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追憶の車庫にて

 倉田家は大きいだけあって車庫もバカでかい。いくら来客もあるとはいえ、高校時代にお世話になっていた水瀬家の家屋そのものがすっぽり収まってまだ余る。正直、この中だけでフリーマーケットが開けそうな規模だ。はじめて見た時はさすがに驚いたっけなぁ。
 だが、北海道の田舎の家ではそもそも車庫はでかい。歴史的事情があるのだ。
 現在の北海道民のほとんどは内地からの移住者の子孫であり、就農などの形で移り住んできたわけだ。そういう理由から、道具類や運搬車両等を整備するための設備が当たり前のように揃えられていた。村に鍛冶屋がいるとは限らない、だから自前で揃えようというわけだ。
 俺は以前、ごく普通の農家に200V電源やでかいコンプレッサーがあるのを見て非常に驚いたんだが、北海道では別に珍しい図じゃないんだなこれが。もっと気のきいたところだと、下手な自動車整備工場なみの設備があったりもする。
 まぁ、一般農家と言えど大規模になると、10,000ccを越える排気量を持つキャタピラ仕様のトラクターなんかも置いてたりするからなぁ。機械好きには本当、北海道ってたまらない環境だよな。
 って、ありゃ?
「あれ?なんか奇麗になってる」
「あ、錆止めしておいたんです。迷惑かと思ったんですけれど、随分汚れて、濡れてましたし」
「……ごめん。ありがとう」
「整備って何をするんですか?」
「なに、チェーン張りと注油さ。錆対策もしておくつもりだったけど不要みたいだな」
 北上時、雨と一緒に海風もかなり食らっていたのだ。錆止めしてくれたのはありがたい。
 さて、と工具をとりだし、注油をする。CLはメインスタンドがないので、当然左右どちらかを持ち上げて浮かせる必要があるが、
「あ、佐祐理が支えます」
「いいよ別に」
「いえ、大丈夫です」
「単車をいじった事はないだろ?」
「ありますよ。お父様のお手伝いですけれど」
「……へ?」
「あれです」
「……」
 佐祐理さんの指差す方を見ると……なるほど。たしかにやたらと巨大なカバーのかかった単車らしいものがある。
「へー……」
 この車庫は昔にも一度借りた事があった。だけど奥にあるものにまで注目した事はなかった。ま、ひとんちの車庫だしな。
「体を壊されて随分乗ってらっしゃらないですけれど、整備は時々されてます。それでも佐祐理が中学くらいの頃は整備のお手伝いとかしたんですよ。女だてらに機械なんて触るんじゃないって言われましたけど、そう言いながらもお父様、目が笑ってましたね……」
「……」
 そりゃ嬉しいだろう。単車乗りにとって、娘や息子が自分の愛車に興味を持つのは嫌な事ではないだろうから。
「……して、あれ何?見ていい?」
「はい、いいですよ。」
 そう言うが早いか佐祐理さんは立ち上がり、しずしずと歩いていった……勿論、俺もついていく。
「えらくでかいな。大陸()横断()仕様(ラー)か?」
「とても古いものなんです。お爺様から譲りうけたものなんだそうです」
「へー凄いな。どれ、失礼して」(注意: 乗り手に内緒で単車を見たりするのは本来とても失礼な行為です。真似しないように)
 ……だが、俺の手はカバーを半分くらいまくったところで、ピタリと止まった。
「……なんだこりゃ?」
「はい?オートバイですけれど?」
「いや、それはわかる……しかしこれって……」
 バカでかいペダル、どうやらキックペダルのようだ。しかし、その先には自転車のペダルの先のような、あれがついている。
 見た事がないとは言わない。だがそれは非常に古い、しかも大型車以外ではまず見る事のない装備だ。
「エンジンとミッションは別体か……??なんかフラットヘッドみたいだな」
 フラットヘッドっていうのは戦前などの古いハーレーのサイドバルブエンジンの事だ。写真以外ではあまり見た事がないんだが、どうもそれっぽい。
 なるほど、これなら大仰なペダルもわかるか。1200ccとかのロングVツインを始動するんだからな。
「はい?ふらっと……何ですか?」
「いや、いい……あぁ、やっぱりフラットヘッドだ……すげぇな。……!?」
 いや、ちょっと待て。
「なんだこれ」
「はい?」
 横で首をかしげる佐祐理さんに答える余裕もない。タンクに書かれているロゴの文字をなぞる。
「R....i....k....u....o....h……陸王!?マジでか!?」
「???……えっと、凄いんですか?」
「す、凄いもなにも……こんなの、博物館でしか見た事ないぜ」
 のほほんと不思議そうな顔の佐祐理さんに、俺は頷くしかできなかった。
 
 陸王。
 戦前、Harley Davidsonを日本でノックダウン生産する事になり、日本での名称が募集された。そして最優秀に選ばれ正式名称となったのが「陸王」だった。
 低重心で非常に安定しており、耐久性に優れた陸王はまさしく「陸の王者」にふさわしく、戦前から戦中、戦後の復興期をまたにかけてこの国を駆け巡った単車の帝王である。
 製造元である陸王内燃機がやがて閉鎖になるまでの長い、長い間、ほとんど大昔のサイドバルブ仕様のモデルを延々と作り続けたが、やがて純国産の単車の性能が上がってくると基本設計の古さや大きすぎる車体が災いとなり、いつしか消えてしまった。
 今は一部の好事家と、伝説の彼方にのみ存在するマシンである。
 
「……全部見ていいか?」
「あ、はい。いいですよ」
 失礼とは思ったがもう手が止まらない。カバーを全部外した。
 間違いない。とんでもなく古い型だが俺はこの伝説的オートバイを少しだけ知っていた。
 舞がいなくなる前の事だ。オートバイだとどうしても二人で限界なんで、いっそサイドカーはどうだと検討した事があったんだ。内地と違って北海道だし、すり抜けとか考えなくてもいいからな。
 まぁ結局それが実現する前にあんな事になってしまったが、当時覚えた知識だけでも、このクラシックマシンの正体を知るには充分すぎた。
「……」
 エンジンの横にしゃがみ、クランクケースからタンクまで()めあげてみる。
 もちろん詳しい年式はわからない。だが戦前のモデルのように見える。
 今の単車ではただのグリップである左側のそれが変な装置につながっているのがわかる。噂ではそれは進角調整につながっていて、坂道などで使っていたはずだ。上り坂では進め、下り坂では遅らせたんだとか。
 オイルの循環だって自動ではない。サドルシートの横に手動のオイルポンプがありこれを時折操作する。確か操作をさぼると焼きついてしまうって話だったっけ。
 なんてこった。まさに往年の陸王そのものじゃないか。
「……たまげたな。まさか、よりによってこんな化け物だったとは」
「そんなに凄いものなんですか?」
「すごいなんてもんじゃないって」
 俺は思わず肩をすくめた。
「たぶんだけど戦前の陸王だろこれ。この年式でこのコンディションだと……たぶん貴重なんて生易しいもんじゃないと思う。推測だけど、これでエンジンかかって動いたら価値なんて想像もつかないよ」
 車やバイクの場合、不動車はいくら貴重でもスクラップである。動態保存こそ価値を持つんだと誰かに習った覚えがある。
 とはいえ、これはもう金銭に換算するようなものではないかもしれない。戦前のモデルなら軍の徴用をすり抜けて生き残ってたって事だし、動こうと動くまいと歴史的遺構という意味ではその価値は大差ないのかもしれない。
 だが、そんな価値まではわからない佐祐理さんである。当然の事ながら平然と、
「動きますよ」
「!?」
 なぁんてのたまってくれるのである。
「ちゃんと走りますよ。毎年、整備をした後に少しだけ乗るんです。そうしないと機械だから駄目になるって」
「……はぁ」
 ここ笑うとこか?いやいやむしろ感心するべきか。
 ふと、大学の時にもらったポンコツバイクを思い出した。
 卒業・上京するって先輩ににもらったバイク。高校出る前に免許をとる時、ついでに自動二輪もとっておいたのが本当に役立つなんて思わなかったよなぁ。三人乗りはできないから主に買い出しの足だったけど、舞か佐祐理さんが留守の時は、残っているどちらかと二ケツして出かけた事もあったっけ。
 そんな事を考えつつ、目の前の陸王にまた目をやった。
「……」
 ピカピカというわけではないが、細部まできっちりと整備されているのがわかる。それだけ見ても、どういう使い方をされていたのかがわかるというものだ。
 往年の……ここの家人の歴史とともにあっただろう伝説のビッグツイン。
 これが、金に任せて買ったコレクション等というのなら俺はなんの興味もなかったろう。そういう「貴重な単車を所有」している馬鹿はごまんといるし、床の間に飾られた貴重品や、公道を走れないレーサーにはスクラップほどの興味もない。
 だが、爺さんの代からこれを受け継ぎ体が許さなくなるまでは乗っていたというのは、俺の興味をそそるにはあまりにも十分すぎた。
「どうされたんですか?」
「……いや……悪い、カバーかけてくれ。俺には目の毒すぎる」
 一瞬、陸王にまたがり、佐祐理さんを後ろに載せた自分を想像してしまったのだ。
 そして、俺は、そんな事を考えてしまう俺に無性に腹がたった。
「……」
 俺は、何故か沈黙している佐祐理さんを放ったまま、CLの整備に戻った。



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