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ふたりの未来

 火星の空は青い。
 復興の進む火星。その中に俺はいた。ネルガルの研究所職員として、イネスの手伝いをしたり色々しながらそれなりの毎日を送っていた。
 ここはネルガルのオリンポス研究所。再開された遺跡研究のための設備として、ネルガルとアスカ・インダストリの共同で運営される国際研究施設として稼働している。
 そして俺は今、その展望室で空を見ている。
「あらアキ、またここにいたのね」
『イネスおつかれさま』
 イネスだった。
 イネスは今も昔もあの頃もほとんど変わらない。淡々と白衣で仕事をする姿もあいかわらずだ。
 廊下のサーバーで買ったらしいコーヒーを片手に、イネスはどっかりと俺の隣に座った。
『アキトの様子はどう?』
「一進一退かしら?ま、ユリカさんとラピスリズリがつきっきりだから問題ないと思うけど」
 俺の特製コミュニケから開くウインドウに、イネスは普通に答えている。
「なんの因果で私が医者のかわりまでするんだか。いちおう私は科学者なんだけどね?」
『事実上の彼の主治医はイネス、貴女。他の誰にもできない』
「まぁね。だからこそ私も火星でゆっくり研究できる生活にも戻れたわけだけど。
 事情はあれ大量殺人犯の彼を地球に置いとくとロクなことにもならないでしょうし」
 今でもうるさいマスコミやなんかは定期的にやってくる。テロリストとしてあげつらうにしろ、悲劇のヒーローとしてもてはやすにしろやってることは変わらない。静かに暮らしたい人間にとってはどちらも迷惑なことだ。
「ホシノルリはどうしてるのかしら?」
『もうすぐくる。ネルガル火星支部と火星守備隊の兼任は大変らしい』
「……口のきけない可愛い妹。そして、それを守り抜いた電子の妖精、か」
 ふうっとイネスはためいきをついた。
「ま、その妹のために火星で静かに暮らしますといわれれば、電子の妖精脅威論を唱えてた連中もそりゃ黙るわね。貴女の存在は元から大々的に宣伝されてた。彼女をまるで怪物のように扱う世論もまだなくはないけど、かよわい妹に甘い優しいお姉さんの姿があまりにも前面に出過ぎてて問題視されてない。
 そして元より事実問題ない。たとえホシノルリが何を企んだとしても、貴女のためにならない事をあの子は絶対にしないから」
『そのいい方はやめろ』
 かよわい妹なんて言われると未だに鳥肌がたつ。俺は男なんだ、少なくとも中身は。
 だけど、それは誰も知らない。ルリちゃんは薄々おかしいと思っているかもしれないが、それでもバレてはいないと思う。最低限のIFS技術をルリちゃんに習った俺は、まず最初にルリちゃんに絶対に余計な情報を漏らさないよう、オモイカネにまで言いふくめて徹底的にガードしたんだから。
「さて、私はもういくわ」
 え、もういくのかイネス?
「このコーヒーあげる。飲んでから行きなさい、廊下をコーヒー飲みながら歩くなんてダメよ?」
 そんなわけのわからないことをいいながら、イネスは悪戯っぽく笑いつつ退場していった。
 なんなんだ、いったい。
 
 大筋の歴史はまったく変わりなく推移することになった。
 史実通りに白鳥九十九は死んだ。ミナトさんが泣き、戦争は終わった。ユリカとアキトが結ばれあの事件も起きて、そしてユリカは助け出された。
 それを俺は、じっと見つめつづけた。
 俺にはどうすることもできない。俺の力なんかで何かが変わるとも思ってないし、俺にはルリちゃんひとり守れるかどうかもわからない。だから俺は歴史には一切かかわらないよう慎重に、慎重に生きつづけた。
 で、俺がそんな風にするのが悲しげに見えたのか、事あるごとにいつもルリちゃんがつきっきりで慰めてくれた。
 そう、そうだな。唯一劇的に変わったのはルリちゃんの立ち位置だろう。
 俺に構いつづけお姉さん風を吹かせ続けたルリちゃんは、相対的にアキトとユリカとの接点を減らすことになった。水着コンテストにふたりで参加したり(俺はいやだと告げたのにウインドウ見てないふりして引っ張り出された)、『あき』とひらがなで書かれたスク水でテニシアン島で遊びセイヤさんたちの隠し撮りの餌食にされた。俺にばかり構いつづけるのに不安を覚えたがそこはナデシコ、皆とうまくいってルリちゃんは変わらず人気者にもなった。
 ……どういうわけか俺までしょっちゅう引き出されるのには困ったが。
 ナデシコの連中はどうも「ルリルリ落とすならまずアキを落とせ」なんて言ってたらしい。どういう意味なんだろ?いちどユリカに聞いてみたら、あのユリカに「うふふ、鈍感さんだねアキちゃんって♪まるでアキトみたい」とかわけのわからないこと言って盛大に笑われたっけ。なんだかな。
 俺が秘匿実験体とばれたのはピースランド事件だ。ルリちゃんを迎えにきた従者が俺を違法実験の生み出したルリちゃんの粗悪なコピーだと言い切り相手にしなかったためだ。もっともそれを見たルリちゃんが猛然と激怒、プロスペクターをオロオロさせたあげく、国王夫妻がじきじきに謝罪の連絡をナデシコに寄越すという異例の事態ともなったのだが。
 結局ルリちゃんは史実どおりナデシコに留まったのだけど、今でも時々国王夫妻から連絡があったり贈り物があるらしい。そしてルリちゃんも何度かピースランドを訪れているのだが、ピースランドの町などは気に入らないが国王夫妻はとても穏やかで優しい方たちだとちょっとだけ嬉しそうだった。
 あの時だけは、逆行してよかったと本当に思ったもんだ。
 もしかしたらこのルリちゃんは、俺たちのルリちゃんとは違う歴史を辿るのかもしれない。ピースランド王家がルリちゃんのために対応も立ち位置も変えてきたように、ルリちゃんも変わっていくのかもしれない。そう思った。
 そんな歴史の差異は、終戦になってとうとうピークに達した。
 ルリちゃんはユリカたちについていかなかった。日本のピースランド大使館の名前で小さな借家が用意され、俺とルリちゃんはそこからネルガルに通う日々となった。連合軍出向で所属はネルガル、さらに住居はピースランドきもいり。ようするに三つの組織がルリをひきとろうとケンケンガクガクの結果だったというわけだ。
 んで、その借家に俺がずるずる引きずられていったのもご愛嬌。
 月日は流れる。全てを変えていく。
 妖精のように可愛くなっていくルリちゃんに比べ、俺はルリちゃんよりボーイッシュな感じに変化していった。精神が男なのが肉体に作用した結果なのか。もっともさすがに素材がルリちゃんだけあって「ルリちゃんとしては」の枕詞はどうにも外せそうになかったが。
 ガワがルリちゃんだとやっぱり可愛くみえるのか、どこにいっても俺は年上のお姉様とか年下のちっちゃな女の子とかに妙に人気だった。そのせいでルリちゃんが妙にむくれたり、本当に退屈しなかったっけ。
 そして、あの日──。
「また空を見てるんですか?アキ」
 ふと回想をやめると、そこにルリちゃんが立っていた。火星守備隊の制服を着て。
 ルリちゃんは、プレゼント用と思われる箱を持っていた。それを手にもったままつかつかと歩いてきて、当然のように俺の隣に座った。
「プレゼントです。アキにあげます」
『ありがと。でも、なんで?』
「あければわかります。ここなら誰もいないから心配ありませんよ」
『?』
 なんだ?
 よくわからないが開けろということらしい。首をひねりつつ包みを解き箱をあけて、
 そして、凍り付いた。
 
 中に入っていたのは、いわゆる張り型(ディルドー)。女の子同士の関係で使うやつだ。しかもIFS制御のやつ。
 
「私限定ならばかまいません。いつでも使っていいです」
 赤面しながらルリちゃんはそんなことを言った。
 俺は正直、ぽかーんと口をあけていた。ルリちゃんがなんでこんなわけのわからないことをするのかまったく理解不能だった。
 だが次の瞬間、俺の疑問は一瞬で解けた。
「何驚いてるんですか?当然でしょう?──テンカワさん?」
『!?』
 俺の隣で、びっくりマークのウインドウが間抜けにもポンと開いた。
「あの頃、アキは私をルリちゃんと呼んでましたよね?ごくごく自然に、しかも堂々の男言葉で普通にチャットしてきたし、漏れてきたアキの意識の中でも私はちゃんづけでした。
 私をちゃんづけで普通に呼ぶ人って意外にいないんです。私が子供じゃないと言いつづけたせいですかね。ルリくん、ホシノくん、ルリルリ、ルリ坊。ルリちゃんよばわりは少ないんです。男性に至ってはテンカワさんただひとりですよ。少なくとも私は覚えてません。
 テンカワさんはなにしろ、あのリョーコさんすらもちゃんづけで呼ぶ筋金入りの猛者ですからね。しかもあの性格やら何やら、あからさまにアキそっくりです。これで疑うなという方がどうかしてますよ。
 で、とどめです。覚えてないとは言わせませんよアキ?はじめて逢ったあの日、私が貴女の思考から最初に読み取った名前は『アキト』。そう、アキではなくアキトでしたね。しかもその直後、ナデシコに『テンカワアキト』さんがやってきた。
 おかしいですよね。アキトっていう名前自体は珍しくもないと思いますけど、そこらに溢れるほどポピュラーな名前でもありません。あの時すでにちょっと不思議でした。
 ましてやさっき言った通りで……これでまだ疑わない人がいるとしたら、それは艦長くらいのものでしょう」
『あ』
 しまった。そんなのとっくに忘れてたよ……。
「そして皆の記憶が混じったあの時、私は見ました。見たのはみんなですけど、それがなんであるかを理解できたのは私だけ。アキの記憶は普通の人と色々な部分で違ってて、アキと接触経験の長い私だけがかろうじて理解できた。ちなみにイネスさんもお話したら理解してくれました。
 とても、とても驚きました。だけど、物凄く納得もできました。最後の謎がそこで解けました。
 何かあるとは思ってました。テンカワさんの事もあるし、よもやとは思ってました。
 ──だけど、まさかアキの正体が、本当に、未来から時を越えてきたテンカワさんだったなんて」
『……』
 がっくりと力が抜けた。
 あ、あは、あははは……なんてこった。わかってて知らんぷりしててくれたのか。俺が隠してるのわかってて。
 ルリちゃんの言葉は続く。
「私は最初、アキを恐ろしいと思っていました。
 人間開発センターでのアレは衝撃的でした。プロスさんに後で聞いた話では全滅だったそうです。貴女は私を助ける、ただそれだけのために数百名以上をあっさりと皆殺しにしてしまったんです。秘匿実験の問題があるので事件にはなってないし、ましてや貴女が責められる謂れもない……ですが人間の気持ちはまったくの別問題です。
 最初の出会いがあれでしたからね、思いっきりアキの印象は悪かったです。
 はっきりいうと幼女が大量破壊兵器のトリガーを握っているような猛烈なやばさを感じましたからね。しかも私と同じ顔です。これは洒落にならない、少なくとも最低限の常識がわからないと大変なことになる。私はそう思ってアキを強引にナデシコに連れていきました。
 だけど印象はすぐに変わりました。
 プロスさんの話には続きがありました。私を処分──そう、殺すでなく機械的な『処分』です──を決定したのは私の養母であるホシノ博士だったようだと。おそらくアキはそれを訊きつけて怒り、問答無用でセンターごと消してしまうことを決めたのではないかと」
 そういうと、ルリちゃんは俺を横から優しくだきしめた。
「貴女は誰よりも優しい子でしたね、アキ」
『……』
 そんなことはない。俺は優しい人間なんかじゃない。
 優しい人間はテロリストになんかならない。
「優しいですよアキは。
 確かに危険人物です。事情があれ、あんな恐ろしいことをあっさりと選べるのはやっぱり普通とはいえないでしょう。ですがそちらは問題ありません。
 アキには私がいる。絶対にこの手は放しませんよ。
 私がいる限り、もう二度とあんなことはさせませんから」
『……』
 優しく耳許でささやくルリちゃん。
 本当に、何から何までみんなルリちゃんは知ってしまってたんだな。それでも知らん顔で俺を守り続けてくれて、これからもそのつもりらしい。いきなり変なプレゼントなんて持ってきて驚いたけど、つまりはそれを改めて宣言するためか。
 ああ……俺、もう一生ルリちゃんに頭があがりそうにないな。
「……アキ……」
『!?』
 わ、わわ、わわわ!ルリちゃん、ど、どこ触ってるんだ君はっ!
『こ、こらルリやめ!お、女同士だから女、おん、お──!?』
 だけどルリちゃんは止まらない。強引に俺に口づけすると俺の浮かべる拒絶のウインドウを全部わずらわしそうに読みもせず払いのけ、俺を押し倒してきた。
「アキ。さ、しましょう」
 おいまて!冗談でなく本当にその気なのか!?
『だ、だから女同士っ!』
「ユリカさんでなくてごめんなさい。でもかまいませんよね?」
『よくない!』
「うざいです、ウインドウ消しなさいアキ。男の子なら覚悟決めなさい」
『違う!い、いや、違わないけどでも違うってば!』
 
 翌日、俺とルリちゃんはふたりとも職場に大遅刻することになった。
 
(おわり)



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