともと彼女はイレギュラーですからそちらの問題はありませんね。とにかく予備のオペレータが確保できたのはありがたいことで」
 一人前ではないからルリちゃんより給料も安い。プロスペクターのニコニコ笑いはそういうことだ。
「プロスペクター。セイヤさんがシミュレータの改良するから俺も手伝…」
「ダメです」
 横からきっぱりとルリちゃんにダメだしされた。
「エステバリスに近付くのは禁止、シミュレータも禁止です。また倒れたらどうするんですか」
「いやでもアキトを鍛えないと」
「ヤマダさんもいるしリョーコさんたちにもお願いしてます!ラピスの出番はありません!だいたい、いつまで最初の戦いをひきずってるんですか貴女は。そんなことは自分の仕事ができてからになさい!」
「そんなぁ……」
「あと『俺』は禁止と言いましたよね?罰です、今夜のごはんはラピスが作りなさい!」
「……どうせルリは作れないくせに」
「何かいいましたか?」
「いえ、なにも」
 くすくすと周囲から声が聞こえる。いつものようにお姉さん風をふかせるルリちゃんが周囲には可愛く見えるらしく、やたらクールだった『史実』よりルリちゃんの受けは数段いいようだ。
 たはは、これじゃどっちが年上なんだか。いや、外見はルリちゃんの方が上なんだけどね。
 俺がオペレータ補助として同席なのが余程嬉しいのか、ルリちゃんは俺を片時も手放そうとしない。なんだかなぁ。
「ホシノくん」
「あ、はい。なんですかアオイさん」
 頭の上からジュンの声が聞こえる。
「ユリカとテンカワがあがったらしいよ。家族風呂タイムはこれで終了、お風呂も通常シフトに戻るから先に入っといでよ」
「はい、わかりました」
 ルリちゃんはジュンの言葉に頷いた。
 
 この世界でもっとも仰天したこと。それはユリカと『アキト』の関係だった。
 ふたりは最初の戦いから急速に恋仲になった。『史実』でかかった時間を思うとそれは驚異的といっていい早さだった。契約の件をプロスペクターが持ち出すとユリカがふたつ返事で「問題ありません。私たち婚約しましたから」と平然と言い切り、家族であることを盾に契約条項を回避してみせたのだった。
 原因はつまり、あの最初の戦いで『アキト』が撃墜されたことにある。
 ユリカは人が変わったように、プライベートの時間すべてを注ぎ込んでアキトのために尽くした。そりゃあもうもの悲しいほどの熱心さで、激しいトラウマで部屋に閉じこもるアキトを激励、女としての自分まで使ってものの見事にアキトを立ち直らせてしまったんだ。
 アキトもすごかった。立ち直ったアキトはまさに『ユリカの王子様』の顔をしていた。史実の情けない俺よりはるかにいい。まだ若いがゆえの荒削りさはどうしようもないが、両立はできないとコックの仕事を一時棚上げするとまずはパイロットに専念することに決定したそうだ。
 もちろん、余暇にはホウメイさんに習いにいったり忙しい時には厨房を手伝ったりもするらしいが。戦うコックでなく料理するパイロット。足場が変わったわけだ。
 戦後には改めてホウメイさんに弟子入りを決めているらしい。
 おかげさまで周囲の評価も史実とは全然違う。アキトを助けるかいがいしさと普段の天真爛漫さ、そして的確な指示。ややもすると空気になりがちなジュンも頼りにし、自分の手が回らない平時はきちんと事情を含めてジュンに仕事を任せて。
 結果として、史実よりもはるかにユリカの評価は高い。ジュンもそうで、副官として立派に艦内で認知、ふたりの若き指導者コンビはナデシコの看板ともなっている。
 いやはやなんとも。
「なにを感心しているんですか?ラピス?」
「何が幸いするかわからないなぁって」
「……ふふ、そうですね」
 ルリちゃんは俺の言いたいことがわかるんだろう。クスッと笑った。
「昔話はいいです。そろそろお風呂いきますかラピス」
「!」
 うげ、という声はもちろん俺のもの。
「お……わ、わたしは後でいい。ルリ先にいって」
「何どもってるんですかラピス?さ、いきますよ」
「遠慮する、ひとりでいい……ってルリ、ひっぱらないでって!」
 無理矢理ルリに護送されそうになり、俺はあわてて椅子にしがみつく。
 冗談じゃない!ルリちゃんとお風呂なんて恥ずかしいことできるか!
「いいかげんあきらめてください。恥ずかしい恥ずかしいって、どうして女同士でそこまで逃げ回るんですか貴女は。ユリカさんとは入ったくせに!」
「あれは単に時間を間違えただけで!ユリカが風邪ひくよ、そのまま一緒しよって言ったから!」
「テンカワさんも一緒だったんでしょう?それでも大丈夫だったんでしょう?
 だったら私とでも問題ないですよね?さ、きなさい!」
 どういう理屈だよ!
 それにアレは昔の俺だろ?昔の俺にどうして恥かしがる必要があるんだよ!
 ……まぁ、ちょっとキモい状況だったけどな。
「それとこれとは話が〜」
「違いません!」
 ぷ、くすくすと周囲が笑いに包まれる。
「あら艦長とも一緒したの?じゃあ私もいい?」
 み、みみミナトさん!?
「わたしもいいかな?お風呂したいな♪」
 メグミちゃんまで!?
「折角ですけどやめた方がいいですよ、ミナトさんメグミさん。
 実はこの子、女の人が大好きなんですから」
「え?そ、そうなの?」
「こら!誤解を招くこと言わない!」
 俺はとっさに反論した。だけどルリちゃんは「ふん」と笑う。
「否定できるんですか?
 下心まんまんの自分を悟られるのが恥ずかしい、だから一緒しないんでしょう?私には隠したってわかるんですよラピス?
 ミナトさんのおっぱいに溺れたいとかメグミさんの太股にすりすりしたいとか、そういうことを考えてるでしょう?違いますか?」
「……それは」
 何か言い返さなくちゃ、と思うんだけど否定できなかった。
 ミナトさんは苦笑いしている。メグミちゃんは「うわ」って顔で思いっきり引いてる。
 ルリちゃんは「それみたことか」と畳み掛けてくる。
「別にダメとは言いませんよ、そういう趣味もありだと私は思います。
 だけどそれは私だけにしときなさい。よそ様に手を出したりしたら人間関係壊れちゃいますからね。
 さ、いきますよラピス」
「だからそれはー……ってだから引っ張らないでルリちゃ」
「ルリです!ほら行きますよ!」
「あーぅー……とほほ……」
 俺はルリちゃんにずるずると引き摺られていく。
 そんな情けない俺に「いってらっしゃーい」とミナトさんたちはにこにこ手をふっていた。
 
 こんなことでいいんだろうか、と思う。
 ラピスの犠牲で時を越えた。この身体は本来ラピスのもので、俺はそのことをいつも悲しく思っている。後悔しても今さらどうしようもないけど、だけど後悔もしている。
「そんなこと言っても仕方ありませんよ」
 魚模様のタオルで頭を巻き、湯舟の中でそうルリちゃんは言う。
「今さら本人に返そうにも返しようがありませんからね。できることをできる範囲ですればいいと思いますよ。それが一番恩返しになるんじゃないでしょうか。
 この世界のラピスラズリについては既に手を打ってます。プロスさんたちは私がラピスを知ってたことを思いのほか深刻に受け止めたみたいなんです。どこかから秘匿試験体についての情報が漏れてるに違いないって。すでにこちらのラピスラズリとハーリー君は保護されたらしいですよ。
 まさかラピスのことを逆行者だなんて思うわけがありませんし、この流れは個人的にもありがたいです。みなさんの力の底上げも進んでますし、こちらのテンカワさんもラピスとはひと味違う方向に進んでますね。本当にいい感じです」
「白鳥九十九はどうするの?火星の後継者は?」
「できるだけのことはしてみます。でも無理はしません。ダメなら諦めて逃げましょう。
 個人ベースでできることは惜しみません。ですが、どうしようもないのなら仕方ない。私たちは神さまじゃない。ちょっと参考になるアンチョコを持っているだけの人間です。しかも既に状況は変わってて、そのアンチョコがどこまで役立つか、すらももうわからないんですよ?
 やれるだけやって後は運を天にまかせる、それしかないでしょう。
 これはユリカさんたちでも同様です。私にとって『家族』はラピスであって、こちらのユリカさんやテンカワさんは違います。いい人たちですし大好きですから、全力は尽くしますけど」
「……強いね、ほんと」
 女は強い。
 ラピスに救われただけの「にせものの女の子」の俺は本当にそう思う。ユリカといいルリちゃんといい、本当に女ってたくましい。
「……強くなんかないよ」
「うん?どうしたの?ルリちゃ」
「ルリです!」
「いや、それはいいんだけど……今何か言おうとしなかった?」
「ただのひとりごとです。私はラピスが言うほど強くないですよ、と言おうとしたんです」
「またそんなこと言う。……ルリちゃんは強いよほんとに」
「だーかーらー、ルリです!ちゃんづけは禁止!」
「うわっぷ!」
 どばぁ、とお湯をかけられ、俺は一瞬咳こんだ。
「やったなぁ!」
「うふふ」
「この!」
「む、やりましたねラピス!じゃあこうです!」
 俺とルリちゃんはそのまましばらく、後でやってきたミナトさんに「こら!」と頭をコツンとされるまで水あそびに興じてしまったのだった。
 
 そう。俺はもうひとつ重大なことに気づいてなかった。
 ルリちゃんは強すぎて、賢すぎた。俺はラピスの身体という致命的な問題で頭がいっぱいだったし、そんなこんなでルリちゃん自身の『今』を後になるまで知ることができなかったんだ。
 それを知った時、俺は途方もなく落ち込むことになるんだが……それはまた別の話だろう。
「……ふふ、アキトはそれでいいんだよ。何も知らなくていい。知っちゃダメ」
「ん?何か言ったか?ルリちゃん?」
「いえいえなんでも。
 それより『ちゃんづけ』回数オーバーですね。罰ゲームといきましょうか」
「ちょ、それだけは!」
「だーめ」
 けらけらと楽しそうに笑うルリちゃんは、まるで昔のユリカみたいだった。
 
(おわり)



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