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エピローグ

 いつもなら静かな道場に、何人もの人の気配がしていた。
 昼下り。客人を迎えた衛宮家ではこの日、道場で昼食をとっていた。朝っぱらから打ち合いにあけくれる居候(セイバー)客人(カオル)のために、主人である衛宮士郎がそう取り計らったからだった。
 士郎の隣にはツインテールの少女がいる。自然と並んで食事しようとする士郎とセイバーの間にするりと割り込んだところ、そしてその無法に複雑な顔をしつつも優しく微笑んだセイバーからも、三人の関係がなんとなく伺えるというものだった。
「なるほど。それが現時点で判明している聖杯戦争とやらの真実、というわけですか」
「ええ。詳細の情報がなくてごめんなさい神咲さん。一応この地を仕切るセカンドオーナーとしてはもう少し詳しい情報もあげられたらと思うんだけど」
「いえ、助かります遠坂さん。本来なら相容れぬ関係の西洋魔術の方と交流も持てたわけですし、現時点ではうちらとしても充分すぎる情報かと」
 そう言うと、薫は士郎が作ったというおにぎりを美味そうに食べはじめた。
「それにしても、衛宮君の料理はなかなかのものだな。うちの耕介さんと気が合いそうだ」
「この国の男性には料理を得意とする者が多いのでしょうか?わたしはシロウが特別だと思っていたのですが」
 薫の言葉に不思議そうな顔をするセイバー。それに憮然とした顔でツインテールの娘、遠坂凛が突っこむ。
「ンなわけないない。士郎のレベルが普通だったらそこいらの女の子はみんな立つ瀬ないってセイバー」
 また腕あげたわね士郎、と呆れたような顔で…しかし美味そうにおにぎりを頬張る凛。
 実のところ、士郎の料理の腕があがっているのはセイバーと凛のせいだ。突き抜けた程とは言わないが美食家と料理自慢に食事をふるまうのだ。妹のように仲良くしている後輩との切瑳琢磨もあり、士郎の腕は料理も、剣術も、そして魔術も順調にあがりつづけていた。
「ですが」
 と、そんな時、薫がぼそりとつぶやいた。
「伺ったかぎりではその事件、おそらく根本的な面では何も解決してなかとね」
「…」
 凛は一瞬、魔術師の顔に戻った。
「この地に聖杯が現れる、言う事ですが…いかに強い霊気があろうと、聖杯なんて超のつく神秘を引き出せるほどの霊気の歪みはこの冬木の町にはなかとです。お山の方にある寺には強い力を感じますが、これも自然のものではない。なんらかの目的のために操作されたもの、うちにはそう見えます」
「ええ、そうでしょうね」
 薫の言葉に「だったらどうする気?」と言いたげな顔で凛はつぶやいた。
「正直なとこを言えば、恐山のような辺境でもないこのような土地でそういう真似をされるのは困ります。ですが今回の問題は違う、思います遠坂さん。
 伺った話だと、現れた聖杯は汚れた黒いものだった。そうですね?」
「…ええ、そうね」
 凛は同意した。いつしか士郎やセイバーの表情も硬くなっていた。
「これはうちの経験上のことですが…おそらくその聖杯は、次回も汚れてる思います。うちには西洋魔術の術式はようわからん。けど、ひとの作った器にこの地でなんらかの術式で集められた力を満たして聖杯が出現する、というのが聖杯のメカニズムなら…おそらく、おかしな事になってるのは器でなく中身の方でしょう。
 遠坂さんが魔術師として聖杯を求めるお気持ちはうちにはわからん。けど、ひとを呪い破滅させる泥なんてものが遠坂さんは欲しいわけではない。違いますか?」
「……それはそうね。うん。同意する」
 はぁ、と不本意そうにため息をつきつつ凛は頷いた。
 薫はそんな凛を見て、然りと頷いた。
「ならば、とるべき道はひとつかと。
 先人の方がどういう思いで聖杯のシステムを作り上げたかはわからん。けど「汚れた」聖杯に固執するつもりがないのなら、その霊力の満ちてない今のうちに破壊する、または本来の姿に作り変える道を摸索するべきかと。
 おそらくはこの町のどこかにそのための大仕掛けがあるはずです。遠坂さん。もし力が入用なら、うちら神咲の者は協力する事にやぶさかではなかとよ。なにせ今回の事件では事前に問題を防げたものの、もし聖杯が完成しその「黒いもの」が完全な姿で現れたら——」
「?それ、どういう事?」
 薫の言葉に疑問を感じた凛は、疑問の言葉を投げた。
「これは、あくまでうちの推測です遠坂さん。
 実は、うちはかつて「祟り」と言うべき魔物と戦い封印した事があるとです。これは、ひとの悪意が自然霊から変化した一種の「もののけ」に宿ったもの。依代の悲しみと怒りに同調し、意志をもつ破壊の化身と化したようなものでした。
 あなたがたに伺った聖杯の姿にも、うちは似たようなものを感じるとです。確証はありませんが」
「…興味深いわね。続けてくれるかしら」
 はい、と凛に頷くと薫は続けた。
「現れた聖杯はセイバーさんが言うには、不完全ながらセイバーさんのような「サーヴァント」のようなものだったそうですね。ひとの呪いというか、そういうものを内包した、黒い呪いの化身だと」
「…そんなとこね。あ、ありがと士郎」
 士郎が気をきかせて茶をついだ。それを凛と薫はそれぞれ受け取った。セイバーもそれを手伝っているが、手伝いにまかせて再び士郎の隣をちゃっかりキープしていたりもする。
 しかし凛は薫の話に夢中で、そこまで気が回っていない。
「これはあくまでうちの推測です。けど確率としては高いかと。
 その聖杯とやらが不完全なものでなく完全なものだった場合…おそらくその「中身」はセイバーさんのように完全な身体をもちこの世に出現する、思われます。人間を呪い禍いをもたらす、そのためだけに特化した存在として」
「!」
 凛の顔色が変わった。
 それは士郎とセイバーも同様だった。もはや完全に言葉もなくしている。
「問題は、その材料となるのがセイバーさんのような英霊だということです。うちがかつて戦ったのは神通力を身につけたとはいえ狐の変化したもの。その程度のものを依代にした悪意でも、天地を揺るがしおそるべき破壊をもたらす怪物となったとです。
 ましてや、あなたがたの聖杯はまったくもって桁が違う。祟り狐なぞお話にもならん。へたに覚醒してしまえばおそらく、ひとの手で止められるような安易な代物にはならんでしょう。
 遠坂さん。衛宮君。そしてセイバーさん。あなたがた三人にそれが止められますか?」
「……」
 ごくり、と誰かがつばを飲み込んだ。
「早急な調査と対策が必要、思います。…むろん、これは退魔としてのうちの意見ですので、魔術師である遠坂さんはそうは思われないかもしれませんが」
「…」
「遠坂」
「凛」
 士郎とセイバーのふたりが、凛の顔を見ていた。
「…」
 凛はもちろん、その可能性はわかっていた。むしろ確信していた。次回の聖杯も汚れているであろうと。そして凛は次回までにその克服法を開発し、生き長らえたセイバーもろとも自分の子か孫にそれを托すつもりだったのだ。
 今の凛では魔力も技術もなにもかもが足りない。はっきりいってセイバーを現界するだけでいっぱいいっぱいなのだから。アインツベルンのあの少女ならともかくあくまで普通の魔術師である凛ではどうしようもない。
 だが、凛と士郎の血を受けた子が加われば?セイバーの構造を凛が支え、さらに聖杯の力をクリーンに使う技術があり、そこに上乗せするふたりの子供たちの力があれば?それこそが士郎にも言わなかった凛の狙いであり、同時にそれは士郎をこの冬木に留まらせセイバーと三人で暮らす事により士郎が英霊化するような道を避ける策でもある。すなわち一石二鳥だったわけだ。
 うまくすれば、子供たちの誰かが召喚する「本来の」サーヴァントも加えて遠坂&衛宮陣営には相当の力と知恵を集められるはずだった。
 ……なのに。
「…わかってるわよ。私だってあんなの利用しようとは思わない。できないとは言わないけどね。
 ただ問題は、いかに聖杯システムに手を加えるかなのよ。これはわかってない点が多いんだけど、一説じゃ魔法使いが関わってるって話もある。いい?魔術師でなく魔法使いよ。神咲さんは知らないと思うけど、はっきりいってわたしたち魔術師の範疇で考えたら大変な事になるわ。破壊するにしろ作り替えるにしろ、まずは綿密な調査が必要ね」
 凛はそう言うしかなかった。ためいき半分ではあったが。
「なるほど。ま、そこらへんは俺も及ばずながら手伝うし」
「むろん私も参加します凛。ふたりを危険にさらすわけにはいかない」
「…」
 そんな凛とセイバーたちを薫はじっと見つめていたが、
「…ありがとうございます。うちらも全力でお手伝いさせてもらいます」
 そんなことを言った。

 ちょっと家に戻るという凛と学校に届け物という士郎が席を外し、もう少し剣をあわせるという薫とセイバーは道場に残った。
 だが、ふたりともすぐに打ち合いをはじめる気配はなかった。ふたりとも正座したまま向き合い、じっとお互いを見つめあっていた。
 東洋と西洋の美少女の対峙。外見だけ見ればそんな感じではあった。
「…何か隠しとるね」
 ぼそり、と薫はつぶやいた。対するセイバーも頷いた。
「凛は聖杯の事などとっくに気づいていたのでしょう。彼女は彼女なりに対策を考えていたのだと思われます。あれは魔術師(メイガス)でありながら正義感も持ち合わせている。連れあいであるシロウの影響もありますが、当人ももともとそういう性格の持ち主ではありますし」
「…うちには細かいとこはわからん。けど、天下のアーサー王である御身がそこまで買っておられるのなら間違いなか。
 セイバー殿。もうひとつ聞いてもよかとね?」
「なんなりと」
 正座したまま、ぴくりとも動かずにセイバーは言葉をつむぐ。
「衛宮君は耕介さんによう似てる。さすがに耕介さんは衛宮君に比べるとただの一般人じゃが、今回の聖杯のようなものについてはおそらく同じ反応をするんやないかと思う。それはつまり」
「…聖杯の破壊、ですね」
「…ああ」
 セイバーの言葉に、薫は少し困ったような顔をした。
「遠坂さんは破壊には反対じゃろう。その意味でうちと遠坂さんはどうしても最後には袂を分かたにゃならんようになる。これはおそらく確実かと思いますがこれ自体は問題なか。むしろ立場がわかりやすくて有り難い思います。
 問題はその後じゃ。うちは衛宮君と同じく破壊するべきじゃないかと思う。じゃが遠坂さんと敵対は避けたい。なぜなら、そんな真似をしながら聖杯システムなんてものの破壊は無理じゃし、何より遠坂さんは個人的に嫌いじゃないし、神咲(うち)としても現役の西洋魔術師に話のわかる人間がおるというのは助かる。主義主張は異なれど敵対は避けたいと思う。
 仮にも遠坂さんの陣営にあるセイバー殿にこんな事を聞くのはおかしいかもしれんが、どうじゃろう。何か名案はないものか」
「…そうですね…」
 セイバーはしばらく考え込んでいた。そしておもむろに顔をあげると、
「とりあえず親交を深めるのでいいでしょう」
 そんな事を言ってきた。
「凛は優秀な魔術師ではありますが、おわかりのように正義感をもち人情に弱い部分がある。だから今もこうして逃げた。主義主張の異なるカオルと親交を持ちすぎれば、いざという時に問題が起こるとわかっているからだと思われます。
 ならば簡単です。理屈ぬきで彼女と友人になればよい。カオルは凛に興味があるのでしょう?個人的にも、西洋魔術師という存在としても」
「あぁ、ある」
 薫はためらいもなく頷いた。セイバーはそんな薫を見て満足そうに笑った。
「ならばその通りに接すればよいかと。ただでさえ友人の存在や意見を彼女は無にできない性格ですが、さらに今はシロウという弱点もある。聖杯をどうするかについて隠しているのも間違いなく、私でなくシロウに責められる事を恐れてのことでしょうから。
 ならばそれに、さらに友人として貴女が加わればよい。貴女が打算なく彼女に友人として接すれば、彼女は貴女の存在とその背後の意見も無碍にできなくなる。ただでさえシロウに反対されるうえに貴女まで加われば」
「…なるほど。友人として真摯に接すれば、というわけか」
 むむ、と真剣に考え込む薫にセイバーはクスッと笑った。
「カオル。あなたなら問題ない。心の赴くままに凛と友達になってくれればよいのです。聖杯のことなど考えずに。
 それが結局は貴女たちのためにもなり、凛のためにもなるのでしょう」
 そう言いきるとセイバーは腰を浮かせた。少し表情が厳しくなった。
「さてカオル。せっかくですから打ち合いませんか?あなたと剣を交えるのはとても楽しい」
「!ああ、ええね!うちも是非」
 ふたりはにっこりと笑いあうと、手元にある木刀をそれぞれ手に持った。
 思えば、セイバーはずいぶんと「剣士」と戦っていなかった。かの戦争のおりには佐々木小次郎という素晴らしい剣豪がいたがもちろん今はないし、他にまともな剣士なぞ存在しなかった。実はセイバーがその剣技を遺憾なく発揮できたのは数えるほどしかなく、むしろ戦争の主役は凛であり士郎だったのだ。彼女がやったのは大部分がサポートにすぎない。そればかりか不覚にも敵の手に落ち士郎に傷まで負わせてしまっている。
 そんなセイバーに、薫はとてもうれしい存在だった。なにより剣技に関しての手加減があまり必要ない。エクスカリバーはさすがに使えなかったが、薫ほどの素晴らしい剣士はそうそう探して見付かるものでもなかった。
 思うに、今回の一件で一番得しているのは自分かもしれないとセイバーは思った。
 ふたりは立ち上がり、剣をもち対峙した。先日の真剣による戦いと違い木刀での戦い。だが緊張感は変わらない。セイバーはたとえ木刀でも油断のできる相手などではないし、薫もまたその攻撃の重さは尋常ではない。魔力の補助もなく剣技だけで、ややもすると木刀を折ってしまう相手なのだから。
「行きます、セイバー殿」
「受けて立ちます」
 途端に張りつめた空気。
 ふたりはその空気に、とても暖かいものも同時に感じていた。

(おわり)



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