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疑惑

 その日、刹那は今年の帰国についてあれこれ考えていた。
 世界の命日が近い。誠の件もあり単独の帰国が続いていたが、今年は誠を誘うつもりだった。PTSDも随分軽くなったようだし、そろそろ過去の克服も考えなくてはいつまでも世界のことで苦しみ続けるだろう。そしてそれは、誠にとっとも刹那にとっても不幸なことだと思われた。
 まだ日は特定できないが、とりあえず予定のたちそうな日について空席がありそうなのも確認してある。誠は帰るなりごめん、ちょっと疲れたからひと眠りするといって寝室に引っ込んでいる。だから夕食の時にでもその話をするつもりだった。
 日本の感覚でいうと清浦の家は大きい。ささやかながらに一軒家だ。これなら子供が四〜五人生まれても大丈夫よねと、母と冗談を言いあって笑ったこともある。
 だが、未だ刹那は子供がなかった。原因は誠にある。
 誠は確かに頻繁に刹那を抱いていたが、完璧なまでに避妊を徹底していた。それはそれで誠実なことでもあるのだが、同様に世界としていた頃は、誠の部屋からコンドームがみつかっていないのだ。未使用のものはもちろん、空箱のひとつすらほとんど見つかってないことを刹那は誠の母から聞いて知っていた。誠は確かに男にしては綺麗好きの方だが、使用済みコンドームはきちんと始末するにしても、しょっちゅうセックスしていたようなのに空き箱に至るまで完璧に始末しきれるのだろうか?
 ずっとコンドームを使い続けている刹那には、それはありえないと断言できた。少なくとも誠はそのへんが抜けていて、使用済みの本体はきっちり自分で始末しようとするが、得てして空箱は忘れてしまうのだ。後で刹那が始末しようとして「おれがやる」と慌ててもっていってしまうことも結構あった。
 もちろん世界がきっちりフォローしていた可能性もあるが、世界はそんなに掃除がうまいわけではない。ああみえてわりとずぼらな方だ。
 ──つまり、世界との時はコンドームの使用率は今よりはるかに低かった、あるいは圧倒的に中だしが多かったのだろう。
 そして実際、死亡時点の世界には誠の精液の反応があったし、妊娠初期でもあった。世界の自宅には、誠がどんな顔するか楽しみ、なんて手記までご丁寧に残されていた。
 そのあたり、どうにも刹那の腑に落ちなかった。
 衝撃的な経験から女の子へのそういう気遣いも覚えた、という可能性もなくはない。だがどうにも違うような気がする。気遣いで避妊しているというより、まるで何かがブレーキをかけていて子供を作りたくない、そういう気持ちが働いているような気がしてならなかったのだ。
 不安だった。
 考えすぎなのかもしれないが、それは刹那を非常に不安にさせていた。
「……そろそろかな」
 刹那は誠の部屋の前にいき、こんこんと小さく叩いた。
 返事がない。やはりまだ寝ているようだ。
「……」
 少し考えると、扉を開いた。
 中はきちんと整理されていた。日本の誠の部屋にもどことなく似ている。このレイアウトが好みなのだろうと刹那は思っていた。
 誠は魘されていたようだ。寝乱れている。考え事をしていて気づいてやれなかったことを少しだけ刹那は後悔した。今でも時折誠は昔の夢を見る。そのたびに刹那は起こしてやった。セックスの後の気だるい眠りでさえたまにそういうことがあったため、刹那はそれに慣れっこになっていた。
 起こしてやるか、それとも汗を拭いてやろうかと近づいた。
 が、そのとき、誠が寝言をつぶやいた。
「あぁ──そうだ。そうだったね、言葉」
「!!」
 ぎょっとした刹那は固まってしまった。
 誠は嬉しそうに眠っていた。よほどよい夢なのか、それとも夢の中で悪夢から救われたのか。誠は見たこともないほど幸せそうに眠りこけていた。
「……」
 刹那の中に、持ち続けてきた不安が急速に頭をもたげはじめた。
 
 かちゃり。
 なんとなく手に持ったままだった家の鍵が落ちた。
 
 部屋を飛び出した。
 そのままリビングに飛び込むとメモをひっ掴んで携帯をポケットから取り出した。
 ふう、とひと呼吸して気分を落ち着け、電話をかけた。
「アロウ。刹那です。突然ですがちょっとお願いがあります。本当にすみませんが至急どうしても調べたいことがあるんです。
 桂言葉さん……ええそうです、あの桂さんです。あの方が今どうされているか調べることはできますか?はい、できれば今すぐでも。
 保護観察中ですか?本当ですか?実はある程度の自由がきいて、国際電話とか普通にかけられるような状況にあったりはしませんか?
 ……ええ、確認はとれていませんが非常に嫌な予感がするんです。後でおわびでもお礼でもしますから、なんとか裏づけをとってくださいませんか。
 本当にすみません。お願いします。
 あと、もし最悪の事態……つまりですね、彼女がEU圏内にいる、なんて事態がもし判明しましたら、速やかに誠をつれて日本へ行きたいんです。いえ笑わないでください、誠の様子がおかしいんです。笑い事じゃないです、本当にあのひとだとしたら大変なことになりますよ。
 ……はい、そうなんです。すみません感情的になって。
 はい、わかりました。ではその線でお願いします」
 電話を切った。
 既にその時点で、もう刹那は落ち着いていた。深呼吸をひとつして、そしてつぶやいた。
「……絶対、渡さない」
 その言葉は静かに、部屋の中に溶けていった。



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