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倉田家

 ある種のストイックな単車乗りにとっては、旅先で動けなくなるのは恥になるらしい。
 だが、それは間違いだ。たしかに単車で来たのだから単車で帰りたいものだが、命の危険まで犯してそうするのは間違いだろう。
 忘れてはならない。
 熱狂的な単車乗りは時として、自分の生命より単車を選ぶ事すらあるのだが、生き延びれば走り続けられるのだ、という事だって忘れてはならない。
「……」
 とはいえ、今の俺はかなり間抜けだった。
 死んだ妻の墓参りをし、颯爽と去る……ただそれだけの事ができず、妻の親友で俺の友人でもあった女性に拾われ、介護されている身なのだから。
「ふぅ。熱、だいぶさがりましたね」
「ごめん。助かったよ佐祐理さん」
 あれから、数日が経過していた。
 俺は単車もろとも倉田家に運ばれた。倉田家はこの地域ではかなりの名家であり、そこのお嬢様である佐祐理さんは現在結婚もしていないばかりか、正式にはご両親の名前とはいえ事実上の家長状態で、倉田本家としての全ての活動を仕切っていた。
 学生時代は呑気でお人好しのお嬢さんという感じだったのだが、時折、俺の看病中に訪れる人との応対を見るにつけ、俺は自分の見識が完全に誤りであった事を痛いほど実感していた。
 そうそう、知ってるか?
 佐祐理さんは自分の事を名前で呼ぶが、これは例外こそあれ、基本的にはごく一部の人間に限られるみたいなんだ。昔はどうか知らないけど今はそうで、佐祐理さん曰く家の仕事をする時は家長らしく「私」と言うらしい。いつからそうしたかは本人も覚えてないそうだ。しかも驚いた事に、俺たち三人だった頃には既にそうなっていたらしい。
 迂闊にも俺は知らなかった。
 まぁ今回ずっと寝込んでいたおかげで図らずも、「(わたくし)」と自称するキリッとした顔の佐祐理さんを随分と見てしまったわけなんだが。
 ……それにしても。
 屋敷の人たちが俺の事を覚えていたのはまぁいいとして、なんか、異常に親切な気がするのは俺の気のせいなんだろうか?
「期待されているんですよ、祐一さん」
「へ?」
 佐祐理さんはうふふと小さく笑った。
「祐一さんの事は皆さんよくご存知ですし、佐祐理が……その、自分から男の人のお世話をするなんて滅多にない事ですから。いっそこのまま祐一さんといい仲にならないかと期待されているんだと思いますよ」
 はぁ!?
「な、なんだそりゃ……あ」
 ……頭がくらくら~っと……くそ、情けねぇ。
「もう、無理をしては駄目です祐一さん」
「ご、ごめん……けどよ」
「ええ、そうですね」
 佐祐理さんはあくまで優しかった。あの頃と同じに。
 だけど、
「祐一さんは、舞でないと駄目なんですよねきっと」
 そんな事を言う佐祐理さんは、なぜだかあの頃時々見せた寂しそうな顔だった。
 いや、だからさ。そんな悲しい顔をしないでくれ。だって、
「ごめん。佐祐理さんは全然嫌いじゃないんだけどね」
 情けない俺はつい、こんな言い訳じみた事を言い出しちまうから。
「……」
 だが、そんな俺を見た佐祐理さんは唐突にクスクスと笑い出した。な、なんだ?
「祐一さんって、あの頃も思ったんですけれど……本当に舞に似てますよね」
「へ?」
「わからないんですか?」
「???」
 きっと俺の頭の上には今、盛大に?マークが立ちまくっているのだろう。そんな俺を見て佐祐理さんはまた楽しそうに笑い、
「祐一さんって、本当に、ほんっとうに大好きなものの話になると、舞みたいに『嫌いじゃない』って言い出しますよね?」
「!!」
 そんな事をのたまってくれたりするわけで。
 いやちょっと待て佐祐理さん。そりゃ男って奴の基本であって、別に俺が舞に似ているとかそういうわけじゃないだろう?
 『好き』という言葉は男にとり、大なり小なりこっぱずかしいものなのだ。
 それが好きであればあるほど、好きというのが恥ずかしくなる。だから、『嫌いじゃない』なんてひねくれた言い方も飛び出すものだし、人によってはそれが言葉ではなく、ぶっきらぼうな態度や悪戯となって現れる。
 ようはそれだけ、男とはいくつになっても「男の子」なのだ。
「うふふ」
 だが俺がそう言っても佐祐理さんは笑いを止めない。なぜだか顔が紅潮しているようにも見えるが……むむむ?
「いや、いいんだけどさ。佐祐理さん何かいい事でもあったの?」
「さて、どうなんでしょうね?」
「???」
「いや、わからないから聞いてるんだけど」
 どうやら教えてくれるつもりはないらしい。
 だがまぁ佐祐理さんが超がつくほどご機嫌なのは俺にもわかった。俺はとりあえず、そのご機嫌なうちにやる事をやってしまおう。
「佐祐理さん。単車のキーどこにある?」
「はい?」
「整備したいんだ。何せほったらかしだったから、いい機会だし」
 そう言うと佐祐理さんは少しだけ躊躇するように俺の顔を見、むむっと人差し指を口元にやり思案げな顔をした後で、
「えぇ、いいですよ」
 いつもの穏やかな顔に戻ってそう言った。



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