福祉関係の仕事というのは業種にもよるが、基本的に景気も不景気もあまり関係ないところが多い。
年寄りは常に増え続けるのがこの国の現状なのだから、それなりの供給元さえキープしていれば利益は確保できる。むしろ留意すべきはその現状に満足してしまったり、人間対人間の仕事だという事を忘れてしまう事だと、
任される仕事は多いし自らやっている仕事もあるのだが、最近は現場に行かない仕事も増え始めていた。なにしろ大学時代からやっているのだからある意味ベテランであり、その経験を買われての仕事はどうしても増えていたからだ。上位組織や自治体との折衝など、そこらへんの一般職員にできない事まで千絵の仕事になりはじめている。
そしてそれは、千絵の望むところでもあったのだ。
「……」
だが今、千絵は悩みを抱えていた。正しくは一年ほど前からなのだが。
「ちー?」
「!」
ふと見ると、同僚の女の子が千絵を見ていた。
「あ、ごめん。なに?」
「なに、じゃなくて……もしかして、まだ見つからないの?幼なじみの子」
「……あはは、わかる?」
「分かるも何も顔にばっちり書いてあるよ。心配だって」
うぐ。千絵はちょっと情けない思いだった。
「ま、ごはんでも食べない?愚痴でも聞かせてよ」
「あはは、ありがと」
単なる野次馬根性かもしれないが、少しは心配もしてくれているようだ。
だから素直に千絵も礼を言い、席を立った。
時刻は十二時半を少し回っていた。
社会人になってしばらくしたある日。
ここ数年は落ち着いていたし、
そんな鹿之助なのに、ある日唐突に消えたのだ。
前島家の話では、失踪直前にリストラされたらしいという事だった。だから傷心旅行じゃないかという話も一部にはあったのだけど、
「だったら、少なくともきらりに連絡はするはずでしょう?」
千絵はそういって一蹴したものだ。
だが、そういう千絵も本当にそう思っていたわけではない。鹿之助がああ見えて自分本位でプライドの高いところもあるのを千絵は知っていたから、どこかの居酒屋とかライブハウスの下働きでもやっている可能性も考えてはいた。きらりに相談する事すらできずに。
(まったく、世話の焼ける)
村上たちを通して調査を頼んではいるのだが、そっちの方は芳しくなかった。
あの夏からもう何年も立っている。流れの早い業界では、当時でさえ幻だった第二文芸部バンドを覚えている者などほとんどありえなかった。辛うじて記憶されているのは、それが椎野きらりの原点であり古巣であるという事、そして、そのサウンドの裏を支えていたベースのシカコこと前島鹿子の存在、この二点だった。
そう。
あれから何年もたつが、ネットの動画サイトには今も第二文芸部バンドの映像が残っている。そして定期的に話題にもなっている。それはきらりの古巣としてだけではない。これだけのグレードの演奏をしているバンドが結成わずか数ヶ月の高校生バンドであり、しかも、他にもいくつかの点で話題を提供し続けていたからだ。
彼女たちを育てたのが、あのKentaであるという事。
シカコこと前島鹿子が実は女装の男性であった事。
わざわざ女装した理由については憶測が飛んでいる。たとえばニルヴァーナに対する少年ナイフのように、スタジェネに対するバンドとしてガールズバンド形式を選んだという説だ。まぁニルヴァーナと少年ナイフの関係はスタジェネと第二文芸部バンドの関係とは全く異なるので説得力としては弱いのだけど、対比としては確かにおもしろい。それにKentaがきらりの才能に注目していたのは有名な話だし、ニルヴァーナの
千絵としては「単にあいつの女装が可愛かったからなんだけどね〜。ある意味虫除けになるし」なんて同意が女性陣でなされていた事を思いだし苦笑いするのだが、まぁそれはいい。事実は本人たちだけが知っていればいいことだ。
「ん、空いてるね。あそこに座ろ」
「うん」
いけないいけない、と千絵は首をふった。今はお昼なのだった。
昼下がりの食堂だった。ここは比較的安いお店だが、ヘルシーなチキンカツ定食がホコホコでよいと評判のところでもあった。注文を受けてから揚げる事もあるので時間がかかったりもするのだけど、それだけの意味はある。
TVが流れている。有名な老舗のバラエティ番組なのだが、偶然にも椎野きらりの姿がニコニコと写っていてなぜかホッとした。
ダイエットも考えるべきかなぁとも思う。だが千絵たちの仕事はハードでエネルギーなしではやっていけない。
だから、ふたりは今回もやはり話題のチキンカツ定食に走った。
「で、どうなの?鹿之助クンだっけ?」
「全然ダメなのよね、これが」
ふう、と千絵はためいきをついた。視界の向こうで、きらりが屈託なく楽しそうに笑っている。
「昔の仲間にも頼んで八方に網張ってるんだけどねえ」
本当、いったいどういう事なのか。
バンドまわりは前述の通りだが、それだけではない。たとえばカッシーこと樫原の目利きで樫原の息のかかる全てのグループ企業、さらにはきらりのマネージャ経由で放送局やプロダクション関係にすらも一部監視の目が届いている。とどめにトノヤンこと殿谷にも海外という方向から日本を注視してもらっていて、鹿之助と思われる人材の情報がひっかかったら即座に連絡してもらえるよう取り計らってある。
はっきりいえば、たかがいちサラリーマンの包囲網としてはありえない規模。
なのに、それでもなお見つからない。なぜ?
彼らの包囲網は巨大だが、鹿之助はそれを上回って巧妙なのか?
いやいや、あいつにそんな甲斐性はないと千絵は首をふる。
居酒屋の件があるから断言しないが、鹿之助はそんなにサクサクと異業種にいけるほど器用な男ではないはずだ。だから音楽関係か飲食関係の可能性が高いと千絵は踏んでいたのだ。
しかし、それでもみつからないという事は?
(もっと遠くか、あるいは……誰かが嘘をついている?)
ふむ、と千絵は思った。単なる思いつきだが可能性のない話でもないからだ。
モニターの向こうでは、きらりが生で歌を披露するようだ。
主婦むけのこの手の番組で珍しいが、きらり限定ではよくある事だ。きらりはインタビューの最中でも音楽の話題で盛り上がるとその歌を歌い出す事がある。しかもどんな歌でも非常にうまいもので、もったいないと即興や編集で音が重ねられるのもよくある事だ。
きらりのおかげで、落ち込んでいた業界のCD売上げ自体が持ち直したと言われている。きらりのもの以外も売れているのだ。
彗星の天才シンガー椎野きらりの名は今や、日本の音楽シーンの一時代を支える存在になりかけていた。
「千絵」
「!」
「きたよ」
危うく思考に埋もれかかった千絵に苦笑した友人、そしてチキンカツ定食が目の前にあった。
「ごめんごめん、いただきます」
「ん、いただきます」
千絵も大変ねえ。
その、なんとなく下世話な一言に対抗するために、またしても千絵の昼食は遅くなりかけたまさにその時、
「?」
むむ?千絵は眉をしかめた。
TVから流れてくるきらりの歌に、妙に気になるところがあったからだ。
いや、演奏のよしあしではない。これまた珍しいことに生演奏らしい。言っちゃ悪いが、たかがお昼のバラエティだというのに。
楽しそうに歌うきらり。なぜかいつもより数倍生き生きとして見える。とんでもなく絶好調にぶっとばしているのが千絵にもわかり、ちょっとだけ苦笑いした。その姿はまるであの頃のきらりで、TVの演奏でもあの頃のレベルに届きはじめたんだねぇと内心ちょっと恐ろしさすらも感じていたのだけど、
「え」
ほどなく、千絵の目は丸くなった。
「ん?ちー、どったの?」
同僚の声が遠くに聞こえる。千絵は動けない。
きらりの背後にいるのは、きらりバンドと俗に言われる名無しの生え抜きだった。いまどき専用バンドを連れたシンガーなんてどこの大物よと一時は言われたものだが、もともとライブあがりのきらりの歌唱は生でこのパワーを完全に発揮する。それに海外ならR&Bなどの世界で「生でしか歌えない」系のミュージシャンもいるわけだし、きらりにはそれだけの価値があった。
それはいい。千絵の目が丸くなったのはそのせいではない。
きらりの背後。
黒いフリフリのワンピに黒ブーツ姿でベースを掻き鳴らしている髪の長い女。
「……え」
ぽろり、と千絵の箸から食べかけのチキンカツがこぼれ落ちた。
「…………うそ」
「?」
あっけにとられて固まっている千絵。不思議そうにそれを見ている友人。
そう。
そこにいたのは昔懐かしい、あの『前島鹿子』の姿だった。