[目次][戻る][進む]

着信

 俺の愛車、ホンダCL400の航続距離は満タンで約250kmといったところだ。
 もちろんこれでは北海道の夜間走行には全然足りないので、函館で後ろに積んだ10リッターの携行缶に注油ずみである。ようするに、そこから燃料タンクに燃料を移せばいいわけだ。
 そいつが空になるまでには、24時間のGSが開いている旭川まで到達できるという寸法。
 愛車の航続距離とGSの把握は長距離を行く者の基本である。昼間ならともかく夜間では、燃料ぎれは致命的な予定の狂いを招くからだ。
 ガチャン……キュッキュッ。コポコポコポコポ……。
 携行缶からタンクに燃料が流れ込み、それに伴ってタンクに冷たいものがたまり、携行缶の方が軽くなっていく。
 やがて、ほとんどの燃料をタンクが飲みつくしたのを確認すると、携行缶を元どおり、荷台の方に固定し直す。もちろん燃料コックをリザーブから元に戻すのも忘れない。
 少し単車から距離をとり、煙草に火をつける。
 強靭な防水ケースに入れてあるおかげで煙草はまだ、ほとんど水に濡れていない。だがほんのわずかに水気を感じ、苦笑する。
 それは、俺自身の手から煙草に付着した水のせいだった。
「……」
 その水っぽい煙草を咥えたまま、俺は携帯に手をやった。
 型落ちではあるが防水携帯だ。なんならシャワーを浴びながらでも電話ができるという代物で、実際俺は集中豪雨の中で使った事もある。ガラパゴスなんて言われだして久しい携帯だけど、彼らの言う「進んだ携帯」とやらで防水携帯なんて未だ見た事も聞いたこともないから今もこれだ。俺の愛用の一品。
 だが、かかってきた事などいまだに一度とてない。
 当然だ。ただ日々の暮らしをこなすだけ、決まった友人すら誰もいない、そんな俺の携帯の番号を知る者など、誰もいるわけがなかった。
 海外にいる両親や、北の国の住人である親戚の親娘、それに、あいつの親友にして俺の友人でもあった女性だけはそれを知ってはいたが、肝心の俺が出ないんじゃかけてきても仕方ないというもんだ。
 そして、何度もかかっていた電話はいつしか減り、そしていつしか、携帯電話は宅急便からの着信専用になってしまっていた。
「ん?」
 はたして、そこには、俺の知らない番号からの着信記録があった。
 誰だろう?
 怪しいセールスなら番号非通知だろうし、知人にもこんな番号の者はいない。なんだろうと思いつつ、俺はつい通話ボタンを押していた。
 プップッ……プツッ……プルルルルー……プツ。
「もしもし」
『祐一さんですか?』
「!!」
 予想だにしなかった声に俺は正直面喰らった。あわてて消そうとしたのだけど、
『切らないで!』
「……」
『切らないで……ください。祐一さん』
 そんな切ない声で言わないでくれ。指が動かなくなっちまったじゃないか。
「佐祐理さん。番号変えたの?」
『えぇ。一年前ですけど』
 噂をすればなんとかって奴か。電話の主は、あいつの親友だった女……倉田佐祐理だった。
「珍しいな。佐祐理さんが携帯にかけてくるなんて」
『普通のお電話の方は、何回留守録に吹き込んでもお返事くださいませんし』
「いや、だってそりゃ……別に用があるわけではないし」
『佐祐理はあったんですけど』
「……そっか」
『……』
 冷たい言葉を吐いている自分に、苦々しいものを感じる。
 それは良くない事だった。少なくとも俺にとっては凶兆以外も何者でもなくて、今すぐにでも電話を切るべきだった。
「まぁそんなわけだ。切るぜ」
『ちょっと待ってください祐一さん。本題はまだなんです』
「なんだよ。深夜だし俺、眠いんだけど?」
『明日、お会いしてくださいますか?』
「はぁ?……あのね佐祐理さん」
『?』
 唐突に何言い出すんだこの人はと思ったが、同時にそれは如何にも佐祐理さんらしくもあった。
「俺、東京だぜ?どうやって佐祐理さんとこまで行くのさ?」
『お待ちしてますから』
 そう言うなり、電話はプツリと切れた。
「……なんなんだ。いったい」
 いったいどうしろってんだよ。

 そもそもだな、彼女は、あいつと俺が住んでいたあの街に今もいるはずだ。 
 それなのに場所も時間も指定せずにどうやっ……!?
 
「ま、まさか……墓の前で待ち構えてたりしないよな……は、ははは……」
 彼女ならやりかねない気がして・・・一瞬、冷や汗が出た。
 雨は、しとしとと降り続けていた。



感想メールフォーム


PLZ 選んでください(未選択だとエラー)







-+-
inserted by FC2 system