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空港にて

 シャルル=ド=ゴール空港に向かう道は、穏やかに晴れ渡っていた。
 適度に流れている車の中を一台のワゴンが走っている。清浦家のものだ。空港を目指して車の流れに乗り、雪交じりの路面をものともせず淡々と走っていた。
「しっかし、いきなり墓参りとは驚いたな」
「ちょうど予定が空いたから」
 誠の質問に、すました顔で刹那は答えた。
 実際は焦るだけ焦っていた。だけどそれを誠に知られてはならぬと、刹那は鉄壁の意思でそれを隠し、いつもの表情を維持していた。今日は珍しく母君がハンドルを握っているのだが、その母君も何も言わない。日本のことなどたわいもない事を話しつつ、ふたりをただ輸送することに専念していた。
 桂言葉についての調査結果。
 保護観察はすでに解けていて、桂一家はささやかな身内のお祝いに欧州旅行中である。数日前にスイスにいたことがわかっているが、バートラガーツのホテルに車を預けてどこかに向かったらしい。現在位置は不明だが、フランスに向かった可能性がある──。
 そう。まさに刹那のいう最悪の結果が出ていた。
 なにより一家が突然に移動手段を変えたのが不気味だ。行き先を選んだのが他ならぬ言葉本人だという未確認情報もあったほどだ。こちらに悟られるのを予測したうえで、突然に交通機関を変えて行方をくらましたのではないか?
 清浦親子の懸念はもう極限に達していた。
 まぁ、ここに至っても刹那本人はともかく清浦母が誠を見捨てるよう刹那に進言しなかったのは驚きに値するかもしれない。誠さえ放り出してしまえば娘や自分に危害が及ぶ可能性は大幅に減少するのにそれをとらず、むしろ誠を娘と一緒に一時避難させるなんて方法をとるくらいなのだから。既に日本の伊藤母にも事情は連絡ずみ。あちらでも受け入れ態勢ができているはずだった。
 ようは、すでに清浦母も息子のように誠が可愛かったのだ。
 彼女は学園時代の誠を知らない。凄惨な事件の後に打ちひしがれていた誠が刹那の元で元気を取り戻し、女性に対してはどうしても一歩引いてしまうが誠実で元気な笑顔を見せているその姿しか知らないのだ。かつての誠を知っていれば態度は違ったのだろうけど、なに、女性問題さえなければ誠はこれで結構身内に優しくマメで父性愛に満ち、家庭的な人間でもある。気に入らないわけはなかった。
「もうすぐ着くな。準備はいいか?」
「うん」
 刹那にしては妙に気合いの入った返事に、誠はちょっと首をかしげた。なんだろうと刹那の顔を見ようとしたのだが、
「誠、準備は?」
「ない。時間がなかったから着替えと財布しかないし」
 膝のうえのアウトドア用リュックをぽんぽん、と叩いてみせた。
「なんか妙に気合入ってるなぁ。大丈夫か?」
 誠は微笑むと、なでなでと刹那の頭をなでた。
 普通、こうすると刹那は嫌がる。子供扱いされるのが彼女は最も嫌いなのだから。
 だが、
「……」
 それでも刹那は、不安と焦りの混じった目で誠を見つめるだけだった。
「……ほんとに大丈夫か?調子悪いんじゃないか?」
「大丈夫。飛行機に乗ったら休めるから」
「そっか」
 誠はちょっと心配そうに、だけどいつもの笑顔で刹那を見た。
「……」
 だが、その笑顔はどこか、吹っ切れたような寂しげな光を湛えてもいた。

 空港に着いた時、それは起きた。

 空港に着いた時、空はまさに快晴だった。
 風はなかった。寒さは結構なもので雪も積もっていたが、ぽかぽかと照りつける穏やかな日差しとあいまって、そう居心地の悪い気候ではなかった。
 奇しくもそれは、あの悲劇の日の感じにも似ていた。
 母君は仕事で忙しいのか、ふたりと荷物を降ろすとすぐに立ち去った。もっとも何か心配ごとがあったらしく刹那にちょっとはなしかけていたが、誠は親子の会話に気をつかい、忘れ物はないか改めてチェックしていた。
 だが母と別れいくらもたたないうちに、刹那はギョッとした顔で固まってしまった。
「……」
「……」
「……」
 桂言葉がいた。
 ふたりの進行方向、ど真ん中に静かに佇んでいた。少し俯き、少し悲しげな顔で。
 さすがの刹那も青ざめた。まさか真正面で平然と待ち構えているとは。ストーキングの果てに愛するひとの恋人を惨殺したという話の意味が、ようやく彼女にも飲み込めたようだった。
 ──このひとに関わってはいけない。
 この場所に居たことが驚きなのではない。それは確かに凄いことだが、それはある程度の情報網があれば不可能なことではないだろう。そんなことは問題ではない。
 いかなる理由があるとはいえ、発狂して誠の恋人を誠の目の前でノコギリで挽き殺したのだ。普通の人間なら、少なくとも誠の前に平然と出られるわけがない。そんなことができるわけがない。
 そんなこと、まともな神経の人間にはできるわけがないのだから。
 だが刹那は次の瞬間、さらに驚くことになった。
「やぁ」
 なんとその言葉に、見たこともない透明な笑顔で誠が語りかけたからだ。
「!」
 次の瞬間、刹那は誠に全力でしがみついていた。
「お、おい、刹那」
 戸惑った顔で誠は、刹那の顔を見下ろした。
「だめ、行っちゃダメ!」
 ほとんど絶叫のような叫びをあげ、なりふりかまわず刹那は誠にがっちりしがみついた。
 誠はそんな刹那を見て、本当に嬉しそうに微笑んだ。そして、
「──行かないよ。ただ話をするだけ」
「……」
 刹那は動かない。ますます力を込めるだけだった。
「なぁ刹那。おれ、言葉に言い忘れたことがあるんだよ。
 おれが刹那や、刹那のお母さんとこの先ずっといるためには、どうしてもそれを言わなくちゃいけないんだ」
「……」
 刹那は、じっと誠の顔を見上げた。
「頼む。五分だけ時間をくれないか」
「……」
 刹那の目は誠から離れない。
「頼むよ」
「……」
 刹那は少しだけ、悲しげな顔になった。
「な」
「……わかった」
 そういうと、刹那は悲しげに誠から離れた。
 誠はそんな刹那にうん、と一度頷くと、言葉の前に立った。

 言葉と誠は向かい合っていた。
 言葉の表情は読めない。ただ無言で、少し俯きがちにそこに立っていた。目線は誠の顔でなく、少し下を見ていた。
「久しぶり」
「はい」
 しばしの沈黙の後、ふたりの会話はそこから始まった。
「元気そうでなによりだよ」
「……ありがとうございます」
 言葉の表情は変わらない。ただ、それだけを答えた。
 だが次の瞬間、
「謝りたいことがあるんだ」
「!」
 え、という声は言葉から聞こえた。驚き、目を見開いた顔が上がり、まっすぐに誠の顔を見た。
「おれ、本当に言葉も、そして世界も苦しめるだけ苦しめちまった。世界はあの通り死なせてしまったし、言葉に至っては今も苦しめ続けてる。それら全てが元はといえばおれから始まったことなんだから。
 おれ、死んだら間違いなく地獄いきだよな」
「そんな!だって西園寺さんを殺したのは」
 うん、と誠は頷いた。
「世界を殺したのは確かに言葉だ。おれだって忘れるわけがない。いや、あの瞬間はたぶん一生忘れないよきっと。
 だけどさ、あの状況を作り出したのは誰だと思う?」
「……それは……あの」
 言葉はいい淀んだ。ひとことに誰、と言い切れないのだろう。
 だが、誠は言い切った。
「おれだよ言葉。おれが全ての元凶なんだ。
 言葉に憧れてた俺が言葉の写真を携帯で撮って、それを世界に見られた。あの瞬間が全ての始まりだったんだ」
「そんな、元凶だなんて!」
 叫びだそうとした言葉を、誠は手で制した。
「……ごめん、ちょっと言い方悪かったか。でも最後まで聞いてくれないかな」
「……はい」
 悲しそうに、何か言いたそうに、でも言葉は言われたとおりに口を閉じた。
「いいとか悪いとかじゃない。きっとさ、おれと言葉ってあまりにも相性が悪いっていうか、本来近づくべきじゃない存在だったんだよ。
 覚えてるだろ?はじめてのデートで言葉の手握ろうとして、言葉がそれを拒んだときのこと」
「……はい。あのときは……ごめんなさい」
 いいよそんなこと、と誠は苦笑した。
「こんなこと言ったら自己陶酔の馬鹿だと思われるかもしれないけど……おれ、思うんだよ言葉。
 おれたちってさ、きっと、物語の中で出会えたら本当に幸せになれたと思うんだ。言葉はお姫様で、おれはお姫様に惚れちまったよその貧乏国の王子様でさ。ほら、そんな関係ならきっと、おれたちは永遠にずっと一緒で、いつまでも幸せに暮らせたはずなんだ」
 誠は悲しげに空をみあげた。
「まだ昨日のように思い出せるんだ言葉。世界がおれのために言葉に渡りつけてくれて、それでいっしょにお昼する事になったあの日のこと。
 言葉、本当に純粋だった。物語の中から抜け出てきたお姫様そのまんまでさ。ほんとに綺麗で、ほんとに可愛くて、この世の誰よりも輝いて見えた。
 おれは舞い上がった。どうにかなっちまいそうなほどメチャクチャに夢中になった。どうしてもお姫様が欲しかった。おれだけのお姫様になって欲しかったんだよ。
 結果として世界を選んだしその気持ちにだって偽りはなかった。でもあのときの気持ちだって嘘も偽りもない。今だってそう思ってる。
 ……だけど」
「!」
 言葉はその次の言葉を聞きたくない、という顔をした。
 だが誠の顔を見て、その言葉をこらえたようだった。
「おれはさ、言葉……王子様にはどうしてもなれなかった。なれなかったんだよ、言葉……」
 誠の顔から、涙が流れた。
「……誠、くん」
 言葉の顔にも涙が浮かんでいた。
「ごめん、ごめんよ言葉。
 あの頃ちゃんとしていれば……いやそもそも、世界がおれの気持ちを知って言葉とおれの橋渡しをする、なんていい出した時にどんなことをしてでもきっちり止めていれば、少なくとも言葉をここまで苦しめることはなかったのに……それなのに!」
「い、いいです、もういいですから誠くん!」
 涙をふきに寄ろうとした言葉を、誠は首をふって手で制した。
 だが、その手は震えていた。
「……幕、引こうよ言葉。今度こそ」
「……」
 いやです、と言いかけた言葉だったが、その前に誠が続けた。
「おれは別れたくない。言葉もきっとそうなんじゃないかって思ってる。他の女の子にこんなこと言ったら自信過剰だとかキモイとか間違いなく言われるだろうけど言葉は別だ。そうだろ?」
「はい」
 ためらいもなく返答する言葉に、誠は悲しそうに眉を寄せた。
「だから別れよう言葉。好きだから別れよう。
 本当なら一緒になりたい。いつまでも一緒にいたい。そう思う。
 だけど」
 ぽた、と誠の涙がコンクリートの地面に落ちた。
「きっとおれたち、近づけば近づくほどダメになる関係なんだよ。
 あの時は世界と世界のお母さんを死なせた。次は誰だ?きっとまた誰か犠牲になる。どうしようもないんだ。
 だってそうだろう?ここはおとぎの国じゃない。現実なんだよ。
 せっかくここにお姫様がいてくれるのに、おれを好きだといってくれるのに、おれもお姫様が大好きなのに、なのに、なのに、なのに!」
 ガツン、と音がした。誠が地面を蹴った音だった。
「おれ、どうして王子様になれなかったんだろう……畜生!!」
 恥も外聞もなく、誠は泣き始めた。
 言葉が泣きながら、それを抱きしめた。
「愛してる、愛してるんだ。本当に、本当なんだよ言葉」
 言葉はもう何も言えないようだった。はい、はい、とそれだけをいい、わたしもです、とかろうじて小さく頷いた。
 そして……ゆっくりと、離れた。
「私……忘れません」
 びく、と誠が反応した。
「どんなに時間がたってもきっと私、誠くんが好きです。
 他の誰かと結婚しても、そのひとの子供を生んで育てても、暖かい家庭を作っても、ずっと私の中には誠くんがいます。ずっと、ずっと、忘れない。忘れられるわけない」
 少し経ち、そして誠も口を開いた。
「……おれもそうする。
 おれ、好きな子がいる。こんな修羅場見せちまってもうさすがにダメかもしれないけど、それでもいいって言ってくれるなら彼女と結婚する。おれの時みたいに離婚もしないで、両親そろったいい環境で育てられるよう努力して、そして、言葉んちみたいに暖かい家庭を作る。
 ……おれも忘れない」
 うん、うん、と涙ながらに言葉はそれを最後まで聞いた。
 少し俯き、そして涙を拭った。そしてにっこりと微笑み、
「……愛してます、誠くん」
「……おれもだよ、言葉」
 頷きあい、
 そして言葉は踵を返し、
 おそらく家族が待つのであろう、空港の中に向かって消えていった。

「ちょっと、そこの主人公」
「は?」
 突然わけのわからない声をかけられ、誠は振り向いた。
 と、
「へ?」
 いきなり誠はドンと突き飛ばされ、路肩の雪に頭から突っ込んでしまった。
「ぶ、ぶは、なんなん……!?」
 起き上がろうとしたところで今度はパン、と派手な音がして視界がブレた。
 痛ってぇ、と思いつつ誠はその方を見たのだが、
「……」
「……」
 そこには当然といえば当然だが、腰に手をあて仁王立ちになっている、怒り心頭の清浦刹那の姿があった。
「い、いや、あのその」
「……」
 刹那はというと、呆れに怒りに泣きまで入り、なんだかぐちゃぐちゃの物凄い顔になっていた。
 誠はそれを見てさすがにバツが悪くなったのか、神妙な顔をした。
「ごめん刹那。でも、これできちんと幕切れしたから」
「……うん、そうだね。でもさすがに目の前で愛してる連発された時には、この馬鹿どうして殺してやろうかと思ったけど」
「はは……は…………ごめんなさい」
 困ったようにうつむく誠に、刹那はふうっと肩を落とした。
「いい。正直はらわた煮えくり返ってるけど、あのひとときっちり幕切れするにはあれしか方法なかったのもわかるから」
「……刹那?」
 刹那は、眉をしかめて言葉が消えていった奥を見ていた。
「すごいひと……だけど、とても悲しいひと」
「……そうかもな」
「いこう。もう時間がない」
「ああ……りょーかい」
 苦笑しつつ誠は立ち上がった。
「誠ぼろぼろ。汚い」
「って、誰がそうしたんだよ」
「自業自得。貧乏国の王子様」
「あー……それは勘弁してくれよ」
「だめ」
 ぽりぽりと頭をかきつつ、誠はのんびりと歩き出した。その横には刹那がいて、労わるように背中に手を回していた。
 そんな光景を遠くから一台の車が見ていた。刹那母のものだ。
 しばらくして車は小さな音をたて、すっとその場を離れた。
 
「誠」
「ん?」
「別れの言葉、いつ考えたの?」
「あー……それは」
「誠のくせに決まりすぎ。ぶっつけ本番とは思えない」
「なんだよそれ。……実はさ、前に心ちゃん、あぁ言葉の妹な。その子からメールがあったんだ。こっちの方にくるって。
 逢うつもりはなかったからメールは捨てた。だけど言葉だから」
「きっと逢いに来る、そう思ったんだ」
「ああ」
「以心伝心?」
「ばか。言葉が読みやすい性格ってだけだ」
「……どうだか。似たもの同士のくせに」
「ん?なんかいったか?」
「なんでもない」



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