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引退

 秋月涼の突然の引退劇は、不気味なほど静かに報道された。
 性別詐称が漏洩して大騒ぎになるよりはまだ、今までの資産を残して静かに消えてくれたほうがありがたい。そういう芸能界や放送業界の思惑も重なっての事だった。何より涼自身に成人が近づいていた事もあり、いくらなんでもこのまま永遠に女性で通せるとはさすがに誰も思わなかった、という事もある。幕引きはどこかで必要で、本人が望むならもうそろそろいいだろう、そう誰かが判断したのだと思われた。
 センセーショナルに男、男とかきたてるマスコミが皆無だったのはもちろん根回しの結果だったが、もうひとつ理由があった。
 スキャンダルはもちろん彼らの好餌なのだがどうしてそれに食いつかないのかと言えば、それはもうあまりにも涼の積み上げた資産が莫大すぎたからでもあった。誰もが知るトップアイドルが実は男、という涼の秘密は確かにメガトン級のとんでもないスキャンダルではあったのだが、その涼が女性アイドルとして積み上げてきた資産はそのさらにさらに桁違いのものだった。それが全てご破算になってしまう恐れがあるスキャンダルなど、誰も許そうとはしなかったのである。
 国民的アイドルのコンテンツ資産なんてものは、もはやいち芸能事務所だけのものではない。涼の資産価値をこれからゆっくりと消費し利益をむさぼりたい彼らは、ありとあらゆる方法でそれを守ろうとした。実際それは非情なまでに徹底されていて、すっぱ抜きを試みた出版社とその記者の姿を最近見ないという薄気味悪い噂も流れていた。
「普通の暮らしを探してみるよ。今度こそ、どこから見ても普通に男に見えるよう頑張ってみる」
 そんな事実をも飲み込んだ涼はそう言って笑ったきり、きれいさっぱりと姿を消したのだった。
 
 そして、長い月日が過ぎた。



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