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巫女と鞘

 星辰という言葉、それはあくまで翻訳であり元の意味とは少し違う。
 元の意味に正しく訳せばそれは『星のみる夢』。そしてそれは衛宮士郎のもつ、世界卵をめくりかえす固有結界とある意味共通している。
 どちらも『夢を紡ぐモノ』であるということ。
 だがその有り様はまったくの正反対だ。衛宮士郎のそれを個人所有のジェットボートに例えるならこちらは大型客船のようなもの。小回りがきき素晴らしく速いが大仕事には向かない効率の悪い投影と、規模はでかいが取り柄はそれだけ、むしろ不便も制限もてんこもりの星辰の杖。どちらも厄介なものである事には変わりはないが。
 そのふたつが結び合った。
 ひとの夢を紡ぐ衛宮士郎。星の夢を紡ぐ風渡る巫女。ふたりは融合し、ひとりのヒトとして生き始めた。その先に何が待つかもまだわからないまま。
 だが、紡がれる夢に『待った』はない。
 道筋を大きく狂わせた聖杯戦争は、いよいよその大詰めを迎えようとしていた。

「まぁ……わたしにできる助言なんてこんなとこかな」
 けほ、と咳込みつつ凛がつぶやいた。
「ごめんね、回復すればわたしも行きたいのに……なんでなんだろ」
 凛は悔しそうだった。思うように回復しないばかりか、しびれてうまく動かない手足を憎々しげに見ている。
 そう。
 彼女の回復は遅れていた。立って歩くのがやっとという感じなのだ。これでは留守番くらいしかできまい。
「……」
 それを少女はじっと見ている。
「何よ士郎。わたしの悔しがるとこなんか見て面白い?」
「そうじゃない。……あのな遠坂。変な質問していいか?」
「へ?なに?」
「遠坂の血筋って、薄いけど何か混じってないか?その……吸血種とかその手の」
「……へ?どういうこと?」
 少女の言葉が意外だったのか、凛はじっと少女の顔を見返した。
「教会の礼装の効き目だろこれ。でもそれにしてもおかしいじゃないか。それって、人間相手じゃそう強力な概念じゃないと思うし。
 遠坂のもってる刻印とか魔術防御って、そんなに弱いものなのか?」
「!」
 凛の顔色が変わった。
「あいつ、遠坂の血筋について何か知ってたんじゃないか?だからこんな礼装使ったんだろたぶん。短時間で回復させないために。
 理由はわからないけど」
「……なるほど、あんた半分異星の巫女さんだっけ。そういうのわかるんだ」
 甘く見たわ、と渋い顔で凛は口ごもった。
「わたしもよく知らないわ。心当たりがないわけじゃないけどね。
 遠坂には大師父と呼ばれる『先生』がいるの。その名をキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。現存する四人の魔法使いのひとりで五つの魔法の第二法、並行世界を渡り歩く第二魔法の使い手よ。
 同時に彼は死徒、つまり吸血種でもあるわ。昔、朱い月と戦ってそれを斥けた時の後遺症なんだけど……ってまあそのあたりのくだりはどうでもいい。
 あんたの言うように、うちの関係するひとには吸血種がいる。だけど、大師父の血筋がうちに入っているというのは聞いたこともないし考えにくいわね。まぁ気まぐれで熱血漢タイプっていうし、遠坂は女性当主が多いから可能性皆無とは言わないけど」
 言いながら凛は赤面した。何か想像してしまったらしい。
「つまるとこ、遠坂も知らないってことか」
「悪かったわね。……けど教会の礼装がここまで効くっていうのは……やっぱりそういう事なのかしら」
「……」
 ふと少女は顔をあげた。
「遠坂の家ってあっちの方向だっけ?」
「え?うん……たぶんね。それが何?」
「この身体になってわかったんだけど……霊脈が集まってるだろあっち。もしかして遠坂の家の方が回復早かったりする?」
「……するでしょうねたぶん。でも嫌よ」
「あ?なんでさ」
 ぎろり、と凛は怒りの目を少女に向けた。
「それって、わたしを地面の下か墓土に埋めるってことよ士郎。冗談じゃないわ絶対やめて」
 綺礼あたりならニコニコ笑いながらやりそうだけど、と凛は腹立たしそうにつぶやいた。
「まぁ何とかしてみるわ。どのみち戦いには間に合いそうにないけど回復したらすぐ駆けつける。わたしだって」
 凛の顔が怒りに震える。
「たぶんランサーを使役してたのもあいつよきっと。タイミングがあまりによすぎるもの。ランサー自身がそれをどう取ってたかはわからないけど。
 ……わたしのアーチャーを殺した事、絶対忘れないから」
 ぎり、と怒りを全身から滲ませて凛はつぶやいた。
「……」
 静かに怒る凛などふたりははじめて見た。だから呆然と見ていたわけだが、
「……こわ。遠坂だけは怒らせないようにしよっと」
 そう、少女はぼそりとつぶやいた。

 二十分後。
 まだ昼には早い時間だが、ふたりは居間で食事をしていた。
「じゃあ、今夜零時に柳洞寺に来いって?」
「そうです」
 セイバーは少女の問いに答えた。
 融合により一時乱れていた少女の味覚だったが今はもう問題ない。以前と同様の食事が衛宮邸に戻っていた。
 もっとも、台所に子供の頃のお立ち台が復活したのはご愛嬌だが。
「ギルガメッシュの狙いは聖杯ではない。あれの狙いは私。これは前回の聖杯戦争から何ひとつ変わらないようなのです。
 聖杯にも関心はあるようですが、他の英霊のそれとは違うようだ」
「へぇ、熱烈だね随分と。でもセイバーにその気はないんでしょう?」
「あたりまえです!誰があのような男と」
 随分な嫌いように、少女はアハハと渇いた笑いを浮かべた。
「そう言うシロウはどうなのですか。随分と惹かれていたようですが」
「私?まさか」
 それこそ心外と言うように少女は不満の声をあげた。
「あのねセイバー、何度も言うけど私は半分男だよ?気持ち悪いこと言わないでくれないかな。
 それに巫女としての私にとってみれば、大好きだった親戚のおじさんとか保育士の先生に近い感覚なの。間違ってもそういう対象には思えないな」
「……なるほど。わかりました」
 セイバーはようやく納得したように、小さくうなずいた。
「ですがシロウ。貴女は彼と戦えますか?
 先ほども話したように、ギルガメッシュの話では聖杯の中身は汚染されているそうです。それは人類全てを殺す呪いの泥の塊だと。
 彼はそれを使う気まんまんです。そして私はそのような事は許さないし、彼に手篭めにされる気もありません。
 私自身は今回の、また冬木の聖杯が駄目なら次に賭ければいいだけの事。だが彼が聖杯を扱えばそれどころではなくなるでしょう」
「……」
 ぎり、と少女の目に怒りの火が灯った。それはギルガメッシュへの怒りではない。
 その顔に気づいたセイバーが眉をしかめた。
「まだ言いますか。何度言われても私は変わりませんよシロウ。
 私は王です。王の王たる最後の責務がまだ残っている。それだけの事です」
「……何も言わないよ私は」
「え?」
 その反応が予想外だったのだろう。セイバーは一瞬固まった。
「そんな事よりセイバー、ちょっと庭に出よ」
「あ、はい」
 
 冬の空は明るく、しかしその光量は決して多くなかった。
 太陽は既に冬至を抜けてひさしい。一年でもっとも寒い時期ではあるが冬木は比較的温暖であり、刺すような寒さとは無縁だった。
 それでもやはり冬は冬。少し寒そうにしている少女にセイバーは声をかけた。
「シロウ、もう一枚羽織ってきてはいかがですか?」
「いいからここに立って」
「あ、はい」
 自分の前にセイバーを立たせると少女は問いかけた。
「セイバー、ギルガメッシュと戦うんだよね?」
「はい。……シロウがどうしても駄目と言えば仕方ありませんが、その場合はその令呪をひとついただく事になります」
 少女のそれはまだ、ただのひとつも使われてなかった。
「止めないよ。私も戦いには賛成だもの」
 そう言うと少女は、すっと右手を出した。
「『来たれ杖よ。星辰の導きのままに』」
 静かに魔力がわきだし、少女の手に杖が現れた。
「……シロウ?」
 首をかしげるセイバーに少女は、ゆっくりと宣言した。
「いいものあげる。受け取ってね」
「え?それは」
 問いかけようとするセイバーを無視し、少女はぼそりとつぶやいた。
「『投影開始(トレース・オン)』」
 少女の脳裏に撃鉄が落ちた。続いて少女は詠唱を続ける。
「『動力源を衛宮士郎の魔術回路にセット。同調回路と記録回路を同時稼働。散在情報および詠唱八節の翻訳・再構成補助……開始(スタート)』」
 杖が小さく輝きはじめる。
 それはいつもの輝きとは違う。小さく弱々しく、しかし絶える事だけはないもの。
 それは、少女当人の内部に由来するがゆえに。
「──ぐ」
「シロウ!」
 すがろうとするセイバーを左手で「よせ」と止める。
 その間にも少女の魔術回路はフル回転しつつ、ひとつの幻想にたどり着こうと足掻き続ける。
 あぶら汗が急速に浮かんでいく。
「これは!」
「『投影終了(トレース・オフ)。杖接続待機に移行せよ』。
 ───セイバー……受け取って」
「……」
 言われるまま、セイバーは少女の胸元に手をやり……そして、ゆっくりとそれを引き抜いた。
「……」
 少女はそれを確認した後、杖を解除して消した。
「……これは……私の鞘。『全て遠き理想郷(アヴァロン)』」
 そこには、細長い剣のような『鞘』があった。
「……うまくいった。はじめて」
 にっこりと少女は微笑んだ。汗がきらきらと輝いた。
 セイバーは感無量といった顔で鞘を抱きしめた。だが、
「で、でもシロウはどうするのです?
 これはシロウの魔術の動力源でもあるはずだ。なぜ」
「なぜって、それがなきゃセイバーは勝てないよ。あいつに」
「──それは」
 口ごもりかけたセイバーだが、矛盾にすぐ気づいた。
「待ってくださいシロウ。どうして貴女はギルガメッシュの戦闘力まで知っているのですか?
 それに貴女はどうするのですか?これでもう貴女は杖を使えないはず」
「魔力……それはまぁなんとかする」
「!」
 あんまりな少女の返事に、セイバーは一瞬言葉を失った。
「何をバカなことを!
 貴女の杖は宝具のような限定礼装ではない!魔力の消費量はまったくの桁違いなのですよ!
 今のような補助ならともかく、それ自体を行使するなんて貴女どころかリンにだってできない!それくらい貴女にもわかるでしょう?
 なんてことを、なんてことをするのですか貴女は!」
「うるさいなあもう!セイバーが勝てなきゃどっちだって同じじゃないか!」
 怒るセイバーに、うるさそうに少女は言った。
「うるさくとも言います。
 おそらくシロウは投影を考えているのでしょう。(アヴァロン)には及ばずともそれなりのものを投影し急造の動力源として使うつもりなのではないですか?
 甘い。甘すぎですよシロウ。
 私の(アヴァロン)は限定礼装としてはかなり特殊なのです。シロウ自身の回復力を大幅に補助していた事でもわかるように、これは日常的に魔力を多量に放出する事ができる。貴女が利用していたのはおそらくそれなのです。
 逆にいうと、類似の効果をもつ魔術品でないと代用にはならない。
 違いますか?」
「……」
 あ、という声が少女から洩れた。セイバーの目線が鋭くなる。
「それともうひとつの確認です。貴女はどうしてギルガメッシュの戦闘力を知っているのですか?
 確かにあれは強い。それもただの強さではない。およそ英霊とつく者全ての天敵と言いたくなるほどにあれは規格外れの怪物です。
 ですが貴女はその戦闘を見たことがないはずだ。いったいなぜ」
「あー、それはね」
 困ったように口ごもる少女。
「なんですか?」
「ごめん、それ私の勘違い。別のひととごっちゃにしてた」
 ごめんなさい、と少女は頭をさげた。
「……それほどに強かったのですか?その、ギルガメッシュに似た人物というのは」
「うん。今は昔のことだけどね」
 少女は懐かしそうに、さびしそうにそう言った。
「……」
 セイバーはそんな少女を、なんともいえない目で見ていたが、
「セイバー?どうしたの?」
「!いえ、なんでもありません」
 困ったように、何かを強引に振り払うように首をふるセイバー。
「さて、では戦いに備え魔力の収受をしましょうシロウ。とにかくまずは補給をしなければ。話はそれからです」
「う、うん」
 少女はその意図を理解できず、腰を抱かれ部屋に連行される間中ずっと首をかしげていた。



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