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状況

 風呂の後は食堂に向かった。
 設備の中は冷暖房完備なのだが、それにも増して今はぽかぽかしていた。湯上がりの身体は火照っていて心地よいし、病み上がりのため乗せられている車椅子の揺れも気持ちいい。おなか空いてなきゃウトウトしてしまったかもしれない。
 そうこうしているうちに食堂についた。ホキ女史が椅子をひとつどけてくれて、俺はそこに車椅子ごと着席した。
 途中経過は省かせてもらう。トイレにも行ったりしたのだけど、とても描写する気にはならない。あえていうなら「ルリちゃんごめん」と千回くらいは謝罪したい気持ちでいっぱいだった。
 今は自分の身体とはいえ、これはルリちゃんのものだ。股間を拭いている時なんて、情けないやら申し訳ないやら。
 あるべきものがなく、あるはずのないものがある。それだけでも凄まじいストレスなのに、それがルリちゃんのものだってのが……なぁ。
 おしっこやうんちの落ちる音ですら申し訳ない。本来これは俺が絶対聞いちゃいけないものなのだから。
 
 さて。それではホキ女史の事を続けよう。
 ホキ女史は今、カウンターでふたりぶんの食事を受け取っている。
 聞けばこの『人間開発センター』には女性があまりおらず、コンピュータとの会話以外は無能者に等しいルリちゃんに、女の子としての最低限の事を教えるのは以前から彼女の役目だったらしい。まぁ彼女は行動心理学が本来の専門らしいから、遺伝子細工された女の子がどういう行動を示すかというのもそれなりに面白いものではあるらしいのだけど。
 会話の中で、彼女はこう言ったものだ。
『そりゃあ貴女は正式には研究対象、つまり実験動物と同じにすぎないわルリ。だけどね、実験室で純粋培養しただけの存在が外部で能力を発揮できるのかしら?だいいちそんな存在が欲しいのならわざわざヒトから作る必要すらないじゃない。
 「人間開発センター」なのよここは。生み出すのは歩く成体コンピュータじゃない。コンピュータなみの力を持ち、同時に「人間」じゃなくてはならない。だから貴女は人間として扱われ、人間として過ごさねばならないわけ。わかるかしら?』
『わかります』
 そうは言うが、とても義務や職務からそうしているようには見えないぞ。
 目覚めたばかりだから、という事で俺はまだ身体がちゃんと動かない。そんなわけで車いすに載せられているのだけど、行く先行く先で「お、やっと起きたのか」「どうだい気分は?」などといろんな職員に声をかけられた。
 そして、それらに「ども」とか「ありがとうございます」とか返すと非常に喜ばれたりもした。
 ──なあルリちゃん。ここが君の史実と変わらない過去なら……もしかして結構いい環境だったんじゃないか?
「さ、おまちどう」
「!あ、はい」
 いつのまにかホキ女史が戻っていた。目の前にチキンライスがどんと置かれる。
「それにしても興味深いわね」
「そうですか?」
「ええ」
 ホキ女史は俺の反対側に座った。
 火星丼を食べようと思ったのだけどいちおう警戒し、ルリちゃんらしくチキンライスを頼んだ。味のほどはわからないけど、調理自体は悪くないようだ。
 口にしてみる。──へえ。これはかなり美味いな。
 なんだかお腹が空いている。ルリちゃんの身体のせいだ。この身体はたくさんのエネルギーを消費するって事なんだろう。一日に必要なカロリー量すらこの頭は、身体は理解している。
「以前の貴女なら」
「?」
 いきなり、ホキ女史が自分の定食を食べながらつぶやいた。
「以前の貴女ならジャンクフードで間に合わせたはずなのだけど……興味深いわね。昏睡から目覚めたかと思うといきなり普通の食堂にくるなんて」
「あ」
 そういやそうだ。この頃のルリちゃんは食堂になんて来なかったはずだ。
「変、ですか?」
「変じゃないわ、むしろいい事ね。ジャンクフードも現代人の食事ではあるけれど、子供の頃から食べつけるのは決してよくはないもの」
 昔の病院みたいに流動食って手もあったけど貴女の場合は問題ないしね、などとホキ女史は付け足した。
「……では、今までのホキさんはそれをそのまま看過していたわけですか?」
 以前からルリちゃんの世話をしていたんなら、こういうとこに誘わなかったんだろうか?
「うふふ……それを言われると痛いわね。
 ただ、あえて言い訳をすれば貴女の行動理念が面白いとも思っていたという事もあるかな。科学者の悪い癖ね。ヒューマニズムより興味を優先していたわけ。
 ま、それを本人に非難されるというのも妙な気分だけど」
「……」
 ちょっと冷たい目で睨んでやると、なぜかホキ女史はにっこりと笑った。
「何かおかしいんですか?」
「おかしいんじゃない、うれしいの」
「嬉しい?どうしてですか?」
「どうしですか、ですって?」
 ホキ女史はその瞬間、イネスによく似た『科学者の』笑いを浮かべた。
「以前の貴女なら自分があからさまに研究対象に見られたって眉ひとつ動かさなかったわ。あきらめてたわけでもなんでもない。その事をあたりまえととらえ、関心も持たなかったのね」
 ふむ、とホキ女史は食べる手を休めて腕組みをした。
「それは悪い事なんですか?」
「悪いわよそりゃ。
 繰り返しになるけど、ここは『人間開発センター』なの。優れた人間はそりゃ歓迎するけど、人間として欠落があるのは好ましいことじゃないわ」
「……生まれてからずっと実験体だった人間には、それも仕方ないと思います。
 腹立たしい事ではありますけど、生き延びる手段としては異常ではないでしょう。違いますか?
 ……ホキさん?」
「……」
 どうしてか、ホキ女史は嬉しいような、愛しいような不思議な顔をして見ている。
「あの、どうしてそんな目で見るんですか?」
「もう、ほんと可愛くなったわね貴女♪」
「??あ、あのー、頭なでないでください」
「うふふ、いいのいいの♪」
「よくありません」
 ルリちゃんが「子供じゃない、少女です」と言い続けた理由って案外この人にあったんじゃないかな。
 なんだかよくわからないが、異常にゴキゲンなホキ女史だった。



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