[目次][戻る][進む]

 旭川でガソリンを満タンにした。もちろん携行缶にも燃料を入れ、南に向かって走り出した。
 大きな峠を二つほど越えて南に走ると、懐かしいあの街が見えてくる。
「……」
 心地よい風が、びゅうびゅうと俺のまわりを舞っている。
 性能的には旧時代のそれにすぎない大きな古い400ccにとり、北海道の広い国道はまるで高速道路のようであり、峠道といえど不必要に重心移動をする必要もほとんどなかった。
 天候のせいか放射冷却が抑えられていた。本来ならば凍えるような寒さのはずなんだが、身を切るような冷たい風に体力をとられずにすんでいた。ただし全身に真綿のようにまといつく脱力感、それに反比例するかのような異様にハイな精神状態が、最近なかった最大級の危険を告げている。
 疑う余地もなく、それは最悪のコンディションだった。
 このまま用をすませて、そのまま東京に帰れるのだろうか?
 途中で事故って、そのまま帰らぬ人になりそうな予感さえした。
 体調ガタガタ、気分はハイという状況がどれだけやばい事かというのは、長距離を走り慣れた者なら誰しもが知っている事だろう。
 車なら間違いなく仮眠をとるところだ。しかし単車ではそうはいかない。
 しかも今は雨。公園で気軽に仮眠というわけにもいかないのだから。
「……駅か」
 国道から外れ、脇道に入る。しばらく走り、懐かしい駅の前で単車を止めた。
 
 駅。
 
 高校、大学、就職以降も通じて、俺はこの駅をほとんど使わなかった。
 俺がここを使ったのは、誰かとの待ち合わせがほとんどだ。
 実際、両親の海外出張のせいでこの街にある親戚宅に身を寄せる事となり、引っ越してきた高校二年のあの冬の日でさえ、俺は寒さに震えながら、いとこがここに来るのを二時間も待っていたのだ。
『うぐぅ、遅いよ祐一君』
『遅いです祐一さん』
『祐一。遅い』
 懐かしい声が、ひとのいない古ぼけたベンチから聞こえるような気がした。
 そして今、冷たい雨の寒さに震えながら、単車の上からそこを見る、俺。
「……」
 メットのシールドを、上げた。
「……」
 雪はない。寒さ、冷たさも当時とはまるで異質のものだ。だが、全身にまとわりつく寒さが何故か、とても懐かしく感じた。
「……」
 とりあえず、単車を脇に寄せて、降りてメットを脱いだ。
 思ったより冷たくない風が頬を叩き、走ってきたので体が冷えきっている事を今さらのように実感する。
 トイレと、暖かいコーヒーが無性に欲しくなった。
 歩くたび、ブーツがくちゃくちゃと水音をたてたが気にしない。どうせ中の足は究極の防水装備……平たく言うと靴下ごとスーパーの袋に収まり、そのままその上にブーツを履いているのだ。ブーツカバー?そんな玩具(おもちゃ)は長距離乗りの役には立たないので却下である。
 まだ、通勤通学の人の波は始まっていない。暖まる時間くらいはあるだろう。
 とりあえず俺は、トイレの中に入っていった。



感想メールフォーム


PLZ 選んでください(未選択だとエラー)







-+-
inserted by FC2 system