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月に愛された姫

 俺は女の手当をうけた。
 意外にも女は手当に慣れていた。聞けば彼女の夫になった男は身体が弱かったらしい。よく倒れたので手当は自然とマスターしたのだという。
「私でもゾッとするくらい強かったけど、やっぱり人間だもの。ま、繊細なレーシングカーみたいなものかな。普通でない機能と性能を持つために他の部分が弱すぎたのよね。
 志貴には妹や可愛いメイドさんたちまで居たけど、結婚した後は志貴が拒んでね。ま、そのあたりにも色々あるんだけど、そんなわけで私と、それからレンっていう子のふたりで志貴の世話もするようになったっていうわけ。」
「あんたがゾッとするほど…?それは凄いな」
 正直、誇張でなく連合軍と生身で戦えそうなバケモノが「ゾッとする」なんて…どんな人間なのか想像もつかないぞ。
「強かったわよ、志貴は。実際、はじめての出会いで私、彼に殺されてるもの。ナイフ一本で分解されたの。出会い頭に一秒とかけずに、十七の肉片にね」
「…どんな技だそれは」
 というか、本当に人間なのかそいつは?いくら脆い人体とはいえ、一秒かけずに十七に分解するなんて爆破でもしないと絶対無理だぞ。それをナイフ一本?
「…ていうか、分解されたら死ぬだろ普通。ふざけるな」
「ええ、死んだわよ私。復元するの大変だったんだから」
「……」
 あいた口が塞がらん。もし本当ならこの女、不死身なんて言葉すら生ぬるいぞ。
「それで復元してから志貴を捜しだして追いつめて、私を殺した責任とれって詰め寄ったの。それが、なれそめって奴かな」
「……」
 頼むから照れるな。頬そめるな。勘弁してくれ。
「…そりゃ悪夢だ。怖かったろうな、そいつ。」
 俺もひとをたくさん殺して来た。悪夢も数えきれないほどに見た。よくも殺したな、地獄へ来いってすがりつかれた。今も時々見る。ひどい夢、最悪の夢だ。
 ライブでそんな目にあったのかそいつは。なんとも酷(むご)いなそれは。間違っても同じ目になんか逢いたくないぞ。
「…しかし、そんな力があるなら」
 どうしてこの戦争の行く方に関与しなかった?
「あら、私は人間じゃないもの。人類種がどうなろうと本来、知ったこっちゃないわよ」
「……」
 なるほど。簡潔な説明をどうも。
「…でも、人間の男と結婚したんだろ?少しは関わりもあるんじゃないか?」
 少し、意地悪な詰問などしてみる。
 だってそうだろう。この女はたったひとりで、あの戦争そのものをひっくり返す事だってできたはずだ。あれだけのバッタを問答無用で一瞬に消去できるのなら、それだって可能だったはずだ。
 だが女は、艶然と笑うだけだ。
「高く買ってくれてるのは嬉しいけど、それは買いかぶりってものね。
 私の力は確かに大きい。けど大きすぎるわよ。戦争に勝つためにアメリカ大陸が消滅しました、じゃなんの意味もないんじゃない?」
「…大きく出たなそれは。」
 こいつ、クリムゾンの本拠がアメリカにあるのにひっかけてやがるな。いったい、俺の頭からどれほどの知識を仕入れたんだ?
「別に誇張してないわよ。私が全力を出せば大陸の形くらい変えられる。ちなみに核攻撃かけても私は消せない。人間の作った近代兵器なんかで私を滅ぼすのは無理よ。だって、なんの概念武装も施してないんだもの」
 …おいおい。
「とはいえ、私独自の敵もいるのよね。そんな事したら「 」も活性化しちゃう。大騒ぎ、ていうか神魔の時代の世界戦争の再現になりかねないわ。だからそれは御免だけど」
「…なるほど。相克ってやつか」
「ええそうよ。わかってるじゃない」
 女は人間ではない。女の言葉を信じるならある意味、普通の生物ですらないのだという。女の言う「精霊種」とか「幻想種」とかいう言葉はよくわからないが。
 だが、こいつのような者が自然に存在するなら当然、それと拮抗する者もいると考えるのが確かに正論だ。大陸は大袈裟にしてもあの戦闘力。あんなのが激突しあう戦争になったら、日本のひとつやふたつ、たちまち焼け野原になっちまうのはまちがいない。
「そうか、わかった。変な質問して悪かったな」
「いいわよ別に。興味を持つのは無理もないと思うから」
 女…アルクェイドはただ、どこか透明な笑みを浮かべた。

 ここは、アルクェイドが夫と暮らしていた、という家らしい。
 古風な日本家屋だった。運び込まれる時に見えた限りだと、森の中、その一部と融合するかのようにそれはひっそりと立っていた。確かにこれは隠れてる。上空からでは大きな木の影だし、さっきの広場からでは森にまぎれて発見は困難だ。
「強力な結界にもなってるの。たとえ衛星からでもこの森は見付からないわよ。貴方の乗って来た機動兵器は別だけどね。ここに属するものではないから」
「…なるほどな」
 どおりで、この現代日本にこんな秘境のような土地があるのか。
「…これは?」
 壁にかかっている大きな写真。優しい目をした青年が笑っている。相当に色褪せてはいるが、モノクロの状態でも充分に見える。いい写真だ。
「…それが、志貴よ。私と結婚した頃の写真」
「…そうか」
 俺はその青年の顔を、じっと見た。
「それ、スチール写真なのよね。妹のメイドの提案で撮ったんだけど」
「…スチール写真?」
「ええそう」
 アルクェイドは複雑そうに笑った。
「二十世紀末から二十一世紀にかけてっていうのはね。無知のくせに現代技術を盲信する愚か者の時代でもあったわ。特に「モノを長もちさせる」という事に関しては前世紀より大きく後退してしまったの。産業文明の悪癖でもあるんだけどね。
 いい例が紙よ。当時使われていた紙は酸化しやすいうえに経年変化にすごく弱くてね。当時も条約の調印なんかには昔ながらに羊皮紙が使われてたんだけど、その意味を一般人は理解しなかった。長く持たせようと思えばそのためのコストを惜しんではいけないんだけど、そういうのを盲信と片付けて信用しなかったの。
 昔のひとは知ってたわ。千年、万年持たせるなら石に刻む。数百年持たせるなら羊皮紙のような酸化や劣化に強い紙を使う。インクも同様ね。なのにそれよりコストを優先し、たかだか数年で色あせるような粗悪なものを乱造してしまった。」
「…で、このスチール写真はそうじゃなかった、と」
「ええ、そうよ」
 ふふ、とアルクェイドは微笑む。綺麗な笑みだ。
「この写真は特別なの。そのメイド…琥珀と言うんだけど、人間でなく私のスケールで、長もちする写真をっていうんで素材や機材を選びこれを撮って、結婚式の日に私にプレゼントしてくれたの。これなら志貴が死んで何百年たっても、きっと志貴の顔を見ていられるからって。」
「…優しい女だな」
「ええ、そうね。悪巧みばかりして、割烹着の悪魔なんて呼ばれてた娘(こ)だけど」
「…そりゃまた、すごいふたつ名だな」
「ええ」
 そのメイドも、23世紀にもなって自分の事がこうして話題になるなんて考えもしなかっただろうな。
「…寂しくないか?」
「…愚問ね、そりゃ寂しいわよ。志貴はもういないし私はひとりだし」
「そっか。そういやさっき誰かの名前言ってたよな。レン、だったか?」
 中国人だろうか?まぁ人間じゃ彼女のように長生きはできまいが。
「レンは人間じゃないわ。夢魔なの。志貴と契約してたんだけど…今はあちこち飛び歩いてる。逆時計って呼ばれてる強大な死徒に懐いててね」
「…逆時計?なんだそれ?」
 死徒についてはさっき彼女に聞いた。真祖が生み出したり自分で「成った」り色々らしいが、元は人間で後から吸血鬼となった者のことらしい。
 …とはいえ、理解してるのは頭だけだが。平均的現代人の俺には、どうにも感覚的についていけない。
「逆時計っていうのはその子の仇名ね。貴方の元の世界での名前のようなものよ。黒い王子、だっけ?」
「ああ、そんなやつだ。なるほど、ふたつ名なのか。」
 由来については…何か理由があるんだろう。俺が知る必要はあるまい。
「実は彼女…女の子なんだけどね。志貴の高校時代の元クラスメートなのよねこれが」
「…関係者、というわけか」
「そ」
 …それはそれは。世間は狭いってやつですかい。
「ようするに、そのレンって子は君の旦那さんが亡くなった後、彼女に貰われてったわけだ。猫みたいに」
「あら、猫っていうのはうまい描写ね。レンって、普段は黒猫の姿してるのよ?」
「へぇ。でも、なぜ君が連れてないんだ?その女の子に譲った理由は?」
「…どうしてかしらね。でもいいのよ。あの子は夢魔で人間の精気が必要だもの。死徒と違って吸血しない私には養えないわ」
「…なるほど。餌をあげられないってわけか」
「ええ」
 しかしそれって、彼女は本当にひとりぼっちって事にならないか?
「あら、心配してくれるの?でも大丈夫よ。志貴のおかげで知人、友人も随分できたわ。昔は吸血種というと皆、ひとりぼっちで敵ばかりだったけど今はだいぶ違う。ここにも時々何人か遊びに来るのよ?ゼルレッチじいやとか、片刃のエンハウンスとか…それに姉さんも」
「…姉さん?」
「ええ。姉さん。正確には直接の姉妹じゃないし、昔は殺しあいもした。いつかはどちらかが朱い月になって消滅しなくちゃならない…本来なら間違いなく敵対者なんだけど、ね」
「…わからん。そんな関係なのにどうして姉さんなんだ?」
 確かに木連にもいい奴はいる。俺を鍛えてくれた月臣もそうだ。
 …けど月臣は白鳥九十九を殺した。この世界でも!!
「…志貴のせいよね」
「……」
 またか。いったいどんな奴だったんだ。シキってやつは。
「志貴が私を殺しちゃったから。
 エンハウンスは元々、私を含む全ての吸血種を憎み戦う男だった。ところが志貴の事が気に入っちゃったらしくて、なんだかんだやってるうちに私の事も気に入っちゃったみたいなのね。今でも時々寄り付いちゃ、志貴の写真とお酒飲んでくわよ。
 姉さんは…志貴が落しちゃったの」
「…はぁ!?」
 おいおい、浮気って事だろそりゃ。
「姉さん、私と違って色事には海千のベテランなのよね。最初は私に対する嫌がらせで志貴を誘惑したみたいだけど…そんなの、ゼルレッチじいやも呆れた朴念仁の志貴に通用するわけないわよ。ミイラとりがミイラになっちゃったもの」
「…どういう奴だそれは」
 俺は憮然とした顔をしていただろう。
 が、アルクェイドはそんな俺を見てケラケラと笑いだした。
「…なんだ?」
「貴方がそれ言うわけ?朴念仁なら志貴といい勝負じゃない」
「…ちょっと待て。俺はそんな経験なんてないぞ」
「へえ。私、貴方の記憶をさらっと見ただけだけど…ずいぶん居たんじゃない?
 ユリカさんでしょ?ルリちゃんでしょ?イネスさんにエリナ?そうそう、ラピス・ラズリって子も父親への慕情というには少し強すぎるわよね。」
「!?」
「他にも出していい?スバルっていう機動兵器乗りの子でしょ?それから通信士とか、厨房の…」
「…それじゃ俺に関わった子の大多数じゃないか。」
「ええそうよ。自覚なかった…わけじゃないわよね?」
「……」
「ま、自覚があるなら志貴よりマシよ。志貴はほんっとーに天然だったから。」
「……」
 真顔でそう言われると、俺は何も言えなかった。

 何度目かの紅茶を煎れた後だろうか。
 ああそう、紅茶だ。アルクェイドは俺に味覚がないと知り、特殊な力を秘めた紅茶を煎れてくれたんだ。ケンカ友達に教わったというその紅茶は不思議な力を持ちなんと、こんな俺でも味わう事ができた。俺が驚きの顔をすると、『脳がイカれてるからって、味覚というイメージまで失われたわけじゃないでしょ?生まれついての盲人に風景を見せるよりはずっと簡単な事よ』なんて平然と言ったものだ。
 何杯も振舞われた紅茶は、とても美味しかった。味わえる幸せを噛みしめた。
 俺は、俺の知っていた科学の世界という奴がいかに一方的な側面しか見てないか、という事を痛感したんだが。
 いや、それはいい。アルクェイドは何か言いたいようだ。
「で、どう?やっぱり殺しを続けるの?」
「……ああ」
 躊躇う事なく、俺は答えた。
「…そ。これくらい色々話したり美味しいものを頂けば、人間世界に未練を感じて人間として踏みとどまってくれると思ったんだけど…」
「…すまない。ありがとう。見ず知らずの俺にここまでしてくれて」
「……」
 だがアルクェイドは、ふるふると首を横にふった。
「お礼なんかいいよ。…きっと貴方は私を怨むから」
「…なぜ?力をくれと言ってるのは俺じゃないか」
「…」
 でも、アルクェイドは悲しげに首をふった。
「ねえ、本当にいいの?
 今のままなら、貴方はもう3日と持たずに死ぬわ。私でよければ最後まで看取ってあげてもいいのよ?私なら死の苦しみもなくして、安らかに逝かせる事だってできるし」
「たった3日しか持たないなら、なおさらだ。ひとりでもあいつらを多く消さなくちゃ」
 ルリちゃんやユリカに危害を加える存在を消さなくては。
「……」
 アルクェイドは、そんな俺をじっと見ていた。そして何かをつぶやいた。
(…なんて、かわいそうなひと…)
「?何か言ったか?」
「なんでもないわ。…そ。わかったわ。こっちに来て」
「?ああ」
「…せめて、できうる限りの手を尽くしてあげる。
 ひとを人外に変えるためにシエルの知識を使うなんて…あの子が聞いたらきっと激怒するわね」
「???」
「なんでもないわ。さ、はじめるわよ」
「ああ」
 アルクェイドは、肩をすくめてクスクス笑いを浮かべた。
 …けどそれは、なぜか悲しげなものだった。



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