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再開

 ナデシコ乗艦の話が進み始めた。
 かつてのルリちゃんがどういう風に乗り込んだのかは今となってはわからない。だけどおそらく、その決定などにルリちゃん本人の意向は全く反映されてなかったんだと思う。ルリちゃんにしてみればそれは「新しい場所に売られた」だけの話であって、彼女本人の意志なぞそこには関与できなかった、または「しなかった」だろうから。
 だけど今、私はホキ女史と並びプロスペクターに向かっている。
「なるほど、わかりました。親権までは手放すおつもりがないということですね」
「ええ」
 元来、ホシノルリはオペレータとしてナデシコに雇われたのではない。ナデシコの一部、悪く言うと部品として『購入』されたのだ。親権がネルガルという企業体に委譲された事からもこれは伺える。ひととして扱っていたわけではない。
 だが、それは許さない。たとえ『私』がかつてのルリちゃんではなく、あのルリちゃんにとっては過ぎた事でこれが単なる私の自己満足にすぎないとしても、そうであっても許す事はできない。
 そしてそれは、実質ともに私の母と宣言したホキ女史にしても同様だった。
「お金の問題ではありませんよプロスペクターさん。どこの世に娘をどうぞと企業に売り渡す母親がいますか」
「いえ、時代と場所によってはありえますが。ちなみに現代においても」
「貴女は黙ってなさいルリ。まぜっかえすんじゃないの」
「はい」
 う、う〜む……なんとなく最近、自分自身がルリ化しつつあるような気がする。
 変な話だけど、ホキ女史の娘になると決めた日からどうも私はおかしい。人格に異変ありというか、自分でも気づかずにかつてのルリちゃんっぽい言動や行動をする事があるようだ。
 あまり考えたくもない事だが、かつての自分が消えつつあるという事だろうか。
 よくよく思えば確かに私はおかしい。十かそこらの女の子に成人男性の人格が突っ込まれてしまった存在なのだから。脳の構造も違うだろうし、むしろ今まで無理がでなかった方がおかしい。
 私が消えるのはかまわない。そりゃ怖いけど、もうとっくに死んでいたはずの人間なのだ私は。これは仕方ないだろう。
 だけど、残されたこの私はどうなる?
「困りましたなぁ。ネルガルとしては、最新鋭の実験鑑でお仕事していただく以上迂闊なご契約はできれば避けたいのですが…」
 プロスペクターとホキさんも悩んでいる。
 オモイカネのシステムは確かに最新機密だ。それと日常的に触れ合う少女を迂闊に扱うわけにはいかない。これは当然のことだろう。
 こっちもこっちで問題だ。どうしたものか。
「……それじゃあ、私も乗るというのはどうかしら?資格はありませんが医学は一応納めましたのよ。医師業務自体は資格が必要でしょうけれど補佐くらいはできるのでは?」
「え?それは本当ですかな?」
 プロスペクターはまさに鳩マメな顔をしていた。そりゃそうだろう。私だって初耳だ。
「私の専門は行動学ですけれど、昔は事情があっていろいろやりましたのよ。地方の無医村の出身なのはご存知でしょう?近郊のお医者様に応急処置などをよく教わりに行っていたのですけれど、おかげさまで資格はなくとも救急医療レベルなら何とかなると思いますわ。
 行動学の研究のために赴いた地域でも、医療の心得のある学者という事で色々と重宝がられましたし」
 この子の体調管理にも役立ちましたしね、と、私の頭をなでてホキ女史は言った。
「それは願ってもない事ですな。
 医師の乗艦のあてもなくはないのですが、医療担当は他業務と兼任になる可能性が大きいのです。小回りのきく方であり、さらに専門知識もお持ちの方が乗り込んでくださるのは大変心強い」
 プロスペクターは得たりと笑った。
 正直、この笑みの裏で何を考えているのかわからないのがプロスペクターという男である。厄介ではあるのだけど、ここで前向きに判断してくれたのは素直にありがたい。
 むしろ問題は、
「……ホキさん、いいの?研究は?」
「私の第一研究対象はあんたなのよ今も昔もね。忘れてないかしら?そりゃあんたは私の娘だけど、同時に研究対象であるって事も忘れてもらっちゃ困るわ」
「……」
 それは確かにその通りだけど、同時に嘘でもある。
 確かにこの身は貴重だろう。だけど、それは『成功例』としての調査対象という事であり継続的にデータがとれればそれでいいはずだ。
 他の研究放り出してまで、ついてきていいものじゃないだろう。
「ま、そこらへんは娘が気にやむ事じゃないわ。私に任せておきなさい」

 その日の午後、来客があった。
 その人物は私を指定していた。ホキ女史はまだプロスペクターと打ち合わせがあるということで、ふたりから見える場所がいいだろうという事で私は中庭を指定した。
 かくして、その人物は私を中庭で待っていた。
「こんにちは。えーと……ルリちゃん、でいいのかな?」
「……はい、それでいいです」
 応えつつ、不覚にも涙が出そうになった。
 
 ミスマル・ユリカだった。
 
 むろん、このユリカは私が誰だか知らない。
 どういう歴史の歪みがあったのかはわからない。史実ではナデシコで初対面だったはずのユリカが、わざわざ時間を作ってホシノルリに会いにきた。最初それを知った時、実はユリカも時を越えたのではないかと思ったのだけど……話してみてどうやら違うらしいと気づいた。
 それは安堵でもあったが、同時にさびしくもあった。
「それで今日は、どのようなご用件でしょうか」
 ちょっと冷たいかなとも思った。
 だけど、私にはこうとしか応対できない。気を許せば抱きつき泣いてしまいそうだったから。これからの事を思えば、そんな応対をして問い質されたり不審がられたりするのはやめた方がいい。時を越えてきたなんて異常事態に彼女を巻き込んでしまうのはよくない。
 つらい事だったけど。
「……うふふ」
 ユリカはそんな私をどうとらえたんだろう。ゆっくりと近付いてきて、
「!」
 ひし、と抱きしめられた。
「かっわいい!やだもう、お人形さんみたい!」
「ちょ……放してください」
 だぁぁぁ、抱えこまれちゃいましたよ?このうえもなく、もうがっちりと。
「う〜んユリカ嬉しいなぁ。すごく優秀でお料理も上手で、とっても可愛い子だって聞いてたけど仕事上ずっといっしょでしょう?お友達になれたらいいな、どうかなーって思ってたんだよ?」
「……それで、わざわざ見にこられたわけですか」
 まるで、もらう予定の猫をあらかじめ見に行くかの如く。
「で、どうでしょうか。お眼鏡にかないましたでしょうか」
 冷たく言い放つ。ユリカの腕から逃げ出そうともがきつつ。
 いや、冷たいと思われるかもしれないけど本当に勘弁してほしいのだ。ユリカに罪はないのだけど、あまりに近付きすぎると私の事情にユリカを巻き込まないとも限らないのだから。
 あんな未来はもう見たくない。嫌なのだ。
 だから突き放す。仲良くなるわけにはいかない。
 察してくれとはいわない。だけどユリカ、お願いだから『近寄るな』という意志だけでもわかってくれ。
「♪」
 しかし、よくも悪くもユリカだった。
 ユリカは確かに天才だ。天才的なのではない。本当に彼女は天才なのだ。それはよくわかる。
 だがそれは同時に、ゴーイングマイウェイで他人の話をこれっぽっちも聞かないという意味でもある。
「うふふ、本っっ当に可愛いなぁルリちゃんは。真っ赤になっちゃってもう。うりうり♪」
 ほっぺたなんか突つかれちゃったりする。ぷにぷにすんな、ぷにぷに。
「……本当に失礼なひとですね。私は嫌がっているんですが?」
「うんわかってる、だから少しでも仲良しになろうねルリちゃん♪」
「ひとの話を全然聞いてませんね。お願いですから人間の会話をしてください」
「ん、おなかすいた?んーユリカもおなかすいたかな。ルリちゃんどこでお昼にするの?連れてってくれる?」
「……」
 だめだこりゃ。
 昔、ユリカがあまり好きじゃないって人がいた。女性だった。どうもユリカはあまり同性に好かれていないようで、男からみると天真爛漫に映る部分が女性には嫌味に見えるのかな、なんて事を考えた事もあった。
 確かにこれはそうだろう。私はユリカのこういう性格嫌いじゃないけど、常にこのベタ甘の性格だとしたらどうだろう。しかもこの裏では彼女をして天才艦長と成した頭脳も動いていて、お馬鹿な会話の途中でいつその片鱗が表れて事態を冷静に計算しているとも知れないのだ。
 普通の女の子がいきなりこんな子に遭遇したら……どうなるだろう。最初は男に日和る能無しと冷笑(わら)い、後で天才ぶりを見せられてゾッとする事にはならないか。
 そう……まるで彼女の全てが演技であり、馬鹿にするはずが実は馬鹿にされていたのではないのかと。
「るーりちゃん♪」
「……馴れ馴れしい人ですね。ま、いいですけど」
「うんうん♪」
 誓ってもいい。ユリカは他人を馬鹿にはしない。計算ずくで動いてる時ですら相手を馬鹿にする事はないし、親しい人間をぺてんにかけるような事もしない。ある点が天才ゆえに他の部分が単純かつ直情的というだけの話なのだ。実際今もそうで、なんらかの底意を感じる事はできない。単に「ルリちゃんと仲良くなりたい」という気持ちを全面に出しているにすぎないのだ。
 そう、まるで犬が無心に懐くように。
 ん〜、でも気になるなぁ。史実からどうずれてこうなっちゃったんだろう。
 危険かもしれない。だけど確認は必要かもしれない。
「よければ来ませんか、えーと」
「ユリカって呼んでくれるかな?」
 すかさず指定された。う、うーむ。
「ではユリカさん。食堂はこちらです。どうぞ……?」
 あれ?なんか『それ違うの』って顔してるな。
「どうされたんですか?」
「あのねルリちゃん。ひとつわがまま言っていい?」
「……ひとつというか、貴女のは徹頭徹尾全部自分勝手でわがままだと思いますけど」
 あははは、とユリカは苦笑した。驚いた事に少しは自覚があるらしい。
「じゃあ、わがままついで。よかったらルリちゃんのお料理食べてみたいな」
「はぁ」
 い、いきなりナニ言い出しますかねこのひとは?
「私が料理するってご存知ですか……いったいどこから?」
「クルーの名簿だけど?だって私、艦長だし」
「はぁ……それはわかりますが、そのデータの出どころって」
「ごめん、それはわかんない」
「……でしょうね」
 履歴書にだってそんな事書いてないぞ。どうやって調べたんだネルガル。
「言っておきますが、私の料理はあくまで見よう見まねです。母は喜んで食べてくれますけど、他のひとが食べておいしいかどうかなんて私にはわかりませんよ」
 それでもいいんですか?と聞いてみる。
「そう?ラーメンなんか本職そこのけって聞いたけど?」
「……ずいぶんと地獄耳ですね。本職そこのけなんてとんでもありませんが、ラーメンも確かに作ったことがあります」
 もちろん仕事ではない。ホキ女史に夜食で出した事があるんだけど……ちょっと思い出したくない事件があり、たぶんセンターの職員の大部分が私がラーメン作る事を知っている。
 正直いうと、あれは大失敗だった。
 後で知ったことだけど、一般人はラーメンを作るのにあまり手間をかけない。少なくとも、麺打ちからスープの作成まで凝りに凝りまくりラーメンを作るというのはあまり一般的な行為ではないらしいのだ。料理に対する目線がやはり私は普通とズレているのか、指摘されるまで迂闊にもそれに気づかなかった。
 そう。あの日はホキ女史の誕生日だった。彼女は誕生日を祝うのをあまり好まないタイプの人間で、だったらと二週間ほどかけてかつての『テンカワ特製ラーメン』を再現し、ちょうど夜勤していた彼女に届けたというわけだ。
 最悪なことに、ラーメン屋でバイト経験があるという職員の目にそれが止まってしまった。
 コンピュータとお友達のホシノルリが本格的なラーメンをこしらえた。ホキ女史自身はあまり料理をしないせいか「すごいんだよこの子は」くらいの自慢だったようだけど、元バイト君とはいえ本職のラーメンを知ってる人間の目には「気軽に作ったものではない」事が一発でバレてしまった。で、これは凄いと予想以上の大騒ぎになってとうとう『ホシノルリ・ラーメン試食会』が開催されるまでに至ってしまったのだ。
 ああ、話の出どころはそのあたりかな。私についての聞き込み調査をネルガルかしたのなら、あのラーメン騒動くらいは伝わってもおかしくないだろう。
 いや、私としては単に軽い気持ちだったんだけど……うーん。特別な贈り物を特別な日に受け取ってくれない人のために、ならば気づかれないようにと作ったラーメンだもの。なかば自己満足なんだからやるならとことんやっちまえと、封印したはずのテンカワ特製ラーメンの再現を試みてみた。ただ、それだけの話なのだ。
 思えば、うちにラーメンの麺がない事を思い出した女史に製法を尋ねられ麺から自分で打った事を白状しなければ、それを横で聞いてた人が麺打ちにどれだけの体力が必要なのかを知らなければ、あんな厄介ごとにはならなかったと思うのだけど……。
「で、そんなわけだからルリちゃん。ラーメン」
「だめです」
 期待全開のユリカにすげなくダメ出しする。えー、と悲しそうな顔をするユリカ。
「そんな顔されてもラーメンはダメです。あれは仕込みに時間かかりすぎますから、今から作ればできるのは明日ですよ?」
「え?そんなにかかるの?どうして?」
「はい、かかります」
 ユリカが首をかしげるので、仕方なく説明してやる。
「麺も時間がかかりますが一番厄介なのはスープです。ユリカさんも普段なにげなく食べておられるラーメンですが、あのスープは時間をかけて仕込むものなんです。私は本職じゃありませんからスープの作りおきなんてしてないですし、しかもスープの仕上りは誤魔化しがききません。
 ユリカさんがどういう味覚をお持ちかは私にはわかりません。けれど、まがりなりにも『おもてなし』で振る舞うラーメンでスープの手抜きだけは絶対したくありません」
「……」
 ユリカは、そんな私の言葉をなかば呆然として聞いていた。そして、
「すご……そこまで本格的なんだ。麺も自分で作るの?」
「はい。こちらは時間がかかるもののスープほどではありません。まぁ多少は重労働なので非力な私が作るには工夫が必要なんですが」
「そっかぁ……」
 うーんと残念そうにうなるユリカ。
 なんていうか……同一人物なんだから当然だけど、こわいくらいユリカそのものだなぁ。
「じゃあチャーハン作ってくれる?チキンライスでもいいなー」
「……別にかまいませんが、私が作るという事自体は変わらないんですか?」
 どうでもいいが、メニューの内容が異様に作為的な気がするのは気のせいなんだろうか?
「うん、お願い。
 実はねルリちゃん、私ってお料理全然ダメなんだぁ。だからかな、ルリちゃんができるって聞いて是非とも食べてみたいって思ったの。……ダメかな?」
「……わかりました。ではついてきてください」
 
 この時のユリカの嬉しそうな顔を、きっと私は忘れないだろう。
 私は自分の予感を信じるべきだった。ユリカの来訪はもちろん偶然ではない。その意味をもう少し、しっかりと考えるべきだったのだ。
 しかしまあ、それが私の運命だったという事かもしれない。



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