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ありえん

 ありえない状況だった。
 だが脳内がじっくりと整理されてくるにしたがって、その意味がつらつらと俺の脳内にも浸透してきた。昨日の状況や寝入った時の心情、そこから導かれるこの事態。やっぱりそういう事なのかと。
「……」
 鏡の中には、長い栗色の髪の小柄な美少女がいた。俺の顔を見つつ困惑の表情を浮かべている。
 
 てゆーか、俺かこれ!?
 
 ある日目覚めたら一匹の美少女になっていた。
 普通ならこれだけで色々と絶叫もんの状況なんだろうが、ハルヒ絡みの異常事態にもう俺は慣れっこになっていた。だから比喩でなく本当に腰を抜かすかと思った事を除けばとりあえず混乱は避けられた。
 改めてつらつらと鏡に写る見知らぬ『自分』を見る。
 髪が長い。ポニーテールはもちろん余裕だ。はじめて出会った頃のハルヒの長さだな。もちろん中学時代の話でなく、あの自己紹介の時点での話だ。瞳の色はまぁ普通に黒。そして肌は自分で言うのもなんだが白くてシミのひとつもない。触ってみるとなめらかで吸い付くようだ。
 だがちょっと疑問がある。
 これもある意味『俺』なんだろう。なのに、ここまで『美少女』なのは何かの皮肉なのか?なぁ俺やこの娘を作った誰かさんよ。
 胸。はっきり言おう、小せぇ。大盛り状態の朝比奈さんはもちろんの事、これはこれである意味悪くないんじゃないかと思える長門にすら勝てるかどうか怪しいほど小さい。もし俺が生まれた瞬間から普通に女ならきっと盛大にコンプレックスだったろう。間違いなく完全無欠にド貧乳である。これはどうしようもなく貧しい乳と書くレベルのサイズであって問答無用にアレなのである。
 と、いやいやいやいやちょっと待て、今悩むべきは胸のサイズじゃないだろう、何やってんだ俺。
 こんな事でジタバタしている暇があったら現状の分析と抜本的対策を考えるべきだろう、手遅れにならないうちに。そうしないと、そのうち俺の意見なんか全く見向きもされぬまま桜花(おうか)作戦に突入した挙句問答無用に敗戦を迎えてしまい、とどめに一方的に敗戦側として以後数十年に渡って子々孫々まで戦犯扱いされるようなムカつく未来が待っていそうだぞたぶんだが。もちろん俺はというと当時の日本軍と違って打開策が皆無というわけではないわけで、そんなわけで俺はすぐさま、見たこともないほど華奢な自分の手にめまいを覚えつつ携帯電話をその手にとった。
 ってこれまた可愛らしい携帯だな。たぶん男にはまず似合わないタイプだ。
 見た事のない型だった。形はストレートで色はスカイブルー?いやむしろ勿忘草色(わすれなぐさいろ)というべきか。透明感のある綺麗な水色。元々俺も高機能携帯をもつタイプじゃないが、これはもう完全にデザイン優先。機能は最低限でいいや、みたいな雰囲気を隠そうともしていない。俺も見た事くらいはあるのかもしれないが、あまりにも範疇外すぎて記憶してないんだろうな。
 だーかーらー、現実逃避すんな俺。さっさと話を進めろってのに。
 ぷちぷちと携帯を押す。ここがベッドの上でまだ起きたばかり、やけに肌触りのいいスリップ一枚をネグリジェのように着たままというのはとりあえず置いておこう。その下は申し訳みたいな薄いぱんつでもちろん生えてないとかそういう精神的打撃で頭痛がしてきたがそれもとりあえず無視だ。てーかしっかりしろ俺、本当、今はそんな事で悩んでる場合じゃないんだ。
 そしてコール一発。相手はすぐに出た。
「……よう、おはよう長門……だよな?」
「……」
 電話に出た相手はその沈黙が間違いなく長門だったが、それでもこの状況では疑問形にならざるを得なかった。
 んで、返ってきた声がこれまたすごい。
『……君が『キョン』であればその通り──しかし、あなたが『キョン』であれば違うとも言える』
 文面だとワケがわからないと思う。だが実際に聴いた俺は一瞬絶句した。
 最初の『君』のあたりは少し渋みさえ漂わせる堂々のイケメン声だった。微かに長門を思わせる雰囲気はあるがまるっきりの別人であり、薄々予感しちゃいたとはいえ衝撃的だった。俺は正直脱力しかけた。
 ところが一瞬置いて『しかし』からは俺のよく知る長門そのものに変貌しやがった。口調だけでなく声まで一変である。まるでイケメン野郎の横にいつもの長門が並んでいて電話口でパッと変わったみたいな早業だった。どこぞの殺人ロボットかおまえは。
「いったいどっちの長門だ。男か女かはっきりしろ」
 思わず詮ない言葉を投げてみると、男の方だと答えた。
『あなたの記憶を通じ、そちらの世界の私と同期した。あちらは接続を渋ったが非常事態という事で許可してくれた』
「そうか」
 男の方と言いながらも声はいつもの長門、つまり女の声だった。わけわかんねえが野郎の声よりは安心できる、ありがたい。
 しかしそれにしてもあいかわらずというか、とんでもないな長門。どこの世界だろうと最強は変わらずか。
 だが渋ったというのは何だろう。何か問題があったという事か?
 率直に電話の向こうの長門に尋ねてみると、あっさりと返事がきた。
『性別の差が問題になるからと思われる。同期した場合、無意識に異性の行動パターンをとったり問題を誘発する危険性がある』
「へぇ……」
 そいつは正直意外だな。おまえならそういう調整なんかお手の物かと思ってたぞ。
 だがそう言うと、長門はすぐに返答してきた。しかもほんの僅かにだが、不本意とか不満といったものが口調ににじみ出ている気がした。
『情報統合思念体には元々性別という概念がない。あなたの知るわたし、つまり長門有希(ゆき)とここにいるわたし、長門有希(ゆうき)の違いとは「男とは、女とはこうあるべきである」という現場での学習成果にすぎない。よって性別の違う個体と混ぜるのは好ましくない』
「なるほど」
 そもそも個体の区別があるかどうかすら疑わしいのに、性別もへちまもあるわけがない、か。
 しかし、それにしてもこっちの名前は『ゆうき』と読むのか。字は一緒なのか?
『そう』
 そうか。
 しかし本当、電話だといつもの長門と全然変わりゃしねえな。当然といえば当然なんだろうが。
 さて、そんな事より本題に入ろう。
「俺の世界の長門と速攻でリンクしてくれたという事は、もう現状は把握したと判断していいのか?」
『問題ない』
 即答だった。さすがは長門、こういうところも変わらず頼もしい。
 だが、その後の返答には少し違和感を覚えたのも事実だった。
『とりあえず今から迎えにいく。何でもいいから外に出られる服装をして待ってて』
「は……?」
 一瞬俺はあっけにとられた。長門から迎えにくると言い出すなんて想像もしていなかったからだ。
「ま、まてまて長門、ちょっと待て!」
『なに』
「積極的対応は大変ありがたい限りなんだが、今はまだ時間が早すぎる。おまえは無敵かもしれんが常識的にいって女の子の出歩く時間じゃない、怪しまれるか最悪補導の対象になるぞ」
 だから俺の方から行く、と言おうとしたんだが、なぜか長門は電話先でクスッと小さく笑いやがった。
 ……って、長門が声出して笑う?
 その盛大な違和感に目が点になった俺の耳に、最初に聞こえたイケメン野郎の声が聞こえてきた。
『だったら尚のこと、こっちから行かなくては。君は女の子だ、たとえ中の人格が何者であろうと』
「……それは」
 淡々とした指摘だった。嫌味に感じないのはおそらくその淡白さのせいだろう。
 そして確かにその通りだった。何マヌケやらかしてんだ俺は?
「すまん、おまえの言う通りだ。俺は色々と大混乱中らしい」
『無理もない。情報統合思念体も、そして俺も今回の事態は想定外だった』
 へぇ。こっちの長門は『俺』なのか。声といい口調といい本当に別人そのものだな。
『先ほどの話の繰り返しになるが、ただちに合流したほうがいいと思う。君の世界のご家族同様、こちらのご家族もあらゆる事情について知らないわけで、特に今回の事態は無用な心配をかけかねない。抵抗があるかもしれないが、こちらに避難するほうが安全だろう』
「そうか、そうだな。そうしてもらえると助かるが……抵抗って何がだ?」
 返事をしつつ思った疑問を言ってみた。
『気づかないのならば今は気にしなくていい。とにかく今重要なのは速やかな合流、これだけを念頭に置いて』
「わかった。ありがとう長門」
 本当にありがたいと思った。
 困った時の長門様というのはいつもの事なんだが、今回はいくらなんでも異常すぎる。大きな借りができちまったな。
 だがその俺の言葉に対して返ってきたのは、
『気にしなくていい』
 妙に照れたようなイケメン声の別人。わけがわからん。
 いやしかしまったく、わけがわからない事になっちまったもんだ。
 俺はしみじみとためいきをつきつつ、時間などを確認して電話を切った。



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