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 夕刻になった。
 いよいよ芹香が、儀式の準備をはじめた。事前にやる術式があるという事で、芹香はさっきからぶつぶつと何かを詠唱しつつ、魔方陣をあれこれいじっている。俺はやる事もなく、そのさまをじっと見ていた。
 …奇麗だよな、芹香って実際。
 あっちの俺と芹香。こっちの二人みたいに結婚、までたどり着けるのか…それは今はまだわからない。やっぱり家の問題とかは大きいと思うし。俺たち二人はよくても結婚ってのはそれだけじゃない…そう思える程度には、俺も大人になりはじめていた。
 けど、そんなのは嫌だ。
 結局、俺は俺だ。常識で考えれば敵うはずもない綾香とのバトルに血道をあげるんだってそうだろう。できるできない、じゃない。やるかやらないかだ。やってみなきゃわかるもんか。さすがに結婚となれば他人を巻き込むから簡単にゃいかねーが、だからといってあきらめてたらそれは俺じゃない。足掻けるだけは足掻いてやるさ。
「…」
 さらさらの髪を、芹香は何度も脇によける。うつむきがちだから邪魔になるようだ。俺はポニテを止めてるリボンを外した。さらり、と、柔らかい髪の感触が顔につく。
 ……そうだ。この身体も、俺のじゃない。
「…」
 いや、そんな事はどうでもいい。目の前の芹香だって俺の芹香じゃない。だけど芹香だ。だから俺のやる事も変わらない。
「芹香」
「?」
「止めてやる」
 あ、と小さくつぶやく芹香を無視し、髪を後ろで止めてやる。なんだか芹香は恥ずかしそうだ。コーヒーに薬入れようとするような奴なのに、なんだかなあ。やっぱりこういうとこ、芹香なんだな。
「…よし、これでいい。邪魔してごめんな」
「…」
 ふるふると首をふり、ありがとうと小さく微笑み…芹香は作業に戻った。と、
「姉さん!」
 バタンと扉が開き、懐かしいヤツがジーンズ姿でそこに現れた。
「もう、ここにいたのね。なんで制服まで着てるのよぉ。卒業してんのに何やってんだか」
 あはは、やっぱりそうなんだ。という事は芹香のやつ、学校にもぐり込むためにわざわざ制服で来たんだな?
「あれ?あ!ひろみもここに居たんだ!」
 にぱあ、と嬉しそうな顔になる綾香。…ほう、こいつもこんな素直な笑いするんだな。それとも、こっちの綾香だけなのかなこういうのって。
「ちょっとひろみ、姉さんをここに来させないでってあれほど言ったでしょ?わざわざそのために部屋まで改造したっていうのに、なんでまたこっち来ちゃうんだろもう。」
「あ〜綾香、悪いけどそれ、オレはわからねー。俺はひろみじゃないからな」
「…はぁ?」
 おもむろに怪訝そうな声をあげる綾香。ま、そうだろな。
「…なに言ってるの、ひろみ?頭大丈夫?」
「勝手にひとをアレにすんな。だから言ってるだろ。俺は藤田ひろみじゃねえって」
「……そっくりさん?……なわけないわよねえ……」
 じろじろと俺をみる、綾香。…う〜ん、なんと言い訳したもんかな。
「…ま、いっか。バカなこと言ってないで、ちゃんと姉さん見ててよひろみ。もうあの時みたいなことはごめんなんだからね」
「…あの時?」
「……ちょっと、ふざけるのもいいかげんにして…え?」
「…」
 怒りかけた綾香だがその時、芹香が綾香の側にいくと、ぼそぼそと何か耳打ちした。…なんだ?
「…へ?ほんとにひろみじゃないの?マジ?」
「マジだ」
「…じゃあいったい誰なのよあんた?」
「藤田浩之ってんだ。まぁいろいろ言いたいだろうがあと数時間だけのつきあいなんでな、大目に見てくれると助かる」
「…はぁ?」
 おぉ、綾香の困惑顔だ。ちょっとレアだなこりゃ。

 もうしばらくかかりますから、という芹香のすすめに従い、俺は綾香は外に出た。
 夕刻も深まり、外は次第に薄暗くなりつつあった。もう生徒は誰もいなくて、学校はすっかり静まりかえっていた。
「この時間、中庭なら大丈夫よ。姉さんがあんたと…ひろみとよくいるから」
「そうなんだ…お、サンキュな」
「…うん」
 綾香のおごり、という世にも珍しい缶コーヒーをうけとり、俺と綾香はベンチに座った。
「……」
「なんだ?綾香」
「…確かに違うわねえ。口調もしぐさも」
「まだ疑ってるのか?しょうがねえなあ。おめえらしくもない」
「知らないわよそんなの。だいだい私、一応は常識人のつもりなんだけど?」
「そりゃおめえ本人だけだろ?」
「!どういう意味よそれ!」
「悪く聞こえたんなら謝るよ。悪(わり)ぃ。けどおまえってそうじゃん。もともと帰国子女のせいか、どっかアメリカンなとこあったけどそれだけじゃねえ。物事にこだわらないっつーかなんつーか」
「??キコクシジョって、なに?」
「……は?」
 俺は思わず、綾香の顔をまじまじと見てしまった。
「いや、だっておまえ、ガキの頃アメリカにいたんだろ?」
「な、何言ってんのよひろみ。私、あんたと幼稚園からずっといっしょじゃない!」
「……へぇ。」
 そいつぁ驚いた。そんなとこまで違うのかよ。
「ほんっと変だわ、今日のひろみ。…信じられないけど…ほんとに姉さんの言う通り、よそから来たそっくりさんなわけ?」
「そっくりさんっていうのは少し違うな。だいたい違うのは中身だけで、この身体はおまえの知ってる藤田ひろみ本人のもんだしな。」
「……」
「だから、別人だからってあんまり乱暴に扱うなよ?元に戻ったら泣くのは俺じゃなく、ひろみなんだからな」
「……」
「…納得してくれたか?」
「…まぁね。信じられないけど…姉さんの言ってたことと一致するみたいだし」
 ふう、と綾香はためいきをつくと、自分の缶コーヒーに口をつけた。
「…別の世界、ねえ?ずいぶんとおかしな言葉遣いだけど、あんた…えっと」
「浩之だ」
「そう…ヒロユキんとこじゃみんな、そんな言葉遣いなわけ?」
「いや、違うよ。芹香もおまえもあまり変わらねえし、あかりもそうだったな」
「へ?…あ、あぁ、そうか。そのあんたの世界とやらにも私や姉さんはいるわけか。でも、だったらどうしてヒロユキはそんな言葉使うの?それ、かわいくないと思うんだけど?」
「…そりゃ、この身体で使えばそうだろうな。でも仕方ねえよ。あっちじゃ俺、男だし」
「!?オトコ!?」
 綾香の目が、僅かに開いた。
「いや、そう驚かれても困るんだが」
「な、何言ってるのよ、オトコよオトコ!!ま、ままままマジ?」
 ううむ。魂消た綾香というのも、これまたレアだよなぁ。…なにげに面白いぞこりゃ。
「だから驚くなって。だいたいそれ言うなら俺だってそうだぞ?俺の世界にゃメニールなんて存在はないんだからな」
「!?…じ、じゃあ、私や姉さんってなに?そ、その、オトコなわけ?」
「…あのな、不気味なこと言うなよ。あっちじゃおまえたちゃ女だよ。来栖川の美人姉妹っていや有名人だぜ?」
「……」
 完全に絶句、という顔で綾香は俺を見ていた。
「……じゃあ、ヒロユキってあっちじゃ誰と?」
「…芹香と恋人…って言っていいのかな?俺は少なくともそのつもりだよ。だからこっちでも、真っ先に芹香に事情を話したわけなんだが」
「…へぇ。ちょっと不思議ねそれ」
「?そうか?」
「うん、そう思う」
 綾香はため息をつくと、もう夜になりつつある空を見上げた。
「…あんたのとこでどうだったか知らないけど、こっちでひろみと姉さんが知り合ったのって、結構最近なのよ?姉さんって魔法かぶれで人づきあい少ないし、特にメニールになってからは極端に人づきあいが減っちゃったから」
「……そうなのか?」
「うん」
 手許に目線を戻した。…別にどこを見ている、というわけでもないようだ。手の中でカラになったらしい缶をもて遊んでいる。
「ひろみと私は、古いつきあいなの。あかり…神岸さんとこだったかな?出逢ったの」
「?あかりんとこでかぁ?…そりゃまたどうして?」
 あかりと綾香?どういう組み合せなんだそりゃ?
「うちのメイママと…あぁ、メイママっていうのはメニールの母親のことね。あんたんとこじゃ何ていうの?」
「…男だから、『父親』だなその場合。庶民はオヤジなんて言う事もあるけど…で?」
「うん…メイママと神岸さんのお母さんが昔、つきあってたらしいの。あかりは戸籍こそ神岸だけど、メイママが一緒だから結縁的には姉妹なのよね、私たち」
「…複雑だなそりゃ」
「そう?」
「あぁ」
 こっちの世界、やっぱこういう部分だけはどうにもアレだな。
「だからね、ひろみと私はずいぶん昔からの知り合いなの。でも姉さんは元々身体が弱かった事もあって、外にほとんど出ないで育ったのよ。姉さんとひろみが知り合ったのってたぶん、この学校でじゃないかな?…きっかけは私もよく知らないんだけど」
「…」
 …まさかとは思うが、やっぱり「激突」なんじゃねえだろうな…マンガじゃねえんだからよぉ。
「俺も、芹香と知り合ったのはこの学校でだな。…おまえと知り合ったのはもっと後なんだけど」
「そうなの?……そっか。やっぱそれって、姉さんを通して知り合ったわけ?」
「いんや、それは違う」
 俺はまだ残ってる缶コーヒーに口をやり、飲み干した。
「…おまえとはじめて逢ったのは、葵ちゃんの試合だったか」
「葵の?試合って何?」
「こっちにゃいないみたいだが、あっちには坂下って空手女がいてな。エクストリームに転向した葵ちゃんを空手に引きもどそうって、戦いを挑んできたんだよ。俺はその頃、葵ちゃんのコーチ兼エクストリーム同好会のメンバーでな」
「?コーチってどういうこと?あんた、その歳でもう引退してたの?」
「まさか。俺は初心者だぜ?ただ、葵ちゃんがひとりぼっちで頑張ってたから、コーチと称して手伝いをしてたってわけさ」
「!?初心者!?うそぉっ!?」
「へ?」
 いきなりの大声に、俺は綾香の顔を見た。
「…?なに?綾香?」
「…なにそれ?何の冗談なの?」
「へ?冗談?」
「…あんたが初心者のわけないじゃない」
「え?え?」
「…って、そっか。あんた、ひろみじゃないんだもんね。……はぁ。でも信じられないわねえ。」
「…よくわかんねえけど、ひろみってそんなに凄いのか?」
「…凄いわよ」
 綾香は、地面を見つめながらつぶやいた。
「…たった一年よ」
「?」
「私だって、空手界じゃ神童なんて言われてた。葵だって、将来を有望視されてた。それをよ」
「…?」
「…それをひろみは、たった一年間の特訓で……葵を倒した」
「!?」
 あ、葵ちゃんを倒しただってぇ!?
「……まさか、嘘だろ?葵ちゃんをか?」
「私だって嘘だと思ったわよ。ひろみって当時、ガキ大将の延長っていうか、ここいらのグレた子たちの頭とってるような子だったしね。ヒロユキもわかるでしょ?素人の喧嘩と格闘技がどれだけ違うものか」
「…ああ、わかる」
「だから私、怒ったのよ。卑怯な真似して楽しいのかって。ひろみって確かに喧嘩っ早い子だったけど卑怯なことは嫌いなとこがあった。なのにズルして葵をやっつけるなんて、許せなかった。だから決闘申し込んだの。性根を叩き直してあげるって」
「……」
 はぁ、と、綾香はため息をついた。
「…確かに、私は勝てたわ」
「…」
「けど、戦ってみてよくわかった。ひろみの強さは天賦のものよ。私が努力で秀才になったとするなら、ひろみは紛れもなく天才だわ。それも実戦レベルの」
「…実戦レベル?」
「ええ、そう」
 綾香は苦笑すると、俺の手から空き缶をとりあげた。
「私も葵も、純粋な格闘技ならひろみには負けない。でも、それは試合での話よ。ルールから離れて純粋に「戦闘」すれば、結果はわからない。状況によっては逆に倒されたでしょうね」
「…よくわかんねえ。どういうこった?」
「(くすっ)本当に初心者なのねヒロユキって。ま、いいわ」
 立ち上がると、綾香は続けざまにひょい、ひょい、と空き缶を投げた。空き缶は綺麗な放物線を描くと、向こうに見える自販機横の篭に、ものの見事に吸い込まれた。
 一瞬遅れて、かーん、がらがらという音が聞こえた。
「…うまいもんだな」
「まぁ、ね。…でもこれ、ひろみの真似なのよ?」
「へぇ」
「…んっ」
 両手を後ろで組み、背伸びをする。芹香よりいくぶん大きい形のよい胸が強調するかのように見え、俺はちょっとだけドキリとした。
「ひろみは強いわ。エクストリームではちょっと使えない「強さ」なんだけど」
「…どういうことだ?」
「……実戦指向、かな。言うなれば」
「??」
 綾香の顔が、険しくなっていた。
「確かに、エクストリームは実戦主体よ?でもね、やっぱりそれは試合なのよ。牙を抜かれた学生空手みたいな代物とは確かに違うけど、純粋な戦闘術とはやっぱり違う。まぁ当然よね?高校生レベルでもその戦闘力で本気で殺しあいなんかしたら、死人が出ちゃうもの。そうさせないために試合では最低限、死なせないためのルールがあるわけだし」
「…」
「けど、ひろみは違う。ひろみは、初撃主体なの」
「え?」
「考えてみて、ヒロユキ。かりに、ここに暗殺者がいるとするでしょ?彼女はグローブをはめ、ルールを守って戦うかしら?そもそも、リングで真正面から対峙するのかしら?違うでしょ?」
「!!」
 俺はたぶん、顔色を変えたと思う。綾香は俺の気配に気づいたのか、うふふと笑った。
「そう。…暗殺者は、延々と戦わない。序々に相手の体力を奪うだの、判定勝ちに持ちこむだのなんて事するはずがない。気配すら出さずに気配を伺い、狙って確実に相手をダウンさせる。一撃で。わかるでしょこれは?」
「……」
「ひろみの戦い方は、まさにこれなのよ。ファイティングポーズもとらず、ろくに動きもしない。それどころか戦意すら見えない。でもその目は相手をじっと見てる。相手の癖を読み取り、動作や攻め方のパターンから弱みを見つけだし、そこに迷わず一撃を打ち込む。」
「…まさか。ほんとにそんなことできるのかよ?」
「できるわよ。現にひろみはそうやってるし」
「…」
「ひろみの戦いには、型というものがないの。葵を知ってるなら、あの子があの小さい身体を補うのにもの凄く苦労したのは知ってるでしょ?どうすれば破壊力のある攻撃ができるか。どうすれば体力を使いきる前に自分よりスタミナのある相手を叩きのめすか。あの子はそれを、打撃技の極意を研究し、それを極めるという方法で解決した」
「…あぁ、知ってる。こっちの葵ちゃんがどうやったかは知らねえけど、俺んとこじゃ葵ちゃん、中国拳法の門まで叩いた」
「中国拳法?…へぇ。」
「イロモノじゃねえぞ言っとくけど。朋拳って知ってるか?」
「……名前だけはね。…すごいわね。それを葵が?」
「ああ」
「…へえぇ。」
 綾香は俺の言葉に何かを感じたのか、じっと考えこんでいた。
「…だったら、ヒロユキにはひろみの論理、理解できるかもね。」
「え?」
「えっとね、ヒロユキ。自分が、その葵と同じような力を持ってると想像してみて」
「…んなの想像できねえよ。男ってのは女を殴る拳なんて持たねえもんだ」
「へえ。オトコってそういうものなの?」
「ああ。ま、馬鹿はどこにでもいるけどな」
「なるほどね…でも考えて。ひろみは女よ。当然、ヒロユキのその理屈は通用しないわけよね?」
「!」
 あ、それって…つまり?
「男は女を殴らない、でも、だったら同性なら殴れるわけでしょ?しかも相手は自分より遥かに体格も持久力も上。これならどう?ヒロユキならどう戦う?」
「そりゃ、一撃必殺狙うかもな。その力はあるんだし」
「…理由は?」
「理由?簡単じゃねえか。こっちがどう考えても不利なんだ。相手のペースに巻き込まれる前に速攻でケリをつける。それだけだ」
「……」
「?どうした?綾香」
「…それ、ひろみの論理と全く一緒よ。」
「!」
「わかるでしょ?ひろみは葵より若干ましだけど、やっぱり格闘家としては小さいわ。当然、戦う相手の大部分は自分より体力も持久力も上。掴まったら圧倒的に不利」
「…」
「だから、戦いになるとひろみは容赦がない。エクストリームでも生命に危険の及ぶような急所への攻撃は禁じられてるけど、格闘技っていうのはそんなに単純じゃない。エクストリームルールの範疇でもそれなりの実力とスキルがあれば、たったの一撃で相手を昏倒させる、ううん、もしかしたら殺すことだって充分に可能なのよ…まぁ普通はそんな事はないけどね。だって二本とるか判定勝ちに持ちこむ方がはるかに簡単だもの。大技は常にカウンターで大ダメージを受ける可能性があるわけだし、相手も素人じゃないんだものね。」
「ああ、わかる」
「だけど、ひろみはそうしない。理想は初撃、ダメでも攻撃開始から数秒とかそんな短時間でケリをつける。ちなみにエクストリームでついた仇名知ってる?『秒殺の魔女』よ」
「…そりゃまた…いやなふたつ名だな」
「そうね…で、こんな相手に葵が勝てると思う?」
「…試合なら勝てるだろ。葵ちゃんなら総合力で上まわるから、なんとか気力がもてば判定勝ちに持ちこめる。」
「そう。…でもそれって裏返せば、実戦じゃ勝てないって事にならない?」
「…」
「葵とひろみの一騎打ちは、こうなったらしいの。…攻めあぐねて攻撃をためらった葵は、動かないひろみの発するプレッシャーに負けた。何分後かしら?一瞬だけ、ほんの僅かにのぞいた隙を狙って」
「あ、そりゃダメだろ。終わったな」
「ええそう。次の瞬間には床に伸びてたそうよ。」
 綾香は、ふうっとため息をついた。そのしぐさが妙に色っぽくて、俺は居心地が悪くなった。
 …やっぱり、なんだかんだいって姉妹なんだ。芹香と。
 あっちの世界でも、俺は何度となく綾香にドギマギさせられた。なんせ、そっくりだし。水と油みたいに見えて性格的にも似ている部分あるし。綾香もそれがわかってるみたいで、芹香とつきあうようになってからこっち、ずいぶんと綾香には遊ばれたもんだ。
 …その綾香が、無防備な顔をして俺の隣でため息をついてる。…まぁ、女じゃなくメニールだって事も無防備さにひと役かってるんだろうけど。
「……」
「……」
 そうやって、何分ふたりして座ってたろう?
 涼しい風が、俺達を包んでいた。季節は秋。夕刻の赤みもいつしかほとんど消えて、空にはもう星がまたたきはじめていた。
「……ねえ、ヒロユキ」
「ん?なんだ?綾香」
「……していい?」
「…はぁ!?」
 いきなりの綾香の発言に、俺の目はたぶん、点になっていただろう。
「えらく唐突だな。女なんだからちったぁデリカシーってもんをよぉ」
「?何言ってるの?メニールだってば」
「!」
 あ、そうか。ここじゃ俺が女で綾香はメニールか…なんだかな。いつもの綾香と全然変わらねえから、どうにも変な感じだぜおい。
「やだ」
「どうして?私とひろみの仲じゃない。しかもこのシチュエーション。ヒロユキもそんな気分だったんでしょ?」
「いや、だから俺は男」
 ってこれ、口説き文句じゃねえのか?男女逆だろそりゃ……ってそうか。逆なのか実際。
 …ってちょっと待て!するってえとこの状況って、お、おいおいおいおいおいっ!!!
「まて、タンマ、リセット!」
「はいはい、いいから力抜いて〜」
「どわぁぁぁっ!!」
 抱きしめられそうになった瞬間、俺は全力で綾香に突っこんだ。
「え!?」
 おそらく、綾香は俺が逃げようとすると思ったんだろう。実際俺もそのつもりだった。だが俺の…というかこの身体は逆に反応した…つまり、捕まえる力に逆らわず、ほどんどゼロ距離から体当りをかます事により、ベンチに座ったままの綾香の姿勢を崩す事に成功したわけだ。しかもすかさず身体をひねり、倒れ込む身体を支えるために力の抜けた綾香の手をすりぬけ、今度こそ後ろに飛びさがって距離をとる。
 …これって、身体が覚えてるってことだよなぁ、やっぱり。
「くぅ…中身が違うからうまくいくと思ったのに」
「悪いな、綾香。俺は男なんでな。逆レイプってのはやっぱごめんだ」
「…ひろみはやっぱりひろみ、か。昔っからそうよねひろみって。あの頃素直に私のものにしてれば、姉さんなんかに取られずにすんだのに」
 おいおい、発言があぶねえぞ綾香。
「どうしてなの、ひろみ?姉さんなら許すのに、どうして私はダメなの?」
「あのなぁ、俺にわからねえ話すんなよ。そんなのは当人が戻ってから二人でやれ」
「察しなさいよそんなの!!もう、なんでそんなとこまで一緒なの?ほんとにあんた、ひろみと別人?」
「い、いや、だからあのな、そんな事言われても俺にはわけがわからねえ…」
 なんか綾香のやつ、どうしようもなく暴走してるっぽいぞ。なんなんだいったい?
「結婚がダメなら愛人でいいって言ったじゃない!そこまで譲歩したのに!姉さんもいいって言ってくれてるのに!なんで?なんでなの?」
「いや、なんでって言われても…」
 …だがなんとなく、俺には事情がわかるような気がした。
 俺とこの「俺」。綾香の言うように性格から何からよく似てるんだとしたら、たぶんこれは正しいんだろうと思う…いやたぶんまちがいない。
 こっちの俺にとっても、綾香は親友みたいなもんなんだ。だから綾香の想いには応えられねえ…つまりはそういう事だ。俺は時として男女関係にだらしない奴だが、友人関係に関しては別のつもりだ。綾香は性別がどうの以前に俺にとっては親友であり、気のあう愉快な「義妹」。こればっかりは芹香とくっついている限り、たぶんこっちでも変わりないんだ。
 だから俺は考えた末、言う事にした。
「なぁ綾香」
「何よ」
「こっちの俺が、どう応えるつもりなのかはわからねえ。でも、俺と「俺」がそこまで似たもの同士ってんなら、「俺」の考えてることは俺もなんとなくわかる気がするぞ」
「……」
「たぶん、「俺」はおまえと、性別とかなんとかを抜きにした関係でいたいんだ。嫌いじゃねえ。むしろ、誰よりも好きだ。ある意味、芹香よりもな。だけどそれは、男女…ってこっちじゃ女とメニールか。そういうの、こっちじゃなんて言うのか知らねえけど、そういう関係にしてしまいたくねえんだよ、推測だけどな。」
「……」
「そんな顔すんなよ。俺だって辛くないわけじゃねえんだぞ?でもな…こっちの「俺」が俺と同類ならそう考えてるはずだ。いや考えてる。愛してないとは言わない。いやむしろ愛してるんだろ。でも、芹香と比べたくないんだよ。どっちがどれだけ好き、なんて事になりたくない。…ああぁ、自分でも何言ってんだかわからねえぞ畜生。でもそういう事なんだよ。なぁ」
「……」
「……綾香?」
「……」
 綾香は、じっと考えこんでいる様子だった。…なんなんだ?
「…それって」
「え?」
「それって…ヒロユキの本心なんだ?」
「…ま、まぁな。こっぱずかしいが、たぶんそうだろ」
「へぇ…」
 な、なんだなんだ?今度はニヤニヤ笑い出したぞ?
「なぁるほど、ねえ。そんなとこまで……あははは、面白いなそれって」
「はぁ?」
「ヒロユキ…それ、あんたの世界の私にはもう言った?」
「…何言いだすかと思えば。言うわけねえだろそんなの。独占欲強いんだぞあっちの芹香。大騒ぎになっちまう」
「そ…でも、いつかは言う羽目になるわよたぶん、それ」
「…?」
 くっくっくっ、と綾香は楽しそうに笑った。…なんだかな。あっちの綾香とおんなじ笑いだぜおい。
「…おい、俺にはちっともわけわかんねえんだが?」
「いいのいいの。なんとなくわかったから。…ま、そうね。ひろみが戻って来たらもう1度迫ってみるわ。やっぱ姉さんには負けたくないもの」
「…ほどほどにしてやれよ。俺は男だが「俺」は女なんだからな」
「ん、わかってる。…さて、そろそろ帰ろっと」
「?なんだ、このまま儀式を待つんじゃないのか?」
「私は姉さんのあれ、苦手だもの。そういうのはひろみとヒロユキに任せとくわ。「私」もきっとそういうスタンスなんでしょ?」
「…まぁな。よくわかるな。」
「だって私だもん。…じゃあ、またね。姉さんに、携帯に連絡してって言っといて。長瀬をよこすから」
「ああ、またな。…けど、たぶんもう逢えないと思うぞ?なんたって別世界なんだからな」
「…逢えるわよたぶん。ひろみがひろみである限り、ヒロユキがヒロユキである限り、ね」
「???…わけわかんねえな…ま、いいか。」
「ん、じゃあねヒロユキ」
「ああ」



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