少しだけ着替えに手間取った。
あの頃、ラピスの着替えはよく手伝っていた。ラピスは女の子としての日常すらもまったく知らない子だったし、俺は常にラピスと共にいたからだ。エリナあたりは「今はいいけど年頃になったら困るわよ?それとも光源氏のまね事でもするつもりなの?」なんてよく呆れてたんだが。
ヒカルゲンジって誰だ?と聞いたら笑われたっけ。勉強なんてろくにしてなかったからなぁ。
着心地は悪くなかった。何世紀も変わらないらしいクラシックなデニムの上下だが、もともとデニムの服は作業着として作られたものだ。ルリちゃんの言う通り、パジャマよりは多少ましである。
ラピスサイズのパイロットスーツとなると、残念だけど標準のスーツでは合わせようがない。続けて乗るならセイヤさんの出番だな。
ナデシコの廊下を俺は走った。草原より時間がたったせいか、走ること自体は問題なくなっていた。
格納庫に駆け込むと、モニターを見て作業していたセイヤさんが「おや?」という顔で俺を見た。
「なんだお嬢ちゃん、もういいのか?」
ルリちゃんたちに連れ込まれた俺を見ていたんだろう。ホッとしたような微妙な表情で俺を見ている。
セイヤさんを無視して、俺は周囲を見回した。
「ハンガーのエステバリスが足りない。もう出たのか?」
懐かしいピンクのエステバリスがない。すでに出撃したのか。
「放送聞いたろ?あいつは囮のために出撃中だ」
それは知ってる。そしてそれはまずい。
「俺も出る。こんななりだが素人じゃない、戦える」
こんな子供の姿で信じてもらえるわけがない。だから両手のIFSタトゥーを見せて強調する。
「ってそりゃオペレータ用じゃねえか!本当にエステバリスに乗れるのか?」
「乗れる。戦闘経験もある」
正直いうと不安はある。だがここでそれを言うわけにはいかないから、断言する。
「いや、しかしそれはだなぁ」
セイヤさんが困ったように眉をしかめたその瞬間だった。
『ラピス、そこにいますか』
ぴ、とセイヤさんのらしいウインドウが開いた。
「ルリルリ、ちょうどいい。今おまえの妹がきてるぞ、エステに乗せろって」
『乗せてあげてください。彼女は戦えます。
身体がついてこないので無茶はたぶんできませんが、素人よりは全然マシなはずです』
「──わかった、あれに乗れ。予備のやつだが」
セイヤさんの顔はどこか悲しそうだった。「こんな子供にまで戦わせるなんて」と自己嫌悪になっているようにも見えた。
だが、構ってはいられない。
「ありがとう」
それだけ言い、俺はエステバリスに向かった。
予備に止められていたエステバリスによじのぼる。筋力がないうえにタッパが全然違うので正直ちょっと苦労したが、乗り込むと起動するまでもなく既にシステムが稼働していた。ルリちゃんの仕業か。
座りなおしてベルトをしめる。IFSターミナルに手を置く。
「いける。ルリちゃん」
ウインドウが開いた。
『即興ですが簡単なシミュレーションをしてみました。
全力戦闘はくれぐれも避けてください。あなたの技量はよく知っていますが、それも身体がもてばの話です。自滅してしまっては誰も守れないことを忘れないで。
──ラピス、気をつけて』
「わかった。ラピスラズリ、出る」
エステバリスが動き出した。
降りていたエレベータに乗り込む。よくバッタが侵入しなかったもんだと呆れつつも上にあがっていく。
ユリカや他のクルーからの通信はない。俺に関心などないのか、あるいはルリちゃんが止めているんだろう。
がくん、と揺れた。上についたんだ。
『史実』と違い、周囲にバッタはいなかった。見るとピンクのエステバリスが遠くを逃げ回っていて、無数のバッタがそれを追いかけて飛び回っている。
なるほど史実通りだ。見事に囮役はできて────え?
その光は、とてもささやかなものだった。
エステバリスは電気駆動であってエンジンを持たない。だから起きるのは電装系のショート、そしてケミカル類の引火、あるいは搭載している火器類の爆発ということになる。
弾丸すらもないエステは、目立った爆発もせずに落ちた。
「!」
俺は、粉々になっていく自分の過去をただ、呆然として見ていた。
「────は」
自然と笑いがこみあげた。
「は、は、はは……ははははは」
気づけばライフルを空を向け、これみよがしに一発ぶっぱなしていた。
バッタの大群の注意が一斉に俺に向いた。ライフルを構えなおし、その中の一機に向けて発射した。
メインカメラに直撃を食らい、そいつは派手に一回転しつつ爆発した。
『ラピス!無茶しちゃダメです!ラピス!』
何か声が聞こえるが無視する。俺はわざと棒立ちになり、わらわらと迫ってくるバッタたちを馬鹿みたいにゲラゲラ笑いながら見ている。
自分がおかしいのがわかる。だけど止まらない。
ミサイルが発射された。俺を粉々にせんとすっとんでくる。
ライフルを捨て、ナイフをかまえた。
「はははははは!」
ミサイルの群れとすれ違うように、俺は一気に加速した。