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遍歴

 とんとん、と障子を叩く音がする。
 衛宮士郎の部屋は和室だった。それは少女と化してからも全く変わらない。凛は女らしくせよと言ったしセイバーも不用心さを随分と指摘したのだが、せめて生活くらいは同じにさせてとごねたからでもあった。
 まぁそれ以前にもともと、かつての巫女も女の子らしい丁度品は好まなかった。神殿に生まれ、そこから出ないで育ったような人物であり、あまり女の子らしい生活はしてなかったという事もあるのだろう。凛の奨めたいくつかの服以外は何も着ようとしなかった事からもそれは頷ける。
 さて、とんとんというのはノックの音だ。障子だからコンコンという音にはならない。
「はい」
「わたしよ。入っていい?」
「ダメ」
「こら、イリヤ」
「わたしがダメと言うんだからダメ。セイバーならまぁいいけどリンは不許可」
 主人より前に入室拒否する、その傍若無人さに苦笑する凛。
(猛烈に懐いてるわねえ。ま、当然ったら当然か)
 凛はクスクスと笑うと、障子を開けて中に入った。

「わ、なにこれ」
 中に入った凛の第一声がそれだった。
 湯上がりなのだろう。少女はイリヤとふたり、おそろいの浴衣を着ていた。外見によらず衛宮邸の暖房は意外にしっかりしており、一部の部屋を除きこの程度の徘徊は冬でも可能である。
 それにしても浴衣。おそろい。いつのまに作ったんだろうと凛はいぶかるがデザインをちょっと見て納得した。
 それは男の子っぽいデザインだった。ようは昔の士郎のものなのだろう。衛宮の家は藤村組の管理下にある事がわかっているし、藤村家の直系である藤村大河が我が家のように出入りしている事からもそれは頷ける。
 ようするに、そういう服はふんだんにあるわけだ。藤村大河はあまり着飾るひとではないが、弟分のような士郎の服には色々と手をかけていたと思われる。洋服箪笥を先日見たが、同じようなデザインの、しかしサイズや細部の異なる服が多量にあったのもきっとそのせい。いろいろ服を変えたがらない飾り気のない愚弟のために、せめてもとそうした結果に違いない。
 実の姉妹がいながら共に育つことのできなかった凛には、悲しいほどに懐かしく、またうらやましい光景だった。
 いや、それよりも凛が注目したのは別のことだ。
 少女は室内なのに杖を出していた。杖の周囲には無数の魔術文字がぐるぐると動きまわり、並んで座っている少女とイリヤの前には、何か半透明の情報パネルのようなものまで浮かんでいる。
「あー、勝手に入ってくるし。今いいとこなんだから邪魔しないでリン」
「いや、邪魔しないでって……なにこれ?」
 見たこともない異国の魔術文字の乱舞に、凛はそんなことを言っていた。
「これ?杖に掘り込んでる術式を一部書き換えてるの。これってアンチョコみたいなものでね、刻んどくと詠唱の節を飛ばせたり便利ってわけなんだけど──」
 短縮ダイヤルみたいなものよ。そう言って少女は苦笑した。
「へぇ。面白いわねそれ」
 道理で杖本体にもいろいろ刻まれているわけだ。あれも全部飾りじゃないのだろう。
「で、イリヤスフィールは何してるわけ?」
「決まってるじゃない知的好奇心よ。文化が違うとここまで術体系が違うのかって思うわ正直。すごくおもしろい」
「はぁ。ようするに野次馬ね」
 じゃ、わたしもとイリヤの隣に座る凛。露骨にいやがるイリヤ。
「なによ。トオサカの魔術師なんかがどうして私の隣に座るのよ」
 む、ときた凛が反論しようとしたが、
「イリヤ、嫌ならこっちにおいで。遠坂もいちいち怒らない」
 あっさりと少女が収めてしまった。
「……しっかし物凄い量ね。いったいどういう魔術が収められてるわけ?」
 部屋中を飛び交う異界の魔術文字の羅列は、まさに胸やけのしそうな量だった。
「これでもほんの一部なんだけどね。……あ、これ()らない」
 呪文の一部を少女が捕まえた。それは、するりと少女の手の中に消える。「よし、ここに書いちゃおうっと」
 同じ場所につらつらと指を走らせる。すると魔術文字が浮き上がり、他の文字と同じようにくるくると踊り始めた。
「……紙に書いたりとかはしないわけ?」
「神聖文字を紙に書くのはなぁ……刻むならともかく」
「へぇ、そんなものなの?」
「うん、そう」
 それも文化の違いというものか、と凛は納得することにした。地球では刻みタイプの神聖文字はルーン魔術等、一部にしか残っていない。
「ねえねえあれなに?シロウ」
 対するイリヤは好奇心むきだしに何でも尋ねまくっている。少女はそんなイリヤにひとつひとつ答えていた。
「あれは……んー、訳すと『多次元屈折鏡』。物理波動を伴う破壊光線を反射する専用呪法ね。ここじゃ用途ないんだけど短い呪文だし、ま、お守りみたいなものかな」
「……スペ◯ウム光線でもはじくの?」
「イリヤ。いいかげんヒーローネタやめなさい」
「うるさいなぁ。シロウちっちゃいくせに細かい。さっきだってヘンタイカメ…」
「ストップ。意味説明したでしょ。レディーがそんな名前言わない」
「むう。……ま、いいわ。シロウだから許したげる」
「そういう問題じゃないんだけどなぁ……」
(多次元屈折、ねえ)
 語感がなんとなくひっかかる。遠坂の大師父を彷彿とさせる。
 ていうか、多次元屈折する鏡という時点で既に第二の領域ではないのかそれは。
 いったいなんなのあんた、と言いかけて凛は気づいた。
 
 そう。
 『彼女』はこの杖一本でただひとり、宇宙戦争をやらかした怪物なのだ。
 今は魔力もなにもなく当然そんな大それた事はできないが、そのための技術まで失われたわけではない。
 
 そして彼女は魔法使いではない。たとえいかなる魔法が使えたとしても。
 彼女はただ杖を駆動しているだけでその原理まではたぶん知らない。悪い言い方をすればそれは、訓練された猿が宇宙船を動かしているのと大差ない。あくまで彼女は巫女であり、奇跡を起こすのは神器の仕事。それ以上のものではない。
 それは、凛たち魔術師が本来もっとも嫌悪するありさま。
 魔法に届くというのはそういう事ではない。
 たとえば凛がかの宝石剣(ゼルレッチ)をマスターし行使したならこうはいかない。凛は自力でその原理を理解し、いつかはそれを自分のものにしてしまうだろう。いや、してみせる。
 届くというのはそういうことなのだ。
 ふと、凛は聞いてみる。
「ねえ衛宮くん、聞いていい?」
「なに?遠坂」
 確かに反応は衛宮士郎だ。口調も何もかも違ってはいるが凛にもそれはわかった。もしかしたら思考のほとんども士郎寄りなのではないか。
 外観や魔術が完全に元の士郎と乖離(かいり)しているのとは正反対に。
 これがつまり『融合』という事なのか。
「今の衛宮くんの魔術って、結局どういう性格のものなの?わたしは放出、それと吸収が主だと見てるんだけど」
「んー、それは難しいなぁ」
 むむ、と少女は悩んだ。
「うん、それは正解。『巫女』の私が使える魔術は本来それだけだね」
「『巫女の私』?」
 語感に妙なものを感じ、凛は聞き返した。
「うん、そう。
 両方の記憶があるわけだけど、どっちもどっちじゃ混乱しちゃうでしょ。一応そこは分けてるわけ」
「なるほど」
 それはそうだ。ふたりの人間の融合ということは、価値観や世界観すらふたつ混在している事になる。
「じゃあ基準はどっちなの?どっちがベースになってるの今の衛宮くんは?」
「衛宮士郎の方」
 きっぱりと少女は答えた。
「こんな姿だから混乱するかもしれないけど、私は今も衛宮士郎だよ。ただ、混ざったものがあまりにも異質だったからこんなになっちゃっただけ」
「……そっか」
 あらかじめ用意された答えかもしれないが、嘘があるようには感じなかった。
 凛は自分の直観を信じる事にした。
「じゃあ、衛宮くん自身の魔術は使えるの?もともと持ってたものは」
「あぁ使えるよ。以前より起動も楽になったし。精度は落ちたけどね」
「精度?」
「えっとね。たとえば」
 と、そこまで少女が言ったその瞬間だった。
「シロウ、これなに?」
「え?……!」
 少女は、しまったという顔をしてその映像とデータを消した。
 だがもう遅い。
「悪い衛宮くん、わたしも見たわ」
「……遠坂」
 凛は腕組みをした。完全に魔術師の顔になって。
「今の、セイバーの剣……『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』ね」
「……あー」
 困ったように額に指をあてる少女。
「なに?どうして杖にセイバーの剣のデータがあるの?」
「いやその……イリヤ。秘密ってのは」
「ダメ」
「わたしも知りたい。教えて」
「……あー」
 イリヤと凛のふたりに詰め寄られ、頭を抱える少女。
「いやその……研究のつもりだったんだけど」
「研究?」
 不思議そうに首をかしげるイリヤ。だが凛は、
「──それって、あれを投影するつもりって事?」
「!!」
 そのものズバリを言い当てた。
「え、遠坂」
 なんでそれを、と言いかけた少女を遮り話を続ける。
「実はね、うちのアーチャーが同じタイプの投影を使うのよ。あんたのあの土蔵、工房なんでしょ?悪いけど見せてもらってね、ピンときたわけ」
 嘘を混ぜて話す。
 アーチャーの正体は衛宮士郎のなれのはて。それはたぶんもうセイバーにはばれている。そしてアーチャーの話だと、いずれはイリヤスフィールも気づくこと。
 だけど、目の前の少女にはまだ知って欲しくなかった。
 だから凛はそれを隠した。
「投影?ずいぶん珍しい特性ねシロウ」
「イリヤスフィール。たぶんあなたの想像してる投影、こいつの使う投影とは全然別のものよ。
 で、衛宮くん」
 にっこり笑い。
「……」
 だが、少女はその笑顔を見て「げ」という顔に変わった。
「あら、どうしたの衛宮くん?」
「あ、いやその」
 そのにっこり笑いが怖いです、とは言えない。薮をつついて大蛇(おろち)でも出られたら泣くに泣けないから。
「それでね」
 さらににっこり笑い。壁際に追い詰められる少女。見ようによってはちとあぶない光景だが実際は違うわけでその証拠に少女は完全に怯えているわけで、
 
「──んな危ない真似すんな、このどあほーーーーーー!!!」
 
「……耳痛い」
「うるさいっての!
 そんなもん投影しようとしてるって事は自分の投影がどういうもんなのかわかってるんでしょ、ええ?」
「は、はひ」
 はい、になってない。完全に気合い負けしていた。
「はいじゃないわよ!!
 失敗すればまだいいわ、万が一投影に成功でもしたらどうなるかわかってんのあんた?
 最悪、一発廃人だっての!」
 騒ぎ過ぎたと思ったのか、そこでコホンと凛は咳をした。
「いい?魔術ってのはね、無理しようとすればいくらでも無理できるもんなの!代償を厭わなきゃね。
 その意味でいけばあんたは確かにあれを投影できるでしょうよ。次の瞬間に脳味噌ぶっこわれて即死するかもしれないけど!」
「……」
 何か想像したらしい。少女の顔がみるみる青くなった。
 そんな少女を見た凛は、ふっとそこで視線を和らげた。
「ま、心配しなさんなって。あんたはその杖の魔術と、セイバーへの魔力の供給のことだけ考えてなさい。それだけでいいわ。
 なんたって、今の士郎はイリヤスフィールより華奢で弱いんだから。そのぶん魔術の方が優れてるっていっても冬木(ここ)じゃそれだけでは無理。あんたの星じゃ無敵だったかもしれないけど、ここじゃそうはいかないんだからね」
「……ちょっと待て」
 なおも話を続けようとする凛だったが、少女が途中からそれを遮った。
「どういうことだ遠坂。どうしておまえがそのこと知ってる?」
「ほんとほんと。なんでリンが知ってるのかわたしも興味あるわ」
「あら、イリヤスフィールも知ってるんだ。いったい誰に聞いたわけ?」
 凛の言葉に、イリヤはふふんと笑う。
「わたしはリンみたいなせこい知りかたはしてないわ。当然自分で調べたわよ」
「……調べたぁ!?それって士郎の身体調べて知ったってこと?」
「もちろん」
 得意気に笑うイリヤを、凛は呆れ全開の顔で見ていた。
「ま、まあいいわ。
 わたしはアーチャーに聞いたの。あいつがどういう伝手で知ったのかは知らないけど。で、士郎」
 凛は少女の高さにまで屈みこみ、視線をあわせた。まるで子供に向かうような優しい笑みを浮かべる。
「あんたの仕事は後方支援よ士郎。
 幸いなことにセイバーは最強だわ。なんたってあのアーサー王よ。彼女に前面を守ってもらって、あんたは後ろや側面から支援魔術を使えばいい。一度やったみたいにね。ま、それで」
 そして、きりりと目線を引き締め、
「投影は禁止」
「えっと……どうしても?」
「どうしても」
「……」
 不満そうに、しかし凛の顔をまっすぐ見られない少女。
「リスクの高いことをわざわざ自分からする必要なんてない。そんなあぶない橋わたる暇があったら、少しでも今ある魔術を研きなさい。その方がよっぽど確かだわ」
「……わかった」
 その言葉を確認すると、凛は立ち上がった。
「イリヤスフィール、いきましょ」
「え?なんでわたしもなの?わたしここにいる」
「ばっかねえ。今からセイバー呼んでくるのよ魔力供給のためにね。それともふたりのレズシーンみたい?そんな趣味あるの?」
「……しかたないわね。わかった」
 そうして、ふたりとも出ていった。

「『投影開始(トレース・オン)』」
 少女がその言葉をつぶやいたのは、ふたりが出て少したった時だった。
 くっと顔をしかめる。少しあぶら汗。ふうふうと苦しそうに息をする。
「『投影完了(トレース・オフ)』」
 右手には、凛が上着の裏に挿してあった小さな剣が現れた。
 ペーパーナイフくらいのものだがちゃんと魔力を秘めている。武器というより日用品、あるいはシンボルのようなものなのだろう。さっき、屈み込んだ時に見えたものだ。
 どうして凛がそんなものを持っていたのかはわからない。だがそれに気づいた時、少女は迷わずそれの解析を試みていたわけだ。
 だが、それをちらりと見てその骨子の甘さにためいきをついた。
「くそ……やっぱりまだ届かないか……」
 悔しげに呻いた。
「見て投影するのはこれが限界なのか。ましてや宝具なんて……月に行けって方がよほどマシじゃないか!」
 血を吐くような嘆きが洩れた。
 だから杖に覚えさせた。巫女としての吸収魔術を応用、杖を操ってエクスカリバーの情報を吸い上げてみた。
 そちらの方は、後でもう一度試すつもりだった。
「……仕方ないだろ遠坂。
 感じるんだよ。衛宮士郎としての投影ができなくちゃ……勝てないって」
 理由などない。
 できなかったら、私たちは負けてしまうと少女はつぶやいた。
 
 それは、少女の巫女としての能力。
 引くことを許さない、自らの正義を愛するふたつのココロ。
 
 衛宮士郎、そして遠い星から来た巫女。
 まじりあうふたつのものは、ゆっくりと少女を育み続けていた。



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