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親娘

 それからの毎日は、新鮮な事の連続だった。
 もとより、ルリちゃんのルリちゃんとしての昔の日常について俺はよく知らない。この身体にもいくばくかの記憶はあるみたいだけどそれは記録にすぎない。ぶっちゃけプライベートに関してはあまりにも新鮮だった。
 それでなくとも「女の子になってしまった」という異常事態でもある。これだけでも大変なのに、本当に困り果てるような事ばかり。気がつくとホキ女史に頼ってしまうという情けない状態が続いた。
 気づくと、俺はプライベート中もセンター内をパタパタ飛び回るような生活になっていた。
「う〜ん、筋力や瞬発力は全然だめですねえ……」
 体質の変化も期待したのだけど、そもそもルリちゃんの身体はそういう風にはできていないようだ。筋力は多少つくのだけどそれは「ルリちゃんとしては」の範疇を出てくれない。
「文句いわないの。ムキムキになっちゃったら可愛くないしこの程度で充分よ。
 むしろ大変なものよ。れっきとした大人の男性をぽんぽんなげ飛ばしちゃうんだもの」
「それは」
 瞬発力と勢いなんだよな。武道の心得があれば一般人なんて大人も子供も大差ない。
 この身体では格闘なんてもちろんできない。だから基礎からやり直した。一度は刻んだことをもう一度やり直すのは苦痛だったけど、未来の事を思えばのんびりと過ごすなんてとてもできない相談だったし。
 結果として、数ヵ月でホキ女史が言うくらいの動きはなんとかできるようになった。
 だけど当然、きちんと格闘を学んだ軍人相手にはかなわない。まして、プロスペクターや月臣じゃ文字どおり大人と子供でしかない。
 同年代の武道家にも勝てるかどうか。いや、「殺し合い」なら勝てるかもしれないけど、正式な試合なら勝つのは無理だろう。
「ま、健康体としては立派なものよ。コンピュータがお友達なんて暮らしだとどうしても不健康になりがちだけど、今のルリに関しては全く心配ないわね」
 ホキ女史はけらけらと笑った。
「肝心のアクセス能力の方もまぁ、以前ほどじゃないけど悪くないわ。今のままでも立派に『成功例』ね。経験を積めばもっともっと伸びるでしょうって担当も言ってたし」
 それはそうだろう。
 中身が俺である以上そういう能力の低下は避けられない。身体だけルリちゃんでもオリジナルの経験には及ぶべくもないのだから。最初はもう本当にぼろぼろで、担当はもう半分あきらめたような顔をしてたっけ。
 それに食いついたのは、他ならぬホキ女史だ。
 彼女は『ホシノルリ』の人格面での急成長を盾に実験の継続を迫った。いわく「歪な人格が整理され、より優れた人間として正しい成長の軌道に乗ったと思われる。一時的な能力低下は些事にすぎない」と。
 なんとなく、それは嫌な発言だった。かつてのルリちゃんが否定されているのだから。
 だけど、そのおかげで俺は御役御免になって処分される事もなかった。そればかりか、能力が低下した事で過度の期待もされなくなり、施設の中を我が物顔に闊歩しても文句を言われなくもなった。
 そうしているうちに俺はあちこちのひとと交流をもち、施設内で活動するための拠点をこしらえていったわけだ。
 以前のルリちゃんではありえなかった、筋トレ設備や道場の利用もそのひとつだ。
 そうした結果、今の俺がいる。
「そういえばホキさん、ネルガルの担当からオファーがあったと聞きましたが」
「ええ、きたわ。うちの人と話してたみたい」
 そう。書類上はホキ女史は俺の母親なのだ。これは以前も今もそうだったりする。
 だけど、それはあくまで書類上の事にすぎない。ルリちゃんに聞いたかつてのホシノ夫妻は、大金もらって親権を手放したそうだけど……
「以前のルリならOKしたかもしれないけど、うちの人も貴女を娘のように可愛がってるものねえ。私も乗り気じゃないし、まぁOKは出さないかな」
「……」
 う、う〜ん……やっぱりそうなるか。これはこれで嬉しい事だけど、もう完全に史実と変わっちまったな。
 弱ったな。ナデシコに乗るかどうかはともかくナデシコの面々には会いたいものがあるんだけど。
 ええい、ままよ。
「ホキさん。お願いがあるんですが」
「ん?なに?」
「そのお話、正式にお断りしてしまったのでないならば、少し考えさせてほしいんです」
「……」
 ホキ女史は俺の顔をじっと見た。
「難しいわね。どうしてもというのなら話は聞くけど、貴女を手放すのは正直ごめんだわ」
 もう私たちの娘みたいなもんだし、だいたいあの人がそれ聞くかしらとホキ女史は眉をしかめた。
「……そこをなんとか。あ、それとこれも私からのお願いなんですが」
「なに?これ以上面倒事なの?」
 はい、と俺は答え、そしてこう言った。
「私の親権はホキさんに持ってて欲しいです。センター所属という意味ではなく、貴女の娘という意味で」
「え……?」
「ダメですか?」
「……」
 ホキ女史は、あっけにとられた顔で俺を見ていた。
 この数ヵ月で、ホキ女史とその夫、つまりホシノ夫妻がどういう存在であるかは理解できていた。書類上の両親であり実質の保護者はセンターである事も。もともとホシノルリをここに買い取ったのはセンターなわけで、夫妻は『夫がセンターの職員であり』養父母としての立場を貸したにすぎないのだ。引き取るとなれば法的に、または金銭的に大変な苦労をさせてしまう事もわかっている。
 だけど……ルリちゃんの接していたホシノ夫妻とホキ女史たちはもはや完全に別人だといえる。少なくとも、テンカワアキトのココロを内包してしまった今の『ホシノルリ(じぶん)』には安心して頼れる両親だと言える。
「……そ」
 ホキ女史はしばらく悩み、そして、
「あ」
 『私』をそっと抱きしめた。
「あ、あの……」
 ぐしゅ、と鼻をすするような音が頭の上で聞こえた。
「嬉しいこと言ってくれるじゃない、もうこの子ってば!」
「……」
「いいわよ、あんたは今から私の娘。今までは単に書類上だったけど今からは違う。ええいいわ、もう放さない。ええ、金輪際絶対放してやるもんですか!」
「あ、あの」
「いいのいいの、あんたは何も心配いらない。これでも手がないわけじゃないんだから。
 何よりうちの人も大喜びで協力してくれるでしょうしコネもないわけじゃない。それに私らが親ならセンター側もあんたと手が切れないって事で同意しやすいでしょうしね」
 言葉遣いだけは今までと大差なかった。けれど泣き声というか嗚咽が混じり、いつもの冷静な科学者の面影はどこにもなかった。
「……」
 『娘』にならなければ……そう思った。
 こんな優しい人に『私』は守られていた。それゆえに今までやってこれたのだ。かつての自分に未練がないわけじゃないけど、それに応えるのも今の『私』の義務だ。
 『私』は今、本当の意味で『ホシノルリ』になる。
 ──さようなら、ルリちゃん。
 『私』を抱きしめているホキ女史の身体を、抱き返した。女史の力も強くなる。
「──よろしくお願いします、お母さん」
「……」
 うん、うん、と、ホキ女史はぽろぽろと涙をこぼしていた。



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