メットのシールドに、冷たい雨がへばりついていた。
真っ暗な空に、今にも
夕暮れ時に着込んだ合羽も最早その用をなしていない。防水というのは水を防ぐから防水というのだけど、ならばこれはもう合羽とも防水とも言えないだろう。長年使い込んだそれはもはや疲れ切っていて、あちこちの隙間から入る水が下着にまで到達していた。まぁそれでも防寒機能が残っているからいいものの、それさえなかったら大変な事になっていたに違いない。
冷たい風が、雨と共にびゅうびゅうと過ぎていく。
手足はとうに感覚がなかった。濡れたあげくに冷えきったせいで、スロットルに添えていた手も今は操作感が全くない。しかしこういう経験は初めてではなかったから慌てる事はなかった。
それでも「これでは事故って当然」という危機感覚だけはある。そしてその感覚がおそらく無意識に単車の速度を落としていた。握ったかどうかもわからない両手、踏ん張ったかどうかもわからない両足を機械的に操作し、きちんとマニュアル通りに走らせていた。まぁバイク乗りというのは基本そういうものなのだが、もちろん危険なものは当然あぶない。
単車乗りとは、危機的状況になればなるほど神経が太くなる傾向がある。
たとえば、何もない山間で事故ったり突然立ち往生した場合。誰も看取る者なく簡単に果てても不思議ではないと知らぬわけはないのに、「あー壊れたらだるいなぁ、町までどうやって帰ろうか」という、あくまで単車中心な不安を申しわけ程度に抱かせ、胃を痛めるに留まるのだ。
しかもそれが逃避でなく、なかば本気でそう思っているから恐ろしい。まぁ、その程度の事であたふたしてたら単車なんて乗っていられないのかもしれないが。
だが、俺は何も考えていなかった。というより、全く別の事で頭の中がいっぱいだった。
「……」
空は相変わらず真っ暗だ。深夜のうえに雨が降っているのだから当然だ。
ライトに照らされた僅かな範囲だけ、絶え間なく降り注ぐ冷たい雨が線を作り、俺の視界は次々とぶち当たる雨粒に
身体の前面には、走る事により相対的速度のついた雨粒が、かなりの物理的威力をもってバチバチバチバチ、とさっきから当たり続けている。
まぁ仕方ない。
時速80kmで雨の中を走るとはそういう事だ。もしノーヘルだったら、顔に当たる雨粒の激痛で悲鳴をあげなくてはならないだろう。
バイパスの向こうの信号が、珍しく赤に変わる。俺はスロットルを戻すと、エンジンブレーキを使ってゆっくりと減速をはじめた。