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妖精王

「日系人アイドル?ドイツで?」
「ああ。ネットに情報があがってるらしい」
 そんな会話が765プロでなされていた。
 あの日から既に10年以上。当時のアイドルや業界人たちの多くは姿を消すか、歌にダンスにあるいはプロデュースにと、おのれの専門分野に特化する事で今もこの狭い業界に元気に生きていた。
 秋月律子もそのひとりだ。現在はプロデューサとして、そして765プロの役員としても活動を続けている。彼女の世代は色々な分野に生き延びた傑物が実に多いのだが、敏腕プロデューサという意味では彼女もまさにそのひとりだった。
 さて。そんな律子の前には中年男性。別に彼女のパートナーというわけでなく彼もまたプロデューサー。もっとも彼らの場合は忙しすぎて結婚してないというだけで別途相手はいるのかもしれない。年頃の女子の多いプロダクションゆえにそういう話は決して匂わせないよう徹底していて、彼らの私生活を知る者は少ない。せいぜい、直接担当している・した事のあるアイドルが知るのみである。
「日系人の間で有名っていう事?まさか一般むけじゃないわよね?」
「それがそのまさかなんだよ。ドイツじゃすでに結構な人気らしい」
 日本人だって東洋人には違いない。その点を差し置いてなおの人気だというのか。
「ふーん。で、名前は?」
 律子は男の見る目を疑ってはいない。彼がとりあげるほどだから少々の存在ではないのだろうと考えた。
 だが、
「わからないんだ。ユニット名だけが公表されている」
「へぇ。素顔なんて隠しても狭い社会じゃすぐばれるでしょうに」
 ドイツにある日本人・日系人社会がどれだけの規模なのか律子は知らない。だがそう無茶な規模ではないだろう。芸能人なんて職種ならば当然すぐわかるのではないだろうか?
「写真はあるの?」
「写真も動画もある。あるけど変装っていうか仮装してるね。ライブでは顔を出す事もあるらしいけど主役の女の子以外は写真とか一切厳禁らしい。どうやら親子らしいんだけど、ご両親は黒子に徹するつもりなんだと」
「親子?」
「ああ。本来は娘ひとりで出したいらしい。でもまだ若すぎるし、両親共に歌も踊りもできるんで、一人前になるまでという条件でユニットになったらしい。独立するまでは学校の方を優先だとさ」
「なるほどね」
 それなりに調べてもいるようだ。それにしても家族出演か。
(……家族?)
 ふと、ひっかかるものを覚えた律子はデスクから顔をあげた。
「それ、今見られる?音声は?」
「ここに表示してる。ちょっときてみろ律子」
 男の作業卓に回りこみモニターを覗き込んだ律子だったが、
「これ……!?」
 眼前にみえた光景に固まった。
 
 動画サイトの映像だった。
 可憐な少女がのびのびと歌い踊っていた。少し日本語の発音にたどたどしいところがあるのは、おそらく現地生まれなのだろう。いかにも欧州っぽい雰囲気のあるスタジオと現地のものと思われるお菓子か何かのCMが下に流れている、そんな画面の中で愛らしさをふりまいている。背景セットとの組み合わせは、まるで妖精の王女。
 だが律子たちの目と耳はごまかされない。
「この子……只者じゃないわね。歌も踊りもしっかり鍛えられてるけど、それだけじゃない」
「ああ。で、このふたりが両親だと」
 バックダンサーの中に、仮面をつけ露出も少ないというのに異様に目立つふたりがいる。妖精王と王妃のイメージか。楽しげな少女の声にあわせてゆったりと動いているだけなのに華やかで、なおかつ少女を引き立てている。おそらく容姿もカメラワークも、ライティングすらも綿密に計算されているに違いない。
「君はどう思う?その後ろのふたり」
「私の勘違いでなければ涼ね。女性の方は……たぶん」
 桜井夢子。かつて律子の従姉弟と最も仲良しだった女性アイドル。
 そして、その事を知っている男も頷いた。
「そうか。やはりな」
「やはり?」
「ユニット名だよ。ドイツ語はよくわからないが、知人に和訳してもらったら『月夜の夢』と読めるそうだ。公表されてる意味はちがうけどね」
「……そう」
 桜井夢子と秋月涼。ふたりが逃避行の果てに見た『月夜の夢』か。
少し露骨すぎるきらいもあるが、名は体を表すものだ。涼だけならそんな意味深な名前は許さないだろうが、たとえば娘当人の発案だったりしたらいくら涼でも断りきれないだろう。
 映像はひとつだけではない。
「このURL私のPCにちょうだい。こっちで他のも見てみるわ」
「わかった」
 律子は改めて厳しいプロデューサとしての顔になると、その映像に目をやった。
「これってやっぱり、イメージは」
「うん。妖精王のイメージだろうね」
「涼が妖精王、ねえ。いろんな意味で洒落になってないキャスティングね。これ」
「セッティングした人間はたぶん知ってるな、彼らの事情」
「そうですね。嫌味なのかジョークなのかわかりませんけど」
 妖精は根本的に悪戯好きで、それは妖精王も変わらないという昔話を律子は聞いた事があった。だが妖精王は夫婦喧嘩で気候すら変わる途方もない力をもっており、たかが悪戯でもしばしば大惨事になると。
 舞台で踊るのはもちろん『真夏の夜の夢』ではない。
 だが確かに律子の言う通り、妖精王が涼で王妃が夢子というのは、事情のわかる人間にとってはとんでもないブラック・ジョークとしか思えなかった。



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