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黒いナイトメア

 テンカワアキトが旅立ったテラスで、アルクェイドはぼんやりとしていた。
「……」
 月が綺麗だった。
 千年の時を経て、今ではひとも住むようになった月。けれど、今もその輝きは変わる事なく神秘を秘めていた。冷たい光にてらされ、ひとりぼっちの姫君はただ、無心にくつろいでいた。
「……さっちん?」
「はい。アルクェイドさん」
 闇の向こうに、赤い瞳の少女が立っている。
「…相変わらずその格好ね。懐かしいけど…飽きない?」
「また新調したんですよこれ。見た目は同じですけど」
 彼女…弓塚さつきは、高校時代の制服をまとっていた。
 死徒となってわずか数日で個有結界まで展開するほどに急成長を遂げた『化け物じみた天才』。ひとは彼女を逆時計と呼ぶ。彼女の個有結界『枯渇庭園』で敵が滅ぶさまからついたとも言われるが原因はわからない。一説によると、彼女が逆回転のアナログ時計を愛用するためとも言われる。そもそも死徒で腕時計を愛用する事自体相当の変わり者だから余計、それは目立つ。
 だが、アルクェイドは知っている。彼女の逆回転時計の意味を。
 望んで死徒になったわけでないさつき。志貴が好きだったさつき。彼女は戻りたいのだ。そう。最初で最後に志貴とふたりで下校したという、あの夕陽の中に。
 数百年の時を経て、未だにさつきの腕には逆回転時計がある。艶消し黒という色気のない色だがデザインは優美なものだ。昔の日本の女学生然とした姿と紅い瞳、そして黒い逆回転時計。この3つが彼女のシンボルでもある。
「それより…いつもならレンをよこしてから来る貴女が、今日はどうしたの?」
 もともと死徒狩りをしていたアルクェイドは、死徒の気配にはどうしても警戒してしまう。さつきはそれを好まなかったから、常にレンを先によこして自分の来訪を告げていた。
「はい。レンちゃんですけど、私の元を離れました。今夜はその報告に」
「!へえ、めずらしいわね。怠惰なあの子が自分から?…寄ってくでしょ?さっちん」
「はい。私も久しぶりの日本ですし、千年城の事もご報告したいですし」
「いいわね。入りなさい。あぁ、わかってると思うけどここで吸血はやめてね」
「あはは、わかってますよ。こんなとこでアルクェイドさんが堕ちちゃったら私、真っ先に吸い潰されちゃうじゃないですか。」
「あら、そう?今のさっちんなら私の足止めして逃げるくらいできると思うけど?」
「…ん〜、できないとは言わないですけど…アルクェイドさんとは戦いたくないなあ。志貴君怒ると思うし」
「…あはは、かもね」
 煌々と輝く満月の下。真祖の姫君と若き死徒は、楽しそうに笑いあった。

 しゃく、しゃく、ぽりぽり。何かを喰む音。
「…レン。そんなの喰らって美味いか?」
「…♪」
 さっき誤って殺しちまった警備員…ゴートばりの大男だ…を、小柄なドレス姿の少女が食べている。
 いや、食べているといっても実際は単に食べているのではない。肉体に残る精気を吸い上げているのだ。汚れると目立つから黒いドレスを着せているが、そうでなきゃ全身血まみれだろう。
 彼女にとりそれは、食後のデザートのようなものらしい。メインディッシュが何であるかは秘密だ。
「どうやら、最低限の者だけになったようだな。そろそろ行くぞレン」
「…」
 コクコクと頷き、レンは立ち上がった。
 別に、忍びこむのが難しいわけではない。忍びこむ必要すらないかもしれない。けれど殺すのは最低限の人間でいいのだ。特に今入ろうとしているクリムゾン首領、ロバート・クリムゾンの屋敷なんぞでは。
 奴は金銭面のバックアップで関わっているというだけで、火星の後継者と強いつながりがあるわけではない。奴が消えれば後釜の最有力候補はあのアクア・クリムゾン。頭はおそろしいほど切れるが火星の後継者に興味がなく、援助する気もない事は確認ずみだ。彼女は適材適所という言葉をよく知っている。好戦的だが引く時は引く。非合法な部分もある事はあるが、非合法な力を父親のように最前面で使ったりはしない。この部分、裏で汚い事をしつつも人体実験なんかを嫌ったアカツキと同類かもしれない。キツネではあるが魔性の狐ではないのだ。
 だから、消すのはロバートだけでいい。あまりに綺麗にやりすぎるとアクアが犯人と疑われる可能性があるがその点はぬかりない。このレンの食べ残しがあるからだ。単なるバラバラ死体なら普通の襲撃者でも残せるが、干からびた精気の吸い残しなんて残せる襲撃者はほとんどいない。というか居たとしても残さないだろう。俺はあえてそれをほったらかしにする事により、人外の化け物が火星の後継者の残党を潰している、という事を裏世界に噂として広めていた。
「さて、行くか」
 堂々と表玄関に回る。警備員らしい男たちが近付いてくる…が、俺だけならともかく傍のレンを見て愛想を崩す。見た目には…というか性格もだけど、かわいらしい幼女じみた少女でしかないからだ。
「何かご用ですか?」
 ほら、態度も柔らかい。俺ひとりならとっくに戦闘になっているところだ。
「夜分にすみませんが、ロバートさんにお逢いしたいんです。開けてもらえませんか?」
 夜分どころか深夜だ。もちろん受理なんかされるわけがない。だが、
「…わかりました。しかし、お逢いできるかどうかは」
「かまわない。お休み中なら失礼するから」
「わかりました」
 俺の目を見た警備員たちはすぐに受理してくれ、門を開けてくれた。…うん、さすがは満月だ。いい効果だね。
「いこ、レン」
「…」
 こくり、とうなずくとレンは、警備員たちにバイバイをして俺のあとについてきた。
 
 何人かのメイドや警備員に呼び止められた。しかしすぐに通してくれた。
 彼らとカメラによる監視員との会話も聞こえた。だが問題ない。レンについている血は黒ドレスで目立たないし、直接逢った者も問題ないと言う。これではカメラで見ている監視員も警報は出せない。出したら下手すると首が飛ぶだろう。
「…君には感謝しないとな、レン」
「……」
 なに?と、レンは俺を見上げる。
「無駄な犠牲もなくこうして中に入れるのは君のおかげだ。今さら偽善かもしれないけど、無駄な殺しはやっぱり気分がよくないからね」
 どんな技を使おうと、人間と機械の両方を使って稼働する最新鋭の警備システムを破るのは容易ではない。どうしてもたくさんの儀牲者が出てしまう。
 ある日、非合法の研究施設襲撃のおり、俺はこの子の飼い主に逢った。彼女「逆時計」は血の匂いに惹かれて見に来たそうだけど、行われている人体実験のあまりの凄まじさに、人食いの吸血鬼のはずの彼女すら唖然としてしまい、どうしたものかと悩んでいたんだそうだ。
 彼女いわく、「それは違うよアキト君。私は食べるために殺すんだよ?実験とかなんとか、そんな理由のために『同じ人間』にあんな事するのと一緒にしないで欲しいな」…気持ちはわかるんだが、その論理は吸血鬼同士でしか通用しないと思うぞさつきさん。いやマジで。
 なるほど、彼女は変わり者だった。あのアルクェイドの関係者だけの事はある。「なりたて」の新米の俺に興味を示し、色々話してくれたのだ。そして俺がアルクェイドの手で今の俺になった事を知って驚き、レンが俺に何故か懐いてくれた事をきっかけに、レンが望むなら当分貸してあげるよ、と言ってくれたのだ。
 なんだか、「君って志貴君に似てるね。レンちゃんが懐くのもよくわかる」なんて意味不明の言葉までつけてくれたけど…なんなんだ?
「お、ここだな」
 ロバートの部屋はここらしい。部屋番の男を軽く眠らせ、ドアに手をかける。と、
『誰だね』
 !ほう、気づいたか。これはこれは。
「侵入者です。ロバート・クリムゾン氏にお話があって参りました」
『…屋敷中の警報を騙し、監視員も欺き、かね。呆れたものだ。できれば我が社に欲しいくらいだよ』
「光栄です。で、入ってかまわないですか?」
『…帰れと言っても今さら帰るまい。かまわんよ』
「では、失礼します。…レンはどうする?」
「…」
 わたしも入る、とレンは頷いた。
 
 闇の中にあって、ロバート・クリムゾンの部屋は意外にも質素だった。
「寝室は飾らぬ趣味なのだよ。こっちに来ないかね?お嬢さんも」
「……」
 常夜燈のほのかな灯り。薄闇に浮かぶ小さなテーブル。ごくごく身近な来客と話したり、書き物をするためのものだろう。椅子は3つある。
 ロバート・クリムゾンはそのテーブルの一角に座っていた。茶色のガウンをまとっている。典型的な白人のオヤジ、という感じだ。贅沢な姿をしてないのが成金っぽくない。飾らぬ趣味というのは夜着にまで徹底しているようだ。
「…呆れたもんだ。ずいぶんと用意周到ですね。」
 三つめの椅子が子供サイズなのに、俺はため息をついた。
「まさか、とは思ってたがね。あらゆる警備システムを無効にする強力無比な暗殺者がいるという噂は聞いていた。少なくともそのひとりがドレス姿の女の子という噂も。…ま、銀の弾丸を持ち歩く猟師の気分と言ったところか」
「なるほど」
 昔、西洋の猟師はいつ狼男と遭遇してもいいように、一発だけ銀の弾丸を常に携帯していたという。
「来たまえ。今さらジタバタはせん。儂はどのみちもう長くないしな。可能性があるとすれば、そうだな…儂ひとりが死ぬか、なんとか君達を道連れにする事に成功するか…その程度の可能性しかあるまい?」
「…狸ですね、ロバートさん」
 俺は考えた末、ロバート氏の向かいに座った。
「…レンはどうする?」
「…」
「う〜ん、ここには甘いものはないよ。困ったな。」
「ははは、かまわんよ。残念ながら子供の好きそうなものはないんだが…そうだな、チーズケーキなら辛うじてなんとかなるかもしれん。うちのシェフが道楽で作っているものだが」
「すみません」
 ロバート氏は苦笑すると、インターホンを呼び出してチーズケーキがないか尋ねていた。
「…なんとかなりそうだ。さすがに、できたての最高のものとはいかないが。すまないね」
「いえ、こちらこそ。俺自身がそこまでされたら正直怖いけど、レンは実行犯じゃないですからね。最悪、俺に万が一の事があってもいいけどこの子が傷ついたら悲しいです」
「…ほう。じゃあ、この子は君の関係者ではないのかね?それにしては随分と危険なところにも連れて来るんだね」
「…まぁ、色々ありましてね。日本には昔、3つのわが子を連れ歩いた暗殺者もいたそうですし。そのあたりはあまり聞かないで貰えますか?」
 アメリカ人のロバート氏が、日本の古い古い時代劇なんか知っているとは思えないけどな。
 実のところ、レンは物理的に戦わないというだけで立派な戦力なのだが…あまりそういう目で見てほしくない、という気持ちがなぜかあった。ほんとは何世紀も生きてて、夢魔というより悪魔に近いくらいになっているそうなんだけど…だけどな。
 そのうち、チーズケーキが届いた。あからさまにレンの目が嬉しそうになる。いや、彼女好みがレアチーズケーキというのは『逆時計』に聞いてるから別に不思議じゃない。なんでも、精気喰いしか知らなかったレンにレアチーズケーキを食わせたのもアルクェイドの夫…そう、あの「シキ」らしいのだ。
 しっかし…本当にとんでもない色男だったんだな。シキって奴は。
「はっははは。毒など入ってはおらんよ。好きなだけ食べなさい」
「…余裕ですねロバートさん。それは、俺たちを逃さないという自信ですか?」
「まぁ、そうだな。さすがに私は殺されるかもしれんが」
 苦笑するロバート。おそらくこの会話も、レンがケーキを食べる時間さえも計算のうちなんだろう。周囲には人間と、そして機械との警備陣が続々と集められているに違いない。実際、気配が外で慌ただしく動きだしてるし。
「確かに。さすがに参りましたね。ただではすみそうにない」
 死体の山を作るしかない、という意味だが。
「はっはは。豪胆だな君は。やはり欲しいな。どうかな?わがクリムゾンに来ないかね?これは一企業のトップとしての真剣な願いだが」
「…残念ですがそれはちょっと。お子さんの世代になったらちょっと考えますが」
「ほう。…つまらぬ事を聞くようで悪いが」
「?ああ、それはないです。お子さんたちの誰かの手引き、というわけではありません。貴方を狙ったのは俺自身。俺はそもそも職業暗殺者じゃないし。情報入手のためにその筋に渡りはつけてありますけど、依頼があったとしても受けませんよ」
「!それはそれは…そうか。それは残念だ。」
 本当に残念そうだった。演技としても大したものだ。
 そうこうしているうちに、レンが満足そうに顔をあげた。ケーキのかけらが頬にくっついている。
「レン。ちょっと待て」
「?」
 俺は頬についているチーズのかけらをとり、食ってやった。
「……」
 なんだかよくわからないが、レンはちょっと赤くなった。…???なんで?
「…くっ…はははははっ!」
「?」
 いきなり、ロバート氏は楽しそうに笑いだした。
「…なんですか?」
「いや、すまん。ははは、いやぁこれは…なるほど。そういうわけで君の連れ、という事か。なるほどなあ。」
「…はぁ?あのですね…!」
 ふと顔をあげると、ロバート氏は左手で拳銃をかまえていた。口径は小さなものだが、サイレンサーも何も付いてない。相手の動きを止め警備員を呼び込むには充分なものだ。威力より扱いやすさ、そして有事を警備員に知らせる事だけを狙った選択だろう。
 …しかもそれは、レンを狙っている。
 …って、左手だけで?
「…なるほど」
「子供を狙うのは心苦しいが…この銃なら死にはせん。最高の医療スタッフも待機させてある。安心したまえ」
「…意外に男気のあるひとだと思ったのが…失敗だったか。残念だ」
 自分の声が、暗くなっていくのがわかる。全身に力が籠っていくのもわかる。
「レン」
「…」
 大丈夫、と無言の返答。まあ、彼女が銃弾で死なないのは確認ずみだし、銃からも嫌な感じはしない。
 という事は、いわゆる概念武装とやらが使われているわけでもない、か。
「大人しく投降したまえ。悪いようにはせん。私は腐ってもいち企業のトップだ。君ほどの人材を無碍に扱うつもりはない」
「…ほう?なかなか笑わせてくれるなロバート・クリムゾン。
 会戦前から火星と裏でつながり、戦争を煽って利益を得た大馬鹿者の分際で」
 パン、という音がした。身体に衝撃が走る。
「…ほう。さすがにこの小さな弾丸では無理か。流石だな。」
「…俺を殺したいなら一撃で倒せ。でなきゃ死ぬのはおまえだ」
 苦しそうな振りをしながら、俺はせいぜい忠告してやる。
 だが、聞こえてないらしい。一発ぶちこんだ事で絶対的優位を確信しているようだ。
「……」
 俺の横で、レンは沈黙している。
 だが、既にこの状態でレンは動いている。本来なら今の銃声で部屋に飛びこんでくるはずの者たちが来ず、静かなのがその証拠だ。近付けないよう結界を張ったか、この部屋の銃声を外部から聞けないようにしてあるかののどちらかだ。
 優位におぼれているのか、ロバートはそれに気づかない。
「大馬鹿者は君だろう。
 そこまでの情報があるならなぜ、それを使って仲間を集めない?あるいは我が社と敵対する他企業に売り込むなり、軍を巻き込むなりの手段をとらない?私ひとりを倒したとて何も変わらない。企業とはそんな簡単なものではないんだ」
「そうだな。確かにその通りだ」
「…?」
 あっさり俺がそれを認めたのを、ロバートは不審に思ったのだろう。眉をしかめる。
「…まさか、それが狙いではないのか?クリムゾンそのもの、あるいは私が狙いなのだろう?」
「それこそまさかだ、ロバート・クリムゾン。俺は、たかがいち企業にすぎないクリムゾンの利益になんぞ興味はない。貴様を狙ったのも、単に邪魔だったからにすぎない。」
「…ならば、私が投資している何かかね?
 確かに、私が死ねば資金の流れは止まるだろう。しかしそれでは、その者たちの息を止めるのは無理だぞ?私がやらずとも子供たちの誰かがやる。誰かがやらなきゃ競合他社のどこかがやる。企業による出資とはそういうものだ。需要があり利益が得られる算段があれば、それは行われる。」
 …?
 なんだろう。ロバートはいやに必死だ。優位を確信しているはずなのに?
「…確かにそうだな。そしてあんたの想像は正解だ。さすがだな」
「…そうか。やはりな」
 ふう、とロバートは肩の力をぬいた。
「卒直にいって、君の能力と才能は惜しい。私としてはぜひ腹心に欲しいところだ。
 私を憎んでいる、というのなら仕方がない。しかし君は今、そうでないと言ったな?」
「ああ」
「では、君が私を殺そうと至った根元を正そう。私にはもうなんとなく想像がついているが…それでどうかね?」
 ほう。今度はそう来たか。
「それは悪くない話だが…」
 ほう、とロバートの肩が動いた。
「もう遅い」
「!」
 その瞬間、俺とロバートは動いた。
 老体のくせに、ロバートは意外にいい動きをした。飛びかかる俺にとっさに距離をとり、正確に弾丸を撃ち込んでくる。
「くはっ!」
 衝撃にたまらず、声が出た。胸にぶちこまれて肺が押されたようだ。
 口径のちいさい銃とはいえ、いい動きだ。護身の基本くらいはちゃんと学んでる、という事か。ただの強欲じじいではなかった、という事だな。
「!?なぜだ、何故止まらない!?いや」
 今になって、警備員が踏みこんでこない事に気づいたらしい。きょろきょろと周囲を見、そしてレンにハッと目をやる。
「……まさか!」
「あいにくだな。レンは俺やおまえさんより何百年も長く生きてる、掛け値なしの『本物』だ。俺にとっちゃ、相棒というより懐いてくれる可愛い仔猫、という方が強いが…ってこらっ!」
 レンを撃とうとするロバートに突進し、その手首に手刀をぶちこんだ。
「ガァッ!!」
「馬鹿野郎!!」
 力を入れすぎてしまった。銃はロバートの手首ごとちぎれてふっとび、柔らかい床に小さな弾丸を一発ぶちこんで止まった。
「…ち、ショックか」
 手首から血を噴き出しつつ、床に倒れたロバートが痙攣している。今の衝撃で神経系がイッちまったようだ。
「…できれば少しでも苦しませたかったんだけどな…仕方ない」
 ふう、とためいきをつく。
「レン、大丈夫か?」
「…」
 いつのまにか隣に来ていたレンが、コクコクと頷く。
「よし、悪いけどもう少しがんばってくれ。結界を解くと戦闘になるからな。その前に、ぎりぎり行けるとこまで脱出する」
 ロバートさえ殺せばここに用はない。レンをこれ以上あぶない目にあわせるのもごめんだ。
「……」
「ん?そうか?…よし、じゃあがんばろうな」
 レンは、美味しいケーキ作ってくれたひとを殺したくない、と言った。
 俺はその瞬間、どんな顔をしたろう。
 ずっと昔…もう忘れちまったほど昔、俺はコック志望だった。俺は、今のレンみたいな笑顔を見たくて、そのためにコックになろうとしていたんだ。
「…?」
「いや、なんでもない。行こう。」
 俺はそう言うと、レンの肩をポン、と叩いた。

「はぁ〜ん。狙い通りっていうか…面白いくらいにうまく行ったわね、それ♪」
「なるほど。…アルクェイドさんがそこまで策士だなんて知りませんでした」
 場所は戻り、日本。七夜の森。現在、一部でブリュンスタッド別館とも呼ばれる、かつての志貴とアルクェイドの家である。
 リビングというには狭い、ただの応接間。さつきとアルクェイドがお茶を飲み話している。
「彼の過去を見て思ったのよ。志貴ならどうするだろうってね。で、貴女とレンの話をしといたの。彼はアイちゃんとかホシノルリとかラピス・ラズリとか、とにかく小さい女の子にめちゃめちゃに甘いのよね。しかも元コック志望でしょ?レンは夢魔のくせによく、志貴にお料理作って貰って一緒に食べてたし」
「でも彼、奥さんいるんですよね。義理ったって娘さんも。どうしてそんな事?」
「…無理よ」
「え?」
 アルクェイドは眉を寄せた。
「彼にとって、この世界の彼女たちは同一人物にして別人なの。真面目すぎる彼は同じに考える事ができない」
「で、でも」
「しかもよ。濡れ衣とはいえテロリストの汚名を着せられてる。これでもう決定的ね」
「そんな…ひどい」
 さつきの顔が、悲哀にゆがむ。
「あなたも変わらないわね、さっちん。死徒とはとても思えないわ」
 その指摘にさつきは、目をごしごしとこする。
「…そりゃ、アルクェイドさんに分けてもらった血のおかげです」
「私は助けるつもりなんかなかったのよ別に。…ただ、志貴の悲しそうな顔見てるとつい、ね。…将来の事考えると、とんでもない事しちゃったって思うんだけど」
 ふう、とためいきをつくアルクェイド。
 本来なら百年かかる「死徒になる」という工程をたったの半日で済ませ死徒として覚醒したさつき。魔術師でもなんでもない普通の少女がそんな課程をふむなんて普通ありえない。その才能が只者であるはずがなかった。
 事実現在、さつきはネロの後釜として死徒二十七祖に分類されている。
 しかし、さつきはアルクェイドとは敵対しようとしない。志貴の奥さんだったという一点においてもそうだし、そもそもさつきは他の死徒と違い、アルクェイドを警戒する事がない。それは血を貰って力と性質を安定化してもらった、という過去の恩だけの理由ではないだろう。
「わ、私の事はともかく、これからどうするんでしょうかアキトさん」
「彼は、『守るべき対象』がいれば壊れる事はないでしょう。そのためにレンはうってつけだわ。幸いレンも懐いてるみたいだし。あの子のためにもこれはいい事ね」
「志貴君がいなくなってから、やっぱりなんだかんだで元気なかったもんね…あの子」
 ふう、とさつきはためいきをつく。
「彼は優しい男だわ。唯一の問題点は志貴と同じで優しすぎて、自己犠牲がすぎる事。幸い志貴と違って敵すら殺せないほどには優しすぎないし、これでうまくやっていけるでしょ」
「……もう一杯飲みますか?」
「あ、いいねさっちん。ついでにお酒も出そうか」
「いいけど…酔えるんですかアルクェイドさん。私は多少酔えるみたいですけど」
「だーいじょおぶ!志貴と飲むのにアルコール分解のタイミングは覚えたもの。へべれけになるほど酔うのは難しいけど、酔いを愉しむくらいはできるよ?」
「はぁ、便利ですねそれ。志貴君あまり強くなかったから…羨ましがられませんでした?」
「そりゃあもう。よく恨めしそうに……ってさっちん。どうして志貴が弱いって知ってるの?」
「!!」
 しまった、と口をつぐむさつき。しかしもう遅い。
「ほう。志貴ってば、さっちんともよろしくやってたの。…知らなかったわそれは」
「い、いやアルクェイドさん。それはその」
「よし、飲もう!ついでにそこらへん、きりきり語ってもらうかんねさっちん!あはははっ!!」
「わあああっ!!アルクェイドさん!秋葉さん入ってますそれ!きゃあっ!!」
「あははははっ!!」
 さつきの頭をつかみ、グリグリと拳骨を押しつけるアルクェイド。情けない声をあげるさつき。
 夜は更けていた。月はいつしか中天から西に傾き、光が少し弱まった分だけ東の方から、星々の輝きが少しずつ増している。
『あははははっ!』
 森の中の一軒家から洩れるあかり。楽しそうな女(?)ふたりの声。
(…やれやれ)
 森のどこかから、もういない館の主の、ため息が聞こえたような気がした。

 おわり



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