[目次][戻る][進む]

Scene-1

 空港といっても色々あるが、その中でもいわゆる国際空港は特有の空気をもつところが少なくない。それは異国情緒であったり、空港という設備自体がもつどこか冷ややかな空気だったりとさまざまであるが、何より大きいのは『ひとの出会いと別れを紡ぐ場所』だからではないだろうか。
 ひとの出入りするということは、それは無数の『心』が行き来する場所だということでもある。楽しい心、悲しい心、殺伐とした心、喜びに盈ちた心。様々な喜怒哀楽、様々な何かを載せて、今日も空港は無数の明るい『心』を運んでいく。それがあの特有の空気を作り上げているのかもしれない。
 そんな空港の到着ロビーの中、一組のうら若いカップルが抱き合っていた。
 東洋人同士、しかも女の子の方が東洋人としても非常に子供っぽく小さい外観ということもあり、それは通り過ぎる欧米人たちの目には微笑ましい子供カップルのようにしか見えなかったが、それでも確かにふたりはカップルだった。
 空港で抱きあうカップルというのはそう珍しい光景ではない。出会いと別れを織りなす場所であるがゆえに、そんな光景には比較的出会いやすい。日本ですらそうなわけで、過剰なほどの感情表現がお家芸のフランスではそれはもう、ごくごくあたりまえの光景だった。だからその光景は、微笑ましそうにちらりと見て、また去っていく他の乗客たち以外にはだれも注目する事すらなかった。
 お互いのぬくもりを確かめあい、口づけを交わすふたり。
 ふたりを知る者は、背後で優しい目で見ている清浦母のみ。
 暖かい時間が過ぎていた。
 
「ところでまこちゃん」
 唇がやっと離れたかと思うと、刹那が首をかしげた。
「これいつもの普段着だよね?これで飛行機に乗ったの?」
「お、おい」
 いきなりの『まこちゃん』発言に誠の顔が一瞬でひきつった。
 同時に待機している清浦母はぷっと吹き出しそうな顔になった。歩いていく乗客たちのどこかからも微かに笑い声が聞こえている。
「ちょっと待て刹那。こ、こんなとこで『まこちゃん』はよせって!」
 そりゃそうだろう。
 ラディッシュあたりでやらかすのとはわけが違う。ここはフランスの国際空港であるところの、シャルル=ド=ゴール空港のど真中である。こういう面では平均的日本人であるうえに不慣れな誠にしてみれば、それは羞恥プレイ以外の何物でもなかった。
 だが、刹那は慌てる誠の目をまっすぐ覗き込み、そして言った。
「どうして?まこちゃん」
「ど、どうしてって。そりゃ」
 恥ずかしいだろ、と言いかけた誠だったが、
「まこちゃん」
 ずいずい、と顔を近づけられ、たじろぐ誠。
「いや、だってそれは」
 たちまち真っ赤になり、困ったように口ごもってしまった。
 誠はなんとしても『まこちゃん』発言をやめさせたいようだが、刹那は誠の意志を聞き入れるどころかむしろ執拗に『まこちゃん』連呼しているのが見え見えであった。反論できないのならこの話は打ち切りといわんばかりに、うふふと笑ってさらに呼びつづけた。
 ちなみに、母君の笑いはだんだんと耐えがたいものに変わっている模様。うぷぷ、くすくすと笑いをこらえていた。
「それでまこちゃん、荷物はあれだけ?」
 小さなカートがひとつ置き去りにされている。荷物はそれだけのようだった。
「いや、だから刹那」
 まこちゃんは頼むやめてくれと繰り返そうとした誠だったが、
「あれだけなんだ。軽装だね、まこちゃん」
「あ、ああ。せ、せ刹那に早く逢わなくちゃって思ってたから!」
「……うー」
「いやその」
 『刹那』と呼ばれるたびに非難めいた不満そうな目に変わっていく刹那。困り顔がますますひどくなる誠。
 やがて、悲しげにふっとためいきをついた。
「だから……せ、せっちゃんに早く逢いたくて。荷物は着替えしか入ってないし!」
「そっか。機内食は何時だった?おなかすいてない?まこちゃん」
 『せっちゃん』と聞いた途端、刹那は一転して機嫌がよくなった。ただし『まこちゃん』は変わらない。
「……あぁ、すいてる」
 とうとう誠はあきらめたようにためいきをついた。
 が、刹那が母親の方に向いたのに誠は我にかえった。
「お母さん、まこちゃんにごはん食べさせたいんだけど」
「!?」
 ゲッと慌て出す誠。刹那に夢中でたった今まで母親の姿に気づいてなかったようで、肉親のまん前でラブシーンを演じてしまったことに赤くなったり青くなったりしている。
 もっとも、その態度が清浦母にはさらにツボだったようだ。父親の前、しかも女子更衣室で立ったまま本番やらかしたことを実は彼女は知っているのだが、思い詰めたあげくそこまでの行動にまで及んだエロエロ熱血君が『まこちゃん』なんて呼称ひとつであっさり刹那のいいように手玉にとられている。そんな事実が非常に面白いようだった。
 もはや余人にもわかるほど肩を震わせつつ、母君はちょっと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「ええ、いいわよ。んーでもお母さん居ていいのかしら?なんだったら今からホテル使う?ん?」
「!!」
 その瞬間ふたりは真っ赤になり、そのまま面白いほどコチコチに固まった。
 清浦母は先ほどの刹那も凌駕する満面の笑みを浮かべ、ふたりをレストランに連れていくべく「いらっしゃい」と手招きした。
 どうやら、ふたりをおもちゃにして休日を過ごすと決めたようだった。



感想メールフォーム


PLZ 選んでください(未選択だとエラー)







-+-
inserted by FC2 system