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まえがき

 伊藤誠と桂言葉。
 このふたりが恋人となるまでには様々な紆余曲折があった。
 なにより、ふたりともあまりに子供過ぎた。誠は誠で性に目覚めたばかりの下半身全開の多感すぎる男の子だったし、悪くいえば節操のないエロガキ状態だった。対する言葉は箱入り育ちで対人関係に問題を抱え、それゆえに同性という同性に嫌われいじめの対象でもあった。また誠はいわば恩人である西園寺世界にも惹かれており、一時はそちらに大きく傾いてもいた。言葉は本人こそ泣いて嫌がり認めようとしなかったものの、事実上いちど振られてしまってもいた。
 そうして一時は壊れかけたふたりの関係だが、ある日を境にまさに急転直下的に今の状態に収まったといえる。つまり言葉は世界とその友人たちの煽動による凄惨ないじめの中にさらされており、その事実に聞き及んだ誠が世界とその友人たちを完全に見限り、絶交を言い渡したうえで言葉の味方に回った、というのが大筋のシナリオだった。
 この点についていえば、これはもう甘露寺をはじめとする女たちが完全に悪かった。確かに言葉は女子に嫌われるようなタイプの性格の持ち主だったかもしれないが、どう考えても彼らの行動は多数対一の虐待そのものであり弁解の余地はない。いじめられる方が悪い、という論理があるのはわかるが、どう考えてもそれは行き過ぎ以外の何者でもなかった。
 それを自分たちも薄々自覚していたのだろう。誠に真っ正面から「やめろ」と一喝された四組の少女たちは、実にあっさりと手を引いた。
 彼女たちにしてみれば『キモいフェロモン女の薄汚い横恋慕を潰す』つもりで行動していたのだから、その当事者が恋人宣言したうえ「やめろ」と言った以上それを続ける理由はなかった。
 また、そんな誠に対する印象は思いのほかよかったようだ。誠はいじめを非難したものの、実行犯であるはずの彼ら自身は非難しなかった。運動部のつきあいなんだろうと代表である加藤乙女に言い、『おまえが本意でそんなことするはずがないよな。巻き込まれたんだろ』というニュアンスの発言できっちり『皆の前で』フォローし友人としての信頼も示したうえで、改めて引いてくれるよう穏やかに頼んだからだ。これは結果として加藤たちグループの顔を潰さないよう配慮したのと同じことであったし、実際、当事者の女の子の中ですら「悪いことしちゃったなぁ」と後悔の目で誠を見ている者がいたほどだった。
 誠は気づかなかったが、この四組女子への無意識のフォローが後々に結構効いてくることにもなった。
 
 その日から、誠と言葉の生活は激変することになった。
 
 言葉いじめ自体は急速に鎮静化したが、だからといって仲良くなれたわけでもないのは当然だ。言葉はあいかわらず周囲から浮いていた。もっともいじめがなくなった事で言葉の生活はとても楽になった。
 四組のヒラエルキーが、大きく揺らぎはじめていた。
 言葉はもともとお嬢様であり、誰かに理由もなく悪意に走るような事もない。仕事も公平だしきちんとしている。皆は言葉とのつきあい方が定まらず当初、腫れ物に触れるように言葉に接したわけだがこれもいい方向に働いた。気づけば言葉は本来の意味での『クラス委員』として、折り目正しくきちんとまとめあげる存在へと変化していっていた。
 そうなると周囲の目も変わる。親しい友人こそできなかったが、失敗すると影で嘲笑うのでなく、やんわりと注意してくれるような者も現れた。そうした経験を糧にして、言葉はゆっくりと成長していった。
 少女から女へ──。肉体的な意味でなく精神的な意味で、言葉は本当に魅力的な女性にゆっくりと変化をはじめていた。
 
 誠も変わった。
 世界との関係以外ではなんとなく平穏に過ごしていた彼だが、三組において世界や甘露寺のグループを真っ正面から非難してのけたことで既に『平穏』とは縁の遠い男になってしまった。さすがの誠もこれには参った。言葉同様その扱いは微妙で、はっきりいって浮いてしまっていた。
 以前の誠なら困り果てたであろう。言葉のことを「遠くから見ているだけで満足」なんて言っていたことからもわかるように、もともと誠は平凡にのんびり生きられればそれでいい、というタイプの男の子だった。
 だが誠は自身でも気づかぬうち、それに急速に対応してしまっていた。
 それは、誠が言葉を選んだ理由からも伺える。悪いいい方をすればただのエロガキであった誠だったが最終的に言葉を選んだ理由はそういうことではなかった。それは家族愛に近いニュアンスを多分に含んだものであり、桂言葉という異性への憧れとそれはないまぜになり、誠の行動と性質をその本来の方向に引っ張ることになった。
 そう。誠は他でもない『護るべき者』として言葉を選んだのだから。
 それは伊藤誠という人間を本当の意味で『動かす』キーワードだった。離婚という形での家族の離散と、小さな可愛い妹の存在がその背景にはある。弱い立場にある身内を護るというのは彼にとってはあたりまえのことであったし、恋人ではなくなったといっても言葉は憧れていた女の子。色恋ぬきでも友達であれたら嬉しい、そう思っていた誠は、改めて言葉と友達でいようと話したことで言葉の立場を身内のようなものと認識していた。
 そして、最悪のタイミングで露呈した『いじめ』の現状。言葉の立場と状況は誠の心の琴線を実に的確に刺激してしまった。あこがれであり性愛の対象でもあった少女はその瞬間に誠の中で『護るべき大切なもの』に昇華してしまった。
 ──彼女を護るんだ、他の何を差し置いても──。
 ふらふらと頼りなかった少年の深奥に、強い意志の炎が灯った。
 何があろうと俺は全力で言葉を護る──それは下半身全開のお子様だった誠が『男』へと急速に成長をはじめた瞬間だった。
 
 ふたりが本当に恋人としての時を刻みはじめるのに、そう時間はかからなかった。
 いじめや妨害などはまだ一部で続いていた。だがもう言葉は孤立無援ではなかったし、そうした逆境はふたりの関係や誠の心境をますます強化していく材料にしかならなかった。それは未曽有の天災にあたって孤立した家族が結び付きを強めるのにも似ていた。本来ならきっと相性が悪かったろう誠と言葉のカップルは、いじめ、孤立といった本来マイナス要素にあふれた土壌でゆっくりと育っていった。努力の結果得た小さな信頼という水にも育まれ、絡み合った一対の夫婦松のようにしっかりと、そして強固に結び付いていった。
 本人たちに自覚はなかったが、それはもう学園生同士の甘酸っぱい恋愛というくくりを完全に越えた関係になってしまっていた。
 
 そして、一年が過ぎた。



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