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結末、そしてこれから

 ルリとミナトのあられもない姿での帰還は、ナデシコクルーたちを本気で怒らせる事になった。
 ふたりはただちに保護されたばかりか、軍との交渉に赴こうとしていたユリカとプロスペクターにもオモイカネの映像いりで伝えられていた。全裸のルリと半裸のミナトがにやけ笑いの完全武装軍人三人に相対する姿は当人たちはともかく第三者的には絶体絶命以外の何者でもなかったし、命からがら逃げ出したがふたりは強姦未遂に強い衝撃を受けているとまで誇張されていた。それらの報告と映像はルリのスタンガンやミナトの鈍器は写らないよう、さらにネルガル側の被害者感を煽りまくるよう巧みに工夫されていた。
 そして、アキトとゴートホーリ以下有志たちの異様に士気の高い者たちの活躍のもと、たちまち艦は取り返された。
 ミスマルコウイチロウはその映像を「ばかものどもが」とまさに苦虫を噛み潰す顔で見たという。
「本当に恐かったです。ミナトさんがおられなかったらどうなっていた事か」
「あはは、それわたしのセリフだよ。ルリルリいなかったらいきなりお風呂場に入ってきてたよ?彼ら」
 その場合、まさに最悪の事態になったことだろう。
「そうですね。ではふたりの共同作戦の結果ということで」
「そうね」
 ルリが持っていたスタンガンや異様な落ち着き方。そしてタイミングに助けられたとはいえ、大の男ふたりの足元を電源コード一本で乱してみせた尋常でない手際のよさ。
 そして予定外とはいえクーデター自体は事前に知っていたかのような言動。
 それらについて、ミナトはひとこともコメントしなかった。ふたりでなんとか暴漢を撃退して逃げた、そういう事で全てを収めたのだった。
「そうですか。ごめんなさいルリちゃんミナトさん。先にお風呂にいかせたユリカの失策だよ」
「ま、まぁまぁ艦長。あれはどうしようもなかったと思うから」
 悲しそうに頭をさげるユリカに、ミナトはあわてて言葉をなげた。
「しかしまぁ、まさに怪我の功名というものですな。
 女性スタッフを襲った兵士の存在と映像は、少なくとも軍の上層部や国連を動かすことになるでしょう。ナデシコの拿捕と接収はうまくいけば中止、かわりにネルガルに同型の新造戦艦を提供させるということで話がつく可能性もでてきました。贔屓目に見てもこれはかなりあり難いことです。
 おかげさまでナデシコは、味方の妨害なんてばかげた事態を通さず、平和裡に火星に向かえるかもしれません。おふたりの機転、そして両者ともご無事であったこと。本当によかった。心から感謝いたしますよ」
「そうですか」
 クールに答えたルリ。その横で苦笑するミナト。
 ふう、とユリカはためいきをついた。
「ルリちゃんミナトさん、本当におつかれさま。そして今度こそ本当の休憩です。
 念のため医務室でホシノ博士に問診を受けてください。場合によっては鎮静剤を用意していただきます。今夜はぐっすりと休んでください。交替のことは考えなくてもかまいません。今はゆっくり休む、それだけを優先してください。
 ルリちゃんどこで休むの?ホキさんまだお仕事だし寂しくない?なんだったらユリカのとこ来ない?後でお話しよ?」
「あのですね」
 またかこのひとは、と言おうとしたルリだったが、
「あ、艦長。ルリルリがよければだけど、わたしと一緒でいいかしら?」
「!」
 驚くルリの肩にぽんぽんと手を置くミナト。
「ほら、さっきのお話中断しちゃったでしょう?一緒にお休みして続きも聞きたいんだけど……だめ?」
「……」
 ルリはミナトの顔を見て少し考え、
「はい、わかりました」
 すっかりリラックスした顔でそれだけ答えた。
「……」
 ユリカとアキトはそんなルリを、ちょっと複雑そうな顔で見ていた。

 ミナトの部屋はユリカたちの隣にある。ブリッジクルーの区画の中にあるからだ。
 部屋に入ってすぐ、ミナトはベッドを反対側に移動した。そして最低レベルの音量でBGMを流した。沈静音楽なのよとミナトは微笑んだが、史実でミナトさんそんなことしてたっけ?とルリは首をかしげた。
 それはミナトの気遣いだった。
 ミナトはユリカたちの夜ごとの睦言を聞いていた。いかに戦艦の壁とはいえここは一般居住区だし、派手にギシアンすればやはり就寝中の壁際のミナトには聞こえてしまっていた。だからルリのためにベッドを移動した。戻ってきたユリカとアキトがもしおっぱじめてしまったら、それでルリが傷つくのではないかと心傷めてのことだった。
 さすがにそこまではルリは気づかなかった。ただ安眠しやすくしてくれているんだな、と漠然とミナトに感謝するにとどまった。
 ゆっくりとシャワーを浴び直し、パジャマになった。
 ルリはミナトから逃げなくなった。風呂場での戦いはルリの精神を少しだけいい方向に向けたようだ。ミナトの裸を見ても取り乱さない。性的なそれよりも先刻の緊張感などが勝ってしまう結果だが、慣れるという意味ではどちらでも同じことだった。
 ふたりは微笑みつつベッドに入った。ルリはブリッジから引き摺りだされた時の緊張感が嘘のようにリラックスしていて、まるでホキ女史と寝る時のような落ち着いた顔をしていた。
 ミナトはそれをみて、とても満足そうに笑った。
「ねえルリルリ。起きてる?」
「はい、なんですかミナトさん」
 暗くなった部屋の中。天井をみあげてミナトとルリは会話していた。
「ルリルリって……変なこと聞くけど、もしかして昔は、男の子として育てられたとかそういうクチ?」
「!」
 ぴく、とルリの身体が反応した。
「どうしてそう思うんですか?」
 なんとなくね、とミナトは笑った。
「確かにあれは異常事態だったけど、でも男性に肌を見せてもまるっきり平気だったでしょルリルリ。女の子相手にはあれほど警戒してたのに。
 それでね、なんとなく」
「……否定も肯定もしません。ですがそう言われればそうかもしれませんね。少なくともホシノ夫妻にひきとられて娘になる前に、自分を女の子だと思っていた事はなかったと思います。女の子として自分を認識することも、そう生きることを教えてもらったのもホキさん、つまりホシノ博士なんです。
 女性に警戒してしまうのはそのせいだと思います。なんだか恥ずかしいんです。変に意識してしまってますね。わかってはいるんですが。
 ですが、肌を見せてうんぬんというのは別問題です。もしかしたら殺されるかも、ただじゃすまないかもっていう異常事態の中でしたから」
 嘘はついてないな、と思いつつルリは答えた。そっかぁ、とミナトは頷いた。
「随分と修羅場慣れしてるよね。それに身体も鍛えられてる。細くて可愛いけど力も強いし瞬発力も大したものだわ」
 完全武装の軍人三人、それも襲う気まんまんの狼藉者たちを目の前にして物怖じもしない態度。ミナトはそういう世界の経験がないから漠然とした感覚ではあるが、それが普通でないのは火をみるよりも明らかだった。
「鍛えているというのはその通りです。センターで武道を少し習ってました。さすがに大人の軍人さん相手に戦えるようなものじゃありませんが、同年代で武道をやっている女の子となら、なんとか勝負になるかもしれません。
 そうですね、うまく足元を乱せたのはそれもあったと思います。
 修羅場慣れというのは……ちょっと私にはわかりません。正直私も夢中でしたから。そのあたりはミナトさんと似たようなものかも」
「あ……そういうこと」
「はい?」
「ううん、なんでもないよ」
「?」
 勝手に納得してしまったミナトに、ルリはちょっと眉を寄せた。
 実は、ミナトはある程度の怖い思い出があった。若いころひとりで泳いだり遊んでいて、不心得者の若者たちに襲われたことが何度かあったからだ。特に武道などをやったわけではなかったし軍人相手なんてこともなかったが、それらの経験は確かに今回も生きたように思う。
 その経験からミナトは、ルリもこの若さで何かそういう修羅場の経験があるのだろう、と判断していた。
 それは多少の勘違いを含んでいたが、どのみちミナトにはどうでもいい話ではあった。だからその話はここで終わった。
「ま、いいわ。とにかくもう寝ましょう。ね」
「はい」
 ミナトはルリを包み込み、ゆっくりとぽん、ぽんと背中を叩き始めた。
 ルリは最初、まるで赤子のように自分を扱うミナトにちょっと眉をしかめた。だがそれが心地よかったこと、そして服用させられた鎮静剤がききはじめたのか、そのまま何も言わずにうつら、うつらとしはじめて、
「……」
 やがて、眠りに落ちた。
「……」
 ミナトはそんなルリをじっと見ていた。
 そしてゆっくりと自分も寝ようとしたのだが、
「……ごめん」
「?」
 ぼそ、とルリが何かをつぶやいたのに気づいた。
 眠りが浅いのだろう。まぁいいかと再度寝直そうとしたのだが、
「ごめんユリカ……ルリちゃん……俺は……」
「……」
 寝言とはいえ血を吐くような慟哭に、ミナトは思わず眉をよせた。
(ルリちゃん?俺?どういうこと?)
 断片的なもの。しかもたかが寝言である。
 だが、自分を俺と言いユリカと『ルリちゃん』に謝る悲しげな声。それがただの夢の産物とは、なんとなくミナトには思えなかった。
 いったい、この子はこの小さな肩にどれほど苛酷な人生を背負っているのか。
 以前の暮らしについては断片的ではあるが聞いている。今でこそホシノ夫妻の娘となっているが以前は何やらよからぬ事に利用されていたらしく、ナデシコの中枢に関わるような凄いオペレーション能力もそのためらしい。またアキトたちとの会話のはしばしに『センター』『実験』などの単語も小耳に挟んだことがある。
 これが意味するものは。
(人体実験……)
 その凄惨な言葉の意味するものに、ミナトは悲しげな顔をした。
(……)
 ルリの寝息が少し荒くなった。目からは涙がこぼれている。
 そのさまがあまりに悲しくて。
 あまりにみじめで。
 気づけば、ミナトはルリをやさしく抱き締めていた。
「……」
 懐の中で、ゆっくりと落ち着いていくルリ。
(……大丈夫よルリルリ。
 わたしだって……ルリルリの味方だから)
 ミナトは子猫のように眠るルリの額に、ちゅっと優しく口づけをした。
「……」
 そしてルリのぬくもりを確かめつつ、彼女もゆっくりと眠りに落ちたのだった。

 翌日から、ルリとミナトはとても仲良しになった。
 ミナトはルリから事情を聞かないしルリも何も話さない。だがそれで十分だった。ミナトはルリが頼ってくるならいつでも力になるつもりだったし、ルリもそんなミナトがわかるのか全幅の信頼を寄せていた。その姿はユリカに筋違いな嫉妬をさせたり、ゴートホーリをなぜか悩ませたりと各部に小さな混乱を招いていたがまぁそれはそれ。仲がいいのは悪いことではないだろう。
 ナデシコブリッジの人間相関図が、また少し変わった。
「……やれやれ。ま、いっか」
「どうしたんですか?アキトさん」
「いや、なんとなく」
「?」
 メグミの問いかけに、アキトはただ苦笑すると再びコンソールに向かうのだった。
 その笑みは、知るひとの目には遠いいつかの『電子の妖精』をどこか彷彿とさせるものだった。

(おわり)



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