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仲間

 律子の見ているモニターの後ろには、いつのまにかプロデューサの他にショートヘアの女性、そして紳士然とした男性もひとり立っていた。
「これは涼君の声だね。うん、その後も鍛錬は欠かしていないようだ」
「武田さんは涼のことご存知だったんですか?その」
 武田と呼ばれたその紳士は、うむと小さく頷いた。
「男性だという事かい?まぁすぐにね。彼は驚いていたが……しかし僕でなくとも見抜いた者たちはいたようだね。ただ誰も言わなかった、それだけさ」
「そうなんですか?でもなぜ」
「さて、それはまぁそれぞれ思うところがあったんだろう。あいにく僕の知るところではないが」
 実際のところ、この武田なる男性の他、765所属タレントの我那覇響(がなは ひびき)なども涼をひとめで見抜いていた。最終的には業界の重鎮たちの多くの耳にも当然入っていた。わかったうえで皆、色々な物事を飲み込み沈黙した。
 しかしそれこそ今さらの話ではあったのだが。
「水谷さん、そちらの方では何か出ていますか?」
「はい。先日になりますが、秋月涼ファンクラブにも通報があったようです。涼さんと夢子さんじゃないかと。ただ彼らは涼さんの意思を確認してから行動するつもりのようです」
「ファンクラブ?涼のファンクラブが未だに活動しているの?」
 驚いて振り返った問いかけに、水谷と呼ばれた女性は小さく頷いた。
「はい、正式には活動終了となっています。でも有志の手で活動継続しています。876プロとの接点は持たないようですが、私ともネット経由で交流を持っています」
「そう。でもそれって大丈夫なの?涼の秘密については」
「彼らは知ってますね。涼さんと同じクラスだった方から情報入手しているようです」
「……まずいんじゃない?」
 律子は眉をしかめた。
 今もって熱心なファンである事はありがたい事だ。だが今の涼にとってはどうだろう?自分の人生をかけてまで隠そうとした事が無になってしまうのではないか?
 しかし律子の心配は杞憂だったようだ。
「問題ありません。彼らがその情報を知ったのは涼さんが居なくなる前なんです」
「いなくなる前!?」
「はい。現在残っているメンバーは涼さんの意志を尊重し、あの頃からずっと沈黙を保っているんです。今さら破る人もいないでしょう」
「そ」
 律子はためいきをついた。
 本人が引退し、完全に姿を消してから十年以上が経過している。だというのに。
 なんという結束の固さ!
「あら」
 そんな時、水谷のポケットの携帯が鳴り始めた。失礼しますといって水谷はそれに出た。
 だがその場を動かない。ならば用件はプライベートではないのだろうと律子は判断した。
「はい水谷です。愛ちゃん今どこ?あ、そっか。うん、うん。そう……会長さんそこにいるの?うんお願い。
 水谷です。ええ、わかりました。こちらは今、秋月律子さんと詰めているところ?はい、こちらのゴーサイン待ち?ええわかりました、はい、よろしく」
 最後ににっこりと笑い、
「そのファンクラブからの連絡です。ドイツまでメンバーが飛んで直接接触したそうです。涼さんと夢子さんに間違いないと。現地でご結婚されているそうですが」
「接触って、それ本当?……とんでもない行動力ね」
 日本とドイツの距離を思えば驚くほかない。しかも今あちらは厳冬期だというのに。
 十年も前に消えたアイドルのためにそこまでやるのか。さぞかし涼たちも驚いたろう。
 しかしまぁ、どのみちドイツからはるばる日本まで伝わってしまったのだ。娘をデビューさせてしまった時点でバレるのは時間の問題だったろうし、当人たちも覆面とはいえ姿をさらしている。そのへんは覚悟済みに違いない。
「どうする律子。ひとつ間違えるとあの大騒ぎの蒸し返しになるが」
「そうね」
 小さくためいきをついて律子は言った。
「たぶん涼自身はおもてに出るつもりなかったんでしょうね。涼をわざわざ追いかけていった夢子さんも。なのに、それが今になって出てきたのは」
「この子だな」
「だろうね」
 モニターに映る少女を指差す男。
「隠れ続ける意味と、自分たちの娘の才能。色々と計算にいれたうえで、あえて娘にかけたって事か」
 自分たちの人生そのものを放り出しても守ろうとしたもの。それを全部ご破算にしてでも。
 夫婦そろって手伝っているのもそのためだろう。おそらく娘が自立すれば完全に裏方に回り、支え続けるつもりに違いない。
 ふん、と律子はモニターを見てつぶやいた。
「プロデューサ。彼らの契約について調べる事はできますか?」
「できなくもないが……まさか」
「他社が変なスッパ抜きして騒ぎになる前に、日本におけるすべての権限を押さえてしまいましょう。水谷さん、876プロの方はなんて?」
「あのぅ律子さん。私も今はこちらの所属なんですが……」
 ちょっと苦笑いを浮かべる水谷。
「こちらで把握している範囲で言えば、この情報をつかめば社長自ら動くのは間違いないと思います。仕方ない部分もあったとはいえ、迂闊な売り出し手法が原因でトップアイドルの才能をみすみす潰す羽目になった、あの時の失敗はもう繰り返さない。そんなところだと思います」
「そう。では競争ね」
「そうですね。ですがもし必要なら手を結ぶ事も考えましょう」
「ええ」
「はい」
 876プロに765プロ。あの頃、秋月涼と最もかかわりの深かったふたつのプロダクション。
 ただ、涼を本人の言うままに諦めて投げ出した876プロ社長を律子は信用していない。確かに最初の頃、女性アイドルとしてとりあげようとした愚は自分も犯したわけだが、だからといって、男性としての再起動を手伝うという約束を結果的に反古にしてしまっているではないか。涼は約束を守り、男の身で女性のトップアイドルにまで到達したというのに!
 それは確かに876プロのせいではない。トップアイドルになった涼は既に男性としてやり直す気をなくしていたようだから、なんのアクションもしなかった石川社長に責はない。
 だが、自慢の可愛い従弟の人生を一度潰された従姉としては、結果として何もせず涼が姿を消すに任せた彼女を信用できない。偏見もあろうし、残されたふたりのアイドルの事もあり無理もない選択だったのかもしれないが、だからといって当人の親族としては納得できるものではない。
「見てなさい涼……今度こそ間違えない。皆の夢のために姿を消したあんたみたいな犠牲、二度と払わせやしないから」
 ぼそっとつぶやく律子。その目はモニターに向いており、おそらくその言葉は誰に向けられたものでもない。
 だが。
「勿論。今度こそ涼さんを……私たちの涼さんをどこにもやらない」
「!」
 つぶやかれた言葉に再び振り返る律子。
「水谷さん」
 ああ。そういえばこの水谷女史はその「残されたふたり」の片割れだったか。あまりの有能プロデューサぶりに最近ではすっかり忘れていたが。
「同じプロダクションにいたのに、私も愛ちゃんも何もできなかった。今度こそ」
「あなたや日高さんは知らなかったんじゃないの?涼が男の子だった事」
「まさか」
 小さく水谷は首をふった。
「確かに最初はわからなかったけど、後で気づきました。気づいたけど何もできなかったが正しいです」
「そ」
 それもそうか。
 いくら気づいたとて十代の小娘に、業界全部を敵にまわしかねないような事態をどうこうできるわけがない。
「愛ちゃんは確かに気づいてなかったですけど、でも気づいた後、物凄く泣いたんですよ?あの優しい涼さんがそんな選択をするなんて、どんなにつらかったろうって」
「……」
 律子は水谷の言葉をかみしめ、ああなるほどと理解した。
 自分の性別を隠し、身近な友人たちをも騙しつづけた生活。皆に夢を見せるアイドルという仕事を続けつつ、ボロボロになっていく自分の壊れた夢を見つめ続ける歪み。そして、日に日に迫る「もう隠し通せないタイムリミット」。
 最終的に選んだのは確かに本人。まわりが罪悪感を覚える必要はないだろう。
 だが、おそらく水谷はすべてを知っているのだ。涼の夢がどう破れ、どう諦めたのか。偽り続ける性別の限界がやってきて、とうとう隠し切れなくなった経緯まで。
「ごめん」
「え?」
「もしかして水谷さん、涼の力になってくれてたんだ。私が言う事じゃないかもだけど、ごめんなさい、今はじめて知った。本当にごめんなさい」
「あ、いえ」
 頭をさげる律子に水谷は少し慌て、
「直接は何もしてないです。だいたい私は何も知らないふりで通してましたから。尾崎さん……最初のマネージャーですけど、彼女がいなくなった事とか色々あって私には私の問題もありましたし」
 そう、ごまかすように言って、まるで現役時代に戻ったかのように可憐に微笑んだ。
「秋月さん。今度こそ私たちで涼さんを捕まえましょう。二度とあんな悲しいことさせないように」
「ええ。そうね」
 決意を秘めた水谷の目に、律子も大きく頷いた。
 もはやあの遠い日ではない。かりに「あの涼は本当は男性だった」とニュースになったところで、あの頃に想定されたような大騒動など起こり得るわけがない。八方手を尽くせばどうにでもなるはず。
「さて、僕は失礼するよ」
「武田さんは手伝ってくださらないのですか?」
 ふと律子が言葉を投げるが、
「その必要はないだろう。僕の仕事があるとすればそれは彼が復帰してからの事。違うかな?」
「……そうですね、でも」
「彼は戻ってくる。実際そうなりつつあるじゃないか。そうだろう?」
「はい……はい!確かに」
 武田と呼ばれた紳士は大きく頷くと、「では」と小さく微笑んで去っていった。
「……」
「……」
「……」
 残された律子、水谷、プロデューサの三名は無言のまま頷きあった。
「それじゃあ、『秋月涼復活プロジェクト』今から開始です。いいですね?」
「異議なし」
「はい、了解しました?」
 三人のそれぞれの声が、765プロの事務所に大きくこだました。
「……」
 ブースから離れたところで事務員が、聞かぬふりをしつつ無言でくすくす笑っているのだけが、ちょっとマヌケではあった。
 
(おわり)



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