[目次][戻る][進む]

冬の夜

「すみませんでした、こんな時間に」
「いいさ。小鳥さんと少し前まで話し込んでたからね。彼女もさっき寮まで送ったが」
「ちょ、まさか飲んでるの?」
「まさか。涼くんの事でああでもないこうでもないって話してただけだよ」
「そう」
 765プロの影の主役とも言われる万能プロデューサ。その迎えの車の中に律子はいた。
 そもそも律子は迎えなど頼んではいない。涼のことで相談していた時に送り迎えしてやるから連絡をと一方的に言われたのだが、今にして思えばこの事態を予想していたのだろうと律子は思った。
 あの涼のそばには、とてもいられなかった。
 今ですら心が騒いでいる。戻ってひと眠りして、それで明日の仕事ができるだろうか?
「それで、どうだった?」
「もう決めてたわ。ああなったらもう絶対に揺るがない。昔から涼はそういう子だったから」
「そうか。やはりな」
 ふむ、と男は一瞬だけ律子の方をみると前に向き直った。
「ほとぼりが覚めるまで当分は雲隠れか?」
「……ほとぼりが覚める、なんて事があるのかしらね?」
 芸能界の時間は確かに早い。確かに表層から忘れられるのは早いだろう。
 だが涼は昨日今日出てきたアイドルではない。それに知名度があまりにも高くなりすぎた。
 加えて涼本人が『女性アイドル・秋月涼』の偶像を傷つけるまいとしている。愛してくれたファンたちのためだ。彼らに応え、夢を見させる事だけに没頭してきたのだからむしろ当然と言えるが、それゆえに涼の性格からして徹底した対応をとりかねない。
 つまり『秋月涼』なる人物が二度と世間の目に触れる事がないように、だ。
 おそらく、涼はここで去ったら最後、裏舞台などですら芸能関係には一切関わらないだろう。姿形を変え職種を変え言葉遣いも趣味も立ち振る舞いすらも変えて。徹底的に過去の自分を抹殺にかかるのではないか?
 ただただ『秋月涼』のイメージを永遠に壊さないために。
「……」
 いったい、どこでボタンを掛け違えてしまったのか。
 いかに女性的であろうと男の子であり女装癖もない普通の少年に「女の子になる」事を強制する。律子もそうだがあの頃、涼を取り巻いた面々は皆同じ選択をした。つまり彼に「女性アイドル」としての才能を見出し彼を引きずり込んだわけだ。
 だが冷静に考えればわかったはずだ。
 性別詐称は将来において必ず問題になる。そして、押しも押されぬトップアイドルになってしまえばもうカミングアウトなんて876プロの社長が言うまでもなく不可能だ。やろうとしても本人以外の誰もそんな事望むまい。古い言い方をすればドル箱である大切なアイドルを潰そうなんて誰も思わないはずだ。そこにいるだけで視聴率や富を動かしてしまう、アイドルとはそういう人種の事なのだから。
 だが破局は必ずやってくる。そしてそれはおそらく、隠しつづけた時間と人気にそのまま比例した大惨事になるだろう。これ自体はもう避けようもないわけだが、涼は慎重にこの日に備えていたのだろう。いつの日か今までの生活が維持できない目が見えてきた時、自分とファンたちの間に作り出した偶像を破壊する事なく綺麗に消え去るために。
 どうしてあの時、男性アイドルとして迎えてやらなかったのだろう?涼はあれほど熱望していたのに?
 性別を偽ってデビューさせてしまえば当然、いつかはカミングアウトするか消えるかの二択がやってくる。そんな危険な変化球を打たなくとも立派にやっていける才能が涼にはあったはず。確かにあの時点では「男性なのに女の子アイドル」なんて秘密兵器じみた可能性に胸を踊らせたものだが、先のことを思えばそれはまずいとすぐにわかったはずだ。そして、少し時間をかけても有効な手は打てたはずなのだ。
「……」
 876プロに涼をとられた時、律子は自分の迂闊さと未熟さを内心呪ったものだ。
 それは二重の意味で間違っていた。だがもう何もかも手遅れだ。
 律子はアイドルからプロデューサへの転向を志望していた。そしてその話はもうすぐ現実になろうともしていたのだが。
 そんな自分が、無二の才能……男なのに女性としてトップアイドルになってしまうほどの才能をもつ、可愛い従兄弟をみすみす潰してしまった。
(……)
 たとえプロデューサとしてどれだけ成功しようとも、この重すぎる失点は永遠について回るのだろうなと律子は思った。もちろん、だからといって夢をあきらめるわけではないし、むしろ涼のような失敗を二度と犯さないよう全力を尽くすつもりではあるが。
 小さくためいきをついた。
 車の中は空虚なぬくもり。
 車窓からは全く見えないが、おそらく外はさっき見たとおりに満点の星空。
 気象庁はじまって以来という猛烈な寒波が、東京を襲っていた。
 
(おわり)



感想メールフォーム


PLZ 選んでください(未選択だとエラー)







-+-
inserted by FC2 system