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WC

 トイレに落書き、というのはあまりいいものではないが、日本全国どこでも見られるものである。
 結構、地方色もあったりして見ていて面白いものがあるのだが、そのほとんどに共通するのが、あからさまに下品で露骨である事。
 女子トイレがどのようになっているかは俺の知るところではないが、男の方はまさに全国共通。つまり男性器のいやにリアルな絵があったり、脚を広げた女性・・・年上らしいものが多いのは書いている奴が主に中高生だからだろう。この年頃は大人の女に興味を持つ奴が多いからな。
「あれ?」
 ふと、見覚えのある古い落書きを俺は見つけてしまい思わず苦笑する。
 だが、その苦笑はちょっと涙混じりのものだったかのしれない。
『舞』その落書きはたった一文字、それだけだった。
 それは、あいつの名前。そして俺の字だ。
 昔、俺が大学のコンパの帰りに、泥酔して書いたものに相違なかった。
 あいつとの仲を悪友たちに冷やかされ、酔った勢いで上機嫌になって、持ってたカッターかなんかの先でガリガリ壁を削って書き込んだものだ。
 当時の他の落書きはもちろん完全に消されていたが、書くのでなく削りこまれていたそれは、たまたま生き残ったんだろう。
 
「舞……まいぃ……」
 
 ……いかん。
 俺は泣かない。この街で泣くのはいやだ。
 こみあげてきた感情に抗い、無理やり押し殺した。
 泣くなら帰ってから泣けばいい。ここでそんなことをしているひまはない。
 とっとと用をすまして帰ろう。
 手を洗いトイレの外に出た。
 自販機を目で探すが、移動されたのか去年あった場所に自販機はなく、かわりにバス停の近くに自販機のコーナーが設置されていた。
 自販機まで移動する。
 まだ、冷えた関節が重い。
 ぎくしゃくした足取りで俺は自販機にたどりつき、レモンティーの缶を買う。
 熱い缶を手に持ち、プルタブを開けると、シュコッともプシュッともつかない微かな音と共に、レモンティーの匂いがつんと鼻をついた。
 駅の時計が、七時を指そうとしていた。



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