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魔物

 最初そいつを見た時は「かわった女だな」という印象だった。
 ちょっとフリフリ入った黒ワンピにごついブーツ。下にはすっぽり下まで覆うレギンス(パンストかと思ったが三島が言うには違うそうだ)までつけてるわ二の腕まで入る長い手袋しているわと妙に末端が重装備だった。しかもそのまま演奏までするのか、指のあたりは丁寧にくりぬいて処置してある。このクソ暑いのによくやるよ。
 髪は伸ばしている最中なのか、後ろで束ねてはいるもののその先にあるのが短い。ポニーテイルというより猫の尻尾で、アクセントづけなのかシルクっぽい飾りでラップしてあった。手間かけてんな。
 全体的に言うと、ちょっとやりすぎの感がある。
 だがそれが似合いすぎるほど似合っていた。身長も170近いようだし、ちょっと子供っぽい姿の姫さんとは正反対のタイプだった。てーかぶっちゃけいい女だ。
「……」
 三島が目を丸くしていた。寡黙でポーカーフェイスのくせに珍しいことだ。
 だが俺もまた、次の瞬間の姫さんのセリフで目を剥いた。
「前島鹿子ちゃんっていうんだ。ちょっと病み上がりで元気がないんだけど、いじめないであげてね」
「え」
 俺も長瀬も目を剥いた。そりゃ剥くだろう剥いてあたりまえだ。
「ちょ、姫さん」
「なぁに?蝶野くん」
「前島鹿子て……あの前島鹿子!?」
 すると、姫さんは「あ、やっぱり知ってるんだ」と言わんばかりのちょっと複雑そうな顔で、
「よく知ってるね、うんそうだよ!」
 いや、知るも知らないもアンタ、
「そりゃあ知ってるさ。姫さんの古巣の仲間で伝説のベーシストじゃん。だけど大丈夫なのかい?」
「何が?」
 ちょっぴり不思議そうな顔で、姫さんは首をかしげた。だから俺も言った。
「俺が知ってる限りだと、その人は高校出てからはバンドやってないんじゃないの?それともどこかでこっそりやってたとか?」
 練習さえ続けていれば問題ない気はするが、ちょっと心配だ。
 伝説にある第二文芸部バンドがもの凄いのは人気だけじゃない。練習期間の短さもある。特に前島鹿子といえばテニスプレイヤーから帰宅部経由でベースを手にしたような異端者で、楽器経験自体が笑えるほど短かった。
 にもかかわらず、あそこまで名を馳せたのだ。動画サイトに残る演奏だって悪くない。
 ようするにだ。もともと才能があった事、強力な指導者がついていた事のふたつが幸いしたのだろう。
 だけど、いくら才能があっても練習してなきゃ弾けるわけがない。演奏の腕というのは生物(なまもの)なんだ。
 そう言うと、姫さんは大丈夫だよと笑った。
「練習だけはずっと続けてたんだって。うちであたしのギターと合わせてみたけど、あたしじゃ正直ついてけないくらいはできたよ」
「それじゃ参考にならないな。姫さんのギターは微妙すぎる」
 む、と姫さんは不機嫌そうな流し目をする。いやそんな顔しても事実じゃん。
「いいよいいよ、どうせあたしは蝶野くんのバックしか弾けないんだ」
「いいじゃん、だから俺がいんだし……?」
 ふと視線を感じる。
 見上げると、じっと俺を見ていたのは前島鹿子だった。
「……前島だ」
 なにガンつけてんだと言おうかと思ったが、意外にもきちんと挨拶してきた。
 堂々の男言葉なのは仕方ない。だって俺の記憶が正しいならこいつはこんなイイ女の分際で中身男なんだから。姫さんがいつも幸せそうに語る愛しの『鹿クン』とはこいつの事のはずだ。
 しかし不気味なほど似合ってるな。こいつ女装に走りすぎてタマまで抜いちゃったんじゃねえのか?
 おいおい、頼むから姫さん泣かさんでくれよ?
 だけど、そんな俺に前島は泣いてるとも笑っているともつかない顔をして、
「心配いらない。……これ以上泣きようがないくらい泣かせちまったからな。これ以上は俺も泣かせるわけにはいかない」
 なーんて言いやがった。
「自慢するこっちゃねえだろそれ。ま、いい。やろうぜ」
 ああ、と前島は笑った。かなり頑張ってる感じの笑いだったが。
「……」
 なぜか姫さんは俺と前島の顔を見比べ、むうっと頬を膨らませた。
「蝶野くん、鹿子ちゃんはあたしのだから惚れちゃだめなんだよ!鹿クンも目尻下げないの!」
「嫌すぎる誤解はやめろ」
「俺にその趣味はないわ!」
 言葉は違うが文句のタイミングがなぜか合ってしまった。姫さんはますます頬をふくらませた。
 俺はためいきをついたんだが、
「ほらほら、きらり。そんな顔してたら顔がフグになっちまうぞ。あわせるんじゃないのか?」
「あ、ふぐいいね。サトっちのとこに一度お礼いかなきゃいけないし、また食べられたらいいね!」
「おまえね、食い気の前にまず義理はちゃんとたてろよ」
「むー、何いってんの。鹿クンのことでサトっちには本当にお世話になったんだよ?他人事みたいにいっちゃダメ!」
 あっさりとその姫さんのご機嫌をとってしまうあたり、やはり彼氏なんだな、とも思った。
 正直いうとちょっと悔しい気がして「ああ、きっと俺が姫さんならさっきの姫さんみたいに膨れてたんだろうな」なんてことを考えてしまった。
 そんな自分が、ちょっとだけ笑えた。
 
 演奏をはじめた瞬間、それは理解できた。
 本来ベースというのは縁の下の力持ちだ。ドラムと一緒に楽曲の低音域を支える存在で、メロディラインの花形であるボーカルからは少し遠い位置にあるのが普通。音楽で掛け合い、張り合うならそれはギター相手というのが常道なのだ。
 なのにこいつときたら、
「……!」
 イントロでも薄々感じちゃいたが歌が入った途端、一秒とたたずに俺は気づいた。気づかされた。
 こいつ、姫さんのボーカルにぴたりと合わせやがる!
 言っちゃなんだが姫さんのボーカルは本来バンド泣かせだ。彼女の歌は例えれば羽根の生えた妖精(フェアリー)の乱舞であって、最近ではありとあらゆる技巧を駆使するレベルにまで到達している。何しろどこで覚えてきたのか、オペラ歌手みたいなとんでもない技術までもごく普通に、しかも天然天性で駆使してステージ上で暴れ回るのである。
 彼女はいわば妖精。音楽という魔性に取り憑かれ、悪魔の毒薬に狂わされた妖精界の王女様だ。見る人全てを魅了し狂わせる魔性だ。もはやひとの範疇ではない。
 いくら技術があっても俺たちは人間だ。人外のグルーブについていく事なんかできないわけで、こうなったら必死に食らいつくしかない。それはメンバー屈指の天才児である三島だって同様のはずだった。
 なのに。
 こいつ、ちゃんと合わせてやがる!喰いつくのでなく調和して!
 確かに技巧では追いついてない。正直いって三島の方がずっと丹念で綺麗だろう。贔屓目に見てもそう思う。
 だがなぜか違う。こいつの方がいいと感じる。俺の直感は間違いないと思う。
 なぜ?
 ちなみにだが、この時三島の奴はこう感じたそうだ。「なるほど、こいつはこれ以外何もないんだな」と。そんな奴に勝てるわけがないと三島は後で笑った。
 どういう意味かって?
 簡単じゃないか。つまり、こいつのベースは姫さんのためだけにゼロから(あつ)えられたものだからなんだ。原石としても決して悪くないはずの才能を、残らず姫さんのためだけに伸ばしてきたんだこいつは。
 だからこそぴったり合うんだ。技術もないのに。
 たとえ三島の二十分の一しかない技術でも「あわせる」なんて意識すらなく姫さんの癖にナチュラルに合わせられるとすればどうなる?いらぬ事などまったく考えず、ただただナチュラルに姫さんのベースとして弾きつづけられるとしたら?そもそもベースとしての『基礎』の部分に姫さんの呼吸と合わせることが織り込まれていたら?
 前島鹿子というベーシストは、すなわちそういう存在なんだという。
 はは。そりゃ確かにかなうわけねえや。
 ま、もちろん演奏中の俺はそんな事考えてなかった。ていうかそれどころではなかった。
 あまりにも奴のベースと姫さんのボーカルが合いすぎてて、俺のギターが締め出されそうになったからだ。
 ざけんな!ボーカル専の四人バンドでギター叩き出してどうすんだよ!
 俺は必死で気合いをいれた。怒りなのか緊張なのかよくわからない、複雑な感情が俺の中で暴れだしていた。
 素晴らしい(クソッタレな)時間が始まった。
 
「うんばっちりだね!」
 演奏が終わったあと、姫さんはにこにこと満足そうに俺たちを見ていた。



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