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お姫様

「おい蝶野(ちょうの)、聞いてるか」
 あれはたぶん、セミの鳴き声も眩しい真夏のある日のことだったと思う。
 いまいち音の線が細いからゲージを変えてみようかなんてアコギのような事を考えていた俺のところに、ドラムの長瀬がやってきて面妖な事を言いやがったんだ。
「ベースの候補ができたんだと。無事採用になったら三島(みしま)はキーボードやってくれないかってさ」
「はぁ?」
 そいつは、本当に寝耳に水だった。
 確かに三島はキーボードもやれる。ていうか以前俺のいたバンドではこいつはキーボードだったんだ。だがベースが空いてるってことでベースに回ったわけで、三島当人としてはむしろ本望(ほんもう)だろう。
 だがしかし、である。
「冗談だろ?あいつのベースの代わりだなんて」
 本人は穴埋めなんて言ってたがあの腕は本物だ。たぶんベースもキーボードと同じくらい好きなんだろう。
 あれをわざわざ放棄してベースをすげ替えるなんて、いったいどんな奴が来やがったんだ?
「さあな。けど、あの姫さんがああも断言するんだから、ただ者じゃないのは確かだろう」
「ふむ」
 そうだな、確かに。
 
 俺たちのお姫さん。その名はお茶の間の人気歌手(ポップ・シンガー)にして事務所のドル箱歌手・椎野きらり。
 だけど俺たちバンドマンは知ってる。それは姫さんの本質ではないと。
 姫さんの本性は決してテレビじゃ現れない。確かにあの天性の天真爛漫(てんしんらんまん)さも彼女の本質ではあるのだけど、俺たち自称『きらりバンド』が惚れ込んだのはそんな彼女ではない。
 あんなものでは、姫さんの本性の一割だって見えやしない。何もわかっちゃいないんだ。
 そして、そんな姫さんに魅せられているからこそ、俺たちはきらりバンドのメンバーを続けていた。
 やがて姫さんと事務所の間でも同意が成立し、KIRARIBAND(きらりバンド)の名でロック活動が並走する事が決まった。ロックシンガーじゃ儲からない事については姫さんも事務所の主張に同意していて、だったら裏プロジェクトはどうかな?隠れて怒ってるのもなんかパンクっぽいし、なんていつものノリで提案したらしい。
 
 そして3日後、姫さんに連れられて『そいつ』はやってきたんだ。



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