[目次][戻る][進む]

虐殺妖精

 部屋は簡素なものだった。
 少しのおもちゃ、本、ベッド。子供部屋らしいのはおもちゃの存在だけど、使いまわしなんだろうか?もともとはルリちゃんの部屋に置いてあったものなのかもしれない。
 あと、IFS仕様の小型パソコン。
「……」
 俺は少し迷った末にパソコンを起動した。
 パソコンはネットにつながっていなかった。結線はしてあるんだけど、重要なファイルを一部わざわざ削除し、ネットを使えないようにしてあるようだ。センターの仕業か。
 それでも俺は中をあちこち見てまわっているうちに、ふとあることに気づいた。
 やはりこれもルリちゃんのものだ。彼女のおさがりらしい。登録してある名前が『ruri』のままなのを見てちょっとだけ苦笑いした。
 研究者は専門馬鹿が多いというが、これもそうなんだろう。ルリちゃんから回収したパソコンを初期化するという知識がないのか、あるいはセキュリティの概念が甘すぎるのか。
 あちこち見ていると、やはりルリちゃん級のオペレータIFSでないと入れないようなエリアがあった。いかにもルリちゃんらしいことだ。プライベートなデータなんかは、うっかり消し忘れても他の人に見付からないようなところにしまってあるというわけだ。
 幸い俺はそこに入れた。残されているデータを見てみる。
 『お魚データベース保管版』ルリちゃんらしいな。『牛乳で胸が大きくなる』ならないって。『所詮この世は馬鹿ばかり』なんだこりゃ?
 『パソコンが壊れた時の復旧ファイル集』あ、これだこれだ。やっぱり持ってたか。
 復旧ファイルなんて書いてあるが、きっとネットワークに入るためのツールだろう。なんとか動いてくれればいいんだが。
 動かしてみる──お、ビンゴだ。あっさりネットにつながったぞ。
 どれどれ。
 ここは確かに人間開発センターらしい。さすがルリちゃんのツール、裏も表も自由に出入りできるぞ。
 じゃあさっそくホシノ博士の会話の続きでも聞くかと俺はそっちに繋ぎなおし──
 そして、仰天した。
 
 さっきの部屋で会話は続けられているようだった。
『ホシノ博士。これはいったい?』
『たぶんルリよ。どういう手段か知らないけど48号に接触してたんだわ。もしかしたら48号が目をさましたのもそういうことなのかもね。
 参ったわね。ネルガルに渡したらここの裏の秘匿実験体のことなんかが現会長に洩れるかもしれない。
 ──まずったわね』
『どうします博士?社長派に助けを求めますか?』
『馬鹿!そんなことしたら私らの方が消されるわよ!口封じにね!』
 ちょっとまて。なんの話をしてるんだ?
 俺がルリちゃんを知ってたことが、どうしてルリちゃんの問題になってる?何を誤解してるんだ?
『ルリはどうしてるんですか?』
『好きにさせてるわ。いきなりあの子が目覚めたからね、まだプロスペクターとの手続きが終わってないのよ。プロスペクターは別の仕事を片付けに行ってるはず。
 ああ、そうね。最後にラーメンでも奢ってあげようかしら』
『あれをですか?そ、それはさすがにもったいないんじゃ』
『どのみち会長派にもってかれるのよ?潰したって誰も泣かないし、いいんじゃないの?』
 ……なんてことだ。
 俺がルリちゃんを知っていた、ただそれだけのためにルリちゃんを殺すっていうのか。ラーメンを奢るということは、たぶん毒か何かで。
 ひどい。ひどすぎる。
 ルリちゃんはこんな奴の名字をずっと名乗り続けてたのか?あまりにも酷すぎるじゃないか。いくらなんでもあんまりだ。
 これが『人間と見ていない』ってことなのか。
 
 俺のせいでルリちゃんが殺される!
 ────なんとかしなくては。
 
 先のガス室プログラムを書き換えた。俺が『表』のフロアに出た瞬間に作動するようにだ。
 ここが人間開発センターなら少なくともまともな一般人はいないはずだ。少しくらい巻き添えにするかもしれないがかまやしない、悪いが俺にはルリちゃんひとりの方がずっと大事だし、今さら偽善者になるつもりもない。ユリカのためといいつつ血まみれの未来を選んだ俺が何をいまさら躊躇する?
 それに他の選択肢をとろうにもとりようがない。ネット接続以外にほとんど何もできない今の俺がルリちゃんをどうやって守る?
 後でどう非難されてもいい、やるしかないんだ。
 次、ルリちゃんには今すぐ外に避難してもらおう。研究員のいる場所にはもう一秒だって置いてはおけない。
 ルリちゃんの居場所はどこだ。建物の構造図を補助脳に転送しつつ探す。
 いた!センター地上階の事務室!パソコン借りてる!
『ルリ』
『あなたは誰ですか?』
 かなり驚いたろうに、ほとんど一瞬で返答がきた。
『このネットワークIDは、さっきセンターに返した私のパソコンですね?あなたが新しい持ち主ですか?さっそくアクセスしてきたんですか?
 私のフォルダを開いたということは、もしかして私の後輩?』
『悪いけど説明している時間がない。すぐにセンターの外に出て。理由はなんでもいい、散歩でも外の空気を吸いたいでもなんでもいい、とにかく外に出て。一秒でも早く!
 間違ってもセンターの食事を食べたり飲物を飲んではいけない!勧められても!絶対に!』
『わけがわかりません。新手のジョークですか?』
 そりゃそうだろう。初対面でいきなり退去勧告されたら誰だってそういうに違いない。
 どうしよう。説明している時間がない。
 だけど、
『そうですか。わけがわかりませんが、それでは急ぐとしましょうか』
 意外な反応をルリちゃんは示してきた。
『私と同等のIFSを持ってるみたいですけど、すごい初心者さんですね。考えてることが結構ダダ洩れしてるうえに貴女の姿まで拝見させていただきましたよ?ちょっとびっくりですが』
 ぐあ、それは情けない。
『あなたの危険はないんですか?』
『ある。だから俺も急ぐ』
『手伝うことはないですか?』
『自分の身をきっちり守ってくれればそれでいい。頼むから生き延びてくれ。
 俺は君に死なれたら後悔してもしきれない』
『わかりました。では後でお会いしましょう。楽しみにしてます』
『ああ』
 そういうと通信を切った。
 パソコンの始末をしている時間はもうない。捨てようかと思ったけど思い直し、そのまま電源コードをひっこぬいて小脇に抱えた。
 スリッパをはき、そして部屋を出たのだが──。
「どうしたの?どこへいくの?」
 うあ゛、ホシノ博士か。なんつータイミングでしかも部屋の前に仁王立ち。
 まさかとは思うが、通信内容傍受されたりしてないだろうな?
「パソコンの調子が悪いのかしら?ちょっと見てあげようかしら?」
 ──ふるふる。首を横にふる。
「なんなの?じゃあパソコンもって遊びにいくの?少しでよければ遊んであげてもよくってよ?」
 ──ふるふる。やっぱり横にふる。
「用がないんならお部屋に戻りなさい?」
 ──ふるふる。そんな時間はない。
「わけわかんないっての、もう──」
 だが博士はその言葉を最後まで言えなかった。
 俺の渾身の当て身を食らった博士は、そのまま仰天顔で床に沈んだ。悪いな。
 俺は壊れてないことを祈りつつ当て身の瞬間に落ちたパソコンを拾いなおし、そのまま上のフロアに向かって走り出した。
 しかし、ルリちゃんの力でも油断した大人なら昏倒させられるんだな。いくら木連式柔を少しは使えるとはいえ、目覚めたばかりでまだ自由も充分きかないってのに。
 ちょっと驚いた。
 
 フロアは思いの他広かった。
 上への直通エレベータが見えた。妙に狭いエレベータホールの中にあるのは何か理由があるんだろうか。やっぱり機密保持のためなのか?
「ちょっと待ちなさい」
 ふたりいる警備員のひとりが声をかけてきた。まぁそりゃそうか。
 俺は小脇にかかえたパソコンを指さし、上を指さした。
「ん?あぁ、修理してもらいにいくのかい?」
 ──こくこく。頷いた。
 ルリちゃんにはちょっと悪いけど、可愛い女の子の姿というのは便利なものだと今この瞬間に納得した。これが昔の俺ならいきなり不審人物扱いだったろうから。
 実際、ナデシコにはじめて行った時の俺はそうだった。
「ちょっと待ってくれよ?今確認するから」
 むう。怒ってみせた。それどころじゃないとジタバタしてみる。
「いや、君を疑うわけじゃないんだけどね。これも仕事なんだよ」
 応対しているうちにもうひとりが確認をとろうとする。だめだ、止められない。
 無理矢理突破できないもんかと一歩思わず踏み出したのだけど──。
「ん?」
 がこん。通路の向こうで何か扉が落ちる音。
「なんだ?今なんか鳴ったぞ?」
「ま、待てちょっと待て!この子の確認がまだ」
 ぽんぽん、とその男の胸を叩いてやる。
「ん、なに?」
 パソコンを指さし、心配いらない、早く行ってあげてという風にジェスチャーしてみる。頷いて首をふってみただけだが。
「いや、そういうわけにも」
 ──うるうる。
「そんな顔されてもね」
 パソコンを掲げて泣きそうな顔をしてみる。
 と、その時。
「ああ、上への許可出てるぞ。パソコンの不具合で修理依頼だと」
「お、そうか?」
 ──なに?
 ふたりの態度はいきなり軟化した。いったいなんなんだ。
「行っていいよ。ごめん悪かったね」
「……」
 なるほど、そういうことか。
 問題ないよと言うようにコクコクと頷き、俺はエレベータに乗り込んだ。
 やれやれ悪い子だルリちゃん。助かったけど、後でひとこと言ってあげなくちゃな。
 悪戯っぽい顔でパソコンに向かっているだろうルリちゃんの顔を想像しながら、俺は内心ひとりごちた。
 エレベータはごくごく普通のものだった。
 ただし階数表示が『B』のまま点滅している。一般用でない階層にいるからだろうけど、ということはこのエレベータは一般フロア用がそのまま流用されているということでもある。
 さて、最後を確認しよう。
 メインフロアに出てしまえばガス室プログラムが作動する。少なくとも警備側はひと騒動になるだろうから、外に出るのは難しくないだろうと思う。
 怪しくないふりをしつつ、なんとか外にでなければ。
 ちーんと鳴った。地上階に到達したようだ。
 扉が開いた。
 扉から出た瞬間、フロアのあちこちにいる警備員らしき人間がビクッと反応した。懐に手をやったり顔を見合わせたり、人によっては真っ青になって通信機に向かう。
 ──はじまった。もうすぐここは地獄になる。
 どうやらうまく撹乱もできているらしい。チャンスだ。
 上のフロアは一般人も入ることができるようになっている。セキュリティは警備員のみなわけで、ルリちゃんがいたようなエリアを除けば電子的に入室管理がなされているわけではない。このエレベータフロアは例外だけど、今はセキュリティ自体が大騒動中なので小型パソコン小脇に抱えた小さな女の子になんか誰も目を止めてない。
 そりゃそうだ。地下設備から大事故発生の警報が出ているんだから。地上設備を巻き込む可能性大ともなれば、普通の警備員は色めきたってあたりまえだろう。
 何食わぬ顔で通り抜ける。ちらっと目をくれる警備もいるが、さっきのルリちゃんの細工がまだ効いているのか「ああ君はいい、行っていいよ」と頷いてくれる。このフロアの人間はルリちゃんの顔も知っているはずだが、さっき出ていったはずのルリちゃんがまた出現したことに頭を及ばすまでの余裕はないようだ。
 すたすたと出口に向かう。
 のたのた歩いているが内心は心臓バクバクだ。処置範囲は全館に設定してあるわけで、まさかとは思うが最悪、この地上フロアも巻き込む可能性がある。うかうかしていると俺も一緒に殺されてしまうかもしれない。
 だが、慌てて走っては怪しいですと宣伝しているようなものだ。俺はここにいるはずのない人間だし。
 建物出口までさしかかったところで、最後の難関が待っていた。
「待て」
 いかつい感じの警備員が俺の前に立ちふさがった。
「今警報が出ている。子細はわからないが問題があるかもしれない。悪いが中で待機していてくれ」
 いかにも仕事熱心、という感じの男だ。ある意味実直主義のゴート・ホーリタイプともいえる。
 参った。これでは抜けられない。
 ふと入口の向こうに目をやった。
 ──あ。ルリちゃんがいる。こっちを見ている。
 プロスペクターはまだいない。あいつがいれば何とかなったかもしれないが、これではどうにもならない。
 なんてことだ。もう手がないのか。
「そんな顔をしてもダメだ。これが仕事でな」
 ルリちゃんを巻き込むわけにはいかない。俺はなるべく穏便にここをでなくちゃ、ルリちゃんにどんな悪影響があっても泣くに泣けない。
 そんなことを考えていると、警備員が外のルリちゃんに気づいたようだ。俺とルリちゃんを不思議そうに見比べて、はてと首をかしげる。
「よくわからないが……そういや彼女もパソコンを持っていたな。待ち合わせでもしているのか?」
 コクコクと頷く。とりあえず嘘はついてない。
 そうしているうちに、男の腰にある携帯みたいなのも鳴り始めた。
「ふむ。中で何か騒動も起きているようだな……まぁいい。警備がいるから出られはしないと思うが、敷地から外には出ないこと。わかっているね?」
 こっくり頷くと、道をあけてくれた。
「次からは研究員の誰かに一筆書いてもらいなさい。悪かったね」
 さ、いきなさいと言われ、俺は外に出た。
 
 外の空気はうまかった。
 五感がおかしくなってから御無沙汰していた、懐かしい感じだった。俺は胸いっぱいにその空気を吸い込んだ。
 ふと気づくと、ルリちゃんが目の前にいた。
 懐かしいナデシコ搭乗の頃のルリちゃんを目の前にして、なぜか目頭が熱くなった。
「はじめまして、ですね」
 ルリちゃんは一瞬だけ逡巡して、そんなことを言ってきた。
「私の名前はもうおわかりですね。あなたのお名前はなんというんですか?」
 俺は困ったように、喉を指さして首をふった。
「あ……もしかして口がきけないんですか?」
 頷いてみせる。そうですかとルリちゃんはちょっと残念そうだ。
「IFSを通せばさっきみたいにお話できるんですね。ではそこに座りましょう」
 さっき座っていたベンチを指さす。そこにはルリちゃんが持ち出したらしいノートパソコンも見える。誰のかはわからないが。
 センターのようなところではモバイル可能なパソコンは配布されてないはずだ。俺の持ってる奴みたいにネットワーク機能を殺されたおもちゃは別だが。セキュリティ上問題があるはずだから。
 と、そんなことを考えたところで俺は自分の大ボケに気づいた。
 俺のパソコンをネット利用可能にしていたのは目の前のルリちゃんじゃないのか?馬鹿か俺は?
 やれやれと苦笑いした俺を見て、ルリちゃんも表情を和らげた。
「さ、いきますよ」
 俺の身体が自分をベースにしていることに薄々気づいているんだろう。ルリちゃんはどことなくお姉さん風をふかしているようにも見える。最年少クルーだったルリちゃんのそんな姿は、とても新鮮だった。
 もしかしたら、ラピスと仲良しになったらルリちゃんはこんな行動をしたのかもしれないな。そんなことを考えつつ、俺はルリちゃんについていった。
 並んで席についた。
 心配していたが、パソコンは無事に起動した。OSが立ち上がってきたのを確認すると、俺は先刻のようにルリちゃんにメッセージを飛ばした。
『さっきはごめん、わけがわからなかったろ?』
「かまいません。ですが、何があったか教えてもらえますか?」
 その説明はできない、と返そうとしたが……少なくともプロスペクターがくるまでここを動けないことに気づいて、俺は考えを変えた。
 万が一ということもある。簡単に説明しておこう。
『俺のせいで、君に機密漏洩の疑いがかかった。少なくともプロスペクターに保護されるまで、君を安全圏に退避させなくちゃならなかった。
 だから無茶を承知で君に連絡した。本当にすまない』
「?」
 ルリちゃんは俺のメッセージを見て首をかしげている。
「貴女が目覚めたことと私に何か関係するんですか?私は貴女の存在を知りませんでしたが?
 まぁ、確かにセンターに地下設備があることを知っていたのは問題かもしれませんが、貴女の存在は知りませんでした。だから本当に驚きました。
 言いつけ通りに飲食もしないで出てきました。なぜか知りませんが研究員の方にずいぶん熱心に食事を勧められたんですが、外の空気を吸ってきてからにしたいですって断りましたし……なんなんですかね?」
 ふう、どうやらタッチの差で間に合ったらしい。
「それで、貴女のお名前はなんていうんですか?」
 困った。困ったから素直に答えた。
『俺は秘匿実験体だからな。番号はあるかもしれないが名前はたぶん……』
「アキト?アキトというんですか?男の子みたいな名前ですね」
 え?え??
 顔をあげると、どこか悪戯っぽく笑うルリちゃんがいる。
「悪いですけど、隠し事ができないのはありがたいです。どうやら貴女は私にたくさん隠し事があるようですから」
『俺はありがたくない。あと、アキトという名はよせ。君が後にアキトという人物に出会うたび、その名で俺を思い出されたら困る』
 そう言うと俺はIFSターミナルから手を離した。
 はやくきてくれプロスペクター。長話すると何からなにまでルリちゃんに嗅ぎつけられてしまいそうだ。
 だが、その心配はある意味杞憂だった。
「全館非常事態警報?設備内事故発生?なんですかこれ?」
 あ、とうとう表のネットにも出たのか。
「総員建物から出て中庭かセンターガーデンに避難っていったい……あ」
 ルリちゃんが顔をあげて建物入口を見て、そして凍り付いた。
 ガラスにたくさんの人間がはりついていた。自動ドアが開かないのだろう、なんとかドアを開けようと足掻いている姿がここからはっきり見えた。
 ──開くわけがない。
 俺の設定したガス室プログラムが地上建築物全てに適用されるのなら、おそらくセンターの建物は完全密室になるように設計されているはずだ。換気孔は負圧を利用して内部の空気を逃さぬよう、そして出入口は気密性保持のために密閉。
 そう。タッチの差で俺もあの中にいるところだった。ルリちゃんも。
 外から警備員がかけつけてくる。どうやら正門など外部にいるはずの警備員らしい。
 ということは、外にももう出られるな。
「──なんですかこれ」
 ルリちゃんの声がふるえていた。
「貴女が急いで外に出ろといったのは、まさかですがこのことですか?」
 頷く。嘘はついてないからな。
「でも、どうしてこんなタイミングで事故が?まさかですが、さっきいってた機密漏洩疑惑のためですか?
 いえ、それは変ですか。そういう理由なら私ひとりをどうにかすればいいはずで──!」
 ルリちゃんはそこまで言って、そしてギョッと顔色を変えた。
「まさか……これは貴女の仕業ですか?
 飲食をするなという警告。何年もいて一度もなかったのに唐突な食事のお誘い……あれはまさかですが、私を誰かが、そう──機密漏洩防止のためにどうにかしようとしたということなんですか?
 貴女はそれをさせないために、自分にできること……たぶん、センター地下にあった証拠隠滅のための装置を利用した。そういうことなんですか?
 答えてください!いえ、答えなさい!」
 ルリちゃんは恐ろしいほどに真剣な顔をしていた。
 俺はためいきをつき、IFSコンソールに再び手を添えた。
『俺のせいだ』
「それではわかりません。詳しく言いなさい」
 蒼白になっているルリちゃん。激怒するべきなのか嘆くべきなのかわからない、そんな顔だった。
『俺は君を知っていた。だがセンターの人間はその原因として、君が秘匿実験体エリアにアクセスしていて俺とコンタクトをとっていた可能性を考えた。
 それは知られてはならないこと。このセンターは人間から人間以上のものを作り上げるための組織で、中にはとても口外できないような危険きわまることもやっていた。俺もそうした実験のために作られた「もの」のひとつだ。
 それを知る君がネルガルに行く。その意味がわかるか?』
「話の流れはわかりますが、最後の意味がわかりません。
 確かに実験は危険なことかもしれませんが、ここもネルガルの一部ですよ?私をお金で買ったくらいですから大人の事情はいろいろあるんでしょうけど」
『その通り、大人の事情だ。
 君は自分の契約書を見たろう?人権を確保してやるから戦後は好きに生きろと、そう書かれてなかったか?それが今のネルガルの本音だ。君を普通の人間として世に放ち、ネルガルとは関わりない善意の第三者としてしまおうというわけだ。こんな実験を続けさせることは今のネルガルには認められない。
 もともとそういう実験は過去のネルガルの暗部のようなものだ。今のネルガル会長は実験がもたらす効果は認めているし君のこともたぶん評価しているが、君のような女の子がたくさん生まれてくることはまったく望んでいない。ひとがひとを改造するような真似をするのは好ましくない、少なくとも企業が営利目的でやることではないと考えているんだ。
 つまり、機密漏洩は彼らセンターの人間にとって最悪の事態を意味する』
「死活問題、ですか。首が飛ぶというわけですか?」
『君にはあまり知ってほしくない話だが……それは仕事がなくなるという意味じゃないぞ。飛ぶのは比喩でなく本物の人間の首だ』
「……」
 ルリちゃんは黙っている。建物の方は見ていない。見るのが怖いんだろう。
『さてルリちゃん、出ようか』
「え?」
『もうすぐ迎えがくるんだろう?君はそれで新しい場所にいく。そして全て忘れるんだ。たぶんプロスペクターもそう言うと思うしね』
「待ってください。ひとつ質問があります」
 ちなみにさっきから、ルリちゃんの発言はネットでなく肉声で行われている。
 パソコンを終了しようとした俺はルリちゃんの言葉で止まった。
「貴女はどうするつもりなんですか?」
『……』
「秘匿実験体ということは聞きました。つまりセンターがこの状態だと貴女はたぶん幽霊と同じです。どこにも行くところなんかないはずです。
 私が行ってしまったら、貴女はどうするつもりなんですか?」
『もう自由だ。どこにでも行ける。好きに生きてみるさ』
 ネルガルの前会長派に追われる可能性はある。今ここでこうしているところを記録されている可能性は大だしな。あまり長い人生にはなるまい。
 だがまぁせっかく生き延びたんだ。五感のなかったあの頃よりある意味ずっと条件はいい。やれるだけのことはやってみるさ。
 だが、ルリちゃんは思いっきり顔をしかめた。
「冗談じゃないです。貴女をひとり行かせるなんてとんでもない」
 ……はい?
「正直いって寒気がしました。私は怖くて今も入口に目を向けられません。涼しい顔をしてセンターのひと全員を皆殺しにする、貴女の感覚も私には理解できません。
 でもそれ、貴女の責任じゃない。半分は私のせいじゃないですか」
『ちょっとまてルリちゃん、君は関係ない。やったのは全部俺だ』
「ふざけないでください」
 だけどルリちゃんははっきりと怒りの顔をした。
「理由はともあれ殺されそうになったのは私なんでしょう?彼らは私を殺そうとした。食事に毒か何かを混ぜて……たぶんナノマシンの暴走を起こすためのものか何かですね。私には大量のナノマシンが含まれています。それは私の生体機構とうまく馴染んでいますが、もしこれが全て暴走すれば私は死んでしまいます。そして専門家以外では私の死因を簡単には特定できないでしょう。
 貴女はそれを知り、私を殺させないために建物の外に出した。
 秘匿された研究エリアからの通信です。しかも貴女は隠された実験体で存在自体が機密対象です。それだけでも貴女の命は危険にさらされるはずです。それでも貴女は通信してくれた、私を助けるために。違いますか?」
『……』
 答えることができなかった。
「だけどそれだけでは足りない。センターの人間全てから危険要素が排除できないと判断した貴女は、秘匿エリアに証拠隠滅のための装置があるのに気づいてこれを動かした。ひとつ間違えれば自分も死んでしまうことを承知のうえで、私ひとりのためにセンターの人間全てを皆殺しにする選択をした。
 そうなんですよね?違いますか?違うなら言ってください」
『その通りだ』
 少し迷った末、俺はそう答えた。
『だがその原因は俺にある。俺が君を知っていたから』
「そんなことはどうでもいいんです」
『よくない』
「いいんです」
『よくない』
「話を聞いてください!」
 がし、とルリちゃんは俺の肩を掴んだ。
「つまり、貴女は私の命の恩人です。貴女がいなければ私は今ごろ死んでいたか、瀕死の苦しみの中にいたはずです。唯一助けを求められるはずのセンターのひとの手によってです。救いもなく無惨に殺されてしまったんでしょう。
 恩人を、はいそうですかと身寄りもなにもない野に放つなんてことは私にはできません」
『それはもともと俺のせいだ。君が気にすることではない。
 むしろ君に多大な迷惑をかけ、さらに未来にむけて不安要素までつけてしまった。どんなに悔やんでも悔やみきれない』
 そうだ。
《貴方、自分で自分の、あるいは親しい人達の過去をめちゃめちゃに破壊してしまいたいの?》
 アイちゃん、君は本当に凄い。恐ろしいほどに君の指摘は正確だ。
 俺は冗談でなく、よりによってルリちゃんの未来にとんでもない暗雲を呼び込んでしまっている。時を越えてたったの一日で!
 これ以上、俺はルリちゃんの側にいてはいけない。
 なんとしてでもルリちゃんを元の史実に戻らせて、そしてどこかで静かに消えなくては。
 これ以上の凶事がやってくる前に。
 
 だが次の瞬間、俺は自分のとんでもない馬鹿さ加減に嘆くことになった。
 
「話は聞きましたよ?」
「プロスペクターさんですか」
「はい、ルリさん。お待たせいたしました」
 にこにこと笑うプロスペクターが、いつのまにかそこにいた。
「ここで秘匿実験を行っていたとは。いやはや灯台もと暗しとはこの事ですな。面目ない次第です、はい。
 ルリさんがご無事でなによりです。そして貴女、本当にありがとうございます。
 ところでお名前はなんとおっしゃいますかな?もしないのなら、何か考えますが」
 秘匿実験体の実状を理解してのセリフだろう。プロスペクターはニコニコ笑っている。
「この子は私のクローン体のようです。クローン体といってもここまで外見が似ているというのは驚きですが。加速培養の際に何かされたのかもしれませんね。
 プロスペクターさん、この子をナデシコに連れていってかまいませんか?身寄りもなにもないんです。私の扶養家族ということでいいですから」
「もちろんかまいませんとも。ちなみにオペレートの腕前などはおわかりで?」
「はい。素質は十分すぎるほどですがまるっきり赤ちゃんです。私が手とり足とり教えてオペレータとして育てたいと思います」
「なるほど、それではオペレータ見習いということでお載せしましょうか」
「よろしくお願いします」
『まてまてまてまてちょっと待て!』
「なんですか、アキ?」
 はぁ?なんだそのアキって?
「男の子みたいな名前は変ですからね、アキにしましょう。安直ですが結構可愛いと思いますよ?」
『名前なんかいるか!そもそも俺はナデシコになんか乗る気はない!』
「なるほど、ナデシコが乗物なのは知ってるんですね。他には何を知ってるんですか?」
 げっ!しまった!
「ますます放置できませんね。そこまで能力があるうえにまるっきりの赤ちゃん、しかも私を助けるためだけにここまでの選択ができてしまう判断力。
 いくらなんでも危なすぎます。ぶっちゃけありえないです。
 私でなくてもこのままにするなんて選択肢はありえませんよ。そうですよねプロスペクターさん?」
「そうですなぁ」
 な、なななんでプロスペクターまで同意するんだ?
 つーか誤解だ!俺がナデシコを知ってるのはクラッキングのためじゃなくてこれは史実で!
「はいはいダメですそんなジタバタしても。ネタは割れてるんですから」
 ぬあああ、話を聞け!ていうかネタってなんだよ!
「とにかくナデシコに参りましょう。さ、アキさん……ですか?貴女もご一緒に。後は我々ネルガルが何とかいたしますので」
 俺はぶんぶんと首をふった。強い否定。
「そうですかそうですかOKですか。では参りましょう、さ、ルリさんも」
「はい。さ、いきますよアキ」
 違う────!!
 
 俺はそのままナデシコに連れていかれた。
 IFSがないと会話もできない、しかも迂闊に会話すれば自らの未熟のせいでルリちゃんに史実や逆行のことまで知られかねない。そしてその結果、ルリちゃんの未来を破壊することを恐れた俺は、とにかく最低でも史実通りだけはなんとかなぞろうと決めた。
 そのために誰に嫌われてもいい。ルリちゃんだけはなんとしても助けようと。
 ユリカのことも心配だ。だけど今の俺に何ができる?この身体で?
 がんばればルリちゃんのようにはなれるかもしれない。だが物理的戦闘力などこの身体で身につくとは思えない。
 ルリちゃんを守る。
 このルリちゃんは俺のあのルリちゃんとは違う。だけどルリちゃんだ。俺とユリカの大切な義妹であり義娘。なんとしてでも守りぬかねばならないんだ。そう決めた。
 
 そして、数年が過ぎた。



感想メールフォーム


PLZ 選んでください(未選択だとエラー)







-+-
inserted by FC2 system